東京近郊のラビリンス、北総線沿線 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ゴールデンウイークはいかがお過ごしでしたか?

 オイラは二日間ほど、ウォーキングに行ってきました。しっかり充電したので、今日から仕事に頑張る予定です。

 それはともかく、オイラは小学校時代から東京周辺をほっつき歩いていたので、首都圏の鉄道はほとんど制覇していると思っていたんですよ。

 上野動物園のモノレールはもちろん、都内の遊園地のお猿電車まで…。

 最近できた日暮里舎人ライナーはまだですが、いずれ確実に乗ることになるでしょう。

 ところが灯台下暗し。

 オイラがよく利用している都営地下鉄から接続しているのに、まだ足を踏み入れていないルートがあることを発見したのです。

 それは、北総線。

 読んで字のごとく、千葉県の北部を横断して、終点の印旛日本医大駅まで続いているのですな。

 でも、電車に乗るのだけが趣味ではないし、結構電車賃が高い。

 沿線に見所でもあれば行ってもいいのだけれど、と思っていました。

 するとある日、都営地下鉄の駅で「ほくそう」という小冊子を見つけたのです。無料なので、条件反射で手が出てそれを読んでみると、ありました、ウォーキングコース。

 北総線の秋山駅から松飛台駅まで、約11キロ、所要時間2時間20分のコースですと。

 こりゃ、お手頃だし、コースを見ると神社仏閣、遺跡、そしてなんとお城までトッピングされている。

 行くっきゃない、と花粉がびゅんびゅん飛んでいる日でしたが、決死の覚悟でウォーキングを敢行しました。

 都営浅草線から乗り換えなしで京成線へ。京成高砂駅から北総線に乗り換えます。

 地下鉄から直接終点の印旛日本医大まで走っている電車もあって、ルート選択はなかなかややこしい。

 これは間違える人もいるだろうなと思いましたが、オイラは無事、目指す秋山駅に到着。 

 ホームを歩いていると、おっさん2人に呼び止められました。

 何でも、柴又まで行くつもりが、迷ってしまったらしい。

 いつまで乗っても着かず、だんだん郊外へ向かっているようで不安になって降りたのですか。

 目が泳ぎ、映画で見る寅さんの舞台とは似ても似つかぬ風景に戸惑っている様子がありありでした。

 京成高砂駅で京成線に乗らず、北総線に乗ってしまったのね。

 高砂駅まで戻ったほうが良いと言うと、二人は肩を落としてトボトボと反対側のホームへ向かうのでした。

 駅前に出ると、マンションはあるのに、商店がほとんどない。都心近郊の駅とは思えない風景でしたが、あと10年もするとスーパーやチェーン店がひしめく繁華街に激変するのでしょうね。

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 小冊子の地図を見ながら、まず向かったのは春日神社。

 古くて急な石段を上がると、趣のある社殿がありました。

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 この近所に春日神社が多いのは、昔、この近くにあった下総国の国府に赴任した都の役人がそのまま土着し、都で彼らが崇拝していた春日神社を祭ったのが始まりとか。

 1000年以上前にも、Iターンがあったのですね。生まれた土地に対する愛着は当時の人たちも強かったのでしょうか。

 そんなことを思い、小冊子を読みつつ、次の目的地を目指します。

 それにしてもこの小冊子。

 地図はあるのだけれど、市街図のようにいろいろな目印が書かれていないのでわかりづらいっす。

 それをサポートする意味で、地図に文章が書き込まれている。

 たとえば…

『参道を進み、五差路を右斜め前の道に入り、大通りへと出たら右折し、高校正門先の横断歩道を渡る』

 うう、国語の読解力が試されているような。

 これは、どう読み解けばいいのだろうと、立ち止まって考え込みました。

 海賊キッドの宝探しみたいで楽しかったですけどね。

 でも、次の文章には困りました。

『突き当たり手前のT字路を左折し小路へと入り、小橋を渡り坂を上る』

 この言葉通り進んだつもりが、地図と実態とが全然適合しない。

 ひぃぃぃ、早くも迷子ですか。

 あせるな、こういうときこそ、冷静になるのじゃと、自分を励まして、文章から地理的状況を推理しました。

 小橋があるってことは、川が近くに流れているはず。それに坂があるということは高台もなければならない。

 その二つの条件を満たす場所が、この近くにあるかどうか探せばよいのじゃ。

 …と探したけれど、どこにもないっす。

 第一、住宅街の真ん中でどこにも川なんて流れてないよう。

 仕方なく、地図と現実がマッチすると思われる場所まで戻ることにしました。

 そしてもう一度、さきほどの文章を読み解いて、自分が思い違いをしていることに気づいたのです。

 オイラは、突き当たりのT字路を左折してしまったのですが、正しくは突き当たり手前のT字路を左折するのですな。

 その条件で探すと、ありました。T字路と小路が…。

 そしてそこを進んでいくと、おお、これが小橋っすか。

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 確かに、「小橋」だけど、オイラの思い描いていたイメージとはかなりの隔たりが…。

 ホントに日本語の表現って、難しいですね。

 やっと、コースに戻れたと喜んだのも束の間、また次の目的地がわからなくなってしまいました。

 それでも、目印となる高校が地図に書き込まれていたのでなんとか、その隣にある厳島神社に到着。

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 厳島神社といえば、安芸宮島の厳島神社が有名ですが、そこは平家一門の守護神としても有名ですな。

 なぜ、関東に平氏が、という疑問もわきますが、関東にも平氏のスーパースターがおられるのでした。

 それは、承平天慶の乱の立役者である平将門。

 この地域は、平将門にまつわる伝承が今も数多く残っているのですね。この厳島神社も、平将門にゆかりの神社ではないかとも考えられているらしい。

 平将門については詳しくないのですが、朝廷に反旗をひるがえして、関東一円を手中に収めた平安時代の武将だという記憶があります。独立国を立ち上げようと画策したものの、平貞盛や藤原秀郷らによって討死した悲劇のヒーロー。

 ずっと前の大河ドラマ「風と雲と虹と」で、若き日の加藤剛が将門を演じてかっこよかったという記憶がありますね。

 比較的新興の住宅街だと思いきや、こんな古い歴史があるとはすごいです。

 そして次に向かったのは、もっと古い歴史がある場所なのですが、またしても迷ってしまいました。

 『2棟のマンションの間のT字路を右折し、しばらく進み、突き当りを右折し、坂を上る』

 2棟のマンションを行き過ぎ、こりゃいかんとまた戻る羽目に。

 でもなんとか、縄文時代に作られたという曽谷貝塚にたどり着きました。

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 曽谷貝塚は、東西210m、南北240mという単独の馬蹄形貝塚としては日本一の広さがある貝塚らしい。貝塚が作られたのは、今から約4000~3000年前の縄文時代後期だそうですね。

 貝塚だけではなく、竪穴住居や土偶、土器、埋葬された人骨なども発見されているらしい。

 住宅と畑に囲まれた広い原っぱが、その跡ですか。さすがに日本一というだけあって、広いですな。

 う~ん。でも、歴史に興味がない人から見たら、ただの原っぱかも。

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 あるのは石碑と解説板だけっすか。

 でも、せっかく来たのだからと、原っぱの周囲をぐるっと回ってみることにしました。

 それにしても、東京の近郊にこんな広々とした空間があるのは素敵ですよね。

 …と、何気に畑を覗いてみたのです。

 やけに白い土だなと…。

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 よく見ると、白いツブツブが土の上にまだら模様になっている。

 何?この白いものは、とよくよく見たら、細かく砕かれた貝殻じゃないっすか。

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 も、もしかして、これは貝塚からあふれ出した貝殻?

 だとしたら、ものすごい量の貝。

 畑からあふれ出した貝殻は、細かく砕かれてアスファルトの道路の上にも撒き散らされている。

 オイラが今道路の上で踏んでいる貝の欠片は、縄文人が食べた貝?

 おお、これはすごい。すごすぎる。

 農家の人も、畑からあふれ出た貝を撤去するというのではなく、作物とともに共存させているといいますか。

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 縄文時代の貝殻から、にょっきり出た作物がとても貴重なように思えました。

 それにしても、この原っぱの下にはとてつもない量の貝が埋まっているのですね。それらは全部、縄文人がここまで運んできて、貝を食べた後捨てたもの。

 人間の力を見せ付けられたような気持ちになりました。

 今日の記事はまたまた長くなりましたが、まだウォーキングの半分も書いてはおりませぬ。

 途中で随分道に迷いましたからね。

 このあとも、文章の解釈をめぐってまた迷ってしまうのですが…。

 果たしてビジベンは、この東京近郊のラビリンス、迷宮から無事脱出できるのか。

 それは次回。

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社会保険庁と新銀行東京から官僚的体質について考える with 脳卒中のリハビリの目的って何? 医師と女子高生の会話から

 こんにちは。

 いよいよゴールデンウィークも本番ですね。

 あまのじゃくのオイラは、大型連休になると硬めのネタを書きたくなりまする。あまりゆっくり休めないから、その腹いせもあったりして。

 遠くへ旅行に行きたいよう。


 それはともかく、「ねんきん特別便」の衝撃から、約一ヶ月。

 速攻で返信したものの、思った通り、あれから何も言ってこないっす。

 自分の年金記録を調べるのにも、年金手帳を出したり、支払い年月日を調べたり、わかりにくい提出書類の説明文を読んだり、書類を埋めたりとかなり労力を使いました。

 うぬぬ、それなのにオイラの年金記録は、大量の苦情と情報にまぎれて、再び海底奥深く沈んでゆくのではないかと懸念する今日この頃。

 大昔、ブログのビジネスネタで、苦情があったときの対応方法でピンチをチャンスに変えられる可能性があると書いた記憶があります。

「ねんきん特別便」を出したあとの対応がまさにそれではないか、と…。

 ハガキ一枚でいいんですけどね。

 たとえば…。

 「お忙しい中、年金記録の修正作業にご協力いただき、どうもありがとうございました。お送りいただいた資料は、早急に事務手続きに入らせていただく所存です。○月○日までに、ご回答できますよう職員一同、全力で頑張ってまいります。誠に恐縮ですが、いましばらくお時間をいただけましたら幸いです」

 …とか。

 こんなハガキが、返信して3日後くらいに来れば、喜びはしないけれども、今までとは取り組み姿勢が少しは違うな、くらいには思うかも。

 ハガキを出すコストの何倍かの心理的効果があるのではないかとは思うんですけど…。

 社会保険庁は、そんな最後と言ってもいい挽回のチャンスをみすみす逃してしまった。

 これは本来、「ねんきん特別便」を出そうという発想が生まれたとき、セットで考えつかなければいけないもの。

 サービス業だったら、当たり前のことなんですけどね。

 もっとも、期限を切ったら、また舛添大臣の首を絞めることになるのでしょうが…。

 ネットで買い物をしたときは、くどいくらいに商品の送付についての報告を顧客に送ります。

 少しでも顧客の心理的な不安を解消させようとするとともに、信頼感を持ってもらおうという方策でもある。

 これだけでも、お役所にはサービス業としての発想が欠落しているのではないかと思ったりします。
 
 
 ところで、以前ほどではありませんが、「新銀行東京」のニュースが相変わらず、新聞やテレビで取り上げられていますね。

 ずっと前のブログに「新銀行東京について考える」という記事をアップしたことがありました。

 最近また、ページビューが増えているみたい。

 そのときは、新銀行東京のコンセプトに対して好意的なことを書いたのですが、ご存知の通り結果は、こんなになってしまいましたぁぁぁぁぁぁぁ~

 確か、無担保・無保証融資が新銀行東京の売り文句でした。

 将来性は存分にあるけれど、資金と信用が不足している新興企業にタイムリーな形で融資できれば面白い存在になると思ったのですが…。

 やっぱり、理想と現実は交わりそうになったものの、交差したまま急カーブを描いて離れていってしまったのでしょうか。

 新聞記事を読むと、新銀行東京はまず「融資ありき」だったみたいですね。自分も融資係の経験があるのですが、「積極融資方針」が鮮明になっていると、企業の本質が見えなくなりがち。

 あぱたもえくぼに見えてくると言いますか。

 一般の銀行は、今も、土地や建物を担保にとった融資を取るケースが多いと企業経営者から批判を集めています。ただ経験上、有担保付の融資のほうが企業は発展しているところが多いみたい。

 やはり、背水の陣といいますか、企業経営者にとって「帝国の興廃はこの一戦にあり」と日本海海戦に向かう連合艦隊の気分になるからかも。

 ただ、誰もがこんな大勝負を挑んでも構わないとは思いませぬ。

 かく言うオイラも、借金をして勝負を挑む勇気が無いばかりに、いつまでたっても低空飛行を余儀なくされておりまする。

 リスクを伴わないで、お金を使った勝負がしたいと何度思ったことか。

 そんなとき、企業の将来性を見極めて、無担保無保証でお金を貸してくれる銀行ができたというのは、ほんの一時的ですが、魅力的に映ったのです。

 でも、やはりというか、当然というか、残念な結果になってしまいました。

 企業の将来性を見極める、というのは、理想としては素晴らしいコンセプトですが、占いのように神がかり的な発想で、そんなことができる銀行員がいるのかどうか。

 経営分析というのは、過去の数字に対してのもの。その過去の数字を徹底的に分析して企業の未来を予想する。その経験上の蓄積で、ある程度リスクの少ない融資を一般の銀行は行ってきたのだと思います。

 それをすっ飛ばして、イケイケでお金を貸していたら、結果は落ち着くところに落ち着いたのかも。

 長い実績と経験を持つ銀行でさえ、たたらを踏む領域へ、新銀行東京は裸足で入ってしまったのですね。

 それができたのは、半官半民の組織だったからとしか考えようがない。

 もし何かあっても、助けてくれる場所がある、と…。

 
 オイラは就職のとき、半官半民の組織の会社訪問に行ったことがあります。

 そのとき聞いた話を今でも覚えていますね。

 人事担当者は次のように話しました。

 「うちは、はっきり言って仕事は楽です。将来も組織がなくなる心配は無い。トップや幹部は、お役所から人が来ますが、頑張れば部長くらいは可能です。それに、残業も年間、2~3日くらいあるかどうか。それになんと言っても、給料がいいです。一流企業より多少少ないですが、時給に換算したら倍くらいは違うと思いますよ。ただバリバリ仕事をしたい人は、仕事に物足りなさを感じるかもしれませんね。」

 とても魅力的に条件には見えますけど、入ったとたん定年までの人生が決まってしまう。それどころか、定年後の人生まで決まってしまうのではないか。

 若い頃から、自分の老後の姿まで予想できてしまう人生って果たして面白いのだろうか。

 それでバスしたのですが、今ならラッキー♪と思うかも。

 5時ぴったりに帰って、そこそこ以上の給料がもらえるなんて最高っす。
 
 さすがに今は、そこまで楽ではないと信じますけど…。

 その選択は、その人の価値観だからどうこういうつもりはありませんが、そんなネガティブな気持ちで仕事に取り組まれてはたまらない。

 その人の人生には関係なくても、その人が取り組む仕事に我々は大きく関係していますから。

 半官半民の組織には、少なくない税金が投入されていますからね。

 新銀行東京の追加出資に関しては、モロにあてはまる。

 公務員が必要ないとは思いませんけど、オイラが会社訪問した20数年前から、基本的に公務員の仕事に対するネガティブな体質はあまり変わっていないのではないか。

 オイラの友人たちも公務員になった人は少なくないですが、バリバリ仕事をしづらい雰囲気は職場にあるようです。

 職場の「和」というスローガンの下に、自分より目立った成果をあげさせない上司や先輩が少なくないという話も聞きました。

 民間企業だったら、成果が上がらないと自分の首が危うくなるのに対して、成果があがらなくても安定した身分と収入が約束されているのですな。

 そんなことを言ったら、公務員の友人から、職場の「和」という点ですごいストレスがかかると反論されましたが…。

 公務員の職場でも、ストレスの負荷のかかっている人とそうじゃない人はいるのでしょうね。

 ただ民間企業よりは、ストレスのかからない比率は高いかも。

 しかし、あまり生活が安定して、生活が楽すぎても、脳の活性化には結びつかないようです。

 筋肉が重いものを持ったりして、常に負荷をかけないと、減り続けてゆくのと同じ。

 不況の荒波にもまれ、立ち向かっている中小企業の経営者は、70歳を越えても皆若いです。

 公務員さんたちも、もう少し負荷をかけて仕事に取り組んでくれたらと考える今日この頃です。


 前ふりが長くなりましたが、今日は、ブログのほうの「脳の病気シリーズ」。

 前回は「脳卒中の後遺症のリハビリ」という話題を取り上げました。

 今日が初めての方は、「心と体」の体のカテゴリにある前回、前々回の記事をお読みいただければ幸いです。

 
 今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。 
 
 今回は、脳卒中のリハビリの目的が話題になります。

 

< 脳卒中のリハビリの目的って何? >


● AYAちゃん「百パーセント元気だった頃の体に戻ろうとすると、今の体とのギャップに苦しんでしまいますね」


 そうだね。この場合、リハビリの限界を冷静に受け止めることが必要になってくる。『できないこと』についてくよくよ悩んだりせず、『できること』に目を向けて新しい生活を切り開いていく気持ちの切り替えが必要だね。


● AYAちゃん「本人にとっては大変なことかもしれないけど、ポジティブに気持ちを切り替えて頑張っている障害者の人たちも多いですからね。ところで、先生。もしリハビリをしなかったらどうなっちゃうんですか?」


 寝たままで手足や体を動かさないでいると、手足の関節が動かなくなったり、筋肉や骨が萎縮したり、床ずれがおきたりするんだ。また運動不足にもなって、心臓や肺の働きが弱くなり体力が低下する。


● AYAちゃん「まさに寝たきりになってしまうんだ」


 だからリハビリは、容態が安定したらできるだけ早く始めたほうが良いんだ。早めにリハビリを始めると、障害を受けた脳の機能を修復することができるんだよ。


● AYAちゃん「えっ!? 一度死んだ脳細胞って、生き返らないんじゃないんですか?」


 もちろんそうだけど、リハビリで手足を動かすことによって脳によい刺激を与え、新しいネットワークが作られるんだ。その場合、死んでしまった部分のまわりの脳が、その代役を果たすんだよ。脳卒中が起きたばかりの頃って、死んだ部分のまわりの脳細胞にも手足が自由に動いていたときの記憶がまだ鮮明に残っているからね。

 それを忘れないうちにリハビリを行い、まひしていることを認めさせなければ、まわりの脳細胞が晴れて代役としてスポットライトを浴びることができるんだ。


● AYAちゃん「へー、これはすごい。するとリハビリは、舞台のプロデューサーか演出家になるのかな。主役が倒れたらすぐ演出家が代役を立て、早くから猛烈な稽古で台詞や演技を覚えこませて興行に穴を開けないことってたまにありますよね」


 それからリハビリをしないと、回復したときの動作に変なクセがついてしまうことがよくあるんだ。


● AYAちゃん「どんなクセがついてしまうんですか?」


 たとえば、膝だけ伸ばそうとしても一緒に股や足首も伸びてしまうとか、肘だけ曲げたくても一緒に手首が曲がり指を握ってしまうとか、だね。


● AYAちゃん「自分が思っているのとは違う動き方をしてしまうんですね」


 そう。これらは脳とせき髄の障害でおきることが多いんだ。これらの動きを抑えて、自分の思った通りの動きをいかに取り戻すかが脳卒中のリハビリにとって大切なことだよ。リハビリはその後の人生の生活の質を高めて、よりよく生きるというのが大きな目標だからね。


● AYAちゃん「なるほど。健康だった頃の体にできるだけ戻せれば、元の生活に近づけますね。リハビリの大切さはよくわかりましたけど、リハビリって具体的にどんなことをするんですか?」

  (約1ヵ月後に続きます)

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湘南・大磯 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 前回、サザンの故郷、湘南・茅ヶ崎を訪れたのですが、それから1ヵ月後、なんと茅ヶ崎のほうで仕事をすることになったのです。

 生まれて初めて訪れた茅ヶ崎を、再度訪れることになったのですね~♪。

 ブログやサザンとは関係ない仕事なのですが、こういうことは珍しい。

 …といっても、午前中だけで、午後はフリー。

 自営業の気安さもあって、せっかく湘南へ来たのだからとウォーキングをすることにしました。

 でも、茅ヶ崎は前回さんざん歩き尽くしたし、そのお隣の平塚も去年行ってしまいました。

 それなら、そのまたお隣、…ということで、大磯まで足を運ぶことにしたのです。

 大磯もまだ一度も訪れていないし…。

 茅ヶ崎のある大企業で、刺激的な体験をしたあと(書ければ面白いのですけど、守秘義務の誓約書に判を押してしまったので残念)、駅前のガストで豆腐ハンバーグを食べ、東海道線に乗り込みます。

 滑るように走る電車の中、子供の頃、東海道線の鈍行に揺られ、名古屋まで行ったことを思い出しました。

 よく覚えていないけど、8時間くらい電車に乗っていたような気が…。

 腰は痛くなるし、そのあと、「タッタッタ、ゴー タッタッタ、ゴー」という線路を走る音がずっと耳についたのを覚えています。

 今は快適。でも鈍行で走ると、駅ごとにその町で暮らす人たちの息遣いまで感じられるようで、楽しかったですね。

 そんなことを思いつつ、大磯駅に着きました。

 おお、古びた駅舎がまだ残っている。当時の郷愁がよみがえります。

 駅前のロータリーも昭和の面影。茅ヶ崎や平塚が都会化しているのに比べ、ものの10分で平成から昭和に戻ってしまったよう。

 それでいて、なんとなく上品なたたずまいは、明治中期から昭和初期にかけ、政財界人など要人の別荘地となっていたからでしょうか。

 たとえば、伊藤博文や吉田茂など大物政治家の別荘もあったとか。とくに吉田茂は、首相辞任後は大磯に居住していたこともあって、「大磯」は吉田の別称でもあったらしい。

 大磯駅を出て、線路沿いに西に向かいます。

 地図を見ながら、小高い丘をぐんぐん登ります。

 かなり急な坂。その曲がりくねった坂の両側にさすが大磯、というような豪邸が並んでいました。

 道は細いし、車の運転も大変でしょうね。店が一軒もないから、徒歩で買い物に行くとしたらかなりの急坂を上り下りしなきゃならない。

 どうしてこんな不便なところに、と思ったらその理由も納得できました。

 後ろを振り向くと、おお、相模湾の絶景が…。

相模湾を見下ろす絶景


 はるか水平線のかなたまで見渡せて、地球の丸さを実感できる。

 行ったことはないけれど、瀬戸内海を見渡せる尾道の風景はこんな感じでしょうか。

 この景色を毎日拝めるのなら、少々の不便は致し方ないかも。

 もっとも、お店の御用聞きがこのあたりを回っているのかもしれませんね。

 …と思うそばから、70歳くらいのおばあさんが買い物かごをぶら下げて急坂を登っていきました。

 丘の頂上にあるのが高田公園。

高田公園


 なんでも、高田保(1895~1952)の墓碑のある公園だとか。

 高田保という人を知らなかったのですが、随筆や小説、演劇などで文才を発揮して、晩年は大磯町の教育委員長を務めた人らしい。

 シンプルだけど特長的な墓碑が、相模湾を見下ろしている光景が印象的でした。

 坂を降りる途中では、大磯の街並みが相模湾をバックに広がっています。

大磯の街並み


 境内に多くの石造物が残る御嶽神社へお参りしたあと、東海道線の線路をわたり次の目的地へ。

 この一見何の変哲もない古い民家が、なんとあの文豪、島崎藤村が晩年を過ごした家っすか。

島崎藤村旧宅


 ここで余談ですが、オイラが子供時代、ある国語の試験を受けたとき、「破戒」や「千曲川のスケッチ」の作者は誰かという問題が出ました。

 すぐ頭に閃いたのが、「藤村」という文字。

 ところが、どうしても次の名前が出てこない。

 「藤村」は、苗字だと思ってしまったのですね。でも、何となく、下も「藤村」という言葉だったような。

 「なるほど、そうじゃ」と解答用紙に自信満々で、「藤村藤村(ふじむらとうそん)」と書いたのでした。

 あとで先生から、「藤村藤村」と書いた生徒が10人もいると聞かされ、オイラの創造力の欠如を思い知らされましたね。

 それはともかく、藤村は、昭和16年の1月に、休養のため湯河原を訪れる途中、知人とこの地を訪れたのだとか。

 そこで、「大磯は温暖の地にて、身を養うによし、時に仕事を携えて、かの海辺に赴くこととす、余にふさわしき閑居なり」ということで、大磯での生活が始まったらしい。

 最初は別荘みたいにして、東京と大磯を往復する生活が続いていたらしいですが、太平洋戦争がはじまるとこの地に住みながら執筆を行ったのですね。

 そして昭和18年8月に、大磯で死去。脳卒中だったそうですね。

 この家は、別荘として使用する目的で大正後期から昭和初期に建築されたそうな。

 だとすると、もう70年近くたっているのですが、とてもきれい。

旧宅室内


 不動産屋さんの賃貸物件として紹介されても、住んでみたくなるほどです。やっぱり古い日本家屋は落ち着いていて趣がありますな。

 藤村のゆかりの品があるともっとよかったのだけれど…。

 旧島崎藤村邸を出て、国道1号まで歩きます。

 横断歩道をわたるとき、湘南平がよく見えました。

湘南平


 湘南平は、平塚市南西部と大磯町北部にまたがる海抜181メートルの丘陵。あそこに登ればきっと絶景が見渡せるでしょうね。

 いつか行ってみようと思いつつ、旧東海道の国道1号を歩きました。

 大磯中学前から、中央分離帯と歩道部分にクロマツの大木が並んでいます。

旧東海道の松並木


 これが旧東海道の松並木。

 今から400年ほど前の江戸時代、東海道の改修の際に植えられたものだとか。

 当時の浮世絵にもこんな景色があったような。大名行列や当時の旅人たちの姿がイメージできました。

 そして、いよいよ湘南の海へ向かいます。

 この辺りの海岸を「こゆるぎの浜」と呼ぶのですか。

こゆるぎの浜


 「ゆるぎ」とは波の動揺のことで、古今和歌集にも詠まれたらしい。

 そう言われてみると、平安貴族が海岸に立って感傷にふけっている姿をこれまたイメージしてしまいます。

 浜を臨む海岸には、伊藤博文などそうそうたる名士たちの別荘が建ち並んでいたとか。

 司馬遼太郎ファンのオイラからしたら、若い頃の伊藤博文の行状を読んでいるから、それほどの感慨は感じませんが…。

 ふたたび東海道、いや国道1号に戻り、さっきとは反対方向へ歩きます。

 まもなく右手に、大磯町役場が見えてきました。

 そして次の目的地、鴫立庵はその隣にひっそりと、しかし別天地のような風格で存在していました。

鴫立庵


 あとでわかったのですが、鴫立庵は、しぎたつあんと読むらしい。

 役場の隣にありながら、入り口は深山幽谷の閑居といったたたずまい。

 いわゆる草庵なのですが、ここは日本三大俳諧道場のひとつだとか。あとは京都の落柿舎、滋賀の無名庵なのですか。

 なんとなく聞いたことがあるような。

 解説板には、鎌倉時代の有名な歌人・西行法師が、「心なき 身にもあわれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」という和歌をこの地で詠んだとありました。

 そして、江戸時代初期に、小田原の崇雪という俳人が、西行を慕って大磯・鴫立沢のほとりに草庵を建て、その後これが鴫立庵と呼ばれたらしい。

日本三大俳諧道場


 その後、元禄時代に、俳人大淀三千風が庵を営み、ここを西行の鴫立沢とし、堂を造って西行の像を安置。また、ここに俳人や歌人を集め作品を制作させたので有名となり、東海道中の名所となったのですか。

 庭には、俳諧を刻んだ石碑が所狭しと置かれていました。

 その中に、「松本順」の墓碑を発見。

 松本順って、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」に登場する幕府の奥医師だった松本良順ですよね。

 明治18年、初代軍医総監であった松本順の尽力によって開設されたのが大磯海水浴場なのだとか。

 そういえば、大磯駅前に「日本初の海水浴場」という看板があったような。

 いろんな場所を歩いていると、知識の断片がジグソーパズルみたいに埋まってゆく楽しみがありますね。

 それなら、と、もう一度日本最初の海水浴場へ行ってみることにしました。

 大磯港の隣がその場所らしい。

 岩場のあるこの場所でしょうか。

日本最初の海水浴場


 最初といっても、古さを感じさせるものはなく普通の海でしたが、なんとなく歴史を感じさせるイメージはありました。

 そして最後に向かったのが地福寺。

 島崎藤村とその奥さんのお墓がありました。

 こちらもシンプルだけど特徴的なデザインだと思ったら、最初に行った高田保の墓碑をデザインしたのと同じ人らしい。

 行った日は、梅が満開で得した気分になりましたね。

地福寺

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サザンオールスターズの故郷、湘南・茅ヶ崎 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 花粉症の最悪の時期は脱しましたけど、まだ頭が重い状態が続いています。

 涙目と鼻水、そしてなぜか左手の薬指だけ乾燥してかゆい。

 何でほかの9本の指は健康なのに、一番意味深な指だけこういう不幸に見舞われるのかと考える今日この頃。

 ブルーな気分を払拭すべく、スカッと明るい場所にウォーキングに行くことにしました。 

 そこで、今回行ったのは、湘南・茅ヶ崎。

 山のほうへ行くと花粉が飛んでいそうだから、何気に足が海の方向へ向かってしまうのですね~。

 茅ヶ崎へはまだ一度も行ったことがないし…。

 オイラの中学校時代の社会科の先生が茅ケ崎に住んでいて、当時、そんなに遠いところから通っているの?と思っていました。

 距離は遠くても、東海道線を使えばオイラのいた中学まで、1時間半くらいで通えるのですね。

 そういえば、サザンの桑田さんも茅ケ崎出身。

 サザンのメンバーは青山学院出身だから、桑田さんも大学時代は渋谷まで通学していたのでしょうか。

 茅ケ崎にとって、桑田さんの貢献度は非常に高いっす。

 なぜなら、中学の先生の家があるということと桑田さんの出身地ということでは、イメージ的にビジベンとキムタクほどの違いがありますからね。

 それはともかく、行った日は湘南の日差しが目にまぶしかったです。

 JR東海道本線の茅ヶ崎駅を出て、駅前の広い道をまっすぐ歩くと、左手に茅ケ崎市役所。その向かいに茅ケ崎中央公園があります。

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 駅から10分も歩かないのに、こんな広い公園があるなんていいですね。広大な芝生やちょっとした森、水辺などもあって、お昼休みに弁当でも広げれば仕事のストレスも発散できそう。

 ただ、行った日は寒かったのか、公園は閑散としていました。

 ガイドブックを頼りに、お決まりの神社仏閣めぐりに突入。

 江戸時代に創建の長善寺と源氏ゆかりの本社宮を巡ったあと、龍前院へ。

 ここには、1694年に再鋳されたという市内最古の梵鐘がありました。

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 1694年と言えば、元禄、五代将軍綱吉の時代ですか。それほど大きくはないものですが、こんなに近くで見られるのは珍しいかも。

 書いてある文字を読もうと思っても、何が書いてあるのかわかりませぬ。

 歴史が好きなのに、高校時代、古文・漢文の成績はまるで駄目でした。

 若い頃、もっと勉強しておけばよかったと悔やみつつ、その近くにある鶴嶺八幡宮へ向かいます。 

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 この神社は見るからに由緒ありそうだぞ、と思ったら、相模国茅ケ崎の総鎮守だそうですね。

 創建はなんと平安時代らしい。

 平安時代、源頼義が下総の乱を鎮定するため、この土地にやってきて、家の守護神岩清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をしたそうな。

 また、のちに前九年の役が起こると、頼義の応援に向かった嫡男、源義家が戦勝祈願。後三年の役の際には、義家が再び参拝して勝利を収め、感謝の意をこめて、鶴嶺八幡宮を創建したのですね。

 これらの戦いは、源氏が関東において、ゆるぎない地位を得たきっかけとなったもの。

 オイラは関東周辺のいろんな神社仏閣をまわりましたけど、この前九年の役と後三年の役にまつわる話がとても多いと感じます。

 とはいえ、今から1000年も前の事件ですよ。現在にも、大きな痕跡を残しているあたり、いかに大事件だったかがわかります。

 現代で、後世に長く残るような事件はあるのだろうかと考えたりして…。

 この銀杏の木は源義家の手植えだとか。この手植えの木というのも、どこの神社にも多いですな。

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 こう多いと眉につばをつけたくなりますが、源氏のスーパースターがこの境内にやってきて、この木のそばを歩いたのは間違いないだろうと思いました。

 鶴嶺八幡宮を出て、300年の風雪に耐え抜いたという松並木の参道を歩きます。

 朱塗りの大鳥居をくぐると、川の橋のたもとに立派な碑が建っていました。

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 これが、「南湖の左富士の碑」。

 今はなんの変哲もない国道沿いの風景ですが、この辺りは江戸時代、安藤広重の「東海道五十三次名所絵図」にも描かれた景勝地だったらしい。

 そういえば、ここは旧東海道でもあるのでした。なんでも、東海道で左側に富士が見える景色というのは珍しいそうですね。

 南湖の一部は、かつて茶屋町といわれ、参勤交代の大名も利用したそうな。

 では、富士山が見えるのかな。

 と思って、キョロキョロあたりを見回しましたが、そのお姿を拝むことはできませんでした。曇っていたためか、今はビルの陰で見えないのかわかりませぬ。

 それにしても、そばを流れる川は「千の川」というネーミングなのですか。

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 思わず、「千の風になって」を口ずさみつつ、次の目的地を目指します。

 次は、オイラの今回の旅のメインディッシュの場所。

 なんと、鎌倉時代の橋の橋脚が残っているそうなんですよ。

 関東大震災が起きたとき、水田の中から忽然と7本の丸太が地上に浮き出てきた。

 専門家の鑑定によると、それはかつて相模川に架けた橋の橋脚だったらしい。鎌倉時代、源頼朝の重臣稲毛重成が亡き妻である北条政子の妹の供養のために架けられたそうな。

 田んぼの中から、丸太が飛び出したというのも驚きですが、それが鎌倉時代のものだったなんて。

 この橋脚は、直径60センチの檜の丸材で、橋の幅は約7メートルもあったとか。

 橋の幅が7メートル? すごいっす。当時、全国有数の大橋だったのでしょうね。

 また、この橋の出現によって、相模川は今よりだいぶ東を流れていて、氾濫を繰り返しながらその流れを次第に西へ移動したこともわかったらしい。

 国の史跡にも指定されている。

 これを聞いただけでも、一度、この目で拝みたいと思いました。

 …で、喜びいさんで行ってみたら…。

 こんな状況でしたぁぁぁぁぁぁぁ~

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 なんと、改修工事中。

 ガイドブックには、2007年度末で工事は終わりと書いてあったのに。

 ガックリ。

 これで、ガイドブックのウォーキングコースは終了ですか。

 なんか、消化不良の状態を引きずりそう。

 落ち込んだ時は、海を見るのがいいそうですね。

 と思ったら、今いるのは湘南。

 地図を見たら、ここから結構距離がありましたが、根性で行ってみることにしました。

 車の行き交う道をひたすら歩き続け、たどりつきました相模湾。

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 ここは柳島海岸というらしい。

 夏の海もいいけれど、冬の海も感傷的でなかなかいいですな。

 なんか、サザンの「TSUNAMI」のイメージにぴったりの風景。

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 桑田さんもきっとこんな海を眺めていたのかも。

 「TSUNAMI」を口ずさみながら、海岸線を歩きます。

 歩き続けていると、海のかなたに特徴的な岩が…。

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 一瞬、鮫のヒレにも見えましたが、貴族の烏帽子にも見えますね。

 もしかしてあれは、サザンの歌にも登場する「烏帽子岩」?

 デビュー曲の「勝手にシンドバット」。

 烏帽子岩が見えてきた~、俺の家もちかい~♪

 そして

♪ 烏帽子岩が遠くに見える~    星は何でも知っている~
       心から好きだよ、ミーコ 抱きしめたい 甘くてすっぱいひとだから・・・♪



 「チャコの海岸物語」にも登場するんでしたっけ。

 烏帽子岩のまわりにもいくつか岩が顔を出しているのが見えます。これらの岩礁は、姥島(うばしま)と呼ばれるみたい。海岸から1キロ以上も離れてポツンと海の中にあるのはとても目立ちますね。

 かつては筆島とも呼ばれたそうなんですよ。

 烏帽子には見えるけれど、とても筆には見えないなと思ったら、この形状、実は人為的な加工?が施されたらしい。

 太平洋戦争後、辻堂海岸一帯が在日米海軍辻堂演習場となり、その海上演習の標的として1954年4月13日まで姥島が使用されたそうな。

 つまり、烏帽子岩は砲撃の的にされたため形が変わってしまったのですね。

 もともとはもっと裾が広くて先端が高く尖って、筆のような形をしていたらしい。

 烏帽子というから、平安時代の貴族がここを訪れて、歌でも詠んだことからつけられたネーミングかと思ったら、最近のことだったとは。

 烏帽子岩がよく見える海岸は、「サザンビーチちがさき」と呼ばれているのですね。

 その海岸に、「茅ヶ崎サザンC」というお洒落なモニュメントが建っていました。

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 このCは、茅ヶ崎の頭文字のCという意味と、Cの右側の文字の切れ目の部分にカップルで立ってCを1つの円(輪)として完成させれば、縁(円)結びの輪となるイメージなのだとか。また、海の安全と平和を祈る輪となるという意味もあるそうですね。

 「C」といえば、サザンの初期の名曲「C調言葉に御用心」をオイラはイメージしてしまいます。

 このビーチで、C調言葉をささやきたくなりました。

 最後に向かったのは、茅ヶ崎公園野球場。

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 一見、何の変哲もない地方球場ですが、ここは今や伝説の場所かも。

 ここで、2000年8月19日、20日の二日間、サザンが野外ライブを行ったそうなんですよ。

 茅ヶ崎ではプロのミュージシャンが野外での大型コンサートを実行した前例が無かったそうですが、茅ヶ崎市の人口の約4分の1の5万人を超える署名が集まって実現したらしい。

 当日、サザンは、4時間にわたって、全36曲を演奏したとか。

 しかも、サザンの前座が福山雅治。

 く~、行きたかったっす。

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埼玉県小川町・仙元山、青山城址 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ぐるっとパスでさんざミュージアムを回り尽くしていたら、夢に絵画や古文書、恐竜、ロボットのおねーたん、ライオンやオランウータンなどの動物が出るようになってしまいました。
 
 ちなみに今月から、「ぐるっとパス2008」が発売されたそうですよ。

 詳細はこちら

 オイラはさんざん歩き回ったので、今年のぐるっとパスはパスするつもりですが…。

 それはともかく、ぐるっとパス後遺症を通常モードに戻さねば、社会生活に支障をきたしかねない。

 …ということで、休日を従来のウォーキングモードへ補正することにしたのです。


 さて、どこへ歩きに行こうか、と…。

 そういえば最近、山へ行っていないと思い至り、近場へハイキングに行くことにしました。

 図書館で「大人の遠足・駅から山歩き」という優れものの本を借りてきて、パラパラめくっていたら、東武東上線の小川町という駅名を目にしました。

 会社に勤めていた頃、ストレスで胃が痛くなりながら仕事していた時期があったのです。

 そのとき気分を変えようと、ハイキングに出かけたのが、小川町の近くにある官ノ倉山という低山。

 森閑とした山道を登っているうちにストレスが汗とともに流れ落ちてゆくのがわかりました。

 どういう仕事のストレスだったかは忘れましたが、そのときの爽快感は今でも記憶に残っています。

 同じところへゆくのもいいけれど、小川町を起点とした別の山のハイキングコースもあるらしい。

 ストレスはあまりたまっていませんが、山城の跡も残っているという魅力的なフレーズに惹かれ、出かけることにしました。

 レトロ感ただよう小川町駅を出ると、さっそくコンビニを探します。

 以前、年末年始に山へハイキングに行った時、駅前で食料を調達しようと思ったら、店が一軒もない。

 近くを歩き回り、酒屋と乾物屋さんを見つけたのですが、正月休み中。

 仕方なく、駅で缶コーヒーやジュースを買って、夕方山から下りてくるまでそれらを飲んで飢えをしのいだのでした。

 駅前のローソンで、しこたまおにぎりやサンドウィッチを買い込み、山を目指して歩きます。

 これで、遭難しても2日は生き延びられそう。こんな低山で迷う人はいないと思いますが…。

 小川町は、懐かしい昭和の雰囲気を感じました。明治・大正の面影を残す家が少なからず残っているのは戦災の影響を受けなかったからでしょうか。

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 東京にも、佃島や下町のあたりに古い街並みが残っている地域は戦災で焼けなかった場所みたい。

 市内を流れる槻川の水はとてもきれいですね。

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 小川町といえば、和紙の里として有名ですが、和紙作りが盛んになった理由がこの市内を流れる清流だったらしい。

 しかも、厳しい寒さと冷たい水が品質に影響するのだとか。

 奈良の正倉院の文書には武蔵の国から大量の和紙が寄進されたという記録があるそうですね。

 行った日は、晴れていましたが、北風がピューピュー吹くとても寒い日でした。

 こんな寒い日に、冷たい水に手を突っ込んで手すき和紙を作るなんて、つらそう。

 そんな作業のつらさを歌った「紙漉き唄」も残っているそうな。

 そんなことを思いつつ歩いていると、これから向かう仙元山の登山口に着きました。

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 右手に沢を見ながら湿った細い道を登ります。

 仙元山は、標高わずか298メートル。

 一番太っていた頃から比べ、8キロも減量したオイラにとってダッシュで駆けあがれるとなめてかかっていた部分も無きにしも非ず。

 メタボにもっとも近づいたときでも、ミシュランで三つ星を取った高尾山にケーブルカーなしで登りましたからね。

 だけど、きついっす。

 内臓脂肪がなくなって、余った内臓の皮が腹の中でヒラヒラ揺れる感触が…。

 さすがに座り込みはしませんでしたが、立ち止まって息を整えたことが何度かありました。
 
 頂上はまだですか~と思い始めたころ、あまりにあっさりと頂上が目の前に現れました。

 到着すると現金なもので、ちょこっと物足りない気もしましたが…。

 ガイドブックには、視界はあまり開けていないと書かれていたのですけど、小川町の市街地が眼下に広がっている。

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 頂上付近の杉の木を切って、眺望を確保してくれたのですな。

 あまり期待していなかったのですが、冬晴れの透き通った空気を通して、小京都・小川町の息吹が感じられました。(行ったのは冬でしたので念のため)

 標高300メートルを切る山だというのに、高層ビルが近くにないからとても高く感じられます。

 こう考えると人間が作った333メートルを誇る東京タワーというのはとてつもない偉業だと思いました。

 下町に600メートルを超えるタワーが今年着工されるそうですが、人間がますます天に近づくのでしょうね。

 ちなみに、仙元山の「せんげん」というネーミングは、かつて頂上に浅間神社がまつられていたからなのだとか。

 頂上をくだり、本日のハイライトである青山城址を目指します。

 自称城愛好家のオイラにとって、青山城はガイドブックを見るまで知りませんでした。

 ただこの辺りは、小田原の後北条氏や越後の上杉氏、甲斐の武田氏といった戦国大名の関東三国志の舞台となった場所。

 鉢形城や松山城などの名城も近くにありますね。

 青山城は戦国時代、松山城の支城としての位置づけだったらしい。

 それほど有名ではないし、空堀の跡ぐらいわかれば上等と思っていました。

 でもうれしい誤算と言いますか、土塁や郭はおろか、帯郭の跡も肉眼で判別できる。

 標高265メートルの本郭へたどりつくまで、急峻な山道と深い堀、高い土塁が行く手を遮ります。

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 郭が連立して伸びているのかなと思ったら、本郭を中心に二つの郭がコの字型になっている縄張りまでしっかり確認できました。

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 広さはさほどではありませんが、砦と呼ぶには多少抵抗ある規模かも。

 それにしても、山城の写真は難しいっす。

 どこを撮っても、雑木林。

 それはともかく、土塁が立派なのはもとより、大きな石や人工的に見える石の壁など興味深い発見もありました。

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 石垣というほどではないにしても、石を使った防御施設の発想があったんだろうな、と…。

 うちに帰ってネットで調べたら、オイラと同じ部分に関心を持った人のブログも発見して、やっぱりと思いましたね。

 当時の城の面影をイメージしながら、次の目的地、大日山に向かって歩きます。

 途中に細い杉が針山のように生えている薄暗い場所がありました。

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 見上げると木の枝が風になびいて、生き物が鼓動しているようにも見える。

 行った日は、スギ花粉が飛ぶちょっと手前でしたけど、背筋が寒くなりましたね。

 今行ったら、恐らく呼吸困難に陥って命が危ないかも。


 大日山の頂上からつづらおりの林道をひたすら降り、割谷の集落に入ります。

 左手には、今登ってきた仙元山の穏やかな稜線。

 仙元山の麓に広がる冬枯れの水田の景色は、とても首都圏から日帰りで来たとは思えませぬ。

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 このあたりを流れる槻川は、かつて氾濫してこの辺りの人たちを苦しめたそうですが、土地改良工事を終えてからはゆったりとした流れを見せてくれていました。

 この地域の古社である大聖寺にお参りして、最後に埼玉伝統工芸会館に寄ってみました。

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 ここは、地域の伝統工芸を振興する目的で作られ、館内の常設展示室では埼玉県指定の伝統手工芸品がすべて見られるのだとか。

 しかも、手すき和紙作りを体験できるのですね~

 よろこんで入ろうと思ったら、休館でした。

 ぐるっとパスを条件反射で出そうとしたあたり、いろんなミュージアムがまだ夢に出てきそう。

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オイラの年金記録も浮遊状態 with 脳卒中の後遺症は、リハビリでよくなるの? 医師と女子高生の会話から

 こんにちは。

 先日、オイラの自宅にも届きました「ねんきん特別便」。

 年金加入記録に漏れがある可能性があるから、調べて回答してほしいとのこと。

 年金問題については前から注目していましたが、自分の身に火の粉が降りかかるようなことはよもやあるまいと思っていました。

 大学を卒業してから就職して、そのあと独立したのですが、国民年金への加入は自分でしっかり手続きしたし、厚生年金に関しては事務にうるさい銀行の所管。

 学生時代の国民年金、銀行時代の厚生年金、独立後の国民年金といたってシンプルな構成です。

 万に一つも間違いはないだろうと思って、「ねんきん特別便」を開封しました。

 自信たっぷりに、年金記録のお知らせを見た!!


 うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~


 な、な、な、な、な、な~い!! 


 オイラが毎日、汗水たらしてお客さんの家や会社を訪問して頭を下げ、一日30枚もの稟議書を書き上げ、月間100時間を超える残業を自主的に20時間まで圧縮してまで支払い続けた厚生年金の記録が、どこにもない!!!


 あるのは、学生時代に支払った国民年金と自分で手続きした国民年金の記録だけ。

 銀行に勤めていた10年分の厚生年金の加入記録がすっぽり抜け落ちている。


 うぬぬぬぬぬ…。

 ちゃんとやろうよ、社会保険庁。


 勤めた会社が数社に渡ったり、勤めていた会社がなくなってしまったり、テレビや新聞で報道されていた年金記録の問題は多少なりとも事務に負担がかかるようなケースでした。

 オイラの年金記録は、かなりシンプルかつベーシックな案件だと思いますが…。

 国民年金の狭間に厚生年金が入っただけ、しかも事務に関してはこっちがノイローゼになるほどうるさかった銀行です。

 今も、しぶとく営業しているし…。

 こんなオーソドックスな年金記録もミスするようでは、ほんの少し複雑な案件はすべて間違えたのではないか。


 なんてったって、5000万件もの未確認記録ですからね。

 オイラのいたってシンプルな記録も、その5000万件の一つっすか。

 これだけのミスをやろうと思っても、なかなかできないと思う。ちゃんとやるほうが簡単かも。

 もっとも、ミスというのはある程度仕事をした結果として起きるもの。この場合は、ミスというより仕事の放棄ですな。 


 でも正直言って、消えた厚生年金の記録を見て驚いたというより、やっぱり、という気持ちのほうが強かったです。

 数年前、ある医療機関の事務長をしていて、職員の採用や退職の手続きに、何度も社会保険事務所に通ったことがあります。


 事務所に入ると、一般のサービス事業所の窓口とは違った雰囲気。

 今回の年金問題が明るみに出る前でしたが、混んでいるときは、きちんと誘導しないから市場のせりみたいな状態になる。早い者勝ち、みたいな。

 逆に空いているときは、職員が全員下を向いていて、「すいません」と声をかけないと出てきてくれない。

 やっと出てきて書類を受け取っても、よく見ないで机に放り投げる。ムカッときて病院に戻った頃、「書類に不備があるから、訂正して欲しい」と電話がかかってくる。

 暇なときで結構ですから…とは言うものの、不備があるならその場で指摘してよ、っていう感じですね。

 窓口で社会保険事務所の管理職に説教されている中小企業の経営者も何度か目にしました。

 そのときは、お気の毒という感じでしたが、説教している管理職がこんなベーシックな事務すらまともにできないとは…。

 お前に言われたくないよと思うのはオイラだけでしょうか。


 お世話になった聖○ちゃんのお父様がお勤めだったところなので、ホントはあまり言いたくないけれど…。

 あの謹厳実直な仕事ぶりをした人と同じように、ちゃんとやっていた職員も中にはいたのでしょう。

 でも、想像を絶するほど、いい加減な事務処理が多かったのね。


 それにしても、こんなことでは今後が心配。

 自分の年金記録が漏れていたという極めて個人的な理由でいろいろ書いてきましたが、基本的には社会保険事務所の職員になる人はレベルの高い人たちだったのでしょう。 

 誰でも最初はやる気があって就職するのでしょうけど、職場に巣食う体質に染まってしまう。

 これはある程度、公務員の職場には避けられないネガティブな体質だと思いますが、その分析はまた別の機会に。

 ただ、若い頃から一度染み付いた体質は、そう簡単には脱却できない。

 舛添大臣がさかんに旗を振っても、無い袖は振れませんね。オイラがこの目で見た社会保険事務所の職員たちが、明日から変わって、ちゃんと仕事ができるのだろうか。


 「三つ子の魂百までも」という諺があるし、「鉄は熱いうちに打て」という諺もある。

 本当に心を入れ替えて頑張ってもらう、としか言えない自分が情けない。


 それにしても、こんな状態が続くと血圧があがりそう。

 うう、脳も心配…。

 ということで、今日は久々に、ブログのほうの「脳の病気シリーズ」。


 前回は「脳卒中と認知症の関係」という話題を取り上げました。

 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に「心と体」のカテゴリにある前回、前々回の記事をお読みいただければ幸いです。

 今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。  
 
 前回、脳卒中の後遺症について勉強したAYAちゃん。

 今回も引き続き、脳卒中の後遺症が話題になります。

 それでは…。


   < 脳卒中の後遺症は、リハビリでよくなるの? >


● AYAちゃん「脳卒中の後遺症の認知症と症状が違うんですか?」


 脳卒中の認知症は急に症状が出ることが多いけど、アルツハイマー病の認知症は比較的ゆるやかに悪くなっていくことが多いんだ。つまり段階的に徐々に悪くなって行くと言われている。


● AYAちゃん「それにしてもこの病気って、名前がインパクトありますよ。スキーやジャンプ競技の金メダリストみたいで」

 
 だって人の名前からつけられたんだから当然だよ。この病気の診断に功績のあったドイツの医師、アロイス・アルツハイマーにちなんでいるんだ。ところでこの病気の原因の確かなところはまだはっきりしていないんだよ。

 CTやMRIでこの病気の患者さんの脳を調べてみると、一様に脳が小さく縮んでしまっている。とくに大脳皮質が大きなダメージを受けているんだ。前にも言ったようにそこは、人間らしい精神活動を支配するところだからね。


● AYAちゃん「原因がまだよくわからないとなると、治療も難しいわけなんだ」


 うーん。そうだね。はっきり言ってまだ治療や予防法は確立されていない。だけど各国の研究者が今、一生懸命にこの病気の解明に取り組んでいるからいずれ克服できると思うよ。現在も症状を抑えてアルツハイマー病の進行を遅らせる薬は開発されているんだ。


● AYAちゃん「私がおばあちゃんになる頃には、アルツハイマー病が克服されているといいな」


 それほど時間はかからないんじゃないかな。今の医療技術の進歩はすごいから。


● AYAちゃん「よかった」


 ほかに付け加えておくと、認知症が起きる原因として、薬によって起きるものもあるから気をつけたほうがいいね。一部の抗がん剤や精神病の薬、睡眠薬などは、一時的に薬の副作用として認知症の症状が起きることもあるから。


● AYAちゃん「わかりました。一口に認知症といってもいろいろな症状があるんですね。今までいろいろ脳卒中の後遺症について聞いて来ましたけど、これをリハビリで元に戻そうとするんですね。リハビリをすれば後遺症がなくなって体が完全に元に戻るんですか?」


 またいつもと同じように単刀直入に来るなぁ。リハビリで大切なのはあせらず無理をしないことだよ。


● AYAちゃん「でも一生懸命リハビリして、早く良くなって、普通の生活に戻りたいじゃないですか」


 気持ちはわかるけど、無理をすると体調を崩して状態を悪くしてしまうこともあるんだ。それに一生懸命頑張っても結果がすぐ出なかったら、ショックで落ち込んでしまうこともある。そんなとき、まわりの人たちがへこたれず頑張れって励ますといっそう落ち込んでしまうこともあるんだよ。


● AYAちゃん「そうか。高校のクラブ活動でインターハイを目指すわけじゃありませんものね」


 リハビリは脳卒中で障害を受けた脳が担っていた機能を回復させ、元の生活に戻ることを目標に行われるんだ。だけど、リハビリをしっかりやっても後遺症が百パーセントなくならないこともあるんだよ。

 たとえば、片まひで手の機能がどうしても回復しない場合は、利き手を交換してリハビリを行うことがある。まひが足にある場合は、杖を使ったり、足に装具をつけて歩いたり、それも難しい場合は車椅子で移動するためのリハビリを行うんだ。


  (約1ヵ月後に続きます)

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東京リゾート・江戸川区・新左近川親水公園~葛西臨海水族館 ウォーキングストーリー

  こんにちは。

 長らく続けてまいりました「ぐるっとパス」を使った都内ミュージアム巡礼の旅、いよいよ本日で満願成就いたしましたぁぁぁぁ~♪

 これも、お付き合いいただいた皆様のおかげと感謝いたしております。

 ただ、満願といっても、ぐるっとパスの対象施設を全部まわったわけではなくて、割引だけの施設は行っていませんので念のため。

 受付までわざわざ行ったのに、新たにお金がかかると聞いてパスしたところもありました。

 チケットを渡そうとしてずっこけた、おねーたんの恨めしそうな顔が忘れられませぬ。

 オイラには、果たして芸術を鑑賞する資格があったのだろうかと、自問自答する今日この頃です。

 それはさておき、ぐるっとパスを使って最後に訪れたのは、江戸川区にある葛西臨海水族館でした。

 美術館・博物館が主体なのですが、動物園や水族館も入れるのはうれしいですよね。

 ついでに、東京のリゾート・江戸川区の公園も散策しようと思ったのです。

 …ということで、地下鉄東西線の西葛西駅へ降り立ちました。

 隣の葛西駅には、地下鉄博物館もあったのですが、ぐるっとパスの対象施設ではなかったのでまた次回に。

 来年は、ぐるっとパスに参加されることを期待します。

 西口を出て、左に向かい、葛西親水四季の道を歩きます。

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 ここは長島川の水路を再生させたもので、平成元年に完成した遊歩道なのだとか。

 沿道には、小川が流れ、しょうぶ、手入れの行き届いた花壇や田んぼ、水遊びのできる池などがありました。

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 春に来たら花がきれいだろうと思いつつ歩き、やがて新田の森公園に着きました。

 ここから帯のように、緑あふれたリクリエーションのゾーンが旧江戸川まで3キロも続くのですね。

 その名はずばり、総合リクリエーション公園なのだとか。

 24万平方メートルもあるそうですが、もう少し土地の雰囲気がイメージできるようなネーミングのほうがいいと思うのだけれど…。

 ただ実際歩いてみると、リクリエーションの施設がてんこ盛りで、なるへそと思いました。

 天邪鬼のオイラは、人工的な施設よりも、こんな何の変哲もない季節感いっぱいの道が好きなのですが。

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 小川に沿った木道のある新長島川親水公園を歩き、広い噴水広場を通ってすすむと、視界が大きく開けました。

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 まわりに団地やマンションが建ち並ぶ中、広々とした水辺の風景が妙にマッチしていますね。

 タワーマンションのような超高層のビルがない分、池の広さが実感できると思いました。

 池にはおなじみのスワン型のボートが羽を休めています。

 夏は、貸しボートで賑わうのでしょうね。

 ここは、新左近川親水公園といって、平成6年に完成したそうな。

 全長は750mで、総面積が8万2千平方メートルもあるらしい。

 まさに都会のオアシスで、近所にこんな素敵な公園があればいいのに、と思いました。

 水辺を歩き、堂々とした海岸水門のところを右折、左近通りを渡ると野球場やテニスコートが見えました。

 さっきから、スコーン、スコーンと小気味いい音がするのは、誰かが壁打ちテニスをしているのですね。

 ここからなぎさ公園までが、再び総合リクリエーション公園なのだとか。

 しばらく歩くと、屋根付の相撲場もありました。

 野球場やテニスコートだけじゃなく、相撲も、っすか。

 さすが総合リクリエーション公園。

 環状七号線の大通りを越えると、フラワーガーデンがあります。

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 ヨーロッパ風の赤レンガのガーデンテラスに噴水、奥にはバラ園とこれまた噴水のコラボですか。

 大きな金属球から、霧状に水が噴出し、虹が浮かび上がってとてもきれいでした。

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 たっぷりリクリエーションをしたあと、花の橋を渡って向かったのは、富士公園。

 ヨーロッパ風バラ園の次はなんで富士なのかなと思ったら、右手の小高い丘がちょっと苦しいけれど、富士山に見えなくもない。

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 これが江戸川富士というのですか。

 標高は11メートルですが、頂に彫刻があって、そこからの眺めはなかなかでした。

 富士見橋を渡り、今度はなぎさ公園に入ります。

 それぞれ違う公園の名前がついていますが、団子状に公園が並んでいて、その境目には橋がかかっているみたい。

 なぎさ公園の見所は、目の前に広がる展望の丘。

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 頂上に登ると旧江戸川のゆったりとした流れを見下ろすことができました。

 ちなみにこちらの標高は15メートルで、江戸川の富士山より高いのですな。

 もう一つの見所はポニーランドみたいですが、行った日は寒かったからか、あいにくポニーさまのご尊顔を拝することはできませんでした。

 総合リクリエーション公園でたっぷりリクリエーションを楽しんだ後、いよいよ本日のメインディッシュである葛西臨海水族館へ向かいます。

 環七通りに戻り、湾岸道路方面へテクテク歩きます。

 高速湾岸線と京葉線の高架をくぐると、おお~ここは南国宮崎と見まがうばかりの景色。

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 東国原知事が両手を広げて、笑顔で出迎えてくれそう。

 JRの葛西臨海公園駅前では、噴水も派手なパフォーマンスでお出迎えしてきれます。

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 そういえば、大観覧車もここの名物でしたね。

 水族館へ行く前に、広い公園の中を散策してみることにしました。

 その広さは、なんと80万平方メートルで都立公園では最大規模。

 鳥類園や人口渚、汐風の広場など、見所は少なくありませぬ。

 まず向かったのは、入り口正面に見える展望レストハウス「クリスタルビュー」。

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 その名の通り、全面ガラス張りスケスケの展望施設。

 広い東京湾が目の前一杯に広がります。

 だけど、直射日光の集中砲火で、冬なのに中は真夏。汗がだらだら出てきて、世に言う温室効果とはこんなつらいものなのかと思いました。

 地球温暖化を実体験した気分になったオイラは、クリスタルビューの全面に広がる芝生広場を通って、人工渚へ向かいます。

 人工というけれど、素人から見ると立派な普通の渚。

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 でも、前回来たときから比べると、砂浜が小さくなったみたい。

 これは満潮なのか、海面が上昇したのかと思いつつ、どーせいくら考えてもオイラでは結論が出ないとあきらめ、ぐるっとパスのゴールである水族館へ行くことにしました。

 葛西臨海水族館といえば、このクリスタルドームがシンボルですが、単なるピロティで、ここからエスカレーターに乗って地下へ降りてゆくのですね。

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 この水族館は、平成元年の開園で、上野動物園の開園百周年を記念してつくられたらしい。

 地下では、水量2,200tのドーナツ型大水槽が出迎えてくれました。

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 大水槽では、クロマグロなどマグロたちの回遊する様子を見ることができます。

 マグロが早すぎて、ケータイのカメラではうまく撮影できませぬ。

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 マグロは、泳ぎながらでないと呼吸できないそうなので、無理は言えないのですが…。

 それにしても、前回来たときよりも水槽の水が濁っているような。

 大掃除前でオイラの部屋が汚いのと同じ状態かも、と思ってしまいました。

 餌をあげている場面も見ましたが、バーゲンセールに群がる人たちのよう。

 それでも泳ぎがうまいので、魚同士衝突したり、接触したりすることは滅多にないそうですね。

 外ではペンギンたちにも餌をあげているシーンを見ることができました。

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 こちらは押し合いへし合いで大騒ぎ。

 飼育員さんの話では、一度にドバッと餌を放り込むのがコツなのだとか。

 そうすると、元気のいいペンギンだけでなく、中高年のペンギンも餌を食べることができるらしい。

 1,250種75,000点に及ぶという世界の海の生物を見学したあと、ヨットの帆のようなオブジェの並ぶデッキへ出てみました。

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 ここからは東京湾の夕日が眺められます。

 ぐるっとパス巡礼の旅のフィナーレを飾るにふさわしい景色ですね。

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府中ウォーキングストーリー with 府中市美術館、府中市郷土の森

 こんにちは。

 ぐるっとパスのお散歩ネタもいよいよ最後の2回となりました。

 以前は、クーポン券でたっぷり太った帳面も、いまやペラペラ。ミュージアムめぐりでかなり忙しかったですが、忘れられない思い出になりそうです。

 …ということで、その思い出にさらに厚みを持たすべく、府中を旅してきました。(行ったのは去年ですので、念のため)

 府中市には、美術館や郷土の森といった見逃せないミュージアムスポットがあるそうなんですよ。

 しかも、プラネタリウムまでぐるっとバスだけで見られるとか。おお、「The Stardust Memory」~♪

 もう何十年も、プラネタリウムを見ていないオイラとしては、久しぶりにバーチャルリアリティな星空散歩に期待して出かけました。

 まず向かったのは、府中市美術館です。

 京王線の東府中駅から行くと近いみたい。

 駅前から一直線に続く道を歩いていたら、同じ方向へ向け歩道をひた走るベビーカー軍団に遭遇しました。

 その数は、20台を下らないでしょうか。

 もちろん赤ちゃんがベビーカーを運転しているのではなく、おかーさんやおとーさんが小走りに押しているのですが…。

 オイラもわりと早足ですが、横からすごいスピードで追い越してゆくベビーカーもありました。

「へい、おじさん、タラタラ歩いてると、怪我するぜ」と赤ちゃんが横目でオイラを挑発します。

 まさか、これからオイラが向う府中の森で、族の集会があるのかも。

 少しビビりながら歩いてゆくと、ベビーカー軍団は府中の森芸術劇場へ吸い込まれてゆきました。

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 劇場前の看板を見たら、「しまじろうのク