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オタクが営業で成功する話

昨日、一冊の本を読み終わりました。書名は、「火天の城」で、山本兼一著。

 最近読んだ本の中では、面白かった本のうちの一つです。内容を一口で言うと、安土城の築城を請け負う大工の総棟梁が、さまざまな困難に直面しながら城を完成させるまでのストーリー。伏線として、父と子の葛藤や仲間同士の軋轢、仕事にかける職人の意地みたいなものが織り込んである。

 興味深いのは、当時の築城の技術的な面が、職人の視点で細かく書かれていること。こういう切り口で書かれた、戦国の歴史小説は今まで読んだことがありません。書棚にある安土城の図面や航空写真と見比べながら、自分が安土城を作る職人の気分になって一気に読みましたよ。

 この本、なんでも松本清張賞受賞作で、直木賞候補にもなったとか。そうか、直木賞だめだったんだ…。構成や技術的な面での考証の努力はすごいと思ったのですが、引っかかる部分もある。敵の女間者かなんかが出てきて、途中で成敗されるところ。全編リアリティーに溢れているんだけど、その部分だけ忍者小説みたいになってる。全体の流れのなかでその部分だけ浮いちゃってるというか、とってつけたような印象なんですよ。

 城を作るだけの話じゃ、一般読者に興味を持ってもらえないと思って、ミステリーの要素を付け加えようとしたのかな。ミステリー的な要素を入れるなら、全体のプロットの中に組み込んでいく必要があるんじゃないでしょうか。異質な箇所がひとつあると、全体のイメージがぼやけちゃう。

 でも、それを割り引いても面白かったのにぃぃぃぃぃ~、直木賞だめだったんですからぁぁぁぁぁぁ~、残念!!。

 作者は実際に大工の親方から、木の見方や削り方を教えてもらったそうですね。専門書をいくら読んでもイメージできなかった築城の様子がよくわかりました。次回は、大阪城を書いて欲しい。姫路城もいいけど、個人的には、肥前名護屋城なんか知りたいですね。あれだけの大工事を起こしながら、今は何の建物も残っていないという点では安土城と同じだし。

 実は私、かつて城オタクだったのです。小学校時代、暇さえあれば日本の城の本ばっかり読んでました。

 小学生で、全国の五万石以上の城郭の位置やら、築城者、石高まで記憶していたのだから、結構キモイかもしれない。三つ子の魂百までもと言いますが、今でも日本中の城のことは大抵頭に入ってる。

 でもこのオタク知識が、社会人になってから役に立ったから世の中わかりません。銀行員になって、会社の社長さんたちと話すとき、結構これが話題になりました。

 会社の社長さんって、司馬遼太郎のファンの人が多いですけど、歴史が好きな人も多いんですよ。ある会社では、戦国時代ファンの社長さんと話があって、昼食をはさんで五時間もぶっ通しで、歴史談義に花を咲かせたことがあります。当然、営業にもプラスになりました。

 まず初対面の社長さんの苗字が少し変わっていたら、「変わったご苗字ですね。どちらの御出身ですか?もしかしたら由緒のあるお家柄ではないてしょうか」と聞く。

 そのあと、地方の出身だったら、その土地の歴史、名所旧跡、名産品などの話をする。すると、大抵、「よく知ってるね。行ったことあるの?」と聞かれるから、「いえ。そういうわけではないのですが、知り合いがおりまして、いろいろお話を聞いております」

 とかなんとか、話をつないでいくと、初対面で結構打ち解けた話が出来るのです。

 世の中、営業理論や横文字のマーケティング理論が華やかに横行していますが、そればっかり勉強してたら、ちっとも面白くない人間になっちゃう。遠回りに見えますが、一見仕事とは関係ないこと、ほかの人があまり知らないことを追い求めているオタクになることが、案外近道になるんじゃないかと思えるのです。

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アホ面の告白

昨日のこと、私が東京都西新橋の路上を歩いていると、ひとりの青年に呼び止められました。

「すいません。○○ビルを探しているんですが、どちらへ行けばいいのでしょうか?」

その実直そうな青年は、なにかの案内状を手に聞いてきます。約束の時間に間に合わないのか、相当急いでいるというのがその素振りでわかりました。

ボーッとして歩いていた私は、突然、声をかけられ、その状況を認識するのにかなりの時間を要した気がします。

「○○ビルだけではちょっとわかりませんけど」

ポカポカした陽気に眠気を感じながら、やっとのことでその言葉を口から発しました。まだ頭の回路に電気が流れていないのがわかります。

「西新橋1丁目にあるらしいんです」

「ああ、それならあちらの方角ですよ。そこをまっすぐ行くと慈恵医大の裏に出ますから、そこで誰かに聞いてみたらいかがですか?」

私が、電柱に貼ってある西新橋2丁目の表示を確認しながら言うと、その青年は、「どうもありがとうございます。助かりました」と何度も頭を下げ、お礼をいいながら、私が示した方角へ全速力で走って行きました。

ああ、今日もいいことをしたな、と自己満足に浸りながら、彼とは逆方向に向かって歩き始めました。3分ほど歩き、たまたま電柱に目をしたとき、雷に打たれたようなショックをうけ、私はその場に立ち竦みました。電柱には、「西新橋1丁目」とあるではありませんか。

ギャァァァァァァァァァ~、逆方向を教えちまったぁぁぁぁぁぁぁぁ~

目の前の景色がゆらぐのがわかりました。どうしよう。港区西新橋に事務所を構えて、十年以上になります。はじめての場所でよくわからないなんて言い訳が通用するはずがありません。その瞬間、私の脳裏には、先ほどの実直そうな青年が逆上し、夜叉のようになってこちらへ走ってくる光景が目に浮かびました。

やばい、逃げよう…。

一刻も早く西新橋1丁目から離脱しなければ、先ほどの青年と鉢合わせしてしまいます。私は小走りに虎ノ門方面に緊急避難をしたのでした。

人間誰でも過ちはあるものです。しかしその後の対応の仕方によって、その人間の本質がわかるのではないでしょうか。その意味で、昨日の行いには大いに反省していますし、自己嫌悪にも陥りました。

もともと頭の電源を切って歩くというのは、ストレス解消の手段としてもっとも効果がある方法だと思います。頭をカラッポにできる時間を持つということに異を唱える人はいないでしょう。しかし、パソコンのスイッチを入れて立ち上がるのと同じくらいの時間を要していては、いざというときに大きなミスを犯してしまいます。今後の対策としては、頭の中をスクリーンセーバーの状態にして歩くなどの方法を検討中です。

しかし、こんなことを書くと非難されそうですが、昨日の事件はすべて私の責任だったのでしょうか。その青年にはまったく瑕疵がなかったと言えるのでしょうか。

頭のスイッチを切って歩くということはすなわち、アホ面をして歩くということです。アホ面をして歩いている人間が、論理的かつ秩序だった思考ができるでしょうか。外見から人を判断するということではなく、声をかける前に、その対象者に対して心神耗弱の状態かどうか見極める必要があったのではないか。青年にも、何らかの注意義務が欠如していた部分があったのではないかと考えるのです。

…と、ここまで考えて、その青年が後ろから私に声をかけたという事実に今、思い至りました。後姿じゃ判断できないですよね。

やっぱり私が悪うございました。もうしませんから、どうかお許しくださーい!!

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銀行融資の個人保証について考える2

前回、またまた途中で途切れてしまった私のブログ。テーマは、「銀行融資の個人保証について考える」でした。あれからまた考えてみたのですが、自分は便利屋としていろんなところに足を突っ込んでいるので、ポジションが明確に出来ないで悩むところです。

代表者個人保証という制度がなくなれば、現状ではお金を簡単に借りられなくなるというデメリットはあるでしょう。個人保証をとっているんだから、それ以外はちょっと大目にみておこうという銀行側の融通性がきかなくなる。これはお金を貸すほうの心理として考えるとよくわかります。個人保証をとることにより、借り手に心理的プレッシャーを与えられる。それだけ貸すほうは安心なわけです

売掛金や在庫を担保に取っており銀行側の安全がはかれていれば、個人保証は入れないでもいいのではないかというのが旅人さんの御意見でした。確かに仰るとおりで、二重三重に経営者を縛りつけ、過度の心理的プレッシャーを与えるのには不賛成です。これらの短期的な運転資金に関しては、柔軟に対応してもらいたいというのが本音です。

ただ銀行と融資などの深い取引をする場合は、「銀行取引約定書」を交わす必要があり、個々の融資の前段階で、個人保証を入れる必要があるのですよ。この辺を流れ作業で行ってしまっている側面もなきにしもあらずです。ある程度定型化しなければ、事務がとどこおり、かえって申込者に迷惑をかけると銀行側は反論するでしょうが、これも実務を担当していた人間としてよくわかる。企業にとって、お金は血液みたいなものであって、緊急輸血しなければ倒産してしまう場面も結構あるのです。その場合、あらかじめ血液検査がすんでいて、本人の意思で先生にすべておまかせするという念書が入れてあれば病院側も家族にいちいち確認を取らなくても思い切った処置ができるわけです。

もっとベーシックな面から、個人保証を考えてみたいと思います。

私は決して個人保証という制度が、100パーセント悪いとは思っていません。銀行の窓口にすわっているといろいろな人がお金の相談にやってきます。結構、中途半端な気持ちでお金を借りようとしている人もいました。返す当てがないのに、会社を作ったのだから一応銀行から借りられるだけ借りておこうとか、見栄えのいい事務所を借りる資金が必要だからとか。まず売り上げを上げて、その中から返済資金を捻出するという考えが抜け落ちてしまっているんですね。こういう人にお金を融資すると、あの銀行が簡単に融資してくれたから、会社経営に失敗したんだと非難されることもある。(信用金庫で本当にあった怖い話)

創業社長である以上、会社と経営者は一蓮托生の存在であり、個人保証を入れて自分の会社に責任を持つという気持ちも大切です。新規開業の生存率が一割にも満たないと言われている中、背水の陣の気持ちで経営していかなければすぐに立ち行かなくなるのも事実です。

しかし現状で問題なのは、銀行融資の個人保証に、あまり選択肢がないことですね。今は、一律に融資には個人保証が必要となっている。すると、将来性があっても、失敗したときの不安が脳裏をかすめる経営者は、二の足を踏んでしまう。本来、経営者には勇気が必要でしょうが、臆病な側面もなければいけないと思います。日本のベンチャー企業の経営者が皆、ギャンブラーだったら誰も怖くて株主になんかなりたくない。

今まで日本の銀行は、このような将来性はあるが慎重な経営者を持つ企業を遠ざけてきたのかもしれません。

大事なのは、銀行が、将来性がありながらも危ない橋をわたりたくなくて停滞している中小企業に、成長のリスクを肩代わりしてやることなんじゃないかと思います。ぶっちゃけた話、お前を見込んで金を貸してやる。なんかあったら俺が責任をとる、みたいな。

でも前にも言いましたが、現状ではこれも難しいだろうな。昔は大蔵省、今は金融庁が、銀行融資について銀行経営の健全性をお題目にガチガチに枠をはめている。確かに銀行の経営がおかしくなったら、取引している利用者は困るでしょうが、枠をはめすぎても新しい有意義な発想は生まれてこない。

銀行員は、いろいろなところから監督、指導をうけています。銀行の上層部はもちろん、金融庁、日銀など。年に何回かは、これらの部署から検査、臨店という名目で徹底的に指導をうける。とくに金融庁の検査が入る店なんか、人食い鬼がやってくるみたいな上へ下への大騒ぎになる。とても斬新で清新な発想が生まれる土壌が育ちません。

そこで新銀行東京…。金融庁と互角に戦える石原都知事に期待し、銀行業界に新しい風をふきこんでもらいたい。

「法人のお客様は代表者の連帯保証が必要です」なんてかたいこと言わないで…さ。

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銀行融資の個人保証について考える

昨日、私のブログ「新銀行東京について考える」に、旅人さんという方からコメントをいただきました。どうもありがとうございます。誰かに読んでいただくというより、完全に自己満足で作っているブログなので、読んでくれている人もいるんだと素直に喜んでおります。

さて、お返事をさしあげようと思ったのですが、なにぶん私は、ブログのトウシローで、正直、トラックバックはおろか、コメントへのご返事の仕方もよくわかりません。そこで、記事として書かせていただくことにしました。不慣れですいません。

コメントいただいたのは、以下の内容でした。

新銀行東京ホームページの、中小企業向け無担保融資の案内を見ると、「法人のお客様は代表者の連帯保証が必要です」とあります。 中小企業向け融資の実情は何も知らないのですが、個人連帯保証はやはり不可欠だと思われますか?

「企業の未来の姿で融資する」のであれば、企業のキャッシュフローに立脚しつつリスク見合いのリターンをうまくマネージする、例えば貸掛金、在庫を担保に取り、且つワラント等で成功時のアップサイドはシェアする、等すれば良いように思うんですが、そういう手法は現実的ではないでしょうか?

私より、旅人さんのほうが銀行融資に詳しいかも…。とくにワラントのあたりは銀行退職後15年もたっているので、最新の知識が不足していて正直、よくわからないです。以下はあくまで個人的見解で述べさせていただきます。

まず私の今の職業、零細企業の経営者という立場からいうと、代表者個人保証の制度は、実に嫌ですね。これがあるために、起業や会社発展のために大きな個人的リスクを背負うのは事実です。多くの人が銀行からお金を借りて事業展開をはかりますから、一度失敗したらなかなか立ち上がれない。逆に言えば、企業経営には勇気が必要です。今、裸一貫でベンチャー企業を立ち上げ、大きくした経営者は、ある意味、大きな博打をうって成功した人たちだといえると思います。

ただ私も含め、多くの人はそんな大勝負をしかける勇気がない。日本が、アントレプレナー精神がアメリカに比べ劣ると言われる要因のひとつなのは間違いありません。

つまり全てを失って家族を路頭に迷わせたくない。だから冒険しない。風向きが上昇気流に変わって銀行からお金をドンと借り、企業規模の拡大をはかる千載一遇のチャンスがありながら、脳裏に一家離散の光景がチラッとよぎって勝負から身を引いてしまう経営者がどれだけ多いことか。

以上は、零細企業の経営者としての見解です。ただ私は、十年間銀行から給料をもらい、融資担当者としていろいろな社長さんと接してきました。当時のことを思い出しながら別の視点で考えてみたいと思います。

銀行の融資マニュアルには、銀行取引約定書と個別の融資の書類に代表者個人の連帯保証をもらうという文言があります。これに対して、面と向かって不服を唱えた経営者の方はほとんどいませんでした。もちろん、心の中はうかがい知ることは出来ませんが…。

ただ全部の会社がそうだったのではなく一部の例外もありました。絶対個人保証を入れたくないと言う経営者の方もいたのです。もちろん銀行に対し、それだけ強い立場を取れる会社ですから、経営も安定しており、預金や貸金、その他もろもろの要因で優良取引先でした。本来、個人保証が実務上問題とされるのは、会社が倒産したときに会社の資産からだけでは貸出金の回収がはかれない場合、不足分を経営者個人に埋め合わせしてもらうときです。銀行としては、貸し出したお金が回収できれば、誰に返してもらっても結果オーライなはずです。

しかし実務上は、もう少し話が複雑になります。一行取引だけならいいのですが、普通会社はいろいろな銀行と取引をしている。銀行にとって、その会社がどれだけ他の銀行から借入しているか、正確なところはわからないのです。もちろん、土地建物の謄本を調べたり、自己申告してもらったりして大体把握できるのですが、完全というわけではない。

決して銀行の肩を持つわけではありませんが、個人保証に関してはいろいろ難しい問題があるのは事実ですね。

また起承転結を考えないで、ダラダラと書いてしまったら、とっくにお昼休みの時間が過ぎてしまいました。

すいません! この続きは、水曜日に書きます。

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当世牛どん屋事情

昨日は土曜日だったのですが、久しぶりに仕事で赤坂へ行き、昼食はTBSのそばの中華料理店に入りました。

私だって、いつもいつもキムチ牛めしばっかし食べているわけじゃありませんよ。中華料理を食べることだってあるし、ごくたまにフランス料理だって食べることがある。先週の土曜日なんか、横浜のホテルで、豪華バイキング料理を食べてしまいました。もちろん自腹ではなく、ごちそうされたのであまり自慢できませんけど。ごちそうしてくださった医療法人の方々に感謝、感謝です。このご恩は一生忘れません。

で、TBSのそばの中華料理店。ウェイトレスが中国の若い女性で、すごく気を使って接客しているのがわかる。やっぱり、故国で、日本人排斥のデモが行われているので、肩身が狭いのかもしれませんね。コップの水がちょっとでも少なくなると、すぐ注いでくれる。

やきそばのセットを頼んだのですが、なかなか量も多く、チャーハンやスープ、デザートなどもついていておいしかったです。厨房の中も皆、中国の人たちが料理を作っているみたいです。これで、800円?。このセットで800円なら安いなぁ~と思い、レジでお金を払おうとすると、なんと580円と言うじゃありませんか。メニューには確かに800円とありましたよ。えっ?と思って、千円札をウェイトレスに渡すと、ニコニコ笑いながら、420円おつりをくれました。

ここで正直に会計が間違ってませんか?と言おうと思ったのですが、あまりに自信たっぷりに「ありがとうございました」と舌足らずの日本語で言われたので、そのまま外へ出てしまいました。そのときとっさにうかんだのが、金の斧と鉄の斧の童話。やっぱり正直な猟師(でしたっけ?)が最後は二つの斧をもらって得をするんでしたよね。

むこうが間違ったのかなぁ。いや、今回の事件の謝罪の意味もあって、値引きしてくれたのだろうか。そんなわけないよな。メニューの値段が間違っていたのかな。などと思いながら、テクテクと地下鉄の駅まで歩いて帰って来ました。結局理由はわからずじまい。

ともかく、日本にいる中国の人たちが気を使っているというのはよくわかりました。今回の中国側の暴動で、日本側が中華料理のボイコットを進めないよう祈るばかりです。

さて、ここからが今日の本題。かたいブログを二回続けている間も、昼食は相変わらず松屋へ出かけて行きました。

先週の木曜日。さすがにキムチ牛めしを食べるのがあきてきたなぁと思って、店のウインドウをのぞくと、そこに「新メニュー、角切りステーキ定食、新発売」と貼ってあるではないですか。

これはタイムリー! 今日は薄い肉じゃなく、厚い肉じゃ~、と喜んで、さっそくそれを注文しました。

いつもは落ち着いて注文を受ける店員が、今日はなぜかあたふたしている。食券をチラッと見て、「すいません。少しお時間いただけますか」と言われました。私と同じ考えのお客が一斉に、角切りステーキ定食を頼んだので、パニクってるみたいです。厨房で、ひぃぃぃぃ~六人目。と悲鳴をあげている声が聞こえてきます。

でもそこは、くさっても松屋。10分と待たないうちに角切りステーキ定食が、今か今かと待っているお客のところへ運ばれてきました。

私のハス向かいに座っていたサラリーマンが店員に、「これは何をつけて食べるのですか?」と聞いています。このトウシローめ!肉には焼肉のたれにきまっとるじゃないかと私は目の前の焼肉のたれを手に取ると、コーヒーについるミルクカップのような小さな器にそれを注ぎました。

さぁ、久しぶりのステーキを食うぞ、とそのさいころ肉を口に入れました。

かってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~。

せっかくの肉なのに、焼きすぎてカチカチになっています。はじめて角切りステーキを焼いたらしく焼き加減がわかってなかったみたい。それでも、怒るまい。580円でステーキが食べられるのじゃ、と自らを納得させ、肉をたれにヒタヒタニつけてやわらかくして食べていました。かたいブログを作ったから肉がかたくなっちゃったのかなぁなどとわけのわからないことを考えつつ…。

そのときです。カウンターの上を焼肉のたれが一本の大河となって流れてゆくのが目に入りました。となりを見て、ギョッ!

ジャンパーをだらしなく着たおやじが、焼肉のたれをこぼれんばかりに入れた器を、直接カウンターの上に置き、その中に肉を大量に入れようとしているじゃありませんか。当然、たれは溢れ、カウンターの上に流れ出していきます。おやじは器しか見えていないようで、またその中に焼肉のたれを注ぎ込もうとしています。

信じられない光景を見て、一瞬頭が真っ白になりました。そのおやじの前のカウンターは、直径30センチの焼肉のたれの海ができています。

さすがに温厚な私も腹がたってきて、となりのおやじを見ました。そのときはじめて、自分の不始末に気づいたのか、おやじはパニックをおこして、皿に残っていた肉と野菜を直接カウンターの上に広がるたれの海にひたして食べはじめたのです。

ワッ、きったねぇぇぇぇぇぇ~

店員たちは、リアクションの仕様もなく凍りついていました。私も、彼と知り合いだと思われれば、松屋から出入り禁止になるかもしれません。なるべくそ知らぬ風を装い、災いが自分に及ぶのを防ぎました。

そのおやじは、カウンターの上の肉と野菜を平らげると、そそくさと逃げるようにそこから立ち去って行きました。ここで、そのあとのカウンターの状況がどんなものであったか、詳細を述べるのは割愛させていただきます。

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新銀行東京について考える 2

 昨日、新銀行東京について書いていて、途中で尻切れトンボになってしまったので、今日もその続きを書きたいと思います。二日連続で同じテーマを書くのは、集中力が持続できないのでつらいけどがんばろう。
 中小企業は、経営者がすべてだと言われます。とくに新銀行東京がターゲットとする零細中小企業は、すべての権限が経営者に集中していると言っていいでしょう。当然、審査するポイントとして、経営者の資質がその第一になります。
 新銀行東京は、そのような零細企業に、無担保で資金を融資するそうです。これはとくに斬新な発想ではなく、一般の金融機関でもよくやっていることですよね。ただちょっと違うのは、一般の金融機関から断られたり、二の足を踏んだりしている中小企業にターゲットを絞るということ。この点はテレビでも、新銀行東京の職員が、他の金融機関さんとは顧客層が違うと仰っていました。
 普通の金融機関から断られた中小企業に積極的に融資を行う。素晴らしい。
 素晴らしいけど、大丈夫なんだろうか。一般の金融機関は、貸し渋りと叩かれていますが、今は赤字で担保がなくとも、将来性があって経営者がしっかりした中小企業はけっこうマークしている。都市銀行は、将来性があっても小さな会社は相手にしないところがありますが、地方銀行や信金クラスの真面目なところは、バブル当時から心を入れ替えて、わりと融通がきく部分もある。
 新銀行東京が民業を圧迫しない中小企業というのは、一般の金融機関の融資対象から外れた企業ということになりますね。このクラスの企業は、玉石混淆でとても判断がむずかしい。磨けば、数年で上場を果たすような潜在能力を持っているところから、どんなにお金をつぎ込んでも体質的にどうしようもないところもなきにしもあらず。
 このような企業に対しては、一般の銀行は保証協会や担保、個人保証、連帯保証などあらゆる手段を使って身の安全をはかろうとしてきました。逆に言えば、要件さえ満たせばある程度、すんなりお金が出る部分もあった。
 会社への融資は、基本的には個人間のお金の貸し借りとそう違わないと思います。昔から付き合いがあったり、実家が資産家で家族もよく知っていたり、サラリーマンで毎月決まった額の収入が入ったりしてきちんとした人から借金をたのまれれば、「何に使うの?」と聞いたうえで、その理由が納得できれば、お金を貸してもいいと思うはずです。
 ただ会社への融資が個人と少し違うのは、判断する要素がとても複雑で、融資担当者の資質をはるかに超えるような状況が多いことです。それを今まで一般の銀行は、過去から未来を推定する形で行ってきました。
 たとえば、過去の決算書の数字、過去に取得した土地建物などの資産。これらのものは目に見えるから、いわば誰でも一定の経験をつめば融資審査をできるようになる。
 それを新銀行東京は、それらを取っ払って、企業の未来の姿で融資を行うという方針らしいです。
 これは私的に見ると、理想的な融資の形ですね。でも、私企業である一般の銀行はできない。リスクが多すぎます。それに、これは銀行員の致命的な欠陥なのですが、行内の規定、規定でがんじがらめに縛られているから創造的な思考ができなくなっている。大学を出て、とてもユニークで、面白い、型にはまらない発想をしていた人間たちが、十年、二十年と組織の中で型にはめられ続けているうちに、マニュアルがなければ何も発想できない人間に変えられてゆくのです。
 もちろん一般論で、そうじゃない人たちも大勢いますが、そういった人たちは悲しいかな、異人種として本道を歩めないのが実情です。最近とくにその傾向が強くなって来ているんじゃないですか。金融庁の方針以来、銀行員たちは、常にマニュアルからはずれることに怯えていると言っていいのかもしれません。
 ただ、企業の未来を評価するという融資方針では、このマニュアル的発想は大きな阻害要因となります。今伸びている会社の経営者は、マニュアルを見ながら経営をしている人なんかいません。何度も何度も失敗を繰り返しながら、その都度自分の頭で考え、何もないところから道を切り開いてゆく。
 今までは、将来性はあるが、銀行のマニュアル的融資審査からこぼれてしまったベンチャー企業は、かんたんに倒産してきました。もちろん、つぶれるべくしてつぶれたケースがほとんどだと思いますが、中にはタイミングよく資金が出ていれば今のライブドアや楽天のようになった会社もあったかもしれない。
 新銀行東京が、本当に未来発想で融資を行うのか、たんなるマニュアル的発想融資の二番煎じで終わるのか、注目したいですね。
 しかし、大きな理想を実現するには、あまりにも大きなハードルだと思います。果たしてできるのかな。新銀行東京も、金融庁の監督下でしょう?。でも、石原都知事ががんばっているからなあ。少し期待する部分もある。
 ともかく、新銀行東京のひとたち、新たな発想で頑張ってください!!

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新銀行東京について考える

昨日はちょっとやわらかい話題だったので、今日はちょっとかたい話を書いてみようかな。バランスをとらなければ。経営者は何事につけ、バランス感覚が大事なのですよ。

それで、私が取り上げるテーマは、「新銀行東京」です。昨日の夜、NHKのクローズアップ現代でやっていましたね。元銀行員の私でもあり、ぶつぶつ頭の中でひとりごとを言いながら聞いていました。

資金繰りの困っている中小企業に、資金を融資して健全な発展を促し、経済を活性化する…。

素晴らしいことだと思いますし、是非、我々中小企業をサポートして欲しい。企業経営者の端くれとしては、大いに歓迎するところでありますが、元銀行の融資担当者の視点で見ると、この理念をスムーズに実現するのはなかなか大変ではないだろうかと思ってしまうのです。

一般銀行の融資を審査するポイントはいくつかありますが、重要なのは資金使途、返済能力、そして担保です。バブルの崩壊前は、土地や証券といった担保の価値がうなぎ登りにアップして、いざというときそれを売れば問題ないやという気持ちで、資金使途はまったく後回しになってしまいました。

たとえば当時、従業員3名足らずの会社に、ある都市銀行の支店長は土地を担保に一億円借りてくれとたのみに行きました。そんな大金を借りても使い道がないと社長が断っても、とりあえず株で儲けましょうよと強引に借りさせ、その資金を全額株に投資させます。結果は言わずもがなで、株が大暴落して多大な損害をこおむった社長は、親の代から住んでいる土地建物を借金の形にとられてしまった、という例は少なくありません。

すなわち、バブル当時は、資金使途がないがしろにされ、まず担保、それに付随する形の返済能力に審査方針が偏ってしまっていたのです。

さて、昨日テレビを見ていたら、新銀行東京は、信用金庫の融資ノウハウを積極的に取り入れるそうです。

信用金庫の場合、今はどうだか詳しく知りませんが、まず取引した会社に積立金を勧めます。そして、毎月職員が集金に訪問し、社長と親密になる。その後、借り入れを申し込んだらその積立金の支払い状況やたまった金額を参考に融資額を決めるというやり方でした。

このやり方は、信金の経験法則から割り出したのかもしれませんが、とても理にかなった方法だと思います。

まず毎月信金の職員が集金にかこつけて会社を訪問し、常に現場から経営状態をチェックできます。そして社長や従業員と親しくなって、彼らの人となりを理解できる。また、毎月、決められた日に、決められた金額を入金させることで、お金に対する神経の使い方、計画的に経理事務がなされているかどうかがわかることですね。

そのなかでも、もっとも重要な融資審査ポイントは、経営者でしょう。かつて「銀行は経営者のどこを見ているか」というテーマで勉強会を行ったのですが、そのとき以下の点を話したことがあります。ちょっと箇条書きにしてみようかしらん。

⑴経営者にバランス感覚はあるか

 自分の会社について、いろいろな視点から見ることができるかどうか。たとえば技術畑出身の社長が、マーケティング度外視の商品企画を単に技術的な興味だけで採用していたら、会社は先細りしてしまいます。いろいろな視点から見ることのできる柔軟さがあって初めて、会社を取巻く外部環境の変化に対応できるのです。

⑵経営者に財務的素養はあるか

 これは別に、経営者が経理をできるかどうかというのではありません。もちろん、自分で帳簿をつけておられる経営者は、自社の財務的な問題点をよく理解されていると思います。ただこれは零細企業の例であって、従業員を10人も抱えてしまうと経営者のやる仕事はほかにもあるはずです。これは、会社のさまざまな長所、改善すべき点、問題点などが数字に裏打ちされて頭に入っているかどうかということです。たとえば新しい商品を売り出すためにセールスプロモーションをかけるとき、広告会社の言われるまま販促費をかけたのでは、もしそれが売れなかった場合、倒産の危機に直面することになります。あまりケチったのでは売れる商品も売れなくなってしまいますが、どの程度まで販促費をかけてもリスク回避できるのか、そのあたりの見極めは常日頃から会社の数字を頭に入れておかなければ判断できません。経営者にとって会社の実状が計数的に頭に入っているかどうかということも大変重要なことです。

⑶経営者は人の話に耳を傾けることができるか

 中小企業の経営者にワンマンは多いと思います。しかしワンマンもいい面はいろいろあります。経営の意思決定は早いですし、何より経営責任が明確でバイタリティがありますから、会社が順調なときは思いもかけない急成長をみせるときがあります。現在大企業に発展している会社も中小零細企業だった当時は、ワンマン社長が従業員をぐいぐい引っ張って大きくしていったところが多いと思います。ただ経営者も人間ですから、完全ではありません。営業に得意な経営者、技術者出身の経営者、経理出身の経営者、いろいろなタイプの経営者がいると思います。自分にとってわからない点を謙虚に人に聞けるかどうかという点も経営者にとって大切です。またわからない点を補ってくれるのが部下である場合は、その部下をうまく使いこなしているかどうかということも重要なのです。

⑷経営者が正直かどうか

 経営者の中には銀行員の前で調子の良い話ばかりする方がいます。たとえば、この新商品が世に出れば年間○億円の売上は堅い、とか、海外の有名企業から格別の好条件で提携の話が来ているとかいったことです。これが本当なら何の問題もないのですが、銀行員はどうせ業界事情に疎いから口先でごまかしてやろうとかかるのはかえって逆効果になりかねません。銀行員は、いわゆる会社ウォッチャーのプロです。その会社が本当に儲かっているのか、本当に将来がバラ色なのか、といったことは、従業員、仕事場の活気、業界他社の動向、噂話、在庫状況などからわかるものなのです。経営者が会社の現在の状況に目をつぶり、バラ色の将来にばかり目を向けているということから、銀行員はその会社を警戒するようになります。銀行員も人間です。悪いところがあればかえって包み隠さず、経営者自ら客観的に分析し改善策を提示したあとで、それに対する意見を銀行員に求めた方が、経営者はそこまで自分を信頼してくれるのかと意気に感じるものなのです。経営者は正直であることが鉄則です。

大体、私的には、以上の点が重要だと思います。

以上の審査眼は、経験豊富な銀行マンは皆持っていると思うのですが、銀行マンには一般的に致命的な欠点があります。

それは、新銀行東京の銀行マンに今後、とくに関わってくることじゃないかな、と考えるのです。これは、銀行の中に居続けたのではなかなかわからないこと。

ところで、ちょっと今日は長くなりすぎてしまった。銀行に関しては言いたいこといっぱいあるので、大変。この続きは、次回にさせてください。

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私のアニメ、特撮ものソングベスト5

今日はすごい雨が降っていますね。昨日じゃなくてよかった…。

毎週火曜日は、仕事でいろいろな得意先をまわる日と決めているので、雨だとちょっと悲しい。それにしても、昨日はいいお天気でした。大手町の街路樹が新緑に輝いて、とてもきれいです。スーツを着、かばんをぶら下げて颯爽と歩いていると、思わず鼻歌なんぞ飛び出します。

フンフンと歌を口ずさみながら歩いていると、おもわず口から飛び出すのは、昔見たアニメや特撮ものの主題歌です。若い頃は、当時流行のポップスなどを口ずさみながら歩いていたのですが、四十をかなり過ぎると、子供の頃の記憶がより鮮明になってくるような気がします。

と言っても、私はお宅様と言えるほど、のめりこんだり知識が豊富だったりするわけではありませんよ。

それはともかく、ノーマルなおやじが、(街を歩きながらアニメソングを口ずさむ男が、どこがノーマルじゃ、と突っ込みたくなる人がいるかもしれませんが、それはおいといて)選ぶ、アニメ、特撮ものソングは、なんだろうという疑問かふと沸き起こりました。これは完全に、日曜の朝によく聞く、三宅裕司のザ・ベスト30"スゲェ!"のパクリ企画ですね。

まあいいや、自分が楽しいんだから。ブログをやり始めてから全然ストレスがたまらない。仕事はたまる一方なのですが、また残業してやればいいや…。

と、プログを最意優先させる便利屋が選んだ、結構古い、完全自己チューなアニメ、特撮ものソングベスト5は、以下のように決定いたしました。

第5位 マジンガーZ …アップテンポでのりのいいサウンドで元気が出る。ストレスがたまっているとき、歌うといいですよ。

第4位 フランダースの犬 …たしか堀江美津子の歌だったと思うのですが、同じ堀江でも、どこかの堀江と違い、こちらは、明るくすがすがしく、聞いているとやさしい気持ちになってきます。

第3位 宇宙少年ソラン…アニメ自体はさほどヒットした記憶はないのですが、当時小学生だった私は、誰もが皆、オルガンの前でこの曲が弾けるように練習したものです。覚えやすい旋律ですね。

第2位 エイトマン…これはいうまでもなく、アニメソングの名作です。原辰徳を思い出すという人は若い。歌が男性のコーラスで、今聞くと大人が聞いてもおかしくないしっかりとした応援歌ですね。

第1位 帰ってきたウルトラマン…これを一番に選ぶというのは、意外と思われる人が多いんじゃないですかね。これはイントロがいい。当時としては、画期的なサウンドで、すぎやまこういちの才能を深く感じました。

以上、便利屋さんが選ぶ、アニメ、特撮もののベスト5でした。

さぁ、真面目に仕事しよう!   

 

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3ヶ月で確実に7キロやせる方法

「牛丼クロニクル」でも書きましたが、今日も昼食は、松屋のキムチ牛めし…。店内に掲示がありましたが、今日が最終日なのかしらん。
それにしてもよく食べた。数えてみると、この十一日間に六回もキムチ牛めしを食べている。
いったい何をやっているんだろう、私は…。
このままでは、せっかく去年の暮れから今年の初めにかけて7キロやせたのに確実にリバウンドしてしまう。
と、思いつつ、あの苦しかった日々を思い出すためにも、今日は自分なりのダイエット法を書いてみたいです。といっても、あまりにも普通なので、読んだ人はがっかりするかもしれませんが。
そもそも私は若い頃、ガリガリにやせていました。大学入学時の身長は今と同じ175センチで、体重は51キロ。それが中年になると、じわじわ増えてきて、一番重いときは74キロになってしまいました。
たいしたことないじゃん…と思われるかもしれませんが、実際自分でも体重が増えているのにほとんど気がつかなかったのです。ズボンの腰まわりや、ワイシャツの首まわりがきつくなっても、「だめだ。古くなって少し縮んできたみたいだ」と、自分ではなく着るもののせいにしていました。
ところが、去年の十月。たまたま血液検査をうけた私はその数値に驚きます。肝機能の異常を示す数値が普通の人の4倍にもなっていました。ほとんど酒を飲まないのに…。
そのときはがっくりきましたが、体中どこも痛いところがないし、まあいいやとそのままほっておきました。
次の日、ある病院の医師と仕事の打ち合わせを兼ねて居酒屋に入り、ビールのジョッキで乾杯をしたのです。そのとき、ちょうどいいやと「実はこの前血液検査をやって、GPTが180もいっちゃったんですよ」と世間話みたいに話したところ、サーッとその医師の顔色が変わるのがわかりました。
「GPTが100超えてるのに、アルコールなんか飲むなんてとんでもない」と私の手からビールのジョッキを奪い取り、それをゴクゴク飲み干したのです。
その先生によく聞いたら、結構やばい数値とのこと。
青くなり、病院へ精密検査に行く前に、図書館で調べたところ、どうも間違いなく脂肪肝の症状みたいです。一応標準体重の範囲内だし、年齢のわりに運動をしているのに、です。
考えてみると、ファストフードばっかり食べていたのがいけなかったみたい。とくにマクドナルドの59円ハンバーガー。 安くておいしいので、当時私は、チーズバーガーセットにハンバーガーを追加してよく昼食を食べていたのでした。
脂肪肝は完全な病気ではないものの、その状態をほっとくといろいろな合併症がでるらしいです。
さて、やせなきゃいけない。まずマクドナルドは当分パスせざるをえません。ちょうどよいことに、ハンバーガーの値上げで、魅力は薄れてきていました。
朝は、トーストと紅茶だけ。昼は、最近都内でやたら出店が増えてきているはなまるうどんのワカメの中だけ。おやつは、コンビニのおにぎりが一個。その前まで、一日3個は買っていた缶コーヒーは極力飲まないようにして、ペットボトルのお茶飲料に。夕食はわりと食べましたが、以前茶碗大盛り2杯を普通盛りの2杯に。夜食を食べないと眠れない体質なので、寝る前にビスケットを数枚。あと、カバンの中に常に入っていたチョコレートは一切入れないようにしました。
私がやったダイエット法はこれだけ。もともとウォーキングなど、体はよく動かしていたほうなので、歩く量を少し増やしただけです。
それで3ヶ月で7キロもやせるんですよ。おかげさまで、肝機能の数値も元にもどりました。筋力を落とさないで、脂肪だけ7キロ落としたので、体が軽い、軽い。一番いいのは、たんに食べる量を減らすだけなのでお金がかからないことですね。
デメリットは、最初の1~2週間はおなかがすいて結構きついです。それを乗り越えると、何で自分はあんなに食べていたのだろうと不思議な気持ちになるくらい少し食べただけでおなかが一杯になってきます。
最初の1~2週間の我慢がいやで、みんないろんなところへ通ったり、ダイエット食を買ったりするのかなぁ。と、えらそーなことをほざきつつ、キムチ牛めしの大盛りのボタンを押す欲求を必死で抑えている便利屋さんなのでありました。

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「ザ・ストレス」解消法

今日は日曜日、しかも夜ともなると、「明日、会社かぁ~」とため息をつきたくなる人も多いんじゃないですか?

サラリーマンをしていた頃、月曜日は決まって早朝会議があり、しっかり支店長や上司から一週間の気合をいれられました。

もっとも仕事は当時から要領よくやっていて、成績も悪くはなかったのですが、それはそれでプレッシャーがかかる。銀行員だったから、本店で融資の決済がおりなかったらどうしよう、とか、最近ライバル銀行が取引先に足繁く通っていて、自分の銀行のシェアが落ちたらどうしようとか、先々の不安ばっかり日曜の夜にうかんでくるのです。サザエさんを見ている時間が一番憂鬱になるというサラリーマンの気持ち、同感できましたよ。

なぜ過去形かというと、自営業者の端くれとしては、日曜日の夜はほとんどストレスを感じないからです。そこが、サラリーマンから独立開業した心理的な面での大きな違いかな。

個人的な意見ですが、サラリーマンと自営業者のストレスの大きな違いは、サラリーマンが仕事が多すぎるとストレスを感じるのに対して、自営業者は仕事が少なすぎるとストレスを感じるのではないでしょうか。

だから、仕事がないと常に不安になる。独立した最初の頃は、資本金800万円が半年ですっからかんになってしまい、もう毎晩悪夢にうなされました。仕事がまったくない状態で、ゴールデンウィークの連続休暇になんかなったら最悪。世の中の忙しいサラリーマンがうらやましく見えたから現金なものですね。サラリーマンやってた頃は、これ以上忙しくなったら頭がおかしくなってしまう、と思っていたのに…。仕事がまったくないほうがはるかにつらい。

血液がA型で、わりと心配性の私としては、サラリーマン当時から自分なりのストレス解消法をいろいろ研究していました。

手軽で一番簡単なストレス解消法は、音楽を聴くことです。今でも私の目の前の本棚に当時買ったストレス解消のテープが十巻ほど並んでいます。たとえば、「クラシックでストレス解消」「南太平洋の波の音」「アルファ波分析によるストレス解消の音楽」「森の中のせせらぎの音」など。

これはこれで効果はあったようですが、音楽の内容というより、気分転換になるならなんでもいいのではないかと思います。私の場合、アイドル系のポップスなんかよかったですね。森高千里のコンサートビデオを見て、頭を空っぽの状態にしていました。もちろん、よかったのは、森高の出世作、「ザ・ストレス」。「あ~、ストレスがたまる~」と言って歌っている森高は、早口言葉がストレス解消法なのかな。

それはおいといて、ノリのいい音楽を聴くと、何で自分はあんなうつ状態にあったのだろうと不思議に思ったものです。

一日時間がとれれば、体を動かすといいですよ。スポーツクラブへ行って、汗をかき、サウナでまた汗をかけば前の一週間のストレスはチャラになります。一番悪いのは、うちのなかに閉じこもって、いろいろ悪いように悪いように考えること。ストレスのシナジー効果を生み出しちゃうんですよ。 スポーツクラブへ行く時間がなければ、ウォーキングも効果があります。そのときもなるべく頭を空っぽにして汗をかくぐらい早足で歩くことですね。

ほかにもいろいろありますけど、今日はこのへんで。

追伸

そうそう、最後にもうひとつ。かつてベストセラーになった「小さいことにくよくよするな!」もいい。読んでるときだけは、ストレス解消になる。でも中身をすぐ忘れちゃうんですよね。要約して、それを手帳に書き写し、ストレスがたまったときにそれを眺めるのもいいかもしんない。

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30< X <50

先週の土曜日、渋谷の道玄坂を歩いていて、ちょっといいことがありました。この事実だけは記念として、是非残しておきたい!

その日の昼下がり、私は一仕事を終え、道玄坂を渋谷駅方面に向かって歩いていたのです。すると若い女性(どう見ても20歳代)が友人と二人、プリプリしながら坂を登ってきます。すれ違うとき、二人の会話が耳に入ってきました。

「信じられない!私たちが30だって? チョーむかつく(怒)」

何かあったのかな?とさほど気にも留めずに坂を下っていくと、後ろから突然、中年のおばさまに声をかけられました。

「ちょっとすいません。今、広告宣伝についてのモニター調査をお願いしてるんですが、あなた30代ですよね」

私の頭の先からつま先まで眺めながら、さも自信がありそうにアンケートの調査員は話かけてきます。さっきの女性は、このアンケートで頭に来ていたんだなとちょっと笑いました。

ここで30代だと答えれば、どこぞの部屋へ連れて行かれアンケートに答えると、恐らく図書券500~1000円をゲットできるのでしょう。ここだけの話、私はアンケート、モニターマニアとして知られ、毎月○万円をインターネットで稼いでいるのです。もっと言うと、ここ一年間銀行からお金を下ろしていない。個人的な小遣いは全部、ネットで稼いでいるのです。プロのモニタリストとして、のどから手が出るような話でしたが、「40をかなり過ぎているのです」と正直に答えました。

すると、「えっ」とそのおばさまは驚き、「どうもすいません。30代の方だけにお願いしているので」と謝りました。

どうしてどうして、こんな間違いなら大歓迎ですよ、とまでは言いませんでしたが、かなりウキウキと足取り軽く渋谷駅へ向かったのは言うまでもありません。

こんな小さなことにも喜ぶ私にも、かつてつらい過去があったのです。

忘れもしない去年の同じ時期、私が新宿のヨドバシカメラ本店前を歩いていると、かなりご高齢のおばさまに呼び止められました。そしていきなり、

「50歳過ぎてる?過ぎてるならアンケート、お願いしたいんだけど。答えてくれたら図書券あげるよ」

ガーン!

まだ40ですよ、と顔を引きつらせながら私は答えました。余裕の笑顔を浮かべようとしましたが、それが凍り付いているのが自分でもわかります。そのままブルーな気分で、新宿へとひとり寂しく向かいました。

そして一年の月日が流れた。

へへへ…。それが今度は、30代だってさ。やったね。と喜んだのですが、その差はいったいなんだったのだろうと思い直しました。

理由その一、新宿のおばさまは目が悪かった。その二、アンケートの人が集まらずあせっていた。その三、私個人に問題があった。

やっぱりその三かな。新宿のときは、ドブねずみ色のスーツというよりか背広に、老人がするようなジミーなネクタイをしていた。仕事がうまくいかず、目の下にクマがあったのかもしれない。

渋谷のときの格好は、白いシャツに下はジーンズ、そしてチャコールグレーの皮のジャケットを着ていた。その日は、お金もらったので、結構さっそうと歩いていたのかもしれない。

男って、けっこう着ている服や気分の持ち方で、二十歳近く年齢が違って見えるのですかね。

高校時代は、スティングに出てくるポール・ニューマンのファンで、早く自分も年を取りたいと思っていました。自分も年をとったら、口ひげを生やして、かっこいいスーツ着て、ポーカーでお金を儲けて…。

当時のポール・ニューマンがやっていた役の年齢に近くなってきましたが、理想と現実との間にはギャップがあります。

しかしまだ勝負がついたわけではない、頑張らねば!よし、口ひげだけでも生やそうかな。

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地獄の超ド根性セールスマン

今日は、私が出会った世にも恐ろしいセールスマンのお話をしましょう。と言ってもちょっと古い話です。

時は、昭和六十年代初頭、某銀行で営業マンをしていた私は、支店長から担当地域の新規開拓を厳命されました。

 新規開拓ってやったことある人はわかると思いますが、嫌なもんですよね。今もそうかもしれないけど、当時は飛び込み訪問の新規顧客開拓が王道でした。いわゆるドアツードアで顧客の呼び鈴を押して回る方法。ドアを開けてもらえるのはまだいいほうで、ほとんどの場合、インターフォンでガチャンです。

 当時、若くて負けず嫌いだった私は、何とか先輩を営業成績で追い抜いてやろうと密かに闘志を燃やしていました。だけど、どうやったらいいのか方法がわかりません。そんなとき、たまたま見た雑誌に、「日本一のトップセールスマン、怒涛の営業」とか言う講演会の広告が出ていました。開催日は日曜です。
こりゃ、もっけの幸いと申し込みました。

 講演会の当日、期待に胸を膨らませて参加しました。すごい天才的なノウハウがあって、「開け!! ゴマ」みたいな魔術のような言葉を使えば、お客さんは皆、ドアを開けてくれると思ったのです。ノートを用意し、講師の話は一言一句おろそかにしないぞと、ペンを握る手に力を込めて、身構えました。

講師は、五十年配の髪を短く刈り込んだおっさんでした。趣味の悪い派手な背広。フーテンの寅さんの目を大きくしたような顔で、私たちの前に立ち、大きな声で自己紹介を始めます。それが終わると、いきなり前列に座っていた若い男性を指差し、「あなたは、昼飯を食いますか?」と聞きました。いきなり大きな声で聞かれ、その若い男は、「はっ、はい」とおずおず首を縦に振りました。

「トップセールスマンになりたかったら、昼飯なんか食ってちゃダメです」

講師は、参加者を見回すと、大声で言い放ちました。参加者は皆、生唾ゴクリです。

「昼飯を食うとまず眠くなる。そして満ち足りた気分になる。そんな幸せな気分で営業なんかできますか。人間、飢餓状態で追い詰められたほうがいい仕事ができるんですよ」

(私は、地獄の餓鬼のようになった営業マンが、泣き叫びながら逃げ惑う人たちを追い回している姿を想像しました)

「それから、日曜・祭日も休んじゃダメです。特に元旦は、大抵の家のご主人は自宅にいるものです。営業は、年中無休。一日休めば、好調のリズムが崩れ、戻すのに一週間はかかります」
(ゲッ、正月から営業1? でもこの人なら、獅子舞いみたいな顔してるから縁起モノとして喜ばれるかもしれないぞ。でも普通の人が営業したら…。)私の額から汗が流れ始めました。

「しかし、深夜に訪問するとさすがに苦情がくることがあります」

 講師は、眉を寄せながら弱気な声を出しました。
(ふぅ。少しまともになってきたな)

「だから私は、夜の10時を過ぎるとなるべく訪問営業は差し控えます。その代わり、名刺とパンフレット。これを大体一日100件ぐらいのポストに投函してくる。それが終わって家に帰るのが、夜の12時ごろ。さすがに晩御飯は食べますよ。だけどストップウォッチで正確に測り10分ですまします。妻との会話もぴったり10分。風呂はすこしゆっくり入りたいので20分。そしてそのあとがやっと私の時間です」

( ……………………。)

講師はちょっと間をとって、ニャッと笑いながら参加者を見回しました。

「深夜、皆が寝静まってから、事務処理です。今日の戦果を振り返りながら独り、悦楽に浸る。至福のひと時ですよ。でもそう長くは浸っていられない。やはり寝ないと次の日に響きますからね。だから午前2時には寝て、三時間ぐらいの睡眠時間は確保する必要があります。それから一番もったいないのは通勤時間。前いた会社は遠かったので、勤め先から5分ぐらいのところにアパートを借りて、独りで住んでいました。それぐらいやらなきゃ、日本一にはなれません」

(ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~。化け物じゃ~)

以上は20年ぐらい前の話ですが、今はこんなことを言う人、少なくなりましたね。要は訪問件数を多くして、顧客との接点を増やせってことだと思います。結構、泥臭く走り回っている営業マンのほうが成績があがっているのではないでしょうか。今をときめくインターネット接続会社も、よく駅前で、テキヤのような感じで勧誘していますよね。最先端を行くIT企業も、営業だけはいまだにアナログなんだなと感じました。

それにしても当時、この講演会に触発されて頑張って営業したものの、やっぱり長続きはしなかった。飛び込み訪問をして、迷惑そうな顔をされると、嫌な気分にさせちゃったな~と落ち込むのです。普通の人が、どんなに努力しても朝青龍やボブ・サップになれないのと同じ。

だけど、見ず知らずの人に自分をわかってもらうまでは大変だし、時間がかかるものです。あれからいろいろ研究して、自分なりの新規開拓の方法を作り出したのですが、どんな画期的な方法であっても、「超ド根性営業マンの気持ちの持ち方」がないと途中で挫折してしまうとわかりました。

そう思って、最近の自分を振り返ると、インサイドワークがうまくなりすぎてしまた気がする。便利屋の原点に立ち返らねばならないと気を引き締める今日この頃です。

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牛丼クロニクル 

男もすなるブログといふものを、便利屋もしてみむとてするなり…。

ブログを始めるにあたって、さて、何から書き始めようかしらんと思いついたのが、上記のフレーズ。紀貫之の「土佐日記」でしたっけ。

それはそうと、生まれて始めてのブログ。さて、何から書き始めたらいいのだろう。私のオフィシャルホームページ、「ビジネス便利屋のよろず公開講座」は、結構かたい内容なので、ブログのほうは肩の力を抜いて書きたいですね。

…と思って、今ひらめいたのが牛丼。そう、現在、アメリカのBSE問題でゆれる牛丼です。実はここだけの話、日曜日を除いて金、土、日曜日を間に挟んで月、水曜日とと松屋のキムチ牛めしばかり食べているのです。仕事柄、毎日都内を歩き回っているのですが、お昼、腹がすく時間になると必ず目の前に松屋のあの黄色い看板が目の前に現れる。というか、記憶のすみに松屋の位置がインプットされていて、無意識にそちらの方向へ足がむいているのかもしれません。

それにしても、あのキムチがいい!! 以前、「ためしてガッテン」で、日本人は、本物のキムチを食べていないと言っていましたが、あれは本場のキムチなのでしょうか。うまみ成分がたっぷり出ているという感じで…。でも、とくに松屋の肩を持つわけじゃありませんよ。言いたいこともあります。昔に比べて、生野菜の量が半分になったということ。やっぱり会社の規模が大きくなりすぎたからなのかなぁ。

思えば、私が牛丼と出合ったのは大学時代でした。当時、松屋はほとんどチェーン展開されておらず、渋谷のセンター街に、味噌汁が無料でついてくる牛丼屋が一軒あるといった印象だけでした。そのころは吉野家が、急速に店舗を拡大している時期で、普通盛りの値段が400円。それだけで、昼ごはんが食べられるなんて、「やす~い」と思ったものです。その後、280円まで値段が下がるなんて、当時誰が予想したでしょうか。

当時の店のレイアウトは、今とほとんど変わらなかったと思いますが、割り箸ではなく、再利用できる箸で、カウンターの上に易者の筮竹のように置かれていた記憶があります。学生時代は、週に1~2回は吉野家の牛丼を食べていましたね。もともと肉はあまり好きではないのですよ。でも、よく溶いたたまごをかけて、ショウガとともにかっ込む味は、400円というお金ではほかで味わえないものでした。

しかし、その吉野家に暗雲がたち始めます。1978年の終わりごろだったと思いますが、大学生だった私は、アルバイトの帰り、晩飯に牛丼を食べようと吉野家に立ち寄ります。まわりを見回すと、カウンターには私のほかに客がいません。まだ七時を少し過ぎた時間なのに、ですよ。嫌な予感がしました。少しして、私の前に置かれた牛丼を一目見て、目を見張りました。

に、肉がない…。

しかしよく見ると、銀シャリがやけに光沢があって、蛍光灯の光に照り映えている。少し茶色っぽいからたれはかかっているようだ。たまねぎも多少(2~3片)あるような。

どんぶりに顔を近づけてもっとよく見ると、光沢がある部分は全部脂身でした。肉の黒い部分がひとかけらもないのです。しかもそれさえ、ごはんの全面積からいったら、60パーセントもありません。

何だ、これは…。これは牛丼と呼べるのか!

と、店員を睨もうかと思いましたが、私も当時は若く、気が弱かったのです。 しかも店員もどんぶりをカウンターに置いたら、さっと厨房に逃げてしまったではありませんか。

どうしてだ。私がなにか店員の気に触ることでも言ったのか…。

そんな煩悶を繰り返しながら、脂身andたれ丼をかっ込みました。学生なので金もなく、おしんこや味噌汁を頼むというような贅沢はできません。

しかしその事件後も、行くどの店も同じような状態が続きます。いくら世間知らずの人間でも、おかしいと気づきますよね。そしてとうとう1980年に吉野家が倒産するという衝撃的なニュースが耳に飛び込んできました。急激な店舗展開に、人材と材料の供給が追いつかなかったのがその原因らしいです。

会社が倒産するということ、サービス業としての顧客満足がいったい何なのかを身をもって感じることができたのはその事件からかもしれません。こんな苦しい時代を乗り越えて、牛丼ファンとともに成長してきた吉野家には是非頑張ってほしい! 陰ながら応援しています。

その後も、牛丼には、その時代時代の色々な思い出がありました。いずれまた書いて、青春時代を振り返ってみたいな。

それにしても、最初からこんなにたくさん書いて、あとが続けられるのでしょうか。次回からは、肩に力をいれないでさらっといこう。

ところで、せっかく咲いた桜がほとんど散ってしまいました。今年は桜の咲いている時間がとても短かったような気がします。最後に、土曜日に撮ったうちの近所の公園の桜の写真を載せておこう。

桜の開花(もう散ってしまったけど…)とともにブログの開始です。

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2005

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