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グループ活動で、やる気を高める法

 こんにちは。今日も暑いですね。

 連日の熱帯夜に、いささか睡眠不足ぎみです。

 クーラーはもちろんあるのですが、面倒くさいし忙しいので全然掃除していない。スイッチを入れたら、すごいことになるのは目に見えています。

 さすがにアスベストは吹き出さないと思いますが、ほこりやダニを部屋に充満させる危険性がある。

 怖くてスイッチが入れられない。(←とっとと、掃除しろ!!)

 そこで扇風機の出番となる。これも年代物の扇風機で、ゼンマイ式のタイマーがついています。なんと、1時間経ったら、扇風機が止まるのですよ。

 だから、1時間ごとに自然と目が覚め、タイマーをぐるっと回すため起きなければならない。

 …ということで、最近ずっと日中、ねむ~い。

 仕事で外へ出かけるとあまりの暑さに目が覚めるのですが、戻ってきてパソコンの前に座るともうだめ。

 人様の命を預かる商売でないのは不幸中の幸いですが、また変なことをブログに書くのではないかということだけが心配です。

 長~い目で、見ていただければ幸いです。

 …と、ちゃっかり保険をかけたところで今日も行きましょう。

  さて、連日お送りしている人をやる気にさせる方法について。

 今日はまた違った角度から考えてみたいと思います。

 人が一番発奮し、やる気を出しているシーンを思い浮かべてください、と言われたら、皆さんはどんなシーンを思い浮かべるでしょうか。

 私は、やはりスポーツのシーンを思い浮かべるんじゃないかと思います。

 たとえば、今の夏だったら高校野球。

 最近の若者は冷めてる、覇気がないなんて意見をあちらこちらで聞く今日この頃ですが、甲子園目指して炎天下予選を戦っている高校球児たちには絶対この言葉、当てはまりませんよね。連日、汗まみれ、泥まみれになって戦っています。

 また客席では、応援団やチアガールが声をからして応援している。

 球場に来るまではどうだったか知りませんが、いざ試合が始まると、選手だけじゃなくその高校の関係者は声を限りに応援するんじゃないでしょうか。

 別に応援しろと強制されるわけでもない。その試合会場にいる人たちは皆、自ら発奮し、やる気を出しているわけです。

 ところで、冬だったら、正月恒例の大学対抗の箱根駅伝を思い出します。

 私の出身大学も、おかげさまで毎回出場するので毎年欠かさずテレビで見ています。見ていると、しばしば体調不良や緊張で選手がリタイアする大学が出る。

 しかし選手は、ふらふらになり、途中で歩き出したり立ち止まったりしても、容易にリタイアしようとしません。なんとか母校のため、チームのために、監督の制止を振り切ってまで、仲間の待つ中継所までたすきをつなごうと最後の気力を振り絞り頑張ろうとするのです。

悲壮感が漂うシーンもありますが、アクシデントも大きなドラマ。そんな先の読めない台本のないドラマに多くの人たちが引き込まれるのでしょう。

 ただ、これが普通のマラソンや長距離といった個人競技ならどんなに大きな競技会であっても、とっくにリタイアしている状況ですよね

 なぜ、個人競技ならリタイアしても、団体競技だと選手たちは容易にリタイアしないのか。  ちょっと難しい話になりますが、これに関連した話があります。

 1924~1932年にかけて、アメリカのウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場で、興味深い実験が行われました。後に、経営管理学、産業心理学の分野であまりにも有名なホーソン実験です。

 なぜか、大学の授業で聞いたこの話がいまだに鮮明に記憶に残っています。違う先生が、別な授業でしかも同時期に授業で取り上げたからかもしれませんが。

 それはともかく、この実験は、照明など作業条件の変化が作業員の能率に与える影響を調べる目的で行われました。

 ところが当初予測していた作業条件の変化に関係なく能率が上昇し、普通なら作業環境が悪化すれば能率が落ちるはずなのに一概にそうとも言えない傾向が現れたのです。

 普通、人間って疲れると作業能率が落ちますよね。ところがなんと、作業の環境が悪化しても、長時間労働で疲れても、能率があがったケースがあったのです。

 さて、それはどうしてか。

 その理由は、前の高校野球や箱根駅伝でお話した例とも関連するのです。

 今日は長くなりました。

 その理由は次回のブログで…。

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社員がやる気になって経営方針に従う法

 ふぅ、暑いですね。こんにちは。

昨日、あるところで、試食モニターに参加したのですよ。食べたのは、冷やし中華2杯にシュークリームが3個。

 お腹がすいていたので、冷やし中華を口一杯に頬張りながら麺をズルズルすすっておりました。

 そこへ地震…。びっくりして麺が気管のほうへ入りかけました。もう苦しいのなんの。

 参加者は二十人以上いたでしょうか。地震に驚いて口から麺を吐き出すという醜態だけはさらすわけにはいきません。もう目を白黒させながら、必死の形相で飲み込みました。ホント、死ぬかと思った。

 そんな私を見ていたモニターの主催者が、そんなにまずいのかと少しブルーになるのがわかります。悪いとは思いましたけど、吐き出すよりはマシですよね。

 それにしても、あの状態からよく飲み込めたもの。久しぶりに自分をほめてあげたいと思いました。

 それにしても最近地震が多い気がする。昨日のようなことが再度あると、次回はもうだめでしょう。これから冷やし中華は、一本ずつすすろうかな。

 それはともかく、昨日の続きの社員をやる気にさせる話。

経営者や上司は、社員や部下に対し、よく、「私の今期の経営方針、営業目標はこうだ。だから君達はそれに従い、今期中に必ずこれだけのことをやれ」と押し付けがちです。

もちろんこのことが間違いであるとは言いません。激動の時代、経営者や上司がリーダーシップを取って社員や部下をぐいぐいと引っ張っていくことはどうしても必要。

俺について来い!! というタイプの上司が、アンケートの好ましい上司ランキング上位の常連なのは当然だと思います。

ただ社員が、経営者や上司の言葉を、押し付けられた命令やノルマだと受け取った場合はどうでしょうか。

本当に会社の行く末を案じている社員にとって、経営者の立てた経営方針、営業目標が、どうしても自分の顧客にプラスになるとは思えない場合、仕事に張り合いが出ないのではないかと思うのです。

それでも、飴とムチを使い分け、高圧的に、かつ強制的に仕事に取り組ませることは可能です。むしろ短期間で急成長した販売会社の中には、こういう経営手法を取った会社も多い。

皆さんの頭の中にも、無理な営業で急成長したものの、その後のクレームで大問題に発展した会社の名前がいくつか浮かぶのではないかと思います。

もっとも、とにかく早く成長させ、そのあとゆっくり社内体制を整備するという経営方針を持った会社なら、それはそれでいいのではないかとも考えますが…。

ただ社員は人間。当たり前のことですが機械ではないですからね。与えられた仕事一つひとつに対して、自分なりの考え、意見はある。少し自分の考えと違っても、上から言われた仕事を遅滞なく行わなければならないことは皆わかっている。

それでも、どうしてもやりたくない仕事はあります。仕事をさぼりたいというのは論外ですが、優秀な社員なら、ここはこうしたほうがもっといいという意見は誰でも持っているもの。何で自分がこんな非効率で生産性のない仕事をやらなきゃいけないの?  …なんて考えてしまったら、みるみる仕事への意欲は衰えていくのではないでしょうか。

やる気のわかない原因は、その仕事の意義が何であるのか、それを自分がすることによって会社や社会にどうプラスに作用するか、よくわからないというのがひとつの理由だと思います。

 押し付けられたものと自分からやる気になったものでは、取り組み姿勢に差が出るのは当然。

社員や部下をやる気にさせるためには、まず経営者や上司が、なぜ当社は存在しているのか、なぜ当社はこの商品を売らなければならないのか、なぜ当社はこの目標を達成させなければならないのかをしっかり示す必要があるのではないでしょうか。

でもこの点は、口を酸っぱくして言っている経営者や上司は多いでしょう。何度言ってもわかってくれないと、居酒屋で愚痴をこぼしている年配者を見たことはありませんか?

確かにおっしゃる通り。つらいのはわかります。

それでは、こうしてみたらいかがでしょうか。

まず経営者や上司が推し進めたいことの趣旨と背景を明らかにした上で、社員同士で彼らの示した経営方針、営業目標を達成するにはどうすればいいか討論させるのです。

まず、なぜ経営者や上司が推し進めたいことを、なぜ我々部下が身を粉にして達成させなければならないか。それが達成できたら、自分たちにとってどんなプラスがあるのか。自分たちの頭で考え、自分たちの言葉で表現できるまで。

次に、それを達成するために、我々社員は個人として、何をしなければならないかという個人別目標を自分達で決めるのです。

経営者や上司は、社員や部下が討論している間は、オブザーバーとしての立場に徹するか、それには参加せず、結果だけ報告させるのもの社員や部下の主体性を増すひとつの方法です。

このようにして決められた経営方針、経営目標は、社員自らその決定過程に参画しているため、取り組み姿勢に大きな差が出る。

 社員や部下が会社の決定に不満を抱かせないためには、その決定に従わなければならない彼らを、どのような形でも参加させることを考えるべきだと思うのですが…。

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経験豊富な営業マンが、ふてくされるとき

 さて昨日は、営業において成功する最も大きな要因のひとつが、営業マンの自分の売る商品やサービスに対する愛着と信頼だと書きました。

 愛着と信頼を持った商品を売る営業マンは、セールストークに説得力が生まれ、かつ売っている本人も幸せな気分になってくるんでしたね。

 それなら、売る力を持っているのに、やる気のない営業マンはどうして生まれてくるのか、というところで前回は終わったのでした。

 そのやる気のない営業マンの気分。ここだけの話、私も味わったことがあるのですよ。

 かつて銀行に勤めていた当時、と言っても現在もだと思いますけど、さまざまな金融新商品が発売されました。

 はどうなのか知りませんが、その金融商品の販売の指示は、本社から来る一通の通達だけだったのです。

 その通達の中身は毎回、以下の内容。

「今度こういう新商品を発売することになった。主な内容は以下の通り。○○支店は、今期中に○○件獲得すること」

 その金融新商品発売の趣旨とか背景はほとんど書かれておらず、そのたびに結構憤慨したものです。

「役員会や企画部といったお客さんとほとんど接点がないところで勝手に新商品の発売を決定しても、実際第一線で商品を販売するのは我々だからね。こんな通帳のデザインだけいじくって、新商品と言っても、中身は大して変わっていないじゃないか。まして、お客さんのニーズに応えていない。今日いきなり言われて明日とって来いといわれても、お客さんに迷惑をかけるだけ。モノを売るにはそれなりの根回しが必要なのにね」

 我々支店の営業マンは、多かれ少なかれそう言い、中には本当にふてくされる人もいました。

 しかし今考えてみると、企業というのは新商品を常に考え、その是非を世に問うてゆくものです。役員会や企画部の姿勢は何ら間違っていない。いわば当たり前のことなのですから。その点はもちろん我々営業マンにもわかっていました。

 我々が憤慨したのは、上から頭ごなしに、「とにかく兵隊ども、いつまでに売れ!」といわれた言い方だったのはないか。

 この点につき、多胡輝氏の著作の中に以下のフレーズがあります。

● 人はたとえ自分に不利な結論が出されたとしても、その結論に参加していれば不満を抱かない。

 つまり人は誰しも自己実現の欲求を持っていて、それを満足させられないと不満を抱くということ。

 我々の憤慨は、あまり魅力のない商品を売らされるということより、このようなやり方では、自分の売る商品に心底納得が得られないまま売らなければならなかった、というところから来ていたのかもしれません。

 銀行のような大きな組織では物理的に難しいかもしれませんが、役員会や企画部が勝手に決めて押し付けるのではなく、形式的にも営業マンが参加する新商品の企画会議を開く。

 そして第一線の営業マンがお客さんから得た意見を新商品の特長に反映させる。

 たとえもし、意見が入れられなかったとしても、新商品発売の決定の場に我々が参加していれば、当初の取り組み姿勢はまったく違うものとなったのではないかと考えるのです。

 会社の社員に経営者の経営方針、経営目標を納得させるときにも、このことは応用できるのではないでしょうか。 

 その点についての具体的対策は、また次回。

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営業担当者のやる気が出る法

 こんにちは。

 みなさん、台風はいかがでしたか?

 水が流れ込んでこないように土嚢を用意したところもあったようですが、私のところはそれほど大きな被害もなく、台風が行過ぎてくれたようです。

 おかげさまで避難するほどのことはなかったみたい。まだニュースはよく見てませんが、ほかの地域はどうだったのでしょうね。

 一転して、今日は暑さが戻ってきました。営業マンにとって台風は論外ですが、少しでも歩くと汗が吹き出す気候も困りもの。

 東京都心では、クールビズの涼しげなスタイルで歩く営業マンは、皆無に近い状況ですし…。

 こう暑くては、やる気が出ない人も多いかもしれない。

 …ということで、今日は営業マンがやる気を出す方法について考えてみたいと思います。ちなみに、暑さ対策に水着で営業に出かける方法ではありませんのであしからず。 

以前、ブログにも書いたかもしれませんが、やる気のない営業マンのパターンってありますよね。

たとえば商品パンフレットの受け取り。セールストークを聞いても一本調子で、そのお客さんにとって何がいいのか伝わってこないケース。

ご存知のように、商品を買う理由はお客さんそれぞれ違います。ニーズが違うのに、パンフレットに書いてある通りのメリットだけ強調する。当然、すれ違いが生じ、いつまでたっても営業成績に反映されない結果となる。

売りたいという気持ちだけ前面に出て、商品に対するこだわりが感じられないケースと言ったらいいのでしょうか。なんか、奥歯にものがはさまったような感じで、商品説明に説得力がない。

個々のお客さんにとって、商品を買うことによってどんなメリットがあり、どんなふうに生活が改善されるか。それを営業マンが提案するには、しっかり顧客ニーズを把握しなければなりません。

でもこれって、結構大変な作業なのですよ。

これができない原因のひとつとして、営業マンの経験やセールステクニックの不足があげられます。もちろん、これを否定する気持ちはないのですが、経験豊富でセールステクニックにも問題ない営業マンでも、時として上記の「やる気のないセールスをする」ことがある。

どうして、売るためのテクニックを持っていても、それを最大限発揮しないのでしょうか。

以前書いたと思いますが、IBM創立者のワトソンはこんなことを言っています。

「セールスのコツは、自分の売る商品が優秀だという信念を持つこと。そしてこの商品が、お客様の役に立つということを心から思っているかである」

 これはまた古いビジネス書の受け売りですが…(←受け売りはよくないと自分で書いたばっかりですが…。ちなみに出典は忘れました)

かつて家電のCMで、彼が出ればヒット間違いなし、と言われた人がいたそうです。彼はCMの出演を引き受けるとき、その会社の製品を自宅に持ってこさせ、2~3週間愛用し、自分がとことん納得しほれ込んでからCMに出演したとか。

理由は、たった数十秒のCMでも、消費者に対する説得力が違うからだそうです。

 今の時期、各ビール会社の宣伝競争が白熱しますよね。やはり本当にそのビールにほれ込んで、おいしそうに飲んでいるタレントというものはわかるもの。出演タレントによってビールの売れ行きに大きな差が出るというのもわかる気がします。

 ところで、各企業のトップ営業マンに共通している点は何でしょうか?

いろいろあると思いますが、これだけは間違いないと思われるのは、彼らは自分の扱っている商品にとことんほれ込んでいるということです。自分が本当に良いと思わなければ、相手に自信を持って売り込めないですから。

また彼らトップ営業マンに共通しているのは、自社の商品に対する信頼。

この素晴らしい信頼できる商品をお客さんに是非わかってもらいたい。わかってもらうために我々が存在しているのだという使命感ですね。

彼らは一様に、この商品を売ることが世の中のためになるとまで思っているのです。その思いがエネルギーとなり、営業の原動力となっている。 

営業において成功する最も大きな要因のひとつは、営業マンが自分の売る商品やサービスに対して、心底納得しているかどうかだと思います。

自分で、この商品は良い、是非お客さんにこの商品のよさをわかってもらいたいと思ったのなら、セールストークにも説得力が生まれますし、第一、売っている本人が幸せな気分になってきます。

それなら、売る力を持っているのに、やる気のない営業マンはどうして生まれてくるのか。

次回は上記の点を踏まえて、その改善策を考えてみたいと思います。

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やる気にさせる明るい職場をつくる法

 こんにちは。

 大型の台風が接近しています。何でも、関東地方を縦断する可能性があるとか。

 早くブログを書いて、避難しなきゃ。(←なんのこっちゃ)

 …ということで、今日は前ふりなしでサクサク行きましょう。  

 さて、今日も「やる気にさせる職場の雰囲気」について考えてみたいと思います。

昨日は、社員をやる気にさせようとして厳しい職場の雰囲気を演出する上司についての具体例を書きました。厳しい上司にとっては、みんなの前で恥をかかせることによって、いっそうの奮起と反省を促すという気持ちがあるのでしょうね。

しかしですよ。

部下、特に若手社員の失敗を数える減点法による管理手法は、どちらかというと社員のやる気を損なうばかりか萎縮させてしまう方向へ行きがちになりますよ。

成績を上げている社員にとっても、もし自分もまた彼のように成績が上がらなくなったら同じように恥をかかされるのではないかと思い、仕事に対して消極的な気持ちになるのではないでしょうか。

たとえば、営業の成績が多く上がったとき、成績の一部を翌月に、あるいは翌期にまわして、叱られないように保険をかけておこうという気持ちになる。(←ホントにあった話。ここだけの話、犯人は私です。ごめんなさぁぁぁぁぁぁ~い)

それはともかく、このように減点法による管理手法は、一時的には社員に緊張感を持たせ、成績が上昇する場合もありますが、心の底から湧き起ってくる「やる気」ではないため、長続きしません。社員全員の結集したパワーには成りえないのです。

 これに対して上司が、部下の失敗を数えるのではなく、成功を数えるというプラス思考を持って部下に接した場合はどうでしょうか。

「目標を達成したら、みんなでお祝いのパーティーをやろう」

「よし!! みんなが頑張ってくれたら、俺が寿司でもおごろう」

「これがもし成功したら、ボーナスを上げよう」

 …など、ひとつもマイナス思考的な話をしない上司のいる職場は明るく活気があります。部下のやる気は持続するし、部下のいいアイデアも生まれてくる。

 豊臣秀吉がまだ若い頃、戦場に金銀のほうびをいっぱい持っていって、手柄をあげた部下にその場でほうびを手渡したとか。やる気は出るし、お祭り騒ぎのような明るさにつつまれる。

若手の社員が信じられないパワーを発揮するのはこういう職場ですね。

 上司は、部下に対し、失敗したときの厳しさばかり強調せずに、成功したらこんなにすばらしいことが待っていると、彼らに夢見させるようにすべきではないでしょうか。

 儲かる会社にすれば、社員はこんなにリッチな生活ができる。

 ・若手社員にたとえば10年先のビジョンを説明し、彼らがどのように仕事をし、どれだけ収入を得ているか夢見させる。

部下に対してプラス思考で接しようと書いてきましたが、そのとき重要な点は上司の人の見方です。

人間には誰でも欠点があります。簡単なしぐさや生活スタイルは本人の努力で直せますが、欠点がその人の生まれながらのキャラクターに根ざしている場合は、直すのが難しい。

逆に人間には誰でも長所もあります。ですから直りにくい欠点にこだわるよりは、長所を伸ばしてやる方が、従業員が大きく成長する場合がある。

かつて新聞に、ある有名な画家の子供時代のことが載っていました。彼は、小学校の低学年のときはまったくの劣等生で、成績が悪いばかりでなくものすごい人見知りで家族以外とは口を聞けなかったそうです。

ところがあるとき、学校の図画の時間、先生が彼の書いた絵をみんなの前でほめたことが自信となって、友達ができ、成績も徐々にアップしていったそうです。

よく一芸に秀でた人は何をやらせてもうまくやる、と言われますが、あるひとつのことで自信を持つと、ほかのことにも意欲がわき、今までできなかったことができるようになったりします。

上司は、欠点だらけの部下であっても、長所を見つけ出してほめることが大切です。そうすることによって、欠点もいつの間にかカバーされてくるのです。

また欠点であっても、見方によっては長所となる場合もあります。

江戸時代の話ですが、伊達政宗の家臣にいつも泣いたような顔をしている侍がいたそうです。政宗の側近が、伊達家にあのような意気地のないような顔をした侍はいりませんからクビにされたらいかがでしょうと政宗に言上しました。

政宗は笑って、いや、いずれ使い道がきっとあると言ってそのまま雇っておいたそうです。その後、政宗の知り合いの大名が死に、政宗は葬式にそのいつも泣いたような顔をした男を行かせました。

葬儀の後、伊達様のご家来は本当に悲しんでくださったと亡くなった大名の家臣は感激したそうです。

適材適所という言葉があります。できる上司は、部下の一番能力の発揮できる働き場所をよく理解しておく必要があるのではないでしょうか。

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社員のやる気が出る職場、出ない職場

   今日は月曜日。

 一週間のはじまりで、仕事もローからセカンドギアに入れるところの方。いきなりトップギアで走っている方。いろいろな方がいらっしゃるのではないかと思います。

えっ? うちの仕事はオートマですって?  …失礼しました。

それはともかく、これから月末へ向かう一週間、みなさん頑張りましょう。

ところで、先週からずっと「人をやる気にさせる方法」というテーマでブログを書いています。

今日は、社員がやる気が出る職場、出ない職場についてこだわってみたいと思います。そう言われてまず頭に浮かぶのは、職場の雰囲気ですね。

みなさんの職場はどんな雰囲気ですか?

職場の雰囲気って、上司の性格に大きく左右されるような気がします。

明るい上司だと「明るい職場」、厳しい上司だと「ピーンと緊張が張り詰めた職場」、サービス意識の薄い放任主義の上司がいる職場だと「だら~んと緩みきっている職場」 …なんてこともある。

私は、会社勤めをしていた頃、いろいろなタイプの上司の下で働きました。いつぞや、超厳しい上司の下で働いたことをテーマにブログに書いたこともありましたっけ。

でも、世の中、噂に聞くと上には上がいるもので、例のマスコミで有名になったリフォーム詐欺の会社。成績のいい営業マンには外車をプレゼントし、成績のあがらない営業マンには殴る蹴るの暴行を加えていたとか。

まさに究極の飴とムチ。

そこまで有名にならなくても世の中、それと似たような話は限りなくある。もう十五年近く前、私が勤めていた頃に取引先の経理担当者さんから聞いた話です。

その会社と取引のある金融機関の営業マンが毎日のように訪ねて来ていたとか。その営業マン。毎日、泣きそうな顔で必死にセールスする。もう土下座せんばかりの勢いなので、仕事にならず困ってしまったそうです。

そんな毎日が続いていたある日、その担当者さんが営業マンのいる金融機関へ急きょ仕事で行く用事ができた。どうしてもその日に手続きしなければならなかったので、裏口から入れてもらって営業場のロビーへまわったそうです。

すると突然、ものすごい怒号が聞こえたらしい。驚いて見ると、支店のロビーに金融機関の職員が直立不動で整列している。その中には件の営業マンが混じっています。

今日の営業の成果を支店の職員全員の前で報告させられているみたい。それを取り囲むように、他の職員が全員立ち上がって彼らの報告を聞いている。彼らは、もちろんその担当者さんの存在に気づいていない。

その報告を聞いていた上司が、突然、また大声をあげたそうです。一人の営業マンが報告した数字が、その日のノルマを大きく下回ったものであったのでしょう。

担当者さんが驚いたのは、次の光景でした。

「何やってんだ! 腕立て100回 !!」

 すると、ノルマを達成できなかった営業マンが躊躇なく皆の見ている前で腕立てを始めます。

 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ~、軍隊じゃ~!! 軍事教練じゃ~!! とその担当者さんは、ほうほうのていで逃げ帰ったとか。

 あとで、その担当者さんから、「ちょっとあの光景を見ちゃったら気の毒だから、少し取引をあの金融機関へ移してあげてもいい?」と聞かれ、二の句が告げられなかったことを覚えています。ちなみに私は、その金融機関のライバル銀行に勤めてましたので。

 …というのは違って、当時、体を鍛えていた私は、「いいなぁ。みんなの前で腕立て出来るなんて。新記録を作って、自慢できるんだけどなぁ」なんて不謹慎なことを言ったのでした。

 それはともかく、女子職員も含め、皆の前で恥をかかされる営業マンたちにとっては、針のむしろの上に座る毎日だったでしょう。

よく朝礼や会議など他の職員のいる場で、名指しで叱っている上司の話を聞くことがあります。

上司としては必死の努力で会社の維持を図り、毎日胃が痛くなる思いをしているのに、君らはいったい何をやっているのだと怒りたい気持ちもわかります。

また叱られた職員としても、「何も、後輩や女子社員の前で、名指しで叱らなくてもいいだろう」とぼやきたくなる気持ちもわかる。

上司と叱られる職員、どっちの経験もある私としては、どちらにも肩入れしたくなる。しかしそれを続ければ、いつまでたっても、両者は平行線。

今日は、少し中途半端になってしまいました。

明日は、その打開策について考えてみたいと思います。

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やる気にさせる叱り方の秘密

 さて昨日は、ネクラ人間を不用意に叱るとどうなるのか、というところで終わってしまったのでした。

 私も血液型がA型なので、ネクラとは言わないまでも基本的に心配性なところがあります。歳を経るに従って相当というか、まったくというか緩和されてはきましたが…。

 でも、本質的な部分ではネクラなのかネクラ人間の気持ちはよくわかるつもり。

 おそらく不用意に叱られると、ストレスがそのまま貯めこまれ、萎縮してしまうのではないでしょうか。たとえ叱る方の親心で、教え導くという意味の叱責でも…。

 叱られる方にとっては、叱る方の親心まで考える余裕なんてありませんから、「叱られた。もうダメだ」となる。叱る方がどう思おうと、叱られるということに変わりはありませんから。

 こういう人間。一度、ドツボにはまり込むと、そのあと起きることが全て自分にとってマイナスに感じられ、ドツボの海底深く沈んでゆくことになります。

 そうなったら、叱るほうの責任がなかったとは言えなくなる。

 このいうタイプの人を叱るときは、前に述べた「やる気にさせるほめ方」を参考にしながら、「ほめる、叱る、ほめる」といった順序で叱るのが効果的です。

 最初のほめ言葉で、緊張を解きほぐし、ほっとさせ、話を聞こうという気持ちにさせたあとで、ソフトに叱る。次にまたほめ言葉や激励で、前の注意をフォローしながら、元気付ける。

 二宮尊徳の有名な言葉があります。 それがまさにこれ。 

「可愛くば、五つ教えて三つほめ、二つ叱ってよき人とせよ」   

 それから大切なのは、叱ったあとのフォロー。  

 かつての大経営者と言われた人たちは、怒ったときは本当に怖かったそうです。松下電器創業者の松下幸之助氏しかり、リコー・三愛グループの創業者市村清氏しかり、元佐世保重工業社長の坪内寿夫氏しかり、石川島播磨重工業と東芝の社長を歴任した土光敏夫氏しかり。  

 ただ彼らの下で長く働いた従業員は皆、怒られたことをいい思い出として、懐かしんでいます。晩年、温厚な好々爺のようであった松下幸之助氏も、彼の下で長く働いた後藤清一氏の著作によると、若い頃は激昂してストーブの火かき棒が折れ曲がるぐらい床を叩き、あまりの剣幕のものすごさに失神しそうになったとか。  

 そのときのエピソード。

 後藤氏が、これだけ社長を怒らせてしまったのだからもうだめだ、会社を辞めようと決心して自宅へ帰ると、お膳にご馳走が並んでいる。奥さんに聞くと、先ほど松下社長から電話があって、今日お宅のご主人を怒ったので意気消沈して帰宅するはずだからおいしいものでも作って慰めてやってくれ、と頼まれたとのこと。

 それを聞いて後藤氏は、一生、松下幸之助社長について行こうと決心したそうです。ほかに前述の三氏の経営者も、厳しく叱った従業員には後で背広のお仕立券を渡したり、タバコ一箱を叱った従業員のデスクの上においておいたり、第三者を介して、「あいつは見込みがあるからこそお灸を据えたのだ」と本人に伝えていました。

 以上の大経営者に共通しているのは、厳しく叱った後の見事なフォローです。

 叱られた従業員は、叱った経営者への恨みにどうしても心が傾きがちになります。せっかく、心を鬼にし、従業員のためを思って厳しく叱ったのに、残ったのは経営者への恨みだけと言うのでは、叱る意味がありません。従業員が意気消沈しすぎないようにするためだけではなく、叱られた内容を反省させ、しっかり受け入れてもらうために、暖かいフォローが必要なのですね。

 フォローが完璧な厳しい叱責は、時として、ほめ言葉の数倍の効力を従業員にもたらすことがあります。

 一流の経営者は、その効力を肌で感じて知っていたのかもしれません。

 最後に、上手な叱り方のポイントをあげておきましょう。

● 叱るときは必ず1対1で 叱られる人のプライドを傷つけないようにします。

ほめるときは、他の人の前で。叱るときは、1対1で、が鉄則です。

● 叱られる人がどんなに間違っていても追い詰めない   

相手の逃げ場を作り、ある程度の余地を残して叱る必要があります。

● 厳しくても公平に

おととい、私の小学校時代の先生のエピソードを書きました。すごく厳しかった先生でしたが、あとから考えると生徒たちは皆、我慢して先生についていった。それは、先生がえこひいきすることなく、誰でも公平に厳しかったからではないか。子供ながらにその意味はわからなくても、先生についてゆく大きな理由になったのではないかと考えるのです。

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うまい叱り方の秘訣

 昨日は、やさしい先生と厳しい先生のメリット、デメリットを中心に書きました。どちらがいいとは即断できませんが、人を育てる上において、厳しすぎても、やさしすぎても問題は生じると思います。 

 その場その場のシチュエーションに応じて、どういう対応をしたら生徒がもっとも成長するかということを考えて先生は行動しなければならない。いわば、やさしさと厳しさの使い分け。メリハリが大事なのでしょう。

 これはもちろん、人をほめることと叱ることにも当てはまりますね。

 昨日も書きましたが、いくら人はほめるとやる気が出るからと言って、ほめすぎてもいけない。中には、それほど実力が備わっていない若い人をほめすぎて天狗にしてしまうケースもある。

 だから「叱る」ということもまた、人を育てる上において重要なのではないか。

 しかし、ですよ。叱ることは、ほめることより数倍難しいと言われます。

 私事で恐縮ですが、私なんかいつも冗談ばっかり言ってるから、後輩に少し説教してやろうと真面目な顔でなんか言うと、

「あれっ? ビジベンさん。今日は深刻な顔しちゃってどうしたんですか? また変なもの食べたんじゃないですか?」 …なんてやられる。  

 フレンドリーはいいのだけれど、仕事は本来厳しいもの。少しはわかってくれぇぇぇぇぇぇ~!!!

 それはともかく、仕事柄、中小企業の社長さんとよく話をさせていただくことがあるのです。そのときよく耳にするのは以下の言葉です。

 最近の若手従業員は、何か言うとすぐ落ち込む反面、押し付けに反発する。本当に従業員のためを思って叱ったことが、相手はそうは受け取ってくれない。

 「怒られた」「もうこの会社にいても将来はない」などと思い込んで、将来を期待していた従業員に去られてしまったことがある、と。

 でも、最近の若者という言葉はちょっとひっかかりますね。この言葉、人類の歴史とともに歩んできた言葉ではないかと思えるふしもある。

 細かなことは忘れましたが、奈良時代の文献に、「最近の若者は、どうも何を考えているかわからない」なんてフレーズがあったそうな。 奈良時代の人から見れば、今生きている人類は皆、若者みたいなもんですからね。

 最近の若者だから、ひ弱なわけでも、落ち込むわけでも、押し付けに反発するわけでもないと思いますよ。

 少しえらそーなことを言いますと、最近の若者がどうというのではなく、人にはいろいろなタイプがあると言うことです。

 奈良時代にも、今と同じタイプの若者がいただろうし、未来もきっといるだろうということ。あながち時代背景だけが原因じゃないと思いますよ。

 上記の、若手従業員のためを思って叱り、会社から去られてしまった中小企業の社長さんは、叱ってもよいタイプの人間かどうか見極めないで、いきなりガツンと叱ってしまった可能性がある。

 たとえば、叱られても後遺症が残らないようなネアカ(根が明るい)人間は、多少きつく叱っても次の日になればケロッとしていてあとに残らない。そういう人間は、どんどん叱ってやってもかまわない。

 プロ野球の球団にも叱られ役というような選手がいます。野村監督時代のヤクルトの古田選手や巨人の元木選手。

 この前テレビで見ていたのですが元阪神の川籐選手は高校時代からなぜかチームで一人だけ怒られ、プロ野球に入ってからも、なぜか俺一人だけ怒られたと笑っていました。

 そういった人たちは、ストレスが発散しやすい体質を持っているため、あとに残らない。

 経営者にとっては、社内の叱られ役=引締め役になってくれるまことに貴重な人材です。

 では、ネクラ人間を不用意に叱るとどうなるのか。

 この続きはまた明日。

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怖い先生、やさしい先生の損得

 こんにちは。

 今日はまた暑くなりましたね。

 これからが夏本番です。暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 

 さて、昨日はやる気にさせるほめ方について書きました。

 でも、人間、ほめるばかりでは進歩しない。ときには叱る、叱られるといったことは必要だと思います。

 私事で恐縮ですが、小学校時代すごく厳しい先生が担任になったのですよ。

 もう授業中、私語なんてとんでもないことで、いつも教室はシーンと静まり返って先生の話を聞いていました。 背筋を伸ばしておとなしく聞いていたからといって、それだけでは許してくれない。

 突然、当てられ、先生の質問に答えられないと立たされる。二回答えられないとものすごい勢いで怒鳴られ、掃除当番などの罰が待っていました。

 今、テレビドラマで、生徒に厳しい先生が話題になっているみたいですが、あんな先生だったらまだ天国の入り口にいるようなもの。

 今やったら問題になるだろうなという体罰が日常茶飯事でしたから。一日一回は、誰かが往復ビンタの餌食になる。

 そんな毎日が2年間ですよ。ひぃぃぃぃぃぃ~

 最初は、とんでもないクラスに入れられたと子供ながらに落ち込みました。もう学校へ行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。よく一人の落伍者も出さず、クラス全員が進級できたと思います。

 ところが6年生になり、担任の先生が変わったのです。今度の先生は、夏休みはみんな遊びたいだろうから、宿題を出すのはやめましょうというぐらいやさしい先生でした。

 突然、百八十度、クラスの雰囲気が変わったのでみんな戸惑ってしまった。

 前の厳しい先生のときは、その学期でやり残した問題集、テスト、次の学期で勉強することの予習まで宿題に出されたのです。大量の宿題を持って帰るのに、学校と自宅を2回往復したクラスメートもいたぐらいですから。

 …で、そのやさしい先生。さぞ人気があったかといえば、それほどでもない。

 最初はみんな助かったと大喜びしたのですが、日が経つにつれ人気がなくなって行ったのです。

 やさしいというのは、一見簡単そうに見えますが、人に均等にやさしくするのは簡単ではない。

 一人の生徒にやさしくすると、ほかの生徒から自分も同じようにやさしくして欲しいと要望が出る。その生徒にやさしくすると、また別の生徒…。

 際限がないですよね。先生一人に生徒が当時五十人近くいましたから、当然やさしくする度合いが変わってくる。

 やがて、あの先生はえこひいきだと陰口も叩かれるようになってきます。 またやさしくしすぎて、何人かの生徒が先生をばかにするようになってしまった。これではいけないと先生も途中から方針を改め、厳しくしようとしましたが、一度緩んでしまうとそう簡単には元に戻らない。

 中には前の厳しい先生のほうがよかったなんていうクラスメートも出る始末。少なくとも厳しかった先生。ひとりも特別扱いせず、誰に対しても厳しかった。いわば厳しいという点ではえこひいきがなかった。

 しかも、私たちのいたその厳しい先生のクラス。テストの平均点が、他のクラスよりいつも十点以上よかったのです。

 そうですよね。できないと立たされるし、もっとできないと怒鳴られる。怖いからびくびくして授業を聞いているわけです。

 当時、今と違って気の弱かった私は、震えながら手に汗握って授業を聞いていました。信じられない話ですが、それだけで小学校3年のときの成績がオール3以下だったのに、オール4以上になってしまったのです。

 自慢話じゃないですよ。それだけ怖がりだったってことを言いたいだけ。今でも、その当時の授業の内容をよく覚えているぐらいですから。いわば、無理やり頭に叩き込まれたという感じでした。

 結果的に私の場合、小学校時代の一番多感な時期に厳しくされてよかったみたい。やさしい先生だったら、当時の私の性格からして、絶対勉強なんかしなかったと思います。

 しかしあれだけ厳しくても、不登校が一人もいなかったのはどうしてなんでしょうね。それはいまだにわからない。まわりに戦争へ行った人がたくさんいた時代背景だったのでしょうか。

 これと同じことが、ほめるということにも言えると思うんですよ。いくらほめると人はやる気が出るからといって、ほめすぎてもいけない。中には、それほど実力が備わっていない若い人をほめすぎて天狗にしてしまうケースも多々ある。

 だから、「叱る」ということもまた、人を育てる上において、「ほめる」ことと同じくらい重要なのではないか。

 少し長くなりました。昔のことを思い出し、つい調子に乗りすぎて…。

 明日は、ほめることの対極にある「やる気にさせる叱り方」について考えてみたいと思います。

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やる気にさせるほめ方の秘訣

こんにちは。

昨日、ブログに書きました、やる気にさせるためにほめるということ。とても重要なことだと思いますので、今日も同じテーマで書きたいと思います。

1936年の初版発行以来、全世界で大ベストセラーとなり、日本でも数多くの人たちに影響を与えた本に、D・カーネギーの「人を動かす」があります。そのなかに「人を変える九原則」というのがあります。

その第1章が「まずほめる」で、また第6章に「わずかなことでもほめる」と、ほめることの重要性をくどいぐらいに説いている。

初版以来70年間売れ続け、最近文庫本となってもヒットしているこの本の内容は、誰でも頭でわかっているのに実際行動するとしたら二の足を踏んでしまう、ということが数多く書かれていますね。

それを実行できるかどうかが、成功する人とそうでない人の分岐点になるのではないでしょうか。

たとえば、会社の社長がぶすっとしたまま、従業員の給料をいやいやながら上げるよりも、たとえ給料は変わらなくても、社長が従業員の能力を認め、常に心から感謝の気持ちを伝えほめる方がお互いにとってプラスになります。

しかしただやみくもに人を持ち上げるだけでは見え透いたお世辞と取られ、かえって逆効果になる場合もある。そこがなかなか難しい。当然そこには、うまいほめ方のポイントが必要です。

では次に人をやる気にさせるほめ方とはどんなものか。

第一に、ほめる人が、ほめられる人の長所を発見し、「こころからほめよう」と決心することですね。人には皆、どこかにいい点、ほめられてしかるべき点があると思うんですよ。そこを感謝の気持ちでほめる。別に難しいことではなく、自分がいいなって思ったことを口に出すだけでいいのではないでしょうか。

第二に、ほめられる人の長所を具体的に表現すること。

たとえば、「君の挨拶はいつ聞いても気持ちいいね」とか、「会議の資料が良くできている」とかいうことでもいいんです。逆によくないのは、「最近、頑張ってるよね」とか「楽しく仕事してるよね」とか、何をほめているのかわからないほめ言葉。

「全然頑張ってないのに、何か頑張ったのかな」「楽しく仕事してるって、真面目にやってないって皮肉?」とほめられた方はかえって疑心暗鬼になったりする。

表現が抽象的だとお世辞に聞こえたり、悪くすると嫌味を言われたりしているのではないかと勘ぐられることにもなりかねないから注意です。

そして第三のポイントは、他の人の前でほめるということ。

かつて、創業以来業績が順調で、従業員が明るくキビキビ働いている会社の朝礼に参加させてもらったことがあります。その会社は、従業員数30名ほどの販売会社なのですが、とにかく明るく笑いの絶えない朝礼には驚かされました。

若手社員に話す機会を与えようということで、持ち回りで3分間の自由スピーチを従業員全員の前でさせ、そのあと社長のコメントがあるのですが、そのコメントがとてもユーモアに富んでおり、また随所にほめ言葉がちりばめられていて、その社長はよく従業員を見ているな、と感心させられました。

その後、成績の良い営業マンの発表があり、名前と数字が発表されると全員が拍手して、その営業マンの労に報います。

見ていると、社長にほめられ、他の従業員から祝福された人はとてもうれしそうです。社長にあとで聞いたところでは、朝一番に行う朝礼はその日一日の仕事の成果を左右しかねないので、とにかくほめ言葉を多くして従業員の気持ちを乗せることが大事だとの事でした。

 朝一番でほめられた営業マンは、そのままの笑顔でお客さんのところへ出かけていけますよね。

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日本には、ほめる文化が欠落している?

 今日は暑かった…。

 炎天下、1日中歩き回りましたよ。毎日、えらそーなことをブログに書いている人間としては、現場で汗水たらして働いている経営者さんや従業員さんの生の声を聞かなきゃ、机上の空論になってしまいますからね。

 …とか、恩着せがましいことを書いておりますが、単にほっつき歩いてお客さんと世間話をするのが好きなだけなのです。これがまた仕事に結びつくのだから、趣味と実益を兼ねているわけでして…。

 それにしても、今日はどれくらい自動販売機で飲み物を買ったろう。200メートル歩くごとに1本買ったような気がする。

 暑ければ暑いほど景気が良くなる。日本経済の景気浮揚に少しばかり貢献したことで、今はとても充実した気分です。

 ふう…。今日は疲れているので前ふりはこのくらいにして、先週からの続きの「人をやる気にさせる法」の具体例を行きたいと思います。

  人をやる気にさせる方法として、まず誰もが思いつく方法は「ほめる」ということではないでしょうか。

 しかし、そんなの当たり前だのクラッカーじゃん(←これは世界遺産にも登録されるべき古典的ギャグ。出典:てなもんや三度笠)、いちいちそんなの書くなよ、うざいな~、なんて思われる人はいらっしゃるかもしれません。

 しかしですね。一見、誰もがわかっていることであっても、実際に現場で、本当にうまく部下をほめている上司がどれだけいるのだろうかと思ってしまうのです。

「部下のやる気がない」と嘆く上司は、職場で一言のほめ言葉も発していない場合があまりにも多い。

 知り合いに、ある中規模の建設会社の総務部にいた友人がいるんですよ。

 彼は大変な頑張り屋で、仕事の幅を広げ、会社のどんな要望にもこたえるという目的で、自腹でさまざまな資格スクールや通信講座を受けました。

 そして、宅地建物取引主任や行政書士、社会保険労務士といった資格を次々に取得していったのです。ところが3つの資格を取得した頃から、経営者や上司、同僚が彼に冷たくなって行ったらしい。

 いくら資格試験の勉強をしているといっても、会社の仕事に穴を空けたことはないそうです。休み時間や業後、休日に勉強を続けていた。それでも周りからは、たんに付き合いの悪い奴と思われたらしい。

 面と向かって小言を言われるのではなく、無視され続けたとか。

 不況の時代で、彼の会社もリストラによる社内の生き残りゲームのような要因もあったそうですが、結局彼は経営者や上司、同僚からの嫉妬からくる嫌がらせに耐え切れず、退職を余儀なくされました。

 彼は退職後こんなことを話してくれました。2年間の勉強の末やっと資格を取得したことを上司に報告したとき、一言のねぎらいの言葉もなかったばかりか完全に無視されたことで、まったく仕事をする気がなくなってしまった、と。にっこり笑って、「良く頑張ったな」と一言でも言って欲しかった、と。

 大企業なら従業員の資格取得に伴う報奨金規定などきちんとしたシステムができているところが多いのですが、中小企業では経営者や現場のさじ加減ひとつでこのようなことが起こります。

  当然ほめられてしかるべき成績を上げながら「ほめられる」という期待が報われないと、従業員は怒りや興奮で俄然、反抗的になったりやる気をなくしたりするのです。

 営業でノルマをきちんと達成したのに、経営者が「営業はノルマを達成するのは当たり前だ」と一言のほめ言葉もなかったばかりに潰れていった営業マンはいったいどれだけいるのでしょうか。

 かつて朝日新聞の天声人語に、「日本にはほめる文化が欠落している」と書かれていました。

 日本人は、ほめ下手でけなすことには熱中するのですが、ほめることには妙に照れるところがあるといいます。

 寅さんの映画で有名な映画監督の山田洋次氏は、著作「寅さんの教育論」の中で、人をほめることが映画作りでいかに大切か、ということを述べていました。

 監督は、「目立たないところで工夫したりしている人を発見したら、うんと感謝してほめる。大声でくどいほどほめる」と著作の中で書いています。そして実際映画を撮っているときも、どこでほめようかということをいつも考えているそうです

 監督の映画に出演した新人俳優の多くが、その後大きく成長したということを皆さんよくご存知でしょう。

 そういえば、先日、おいちゃん役の松村達雄さんも亡くなってしまいました。独特の風貌と声で、存在感がありましたよね。

 ああ、寅さんの新作が見たい…。

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脳出血はどんな病気か。医師と女子高生の会話から

こんにちは。

 今日はまた連休中の日曜日ということで、前回 7月10日 (日)にお送りしてご好評をいただいた「脳卒中はどんな病気か。医師と女子高生の会話から」の続きをお送りしたいと思います。

 今日はじめてお越しいただいた方は、 7月10日 (日)の記事を先にお読みいただければ幸いです。

 この部分は前回と重複しますが、現在、私の本業で考えている取り組みが、病気の内容や治療法をやさしく一般の人たちに伝えてゆく方法です。予備校教師の書いた「経済のしくみをやさしく解説する本」みたいに誰でもよみやすく、わかりやすく、面白く、できたらいいなと思って、サンプルを作ってみました。

 まだ完成品ではありませんし、手直ししなければならない部分はたくさんあると思いますが、いつも私のブログをお読みいただいている方に、最初の読者になっていただきたいと思います。

 題して、『世界一やさしい脳卒中の話』

 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。  

AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定です。

前回、脳卒中は『脳の血管の病気』だということがわかったAYAちゃん。今日は、脳卒中にはどんな種類があるのかということが話題になります。

● AYAちゃん「ねぇ、先生。脳卒中が脳の血管の病気だってわかったんですけど、よく言われる『脳こうそく』って何ですか?長嶋監督がなったのはこの病気ですよね」

そうだね。長嶋さんが病気になってから、脳こうそくに注目する人が増えたよね。私の病院でも、自分が脳こうそくじゃないかって心配になって相談に来られる人が増えたんだ。脳こうそくは一口で言えば、脳卒中という脳の血管の病気の中のひとつなんだ。実は脳卒中にはいろいろな病気の型があるんだよ。

まず脳卒中は、脳出血とクモ膜下出血と脳こうそくに分けられる。そして脳こうそくは、また脳血栓、脳塞栓、一過性脳虚血発作という3つの病気に分けられるんだ。

● AYAちゃん「うーん、よくわからない。専門用語なんか使わないで、もう少しわかりやすく説明してください」

…と言っても病名だからねぇ。それじゃ、わかりやすく説明するよ。まず今言った 脳こうそく。『こうそく』って言うのは、梗塞と書くんだけれども、ふさがって通じないことを言うんだ。

● AYAちゃん「うん、それはわかる。さっき教えてもらいましたから。血管がふさがって血液が通じなくなるんでしょう?それで酸素や栄養が来なくなると、脳の細胞はすぐ死んでしまう」 

そう。脳こうそくは脳の血管が詰まって血液が脳細胞に行かなくなり、障害が起きる病気なんだ。脳こうそくはあとでゆっくり説明するとして、脳出血はわかるよね。

● AYAちゃん「脳の中で血が出る状態?」

そう、何らかの原因で脳の血管が破れて出血し、脳細胞がダメージを受けてしまうものだよ。

● AYAちゃん「前からよくわからなかったんですけど、脳って硬い頭蓋骨に守られているんですよね。誰も刃物や包丁で刺したり切ったりできないのにどうして血が出るんですか?テレビのチャンバラは血が出ないほうが多いけど」

体の表面だったら、刺したり切ったりしないと血は出ないけれど、脳出血は脳の血管が破れるんだ。

● AYAちゃん「何もしないのに自然と破れるんですか?」

そんなことはないよ、ちゃんと理由があるんだ。チャンバラが好きみたいだから言うけど、脳の刺客は差し詰め高血圧だね。

● AYAちゃん「高血圧って血圧が高いことでしょう?」

そうだけど、それじゃ単に読んだだけだよ。心臓から送り出された血液が動脈の壁に与える圧力が血圧。心臓はよくポンプにたとえられるけど、その力は水を2メートルの高さまで噴き上げるほどだと言われているよ。

● AYAちゃん「すごい力なんですね。それぐらいの圧力で水に打たれたら痛いかも。毎日血液に打たれ続ける血管って、かわいそう…」

まぁ、それが血管の仕事だし宿命だからねぇ。出血を起こす血管は、直径0.2~0.3ミリの細い血管が多いんだけれど、それでも本来血管ってすごく強いものなんだ。しかし高血圧がずっと続いていると、血管の壁がもろくなってくる。特に脳の奥の細い血管は、年をとったりして動脈硬化が進んでくると内側が押されてコブのようにだんだん膨れてくるんだ。

● AYAちゃん「ゴム風船に空気を吹き込むみたいに、ですか?」

そう、このコブを動脈瘤というんだ。血管の分かれ道やヘアピンカーブなど圧力のかかるところにできやすいね。

● AYAちゃん「それが膨らんで風船みたいに破裂しちゃうんですね」

そう、パチンとはじけて、そこから血液が噴き出すんだ。脳の血管は、建物にはりめぐらされた水道管のようなものだけど、水量が多すぎたり水圧を高くしたりしたまま何年も放置しておくと、やがて細い水道管に亀裂が入って破れ、部屋中水浸しになってしまうことがある。

● AYAちゃん「すぐ気がついて水道屋さんに来てもらえば被害は少なくてすむかもしれないけど、深夜や留守中に水道管が破裂したら大変」

人間の脳もそれと同じ。脳出血しても軽い場合は、片側の手足がしびれたり、ろれつが回らなくなったり、頭が痛いといった程度ですむこともある。しかし出血が多くなると脳がむくんで頭蓋骨の中の圧力(脳圧)が高まり、脳が圧迫されるんだよ。

● AYAちゃん「締め切った建物の中で水道管が破裂すると、中が水浸しになって大事な洋服やソファーや電気製品が台無しになってしまいますよね」

そう。でもそういったものはまた買えばいいけど、脳は一度だめになったからといってまた買えるものではない。破裂する前に、水道屋さんに来てもらってしっかり点検してもらうのが大事だと思うよ。古くなった水道管はもろくなっているし、中に水アカがいっぱいたまって水が通りにくくなっているんじゃないかな。

● AYAちゃん「そうか、なんだか心配になってきたわ。早く家に帰って水道屋さんに電話しなきゃ」

そうじゃなくて、脳出血の話。40歳を超えたら、一度脳の専門医に詰まっていないか、コブはできていないか、脳の血管を点検してもらうといいね

● AYAちゃん「先生が水道屋さんを兼業してくれたら助かるなあ」

もう…。(わかってない)

…ということで、長々とお読みいただきありがとうございました。何かお気づきの点、手直しのいいアイデア等ございましたら、お聞かせいただければ幸いです。

明日からまた、「人をやる気にさせる法シリーズ」を再開させていただきます

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仕事のできる人、できない人の分岐点

こんにちは。

昨日、ブログを書いてから仕事で銀座へ行きました。

仕事が比較的早く片付き、どうしようかなと思ったら、ふとミスタードーナッツの商品リポートを書く用事を思い出したのです。書く以上、実際店に行って商品を食べてみなければならない。

何てったって、繁華街の代名詞、銀座ですからね。どっかにあるだろうと思って、歩き回ったのですが、どこにもない。交番できくのもなんだし、探しながら有楽町へ出て、新橋のまわりを探したけどやっぱりない。あらかじめネットで探しておけば、どこかにあったのかもしれませんが…。

こうなりゃもう意地ですよ。新橋をぐるぐる回り、地下街をぬけて汐留のシオサイトを探しても、ない。昨日は蒸し暑かったし、あきらめてフラフラになりながら帰りましたよ。なんか負け犬になったような気分。もうちょっとで家に着くという角を曲がってびっくり…。

うちの近所にミスタードーナッツがあるじゃん。いつ出来たのじゃ~!!

店員に聞いてみたら、もう十年以上前に開店していたとか。すると私は、毎日店の前を通って通勤していた?

人間の記憶って、興味のあるなしに関係するみたい。松屋や吉野家は、23区内のほとんどの場所を記憶しているといつも豪語しているのに…。

そんなこんなでやっと、見つけたミスタードーナッツ。のどがカラカラだったので、フルーツティーがおいしかった。ドーナッツもなかなかいける。これから、ミスドにも通おうかな。

少し前ふりが長くなりました。

さて昨日は、人をやる気にさせる法として、サブゴールの設定が重要であると書きました。

これって、上司が部下に仕事を与える方法にも応用できるのではないでしょうか。

さほど経験のない部下だったら、一度に大量の仕事を与えると、自分にはとてもできないと落ち込んでしまうことがある。

そうさせないためには、小出しに与えて、一つ一つうまくできたらほめ、自信を持たせながら仕事をさせた方が効果的です。

仕事に経験の少ない部下のやる気を引き出すには、集中力の持続する時間の範囲内で区切りをつけることが大事ですね。

しかし、経験豊富で自尊心の強い部下は、上司から小出しに仕事を与えたら、なんだかバカにされたような気になるかもしれません。

俺は組織の歯車か。もっと大きな仕事がしたい!!俺を必要とする会社が世の中で待ってる!、と飛び出していってしまう。

そうならないためには、大きなプロジェクトとして、全社的な目標の中で、このプロジェクトの果たす役割、意味をしっかり把握させることが大事です。

しかしそれだけで、膨大な仕事をいきなり丸投げ状態に渡したら、プレッシャーに押しつぶされかねない。

年間目標や月間目標、週間目標を日割りにして、1日平均でやらなければならない仕事の分量を明確にさせることも、できる上司の役割ではないかと思うんですよ。

やるべきことの短期計画を立て、それがうまく実行できることのサポートをしてあげるんですな。

以上のように書くと、部下の上司に対する他力本願みたいになっちゃいますが、部下自らが、自分がやるべきことの短期計画を立て、実行できるなら、有能な社員になることは間違いないでしょう。

有能な社員って、結構、自分の頭の中だけでサブゴールを作って仕事をしていることが多い。

優秀な営業担当者だったら、「よし!今日は午前中にアポ3件とるぞ」と自分で勝手にサブゴールを決めて頑張っている。ほとんど無意識に…。

優秀な経理担当者だってそう。午前中に、伝票整理すると自分で決めたら、少しぐらい昼休みにずれ込んでも、「ちょっとこの仕事、きりのいいとろまで終わらせたいから、先に食事に行っていいよ」なんて言いながら、同僚との食事を後回しにしたりする。

大抵、彼らの頭の中には、自分だけの仕事の段取り、大きな目標があって、それに従って、いくつかのサブゴールが設定してあるのでしょう。

だから、ひとつのサブゴールがずれ込めば、大きな目標の達成が大変になる。自然にきちんと、自分の頭の中で計画を立てているんですね。

誰から言われなくても…。そういう人たちは、言うまでもなく優秀です。

その辺のところが、できる人、できない人の分岐点になっているような気がします。

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人をやる気にさせ、目標を達成する法

 昨日は、下書きの原稿をアップロードしたり、突然削除したりとご迷惑をおかけいたしました。

 今日お届けするのは、おととい間違えてアップロードしてしまった原稿です。加筆した部分も結構あるので、再度お読みいただければ幸いです。

 ここ3日間、「人をやる気にさせる法」のひとつとして、上司の人間的な魅力を「坂の上の雲」の人間描写から考えてきました。

 今日からその方法論として、いつもの心理学をベースにお届けしたいと思います。

 今日は、仕事なり、勉強なりで人にやる気を持たせる方法。

 この点について、いつも大変お世話になっている多胡輝氏の「心理トリック」には以下の記述があります。

●目標に至る心理的距離が近ければ近いほど、それだけ早く目標を達成しやすい。

 いわゆる、もうすぐ目標が達成できる、と目標が手に届くところにある場合、よし、もうひと頑張りだ! と人はやる気になるというのです。

たとえば、みんなで山に登った経験のある方はわかると思いますが、いいリーダーはいきなり頂上を目指しません。

1時間ほど山を登ってみんな疲れてきたら、「よし、あそこに見える大きな木の下で休むからがんばれ」とか、「あと10分ぐらい上ったら、登りが楽になるよ」とか言って皆を励まします。他のメンバーは、苦しい息の下で、もう一息で楽になれるのだから頑張ろうとリーダーに遅れないで付いて行こうとする。

少しずつリーダーの設定するサブゴールともいう目標をクリアしていくうちに、いつの間にか頂上に着いてしまったってことはあるんじゃないでしょうか。

これが悪いリーダーだとしたら、「あと少しだ、頑張れ、頑張れ」と励ますものの、いつまでたっても頂上に着かない。他のメンバーから頂上まであとどれくらいですか、と聞かれてリーダーが「あと3時間ぐらい同じような登りが続くよ」と答えたら、

もう嫌じゃ~、早く帰って寝よ。てなことになりかねない。

これと同じことが日常の仕事にも言えると思うんですよ。

サブゴールを設定すれば、遠い目標を近くに感じさせ、あと少し頑張れば目標を達成できるのだと思わせることも可能ではないか。

たとえば、知り合いがやってる楽天日記なんか、やる気にさせるのがうまいな~と思いましたよ。

最初始めた頃、「あなたのホームページのアクセスカウンターが、 10アクセスを超えました。」なんてメールが来たときは、ずいぶん細かいな~と思ったそうです。

次は、50。その次は100。200,300,…ときて、1000アクセスまで、100アクセス刻みにサブゴールが設定され、そのたびにお知らせのメールが来る。100アクセスなんて、普通に更新していれば、2~3日で可能でしょう。

よし、あと1000まで、50だ、10だ。とやっているうちに、日記を続けることが習慣になっている。

さすが楽天。ちゃんと心理学のインセンティブ法をわきまえていますな。

仕事でも勉強でも、これと同じことが言えると思いますよ。

サブゴールの設定は、人をやる気にさせるという点において非常に重要だと思います。なぜなら、人が人一倍頑張るときというのは、目標が十分手の届くところにあり、あと一歩で達成できる寸前のときだからです。

それなら、人をやる気にさせたい人は、常に手に入る一歩手前のサブゴールを、彼らの前に与えてあげればよい。

また世の中にはサブゴールが設定してあるということでうまくまわっているようなことがいくつかあります。

たとえば会社の中に、係長、課長、部長というサブゴールがなく、平社員と社長だけだったら、出世欲のある社員はやる気を失ってしまうでしょう。

大相撲って、最もサブゴールを有効に活用している世界なのではないかと考えるのですよ。

番付表を見ても、序の口は序二段、幕下は十両、十両は幕内、幕内は関脇・小結、関脇は大関、大関は横綱、というように、常に自分の手の届く範囲内に目標が設定されています。

そしてだいたい何勝すればどこまで上がれるかという基準も比較的明確。

さすがに江戸時代から続く力士のインセンティブシステムは、見事というほかありません。(相撲自体の歴史は、日本書紀にも記述されているそうです)

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魅力ある上司とテゲの関係

 今朝、パソコンを立ち上げ、「ビジベンのよろず公開講座」のページを見て呆然…。

 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ~、下書きの原稿がアップロードされてるぅぅぅ~!!!

 昨日、ブログの下書きの原稿を途中まで書いていて、「下書き」で保存しておくはずだったのに、「今すぐ公開」をクリックしちゃったんですね。

 「今すぐ公開」をクリックした後、「今すぐ後悔」して削除しておけばよかった。…、と遅ればせながら、先ほど削除。

 途中から意味不明の原稿をお読みになった読者の皆様、申し訳ございませんでした。 以後、気をつけますのでお許しください。

 ところで昨日は、児玉源太郎のことばかり触れました。しかし大山巌も東郷平八郎も、プロフィールを追ってゆくと何でもできる万能型の人材なのですね。

 しかし、トップについたとたん、高貴な「虚」を持った。大山巌は、児玉源太郎たちによって、マスタープランが作動し始めると、自らを虚にしたのです。

「戦争はどの辺であるのですか?」

 なんてとぼけて聞いていながら、すべて把握していたか、いや本当に知らないように努力したのかもしれませんね。

 だから、たんにトップが何もわからず、すべて部下にまかせて何もしないというのはテゲではない。

 また、トップが口を出さず、すべて任せられるような、私欲がなくかつ能力の高い部下がいなくても、テゲはできない。

 司馬氏は、テゲであるべき人物は、人格に光がなければならないと言います。また人格は私心がないことが必要で、難に殉ずる精神と聡明さも必要だ、と。

 もしそのトップと部下の「テゲの関係」が失敗すると大変なことになる。たとえば、太平洋戦争前の軍部。

 徳と智謀のない参謀たちが、上司からテゲを受け、すべてを任されてから暴走し、日本を戦争へと駆り立ててしまった。

 それでは現代の日本の職場で、高貴な「虚」、テゲは可能なのか。

 う~ん。100%行うことはむずかしいでしょうね。どんなに、有能な部下がいて、彼に社長の印鑑やらなんやら全部渡して、自分は社長室に閉じこもる。しかし、たまには会議に出る。

 そして役員の前で、「今期の売上げ数字が出たみたいだけど、黒字だったの? それとも赤字?」なんて言ったら、バラエティー番組のコントじゃありませんが、居並ぶ役員全員がズッコケるかも。

 社長が、「およびでない? こりゃまた失礼しました」と植木等みたいにステテコに腹巻姿で引っ込んでも全然受けない。

 中小企業の創業者ならともかく、上場企業なら株主様への経営責任もありますから、シャレじゃすみませんよ。

 と言って、派閥が好きで、重箱のすみをつつくように細かい指示を出して部下を萎縮させるような山県有朋型トップも困ります。能力に自信を持つ部下が、能力を正当に評価されない、能力を発揮できないとふてくされたり、やめたりするでしょう。

 では、どうあるべきなのか。

 今のトップは、やはり能吏的な部分も必要だと思います。

 しかし100%それでは、部下が育たないし、息も詰まる。ほどよいテゲの部分が必要だと思うのですよ。もちろん、天然のテゲは、それだけで人間的な魅力はあるのでしょうが、トップがそれでは心もとない。

 理想はやはり児玉源太郎。極め付きの有能さでありながら、テゲを演じることのできる人物。こういう人は、ホントにすごいと思いますよ。

 たとえば、歴史上の石田三成は、能吏としては天下無双の才能を持っていたのでしょう。いわゆる東大法学部を首席で卒業し、国家公務員の上級職試験にトップでうかるような才能。しかし、彼にはテゲが乏しかった。味方につくと言った大名が寝返った大きな理由として、彼に人間的な魅力がなかったと言われております。

 児玉源太郎は、何度も書きますが、テゲの本質がわかっていた。トップはどう振舞ったら、部下の能力が一番発揮できるのか。そして、自分がテゲになってもいい部下か、悪い部下か。その場その場の状況で、トップとして最適な人間を演じるべく、自分を変えて行ったのではないでしょうか。

 このように経営の現場で、戦略的にテゲを演じることができる人はそれほど多くない。天然のテゲを持ち、部下から愛されている経営者はいますが、これは逆に言うと「おおざっぱ」を部下が面白がっているだけかもしれません。

 私のまわりのトップで、児玉源太郎のようなテゲを持っているのは、以前お話しました横浜の病院の院長先生でしょうか。この先生は、手術の名人と言われている人ですが、ビジネスにも並々ならない才能を持っています。 特別に財務の勉強をしなかったと思うのですが、計数にも明るい。自分の病院の問題点、改善すべき点について常にどうしたらいいかと考えている人ですね。

 本来なら、それだけで細かい、重箱のすみをつつく山県有朋型のトップになってもおかしくない。しかし、患者さんや部下、出入りの業者までから愛されているのは、テゲの部分があるからです。しかし、天然のテゲではない。ちゃんと計算して、テゲでいくところ、能吏型でいくところと使い分けてもいるのですよ。

 こういうタイプのトップは、バリバリに仕事ができるタイプのトップよりすごいと思います。また明るく、気さくだから、その先生が診察担当の日は、病院の待合室からあふれるぐらい患者さんが集まるのです。

 このあたりを具体的に描写しますと長くなりますので、今日はこの辺で。

 ところで読者の皆様、テゲをうまく使い分けられるトップは、まわりにいらっしゃいますか?

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「坂の上の雲」にみる人間管理手法

 こんにちは。昨日はお休みをもらいました。少し忙しかったので、すいません。

 今日は、おとといの続きから書きたいと思います。「坂の上の雲」で魅力ある上司として描かれている大山巌と対極にあるタイプの上司について。

 ここから先の文章は、「坂の上の雲」をまだお読みになっていらっしゃらない方には、わかりにくい部分があるかもしれません。ですが、この小説は中高年経営者がもっとも支持する歴史小説といってもいいと思います。

 我慢して読んでいただければ、彼らと共通の話題で盛り上がるかもしれませんよ。まだ小説を読んでいらっしゃらない方は、是非、読まれることをお勧めします。

 この小説は、司馬作品の中で、「項羽と劉邦」の並びもっともビジネスで役立った小説でもありました。

 さて、大山巌とは対極にあるタイプの上司として描かれているのは、山県有朋です。彼は日露戦争開戦当時、陸軍の総帥で、自ら派遣軍の総司令官になりたがった。

 しかし、すでに総参謀長に決まっていた児玉源太郎が、山県を上司にすることを好まない。

 「わたしは、ガマ坊(大山巌のあだ名)をかついでゆく」と、児玉は大山を上司にすることを選んだのです。

 山県と児玉は同じ長州の出身ですよ。当時は長州閥の全盛期。でも、児玉は、薩摩出身の大山を上司にした。先輩、派閥なんかにとらわれていたら、戦に負けてしまいますからね。

 山県には、テゲ(この言葉の意味は、昨日のブログをご覧ください)がなかったと言います。

 陰湿な策士で、自分を頂点とする派閥を作りたがった。自分を虚として、象徴化するような人格の持ち主ではない。また、山県は細々としたことを部下に指示し、人をすくませるようなところもあった。

 今でも、どこぞの会社には、必ずこういう上司はいます。客観的に見た場合、社員間のコミュニケーションにおいて最大の阻害要因になっているのに、本人や周りの人たちが気づいていないケースって結構ある。

 児玉は、山県がトップになると、自分たち部下の能力の発揮が妨げられ、良い独創的な発想も生まれないと考えたのでしょう。

 あくまで、当時最大の目標は、大国ロシアに勝つこと。派閥を作ったり、重箱のすみをつつくような指示をうけて右往左往させられてはたまらない。

 仕事をする上で、もっとも部下が能力の発揮しやすい上司を選ぶ基準として、「高貴な虚」がどうしても必要だったのでしょうね。

  

 ところで、司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、乃木大将や彼の参謀たちのことをけちょんけちょんに書いてますが、児玉源太郎については日露戦争勝利の最大の功労者として評価している。「坂の上の雲」の児玉源太郎は、太平記の楠木正成みたいな英雄として描かれていると言っていいでしょう。 

 現在、乃木大将を再評価する動きもあるみたいですが、児玉源太郎の小説の中での高い評価をおかしいという人はあまりいません。あれだけの活躍をし、戦後すぐ、燃え尽きるように死んでしまう点も心に残ります。

 戦後、東郷や乃木が神社の祭神として祭られたことを考えると、あまりに控えめな印象を与えます。ただ彼の地位は、総参謀長でした。連合艦隊司令長官や司令官と違って、本来は黒子の立場。本来目立ってはいけないのかもしれません。

 それだけに、彼らがかつぐトップの象徴性は、軍の中だけでなく、広く国民にも慕われるぐらい輝かしいものなのでなければならない。また、それだけ多くの人に愛されるキャラクターでなくてもいけない。

 テゲ、すなわち高貴な虚は、上司としてのみならず万人に愛されるキャラクターとも言えるのです。

 ところで、大山巌の部下の立場であった児玉源太郎にもテゲの部分があったといいます。彼の日露戦争前の地位は、内務大臣兼台湾総督。自ら降格して、大山巌のスタッフにつきました。しかし内務大臣は辞職したものの、台湾総督の地位は戦争中もそのままだったのです。

 面白いのは、大山巌が児玉源太郎にテゲすると同時に、児玉源太郎は彼の部下の後藤新平に対して、テゲだったこと。

 台湾総督であった児玉源太郎は、現地にいる後藤新平に印鑑をわたし、すべてを委任した。もちろん、後藤新平に私欲がなく、現実を直視する能力を持ち、官吏としての能力の高さを見越してのことだったようです。

 児玉源太郎は、大山巌の有能な補佐役であると同時に、部下には高貴な「虚」を貫く。

 すごいのは、児玉源太郎が能吏としてすべて取り仕切るだけの能力を持ちながら、テゲ、すなわち高貴な「虚」を実行したことですね。

 ますます尊敬しちゃいますが、確か「坂の上の雲」には、こんなに理論だてて彼らの管理手法について触れていなかったような気もする。

 その小説を読んだとき、感動した理由の一端がわかったような気がして、ハッピーな気分です。

 次回はもう少しわかりやすく、テゲについて触れてみたいと思います。

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「坂の上の雲」にみる上司の魅力

 昨日は少し趣向を変えて、『脳卒中はどんな病気か。医師と女子高生の会話から』というテーマでお送りしました。

 さっそくコメントやトラックバックをいただき、とても感謝しております。いずれ脳卒中をテーマに新たなブログを立ち上げたいと思いますので、皆様、お読みいただければうれしいです。

 取り急ぎ、お礼まで。

 感謝しつつ、今日はいつものビジネスの話題に戻りたいと思います。先週からのテーマは、「上司」としての人間的魅力について。

 ここで誤解があってはいけないと思いますので先に書きますが、この場合の「上司」は、一軍の将としての上司に限定したいと思います。これから書くことは、中間管理職の上司には当てはまらないと思いますので。

 係長や主任クラス、また担当部長や担当課長などスタッフとして働く人たちは、上司としての仕事のほかに個別の仕事も持ち、一担当者としての側面も持っているからです。理由は、これからの文章をお読みいただければ、ご理解いただけると思います。

 ところで先週から何度も触れています司馬遼太郎の言う「高貴な虚」について。

 虚とは、空あるいは無と同じ意味。上に立つ人が、空あるいは無の境地でいたら、下で働く人たちは困るんじゃないか。普通、そう思ってしまいますよね。

 大山巌や東郷平八郎の両元帥は、「高貴な虚」を持っていたと司馬氏は指摘します。あらためて言うまでもありませんが、虚だけではない。「高貴な虚」です。

 その高貴。どの部分が高貴なのか。

 この二人は、同じ薩摩出身なんですよね。西郷隆盛から薫陶を受けたという点も同じ。

 その薩摩に大概という方言があるらしい。ちなみに読み方は、たいがいというのでなくテゲというのだそうな。

「将たるものは、下の者にテゲにいっておく」という使い方をする。上の者は大方針のあらましを言うだけでこまごました指図はしないという意味。そしてそういう態度をテゲと言った。

 これは薩摩の旧藩時代、上級武士にとって配下を統治するための倫理用語というほど大事な言葉だったそうです。

 「坂の上の雲」を読み、彼らの「上司」としての人間的な魅力を感じたルーツは、どうやらその辺にあるらしい。

 彼らはマスタープランを明示したあとは、部署部署をその責任者に任せてしまい、自身は精神的な(高貴な)象徴性を保つだけで終始する。

 「坂の上の雲」には、その象徴的な場面が鮮やかに描かれています。もう十五年以上前に読んだ本なので、細かなところは忘れていますが、日露戦争当時、中国本土で日本とロシアが激しい戦闘を繰り返しているシーン。

 日本はかなり厳しい戦況に追い込まれ、総参謀長の児玉源太郎を中心に作戦会議が開かれる。しかし居並ぶ将校たちは、前途に光が見出せず暗い表情。ビリビリした緊張感だけが漂っています。

 そこへ別室で休んでいた総司令官の大山巌が、のんびりした顔で会議室に現れ、児玉源太郎に一言。

 その言葉がどんなものであったかは忘れました。ガクッ (←すいません)

 押入れから本を出して調べればいいのですが、押入れを開けたとたん、どっと中のものがなだれ込んできて、圧死する恐れがあるのです。申し訳ございませんが、気になる方はお調べください。

 ただ、「児玉さん。今日はどの辺で戦争があるんですか?」みたいな言葉だったと思います。

 総司令官が、戦況はおろか、どこで戦闘が行われているかすら知らない。ホントは、まずいことなのかもしれませんが、現場で戦うのは総司令官ではない。また作戦をたてるのも総司令官の仕事ではない。

 事実、総参謀長の児玉源太郎はじめ居並ぶ将校たちは、そんな大山総司令官を見て、なんとか不利な状況を打開し、彼のためにも頑張らねばならないと決意をあらたにするのでした。

 児玉は愛着と尊敬をこめて、自分の上司である大山巌を「ガマ坊」と言う。

「わしはガマ坊をかついでゆく」と言って、総参謀長の児玉は、大山を上司にしたのでした。いわば下が上を選んだのですな。

 ここで、大山巌とはまったく別のタイプの上司が小説に登場します。彼らを対比してみると面白い。下から見て、魅力ある上司か、そうでないか、典型的なパターンの違いがわかるのです。

 今日はまた長くなりました。この続きは次回。

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脳卒中はどんな病気か。医師と女子高生の会話から

 こんにちは。今日は日曜日ということで、少し趣向を変えてお届けしてみようと思います。

 現在、私の本業で考えている取り組みが、病気の内容や治療法をやさしく一般の人たちに伝えてゆく方法です。予備校教師の書いた「経済のしくみをやさしく解説する本」みたいに誰でもよみやすく、わかりやすく、面白く、できたらいいなと思って、サンプルを作ってみました。

 まだ完成品ではありませんし、手直ししなければならない部分はたくさんあると思いますが、いつも私のブログをお読みいただいている方に、最初の読者になっていただきたいと思います。

 題して、『世界一やさしい脳卒中の話』

 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。  

AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定です。

まずは冒頭部分から。

AYAちゃん「そもそも脳卒中って言葉自体、なんか変ですね。ほかではあまり聞いたことないし…」

卒然という言葉、聞いたことあるかな? 突然と同じ意味なんだけど、『卒』には『急に』という意味があるんだ。それから、『命中』という言葉は知っているよね。矢が的に当たったときなどによく使うけど、『中』には当たるという意味もある。だから昔の人は、今まで元気だった人が突然、何かに当たったように倒れる姿を見て、脳卒中と名づけたんじゃないかな。ちなみに『卒中』という言葉は、平安時代にもあったそうだよ。

● AYAちゃん「ふーん。そんな昔からあったんだ。ところで先生、脳卒中ってひとことで言えばどんな病気なんですか?」

いきなり来たね。ひとことで言えば、『脳の血管の病気』と言っていいんじゃないかな

● AYAちゃん「脳みその病気じゃなく?」

そう、脳の血管が破れたり詰まったりして、脳が生きていくために必要な酸素や栄養が行き渡らなくなってダメージを受ける状態。つまり脳の血管がおかしくなった結果として脳がやられてしまうんだ。

● AYAちゃん「ふーん。そうなんだ」

脳って、ものすごい大食漢なんだよ。重さは、大人で1200~1,400gぐらいだけど、心臓から送られる血液の15パーセントが脳に流れ込んでいるんだ。ところで脳の  栄養ってなんだかわかるかな?

● AYA ちゃん「ゲッ。先生みたい…。って、お医者さんは先生なんだけど…。確か、血液は酸素と栄養を運んでいるんですよね。そういえばコマーシャルで、脳には砂糖が必要だって言っていたような」

ご名答。さすが現役女子高生だね。そう、脳の栄養源はブドウ糖なんだよ。あの小さな脳が、体に取り入れられたブドウ糖の4分の1を消費し、酸素にいたっては3分の1も消費するんだ。もっとも、人間が生きていくうえで一時も休まず働いているんだから、それだけ食べないとやって行けないわけなんだけど…。

● AYAちゃん「じゃあ、何かのきっかけで血液が脳に流れなくなったら?」

脳細胞は死んでしまうんだ。脳というのはとてもデリケートな器官で、血液が3分も流れてこなくなると脳細胞は死んでしまうんだよ。当たり前だけど、一度死んだら生き返らない。ウルトラマンのカラータイマーは、太陽エネルギーが残り少なくなると点滅を始めるよね。そしてもしカラータイマーが消えてしまったら、ウルトラマンは二度と再び立ち上がる力を失ってしまう。血液は、脳細胞にとって、ウルトラマンの太陽エネルギーと同じ役割を果たすんだ。一度血液が途絶えたら、脳にとって残された時間は後わずかしかない。

● AYAちゃん「ウルトラマン? カラータイマー?何ですか、それ?」

…失礼。ジェネレーションギャップがあるようだから話を変えようか。脳は酸欠状態に極めて弱いんだ。さっき、血液は酸素と栄養を運んでいると言ったよね。血液が脳細胞へ来ないと、たった3分でも脳の細胞は、酸欠状態と栄養不足になって死んでしまうんだよ。

● AYAちゃん「それは大変。すると脳へ大切な血液を運ぶ血管が破れたり詰まったりしたら、それこそ一大事。まさに物流の大動脈なんですね。」

うまいこと言うなあ。私はよく、血管を道路にたとえるんだけど、脳へと向かう国道とも言うべき幹線道路は全部で4本あるんだ。その道を酸素や栄養素を満載したトラックが通って、脳の細胞一つひとつに血液を届けるんだよ。

● AYAちゃん「それは私たちの体のどこを走っているんですか?」

まず首の前のほうに2本の動脈(内頚動脈)がある。それは枝分かれしながら大脳の前の部分に広く広がっているんだ。それから首の後ろのほうを走る2本の動脈(椎骨動脈)。これも枝分かれしながら大脳の後ろの部分や小脳、脳幹といった部分に血液を運んでいる。脳はこの4本の大きな血管から枝分かれした血管が、それこそ網の目のようにはりめぐらされているんだよ。

● AYAちゃん「田舎のおじいちゃんの家を車で訪ねるのに、広い国道から県道、市道を通っておじいちゃんの家の前の私道に車を停めるみたいな?」

そうだよ。

● AYAちゃん「じゃあ、ほんの3分間、血液の宅急便が途絶えるだけで脳の細胞が死んでしまうなら、それを運ぶ道路は常にきちんと整備しておかなければいけないということなんですね」

まさにおっしゃる通り。AYA君、さえてるねぇ。そこが、脳卒中は『脳の血管の病気』といわれる所以なんだ。

        ( 続く )

…ということで、長々とお読みいただきありがとうございました。何かお気づきの点、手直しのいいアイデア等ございましたら、お聞かせいただければ幸いです。

明日からまた、「上司の人間的魅力シリーズ」を再開させていただきます。

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「上司」としての人間的魅力とは

 「人をやる気にさせる法」というテーマでは、ホント、数限りないビジネス書を読みました。

 人をやる気にさせる方法論で、実際現場で使ってみて役立った方法はたくさんあります。たくさんありすぎて、体系的にどういう形で書いたらわかりやすいだろうかと今なお迷っているぐらい。

 だからそちらの点については、あとでお話しすることにして、昨日ブログに書きましたもう一方、部下が自然についていきたくなるような「上司」の人間的魅力について考えてみたいと思います。

 ところで話がちょっと横にそれるかもしれませんが、日本の会社ほど、実際の仕事よりも、上に立つ人間の器が問われる組織はないのではないかと思うんですよ。

 欧米の会社のことはよくわかりませんが、わりと個人プレイで成果をあげるということに関して、正当に評価してくれるのではないかという感じがしています。

 もちろん、日本の会社だからといって、人並みはずれた成果をあげた社員が高く評価されることは間違いありません。個人技で成果をあげたからといって、会社の収益に貢献しているのは間違いないのですから。

 しかし、意外と上の人の評価が分かれることがある。組織人という観点から見た場合、いくら個人技で頑張ったとしても、意外と評価が低いケースが多いと言っていいでしょう。

「彼は、一担当者としては素晴らしい成果をあげている。だけどスタンドプレイも結構多い。将来、部下を持つ身分になったときに、彼は果たして部下を育ててゆけるのか。部下が彼についてゆくのか」

 …なんて、難色を示す上司は必ずいるんじゃないですか。 

  若いうちは一担当者として、華々しい成果をあげるのは文句のつけようがない。しかし将来、部下を持ち、人を束ねてゆく立場になったらどうなのか。プロ野球の一流選手が必ずしも名監督にはならないとよく言われます。

 人の上に立ち、人をやる気にさせながら引っ張ってゆく能力が、一定以上の年代になると事務能力や営業能力以上に問われるような気がする。

 そこで、昨日のブログに書きました、上司としての魅力。

 高い事務処理能力や営業能力は欲しいけど、神様が自分にひとつだけ欲しい能力をやる! と言われたら、「上司」として人を惹きつける人間的魅力が欲しいと答えるでしょうね。

 だって、それはどんなに努力しても一朝一夕に身に付けられるものではないですから。一流大学を出て、一流企業に就職し、みっちり研修を受け、仕上げにビジネススクールでも通えば、高いビジネススキルは身につくでしょう。営業だって、得手不得手はあるかもしれませんが、努力と経験で何とかなる部分はある。

 しかし、「上司」として人を惹きつける人間的魅力だけは、どんなにいい大学やビジネススクールを出ても、なんとかならないばかりか、かえって逆に働くケースもある。

 努力や経験に関しては否定しませんが、どんなに努力しても上司としての魅力がないまま定年を迎える人たちは一杯いるんじゃないでしょうか。

 「上司」としての人間的魅力が欲しいと思って、頑張れば頑張るほど遠くへいってしまうような気もする。

 そんな手を伸ばせば届きそうでいて、手を伸ばそうとするとするりと逃げていってしまうものに、解決のヒントを与えてくれたのが、昨日書いた司馬遼太郎の指摘する「高貴な虚」でした。

 それは…と、本題に行こうと思いましたが、今日は長くなってしまいました。

 いつもながらの前置きが長すぎて、本論へ進まない癖。

 別に引っ張ろうとと思っているわけではないのですが、司馬遼太郎の「この国のかたち」という本の中で、私が昔から理論立てて知りたかったことがあまりにストレートに記載されていましたので、ついうれしくなって…。

 すいません。

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人をやる気にさせる法

 さて、今日から新シリーズ、「人をやる気にさせる法」を始めたいと思います。

 これは、部下や下請先の人たちを使って成果をあげなければならないビジネスマンはもちろん、主婦や学生さんたちにも役に立つ方法だと思いますよ。

 私事で恐縮ですが、私なんか中学校時代にも役立ちました。もちろん自分がオリジナルで考えた方法ではありません。なんかの本で読んだ方法を試してみたのです。

  中学校時代から、そんな方法を一人で考える頭脳を持っていたら、今頃は六本木ヒルズで仕事していますよ。

 そして、自社の広報の女性に本を書かせてPRする、なんて。(←嘘です)

 もう30年ぐらい前なので、どんな本か忘れましたが、確か豊臣秀吉が木下藤吉郎時代の人身掌握術を現代向きに解説したビジネス書だったと思います。

 それを読んで役に立ったのが、中学校主催の古新聞回収コンクール。

 各クラスで、自分の家庭から古新聞を持ち寄り、それをお金に換えて、図書や教材費の足しにしようという趣旨です。古新聞誌を集めた量を競わせて、優勝したクラス全員にハワイ旅行、ではなく、校長から感謝状をもらえるのですね。今考えると、一体誰がそんなこと考えたんだろうと思いますが…。

 そして、なんと、その古新聞回収の責任者として、私にお鉢が回ってきたのでした。たんに当時、クラスの図書委員をしていて、古新聞と図書とがなんとなくイメージ的にマッチングするというだけの選定理由だったみたい。まぁ、古新聞も古書も、行き着く先は同じでしょうけど…。

 一応、責任者となった以上、優勝は無理としても、せめてビリにはなりたくない。

 しかし、クラスの誰も協力してくれなければ、最悪、一人で新聞を集めなければならなくなります。

 正直、ブルーになりましたよ。なんで中学生が、ちりがみ交換をしなければならないんだよう、と。

 そこで思い出したのが、小学校時代に読んだ豊臣秀吉の伝記です。伝記の中で秀吉は、当時信長の居城であった清洲城の石垣を非常な短期間で修復したのでした。理由は、秀吉がさまざまな方法を用いて職人たちのやる気を奮い起こさせたからです。

 実際私がクラスメートに試してみた方法も、不思議と見事に当たったんですよ。最初は苦戦したものの、結果的に古新聞回収コンクールに優勝できたわけですから。

 しかしカッコいいことを書きますと、その結果よりも、ずっと大きなものが得られたような気がしました。

 最初冷めていたクラスメートたちが、一人、二人と協力者が現れ、最後はクラス全員が一丸となって、ひとつの目標へ向かって頑張る一体感。そしてその共通する目標が達成されることの喜びときたら、人が感じる喜びの中で、もっとも大きいのではないでしょうか。

 以上は、「人をやる気にさせる法」についてのひとつの方法論です。それに関連して、もうひとつ大事なことがあると思うんですよ。

 先日、このブログで、司馬遼太郎の「この国のかたち」という本を読んだと書きました。

 私が、歴史上の「上司」として、もっとも尊敬するのは、「坂の上の雲」に登場する大山巌と東郷平八郎の両元帥だ、とも。

 その理由は、二人の「上司」としての人間的魅力です。

 能力のある部下に、大きな裁量を与え、重箱のすみをつつくようなことはしない。部下たちは何とかそれに応えようと頑張る。二人の顔に泥を塗るようなことはしたくない、二人を男にしたいと日夜努力を重ねるのですね。

 自分には、そんな魅力がないのはわかります。また、ないからこそ、強い憧れがある。

 私のまわりにもそういう魅力を備えたトップが、何人かいます。昨日会った、横浜の病院の院長先生も、そんな人間的魅力のカリスマ性を備えたトップのひとりですね。

 一度会った人が、なぜかその院長先生のために働きたい、お役に立ちたいという気にさせる雰囲気。でも、大山巌や東郷平八郎のような寡黙な威厳とは少し違います。人を惹きつける人たちには、根っこの部分で共通する何かが備わっている。

 司馬遼太郎は、その理由を、高貴な「虚」と位置づけています。

 明日からは、方法論と部下が自然についていきたくなるような上司の人間的魅力、その二つの面で、「人をやる気にさせる法」を考えてみたいと思います。

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会議で発言しなくても、積極的と思われる法

 今まで、長々と引っ張ってきました「会議で、印象よく自己主張できる法」。ついに抵抗むなしく、最終回をむかえることになりました。

 明日からはまた、ビジネスお役立ち情報の新シリーズをお送りさせていただきたいと思います。

 今日は、会議シリーズの最終回ということで、「会議で発言しなくても、積極的と思われる法」を中心に、アトランダムに書いていきます。

 それでは、途中から数えるのが面倒くさくなったので、覚えていない会議で好印象を与える自己表現術のその?、から行きましょう。

●会議室の椅子に腰掛けたとき、背筋をビンと伸ばした姿勢が、しっかり者のイメージを作る。

 多胡輝氏の「好印象を与える自己表現術」によると、背中を丸めた姿勢をとる人は、内省的、防衛的な傾向が強いそうです。つまり、人嫌いなタイプと見られるんですね。

 やはりビジネスマン、ビジネスウーマンともに、そういうふうに見られるというのは、仕事をしていく上において損なのは間違いありません。

 確かに会議のとき、背筋を伸ばして発言している人のほうを向くのは、前向きだと取られます。司会者から、「○○さん、何か、発言したいことあるの?」と聞かれるかもしれませんから、しっかり自分の意見をまとめておくのは鉄則ですね。

 あっ、そうか。そういうふうに、突然、意見を求められるから、皆、背中を丸くしてテーブルについているのかもしれない。消極的な見た目と、実際会議に消極的なのは、一致するわけなんですな。

 次は、上記と関連する自己表現術です。

●椅子に深々と掛けるより、浅く座ったほうが積極的な姿勢を感じさせることができる。

 これは、会社訪問の学生ならみんな経験があることがらではないでしょうか。面接のとき、面接官に向かって、椅子に深々と腰掛けるのは、なんとなく傲慢な印象を与える、…と、面接のノウハウ本に書いてあったのを覚えています。

 確かに、椅子に浅く腰掛けると、すぐ立ち上がることができる。次の行動をとりやすいということで、積極的に感じさせるのでしょう。若さも感じられますね。

 椅子の座り方だけで、会議で積極的なイメージを与えられるなら利用しない手はありません。

 背を伸ばし、椅子に浅く腰掛ける。…とくれば次はこれでしょう。 

●身を乗り出して聞くと、相手に強い関心を持っていることが伝えられる。

 テレビの野球中継やサッカー中継でも、試合が白熱し、強い興味を持ってくると、人は自然に身を乗り出します。その姿勢を見ただけで、周りの人は、彼が強い関心を抱いているというのがわかるんです。

 もし会議の場で、面白くない議題だからといって、身を引いて及び腰になっていると、それだけで仕事に消極的だと思われかねない。

 嫌でも、興味がなくても、そういうふうに心の中で思っているのかと、相手に勘ぐられたくなければ、身を乗り出して聞くふりをすることも一法です。

 さて、今まではどちらかというとネガティブな自己表現術でしたが、最後は、究極の積極性を表現する法を。ただし、これだけは発言が必要ですが…。

●会議やミーティングで発言するときは、立ち上がるだけでも話しに迫力を出すことができる。

 皆が座っている会議で、立ち上がる。そんな慣習がない会議だとそれだけでも参加者の印象に残るでしょうね。ここぞというとき、どうしても通したい案件があるとき、立ち上がって熱弁を振るうのは効きそうな気がします。

 ただ、この方法は皆がしらけてしまうと、ちょっとかっこ悪い。立ち上がって話すぐらいだから、話す中身もある程度、皆の注目を集めるものでなければならないでしょう。

 それに自信があるなら、今だ! という感じで、熱弁をふるってくださいね。

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会議で、評価を下げる立ち居振る舞いとは

 さて、会議ネタもいよいよ終わりに近づいてきました。でも、いつも土俵際、得俵に足がかかったまま、終わるまいと必死に抵抗を繰り返す。

 ここからが、故二子山親方(元大関貴ノ花)直伝の強靭な粘り腰。何を言ってるんじゃ~私は。

 それはともかく、会議で、できる自分をアピールする方法をアトランダムに上げていきたいと思います。少し、テンポを早め、サクサクいきましょう。

 …ということで、会議で好印象を与える自己表現術のその7。 

●相手の質問には、一呼吸おいてから答えると、思慮深く見える。

 これは、自分が発言した内容に対して、反論があった場合に効果的ではないでしょうか。かつて見たアメリカ映画、『評決』の中で、ポール・ニューマン扮する酔いどれ弁護士が、検事に反論されると、じっと黙って検事を見つめ、一呼吸おく。独特の理知的な額にしわを寄せ、「困ったことを言う人だ」というように青い目で見ながら考え込むんですよ。

 当然評決だから、一般人の陪審員が彼の表情をじっと見ている。説得力ある振る舞い。

 これが、検事の反論にすぐ飛び上がって、立て板に水のようにまくし立てていたら軽薄な印象は免れないでしょう。積極的に論戦に持ち込む法廷戦略もあるかもしれませんが、やはり重要事項は、じっくり考えてから反論した方がいい。

 いわゆる、間の取り方。落語でも、会話でも、間の取り方が大事。これがうまくいくと、確かに重厚で思慮深い印象を、人に与えることも可能ですね。

●自分の専門分野について話すときは、専門用語を使わないようにしたほうが好感を与えられる。

 これも結構、大事だと思いますよ。会議の出席者のなかに、議題に関連する専門家が一人でもいれば、当然、彼の意見は重要視それることは間違いありません。所詮、周りの人たちは皆、素人なんですから。尊敬の目で見られるかもしれませんね。

 ところがその専門家が、自分は専門家であるとの自意識が働いて、他の素人の出席者を軽んずるような振る舞いがあると、その立場は一転します。

「少しぐらい知ってるからって、態度がでかすぎる」というのは当然としても、「専門用語ばかり使って、言ってることが全然わからない」と思われたり、「わざと、わからないような言葉を使って、会議の方向を煙に巻こうとしている」なんて思われたりしたら、逆に素人からのしっぺ返しがあるかもしれません。

 ホントは専門家、そんな気持ちなど全然ない場合が結構ある。要は、専門家が常識だと思っていることが、素人には常識ではないというだけのことなのです。

 人間というのは、自分の知っていることぐらい誰でも知ってるはずだと思ってしまう生き物らしい。

 それでも、素人のひがみにあってはたまりません。やはり、会議の場では、出席者の誰でもわかる言葉で話すのが鉄則です。

 

●会議で、相手の話を熱心に聞いているふりをするには、メモをとるのもいい。

 以前、ビジネス教育の研修会社の講師として、定期的に講演を行ったことがあります。いざ参加者の前に立ち、講演を行っていると、わかるんですよ。ちゃんと真面目に聞いてくれているのかどうかが。

 前を向き、下を向いてレジュメに目を落としているように見えるんだけど、微動だにしない参加者がいる。完全に固まっちゃってる。

 目を開いたまま寝てるのか?

 どーせ、面白くないっすよ、オイラの話は…。と、腹をたて、当てて恥をかかせてやろうかと思うのですが、それもかわいそう。連日、午前様になるまで、残業があるんだって。研修にくるときぐらいゆったりした気持ちにつかりたい気持ちもわかる。

 ところで、さっきから熱心にメモを取っている若手の参加者。それだけでも前向きだなと感じられます。でもあとで聞いたら、予定していた参加者が急用で来れなくなり、メモだけ取ってきてくれと新入社員に頼んだのだとか。メモをしっかり取らないと怒られるのですと、泣きそうな顔で言っていました。

 しかし最後の質問コーナーで、目を開いて寝ていたと思った参加者から、鋭い質問が来たんですよ。ちゃんと聞いていなければ、できないような質問が…。

 完全に固まった状態で講義を聞くのが、彼のスタイルだったのでしょう。しかし、あれはどう見ても、寝ているとしか思えなかった。私じゃなければ、怒った講師もいたかもしれません。

 講義の聞き方もそうですが、会議へ参加する人たちに、こちらの取り組み姿勢の「見せ方」も大事だと思うんですよ。次回は、その辺りを中心にご紹介したいと思います。

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会議で、自分の発言に信頼感を与える法

 火曜日はいつも一日中外回り。ということで、今の時間にブログを書いてます。

 それにしても昨日みたいに大雨じゃなくてよかった。しかし今日のように蒸し暑いのもなんですな。日中、銀座の真ん中で、行き倒れの人を発見。気温はそれほど高くなくても、結構、体から水分は失われているのですね。こまめに水分補給とよく言われますから。

 ホント、体だけは大事にしてください。

 さて、いきなりですが、会議で好印象を与える自己表現術のその6から行きましょう。このブログが初めてのかたは、お手数ですが、前回、前々回とさかのぼってご覧いただければ幸いです。

●端数のある数字を使うと、話の信頼感を増す。

 会議の場では、たとえ使わなくても、資料を用意することで、信頼感を高めることができると言われます。

 …というのは、人がある決定をするとき、いかにそれに対する情報を集めたか、そしてその情報の出所は確かか、ということが重要になるからです。

 端数まできちんと出た数字を求めるためには、いい加減な仕事では求められません。しっかり資料を集め、分析しなければならない。当然、その出所も、確かなところでなければならないでしょう。また、その端数まで求められた理由も明らかにしなければならない。

 それだけの手間隙をかけて情報を集めたのだから、その話を信用してよいだろうと言うことになるのです。

 このあたりの心理は、チラシやパンフレットを作るときにも応用できます。宣伝用のチラシやパンフレットには、どうしても「私たちの町で、一番売れている!!」とか、「市内で一番安い! ○○屋の××商品」とか、いろいろ気合を入れた宣伝文句を書きたくなりますよね。

 売るほうにすごい気合が入っているのはわかるんだけど、意外と消費者は冷静。なぜかというと、こんな売り文句は、「こんにちは。今日は良いお天気ですね」みたいな挨拶言葉ぐらいにしか考えてないからです。

 中には、チラシを飾るロゴマークの一部だと思っているお客さんもいる。

「おぉぉぉぉぉぉぉぉ~。今日の『一番安い』っていう言葉のロゴ。なかなかいいデザインじゃん」なんて。

 最近の消費者様は、優秀ですからね。経験豊富だし、テレビで悪徳商法のニュースを見ているから、ちょっとやそっとの宣伝文句では振り向かない。

 こういう場合のチラシやパンフレットの対策としては、事実だけをストレートに伝えることに徹したほうがいい場合もあります。

 たとえば、ホントに市内で一番売れているなら、自分の店と他の店との売上げ比較の数字だけを載せる。また、ホントに市内で一番安いなら、その商品の価格と他店の値段比較をきっちりやる。もちろん、端数までしっかりと、ですね。

 真実の情報だけさらりと開示し、「お選びになる基準は、こちらでご提供させていただきます。あとはごゆっくり、比較ご検討ください」と、判断をお客様に委ねるのです。 

 宣伝文句のない厳格な数字だけ載せたチラシ、パンフレット。数字だけでは嘘をつきようがありません。小細工もできない。だからこそ、説得力が増すといっても良いんじゃないでしょうか。

 だけど、それでも消費者様の全てを振り向かせることはできないんですよ。

「なんで、そんな安いの? 商品に問題があるんじゃないの?」

 …と、勘ぐる人が必ずいます。そういう風にうがった見方で物事を考えるのは、以前にお話したかもしれませんが、インテリに多い。インテリというのは、地域のキーマン、あるいは口コミの発信元になっているケースが多いですからね。絶対、無視することはできません。

 インテリを説得する方法は、以前ブログに書きましたが、もう一度ご紹介しましょう。

●教育程度の高い人間は、説得者の意図する方向だけの説得よりも、その意図に反する情報を含めた説得によって、より動かされる。

 たとえば、インテリが納得できる商品の安い理由をこちらが提供しなければならない。それでもインテリは、「そんなにうまい話が世の中にあるわけがない」とデメリットを必死で探そうとする。
 そこで、「実は、ちょっとこの商品はワケありなんですと、説得者の意図に反する情報を含めて説得する」。

 こういう説得の仕方に、インテリは弱いんでしたね。

 あれっ? 最初は会議の話だったのに、どうしてここまで脱線してしまったんだろ。

 すいません。次回も会議で好印象を与える自己表現法は続きます。 

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会議で、ゴーマンに見せず相手を説得する法

 こんにちは。土日をはさみ、2日ぶりのブログです。

 この2日間で、司馬遼太郎の「この国のかたち」という本を読みました。司馬氏の著作のに関して、以前から質問したいと思っていたことに、氏本人がやさしく答えてくれるような内容の本でした。

 私が、歴史上の「上司」として、もっとも尊敬するのは、「坂の上の雲」に登場する大山巌と東郷平八郎の両元帥です。

 この本を読んだサラリーマンの誰もが、二人の下で働きたいと思うのではないでしょうか。と言うのは、この二人は、部下がもっとも能力発揮しやすい管理手法を取ってくれるからです。

 いや、管理手法というより、もとから二人に備わった人間的魅力なのかもしれませんね。

 能力のある部下に、大きな裁量を与え、重箱のすみをつつくようなことはしない。部下たちは何とかそれに応えようと頑張る。二人の顔に泥を塗るようなことはしたくない、二人を男にしたいと日夜努力を重ねるのです。

 二人の出身地は、鹿児島の同じ町内。西郷隆盛は、子供の頃から彼らの面倒を見ていたそうです。言うまでもなく、西郷の人間的魅力も幼少時から備わったものでした。

 なぜ、こんな小さな町から、同じタイプの人間的魅力を備えた英雄が誕生したのか。

 司馬氏は、鹿児島に古くから伝わる風習が、それを生んだと位置づけています。すごく説得力がありますね。この辺りのことは、いずれブログでご紹介するつもりです。

 

 ところで前回は、太閤秀吉の例など出して、多少話が堅苦しくなりました。

 日本史が好きだから、何でも今みたいに昔の有名人に置き換えて考えたくなるんですね。とくに天守閣や石垣などを持った城が大量に作られる安土桃山から江戸時代初期の大名に関しては、オタクなみに詳しい。

 その当時は、戦国時代から3人の英雄によって、平和な時代へ移行しようという大変革期。ちょっとの仕事の失敗や失言でも、すぐ首と胴が離れる時代です。それだけ、人と人との関係を、日夜、突き詰めて考えざるをえなくなる。

 私だって、あと20年早く生まれていたら、確実に戦争へ行かされてました。

 大学時代のアルバイト先の社長が、戦時中、マレーシア戦線で生き残った人で、顔を合わすたびに、「君らの年代で戦争へ行ったら、みんな鉄砲の弾除けだよ」って言ってましたから。確かに、そうだったのでしょう。

 吉野家の牛丼弁当を食べながら、アルバイト学生が車座になって、その社長の戦争の話に聞き入りました。ちなみに、アルバイトって、ビルの清掃です。社長といっても、作業服を着た現場監督みたいなもの。そういえばここ数年、戦争へ行ったという昔話をする人がまわりに一人もいなくなってしまった。

 今はどんなに仕事で失敗しても、普通の会社なら命までは取られません。思えば、そういう幸せな時代に生まれたことだけでも、喜んでいいのかもと考えるのです。

 それはともかく、会議の話の続きです。

  今日は、会議で話すとき、ちょっと気をつけるだけで相手に好印象を与え、なおかつ密かに上司にアピールする秘訣をご紹介しましょう。

 題して、会議で好印象を与える自己表現術のその5。

●自分の話に説得力を持たせるためには、ことわざや格言を引用して言いたいことを補強すると効果があり、かつ傲慢に見えない。

 人生経験の少ない若者なのに、自分で考えた教訓じみた言葉を、教え諭すような感じで話すと、彼の年上の人たちは皆、カチンと来ますよね。

 しかし、人生経験の少ない若者の言葉だからカチンと来る訳ではないのです。年上に対して説教しようとする態度にカチンと来る。日頃の行いが悪いのか、私もたまに、酒癖の悪い後輩につかまって説教されることがあります。完全に目が据わっていて怖いので、仕方なく、大人しく聞く羽目になる。

 確かに、頭にきますね。

 そんなこと、お前に言われる筋合いはない!!!と、叫び、目を覚ませぇぇぇぇぇ~と、彼の頭に水をかけたくなる。

 でも、よく聞くと、彼の言うことにも一理ある。わかるけど、酔っ払いに説教されて、次の日から、「はい、そうですか」と変えられるわけもない。絶対、変えてやるもんかと思う。

 それはやはり、人の振り見て我が振り直さない人間の言うことなど聞けるかという気持ちもあるでしょうが、彼が後輩ということが一番の理由でしょう。

 しかし、できる人間は、年上の相手を説得したいとき、自分の言葉ではなく、ことわざや名言、格言を利用して、主張したいことをうまくオブラートに包んで言うんですな。

 誰でも、青二才の言うことは耳を傾けなくても、常識として知れ渡っていることわざや名言・格言に反することはしたくない。会議の席でこれらを引用して、自分の言いたいことを補強すれば、発言者の個人的な意見が、歴史上の偉人や名経営者が彼の意見に賛同しているような気分にさせることも可能です。

 そういえば、交渉上手で知られる外国の元首や外交官は、ことわざや世界各国の名言や格言を絡め、実にうまく交渉するそうです。

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会議で、好印象を与える自己表現法

 昨日は、好印象を与える自己表現術として、主に以下の2点についてご紹介しました。

○「あなたの話で思いついた」と、相手の話に関連させると、意見が受け入れられやすくなる。

○会議の発表のときの意見具申は、上の人間に教えを請う形ですると、生意気に聞こえない。

 これらと関連するものとして、以下のフレーズも追加させてください。

●企画や提案は、100%完成させず、上役の意見を聞く余地を残しておく。

 はじめに申しておきますが、これは全てのケースに当てはまるわけではありません。本来、一人前の社会人なら、企画や提案は自分で全て考え、プレゼンテーションしてもなんら問題はない。…と、いうより当然でしょう。また企業として、それぐらいの能力を持った社員がいなければお話にならないのも事実です。

 しかし、自分より優れた企画や提案が、部下の個人的な能力によってのみもたらされたということに、上司はどういう気持ちを持つでしょうか。

 客観的に見て、これは素直に喜んでいいことに決まってます。たとえホントは違っても、すぐれた部下を自分は育てたのだと思えば、表立ってそれに異を唱える人はいないはず。一応部下なんですから、多少の薫陶は目に見えない形でも、与えている可能性がある。

 でも、そう思わない上司って、結構多いかも。とくに大企業で、最先端の経営理論を勉強している上司ほど、部下が100%ひとりで作り上げた企画や提案にケチをつけそうです。本当にケチをつけねばならない企画や提案も数多くあるのでしょうけど…。

 これが、自分の会社とは関係ない赤の他人だったら、素直に受け入れられるんですよ。

「○りえもんみたいに、旧来の価値観を変えるようなバイタリティのある若手って、うちの会社にはいないよな」

 なんて、嘆いている中高年中間管理職は、結構いるらしいですが、ホントに部下にいたらどうなんでしょうねぇ。

「こいつの企画や提案が全て通ったら、大変なことになるぞ。いくら企画は良くても、あいつに権限を与えたら大変なことになる。俺たちは真っ先にリストラじゃ」と大騒ぎになって、どこぞの野球連盟みたいに、シャットアウトせざるをえなくなる。 

 これは少し極端な例かもしれませんが、能力のある部下が、自分ひとりで作った企画、提案に対して、諸手をあげて喜べないムードが一部の組織の中にあることは間違いありません。

 そこで、企画や提案を支障なく通したいと思ったら、それを100%完成させず、上役の意見を聞く余地を残しておく。

 これは、おべっかとも考えられますが、このような手を使って出世をした人が、日本の歴史の中にいますね。史上最大の出世をしたと言っていい、太閤秀吉です。

 ご存知のように秀吉は、草履取りから身を起こし、上司といっていい織田信長に気に入られ出世街道を邁進します。そして、毛利攻めの司令長官に任命される。まだ羽柴秀吉と言っていた時代です。

 秀吉は苦労しながらも、諜略を繰り返して味方を増やし、一歩一歩、毛利を追い詰めていきます。そして、自分だけの軍勢でも毛利と互角に戦えるところまでくる。ここで秀吉が、自分の軍勢だけで毛利を滅亡に追い込めば、すごい功名を立てることになるでしょう。

 秀吉は、自分だけでもある程度戦えるという自信はあったと思いますよ。でも、上司の信長に援軍を要請します。

「大毛利は、とても猿風情が戦えるような相手ではございません。是非、信長様自らの出馬をお願いいたしたく…」と、平身低頭して、秀吉は信長の出馬を懇願します。

 功名を100%完成させず、信長の意見を聞く余地を残しておいたのです。この辺の人間の機微の読み方はさすがですね。普通なら、絶対自分のところの軍勢だけで勝ちたいと思うのが人情です。

 信長は、当然、秀吉の考えはわかっていたのでしょう。しかし、怒れない。

「いつまで経っても、俺が出て行かなければ戦を終わらせられないのか」と苦笑したかもしれません。しかし、気分は悪くなかったのでしょうね。すぐ明智光秀を、秀吉の応援に向かわせ、自らも安土城を出て中国へ向かうべく、京都の本能寺へ入る。そのあとは、皆さんご存知の通り。

 能力に見合った仕事なら、一人ですべて完成させないと、「何だ。こんなことも一人でできないのか」と怒られる。

 周りの誰が見ても、できそうにない仕事をひとりで全てこなしていまうのは、気持ちのいいものです。若い頃、そう度々ではありませんでしたが、何回かありました。支店全体の目標を一人で全部やってしまうみたいな。

 当然、それだけ仕事をすればほめられます。全部自分がやったんだと肩で風切って歩きたくなる。

 しかし、それも一瞬。仕事ができるということは、確かに認める。だけど人間としては、ひとり突出して喜んでいる者は認めない。

 この論理を、もちろん面と向かって言う人は誰もいないでしょう。本人すら気づいていない場合が多いのですから。だけど、なんとなく面白くない。いけ好かないという気持ちだけが残る。そして、それがどんどん積み重ねられていくのですね。

 こういう人間関係のからくりを、太閤秀吉は知っていたのですね。いくら「人たらしの秀吉」と言われるぐらい人間関係に造詣が深くても、400年以上前の人ですよ。

 そんな昔の人に、いまさらながら教えられるというのは、人間は進歩したなんて、勝手に思っておきながら、実際は少しも進歩していないことに驚かされるのです。

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