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子どもの成績をあげる法

  こんにちは。

 昨日の夜は久しぶりに、懇意にさせていただいている、病院の院長先生や医療法人の理事さんたちから、六本木のお寿司屋さんでごちそうになりました。

 味自慢の老舗のお寿司屋さんですから、おいしいのなんの。

 松屋や吉野家を中心に、ファストフードばっかりの私としては、涙をこらえつつ、その味を堪能しました。

 ところで私を除けば、お三方は、職員数百人を越える組織のリーダーです。

 さぞ、シリアスな極秘会談が行われたと思いきや…

 そんなこと全然なくて、終始一貫して冗談ばかり。

 それも、わははは、ではなく、ぎゃはっはっはっは~ という感じで。

 それぞれ、ジョークのセンスにかけては一歩もひかないと自負していますから、次々と争って面白いことを言い、最後は笑いすぎてあごが外れそうになりました。

 …いまだにあごの骨が痛い。

 それにしても、本当に偉い方というのは、気取らず、愛想がよく、ユーモアのセンスが抜群で、思いやりがあって、謙虚で、腰が低いですね。少しほめすぎかな~。

 とくに院長先生は、学会の要職にありながら、テレビで病気のコメンテイターも勤められる有名人です。

「実るほど頭をたれる稲穂かな」というフレーズがぴったり当てはまる人ですね。

 人徳というのは、とても重たいものですから、たくさん持っている人はその重さで、腰が低く謙虚になってゆくのかなと感じました。

 昨日依頼されたお仕事も、しっかり頑張らねば。

 さて、ここからが今日の本題。

私のブログの読者の方には、お子さんをお持ちの方も大勢いらっしゃると思います。

また将来、お子さんをお持ちになる予定の方も。

私がいつも引用させていただいている、多胡輝氏の心理学シリーズの中に、「子どもの成績がよくなかったとき、反省して発奮させる方法」みたいな部分があるんですよ。

確かに仰るとおりと思われるので、ご紹介しましょうか。

昨日の「人を発奮させる法」とも大いに関係するところですので。

さて、ここで問題。

もしあなたが、自分の子どもの通信簿が、前の学期よりも悪かったとき、子どもに対してどんな態度をとるでしょうか。

やはり普通の親は、子ども可愛さのあまり叱るでしょうね。

「勉強しなさいと言っているのに、いつも遅くまでテレビゲームばっかりやっているからこんなことになるのよ。もうテレビゲームは当分禁止。来学期、成績があがるまで預かっておきます」

 こういう叱り方をする親は、結構多いのではないかと思います。

 でもねぇ。テレビゲームがなくなったからといって、今の時代、子どもは遊ぶツールには全然困らない。

 漫画はあるし、携帯用のゲームもあるし、ネットだってできるし…。

 果たして子どもたちは、親の期待通り、発奮してよい成績をとれるかどうかビミョーなところ。無理かもしれないですよ。

 だって、親の世代になっている私たちが昔そうだったのだから…。

 ここで昨日書きました「人を発奮させる法」が生きてくるわけです。

 もう一度書きますと…

● 人は、予期した結果が満たされると、それまでの行動パターンを変更する必要がないと思い込む。

こんなときは、なるべく無関心を装い、通信簿などどうでもいいのだといった態度をとるといいのだそうです。

つまり、「きっと怒られるに違いない」という、子どもの期待をわざと裏切るわけ。

すると子どもは、予期しない意外な親の反応に、すっかり動揺し、「今度こそ、いい成績をとるぞ」という気持ちにかられるのだとか。

これは、人は期待を満たされると安心感を得て、それまでの行動パターンを変更する必要がないと思い込む習性の裏をかいたトリックと言えますね。

…ということは、これまでいい成績をあげられなかった子どもに対して、子どもが期待するとおりに叱っていたってこと。

子どもは叱られたということで、すっかり安心してしまう。

叱られたという事実で、すべての成績の悪さは償われて、今後も今までどおりの行動パターンを繰り返す。

だから子どもたちの「期待」を裏切り、怒りや興奮をうまくやる気に転化すべきと言うわけですね。

このやり方をうまく使うのは、プロ野球やサッカーなどの強いチームを率いる監督だと言います。

たとえばプロ野球の試合。

ピンチで、なんでもないゴロをトンネルしてやらなくてもいい得点を相手に与えてしまった若手内野手。また絶好のチャンスに、長いスランプで前の回にゲッツーを食らってしまった打者。

我々観客は、「野手を変えろ~」「ビンチヒッターを出せ」と思う。

しかし、監督は腰を上げない。エラーやゲッツーを食らった選手に、よしよしと頷くのみ。

昨日優勝した阪神の岡田監督も、気の長いことで知られていますね。

選手から見たら、当然、変えられると思ったのに変えられない。

いわゆる、いい意味で期待を裏切られる。

こんなとき選手は、期待を裏切られた「怒り」から、次の機会にはファインプレーやヒットを打ち、自信を取り戻すことがあるのです。

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人を発奮させる法

 こんにちは。

 なんか最近急に涼しくなりましたね。

 昨日は寝ていて寒いほどでした。

 つい、一週間前までは、扇風機をブンブンまわして寝ていたのに…。

 ちょうど今が、晩夏から秋にかけての体感上の転換点なのでしょうか。

 他の方のブログを拝見していても、体調が悪い、のどが痛い、寒気がするという記事が多くなってきているようですね。

 時節柄、くれぐれもお体にお気をつけください。

 …と、他人事のように言っておきながら、私も昨日のハードワークが応えたのか、朝からずっと体がだるいのです。

 なにせ、昨日は約束の時間に遅れそうになり、東京丸の内のお堀っ傍を全力疾走。

 皇居のまわりを走るランナー数人を、スーツでカバンをぶらさげた状態で追い抜きましたから。

 テレビの撮影でもあるのかと振り返っていた人も何人かいたようです。

 確かにテレビドラマでは、刑事がスーツ姿で走っている光景をよく目にしますね。

 でも、とても刑事には見えないだろうなぁ。

 逃げる犯人役? (←ほっとけ!!) 

 さておとといの記事は、のちに三洋電機の副社長になられた後藤清一氏が、松下氏のもとで工場長を勤めていたとき、失火のため工場を全焼させてしまったという話まででした。

今日はその続きです。

工場の責任者ということで、当然後藤氏は、クビかよくても左遷を覚悟しました。後藤氏が肩を落とし、恐る恐る松下幸之助社長に報告に行きます。

報告を受けた松下社長の言葉は次の一言だけだったとか。

「まぁ、頑張ってくれや」

昨日も書きましたように、決して当時の松下社長は、やさしい経営者ではなかった。電話のかけ方一つでも厳しく叱責する人だったそうです。

だけど工場を焼いてしまったという当然、厳しく叱責されるべき状況下では何も言わない。

この火事の一件があってから、後藤氏の松下社長に対する忠誠心はますます高まったそうです。

普通なら逆ですよね。小さなミスを叱らず、大きなミスに対しては厳重な態度で臨む。

 このあたりが「経営の神様」と言われた松下社長の人遣いのうまさの秘訣らしい。

 この小さなミスを叱って、大きなミスを叱らないというやり方は、うまい叱り方の手本とも言えますね。

 ここで、多胡輝氏の心理学シリーズには、以下のフレーズがあります。

● 部下の忠誠度を高めるには、小さなミスを叱って大きなミスをわざと無視する。

本には、小さなミスは、本人が、気がつかない場合が多いので、指摘してやる必要がある。

しかし大きなミスは、本人がいやおうなく自覚して反省しているのだから、厳しく叱る必要がない。

確かに大きなミスをしてしょげかえっているところに、追い討ちをかけるようにして叱れば、溺れている人の頭をピコピコハンマーで殴るようなもの。

またやる気をなくすばかりか、そんな薄情な上司をうらむことにもなりかねない。

ふだん口うるさい上司が、大きなミスを叱らなければ、そこに「思いやり」を感じるでしょうね。それが忠誠心へと転化する。

さすが、松下幸之助氏と、ますます尊敬が深まりました。

さて、この方法は、人を発奮させる場合にも応用できるらしいのです。

大きなミスを犯したときって、当然、そのミスに比例して、叱責の度合いが高まるって思いますよね。

そしてその期待通り怒られる。

すると人は、期待を満たされると安心してしまうらしいのです。

この点につき、またしても多胡輝氏の心理学シリーズから引用させていただくと…

● 人は、予期した結果が満たされると、それまでの行動パターンを変更する必要がないと思い込む。

もしこの期待が報われないと、人は、怒りや興奮で、俄然反抗的になるそうです。

だから、子どもや部下が期待通りの成果をあげたとき、彼らの期待通りにほめられないと、ふてくされてしまう。

子どもが一生懸命頑張って努力しても、その努力を親や周りが認めてあげなかったことで不良に走る子どもがたくさんいると聞きました。

以前ブログにも書きましたが、やっぱり人は、ほめられるようなすごいことをしたときは、ほめられなければダメになってしまうのですね。

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部下がついていきたくなる上司になる法

 こんにちは。

 連休中、間が空いてしまいました。今日は4日ぶりの更新になるのでしょうか。

 実は「愛・地球博」へ行きました。

 …といいたいところですが、そうじゃなく、ほとんど外出しませんでした。

 土曜と日曜は、台風の影響もありましたから、主に自宅で事務整理です。

 ちょうど来月は決算の準備をしなければならないので、早めに手を付けられて良かったのですけど。

 それにしても、「愛・地球博」。

 行きたかったですねぇ。

 閉会の様子をテレビで見ていたのですが、中盤以降の来場者数がすごかったとか。

 人気パビリオンは8時間待ちですか?

 朝9時から並び始めて、入れるのが夕方の5時ってこと? 

 整理券を配っているのかもしれませんが、信じられませんよね。

 子供の頃、大阪万博へ行ったことがありますが、そのときは人の数がすごかったという記憶だけ残っています。

 確か、覚えているのは、リコー館。円筒形のパビリオンの外壁面に、絵だかイラストだかが幻灯機(もはや死語?)みたいに映し出されるだけ。

 それを見るだけに炎天下、2時間近く並んだのですが、見れた時間は10分も無かったのでは。

 しかもパビリオンの中に入るのに、もう2時間待ちと言われたときは、子供ながら卒倒しそうになりました。

 あとは、日帰りだったので、アフリカやアジアの小さな国のパビリオンをいくつか回っただけ。

 それでも、大阪万博へ行ったんだという輝かしい記憶だけはいつまでも残っています。

 やはり、歴史的なイベントに立ち会うだけでも、人生のターニングポイントになるのかもしれません。

 だから、あれだけ混むのもよくわかります。

 さて、ずっと離れていましたビジネスネタ。

 もう半分忘れかけていましたが、「人をやる気にさせる法」シリーズを再開させていただきます。

 ところで、人間にいろいろ性格があるのと同じように、上司にもいろいろなタイプがありますよね。

 どういう上司を希望しますか?というアンケートをもしやったとしたら、たぶん、「ついて行きたくなる上司」という答えも多いのではないかと思います。

 そういえば、有名人でいったらどんな上司を望みますか?なんて企画もよくテレビや新聞に出ていましたっけ。

 「好ましい上司」の常連となる有名人は、詳しくは覚えていないのですが、おそらく長嶋茂雄氏、星野仙一氏、北野武氏なんかが上位に来るのではないかと思います。  

 そういえば、上記の3人は皆、監督と呼ばれていますね。野球選手や俳優といった一癖もふた癖もある人たちをうまく使って結果を出さなければいけない。

 しかも結果がすぐ形となって現れる。自分のストレスもたまるだろうし、中途半端な管理手法では通用しないのでしょう。その理由もわかるような気がします。

 さて、この「好ましい上司」に、見るからにやさしそうな人が入っているケースが少ないことがいつも気になります。

 星野元監督の鉄拳は有名な話だし、北野氏だって決してやさしくないと思いますよ。長嶋終身監督だって、昔は部下に対して怖かったそうです。

 上司のやさしさ。それ自体はマイナスだとは思わないですし、熱烈なファンがいることは間違いないのですが、意外と人気がない。

 もちろん、いつも厳しい上司が垣間見せるやさしさとは違います。常に、終始一貫してやさしい上司の話。

 やさしい上司と相反するものが、ついて行きたくなる上司にはあるのかもしれません。

 そのついて行きたくなる上司の魅力とは何なのか。

 私にはちょっと難しすぎる問題ですねぇ。自分には、そういった崇高な資質がこれっぽっちもないようだから…。

 でも話が前に進まなくなるので、いちおー考えてみると、いざというときの頼りがい。上司を目標として自分を高めて行きたい前向きな気持ち。

 やさしさだけでは自分がだめになってしまうのではないかという部下の危機感などが思いつきます。

 ついて行きたくなる上司の個人的な魅力が必要なのはもちろんですけどね。

 それ以上考えていくと、ちょっと哲学的な抽象の世界へ迷い込んでしまいそうなので、この辺で名誉ある撤退といきましょう。

 私が今できるのは、部下が上司について行きたいと感じるときはどんなときか、を考えること。

 とても自分では思いつかないので、また先人の知恵を拝借するしかないですな。

 何度も引用させていただきます、「経営の神様」松下幸之助氏のエピソード。

 のちに三洋電機の副社長になられた後藤清一氏が、松下氏のもとで工場長を勤めていたとき、失火のため工場を全焼させてしまったそうです。

 当時の松下電器は今と違って、まだ巨大企業と言える存在ではありませんでした。当然、会社の存続を揺るがすような大損害。

 松下幸之助氏と後藤清一氏のエピソードは、以前、ご紹介しましたね。幸之助氏は、晩年の温厚なイメージと違って、若い頃はものすごく怖かったそうです。

 怒ると部下の前で、持っていたストーブの火かき棒が折れ曲がるぐらい床を叩いて叱ったとか。

 あまりの剣幕のものすごさに失神しそうになったと後藤氏は自著の中で記しています。

 また電話のかけ方ひとつでも、厳しい叱責を日々受けていたとか。

 そんな状況で、工場ひとつ全焼させてしまった。

 さて、幸之助社長が後藤清一氏に対してどんな対応をしたのか。

 あとでその幸之助社長の対応で、後藤氏はさらなる忠誠心を深めたと言われています。

 それは次回。

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近代日本を作ったほめ上手の秀才

 こんにちは。

 明日からまたしても3連休っすか。

 いいなぁ、サラリーマンは…。

 …と、ぶつぶつつぶやきながら、昼休みに食事に出かけました。

 最近、おいしい和食を食べさせてくれる店を見つけたのですよ。

 その店では、それだけしか注文しないお気に入りのメニュー。

 ザ・さんま定食です。ちなみに、700円。

 脂がのってふっくらとしたさんまで、焼き加減がまた最高。じゅーじゅー皮が音を立てている状態で目の前に出てくるのです。

 私の食べ方は、醤油をかけない。魚本来がもっている旨みをじっくり味わいながら大根おろしとともに食べるのが好きですな。

 しかも、内臓のまわりについている小骨も全部食べる。たまにのどに刺さりそうになりますが、かまわず食べる。頭と背骨は、周りの人が見て、いじきたね~と思うだろうから食べない。

 でも背骨もよく噛めば食べられるかもしれないぞ、と思うことがよくあります。試したことはありませんけど。

 だから私が食べたあとのさんまは、そのまま小骨抜きの骨格標本が作れるような状態。

 それにしても、最近、魚の食べ方の下手な人って多いですね。内臓どころか、小骨のあるお腹の部分を全部残してしまう人が多い。

 カルシウムとビタミンが一番豊富な部分なのにね。

 …と、食堂のカウンターに腰掛け、まわりで魚を食べるのが下手な人たちをせせら笑っている私でした。

 本当は、優越感を味わいたいだけだったりして。

 だって仕方ないですよ。ほかに自慢するものがないですからぁぁぁぁぁぁぁ~残念! (いかん、また流行遅れの波田陽区をやってしまった)

 それはともかく、先日やっと、司馬遼太郎の「この国のかたち」全6冊を読み終わりました。

 それを記念し、今日は予定を変更してお送りしようと思います。そういえば今までも、「上司の魅力とテゲの関係」や「戦争について考える」などいくつかブログで紹介させていただきましたね。

 司馬氏の歴史小説の魅力のエッセンスをわかりやすく解説してくれている本だと思います。

 それで今回、私が目に止まった箇所は、吉田松陰について書かれている第五巻です。司馬氏の作品でいったら、『世に棲む日日』ですね。

 吉田松陰は、皆さんご存知の通り、萩の私塾である松下村塾の先生。実際、そこで教えたのはわずか3年足らず。

 私はかつて山口県の萩市へ行って、松下村塾の建物を見たことがあります。確か、八畳二間と三畳間だけの小屋だったと記憶しています。

 まだ見たことのない人は、東京世田谷区の松陰神社の境内に、同じ大きさの松下村塾の建物が復元されていますので、お暇なときにご覧ください。あまりの素朴さに驚きますよ。

 そんな普通の寺子屋みたいなところから、高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎といった長州革命派の名だたる人材を輩出した。

 こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、場所は萩という地方都市、しかも施設は普通の小屋。一見、どこにでもある寺子屋のような風情。

 どこが違っていたのかというと、やはり先生である吉田松陰の人格によるもの以外考えられないでしょう。

 吉田松陰といういかめしい名前から、ひげを生やした貫禄十分の中高年をイメージするかもしれませんが、実際教師として、子供たちを教えたときの年齢は、二十代の後半でした。

子供というのは、お兄ちゃんぐらいの年齢の先生が好きらしい。しかも長州藩きっての大秀才。

 松陰は、子供たちにとって明るいお兄ちゃんのような立場だったと司馬氏は書いています。松陰の人間的魅力と指導方針が多感な子供たちにプラスに作用し、優れた人材に育っていったらしい。

 武士の子供に対しても、魚屋の子供に対しても、同じ態度で接する。そして誰に対してもおそろしいばかりに優しい。それに師匠面をしない先生だったといいます。

 司馬氏も書いていますが、それ以上に松陰の指導法の特徴が、人材を大きく育てた一番の要因だったと思います。

 それは何か。

 私のブログでもさんざん取り上げてきましたから、何だまたかよ、しつこいなと思われるかもしれません。でも、ホントに司馬氏も、田舎の小僧たちが、天下を背負って立つような人材に育った要因と認めてくれているようなのです。

 それは、子供たちをほめること。

 司馬氏の本によると、そのほめ方は尋常ではない。

 たとえば久坂玄瑞。もともと優秀な子供だったらしいのですが、それにしても、「久坂玄瑞は、防長年少第一流の人物にして、もとより天下の英才なり」とほめる。(防長というのは、今の山口県のことです)

 その後本当に、そうなっていくのですが、当時は無名の年少者。その子供を、古典の中の大人物のように評価する。自分の尊敬する先生に、そうまで言われれば、よしやってやろうという気分になりますよね。

 松陰は、自分の生徒たちの長所をじつに的確に引き出してきて、それを天下一とか、防長一といって、途方もなく拡大して感奮させるところがあった。

 萩という地方都市の郊外の小さな私塾から、第一級の人物が次々と排出されたのは当然のような気がしますね。

 だって、誰もが長州藩始まって以来の大秀才と言われるお兄ちゃんから、天下一だの、防長一だのとほめられるんですから。

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青梅雪女伝説と地球温暖化の関係

 こんばんは。

 今日もまた日中外出していたので、夜に更新させていただきます。

 さて、今日は、世にも恐ろしい怪談「雪女」の話題。

心臓が弱い方、それから怖い話を聞くと夜、一人でトイレに行けない方は、この先はお読みにならないことをお勧めします。

 …なんて。

面白いかどうかわかりませんが、決して怖くはありませんからご安心を。

 ところで昨日も少し触れましたが、なんとあの雪女の怪談の舞台が青梅市だって、みなさん知っていましたか?

 どう考えても、舞台は雪深い江戸時代の山村だって思いますよね。青梅市は、一応丘陵地帯にありますけど、東京都。

雪だってそれほど降らない。

 それなのになぜ、「雪女」の舞台になったのか。

 その前に、そのことを知ったのは、青梅市の昭和レトロ商品博物館へ行ったからでした。

 この博物館。市内の中心部を貫く旧青梅街道沿いにあり、となりは青梅赤塚不二夫会館です。この付近は映画看板の街並みで、青梅の一押しの観光スポットになっています。

 おととい写真をアップしましたが、建物はおそらく古い商家を利用したものでしょう。

 一階には、昭和のはじめから中期に売られていた薬、駄菓子、コカコーラの缶や瓶、文房具、食品のパッケージが展示されています。

 当時のカルピスの瓶や牛乳入れの木箱、大塚のボンカレー、文房具など実際自分で使った記憶のある商品が懐かしい。

 とくに、私が小学校当時使っていた、セルロイドの筆箱、ぺんてるのクレパス、風車のイラストの入ったギターペイントの絵の具は何十年ぶりの再会でした。

 おもちゃでは、シルバー仮面やミラーマンの人形が印象に残っています。

 先日、中野のおもちゃのプレミアムショップで見たように、今買ったら、結構値段が張るのでしょうね。

 それはともかく、私が青梅の「雪女」伝説を知ったのは、博物館の2階です。

靴を脱ぎ、木製の狭い階段を上ると、8畳間をふたつ繋げたようなスペースがありました。

昔は和室だったのでしょうね。

 壁には、学園祭の文化部の発表のような手作りの展示スペース。新聞やワープロで書かれた紙がペタペタと貼ってあります。

 そこには、「雪女の伝説の舞台は青梅だった」という衝撃的なコピーが…。

 よく説明を読むと確かに、その理由が納得できるのです。

 雪女の伝説を「怪談」の中にまとめたのは、ご存知のように小泉八雲ですね。

その「怪談」の英文の序文の中に、雪女の伝説の由来を説明した箇所があるらしいのです。

それは、武蔵の国、西多摩郡調布の百姓が、自分の生まれた村に伝わる古い言い伝えとして雪女の話を語ったという箇所。

江戸時代の西多摩郡調布は、現在の青梅市内に当たるそうです。

でも、ちょっと違和感がありますよね。

青梅は東京都ですよ。それほど雪が深いとは思えない。

しかし次の説明を聞くと納得できるはず。

300年前の江戸時代の青梅一帯の積雪量の記録が残っているらしい。

それによると、当時の青梅は、冬、1メートル以上の積雪があったとか。そして多摩川も何箇所か凍結するところもあったそうです。

雪女の怪談には、凍結した川の渡し場が舞台になっているシーンもある。

その場所を予測した、現在の多摩川の地図が壁に貼ってありました。

江戸時代は現代よりずっと寒かったわけですね。

それよりずっと後の昭和の時代も今の平成より寒かったという記憶があります。その流れが今も続いているのでしょうか。

これってもしかして地球温暖化の影響?

私は環境問題に関してはまったくの素人ですが、雪女伝説が地球温暖化の影響を受けて伝わっているとしたら面白いですね。

是非、誰か詳しい方がいましたら教えてください。

それにしても、東京が雪女伝説の舞台だったなんて…。

決して、東北の雪深い田舎のお話ではないのですね。

もしかして今年の冬、大雪が降ったら、あなたは都心で雪女に出会うかも…。

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2005 青梅 多摩川の河原

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昭和の街 青梅をゆく…のだ。

 こんにちは。

 昨日は日記を書いている途中で眠くなり、尻切れトンボで終ってしまいました。

 今日はその続きの青梅の話題をお届けしたいと思います。

 昨日の日記で、いい忘れたことがあるのですよ。

 それは突然青梅に出かけた理由。

 テレビで昭和の街、青梅のことを見たのがその理由ですが、青梅・五日市線でウォーキングキャンペーンをやっていたのが一番の理由です。

 それを知ったのは、青梅・五日市線沿線のウォーキングマップを駅で無料で配っていたから。その中に沿線のお店や施設で利用できるクーポン券が入っていました。

 ただで沿線のウォーキングコースの入ったマップをもらえるほかに特典があるなんてこれは絶対行ってみるべきですよね。

 ちなみに、キャンペーンは11月30日までですから、まだ利用できますよ。

 そのクーポン券をまず使ったのが、青梅駅のホームにある立ち食いそば屋。

 生卵が1個、サービスされるのです。

 おでんそばを注文したのですが、中に入っていたおでんは、おそ松くんに出てくるちび太の持っているおでんと同じ。

 そういえば青梅には、赤塚不二夫の記念館があります。どういう関係かわかりませんが、町中に天才バカボンやおそ松くんなどのキャラクターのポスターが貼ってある。

 しかも青梅駅の電車の発車メロディは、「ひみつのアッコちゃん」の主題歌。

 そうですよね。天才バカボンの主題歌だったら、ホームでずっこける人が頻出しますから。

 ところでバカボンのネーミング。

 先日、サザン特集でお送りしたヒットするネーミングにこれまたぴったり合う。

 ● 必ず母音のAからはじめよ

 ● 必ず濁音か、破裂音を入れよ


 ● 必ず最後はN(ん)で終えよ

 …でしたね。

 やはりこれだけ長く愛されるのには、ネーミングの魅力もあるのかもしれません。

 さて、昨日、昭和の景観という点で、青梅と秩父には違いがあると述べました。

 秩父には、青梅以上にノスタルジックな景観が数多く残っていると…。

 どちらの街も古い風情のある建物が数多く残っています。

 昭和の時代によく見かけた古い商店や民家が残っているという点では、どちらも同じ。

 だけど、秩父の方がそのまま昭和にタイムスリップしたような気分になる。

 その違いはどこか、ということでした。

 結論から言うと、その違いの第一は、道路だと思うのです。

 青梅は、完璧に舗装されすぎ。しかも、中心地は、洒落た赤レンガの小道が続いているのですよ。

 下だけ見ると、原宿や自由が丘のショッピング街を連想してしまいますねぇ。

 建物は昭和の風情が残っていても、なんとなくテーマパークに紛れ込んだような違和感を感じるのです。

 これに対して、秩父は目抜き通りを除けば、舗装されていない場所が結構ある。

 ところどころ穴が開いた道路。ぬかるんだ道。土ぼこりの舞う道。道路の隅には雑草。学校帰りに小石を蹴りながら帰るのに必須アイテムの砂利道。

 これぞ昭和の風情。

 建物だけじゃなく、道路もまた昭和の景観にとっては重要なのです。

 それから、街で遊ぶ子供の数。

 青梅はほとんど外で遊んでいる子供を見かけませんでした。

 最近は少子化で仕方ないことなのでしょうけど、それでも秩父には外で遊んでいる子がいましたね。

 しかも、女の子たちが道でゴムとびをやっていたんですよ。

 う~懐かしいぃぃぃ~

 そして、おせっかいなおじさん、おばさんの存在。

 昭和の時代には、近所におせっかいなおじさん、おばさんがいました。私たちが外で遊んでいると、関係ないのに一緒に入ってきて遊ぼうとする。

 よく近所のおじさんやおばさんに怒られましたっけ。

 青梅には昨日半日以上いましたが、誰からも話しかけられませんでした。

 ところが去年、秩父へ行ったとき、ある神社でコンビニで買ったもりそばを食べていたんですよ。

 そしたら突然、その近所のおばさんから話しかけられました。

「今日は暑いねぇ」「どこから来たの?」

 最初、不審者に思われたのかなと思いました。しかしどうやら違うらしい。

 見知らぬ人をみかけると、誰にでも声をかけてコミュニケーションしようとするんですね。

 それだけでも何だか懐かしい気分になりました。

 せっかく、青梅が「昭和の街」として町おこしをするなら、中途半端にやったらすぐ尻すぼみになると思うんですよ。

 どうせやるなら、通の昭和ウォッチャーが惚れ込み、全国からリピーターが来るよう努力しなければ。

 そこで私が、真に青梅が昭和の街として生まれ変わる方法を考えてあげました。(←余計なお世話じゃ)

 題して、「身も心も昭和に浸りきる街 青梅」。

 まずそのためには、舗装道路が完璧では昭和のレトロ感が生まれません。舗装を一部はがし、水はけを悪くしてぬかるみを随所に作ります。小道はすべて土や砂利道。脇には雑草を植え、生育を促します。

 早急に赤レンガの瀟洒な道を上記の道に作り変える必要がありますね。

 次に外で遊ぶ子供。

 子供の数自体は増やすことができませんから、エキストラを雇います。

 そして青梅市内の道を使い、少年は三角ベースの野球、ベーゴマ、メンコなどを担当地域を決め派遣します。もちろん服装は、半ズボンにランニングなど。

 少女の場合は、コムとび、リカちゃん遊びなどですね。

 それから観光客相手に小道で、飛び入り参加自由のイベントを開催します。イベントは、「手つなぎ鬼」「だるまさんが転んだ」「缶蹴り」「馬とび」など。

 おせっかいなおじさんやおばさんに関しては、地域住民からのボランティアを募ります。常に観光客に対してちょっかいを出す。

 とくにおばさんの衣装は、着物にし、眉間に小さく切った絆創膏を貼ってもらうようにします。たまに路地で七輪を使ってさんまを焼いてもらうとレトロ感が増幅できるでしょう。

 …なんて、調子こいて書いていたら、収拾がつかなくなったしまいました。

 今日は、青梅が雪女の故郷で、地球温暖化との関係について書くつもりだったのに。

 う~ん、仕方ない。

 それは予定を変更して明日お送りします。

 2005

 バカボンのパパ 

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昭和の街 青梅をゆく

 こんばんは。

 今日は日中、久しぶりにウォーキングへ行っていたので、夜に更新させていただきます。

 今日行ったのは、先日、テレビで紹介されていた、青梅。

 関東地方以外にお住まいの方はご存じないかもしれませんが、新宿から中央線に乗って一時間と少しの多摩川の辺にある街です。

 ここは現在、昭和の街として売り出し中だとか。

 先日のテレビでは、駅のホームにレトロ感覚の立ち食いそば屋があったり、構内の通路に昭和時代の映画の看板が展示されていたりして、行ってみたい気分になりました。

 それにしても今日は暑かったですね。

 朝10時ごろ、青梅駅に着いて、最初、丘陵地沿いに塩船観音寺というつつじで有名な寺を目指したんですが、歩いていると汗がだらだら出てきます。

 500mlのペットボトル3本を飲み、おにぎり2個を頬張りながら、青梅鉄道公園やしょうぶ公園、大塚山公園などを巡り、再び青梅駅に戻りました。

 歩行距離10キロをノンストップで歩き続け、1日分のウォーキングコースをまず終了。

 時刻は、午後2時。

 さて、これから1日分のウォーキングコースをもう一本です。

 せっかく遊びに行ったんだから、たくさん見て回らなきゃ損ですからね。(なんという貧乏根性!)

 昔は、3日分のコースを1日で歩いたこともありますが、今やったら完全に身体壊しますね。

 もう若くないから、自重せねば。

 さて、次に青梅の中心地をまわったんですよ。

 先ほども申しましたように、青梅は昭和の街として売り出そうとしています。

 旧青梅街道沿いに、「七人の侍」や「俺たちに明日はない」、「アラビアのロレンス」、「大菩薩峠」などオールド・映画ファンには懐かしい映画の看板が商店の店先に掲げられています。

 昭和の後期を生きた人間にとって、昭和の町並みが再現されているというのは、たまらない魅力ですよね。

 でも、何か違うぞ。

 確かに建物は、昭和の時代によく見かけた古い商店や民家がたくさん残っています。

 でも、やっぱり何か違う。

 去年行った、埼玉県の秩父市は、昭和の古い町並みがそっくり残っていて、涙が出るほどノスタルジックな気分になったのに…。

 …と、ここまで書いたところで、疲れたビー。(←完全に気分は昭和に戻っている)

 さすがに炎天下、20キロ近く歩いたので体に応えたようっす。まだ風邪気味だし…。

 先日の弁護士先生の100キロマラソンに比べたら、へこたれてはいられないんですけどね。

 でもちょっと頭脳労働は、やばそうなのでこの続きは明日書かせていただきます。

 明日は、青梅と秩父の昭和の景観の違いと、青梅の改善策なぞ。

 そして青梅は、なんとあの、怪談で有名な雪女の故郷らしいのです。

 ひゅ~ドロドロドロ。

 舞台は、雪深い東北の山村だと思いますよね。 

 理由として、地球環境の変化とも関連がありそう。

 なんか最後は、映画の予告編みたいになっちゃいましたが、それではまた明日。

 今日はもう寝ます。

 2005

ちなみに、左の建物が青梅赤塚不二夫会館、右の建物が昭和レトロ商品博物館。

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今日もサザンにまつわるエトセトラ

 こんにちは。

 今日もサザンネタから入ります。

 先日のサザンのコンサートの模様をテレビで見ると、ファン層がすごく幅広いんですよ。

 十代の女性から五十歳代の男女までノリノリで踊っている。

 サザンのサウンドが、どの年代の人たちにも受け入れられているのでしょう。アルバムを聴いていても、ホントに歌のジャンルの引き出しが数多くあると感じます。

 ロックから歌謡曲の世代まで、幅広くカバーしている。

 私たちのちょっと上の世代になると、残念ながら、何を言っているのかわからない、という意見が増えるのですが…。

 やはり歌詞を一言一句おろそかにせず、把握したいのかな。

 それはともかく、今日からビジネスネタで…

 …と行こうと思ったのですが、昨日の質問に答えないとちょっとやばいかも。

 せっかくアクセスしていただきましたので、手ぶらでお返しするわけにも行きませんよね。  それではお答えいたします。

 その前に昨日の質問をもう一度、ご紹介しましょう。

 それは、サザンの桑田さん以外のメンバーが、当時、桑田さんに対して尊敬している点は何か、という質問。

 一応、選択肢を用意しました。

1.原坊というかわいい彼女がいる。

2.すばらしい曲を作る才能がある。

3.○○が大きい。

4.車を持っている。

5.湘南のナンパスポットに詳しい。  

 結論から言いますと、正解は、4番です。

 ちなみに、3番の○○は、人格。

 ところで、「ぴったしカンカン」のクイズは、選択肢が用意されていないので、2チームの回答者がひとりずつ答えを言っていく形でした。

 それぞれのチームのキャプテンは、確か、欽ちゃんと二郎さん。

 そして最初に、ゲストの子供の頃の写真が出て、「今日のゲストは誰?」と当てるのでしたよね。

 サザンがゲストとわかったとき、会場が大騒ぎになったのを覚えています。

 どうして私がこの質問と答えをよく覚えているかというと、回答者のメンバーに相本久美子が入っていたから。

 当時、相本久美子のファンで、一挙一動を見逃すまいと目をさらにして見続けていました。

 それで、この質問に対して相本久美子は、「腕がある」と一言。

 それは、いい曲を作る腕を持っているという意味だったのですが、少し他のメンバーがムッとした顔をして苦笑したのを覚えています。

 当時は皆若かったから、桑田さんの才能に嫉妬を感じているのかなとも思いました。あくまで憶測ですが。

 当時のメンバーは、桑田さんが車を持っている点を尊敬していたのですね。

 しかも、車はセダンではなく、バン。いわゆる商用車らしい。その車に楽器やメンバーを乗せて、走り回っていたのでしょう。

 桑田さんが運転して…。

 当時、若者が自分の車を持っているというだけで、尊敬の対象になりましたからね。

 …ということで、今日でサザン特集はホントのおしまいです。アクセスしてしただいた大勢の方、どうもありがとうございました。

 明日からまた、細々とビジネスネタを続けさせていただきます。また遊びにお越しいただければ幸いです。

 追伸  昨日図書館で借りたCD。著作権禁止とかでパソコンに取り込めないよ~

 チクショー、せっかく「モー娘」と「SPEED」のベストアルバムを聴けると喜んだのに…。

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サザンにまつわるエトセトラ

 こんにちは。

 やっぱりすごいな、サザンは…。

 日曜日から、途中一日お休みをいただいてサザン特集をお送りしました。

 すごいのは、その間の一日のアクセス数。

 以前、記事の中でサザンに言及したとき、多くの方にコメントをいただいたので特集を組んでみようと思い立ったのですが、こんなにすごいとは…。

 多くの方たちのサザンに対する熱い思いが伝わってきて、とても楽しい3日間でした。

 アクセスしていただいた方、どうもありがとうございます。

 これからも機会があったら、サザンをはじめとする同時代のアーティスト特集をお送りできれば、と思っています。

 それから、サザンのメンバーの方たち、これからもいい曲をたくさん作ってください。中年の☆として、期待しています。

 さて、サザン特集は昨日までと言っておきながら、今日もしっかりビジベンは余韻を引きずっている。

 桑田さんが二匹目のどじょうを狙わず、「いとしのエリー」という新たな魅力をファンにアピールしたと言っておきながら…。

 ま、仕方ないっすよね。オイラ、あんな天才じゃないし、凡人は成功体験をいつまでも引きずって生きていくしかないのだ。

 ところで、今また思い出したサザンネタ。

 昔、久米宏が司会をしていた「ぴったしカンカン」というクイズ番組を覚えていますか?

 それに、サザンオールスターズのメンバー全員が出演したんですよ。確か、デビューして3~4年たっていた頃かな。

 そのときのクイズの内容を今でもよく覚えています。

 それは、サザンの桑田さん以外のメンバーが、桑田さんに対して尊敬している点は何か、という質問。

 これだけでは難しいと思うので、オイラが選択肢を作ってみました。

1.原坊というかわいい彼女がいる。

2.すばらしい曲を作る才能がある。

3.○○が大きい。

4.車を持っている。

5.湘南のナンパスポットに詳しい。

 さて、正解は何番でしょう。

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サザンにおけるネーミング戦略考

 こんにちは。

 日曜日からずっとお送りしています、サザンオールスターズクロニクル。

 おととい、明日更新すると書いたにもかかわらず、一日ずれ込んでしまい、申し訳ありません。

 昨日は一日中外回りをしていて、疲れてしまいましたので…。 

 でも、歩きながら、無意識にサザンの名曲を口ずさんでいる自分に気づきました。

 この3日間、サザンのヒット曲と当時の自分の周りの出来事とがリンクして懐かしい気持ちになりましたね。

 私たちの青春時代は、サザンを抜きにして語れないといっても過言ではないですから。

 よく同年代の女性に、「歌手では誰が好き?」 と聞くと、大抵サザンっていう答えが返ってきましたっけ。

 ところで、おととい書きました「チャコの海岸物語」のあと、サザンは順調にヒットを飛ばし続けていました。

 でも人気が再度爆発するのは、「真夏の果実」が出た頃でしょう。

 この曲は、桑田さんの初監督作品『稲村ジェーン』の主題歌です。

 「真夏の果実」もまた、いかにもサザンらしい名曲です。夏の郷愁を感じさせるイントロ。美しいメロディー。パンチの効いたサビの部分。

 サザンの曲の中でもベスト3に入るばかりではなく、近代歌謡史に残る名曲だと思います。

 だけど、大晦日のレコード大賞では、B.B.クィーンズの「踊るポンポコリン」にさらわれてまたも受賞を逃すんですよね。

 そのあと恒例の大晦日コンサートで、「ぐやじ~」と大声で桑田さんが叫んでいましたっけ。

 確かに悔しいですよね。あの名曲が、「ぴ~ひゃら、ぴ~ひゃら」に負けたんですから。

 私もすごく悔しかった。

 だけどやっぱり桑田さんは打たれ強い。

 ふてくされることなく、10年後「TSUNAMI」でレコード大賞を受賞したのは立派でした。

 ところで、桑田さんの映画初監督作「稲村ジェーン」。

 もちろん見に行きましたよ。

 主役は、あの加勢大周(若い人で、知ってる人います?)と清水美砂。

 舞台は昭和30年代の湘南。伝説の波が来るのを待つサーファーの物語だったと記憶しています。

 でも映画自体の評判はあまりよくありませんでした。見た私の友人たちも酷評している人が何人かいましたっけ。

 私は結構面白かったですけど…。

 映画としてではなく、サザンの曲のプロモーションビデオだと思えば割りと楽しめる。

 とくにバックに「真夏の果実」が流れる大雨のシーンとオート3輪ミゼットが快調に走る「希望の轍」のシーンは、今でもよく覚えています。

 ところで今日の本題は、サザンオールスターズのネーミング。

 このバンド名をつけたのは、やはり桑田さんだとか。

 なんでも、当時桑田さんがはまっていたクラプトンなどの「サザンロック」と、 そのころ来日した「ファニアオールスターズ」の二つをくっつけて「サザンオールスターズ」というバンド名にしたらしいです。

 日曜日にも書きましたが、沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバット」をくっつけて「勝手にシンドバット」にしたのと同じような安易なネーミングですよね。

 だけど、この安易なネーミングが、サザンを語る上において、非常に重要なポイントだと私は思うのです。

 みなさんは、おそらく「サザンオールスターズ」と全部言わないで、大抵、愛着を込めて「サザン」と言うのではないでしょうか。

 この「サザン」のいうネーミング。

 マーケティング的に見て、すごくヒットするネーミングなのです。

 桑田さんはこのことはおそらく知らないでつけたのでしょう。でも、多くの人たちから愛されるネーミングだという実感はあったと思います。

 あるビジネス書に、売れる商品のネーミングのポイントという箇所があるのですよ。その重要なポイントは3つ。

 以下に箇条書きしますと…

● 必ず母音のAからはじめよ

● 必ず濁音か、破裂音を入れよ

● 必ず最後はN(ん)で終えよ

 いかがですか。

 そのビジネス書には、具体例として「サザン」という言葉が出されているわけではありません。

 しかし、ぴったりと上記のヒットするポイントに当てはまります。

 サザンの「サ」の母音はA。サザンの「ザ」が濁音。サザンの「ン」が最後。

 ドイツの小説家エルンスト・ユンガーは、「言葉の秘密」という著書の中で、「AとOの母音は、傾倒、賛嘆、賛同を表出する」と述べています。

 日本語でも、笑うときは、アハハ、ウフフで、ほめたり、賛同したりするときは、オオ!と叫ぶ。

 また、サザンの「サ」。サ行、マ行、ハ行の音は、人間の感覚・本能に訴える力を持つのだそうです。

 こまかい説明は省きますが、これらの音は、「ぶーぶー、ママ、パパ、しーしー、せーせー」といった幼児語の音と類似している。

 だから大人になっても、これらの音の力は意識下に強く根をおろしているらしい。

 確かに、「サザン」という言葉は、読みやすく、聞きやすく、書きやすく、言いやすく、覚えやすい。

 インパクトもありますよね。
 
 私たちがほかの人に、「歌手で誰が好き?」と聞くと、にっこり笑って、「サザン」と愛情を込めてみんな言ったものです。

 桑田さんの曲作りのうまさはもちろんですが、「サザン」というネーミングにも、私たちから長く愛される要素を含んでいるのではないか。

 そういうふうにうがった見方をするのは私だけでしょうか。

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サザンに関するマーケティング戦略考

  こんにちは。

 さっそくですが、昨日の選挙。

 予想通りというか、予想以上というか、自民党の圧勝に終わりました。

 おそらく今日は、選挙ネタのブログで花盛りだと思いますので、その細かい分析は他の方に譲りたいと思います。

 でも、選挙にいたるシチュエーション、有権者へのアピールの仕方において、小泉さんのほうが役者が一枚上でしたね。

 とくに争点を、郵政民営化、是か非か、に絞ったこと。

 また引用させていただいて恐縮ですが、多胡輝氏の本の中に、「迷っている客を獲得するトリック」というのがあります。

 これは、お客さんの目の前に多くの商品を並べ、「何を」「どれを」選ぶか聞くのではなく、「どちらを」選ぶか聞くほうが効果があがるというもの。

 この質問の仕方は、お客さんと店員の間に、すでに商品を買うという前提が成り立っていて、その上で商品を選びましょうというニュアンスが含まれているからです。

 これを「迷っている有権者を獲得する」と言い換えれば、なんとなく今回の結果も予想できる。

 郵政民営化、賛成か、反対か、どちらを選びますか? と聞けば、もう選択肢は限定されますよね。

 他の党は、多くの選挙公約を掲げ、「何を」「どれを」とやってしまった。当然焦点はぼやけ、アピール度で自民党の後塵を拝することになったのでしょう。

 人間心理は、政治をも、大きく動かすものだということがわかります。将来、これを悪用する政治家が現れないことを祈るばかり…。

 でも、言っておきますが、私は郵政民営化には賛成ですよ。

 少し長くなりましたが、ここから今日の本題。   

 今日は平日ですが、予定を変更して昨日の続きのサザンオールスターズネタで行きたいと思います。

 さて、「勝手にシンドバット」という衝撃的なデビュー曲で登場したサザン。

 二曲目は確か、「気分次第で責めないで」でした。

悪い曲ではないと思いますが、これがデビュー曲だったら売れなかったかもしれません。

勝手にシンドバットの二番煎じ的な部分もあり、ベスト10には入ったものの、サザンもこれで終わりかなと思ったものです。

 アーティストが売れなくなる典型的なパターンは、ヒットした曲の二匹目のどじょうを狙って同じような曲調の歌を出し続けること。

 しかしですよ。桑田さんは、この轍を踏まなかった。

 勝負の3曲目は、あの名曲「いとしのエリー」です。

 この辺の戦略はうまいですよね。最初、「勝手にシンドバット」で世間の度肝をぬいて注目を集める。とりあえず2曲目で二匹目のどじょうを狙って小金を稼ぐ。

 そして、もうこれでサザンは終わりだなと思ってたところに勝負曲「いとしのエリー」をぶつけてくる。

 へぇ~、サザンってバラードも歌えるんだ、と感心した記憶があります。意表を突く形で、今までと違った魅力をアピールした。この歌で、当時ライバル視されていたツイストをぶっちぎり、独走態勢に入ったのです。

 その次だったかどうか忘れましたが、初期の曲の中で、私がもっとも好きな「C調言葉に御用心」が生まれます。

 この曲は好きですね~。 桑田さんにしては最初抑え気味に、けだるい感じの歌い方が夏の恋に疲れた男を連想させます。

ただこの曲をカラオケでCDどおりに歌おうとすると、呼吸困難に陥る危険性がありますから注意。息継ぎする箇所がほとんどないのです。

当時ラジオでベスト10番組の司会をしていた作曲家の宮川泰がこの曲の楽譜を見て、「すごい肺活量だね」と言っていました。でもコンサートで聴いたら、かなりはしょって歌っていましたが…。

 そのあと順調にヒットを飛ばしていたサザンに最大のピンチが訪れます。

 大学卒業を目指して、確か1年間の休養宣言をしたあと。

 生き馬の目を抜く芸能界で1年も休んでしまっては、さすがのサザンも忘れられてしまいそうになりました。

1年後、復帰したものの、ヒットに恵まれずスランプが続きます。

 この状態を打開したのが、桑田さんと原由子さんの結婚だったと思います。そしてそれに合わせて発売したのが、「チャコの海岸物語」。

 先日のコンサートでトップに桑田さんが歌った曲です。

 この曲は、ロックというよりは歌謡曲の範疇ですね。昭和30~40年代の歌謡曲を思わせる旋律で、一気にサザンのファン層を拡大したと言っていいでしょう。

 この辺りの戦略も立派なマーケティング戦略と言って、いいのではないでしょうか。

 当時、黒柳徹子と久米宏の司会で大ヒットしていた「ザ・ベストテン」という番組があったのですが、「チャコの海岸物語」でサザンが毎週登場していました。

 見ていると桑田さんが、「この曲がヒットしないと結婚できません。視聴者のみなさん、よろしくお願いします」とアピールしている。

 普通、「私たち結婚します。どうか記念にCDを買ってください」と言えば、嫌味に聞こえる人もいたと思います。

しかし現在の自分たちの現在の苦境をさらけ出して、かっこ悪くアピールしている。

 なんかこっちが偉くなったような気分になって、じゃあお祝いに買ってあげようかなと思いました。

また、桑田さんが絶世の美女なんかと結婚すれば、みんな、「この野郎」と思って反発する人もあったかもしれません。

 原坊は、誰が見てもどこにでもいる普通の女性。しかも性格の良さが顔ににじみ出ている。

 誰もが、二人の結婚を祝福したくなりますよね。

  あれっ、今日は、サザンのネーミングのうまさを実証しようと思ったのに、また長くなってしまった。

 ではサザン特集の最終回は、また明日。

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サザンオールスターズに関するマーケティング戦略考

 こんにちは。  

 巷は選挙の話題で持ちきりです。しかもうちの近所ではお祭りなので、神輿や山車が町内を巡り巡って大騒ぎ。

 周りがハイになってるのに、自宅のパソコンの前に座っているのは落ち着かない。はやく記事を書いて外出しようっと。

 今日は日曜日なので、また「人をやる気にさせる法」シリーズから離れ、勝手に好きなことを書きたいと思います。

 勝手といえば、「勝手にシンドバット」ですよね、なんて強引にこじつけて、今日はサザンオールスターズについての話題。

 先日、テレビでサザンオールスターズの特番をやっていました。コンサートライブの模様と桑田さんへのインタビューが同時進行する企画。

 やっぱりいいな、サザンは…。

 曲のよさはいまさら言うまでもないことですが、年を経るに従って、桑田さんの歌がうまく丁寧になっていくような気がしました。

 もちろんノリの部分の爆発力は健在ですよ。

 デビュー当時は、完全に大学の学生サークルみたいな感じでしたね。

 当時ライバル視されていた世良正則&ツイストは最初からプロのようでしたが、サザンは勢いだけでやってたみたいなところもありました。

 デビュー曲の「勝手にシンドバット」のタイトルだって、「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバット」をくっつけただけですから。

 そのサザン。

 デビュー当時はいろいろな新人賞にノミネートされ、授賞式に出るんですよ。ああいうバンドって、俺たちは賞のためにやってるんじゃない、と辞退するのが普通だった。

 だけどサザンは出る。短パンにトレーニングウェアスタイルで…。

 当時はアイドル全盛で、演歌の新人もノミネートされる。

 当然、授賞式では浮きますよね。しかも、最優秀賞は取れないから、まったくかっこ悪い。  スポットライトの当たる受賞者の脇にたたずむ場違いな格好の若者たち。

 でもそれにめげずに何度もノミネートされる授賞式へ出る。

 受賞できないのはわかっているし、出ても完全に浮いてるから出なければいいのにと思いました。

 またデビュー当時は、ラジオ番組に自分たちの曲をかけてもらうため、メンバー全員ではがきのリクエストを書いていたそうです。

 これまたかっこ悪い。

 でも、かっこ悪いことを繰り返していると、いつの間にか、かっこよくなっていくのかもしれないと、先日、テレビを見ながら思いました。

 営業だって、若い頃は飛び込み訪問で断わられ続ける。独立したって、最初は誰にも相手にされず資金繰りに苦労する。政治家だって、新人で地盤がしっかりしていない頃はどぶ板選挙で頭を下げまくる。

 いや、政治家の場合はベテランの閣僚経験者だって、土下座してお願いすることもあるのでした。

 いきなりかっこよくなろうと思っても無理な話で、地道にかっこ悪いことを繰り返さなければかっこよくなれないのかも。

 ところで当時のバンドで、今も第一線で活躍しているのは、デビュー当時一番かっこ悪かったサザンのほかにはほんの一握り。

 なんかその辺に、生き残りの秘訣のようなものが隠されているような気がしますね。

 ところでここからが本題なのですが、いつも思うのはサザンのマーケティング戦略のうまさ。

 テレビでもコンサートの前、桑田さんが最初の曲は何から行けば観客が受けるだろうといろいろ考えていました。

 コンサートに来る観客がどういう年代の人が多いとか、会場の雰囲気の予想、立地、今回のコンセプトなど。

 これって一種のマーケティングですよね。

 桑田さんは、青山学院大学経営学部の出身。中退しちゃたそうですが、マーケティングの基礎的な勉強をしたのでしょうか。

 サザンの軌跡を見ていると、デビュー前から一流のマーケティングプロデューサー顔負けの戦略が見て取れます。

 まずデビュー曲の「勝手にシンドバット」。

 この曲は衝撃的でしたね。

 いきなり、若者たちが野太い声で叫ぶんですよ。

 ♪らららららら、ららら~♪ ♪ララララララ、ラララ~♪ ♪らららららら、ららら~~♪  

 当時、これ以上インパクトのある登場の仕方はなかったですね。

 みんな面白がって、振り返った。でも、誰もが一発屋だと思ったのではないでしょうか。

 デビュー曲で世間を驚かそうという点。このあたりも桑田さんのマーケティング的志向が芽生えていたのかもしれません。

 あれっ、ちょっと今日だけじゃ収まりきらないぞ。

 すいません。急遽、この続きは明日ということで。

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オタクと日本一まずいラーメン

 こんにちは。

 昨日の午後、お客さんとの打ち合わせにサンプラザ中野、いや中野サンプラザで有名な中野へ行ったんですよ。

 打ち合わせが終わって、少し時間ができたので駅の周辺をぶらぶらしました。

 それで、商店街の突き当たりにあるショッピングセンターに入ったのです。そこは、マニア向けの雑誌、書籍、雑貨、おもちゃなどを扱う商店が多数入居していて、見て回るだけでも楽しめました。

 ある商店では、怪獣のおもちゃがたくさん並んでいます。昔よく見た、塩化ビニール製。

 懐かしがりながらウィンドウを覗いていると衝撃的な事実が判明したのです。

 すべての怪獣の名前が言える…。

 そのウインドウには、ウルトラQとウルトラマン、ウルトラセブンに登場した怪獣のおもちゃが数十体並んでいました。

 しかも、その怪獣の身長、体重、登場シーンまで…。

 何でそんなことを覚えているのだろう。やっぱり、自分はオタクなのだろうか。

 少しブルーになって、店を出ました。

 それにしても、驚いたのはそのおもちゃの値段。

 カプセル怪獣ミクラスの12,600円はまだいいとして、ナメゴンがなんと682,500円ですよ。

 チクショー、ミクラスのおもちゃ持っていたのに…。

 さて、今日の昼食はラーメンライス。はじめて入ったラーメン屋ですが、まずかった。

 …といっても、とんでもないほどまずいのではなく、普通にまずいのですが。

 そういえば、以前、「日本一まずいラーメン屋?」というテーマで、記事を書きましたっけ。

 その頃を思い出した今日の出来事でしたので、再アップさせていただきます。

 一度、お読みになった方はスルーしちゃってください。

 それでは…。

 どうしても忘れられないラーメン屋さんがあります。 多分、私の長い人生経験において、一番まずいラーメンだったと思うので。

 場所はちょっとはばかられますが、東京都心の一画。現在IT活動の中心地となりつつある場所の大通り沿いにその店はありました。今から4~5年前の話で、先日その場所へ行ってみたらその店はもうありませんでした。

 私がなぜその店に入ってしまったか。それは立地と店構えの古さです。東京でも有数の大通りに面し、おそらく30~40年は営業を続けてきたであろう威厳がその店構えに感じられました。

 この場所で長い期間、生存し続けてこられたのだから、きっとうまいに違いないと考えたのです。時間は正午近く。店の前の人通りの多さから、店内は混んでいると予想して、私はその店に入りました。

 がら~ん。 えっ?! どうして? お客は一人しかいないじゃん。

 30人近く入れる店内のカウンターに、中年の男性がひとりだけ。それだけでもやめておくべきだったのに、私は訝りつつもカウンターに腰掛け、味噌ラーメンの大盛りを注文しました。せめて普通盛りにしとけばよかったと後で後悔するのですが。

 店主は、60歳ぐらいの親父。私の注文を聞くと、フッと自嘲気味に笑みを浮かべました。そのあと、アベックが店内に入ってきます。合計4名。とうとう私がその店をでるまでほかには誰も入ってきませんでした。 

 都心の一等地にある間口の比較的大きなラーメン屋。しかも昼食時のかきいれどきに、お客がたったの4人ですよ。しかし店内は、そのアベックがしゃべりまくって結構うるさかったです。

 待つこと20分。やっと味噌ラーメンが私の前に姿を現しました。それを見て、絶句。思わず店主を見て、心の中でさけびました。

 麺が伸びきってるじゃん。しかも何これ、どうして味噌ラーメンのスープが透き通っているんだよう!!

 この状態をどう表現したらいいのでしょうか。さすがに大盛りだけあって、量は申し分ない。だけどその量は、麺が伸びた分で大方カバーされている。しかもどうやって作ったら、味噌ラーメンのスープが透き通るの?

 店主は私と目を合わさず、アベックの分のラーメンを作る作業に没頭しています。とにかく私はそれを食べてみることにしました。

 はしで麺をすくい上げただけで、ふにゃふにゃになっているのがわかります。しかもそのスープ。インスタントの味噌汁についている味噌を、基準量の4分の1だけ使って作った味噌汁といったらいいでしょうか。

 今までしゃべりまくっていたアベックのところにもラーメンが行きました。突然、二人は沈黙。店内に、針一本落としてもわかるような静けさが漂います。外へ一歩出たら、車や人々の喧騒に包まれる都心の一等地でなんじゃこの森閑とした雰囲気は。

 かつてテレビで見たカリスマラーメン屋の店主は、お客の私語や携帯電話を許さず、ピリピリとした緊張感が店内に満たされていました。おいしい、まずいの差はありますが、特殊な状況下におかれると、人は押し黙ってしまうんですね。

 ここでマーケティングの有名な定説があります。

●お客さんに不満があっても、直接苦情を言うのは4%にすぎない。後の96%は、ただ怒って二度と来ないだけである。

 自分の場合、あとの96%に入るのだと思います。一杯500~600円のラーメンでいちいち苦情を言っていたのではたまりません。しかし、次の数字は、商売をしている人には致命的な事柄なのではないでしょうか。 

●1件の苦情があれば、同様の不満を持っている人は26人はいると推定される。

●不満のある人は、それを平均10人に話す。13%の人は20人以上に話している。

 経験上思うのは、ほとほどにおいしいラーメンというのは、あまり記憶に残っていないということです。ところが、まずいラーメンは、結構、記憶に残っている。その不満がいつまでも頭に残っていて、かなり時間が経過していても、何かの拍子に人に話すんでしょうね。

 今の私みたいに。ちなみに上記の数字は、インターネットがなかった時代のものです。今は下手したら、1人の不満が数千人に知れ渡ることにもなりかねませんね。

 しかし、救いの道もあります。昨日のブログに書いたように、お店側が苦情に対して適切な対応を行った場合は、次の結果になるのです。

●しかし、苦情を言った人のうち60~70%の人は、苦情が解決された場合、相手と再び取り引きしてもよいと考える。しかも解決が迅速に行われた場合、その比率は96%にまで跳ね上がる。そしてよい噂話として、人に話す。 

 それにしても、件のラーメン屋。何十年も、あんなまずいラーメンを出し続けてきたのでしょうか。土地建物が自分の所有だったら家賃はかからないとしても、どうやって採算を取ってきたのかなぁ。誰も、「まずい」と指摘する人はいなかったのかなぁ。

 いまだによくわからない。謎は深まるばかり…。 

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阪神が猛然とやる気を出す理由

   こんにちは。

 昨日、ブログを書いてから外出しました。

 仕事が長引いて、昼食をとるのが午後3時過ぎになってしまったんですよ。すきっ腹を抱えながら炎天下、とぼとぼ歩きました。

 木陰を縫うように歩いてゆくと、いつのまにか美しい銀杏並木が…。

 いつの間にか、神宮外苑に来てしまったのです。

 そのとき突然、スープパスタが食べたくなりました。ふらふらとイタリアンレストランへ入り、パスタを注文。

 パスタを食べ終え、ようやく自分を振り返る余裕が出来ると、なぜ突然、スープパスタが食べたくなったのか疑問が芽生えたのです。

 しばらく考えて、その理由に思い当たりました。

 先週図書館で借りたCD。ユーミンとZARD、そしてタンポポ。

 ユーミンとZARDはよく聴くので、今までの嗜好の延長線上ですね。タンポポは何気に借りたのです。ジャケットが目を惹いたので。

 ところがそのタンポポにはまってしまった。

 ちなみにタンポポはモーニング娘のメンバーの別ユニットですが、今はもうないはず。

 そのタンポポのアルバムのなかに、『乙女パスタに感動』が入っていて、それがいつのまにか頭にインプットされていたんですね。

 お昼休み~、おやじパスタに感動♪~火曜日だけ、いつもランチ売り切れ~♪

 それにしても、つんくは、たまにいい曲を作りますな。

 個人的には、タンポポの「聖なる鐘がひびく夜」と松浦亜弥の「100回のキス」と赤組4の「赤い日記帳」が、つんくベスト3でしょうか。

 私のまわりに、仕事のできる人間は星の数ほどおりますが、こんな素敵な曲を作れる人間はいないですねぇ。

 人生に一つでいいから、後世に残るようなものを作りたいと思う今日この頃。

 おっと、また前ふりが長くなりすぎました。 

今日も昨日に引き続き、「仕事をゲーム感覚で楽しみ、成果をあげる法」の具体例と心理法則との関係を考えてみたいと思います。

グループ活動のメリットとして、個人主義より、一般的に参加者の精神的安定は図れるかもしれませんね。

もちろん、一匹狼が好きだという人は中にはいるでしょうが、あくまで一般論としての話。

職場の営業成績の表に、個人名が記載されるのと、グループ名が記載されるのと、どちらがいいでしょうか。

おそらく前者がいいという人のほうが多いと思います。それだけプレッシャーが軽減されるから。

これに関しては、以下の心理法則が書かれています。


人は、自分が所属する集団の規範に合わせて態度を決め、行動する。

これはたとえば、「隣がこれを買ったから…」とか、「みんながそうしているから…」という行動動機を、社会的動物である人間は持ちがちだということ。

若い人はおそらくご存じないと思いますが、私が子供の頃、カラーテレビが爆発的に広がって行きました。

そのときのコマーシャル。

 ♪うち~のテレビにゃ、色がない♪ となりのテレビにゃ、色がある♪(思いっきり、古い!)

 …なんてCMソングが流行りました。この歌を聴いて、カラーテレビを買わなきゃ、時代に遅れると思った人は当時、多いと思いますよ。

 このCMソングは、今にして思うと、上記の心理法則にかなっている。

 このような現象は、積極的な集団行動の開発に利用できると思います。

 たとえば「心理トリック」に載っている事例。ちょっと古いのですが…。

 かつて赤痢が流行したとき、国民に手を洗わせる方法の研究を行ったそうです。

 詳しい点は省きますが、女子大生に協力してもらって、以下の2つのやり方のうち、どちらの方法が、効果があがるか調べたとのこと。

 それは、講義グループと討議グループ。

 講義グループは、講師が、赤痢について説明し、徹底して手を洗うよう訴えた。

 もう一方の討議グループは、「赤痢の発生を防ぐために、どんな対策をとるべきか」というテーマで、お互い討議させた。そしてその結論は、「手をよく洗うようにしましょう」ということにまとまった。

 10日後、そのあと手をよく洗うようになったかどうか、実態調査をしてみると、講義グループより、討議グループのほうが、よく手を洗っていたのだそうです。

 この点は、多胡輝氏の「悪の心理術」に、相手の要求を引っ込めさせる心理術というのにも関連がありますね。

● 全員参加でとことん討議させれば、どんな結論でも全員が自分の意思が反映されたと思いこむ。

グループ活動を行うには、すべての参加者に意見を出してもらい、それに対して討議する必要があります。

またそれに関連する心理法則がありましたね。

● 人は、たとえ自分に不利な結論が出されたとしても、その決定に参加していれば不満を抱かない。

人は、自分の知らないところで重要事項が決定され、それを高圧的に命令されると人間はへそを曲げてしまうということ。

そうならないために、たとえ形だけでも会議を開く。そして、その決定に参画したのだという意識をもってもらうことで、やる気に大きな差が出るのでした。

 今日は総まとめということで、ぐちゃぐちゃな展開になってますが、ご容赦ください。

それから、何度も触れますが、次の心理法則との関係も無視できません。

目標にいたる心理的距離が近ければ近いほど、それだけ早く目標を達成しやすい。


 
これは何度もお話しているサブ・ゴールとの関係。

 たとえば大相撲だったら、序の口は序二段、十両は幕内、幕内は三役、大関は横綱というように常に手の届く範囲内にゴールが設けられている。(もっとも、横綱にチャレンジしない大関は最近の風潮みたいですが)

 十両力士にいきなり、すぐには達成困難な大関を狙えと言うより、すぐ手の届く範囲にある十両に上がって関取になれ、というほうが発奮するのではないでしょうか。

 「ようし、あと一息頑張れば関取になれて、付き人もつくぞ」

 自分の目標がもうちょっとで手の届く範囲にある人間は、猛然とやる気をだして頑張るものですよね。

 今の阪神みたいに…。

 巨人は、今年はもうだめか? 

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グループ活動が、仕事のやる気を高める理由

 こんにちは。

 昨日は台風一過の青空と書きました。しかしそのあとものすごい雨が降ってきて、傘を持たずに外へ出た私はずぶ濡れになってしまったのです。

 ブログにいい加減なことを書いた報いだと反省しております。

 さて昨日、「仕事をゲーム感覚で楽しみ、成果をあげる法」の具体例として、戦国時代の大名家の軍団としてグループ活動をとりあげたました。 

 今日はもう少し詳しく、グループ活動の心理的な側面から、ご説明させていただきたいと思います。  

 まず、以下の心理法則が、「心理クリック」という本に書いてあります。

● 集団のメンバーを一定の集団目標に協力させるには、メンバー個々の心理的な抵抗を排除しておかなければならない。

 グループダイナミクスの古典的な研究に、ドイチェという学者の有名な実験があるそうなんですよ。

 これは、5人ずつに編成された2つのグループに、ある課題を与え、賞の与え方の違いが、メンバーの集団活動にいかなる影響を与えたかを調べた実験。

 まず、Aグループは、「個々のメンバーが、どれくらい課題の達成に貢献したかを評価する」と言い渡して作業を行わせ、賞を約束する。

 Bグループは、「他のグループに比べて、よりよく課題を達成したら、集団全員に等しく賞を与える」と言って、作業を行わせた。

 さて、どちらが効率よく作業を行えたと思いますか?

 答えは、Bグループだったそうです。

 理由は、Aグループは個人プレーが目につき、メンバーが相互に妨害し合い、協力して課題達成に努力しようという雰囲気は生まれなかった。

 これに対してBグループは、メンバーが互いに義務感を持ち、協力し合う傾向が見られたのだそうです。

 結局、Bグループのほうが、与えられた課題を、集団目標としてみんなで達成する雰囲気を強く作れたことになる。

 だから集団のメンバーを、一定の目標に協力させるためには、メンバー個々の心理的な抵抗を排除しておかなければならないということ。

 そのためには、各メンバーを平等に扱い、ともに同じ目標に向かうという意識を植え付ける必要があるそうです。

 行き過ぎた能力主義は、かえってグループ内の結束を取り乱し、目標達成を困難にさせることが多い。

 グループのメンバーを平等に扱っているのだという意識を持たせることが、チームリーダーの最大の役割…。

 以上の文章を私が読んで、金融商品の目標の与え方を個人に対してではなく、集団に対して与えようと、まず考えました。

 従来は、営業目標に対して、営業マンや窓口係の女性に、その人の能力や経験に応じてノルマとして割り振っていたのです。

 もし目標が達成できなければ、ボーナス査定をはじめとした人事評価は下がります。

 当然個人プレーが目につき、メンバーが相互に妨害し合い、協力して課題達成に努力しようという雰囲気は生まれない。

 いわば上記のメンバー個々の心理的な抵抗が著しくある状態ですよね。

 これをBグループの与えられた課題を、集団目標としてみんなで達成する雰囲気を強く作ろうとしたのです。

 そのために、戦国時代を舞台にした販促キャンペーンでは、あえて個人的なノルマといったものは一切廃止した。

 ノルマというか、目標としてあるのは、各大名の軍団に割り当てられた12件の目標だけです。

 個人のノルマがないから、よく営業場に貼り出されている個人別獲得の棒グラフがない。

 精神衛生上、非常にいいわけです。

 そして、軍団のメンバー全員(実際の営業担当者以外にも)に、優勝すれば商品がもらえるとした。 また、それぞれの軍団ごとに飲み会をやって鋭気を養ってもらった。会社の経費で。

 当然、軍団のメンバーの結束が生まれます。

 なんとしても天下を取ろうぜ、ということになる。

 これはグループダイナミクスの理論といえると思います。

 それにしても、「心理トリック」という本。初版が昭和46年ですよ。 私が最初に多胡輝氏の本を買ったのは、高校生のとき。

 今読んでも全然古くないと今更ながら驚いています。

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新・仕事をゲーム感覚で楽しみ、成果をあげる法 

 こんにちは。

 東京は、台風一過といった青空が広がっています。

 昨日テレビを見ていたら、九州では大きな被害があったそうですね。被害にあわれた方に心からお見舞い申し上げます。

 さて、昨日の続きの「仕事をゲーム感覚で楽しみ、効果をあげる法」。

 今回は、戦国時代の国盗りゲームの事例でお送りしています。

 今日が始めての方、昨日の記事をお読みになっていない方は、先に昨日の記事をお読みください。

 そういえば、この販促キャンペーンのあとに、テレビゲームの大ヒット作、『信長の野望』が出たのですね。

 熱くなってゲームに取り組んだという方もいらっしゃると思います。

 今回の企画は、それを実体験できたといったら言いすぎかな。

 でも、参加者のフィバーぶり(←死語)を見ていると、それと同じ効果があったと思えるのです。

 さて、昨日の続き。

 私が昨日の企画を実行するに当たってまずやったのは、自宅で模造紙を貼り合わせ、二枚分の大きさの日本地図を作ることです。

 そして日本地図に、昔の国境線と武蔵の国や大和の国といった昔の国の名前を書き込みました。

 次の日の朝、それを筒状に丸めて持ち、出勤したのですよ。

 そして朝礼で、その地図を皆の前に張り出し、キャンペーンの企画を発表しました。

 前の大相撲の企画のときの朝礼と同じように、支店の人たちは微笑を浮かべ、目を輝かせているのがわかります。

 私はこの後もさまざまなキャンペーン企画を考案して行いました。これがいい企画かどうか、成功するかどうかは、みんなの前で発表したときすぐわかりますね。

 みんなの目の輝きが違うのです。

 よし頑張って一番に京都に上ってやるぞという闘志をメラメラ燃やしている営業マンは、しばらく表を凝視して、そのあと視点を上に向ける。

 この金融商品をどのお客さんにお勧めしようか、彼の頭の中でハードディスクが急回転して見込み先リストを検索しているのでしょう。

 それから、営業マン以外の人たち、とくに事務の若い女性の反応。

 前回の大相撲キャンペーンのときの影のMVPは、彼女たちだと書きました。

 彼女たちに興味をもってもらえたらしめたもの。

 若い営業マンは、私も含めていいカッコしいですから、あまり成績が悪いとなんとなく馬鹿にされるのではないかと思ってしまう。

 上司だったら、多少叱られても、まあいいやと思うんですけどね。

 とにかく、支店の人たち全員が面白い、と思ってくれれば目標はもう半分達成したようなものだと思います。

 しかし、もし最初の発表の時点で興味を引いてもらえないときはあとが大変ですね。

 やる気を出してもらうまで、新たに企画を練り直すなど相当苦労します。

 このキャンペーン企画はおかげさまで前者だったので、一気に目標を達成することができました。

 私がやったことといえば、毎日、朝礼の時間に日本地図を前にして、誰が現在どこまで進出している。誰が朝廷から左大臣の位をもらった、誰が京都まであとわずか、など皆の競争心をあおりながら発表すればいいだけ。

 ほかに、日本地図をもう一枚作って、階段のところに張り出しました。

 色違いのマジックを使って、各軍団が獲得した国を塗りつぶしていくのです。

 この作業は結構楽しかった。

 何もない白地図がどんどん四つの色で埋められていき、どの軍団が最初に京都に到達するか興味があおられます。

 休み時間に階段を登ろうとすると、階段のところに人だかりができているんですよ。

 営業に関係ない人も、その表を見ながら予想しあっている。

 これが個人別のノルマの表だったら、営業マンはたまらないですね。

 軍団としてのグループの獲得表だから、彼らも楽しめる。

 また形上は、自分の家臣ですから、彼らのためにも頑張ろうと努力するのです。

 目標達成間際の盛り上がり方は相当なもので、誰が将軍になるのか、視点はその話題で持ちきりになりました。

 私の一年後輩の若手営業マンはことのほか熱心で、夜遅くまで金融商品の獲得に頑張りました。

 上司はもちろん誰もそんなに遅くまで頑張れなんて言っていません。彼の自由意志だけでやっているのです。

 その彼。

 九州から本州へ海を渡るときに金融商品の獲得が一件必要だとあとで言ったのですよ。

 これは、他の軍団と同じ条件にするため、仕方ないことだったのです。

 すると、どうしてそれを最初にいってくれなかったのかと本気で私に食ってかかってきたのです。

 今日中に本州に上陸するのが夢だったと…。

 それまで一度も私に、声を荒げたことのない温厚な後輩でした。それが真っ赤になって怒っている。

 そこまで思いつめることないじゃん、と言おうと思ったのですが、気の毒になって、「説明不足で悪かった」と謝りました。 

 ところで、私が毎日朝礼で、中間報告を行うとき気をつけたのは、誰が取れていないとか、どこの軍団の動きが遅いとか、マイナスの話は一切しないという点です。

 プラス思考を念頭において話をし、頑張っている人を徹底して褒め称えました。

 そういうことをずっと繰り返していると、支店の中で冷めていた人たちも、なんだかみんながわいわい楽しそうにやっているのを目にして、自分から仲間に加わってきてくれるのです。

 なんか自分だけ冷めた目をしているのが、つまらなくなってくると言うか。

 そして最後には、お祭り騒ぎの活気あふれる雰囲気のまま、一人の落伍者も出さずに目標達成できるのです。

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続・仕事をゲーム感覚で楽しみ、成果をあげる法

 こんにちは。

 少しくどいようですが、先日さんざんお送りした「仕事をゲーム感覚で楽しみ、成果をあげる法」。 

 この分野はサラリーマン当時、結構こだわりをもって取り組みましたので、今日もまた具体的事例をまじえてご紹介させていただきたいと思います。

 先日、エピソード3までご紹介しましたが、今日は「続・仕事をゲーム感覚で楽しみ、成果をあげる法」です。

 明日は、「新・仕事を~」で、このまま行けば寅さんの48作に迫るのではないかと懸念される方もいらっしゃるかもしれません。

 大丈夫。私は山田洋次監督のような才能はありませんので、明日で打ち止めになる予定です。 

 それはともかく、これもまた私が銀行のある支店に在籍していた頃、金融商品獲得のために行ったキャンペーンの実話です。

 舞台は、大相撲○○支店場所の企画に成功した3ヵ月後。

 今度はまた別の金融商品の獲得に、○○支店は苦しんでいるのでした。

 なんでいつも苦しんでいるのか。本部から与えられる目標が高すぎるということもあったのですが、ぎりぎりになるまで動かないというのも理由。でも、とにかくやることが多すぎて、今すぐやらなければならない仕事を優先させていたということもあったのです。

 じゃあまた、同じ大相撲のキャンペーンで盛り上げればいいと思いますよね。

 う~ん。そこが難しいところなんですよ。

 一度企画が受けたからって、二度目になると目新しさがないためか、皆興味を持ってくれないのです。

 推進責任者が苦労しながら新しいキャンペーン企画をひねり出して始めて、他の人たちは「じゃあ協力してやろう」という気持ちになるのですね。

 でも、まったく新しい企画を最初から考え出すほどの才能も自分にはない。

 だから表面上は前と違うように見えますが、基本的枠組みは前と同じような企画を考えたのです。

 たとえば、車のエンジンとフレームが同じでもボディが違うと別の車に見えますよね。中身は同じでも、切り口が違えば新鮮に映るもの。

 それはともかく企画案。

 その頃は、NHKの大河ドラマの影響で戦国時代がブームになっていました。

 人に興味を持ってもらうためには、話題性を取り入れるのも重要。そのようなことを考えながら次のようなキャンペーンの企画を作り上げました。

< 企画案 : ○○支店 戦国時代 誰が支店で天下を取るか >

● かつて「三枝の国盗りゲーム」というクイズ番組があった。それはクイズに正解すると戦国時代の国、一カ国を獲得することができたが、同じように金融商品を一件獲得するごとに一カ国獲得できるようにする。

● 模造紙二枚分の大きな日本地図を作り、そこに昔の国境線と国の名を書き込み、営業マンが金融商品を獲得するたびに獲得した国をそれぞれ違った色で塗りつぶす。

● 支店の職員(支店長、副支店長を除く)を8から9人単位の四つの軍団に分け、それぞれ得意先係の若手営業マン4人が司令官になる。4人の司令官はそれぞれ独立した大名として、他のメンバーを家臣として従える。(役職者はその軍団の家老となる)

● 四つの軍団はそれぞれ、最初、日本の端の国(陸奥、薩摩)の半国ずつ与えられる。そこから金融商品を獲得することによって、隣の国へ領国を拡大し、最終的には京都を目指す。

● どこの軍団からも京都への通過する国の数が同じになるように、大きい国には線を入れ、同じ件数で京都に到達できるように調整する。

● 軍団の中の誰が積立定期をとってもその軍団の数字としてカウントされる。

● 一番早く京都に上った軍団が天下を盗ることができ、その司令官である大名は、征夷大将軍となる。幕府を開き、家臣団も朝廷での位があがる。しかもそれぞれのキャラクターに見合った位が与えられる。

● 一番早く京都に入り、幕府を開くことができた軍団全員に図書券などの商品を渡し、司令官には『将軍認定証』を与える。

● 再びキャンペーンを盛り上げる方策として、誰が将軍になれるか、どこの軍団が幕府を開けるかというクイズを支店全員に無記名で投票してもらい、結果を朝礼で発表する。(一番人気のあった人は当然頑張ろうとするが、人気のなかった人もこの結果に 発奮し頑張るのである)  

 今回もこの企画書を上司に出したらすぐOKが出ました。

 前回成功したし、なおかつすごく楽しかったので、読みながらニヤニヤ支店長が笑っているのです。

 今考えても、入社してから2、3年の若造にすべて任せてくれた太っ腹に感謝しています。

 そのあとがまた大変。前回以上の大騒ぎ。

 その続きはまた明日。 

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クモ膜下出血はどんな病気か。医師と女子高生の会話から

 こんにちは。  

 今日は銀座の方に仕事へ行き、さきほど戻ってきたところです。  

 帰りに、新橋方面へ出て、汐留シオサイトへ寄ってウインドウショッピングを楽しんできました。  

 最近都内の新しい観光スポットとして、六本木ヒルズや丸ビル、昨日ご紹介した秋葉原などが脚光を浴びています。  

 でも私的には、シオサイトが一番のお勧めかな。  

 その理由は…。なんて話題をしていたらまた長くなりそうなので、明日にでも書かせていただくとして、今日は久しぶりの医療ネタで行こうと思います。  

 もう一ヶ月以上前になりますが、脳出血の話題をお送りしました。今日はその続きですね。

 前回、前々回の記事は、「心と体」のカテゴリーをご覧ください。

 現在、私の本業の方で考えている取り組みが、病気やその治療法をやさしく一般の人たちに伝えてゆく方法。  

 予備校教師の書いた「経済のしくみをやさしく解説する本」みたいに誰でもよみやすく、わかりやすく、面白く、できたらいいなと思ってサンプルを作ってみました。  

 今日はその『世界一やさしい脳卒中の話』の中から、「クモ膜下出血は、どんな病気か」というテーマでお送りしましょう。  

 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定です。  

 脳卒中は、脳出血とクモ膜下出血と脳こうそくという種類の病気に分けられます。  

 前回、そのなかの脳出血について勉強したAYAちゃん。今日は、クモ膜下出血とはどんな病気かが話題になります。  

それでは…。   

<クモ膜下出血って、どんな病気?>  

 それじゃAYA君、クモ膜下出血ってわかる?

● AYAちゃん「言葉を聞いたことはありますけど、詳しいことはわからないです。たぶん、クモ膜の下で出血するんじゃないですか?」  

  またそのまま読んでる。でも悔しいけどその通り。

 人間の頭を開いていくと、頭蓋骨の下にすぐ脳があるわけじゃないんだ。脳は、外側から硬膜、クモ膜、軟膜という3つの膜で保護されている。

 クモ膜と軟膜の間は透明な液体で満たされていて、脳を外からの衝撃から守るクッションの役目を果たしているんだ。

 脳は豆腐のようにやわらかいものだから、頭蓋骨のような硬い入れ物に入れただけだとちょっと外からショックを加えられただけですぐ壊れてしまう。

 だから、豆腐屋さんの店頭で売られている豆腐のように水に囲まれた状態で保護してやらなければいけないんだよ。

● AYAちゃん「ふーん、なるほどね。ところでどうしてクモ膜って変な名前がつけられたんですか?」

 クモ膜は半透明の薄い膜なんだけど、よく見るとクモの巣のような構造になっている。だからクモ膜と名づけられたんだね。

● AYAちゃん「単純…、ですね。クモ膜の下にある血管が破れて起こるから『クモ膜下出血』…。これも高血圧からコブができて、それが破裂して出血するんですか?」

 そうだね。脳の血管にできるコブである脳動脈瘤が破裂して出血するケースがほとんどだけど、生まれつき脳の動脈と静脈がつながっている『脳動静脈奇形』が原因となるケースもあるよ。

● AYAちゃん「えっ? 動脈と静脈が直接つながっているんですか?」

 そう。正常な脳だと動脈と静脈の間に毛細血管というワンクッションがあるんだけど、圧力の強い動脈の血流が直接、血管の壁の弱い静脈に流れ込むんだ。

 すると静脈の壁が持ちこたえられずに破れてしまう。それでそこから出血するわけ。

● AYAちゃん「先天的な病気っていうことなんですね」

 だから子供に起こるクモ膜下出血と言われているんだ。子供が熱がなくてけいれん発作を起こすときは脳外科で精密検査を行ってみたほうがいい。

● AYAちゃん「でも脳動脈瘤って生まれたときからコブがあるわけじゃないですよね」

 生まれたときからコブがあるわけじゃないけれど、できやすい体質は遺伝するんだ。

● AYAちゃん「(ガーン)私のおじいちゃん、検査で動脈瘤があるって言われたんですよ。もしかして、わたしもやばいんじゃないですか」

 クモ膜下出血は、脳卒中の中でも脳こうそく、脳出血とともに三大脳卒中と呼ばれているんだ。脳こうそくや脳出血が高血圧をはじめとする後天的な理由で起こっているのと違って、クモ膜下出血は先天的な理由で起こるという違いがあるね。

● AYAちゃん「先天的な理由って何ですか? 先生、はやく教えてください」

 ちょっと血相変えて白衣をつかまないでよ。  クモ膜下出血は、脳の太い血管の分かれ道の壁の部分が生まれつき弱いんだ。そしてその弱い部分へかかり続ける血流の圧力によってコブ状にふくらみ、やがて破裂して出血するんだよ。

● AYAちゃん「(真剣な表情)生まれつき弱いって、何がどう弱いんですか?」

(怖い…)ひとことで言うと、生まれつきの不充分な脳血管形成が原因だね。血管の壁は三層構造になっていて、本来しなやかで頑丈なものなんだ。

 三層の壁は、内側から内膜、中膜、そして一番外側の外膜という名前がつけられている。ところが生まれつき、中膜の一部が発達不充分か、先天的に欠けていることがあるんだ。

● AYAちゃん「三層構造になっている真ん中の壁が、生まれつき薄くなっていたりなかったりするんですか」

 そう。特にこの内膜は、血管を頑丈にするための筋肉繊維がある。だから血管の強度という点で著しく劣ってしまうんだ。

● AYAちゃん「キャッチャーミットの中綿がない状態ですか?」

 痛そう。それじゃ150キロの速球を受けたら怪我するね。それにしてもうまいこと言うなあ。

● AYAちゃん「先生、感心している場合じゃないです。それでどうなるんですか」

 ごめん。血管には血圧という圧力が絶えずかかっている。野球のミットみたいに試合や練習のときだけ使うんじゃなく、それこそ毎日、昼も夜も球を受け続けている状態なんだ。

● AYAちゃん「丈夫な皮でできたミットでも、中綿がなければいつか破れてしまいますね」

 そうだね。だけど血管の場合は弾力性があるから、血流の強い圧力に耐えられなくなるとコブ状に血管がふくらみ出すんだ。できたコブの内側に血液が激しく流れ込んで渦がまき、コブを大きくする。

 そしてコブの先端がその圧力に耐え切れなくなって亀裂が入り、やがて破裂する。

● AYAちゃん「破裂するとどうなるんですか?」

 激しい頭痛を引き起こすんだ。よく、突然後頭部をハンマーで殴られたような頭痛に見舞われると言われているよ。同時に気分が悪くなって吐いたり、けいれんを起こしたり、時間がたつと首の筋肉が硬くなる症状も起きる。

● AYAちゃん「後頭部をハンマーで殴られるなんてすごい表現。でも、よほどすごい痛みなんでしょうね」

 それも怖いけど、突然何の前ぶれもなく起きるのも怖いね。脳動脈瘤はかなり大きくなっても破裂するまでは症状もないし、健康な人とほとんど変わらない場合が多い。だけど突然、何の予告もなしに動脈瘤が破裂する。

● AYAちゃん「じゃあ、どうすればいいんですか?」

 脳の大血管のコブさえ破裂しないうちに見つけて修理しておけば、クモ膜下出血にならないですむんだ。

 今なら脳の専門病院へ行き、あとで話すMRIという検査機器の中に20分間くらい横になっているだけで動脈瘤があるかどうかわかるんだよ。

● AYAちゃん「やはり破裂しないよう予防することが大事なんですね」

 さきほど話した三大脳卒中のなかで、一番若い40~50歳代の年齢層に多く発生し、しかも一番死亡率が高く、統計によっては半分の人たちが亡くなるという怖い病気だからね。

● AYAちゃん「40~50歳代といったら働き盛りで、一家の大黒柱になっている人たちですね」

 私が脳外科医になりたてのころ、クモ膜下出血で倒れて意識のないお母さんの名前を、泣きながら呼びかけている小中学生の子供たちに心を痛めたんだ。

 この病気は、男女の区別なく突然襲いかかるんだよ。これから子供が進学したり、就職したり、結婚したり、子供が生まれたりと大きく成長していく姿を見ることもなく死んでしまったんだからね。

 子供たちにとっても、まだまだ頼りにしなければならないお母さんが突然この世からいなくなってしまったんだから…。

● AYAちゃん「(目がうるうるになってる)先生、目がうるうるしてますよ。私のハンカチ使ってください」  

(いつになるかわかりませんが、続く)

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「らしさ」で、やる気と能力を高める法

 こんにちは。

  昨日の大学相撲部の監督の件。

 まだ多少、頭の中でクエスチョンマークが点滅している。

 それで、学生時代の友人に電話したんですよ。

「昨日、スゲェーテレビ見たんだよ。○○、覚えているよな。彼が相撲部の監督やっているみたいなんだ。なんと、まわしを締めて、学生に胸を押させてる…」

 ものすごい驚くと思いきや。

「ふ~ん。昔から変わっていたからな。一応、驚いたけど、想定の範囲内だね」

 あんまり驚いてないみたい。彼のその後の変貌ぶりは納得できるらしい。

「それよっか。お前が十年以上会社をつぶさずに生きていられることのほうが納得できねぇ」と声をあらげて言われてしまいました。

 こちらのほうが彼にとって想定の範囲外だそうな。

 それはさておき、先日、といってもかなり前ですが、会社時代の上役と会う機会があったんですよ。

 私が新入社員当時の上役で、すごく叱られた人。

なんてったって、歩き方が悪いって怒られたんですから。

それだって普通に歩いていたつもりだったのですが、覇気が感じられないとか。

注意ぐらいの生易しいものだはなく、烈火のごとく叱られたといった感じでした。

生まれてこのかた歩き方が悪いと言われたのはそのときだけ(笑)。

そのほかにも、もう数え上げれば切がないくらいいろいろ叱られました。

…といって、私が独立したのはその十年後ですから、叱られたこととは関係ありませんのであしからず。

…で、その厳しかった上役。会社から出向という形で、取引先の経理部長になったそうです。ここまではよくある話ですよね。

ところが、出向先の社長とけんかして辞めさせられてしまった。取引先ですし、また友好関係にもありましたから、それは異例のこと。

片道出向だったので、行き先がなくなってしまったそうです。

私が会ったときは、もう昔の面影がまったくないくらいやつれていました。

冗談だか本気だかわからない口調で、「ビジベン君の会社に雇ってもらおうかな」なんて言われたときは、正直ゾッとしました。

また例の調子で叱られてはたまりませんから。丁重にお断りを…、なんてうちの会社はそれ以前の問題なんスけどね。

でもあの調子では、もう叱るだけのパワーは残ってないかも。

あまり悪口は言いたくないけれど、その上役は、上司としての権力を振りかざすような人でした。若くして出世して、支店長も経験して、でも役員にはなれなくて、取引先に出向した。

その人のパワーの源泉は、会社内の地位ではなかったのか。

この点につき、多胡輝氏の本には以下の記述があります。

 人は、低い地位につくと、その地位にふさわしい低い能力しか発揮できないようになりがちである。

人は誰でも、ある地位につくとその地位にふさわしい態度をとるものだと言われます。その地位にふさわしい能力は、それらしく振舞うことによって身についてゆく。

その上役は、上役らしく権力を振るうことによって、その地位にふさわしい能力を身に付けていったのかもしれません。

しかし逆に、活力の源泉である地位がなくなってしまったことによって、活力どころか能力まで錆び付いてしまったみたいです。

逆のことも言えると思うんですよ。

社長の能力がなくても、社長らしく振舞っているうちにその地位が身についてゆくのではないか。

また、今勉強ができなくても、優等生らしく振舞っていれば、次第に自信がつき、勉強もできるようになるのではないか。

つまり、地位が人を作る。

プロ野球でも、技術が未熟な新人選手でも、「お前をレギュラーとして使う」という方針のもと、一シーズン使われ続けた選手がいます。その選手は、他の選手より能力のアップ度が高いはずです。

野球の最高峰のプロ野球球団でレギュラーをはった自信は、何にも代えがたいものですよね。

逆に能力があっても、失敗して閑職にでもつけばそれなりの能力しか発揮できないようになる。

もし不幸にしてそういうケースになってしまった人でも、以上のことを知っておく必要がありますね。

地位は一時的に下がっても、能力までは自信を失ったからといって下げる必要はないということを…。

それにしても私たちは、「らしさ」のもたらす絶大な効果と恐ろしさをよく理解すべきだと思います。

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自分の夢をかなえる効果的な方法

 こんにちは。

 実は昨日から、頭の中でクエスチョンマークが点滅していて、仕事が手につかない状態なのです。

 というのは、昨日NHKでクローズアップ現代を見たんですよ。

 東北大学の大学院に在学している内舘牧子さんが相撲部の監督に就任して、部が強くなったらしいです。そして、現在の子どもたちの相撲離れにどう歯止めをかけ、相撲の底辺を広げてゆくかという話題が中心でした。

 この3日間、ブログで間接的に相撲の話題を取り上げたので興味深く番組を見ていたのです。

 そこまではよかった…。

晩御飯を食べながら、次の「試してガッテン」のテーマは何かな、と考えていたとき、いきなり衝撃の映像が…。

まわしを締めた中年の男性。相撲の指導者にしては割とスリム。

あれっ? どっかで見たことあるぞ。

下にスーパーが出ます。「名古屋大学相撲部監督、○○」

えぇぇぇぇぇぇぇ~、おいらの学生時代の同級生じゃん!!

当時20人いた同じゼミの仲間。当時から20年以上たっていましたが、雰囲気は変わらない。

ゼミの仲間とは何年かに一回は会っているのですが、彼とは卒業以来一回しか会っていなかったので、すぐには気がつかなかったのです。

卒業してから大学院へ進学し、フランスへ留学したというのは聞いていました。だから名古屋大学の教授になっていたとしても、とくに驚きません。(多少、嫉妬と羨望で見たのは事実ですが…)

私が驚いたのは、彼がまわしを締めて、部員たちに稽古をつけていたこと。

当時の彼を知っている人が見たら、信じられない光景…。

私も含め、学生時代、ほかのゼミ生はTシャツかトレーナーにジーンズが普通のスタイル。彼だけ、ブランド物のカジュアルウェアをさりげなく着こなしていましたっけ。

趣味がテニスで、大学院へ行きながらテニスのインストラクターをしていたとか。

実家もお金持ちですごい豪邸に住んでいるらしかったので、私たちは、「貴族」と読んでいました。

そんなひと頃のトレンディードラマの主人公のような人間がまわしを締めてテレビに出ているんですよ。

フランスに留学してから、日本固有の文化に目覚めたのかな。

相撲部員が、体脂肪率20パーセント以下で、つねにカッコよくなければならないという指導方針だけは昔を髣髴とさせるものがありますが…。

しかも、これが一番重要なポイントなのですが、学生時代はたぶん私の方が相撲強かったと思うし。いつ強くなったの?

う~ん。わからないよ~。謎は深まるばかり…。

ちょっと前ふりが長すぎました。ここからが本題。

ブログを拝見していると、本当にさまざまな記事がありますね。私がよく記事を出させてもらうカテゴリーは、「ビジネス」。

自分が記事を出している以上、ほかの人はどんな記事を書いているのかな、ということが気になります。

当然、将来起業を考えている人、独立開業して汗にまみれて頑張っている人がたくさんいるようです。

なかでも注目しているのは、若い人たちが大きな目標をタイトルに掲げ、その実現に向けて頑張っているブログでしょうか。

起業家である以上、皆、大きな目標を抱いて独立したのだと思います。

今でこそ、とにかく食べていければ御の字というくらいまで目標が縮小してしまった私でさえ、独立した当初は、せめて従業員100人くらいの会社を作りたいなぁと思っていました。

うぅ、今から思ったら、なんて向こう見ずな奴。

でも、あくまで目標、夢は大きく持つべきだと思うのです。最初から食べていければいいやぐらいの軽い気持ちで独立しても、現実は食べていくのさえ大変だと気づきますぜ。

さて、この目標。いろんな表し方があると思うんですよ。

大きな目標を立てても、自分の胸の中にそっとしまっておく人。

私はこのパターンでしたな。開業当時、従業員100人の会社を作るなんていったら、周りの人たちから笑われるか、現実はそんなに甘くないよと諭されるかしたでしょうから。

だからその無謀とも言える目標は、誰にも話さず、自分の胸にしまっておいたのでした。

でも、若い人たちは、目標を堂々と掲げ、その目標に向け頑張っています。

その分野は、ブログの中でも、もっとも注目を集めるもののひとつですから、その目標は多くの人が目にすることになります。

つまり自分はいつまでに何をするかという目標を、他人の前で宣言すること。

実はこのやり方が、目標を達成するためにもっとも効果的な方法だそうです。

そうすると、もうあとへは引けなくなる。自分から頑張らざるをえなくなる。そして、奮闘努力の末、気がついてみると、不思議に目標が達成されている。

そうですよね。私みたいに、目標が自分の心の中でだけ立てられている限りでは、達成できそうもないときはすぐ「ま、食べていければいいや」と下方修正できてしまう。

これに対して、「宣言」というのは、目標を自分ひとりの心の中だけでなく、天下に公言することです。少なくともブログだったら、インターネットにつながるパソコンがあれば、世界中の人たちが眺められるわけですから。

当然、安易な修正はできなくなり、目標に対する緊張関係は常に保たれる。

いつもお世話になっている多胡輝氏の「人間心理の落とし穴」には、この点につき、心理学の実験の事例が記載されています。

ある学校の教師に、生徒五人に対して一人を選ばせ、その選んだ生徒が自分の成績があがると宣言させる。そして教師も、それを極力信じ込むようにした。

するとしばらくして、成績があがると宣言した生徒たちの成績が本当に上がってきたのだとか。

なるほど、やはり自分から宣言するといいのですね。もちろん成績を疎外するいろいろな要因もありますから一概には言えないと思います。

でも、この方法でしっかり宣言して、それでもだめだったらあきらめがつくかも。

それでは私も心を入れ替えて、今からでは遅いかもしれないけど宣言しようかな。

私、ビジベンは、ファストフードだけの昼食から、毎日、800円の日替わり定食が食べられることを目標にして頑張ります!

だめだ、こりゃ ( いかりや長さんの口調でお願いします) 

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