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足利ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 先週の土曜日はなんと40日ぶりにウォーキングへ行ってきました~♪。最近忙しくてなかなか行く機会がなかったので。

 出かけたのは、足利学校で有名な足利です。

 日本史で受験されたことのある人なら、「足利学校は日本最古の学校で、上杉憲実が再興」というフレーズは嫌というほどお目にかかったはず。

 ビジネスマンなら、経営再建中の足利銀行を思い浮かべますかね。

 オイラは、森高千里の名曲「渡良瀬橋」の舞台をイメージします。確か、遠距離恋愛の歌詞でした。でもそれほど東京から遠くないと思うんだけど…。

 そういえば最近、あややも歌ってヒットしていましたっけ。

 さて、この足利。

 どこの県にある都市かって、意外と知られていないんじゃないでしょうか。

 栃木県だそうな。織物のまちとして栄えたそうなので群馬県のイメージもある。となりがこれまた織物のまちとして全国的に有名な群馬の桐生市ですから。

 ところで足利は、オイラにとって二度目の訪問。前回出かけたのは、なんと19歳のときでした。

 確か、ゴールデンウィークの頃だったと覚えています。

 実はその前の春休みに、川端康成の「伊豆の踊り子」を読んだのですよ。

 お~、一人旅っていいな。もしかして、どこかで踊り子に会えるかもしれないぞと、それがきっかけで、いろいろな場所を訪ね歩いたのです。

 神をも恐れず言うならば、当時は三浦友和気分だったかも。

 そして記念すべき第一回目が、足利でした。

 それで今に至るわけですが、旅先で踊り子に会ったことなぞ、一度だってありゃしません。

 そりゃ昭和・平成の時代に踊り子が峠を歩いているわけはないのですけどね。

 それはともかく、昨日の午前10時30分。東武足利市駅を降り立って、何十年ぶりかの市内見物に出かけました。

 まず行ったのは、足利学校の近くにある「太平記館」。

 以前、NHKの大河ドラマで「太平記」を取り上げたことがありましたね。真田広之が足利尊氏を演じた…。

 ひとことで言えば、ここは観光案内所と地域の名産品の売店なのですが、大河ドラマの収録時の模様を写した写真が展示してあってなかなか楽しめます。

 真田広之がドラマで着用した鎧もありましたよ。

 あとで考えたら、まずここへ来てよかったかも。行かなかったら20数年前の悲劇をまた繰り返すところでした。

 その話題はまたあとにして、そこで足利の観光案内のパンフレットをごっそりもらいました。

 いろんな切り口で作ったものがたくさんあるのですね。観光に力を入れているのがわかります。もちろん無料なのがうれしい。

 そこを出ると、国道をはさんだ場所にあるのが有名な「足利学校」。

ここは前回来たときと比べて様変わりしていました。昔は孔子廟という江戸時代に建てられた木造建築物だけだったのですが、新たに方丈や庫裏が復元されている。

 なんでも平成2年に、江戸中期の姿としてよみがえらせたらしい。

 ちなみに方丈は、当時学生の講義や学校行事、また来客のための座敷として使用されたそうな。それから庫裏は学校の台所で、食事など日常生活が行われたとか。

 どちらも萱葺きでまだ新しく、その前の庭園の景色と見事にマッチしていました。

 見た目は学校というより、お寺ですね。

 それもそのはずで、学校の学生のほとんどは僧侶。そして先生も、トップレベルにあった学問僧が任命されていたとか。

 お寺の本堂のようなところで皆勉強したのですね。

 学校というから、黒板や教壇があるのかと思ったらそれもなし。どうやって教えるのだろうと思いました。

 当時、ここでは孔子の教えに基づく「儒学」がここでの勉強の中心。また易学(占い)や戦国時代は兵学も学んだとか。

 ところが講義主体の教育法ではなく、自学自習が基本だった。主に中国の古い本を教科書に、それを書き写す作業が主体。

 したがって時間割はないどころか、在学期間の決まりもなし。

 学生は学校にある本を写して自習し、自分の学びたい学問が終わったら自分の国に帰って行ったとか。要するに、自分で納得できたら「卒業」なのですね。

 だから長い人は10年以上、短い人は1日で「卒業」した。

 一日、本を書き写しただけで、俺は足利学校卒業だと威張れたのでしょうかね。

 もっとも実力が伴わなければすぐ馬脚を現したのでしょうけど。

 そして学費。

 どうやら学生が学費を払った記録はなく、逆に学校側が食事と宿舎を提供した記録が残っているらしい。

 なんか自由気ままな、ゆる~い学校だった印象。

 実力がつくのかなと思いましたが、もともと勉強したい人だけが集まるから、籍だけおいて遊びまくっている学生はいなかったのでしょうね。

 ただ校則は結構厳しい部分もあったようです。中興の祖、上杉憲実が定めた校則は以下のようなもの。

・学ぶべき学問の内容や規則を守らない学生の在校をゆるさない。
・不熱心な学生の在校を許さない。
・学生は入学に際して僧侶の身分となる。

 考えようによっては、うまくテストやレポートを潜り抜け、あとは遊んでいても卒業できる、今の学校よりは厳しいかもしれません。

 最盛期は学生数三千人。あのフランシスコ・ザビエルが、日本でもっとも大きくもっとも有名な坂東の大学として世界に紹介したらしいです。

 次に向かったのが、鑁阿寺。← (「ばんなじ」と読むのだそうな)

 由緒あるお寺なのですが、ここはもともと足利氏の館跡。周囲に土塁と堀をめぐらせた寺域はほぼ正方形の40,000平方メートル。

 城好きとしては、鎌倉時代の武士の屋敷がこれほどよくイメージできる場所が残っていてうれしい。

 堀にかかる太鼓橋は、城門のような感じもしました。

 この寺は足利氏二代目の義兼が1196年に自分の館の中に持仏堂を建てたのが始まりとか。

 本堂や鐘楼は重要文化財だし、イチョウの大木は迫力あるし、お寺としてもすごい存在感があります。

 書き忘れましたが、足利学校から鑁阿寺までは5分ほどの道のりですが、蔵や古い商店が建ち並んでいてとても風情がありましたよ。

 かなりあわただしく行き過ぎましたが、時間があればゆっくりそぞろ歩きしたら楽しいでしょうね。

 そこから鎌倉幕府の重臣であった足利義氏の墓のある法楽寺を見て、織姫神社へ向かいました。

 時間は午後1時近く。

 急がないと大変なことになる。

 午後は、前回の訪問のとき、強烈なインパクトのあったハイキングコースに再チャレンジする予定なのです。

 それは、今回のウォーキング最大の目的。

 織姫神社から足利城址を経て大岩毘沙門天、そして関東の高野山と言われる行道山浄因寺へと抜けるコースを踏破することです。

 前回、19歳の若さを持ってしてもかなり苦労した記憶がありました。そして最後に待っていた悲劇。家に戻ってから体調を崩して2、3日寝込んでしまった…。

 今も忘れられない苦い経験です。

 今回、そのときとほぽ同時刻にスタート地点の織姫神社を出発し、まったく同じコースをたどる。

 19歳のときの体力への挑戦ですね。

 果たしてまた返り討ちにあって寝込むのか。

 その模様はまた次回。

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コメント

はじめまして。足利学校は日本最古の学校で、上杉憲実が再興。というフレーズ勉強不足でしりませんでした。ブログは勉強になります。上杉憲実の記事、TBさせて頂きます。それでは失礼致します。

投稿 武士の歴史365日 | 2006年2月20日 (月) 12時08分

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