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私の仕事ストレス解消法

こんにちは。

 先日、福井晴敏の「終戦のローレライ」、文庫本全四冊を読み終わりました。

 戦争末期の日本、そして潜水艦という特殊な舞台設定でしたが、迫力ある戦争シーンと登場人物の克明な背景描写、息をもつかせぬプロット展開で、期待通り面白かったです。

 この作品は、完成まで3年くらい要したのでしょうか。現実の戦争を知らない作者が、頭の中だけでこれだけのストーリーをつむぎ出したという点に、人間の脳のはかりしれない可能性を感じました。
 
 そしておととい読み終わったのが、乙川優三郎の直木賞受賞作、「生きる」。

 この作品、たった二日間で読み終わったのですが、インパクトという点において、「終戦のローレライ」を凌駕するものがありますね。

 直木賞をとらなかったら、おそらく一生読まなかった小説だと思います。

 地味で暗そうだし…。

 でも、読後感は、面白いエンタテイメント作品を読んだあとより、さわやかな気分になりました。

 亡き藩主への忠誠心を示す「追腹」を禁じられ、生き続けざるを得ない初老の武士。周囲の冷たい視線、嫁いだ娘からの義絶、そして息子の決意の切腹。

 これ以上ないくらいドツボにはまった主人公が、失意の底から立ち上がる過程が、すごく説得力がありました。

 主人公は、自分を間接的にこのような境遇に陥らせた家老に書状をしたためようとするんですよ。

 そのくだりを引用すると、

「梶谷家老にあてて書状をしたためる。どうせ恥辱にまみれたまま死ぬのなら、うらみつらみを吐き出してやろうと思ったのである。

 ところがいざ恨みをつづりだすと、どれもこれも力を出せば克服できたはずのものに思われ、書けば書くほど泣き言を並べているような気がした。

 胸のうちを文字にしてみると、恨みの正体が見えてきて、その薄さに気付かされたのだった。長い間、評定を聞いたままに書き留めることに馴れてしまい、中身の重さや真意について考えないことがクセになっていたのかもしれない。

 何もせず、ただ恐れ立ち尽くし、嵐が去るのを待っていただけではないか。

 わずかなことでも人は変われるものだ、とやがて他人事のような感想をもてたとき、又衛門はようやく本来の尊厳を取り戻したらしい自分を感じた」

 どうして主人公は立ち直ることができたのでしょうね。

 おそらく、自分を客観視できるようになったからではないか。

 そこに、ストレス解消の糸口があるような気がしました。

 さて、前ふりが長くなりましたが、今日は私のストレス解消法について書きたいと思います。

 ストレスは、仕事なり、プライベートなりがうまく行っているときはあまり感じないもの。

 人は、自分の思い描いている理想と現実のミスマッチを実感するとき、大きなストレスを感じるのではないでしょうか。

 そのミスマッチの実感をひとことで言うと、「スランプ」なのかもしれません。

 しかし、何をもってスランプというのでしょうね。

 まわりから見ると別に普通じゃん、と思われるケースもあり、上司から何やってんだと怒鳴られ、ドツボにはまっているケースもある。

 ただ意外と、まわりは本人ほど悩み、苦しんではいない。

 本人だけが、スランプじゃ~と悩み、這いずり回って脱出しようとするが、ますます泥沼にはまってしまうのはよくあること。

 元巨人の中畑は、いつも、ぜっこうちょ~!!!って言ってましたよね。(← 覚えている人います?)

 ああなると、少々打撃成績が悪くなってもスランプだとは誰も思えない。

 スランプとは、まわりから調子が悪いと思われ、なおかつ本人がそれについて思い悩んでいる場合である、と私は勝手に定義します。

 だから、本人が悩んでいなければスランプではない。

 悩まないのが、とどのつまり、究極のスランプ克服法ではないか、と。

 オイラは血液型A型ということもあり、わりと小さなことでも悩むタイプかもしれません。

 だから結構、ストレスには弱いのかも。

 若い頃から、心配事があると眠れないことも何度かありましたね~。

 それで、そういった性格を改善しようと、いろいろな本を読んで、ストレスの解消法を研究したのです。

 そしてその中から自分なりに、役立つと思って抜き書きしたのが、以下の項目です。

● 人間万事塞翁が馬と考える。

  …とにかく、今取り組んでいる物事に対して、全力で頑張る。しかし結果が失敗であってもくよくよしない。

 災いが福を呼ぶ場合もあるし、福が災いを呼ぶ場合もある。

 確かにこれはありますね。

 オイラの知っているケースでも、人より早く出世して、将来を嘱望されていた人がいたんですよ。

 ところが、こういう出る釘を許さないのが、日本の職場風土。

 まわりの嫉妬から足をさんざん引っ張られ、なかなか上司の期待に沿った実績をあげられない。

 いわば、スランプに陥ってしまったのです。しかもすべて自分ひとりで抱え込んでしまった。

 そうなってしまうと、スランプから脱出しようとあがけばあがくほどぬかるみにはまる。

 真面目で責任感の強かったその人は、心労から病気になり、五十代前半の若さで亡くなってしまいました。

 トップで出世しなければ、亡くなることはなかったかもしれません。

 日本企業の場合、若い頃トップの成績をあげていた人ほど、意外と役員にはなれないと聞いたことがあります。

 同期や直属の上司の嫉妬から、途中で出世の階段から引きずりおろされてしまう。

 可もなく不可もない、世渡り上手な人間が、大企業の役員には多かったりする。

 実力者が役員にならないと中小零細企業は生き残ってゆくことはできませんが、大きな会社は、ジリ貧になってもすぐ倒産するわけではないですから。

 歴史を見ると、もうホント、塞翁が馬の繰り返しだと思います。

 ちょっとぐらい良いことや悪いことがあったとしても、その結果は、長期的なスパンに立って見なければわからない場合が多い。

 一喜一憂しても無駄だと言っていいのかもしれません。

 もちろん、いい結果を目指して最善の努力はする。しかし、その結果に関しては一喜一憂しない。

 そういった長期的なスタンスで考えれば、ストレスも低減できるはずです。要は気の持ち方ってことですね。

● 仕事に対する考え方を変えてみる。

 …つまり客観的にいろいろな角度からものごとを考えてみる。たとえば、仕事にゲーム感覚を取り入れるというのはどうでしょう。

 たとえば、ある人が尿管結石で入院したそうです。

 この尿管結石の痛みって、人間が感じる痛みの中で、一番キツイ痛みなんだとか。

 さて、その人は激痛の中で、当然ストレスがたまります。苦しみながらも、ちょっとその痛みに対して考え方を変えてみようと思ったそうです。

 それは、「人間、どこまで痛みに耐えられるか、ためしてみよう」と思ったこと。

 そのとき、感じたのは、「本当にキツイときは、気絶する。痛いと感じるときは、それほどではない」ということでした。

 そう思ったとき、不思議と今までの激痛が耐えられる痛みに変わったそうです。

 オイラも同じような経験がありますよ。

 若い頃、毎日飛び込み訪問で新規取引先を勧誘していたときのこと。

 うまくいく日もあれば、まったく調子が上がらない日もある。二十軒も連続して、けんもほろろの応対で断られれば、今日はスランプじゃ~と、暗くなる。陰気な顔をした営業マンなんて、誰も相手にしません。

 だからますますドツボにはまる。

 そのとき考え方を少し変えてみました。「どれだけ断られれば成約できるか、ひとつためしてみよう」と。

 その感覚は、自分が悲劇の主人公という主観的立場じゃないんですね。

 その悲劇の主人公が出ている熱血根性ドラマを、ポップコーンを食べながら固唾を呑んで見守っている観客になったような気分とでもいうのでしょうか。

 本人は苦しんでいても、傍から見て、「今にきっと良いことがある、頑張れよ」って、客観的に応援している立場。

 ちょっと考え方を変えるだけで、気分がす~っと楽になるのですよ。

「ちいさいことにくよくよするな」という本が、かつてベストセラーになりましたが、その本の中でも同じようなことを言っています。

 本人の気の持ち方次第で、ストレスを感じないですむらしい。

 このほかにもストレス克服法はいろいろありますよ。この続きは、また次回。

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コメント

お初です!いつも拝見し勉強しています。
今日からは「ぜっこうちょ~!!!」と言って仕事に励んでいきたいと思います。
がんばりまっす!

投稿: oogushi | 2006年4月25日 (火) 09時42分

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