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西新井大師~炎天寺~ベルモント公園 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 最近、涼しくてよく眠れます。

 でも、天気がぐずついて雨降りばかり。

 なかなかウォーキングへ行けませぬ。

 せめて、先々週に行ったウォーキングのネタで、お散歩気分を味わおうと思います。

 今から考えると、懐かしく思えるほど暑い日でした。

 ウォーキングに行ったのは、東京都足立区の西新井周辺です。

 その日、オイラは東武大師線の大師前駅に降り立ちました。駅名の由来になった西新井大師の甍が、駅のホームからガラス窓越しに見渡せます。

 緑に包まれた荘厳な建物が並ぶパノラマは、なかなか壮観な眺め。

 神奈川県の川崎にも、川崎大師駅がありますね。こちらは、初詣の人手では全国屈指の寺ですが、西新井大師もかなりの人手を集めそうな大寺院です。

 それにしても、西国はもとより関東にもこれだけの足跡を残した弘法大師の影響力を今更ながら感じてしまいますね~。

 広い境内には、正面に大本堂。右手に宝物館、左手には三重塔や水子地蔵堂が整然と並んでいます。

2006630_

 本堂の前の藤棚では、近所のお年寄りたちが寛いでいました。

 本堂の裏から境内をぬけ、商店街や住宅街、団地をぬけて歩きます。暑くて湿度が高くコンディションはよくなかったですが、そこはシューズがいいですから、すこぶるスイスイ行きます。

 雷神社の近くの公園でちょっと一休みと、本を読み出したら面白いので読みふけってしまいました。

 その雷神社。「いかずちじんじゃ」と読むそうですが、昔、この辺りは落雷の頻繁に起きる地域で、新田の開発と五穀豊穣を祈願して雷様を祭ったのだとか。

 このままさぼっていたら、ドリフターズのコントみたいに雷に打たれて真っ黒こげになりそうなので、ウォーキングを再開しました。

 この地域は、至る所に公園がある。それぞれの公園には碑がたっていて、昔の畑が区画整理によって公園になったのがわかります。

 そんな栗原北公園を通り、東武伊勢崎線の陸橋を越え、栗原六公園を過ぎて、左に曲がって少し行くと、そこが炎天寺。

 この暑いのに、炎天寺なんて、ますます汗が出そうな名前のお寺だと思ったら、ちゃんとその由緒正しいいわれがあったのでした。

 平安時代末期、「前九年の役」(1051~62年)で奥州に出陣した源頼義・義家父子は、この地で安倍氏側の地元の豪族と衝突し、苦戦を強いられたそうな。

 そのとき父子は、鎌倉鶴ケ岡八幡社に勝利を祈願した。その後形勢は逆転し、源氏方が勝利をおさめる。

 ときは六月の炎暑の中の出来事。
 
 当時は、重い鎧と全身を包む衣服で、想像以上に過酷な戦いだったのでしょう。

 奥州平定の後、父子は再びこの地を訪れ、八幡宮と戦死者の霊を祀る寺を建立した。炎天下の激戦であったことから、寺の名は「炎天寺」、村の名は「六月」(現在は六月町)と名づけたという伝説があるらしい。

 よほど苦しい戦いだったのでしょうね。千年近くたった今も、その激戦のあとが寺や町の名前に残っているなんて。

 この近くには、かつて奥州街道が通っていて、源義家にまつわる伝説が数多く語り継がれていますね。

 また炎天寺は、小林一茶の俳句でも有名な寺だとか。

 境内には、一茶の句

 「蝉なくや六月村の炎天寺」
 「やせ蛙負けるな一茶是れにあり」
_

  などの句碑やモニュメントがありました。

 毎年「一茶まつり」には全国小中学生俳句大会が開かれているらしい。

 脳の活性化のためには、俳句がいいと先日のブログで紹介しましたね~。

 境内には、小林一茶の略歴を紹介する掲示板があったんですよ。

 その生涯を見ると、当時としては、というか今でも特異といっていいライフスタイルであったような。

 最初に結婚したのが、52歳のとき。奥様は28歳の若い人。

 その奥さんが37歳で亡くなると、62歳で38歳の女性と結婚。ところがまた亡くしてしまい、64歳のとき、32歳の女性と再婚。

 結局一茶は、65歳で亡くなるのですが、晩年は、中風を患いながら、大火で焼け残った土蔵に暮らしたそうですね。

 でも死ぬ直前まで、彼の句はユーモアを失わなかったとか。

 50歳過ぎてから結婚し、子供もできるなんて当時からしたらスーパーじいさんだったのでしょう。

 やはり俳句は、脳の活性化ばかりか体のほうも若さを保っていられる証明かも。

 それにしても、小林一茶が生涯に詠んだ句は約2万句。

 芭焦が約千句、蕪村が約3千句というからすごく多作。

 その内の7千句を収める「七番日記」は、四十代末から五十代半ばにかけて書かれたらしい。

 このころがちょうど作品の質量ともに充実した時期であった。

 この当時は、50歳といえば平均寿命じゃないですかね。俳句で鍛えた脳は老いを忘れたのかも。

 ちなみにプロレスラーの全盛期は、35歳から45歳であると一般に言われています。あまり本文とは関係ありませんが。

 炎天寺を出て、近くにある西光院、そこから少し歩いたところにある鷲神社をめぐります。

 地図をたよりに細い道をゆくと、工場の隣に赤羽家長屋門がありました。
Photo

 格式ある武士の屋敷の門のようにも見えます。

 ここは、 旧島根村名主の牛込金武邸跡で、「金武(きんぶ)屋敷」と呼ばれていたとか。間口18.5m、奥行き6.5mの堂々たる二階造りの門。江戸末期の建築らしいですね。昭和14年に赤羽家の所有となったと解説板に書かれていました。

 東武伊勢崎線、西新井の駅のそばにあるギャラクシティ(足立区こども科学館)の前を通り、最後の目的地、ベルモント公園へ向かいます。

 このベルモント公園。

 昔、アラン・ドロンと人気を二分した、フランスの俳優、ジャン・ポール・ベルモンドを記念した公園かと思ったら、まったく違うらしい。

 ここ足立区は、オーストラリアのベルモンド市と姉妹都市で、友好と交流のシンボルとして平成5年に開園したのだとか。

 外国の都市は詳しくないのですが、広大な大陸の西側に位置する地方都市です。

 あまり広くはない公園ですが、園内にはオーストラリアの植物が植えられ、小さな池には、西オーストラリア州の州鳥となっている黒鳥が泳いでおりました。

 若干の高低差をうまく生かして、芝生の洋風庭園では羊のオブジェが置かれている。
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 遠近法を利用して、うまく写真を撮ったら、オーストラリアを旅行してきました~とアリバイを作れそう。

 公園の中の赤レンガ造りの陳列館もなかなかいい味を出しています。

 その中には、オーストラリアの工芸品や日用品、羊毛をつむぐ道具などが展示してありましたが、土日しか開館していないようなのでご注意を。

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