« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

龍ヶ崎 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今日は少し涼しいですが、まだまだ暑い日が続きそうですね。

 相変わらず、重たいかばんを持って東京をグルグル歩き回っています。

 でも、甲子園をわかせた高校野球の熱闘に比べれば、単に歩いているだけかも。

 ボールを投げることも、バント処理にダッシュする必要もない。ましてホームランを打たれる心配もないのですから贅沢は言えません。

 でもここだけの話、ポッケには青い汗拭きタオルをしのばせているのです。

 そして交差点で信号待ちをしているとき、ポケットから出したままの形状を保ちつつハンカチで額の汗をぬぐう。

 言うまでもないですが、全然かわいくありませんので念のため。

 別に、ハンカチ王子の斉藤君の真似をしているわけじゃないですよ。

 銀行勤めをしていた20年以上前から、夏の暑い日の外回りはずっとこういう仕草をしていました。

 オイラが持っている青い汗拭きタオルだって、5年以上前から使っているものだし…。

 それなのに、先日、駅前で汗を拭いていたら、女子高生に笑われてしまったんですよ。

 ハンカチ王子の真似をしている、ちょっと危ないおじさんに見えたのでしょうね。

 こちとら、斉藤君の生まれる前から青いハンカチで汗をふいとるんじゃ~!!!

 もう気になって、汗も気軽にふけやしない。

「ハンカチ王子」ならぬ「ハンカチオヤジ」として有名になることだけは避けたい今日この頃です。


 それはともかく、今年の夏は「紺碧の空」をこれ以上ないくらいたっぷり聞けて最高でした。

 早実の応援って、六大学野球の応援そのままなんですね。

 点が入ると、皆肩を組んで「紺碧の空」を歌う。

 それから、コンバットマーチにスパークリングマーチ、大進撃…。

 「VIVA!WASEDA!」もやったのかな。

 早実出身の友人が、飲み会の余興で、「VIVA!」と叫びながら、ビートたけしの「コマネチ」をやっている姿だけがなぜか思い出されます。

 斉藤君は、そんな変な先輩の真似だけはしてほしくないのですが…。

 
 さて、今日もお散歩ネタ。

 少し前になりますが、お盆休みに茨城県の龍ヶ崎市へ行ってきました。

 東京では当時、台風の影響で小雨まじりのあいにくのお天気。

 天気予報によると、台風がジワジワ北上しつつある頃でした。でも、ネットで調べると東北地方はまだ晴天が続くらしい。

 雨の中のウォーキングは楽しみも半減しますかね。それならば、と久しぶりに北へ行ってみようと思ったのです。

 と言っても、思いっきり「北」ではなく、心持ち「北」の龍ヶ崎へ。

 以前から、龍ヶ崎城や古い町並みで要チェックの街でしたので、これを機会に行ってみようか、と…。

 北千住からJR常磐線の普通電車で、佐貫まで40分。そこから関東鉄道竜ヶ崎線に乗り換え、終点の竜ヶ崎まで7分。

 都心から近いのに、単線。しかも一両編成ですよ。ノスタルジックな気分を掻き立てます。

Ts360100

 市の正式名称は龍ヶ崎市というらしいですが、電車は竜ヶ崎線の竜ヶ崎駅。

 ネットで検索するときは、ちょっととまどいました。

 駅では、切符を駅員さんに直接渡すのが懐かしい。

 帰りの時刻を記録しておこうと、駅の時刻表をカメラで撮ろうとしたら、親切な駅員さんが小さな時刻表をくれました。

 そういうフレンドリーな対応もいい雰囲気ですね。

 駅前も、高いビルがなく、古い商店が並ぶ景色に懐かしさを覚えました。

 しかし雨から逃げようとここまで来たのに、雨に追いつかれてしまったみたい。本降りではありませんが、ときおり小雨がぱらつきます。

 駅前の砂利道を佐貫方面に戻り、県道をわたって道なりに進むと、来迎院という寺に出ました。

 小ぶりですが、室町時代に作られたという多宝塔がいい味を出しています。何でも、関東以北では唯一の古塔なのだとか。

Ts360105

 その優美な姿が500年近くも、この地域で暮らす人たちに見守られてきたのかと思うと感慨深いです。

 そこから向かったのは、県道4号線近くにある龍ヶ崎市歴史民俗資料館。

 館の外に、昭和40年ごろまで関東鉄道竜ヶ崎線を走っていたというSLが展示されていました。

Ts360108

 小さな蒸気機関車ですが、毎日佐貫と竜ヶ崎の間を往復していたのですね。

 さて、この歴史民俗資料館。

 ここは、なかなかいいですよ。

 よく、建物だけ立派で、展示物がおざなりな地方の資料館は多いのですが、見やすくコンパクトにまとめられていて、龍ヶ崎市の歴史や民俗の流れがよくわかりました。

 発掘された土器だの鏃だのをただ並べるだけの資料館が多いですから…。

 この街に残っている撞舞(つくまい)という神事は面白いですね。これは、高さ14メートルの柱の上にアマガエル姿の男がよじ登って曲芸を行うというもの。

 解説によると、船頭さんが昔、船の帆柱に登って曲芸をしてみせたのが発祥らしいですが、これは当時うけたでしょうね。

 今でも、関東三奇祭として残っているのですから、はじめに行った目立ちたがり屋の船頭さんは県民栄誉賞ものかも。

 ちなみに、ここは無料なのでお勧めです。

 次にむかったのが、愛宕神社。


Ts360112

 急な階段を登った先に、江戸時代初期に作られた古い社殿がありました。これはあの有名な伊達政宗の子の忠宗が創建したそうな。

 というのは江戸時代、竜ヶ崎近郊の村々は、仙台伊達家の飛び地1万石だったのですね。

 こんなところにも伊達家の足跡が残されていたなんて、来るまで知りませんでした。

 社殿の裏にある巨木が、歴史の古さを感じさせます。

 この先にある竜ヶ崎一高には、かつてこの地を支配した竜ヶ崎氏の城があったというので行ってみることにしました。

 高校の校内なので、中に入ることはできませんでしたが、確かに高台になっていて中世の城跡の雰囲気。

 谷一つ隔てた高台は、流通経済大学のキャンパス。龍ヶ崎市には珍しい高層ビルで、屋上からの眺めは絶景でしょうね。

Ts360114

 綺麗に清掃されてゴミ一つ落ちていないキャンパスは起伏に富んでいて、豊かな学生生活が送れそう。

 ガイドブックを見ながら、本堂裏のしだれ桜が見事な般若院、そしてかつての龍ヶ崎城主土岐胤倫(たねとも)の墓がある大統寺を見学してまわりました。

 ここまで来て、とうとう雨が本降りになってきました。

 バッグから折りたたみの傘を取り出します。

 傘を差しながら向かったのは、高台にある龍ヶ崎城址。

Ts360122

 竜ヶ崎一高のある高台は竜ケ崎氏が築いたもの。そのあとに栄えた土岐氏はかつて出丸であったこの場所に新たな城を築いたのですね。

 どちらも市内を見下ろす高台で、現在高校になっているという共通点があります。

 高校生にとっては地元を背負って立っているんだというインセンティブになるかも。

 でも、城好きとしては、中に入ってじっくり縄張りとか、土塁とか、堀のあとを調べたかったのに。

 もうほとんど残ってないのでしょうけど。

 急な石段を登ってみたら、高校の校門でした。

 上から眺めると、市内が見渡せます。曇っていなければ、見晴らしはいいのでしょうね。

 龍ヶ崎観音と呼ばれ、安産や子育て・開運・厄除けにご利益があるという龍泉寺へ行き、雨がすごくなってきたので帰ることにしました。

 帰りの道は、古い家がところどころ見られる旧道を通ります。

 駅へ向かう途中に、先ほど資料館で勉強した撞舞の舞台ともなっている八坂神社に立ち寄ってみました。

Ts360128

 小さな神社ですが、由緒あるたたずまい。源頼朝が鎌倉に幕府を開く頃、当時の領主が龍ヶ崎開拓に当たって、この地にひらいたのが始まりとか。

 雨に濡れながら竜ヶ崎の駅に戻ってきたのが、午後4時半ごろ。

 JR常磐線の佐貫駅に着いたときは、雨があがっていました。

 せっかくここまで来たのだからと、牛久沼へ行ってみることにしました。

 地図はなかったのですが、感で歩いてゆくと、やがて眼前に大きな水辺の風景が。

 沼というより、湖といったほうがいいくらい開放的な雰囲気です。

Ts360131

 曇っていて、対岸が霧にかすんでいましたが、その大きさはよくわかりました。

 思わず口から出た歌が、「霧の摩周湖」。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

会議で、自分の発言に説得力を加える法

 こんにちは。

 先日、なんと、「東京国立劇場」の中へ入ってしまいました。もちろん、生まれて初めて。

 たまに国会図書館へ行くとき、いつかは中へ行ってみたいと思っていました。

 その願いが通じたのか、公私共にお世話になっている病院の院長先生が招待してくれたのです。

「国立劇場」といえば、最高裁判所の隣にある格調ある建物。正面は、桜田濠をはさんで皇居。それから警視庁の庁舎もご近所です。

 江戸時代、庶民の娯楽であった歌舞伎や舞踊が、今の時代はお上の目の前で堂々と行われているのも、時の流れを感じますね。

 先日の公演は、「市川流舞踊会 市川ぼたん御披露目」でした。

 市川ぼたんは、歌舞伎界の大名跡、市川團十郎の長女で、市川海老蔵の妹だそうな。

 公演では市川ぼたんを中心に、市川團十郎率いる市川流の舞踊を堪能できました。

 まず、市川團十郎の「景清」。

 白血病の闘病生活を感じさせない動きと迫力に、さすがの存在感。還暦を迎えたとは思えないくらい若いですね。

 傘をさして見栄をきる動作が気に入って、今日雨が降ったとき、自然と真似してしまいました。

 次は、市川海老蔵と市川紅梅の「団子売」。

 大河ドラマの武蔵やスキンヘッドの強面のイメージもあった海老蔵ですが、団子を売るいなせな町人を飄々と演じて、好感が持てました。

 最後は、新歌舞伎十八番の「鏡獅子(かがみじし)」。

 長い白い毛を頭にかぶり、ぐるぐるまわすインパクトある演出は有名ですね。

 最初、六法を踏みながら鏡獅子が花道から現れたとき、誰もが海老蔵だと思ったんですよ。

 それくらい動きに迫力がありましたから。

 オイラなんか、終わった後も気づかなかったくらいです。あとで、26歳の女性のぼたんが演じていたと聞かされて、皆驚いていました。

 その少し前に、お姫様の姿でエレガントに舞踊をしていましたから、その落差にびっくりしたのです。

 それにしても先日の舞踊会は、有名な人たちが集まっていて、そちらのほうでもオイラはびっくりですね~。

 
 ところで、今では歌舞伎や舞踏というと、教養としてのカテゴリに入れられるのかも。

 テレビでは、NHKの教育テレビでしか見られないですし…。

 昨日行くまではオイラもそう思っていました。

 でも、生で舞台を見ると、ホントに面白い。

 江戸時代のエンタテイメントですね。

 三味線や鼓、太鼓、そして唄のバックミュージックにあわせて、出演者が踊る。

 これはまさに、ミュージカルですよ。

 床を足で踏んで、音楽に合わせ、リズミカルに「ドン」と音を立てるのは、タップダンスに見える。

 今見ても、結構面白いのだから、言葉が何の抵抗もなく受け入れられた江戸時代の人たちにとっては、「キャッツ」や「ライオン・キング」を見ているような気分になったのかも。

 ある程度、当時で完成してしまったから、そのままの形で今に残ったのかもしれませんね。

 江戸時代の庶民の気持ちになって見ると、まだまだ発見はありそうです。

 
 さて、今日は久しぶりのビジネスネタ。

 もうかなり忘れてしまっていますが、夏休み前は「会議で好印象を与える自己表現術」の話題だったような。

 今日はその続きの「会議で好印象を与える自己表現術のその6」から。

● 端数のある数字を使うと、話の信頼感を増す。

 会議の場では、たとえ使わなくても、資料を用意することで、信頼感を高めることができると言われます。

 …というのは、人がある決定をするとき、いかにそれに対する情報を集めたか、そしてその情報の出所は確かか、ということが重要になるからです。

 端数まできちんと出た数字を求めるためには、いい加減な仕事をしていたらわからないかも。
 しっかり資料を集め、分析しなければならない。

 当然、その出所も、確かなところでなければならないでしょう。

 また、その端数まで求められた理由も明らかにしなければならない。

 それだけの手間隙をかけて情報を集めたのだから、その話を信用してよいだろうと言うことになるのです。

 このあたりの心理は、チラシやパンフレットを作るときにも応用できますね。

 宣伝用のチラシやパンフレットには、どうしても「私たちの町で、一番売れている!!」とか、「市内で一番安い! ○○屋の××商品」とか、いろいろ気合を入れた宣伝文句を書きたくなる。

 売るほうにすごい気合が入っているのはわかるんだけど、意外と消費者は冷静。

 なぜかというと、こんな売り文句は、「こんにちは。今日は良いお天気ですね」みたいな挨拶言葉ぐらいにしか考えてないからです。

 中には、チラシを飾るロゴマークの一部だと思っているお客さんもいる。

おぉぉぉぉぉぉぉぉ~。今日の『一番安い』っていう言葉のレタリング。なかなかいいデザインじゃん」なんて。

 最近の消費者は、堅いですからね。

 経験豊富だし、テレビで悪徳商法のニュースを見ているから、ちょっとやそっとの宣伝文句では振り向かない。

 こういう場合のチラシやパンフレットの対策としては、事実だけをストレートに伝えることに徹したほうがいい場合もあります。

 たとえば、ホントに市内で一番売れているなら、自分の店と他の店との売上げ比較の数字だけを載せる。

 また、ホントに市内で一番安いなら、その商品の価格と他店の値段比較をきっちりやる。

 もちろん、端数までしっかりと、ですね。

 真実の情報だけさらりと開示し、「お選びになる基準は、こちらでご提供させていただきます。
あとはごゆっくり、比較ご検討ください」と、判断をお客様に委ねるのです。
 
 宣伝文句のない厳格な数字だけ載せたチラシ、パンフレット。数字だけでは嘘をつきようがありません。

 小細工もできない。

 だからこそ、説得力が増すといっても良いんじゃないでしょうか。

 だけど、それでも消費者様の全てを振り向かせることはできないんですよ。

「なんで、そんな安いの? 商品に問題があるんじゃないの?」

 …と、勘ぐる人が必ずいます。

 そういう風にうがった見方で物事を考えるのは、以前にお話したかもしれませんが、インテリに多い。

 インテリというのは、地域のキーマン、あるいは口コミの発信元になっているケースが多いですからね。絶対、無視することはできません。

 インテリを説得する方法は、以前ブログに書きましたが、もう一度ご紹介しましょう。

● 教育程度の高い人間は、説得者の意図する方向だけの説得よりも、その意図に反する情報を含めた説得によって、より動かされる。

 たとえば、インテリが納得できる商品の安い理由をこちらが提供しなければならない。それでもインテリは、「そんなにうまい話が世の中にあるわけがない」とデメリットを必死で探そうとする。

 そこで、「実は、ちょっとこの商品はワケありなんですと、説得者の意図に反する情報を含めて説得する」。

 こういう説得の仕方に、インテリは弱いんでしたね。

 あれっ? 最初は会議の話だったのに、どうしてここまで脱線してしまったんだろ。

 すいません。

 次回も会議で好印象を与える方法は続きます。 

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

お台場ウォーキングストーリー 台場一丁目商店街~ヴィーナスフォート編

 こんにちは。

 暑いですね~。昨日もよく眠れませんでした。

 とても前ふりを考える体力と精神的余裕がないので、今日はいきなり行きます。

 …と言いながら、今日も長くなったりして。

 さて、前回の続きのお台場ネタ。

 前回はアウトドアで決めましたが、今日はインドアが中心になりますよ。

 まずオイラが向かったのは、「台場一丁目商店街」。

 最近、映画やテレビで、昭和の街並みや暮らしぶりが話題になっていますね。

 貧しかったけれど、皆希望に輝いていた古きよき時代。ノスタルジックな気分になる人も多いのではないでしょうか。

 ここは、そんな昭和30年代の下町の街並みを再現したとか。

 一種のテーマパークだけれど、ショッピングモールでもあって、入場は無料。

 さて、その台場一丁目商店街は、近代的なビルのデックス東京ビーチ、シーサイドモールの4階にありました。

Ts360060

 隣は、さまざまなアトラクションで有名な東京ジョイポリス。

 エレベータでも行けるのだけれど、ジョイポリスの入り口のある吹き抜けのホールのエスカレーターを使って4階に上がりました。

Ts360069

 ちょっと薄暗く、ひなびた商店街の雰囲気が興味をそそります。

 入り口の左側は、昔、街によくあった娯楽センター。縁日でよく見かける射撃場、レトロ感たっぷりのピンボールゲームが並ぶ。

 ショッピングモールなのだけれど、昭和をコンセプトにしているだけあって個性のある商品がたくさんありました。

 やはりレトロなグッズが多いですね。

 駄菓子やケロリンの風呂桶、ウルトラマングッズ、お化け屋敷。そう言えば、「なめねこ」なんて、昔流行りましたね~。

 懐かしいブリキのおもちゃが並んでいる店があると思ったら、「なんでも鑑定団」で有名な北原照久氏の店でした。

 なんでも、氏は商店街の町会長も兼ねているらしい。

 でも、ここの商店街にある商品はどれも高いニャ~

 昔、何気に見かけた商品がこんなプレミアム価格がつくこと自体、昭和は遠くなってしまったのかもしれませぬ。

 商店街を歩いていると、昭和の名品が通路に置いてあったりして。

 たとえば、スバルN360。

Ts360061

 カブトムシといわれた昔のワーゲンをもっと小さくかわいくした感じですか。この独特のフォルムは、一度見たら忘れられない。

 それから、昭和の定番ちゃぶ台、白黒テレビに黒電話。星一徹が今にも出てきそう。

 トイレも、銭湯の入り口のようなこだわりが感じられました。

Ts360068

 ちなみに、トイレは昔のボッチャントイレではなく、最新式の水洗なのが、よかったのか、悪かったのか。

 同じ、デックス東京ビーチのアイランドモール6、7階は、「台場小香港」があります。

 ここは読んで字のごとく、香港の歓楽街の雰囲気のショッピングモールとレストラン街。

 古きよき時代の香港と新しい香港をイメージした街並みが広がります。

Ts360073

 なんでも、風水の専門家の監修により、理想的な風水の地として作ったとか。

 ここを訪れた人もご利益があるのでしょうかね。

 香港へは行ったことがないので、珍しいグッズ類に足を止めて興味深く眺めました。

 さて、デックス東京ビーチを後にして向かったのは、その隣にあるショッピングモール「アクアシティお台場」。

 ここも夏休みなので、子供連れの家族が多い。

 今、東京で話題の専門店がテナントで入っていて、最先端の時代の風に当たることができます。

 ここの注目スポットは、7月8日にオープンしたばかりの「ラーメン国技館」でしょうね。

 江戸の町を再現したフロアに、全国から選りすぐられた名店がテナントで入っているとか。

Ts360077

 午後2時ごろ行ったのに、場内はすごい混みよう。どの店も並ばないと入店できない状況なので、ここはパスしました。

 どこへ行っても、ラーメン人気はすごいですね。

 ちなみに、テナントは北海道から宮崎までの名店6店。

 さっぱり塩味の函館ラーメンと醤油の東京支那そばを除けば、いずれもとんこつ。

 そのとんこつも、各店によっていろいろなバリエーションがあって、食べ比べれば面白そう。

 それにしても、徳島の店「東大」はネーミングがすごい。ラーメン界の「東大」を目指してつけられた名前だとか。

 ラーメン屋同士の熱闘に少しあてられながら、外へ出てビィーナスフォートへ向かいました。

 首都高速湾岸線を大きくまたぐウェストパークブリッジの手前にあるのは、ホリエモンとの攻防で注目を集めたフジテレビの本社ビル。

Ts360078

 ここでは、「お台場冒険王」というイベントを開催中で、多くの子供たちを集めておりました。

 まわりの空地にまではみだした大きなテントの中でのアトラクションが面白そう。

 プロムナード公園からは、お台場の大観覧車が見えます。

Ts360080

 昔のお台場を知っているオイラから見たら、この土地がこんなに綺麗に整備されるなんて信じられないような気が…。

 この辺は20年前、雑草が生い茂る野原でしたからね。

 それにしても、パレットタウンは前回来たときよりも大きく変わっておりました。

 直径100メートル、地上115メートルという世界最大級の大観覧車も確かなかったような気が…。

 これだけ大きいと、ケームール人も持て余しそう。(← わかる人はわかる)

 大観覧車の下には、東京レジャーランドという野球場が入るかと思われる大きさの屋内型総合アミューズメント施設ができておりました。

 まさに、ゲーム機の総合デパートみたいに何でも揃っている。ほかにも、カラオケ、ビリヤード、ボウリングにバッティングセンターですか。

 一日じゃおそらく、全部できませんね~。

 それから忘れてならないのが、MEGA WEB。

 ここは、「見て・乗って・感じる」クルマのテーマパークなんだとか。

 ここも、野球場がすっぽり入るような巨大なスペースに、トヨタ車がずらりと並び、奥にはデザインショーケース。

 注目は、3つの屋内試乗コースがあって、トヨタ車や電気自動車を体感できるのですね~。

 さすがに儲かっている会社は、やることがでかい。

 ちょっとでかさに圧倒されたので、ウォーキングの締めはビィーナスフォートでロマンチックに決めたいと思いました。

 さて、ビィーナスフォート。ここはセレブをあこがれる女性には必見の場所かもしれませぬ。

 セレブとは程遠いオイラも、ウキウキする気分になれるのですから。

 ここは、18世紀ヨーロッパの美しい街並みをモチーフにしたショッピングモール。

 タウンガイドの文章を引用すると…

「そこはまるで、イタリアや南フランスのロマンチックな風景そのもの。メインプロムナードや広場では、青空から夕焼け、夜へと変化する美しい空が広がります」

 短い時間で、青空、夕焼け、そして美しい夜景の景色へとショッピングモールがさまざまに変化するのですよ。

 もちろん屋内なのですが、通路を歩いていると、ヨーロッパの古い街を歩いているような錯覚が…。

Ts360096

 通路にお洒落な屋台が出ていたり、美しい噴水があったり、贅沢な気分を味わえるコンセプトが秀逸。

 建物の外観が、倉庫みたいに無粋ですが、いざ中へ入ると別世界。

 まだ行ったことのない人は、一度行かれることをお勧めします。

 そして、これが真実の口。

Ts360099

 「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの名シーンで有名ですね。

 嘘つきが、手を口の中に入れると食いちぎられてしまうという伝説があるそうな。

 みんなが代わる代わる口の中に手を入れていました。

 オイラは、たぶん食いちぎられると思うので止めておきましたけど…。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

お台場ウォーキングストーリー 竹芝ふ頭~レインボーブリッジ~お台場海浜公園編

 こんばんは。

 お盆休み、みなさんいかがお過ごしでしたか?

 オイラは、仕事の延長のホームページ作成とウォーキングで相変わらずバタバタと過ごしました。

 …ということで、今日はまたお散歩ネタ。

 今年のお盆休みも、いろいろ歩きに出かけましたね~。

 まずご紹介するのは、今や東京の新観光スポットとして注目を集める「お台場」です。

 今年の正月にお送りした、「ビジベンの完全自己チュー東京絶景ベスト10」の第一位に輝いたのは記憶に新しいところ。(← オイラだけの記憶ですが…)

 実はあのあと、ホントにお台場を一位にしてよかったのかしらんといろいろ気にかかっておりました。

 4~5年前の記憶を基にして書きましたので、もうかなり忘れてしまった部分もあったので。

 それで、もう一度訪問して検証してみようと思ったのです。

 スタートは、都営浅草線の「大門」駅。

 最近、大江戸線の駅ともなり、ますます交通の便がよくなりましたね。

 実はこのあたり、仕事の関係で非常によく来ます。

 勝手知ったる場所なので、地下鉄の駅から地上に出て目に入る「世界貿易センタービル」もふ~んという感じで行き過ぎました。

 ここから向かうは、徒歩10分ほどの竹芝客船ターミナル。

 大島や新島、八丈島など伊豆七島へ向かう船がここから出ています。大島は、ジェット船を使えば日帰りもできるのだから、一度行ってみたいですね。

 ここのシンボルは、各国の旗が翻っている広場の中央のマスト。

Ts360029

 マストの上には、ちゃんとミニチュアの水兵さんが乗り込んでいます。

 曇っていたのと、まだケータイのカメラの扱いに慣れていないので、暗いトーンの写真になってしまいました。

 さて、ここからインターコンチネンタル東京ベイホテルのわきを抜け、海沿いに歩くと、レインボーブリッジを望める絶景スポットがあるんですよ。

 創業当時、仕事に行き詰るとよくここに来て、海を眺めながら感傷にふけっていた記憶があります。

 ただあいにく行った日は、花火大会の準備で立ち入り禁止になっていました。

 そこから、芝浦埠頭を貫く大通りを歩き、レインボーブリッジを目指します。

 車がゆきかう道路の上には、ゆりかもめがひっきりなしにスーッと通り過ぎてゆく。一種のモノレールなので、電車が高架を走るガタンガタンという騒音は聞こえない。

 ゆりかもめも、オイラと同じようにレインボーブリッジを目指しているのですね。

 やがて左手に巨大な橋脚が見えてきました。
Ts360032

 このレインボーブリッジは、二重構造のつり橋で、上は首都高速11号、下は遊歩道、臨港道路、ゆりかもめが走っている。ちなみに、完成は平成5年とか。

 以前来たときは、入場料を払って6階のプロムナードにある展望室から東京湾の風景やレインボーブリッジにまつわる資料を見学した記憶があります。

 ところが、プロムナードが閉鎖されていたんですよ。

 一応資料館の体裁を整えていましたから、維持費の負担に耐えかねたのでしょうか。

 それでも、エレベータを使って、橋の上の遊歩道へ行くことができました。

 展望室からの絶景を期待していただけに少し残念でしたが、なんとレインボーブリッジは無料で渡れることを発見!

 これはうれしいですよね。

 さて、エレベータを降り、橋の上に出ると、すごい騒音。

 大型トラックやバス、自動車がかなりのスピードで橋の上を走り抜けてゆく。それから遊歩道のまわりに張ってある金網が揺れて、ガチャガチャ耳障りな音を立てる。
Ts360034

 それから、思ったより揺れるんですよ。

 風やトラック、ゆりかもめの重さのせいなのでしょうね。常時、震度1~2の地震で揺れているみたい。

 慣れるまでは、ちょっと大変でした。

 橋の両側に遊歩道があるのですが、前回来たときは東京都心のパノラマを望めるほうだったので、今回はお台場よりの遊歩道を歩くことにしました。

 リュックサックを背負った中高年の人たちは皆、都心よりの遊歩道を歩いていましたね。

 行った日は、午前中曇っていたので、見晴らしはあまりよくありませんでしたが、台場公園越しにお台場の高層ビル群が望めて、なかなかの眺め。

Ts360036

 海の中の孤島という風情の台場は、全部江戸時代の人たちが作ったのですからね。

 これだけの施設を短時間で作り上げたというのは、黒船来襲に伴う危機意識から。当時の人たちにとって、よほどインパクトのある出来事だったのがわかります。

 「リング」で有名な鈴木光司の短編に、お台場を舞台にしたものがあったのを思い出しました。

 確か、周囲を海に囲まれた立ち入り禁止のお台場に置き去りにされた女性が、そこで子供を産み、その子がお台場の中だけで成長するというホラー。

Ts360041
 

 食料とか、実際は不可能なのでしょうが、この緑あふれた人工物を見ているとホントにあるかも、という妄想をかきたてられます。

 レインボーブリッジを渡り終え、さっきまで眼下に広がっていた台場公園へ行ってみました。

 周囲を石垣で囲み、その上に土塁を築き、それだけでも立派な城塞ですね。

 中は、野球ができそうなくらい広い平地、そして脇には石垣で囲まれた弾薬庫の跡。陣屋や炊事場の跡も残っていて、ここで幕末に生活していた人が大勢いるのだと偲ばれました。

Ts360055

 土塁の上を歩くと、海からの潮風が実に気持ちいい。

 蚊に悩まされることもなく、日陰で長い時間涼みました。

 そこから、お台場海浜公園を歩いて、お台場の海の家とも言えるマリーンハウスを目指します。

 目の前に広がる海の上には、鉄でてきた筏のようなものが多数浮いていました。

 確認したわけではないですが、花火大会の準備なのでしょうか。

 テレビでよく放送されるお台場の砂浜では、日向ぼっこを楽しむカップルや家族ずれがいました。

 まわりを見ると、広い砂浜を取り囲むように高層マンション。

 ここのマンションに住めば、いつでも海で泳いだり、日向ぼっこしたり、釣りをしたりできるのですね。いいなぁ~。

 ちなみに、お台場のまわりの海は魚が多いのか、銀色のうろこを光らせながら飛び跳ねる小魚をたくさん目にしました。

 砂浜を歩き、マリーンハウスの上の展望デッキへ登ってみました。

 手前は白い砂浜、青い海をはさんでお台場の石垣のグレイと木々の緑。その向こうには、青い空に白いレインボーブリッジがかすんで見える。
Ts360059

 地方に行けば、こういう景色はさほど珍しくないかもしれませんが、東京のど真ん中にこういうリゾートみたいな場所があるのはすごいかも。

 マリーンハウスは、海の家でもあるので、レストランやロッカー、シャワーも完備。なかなかお洒落な海の家ですよね。

 太陽が出てきて気温も上がってきたので、日陰を歩きながら、海浜公園の緑の中に足を踏み入れました。

 その中に、「自由の女神」像があるのですよ。

 もちろん、アメリカにある本物よりずっと小さな像ですが、それでも近くで見るとなかなかの迫力。

 展望デッキから、レインボーブリッジを背景に写真を撮る人たちが大勢いました。
Ts360075

 やはり、自由の女神は、海と橋と高層ビルがよく似合う。

 ここから、昭和をコンセプトにした「台場一丁目商店街」と女性に人気の「ヴィーナスフォート」。そして今注目の「ラーメン国技館」へも行ったのですが、それはまた次回。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

脳こうそくの診断の強い味方って、何? 医師と女子高生の会話から

 こんばんは。

 お盆休み、いかがお過ごしですか。

 近所の商店街を歩いても、個人商店の半分以上はお休み。

 世間の会社や商店が休んでも、オイラは今なお、一日も休むことなく粛々と続けていることがあります。

 例の「テトリス」を…。

 一ヶ月ちょっと前に、「テトリス」にはまっているとブログに書きました。その後引き続き、寝る前と朝起きてからの計1時間、練習に余念なく取り組んでおります。

 これだけ頑張っていれば、誰でもスキルはアップするもの。

 最初の頃は、5分も経たないうちにゲームオーバーになっていたのが、最近では30分以上も続けてゲームできるようになりました。

 これだけの熱意があれば、もっと他のためになることに使っていればよかったと思っても、もはや後の祭り。

 それにしても、全国レベルから見て、自分の「テトリス」のレベルがどの程度のところにあるのかよくわからない。

 今は資格ブームですからね。「テトリス検定」とかあれば、チャレンジしてみたいのですが…。

 経済産業大臣認定の「テトリス検定3級」を持っていれば履歴書に書けるとか。

 かつて、ウィンドウズに入っている「ピンボールゲーム」で900万点を出したとき、自称パソコンオタクの税理士さんが驚いていましたけど、世の中、上には上がいるものです。

 この程度では自慢にならない。

 それにしても、このマイブームはどこまで続くのでしょうね~。

 テトリスが、今流行の脳の活性化に結びつくかどうか、ネットで検索してみたんですよ。

 これはという決め手はないものの、何となくプラスになっているという意見がちらほら。

 でも、「ゲーム脳」を作り出すなんていう某大学教授のネガティブな意見もあったりして、ホントのところはどうなんでしょうね。 

 脳の活性化にもなると思って始めた「テトリス」が、「ゲーム脳」の引き金になってはたまらないと考える今日この頃。

 そうならない方法を研究しなければ。

 …ということで前回同様、強引な前ふりでしたが、今日は「脳の病気シリーズ」をお送りしたいと思います。

 この「脳の病気シリーズ」。

 ほぼ月一回のペースで、お送りしています。

 約一ヶ月前になりますが、前回は「脳卒中で、病院へ運ばれたときの検査・診断の流れ」という話題を取り上げました。

 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に「心と体」のカテゴリの中にある前回、前々回の記事をお読みいただければ幸いです。
 

 さて、今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。
 
 
 前回、「脳卒中で、病院へ運ばれたときの検査・診断の流れ」について勉強したAYAちゃん。

 今日は、前回に続いて、「脳こうそくの診断の強い味方って、何?」が話題になります。
 
 それでは…。

< 脳こうそくの診断の強い味方って、何? >

● AYAちゃん「脳卒中の中でも、脳出血と脳こうそくでは治療方法が全然違うんですよね」
 

 そう。症状はあまり違いがなくても、治療方法は違ってくる。CTが登場するまでは、その見極めに時間がかかり過ぎていたんだ。
 ただCTの場合、脳こうそくの部分は画面上黒く見えるんだけど、発症してから6~12時間以内はよくわからないんだよ。

● AYAちゃん「と言うことは、脳こうそくの早期の診断は無理なんですか。じゃあ、治療も遅れてしまいますね」

 ところがどっこい。脳こうそくの早期の診断の強い味方があるんだ。

● AYAちゃん「やったね。何ですか、それは?」

 フフフ。それはMRIという検査装置だよ。登場したのはもう20年以上前だけど、年々改良されて画像の制度が飛躍的にアップしてきたんだ。

● AYAちゃん「ふーん。そのMRIって、CTとどう違うんですか?」

 CTはX線を利用するんだけど、MRIは磁気の共鳴を利用して脳の輪切り画像だけじゃなく、縦や斜めなどさまざまな角度から脳の中身を見られるようにした点かな。もちろん、脳こうそくの早期の診断も可能だよ。

● AYAちゃん「えっ? 磁気? 磁石なんかの作用でしたよね。そんなもので脳の中身がわかるんですか?」

 ちょっと難しい話になるけど、我々の体に電磁波を当てると体の中の水分の原子が振動を始めるんだ。それを止めたり、振動させたりしてコンピュータで読み取り、濃淡の画像として描き出すんだけど、わかるかな?

● AYAちゃん「わ・か・り・ま・せ・ん! でも、X線を使わない方法というのは体に良さそうですね」

 そう。今話題になっている検査による放射線の被曝がないんだ。しかもCTと同じように痛みもまったくないし、さらにCTより体の断面を鮮やかなコントラストで描き出すことができるんだ。だからほんの小さな脳こうそくの部分や動脈瘤、さらに脳幹のこうそくもわかるんだよ。

● AYAちゃん「すごいですね。でも、欠点とかないんですか?」

 そうだな。CTと同じように機械の中に20分ほど入って寝ているだけでいいんだけど、CTより少し検査時間が余計にかかるということと、検査中、道路工事みたいな騒音があるということかな。

 それから磁気を利用するから、検査するときは体に身につけている金属を外す必要がある。だから心臓ペースメーカーや後で話す脳動脈瘤のクリップを使っている人は利用できないね。

● AYAちゃん「うーん。首に注射したり、造影剤で頭がガンガンしたり、みたいな痛い検査がないなら多少の騒音も我慢できますね」

 最近はもっと進歩して、脳こうそくの超早期の診断が可能になったんだ。脳こうそくの部分は時間とともに広がっていくんだけど、従来は脳こうそくが広がり尽くして、完成してからでなければ画像でわからなかったんだよ。

● AYAちゃん「脳こうそくは、脳の血液の流れが悪くなって徐々に脳細胞が死んでしまうんでしたよね。だから、早く血液の流れを回復させてあげれば、死なないですむ脳細胞もあるんでしたっけ」

 そう。脳こうそくになってから3時間以内に治療に入れれば、ある程度の効果が期待できる。だけどその時間を超えると、半死半生の脳細胞がほとんど死んでしまうんだ。
 ところが今までの画像では、どこの脳細胞が半死半生のアップアップ状態かわからなかったんだよ。

● AYAちゃん「ゲッ。これは大変だわ。早くピンチのヒロインを助けに行かなきゃいけないのに、肝心のヒロインがどこにいるのかわからない状態。冬のソナタだったら、ユジンがひとりで泣いてると、いつの間にかヨン様が助けに来てくれるのに…」

 また訳のわからないことを言う。でもニュアンスとしてはその通り。ところがMRIの新技術は、ちょっと難しい言葉で『灌流強調画像』と言うんだけど、脳のどの辺りの血流が悪いのか、画像でたちどころにわかるんだ。そこで、脳細胞が死ぬ前に血液の流れを回復させるという治療ができるんだよ。

● AYAちゃん「『灌流強調画像』の『かんりゅう』って『韓流』じゃないですよね。それはともかく、ピンチのヒロインがどこに捕まっているか調べて、正義の味方が助けに来てくれるわけですね。でも今まではどこに捕まっているかわからなかったから、助けに来られなかったわけか」

 これから死んでいこうとしている脳細胞を助けるんだから、すごい効果が期待できるよね。画像の診断の進歩が、治療の成果に即結びつくんだよ。

● AYAちゃん「だから一刻も早く、検査機器、治療設備の整った脳卒中の専門病院へ行く必要があるわけですね」

 
  (約1ヵ月後に続く)

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

会議で、自分の意見に説得力を持たせる法

 こんにちは。

 先日やっと、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読み終わりました。

 去年から読み始め、1~3巻までは続けて読んだのですが、最後の4巻が図書館でなかなか借りられず、半年近く間があいてしまいました。

 4巻だけ、もともとその図書館にはなかったみたい。

 何でいつも4巻だけ借りられているのだろうと、不思議に思ったのですが、やっとその謎が解けました。

 別の図書館には、その4巻だけがあったのですよ。

 関連はあるんだろうけれど、その経緯がよくわからない。

 ネット小説では、途中まで無料で読めるけれど、一番良いところだけお金を払わなければ読めない、なんてことがあるのだけれど…。

 その間に、20~30冊も別の本を読んだので、登場人物のプロフィールを思い出すのが大変でした。

 それはともかく、「胡蝶の夢」は、幕末から明治維新にかけての日本の医学史が手に取るようにわかって、とても面白かったです。

 医師と患者さんとの関係は、江戸や明治時代にその原型が作られ、今なおその影響が色濃く残っているという指摘は納得。

 もともと医師は、大名など身分の高い人を診察するためのもので、一般庶民を診察する医師は「町医者」と言われて低く見られていたそうな。

 それでも、当時の風潮に棹差す人間は必ず登場する。

 関寛斎という登場人物には共感できましたね。医者として栄耀栄華を極められたかもしれないのに、すべてを投げ打って北海道の開拓へ向かう。しかし、志半ばで自殺するくだりはいろいろ考えさせられました。

 司馬さんもそうだと思いますが、オイラもこういう常に視点が庶民の立場にある人って好きです。

 ただそういう視点を持って生きている人は、なぜか悲劇的な末路をたどる傾向がある。

 西郷隆盛も、英雄でありがら、常に庶民的な感覚を失わない人でした。その悲劇的な末路はご存知の通り。

 西郷の人間的魅力は、幼少時から備わったものらしい。

 西郷のいた鹿児島の小さな町内からは、彼のほかにも大山巌や東郷平八郎のような大勢の俊才が登場した。

 なぜ、こんな小さな町から、同じタイプの人間的魅力を備えた英雄が誕生したのか。

 司馬氏は、鹿児島に古くから伝わる風習が、それを生んだと位置づけています。

 それはまたいずれ。
 
 
 ところで前々回は、太閤秀吉の例など出して、多少話が堅苦しくなりました。

 日本史が好きだから、何でも今みたいに昔の有名人に置き換えて考えたくなるんですね~。

 とくに天守閣や石垣などを持った城が大量に作られる安土桃山から江戸時代初期の大名に関しては、オタクなみに詳しい。

 その当時は、戦国時代から3人の英雄によって、平和な時代へ移行しようという大変革期。

 ちょっとの仕事の失敗や失言でも、すぐ首と胴が離れる時代です。

 それだけ、人と人との関係を、日夜、突き詰めて考えざるをえなくなる。

 明日の命が、よほど運が悪くない限り保証されている時代って、過去の歴史を振り返ってみてもそう多くはないかもしれません。


 オイラだって、40年近く、早く生まれていたら、確実に戦争へ行かされてました。

 大学時代のアルバイト先の社長が、戦時中、マレーシア戦線で生き残った人で、顔を合わすたびに、「君らの年代で戦争へ行ったら、みんな鉄砲の弾除けだよ」って言っていたのを思い出します。

 確かに、そうだったのでしょう。

 吉野家の牛丼弁当を食べながら、アルバイト学生が車座になって、その社長の戦争の話に聞き入りました。

 ちなみにアルバイトって、ビルの清掃です。

 社長といっても、作業服を着た現場監督みたいなもの。

 でも、いつも背筋がぴんと伸び、残業で夜の8~9時までぶっ通しで働いても顔色ひとつ変えず、黙々と働いていました。

 そういえばここ数年、戦争へ行ったという昔話をする人がまわりに一人もいなくなってしまった。

 オイラが子供の頃は、当時50歳過ぎていた男性は皆戦争へ行った経験がありましたからね。

 当時、クラスメートの一人から「もし軍隊へ入るんだったら、陸軍と海軍とどっちがいい?」と聞かれた記憶があります。

 彼のうちでは、毎晩そういう話題が出ていたとか。

 今はどんなに仕事で失敗しても、普通の会社なら命までは取られません。思えば、そういう幸せな時代に生まれたことだけでも、喜んでいいのかも。


 それはともかく、会議の話の続きでした。

今日は、会議で話すとき、ちょっと気をつけるだけで相手に好印象を与え、なおかつ密かに上司にアピールする秘訣をご紹介しましょう。

 題して、会議で好印象を与える自己表現術のその5。

● 自分の話に説得力を持たせるためには、ことわざや格言を引用して言いたいことを補強すると効果があり、かつ傲慢に見えない。

 人生経験の少ない若者なのに、自分で考えた教訓じみた言葉を、教え諭すような感じで話すと、彼の年上の人たちは皆、カチンと来ますよね。

 しかし、人生経験の少ない若者の言葉だからカチンと来る訳ではないのです。

 年上に対して説教しようとする態度にカチンと来る。

 日頃の行いが悪いのか、オイラもたまに、酒癖の悪い後輩につかまって説教されることがあります。

 完全に目が据わっていて怖いので、仕方なく、大人しく聞く羽目になる。

 確かに、頭にきますね。

 そんなこと、お前に言われる筋合いはない!!!と、叫び、目を覚ませぇぇぇぇぇ~と、彼の頭に水をかけたくなる。

 でも、よく聞くと、彼の言うことにも一理ある。

 わかるけど、酔っ払いに説教されて、次の日から、「はい、そうですか」と変えられるわけもない。

 絶対、変えてやるもんかと思う。

 それはやはり、人の振り見て我が振り直さない人間の言うことなど聞けるかという気持ちもあるでしょうが、彼が後輩ということが一番の理由でしょう。

 しかし、できる人間は、年上の相手を説得したいとき、自分の言葉ではなく、ことわざや名言、格言を利用して、主張したいことをうまくオブラートに包んで言うんですな。

 誰でも、青二才の言うことは耳を傾けなくても、常識として知れ渡っていることわざや名言・格言に反することはしたくない。

 会議の席でこれらを引用して、自分の言いたいことを補強すれば、発言者の個人的な意見が、歴史上の偉人や名経営者が彼の意見に賛同しているような気分にさせることも可能です。

 そういえば、交渉上手で知られる外国の元首や外交官は、ことわざや世界各国の名言や格言を絡め、実にうまく交渉するそうですよ。

Banner2_7 ← ブログ存続に、ご協力をお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

津久井湖城山公園・津久井城址 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 う~、暑い!!!

 たまらなくなって昨日、ほぼ一年ぶりにクーラーをつけたのですが、熱気だけが噴出すという結果に…。

 古いから、もう壊れたのかもしれませぬ。

 買ったのが昭和ですからね。でも、古い電気製品は意外と耐久性がある。

 構造が単純な分、打たれ強いというか。

 しかし、この暑さでクーラーが効かないとなると、今年の夏は越せないかも。

 昔はどの家も、クーラーなんて洒落たものはなく、扇風機でした。

 それでもどうにか凌げていたのです。

 最近の暑さは、空気をかき混ぜるだけでは凌ぎようがない。

 先週、企業の環境問題に関する座談会に出席したのですが、CO2の削減はまったなしのところまで来ているようです。

 地球温暖化は、新聞やテレビで見るだけじゃないことを実感しました。

 それはさておき、こういう酷暑の凌ぎ方ですが、長い経験から自分なりの方法があるのですよ。

 それは暑さを忘れるくらい好きなことに没頭すること。

 オイラの場合、日本のお城もそのひとつ。

 昨日は古城に思いをはせながら、しばし暑さを忘れることができました。

 …ということで、今日は前々回の「城山・津久井湖をゆく」の続編です。

 それでは…。

 峰の薬師から津久井湖畔まで降りてくると、正面にそびえる形のいい山に目が行きます。

 これが、津久井城があった城山。

Ts360024

 エジプトのピラミッドをイメージしてしまいました。

 本で調べてみると、津久井城は、鎌倉時代初期(1200年頃)に三浦一族の筑井太郎次郎義胤によって築城されたらしい。

 現在の城跡は、16世紀初頭の戦国時代、小田原北条氏の城となって整備されたとか。

 当時の城主は、北条早雲の家臣内藤景定。

 甲斐武田氏の勢力圏に近く、武田氏による度々の攻撃にさらされたのですね。

 その後、豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城、廃城となる。

 津久井城の津久井湖側の上り口にある花の苑地へやって来ました。

 花の苑地には、駐車場や売店、ガーデンテラスなどがあって、ちょっとしたドライブインのような雰囲気。

 津久井湖展望台のバス停そばの小道を辿って、いよいよ津久井城攻めの開始です。

 最初は、九十九折の山道が整備されていて歩きやすい。

 もちろん、山城当時の道は、こんなスイスイ登れたらすぐ敵に攻め滅ぼされてしまいますけど。

 登ってゆくと、やがて見事なヒノキ林が左右に広がってきました。このヒノキは江戸時代末期に江川太郎左衛門が植林したものだとか。

 江川太郎左衛門って、どこかで聞いたことがあると思ったら、伊豆韮山の代官だった人ですね~。

 当時の先端技術の反射炉を作り、行政官や洋学者などさまざまな分野で活躍した人物。司馬遼太郎の幕末の小説にも度々登場します。

 ヒノキ林を過ぎると、上り坂はだんだん急になってくる。森はさらに深く、野鳥のさえずりが鬱陶しくなるくらい息が上がってきました。

 町役場から城山湖、そして津久井湖と、結構歩いていますからね。最後にこんな心臓破りの丘が待っているなんて。

 それにしても、城山をぐるっと回り込むようにして登っているみたい。左側は落ちたらそのまま下まで転がり落ちていきそうな断崖絶壁。

 ただ歩いているだけでもこんなにキツイのに、城攻めのときは思い鎧や武器を持ってよじ登るのですからね。戦とは過酷なものであるというのが膚で実感できました。

 でも、4~5年前に登った八王子城址はもっと大変だったかも。

 真夏の炎天下に、直射日光を浴びつつ急斜面を延々と登ったのです。

 滝のように汗が流れて、目を開けられないほどでした。

 1リットルのペットボトルを持って登らなければ、熱中症で倒れていたかもしれませんね。

 そのときのことを思えば、行った日は曇っていて、それほど暑くはなかったのですが…。

 しかし、途中の岩場には、なんと鎖場。

 去年の春、北武蔵の伊豆が岳で鎖にしがみついたまま立ち往生した記憶がよみがえります。

 山城を攻略するには、攻め手は十倍の兵力が必要と言われますが、その理屈が膚でわかりました。

 やがてそろそろ山頂かなと思ったとき、道の分岐点に小さなスペースが…。そこには、小さな水溜り。

 そばの看板を見ると、「宝ヶ池」というらしい。

 池にはどう見ても見えないですね~。

 これは湧き水によるもので、昔から涸れたことがないという。

 籠城のときは、水の有る無しが生命線ですからね。

 まさに、宝の池だったのでしょう。

 さっそく写真を撮ろうとしたら、大量の蚊の波状攻撃にさらされました。ちょっとでも静止すると、敵機が一斉に襲来。
Ts360020

 逃げ腰で撮ったら、またぶれてしまいました。

 宝ヶ池の傍らを通り、山肌に沿って進むと、やがて大きな杉が現れます。樹齢700年、樹高40メートルという堂々とした杉。
Ts360019

 大きすぎて写真に納まりきらない。カメラを向けながら後ずさりしていたら、斜面から落ちそうになりました。

 ここでも蚊の大編隊から、執拗に攻撃を受けたのでダンスを踊りつつ前進。

 蚊の攻撃をかわしつつ、道を登ってゆくとやがて、飯縄神社へたどりつきました。

 ここは津久井城当時、飯縄曲輪があって、本丸にあたる本城曲輪と対をなしていたのだとか。

 見晴らしはあまりよくないですが、周囲には腰曲輪のあとも見られて城跡というのがわかります。

 飯縄神社から津久井城の本丸を目指して歩きました。

 曳き橋の跡や空掘の跡を経て、やがて城山の山頂へ。標高は375メートル。

 山城の痕跡がところどころ残っているのですが、鬱蒼と木が茂り、天気もよくないのでうまく写真が撮れませんでした。

 ちょっとでも立ち止まると、蚊がブーンとうなりながらアタックしてくるのですよ。

 ホント、うざい!!

 本城曲輪は、周囲を「く」の字形の土塁(土を盛ったもの)で囲み、曲輪の南東面を守る構造。
Ts360021

 戦国期の山城ですから、大阪城や姫路城のような立派な天守閣や本丸御殿のような建物はありませんが、城好きとしては縄張りがわかるだけでもうれしい。

 周囲の木立にさえぎられて、津久井湖の湖面がちょっと望めるだけで、絶景スポットではありませんね。

 時刻は4時半。

 そろそろ帰りの準備をしなければならない時刻でしたが、山麓に城主や家臣の屋敷の跡が広がる根小屋地区が整備されていると聞き、行ってみることにしました。

 場所は、津久井湖とは反対側。

 急斜面を駆け下ります。道がぬかるんでいて、何度か転びました。

 20年前に筑波山へ行き、頂上からノンストップで駆け下りたことを思うとそれほどでもありませんが、結構ヤバイ箇所もありましたね。

 そこは何といっても山城ですから馬鹿にはできません。

 中腹からは、「水場デッキ」というジェットコースターのコースみたいな散策路が整備されて楽々降りてくることができました。
Ts360023

 津久井城の武士たちが住んだという地区は、木々が建ち並ぶ森となっています。

 中世には、1200人くらいの人が城内で生活をしていたらしい。

 その後津久井城は、後北条氏の支城から廃城となり、代官屋敷へと変わって行ったとか。

 津久井城の歴史は1664年で終わりを告げたという。

 実質稼動していたのは、150年間だったのですね。

 兵どもが夢の跡。

 それにしても、弓矢や鉄砲じゃなく、蚊に追い回されるだけというのは、やっぱりいい時代に生まれたのかもしれませんね。

Banner2_6

↑ ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

会議で、生意気と思われずに意見をアピールする法

 こんにちは。

 暑い日が続きますね。

 さて、今日は気持ちを切り替えて、また会議ネタです。

 その前に、前々回に意味のない長文をだらだら書き続けたお詫びもしなければなりませぬ。
 
 でも、その実験的行為により、文章や会話のセンテンスは短く、ということは立証されたように思います。(←全然、懲りてない)

 落語の、「寿限無寿限無、五劫のすり切れ、海砂利水魚の水行末、運行末、風来末、食う寝る所~」(っと、あぶない、あぶない、また昨日の二の舞を踏むところだった)

 …という名前をバカ正直に呼ぶ人たちは、皆、頭悪そうに描かれていますものね。

 それはともかく、要点を端的に、短いセンテンスで表現できる人は、「できる人」と見られるのは間違いないようです。

 これと似たような、会議で気をつけたい点があるんですよ。

●「私に良い考えがあるのですが…」や「絶対、消費者に受ける新商品のアイデアを思いついたのですが…」など、会議のほかの参加者に期待を持たせる前置きは、逆効果になりやすい。

 たとえ、本当に、良い考えや絶対に受けるアイデアであっても、こういう前置きを自信満々で言われると、あとでそれらを聞き、な~んだぁ~と言いたくなりませんか?

 人は、鼻高々の自信家の意見を、たとえそれがどんなに素晴らしいものだったとしても、受け入れたくないんですね。

 それを無条件で受け入れると、あの野郎、ますます増長するだろう。ここらでひとつ、あいつの高い鼻をへし折って懲らしめてやろうと考えるんですな。

 おごり高ぶって領民をいじめる悪代官に、黄門様が、「助さん、格さん、少し懲らしめてやりなさい」と言うような。

 では、どうするか。その答えが、会議で好印象を与える自己表現術のその2。

●「あなたの話で思いついた」と、相手の話に関連させると、意見が受け入れられやすくなる。

 たとえば、「私に良い考えがあるのですが…」などと、自分で一から十まですべて考えたと自慢して顰蹙を買うよりは、「実は、以前、○○課長からご指導いただいたことから、ふと思いついたのですが…」とやったほうが、意見が受け入れやすいとか。

 そうですよね。上司の顔も立つし、上司の考えが反映された意見だと周りの人たちも思うでしょう。

 少し、自分の自意識を減らしてやるだけで、大きな効果が期待できます。

 次に、「絶対、消費者に受ける新商品のアイデアを思いついたのですが…」なんていう自信過剰の権化みたいな例はどう改めるか。

● 会議の発表のときの意見具申は、上の人間に教えを請う形ですると、生意気に聞こえない。

 これが、会議で好印象を与える自己表現術のその3。

 たとえば…

「新しい商品開発について、消費者の視点から、こんな新商品のアイデアを考えてみました。しかし、開発過程でこんな疑問がわいたのですが、考え方の方向性を教えていただければ助かります」

 と、改めてみたらいかがでしょう。

「何だ、そんなこともわからないのか」と、ブツブツ言われながらも、案外目は笑っている、かもしれません。

 これらと関連するものとして、以下のフレーズも追加させてください。

● 企画や提案は、100%完成させず、上役の意見を聞く余地を残しておく。

 はじめに申しておきますが、これは全てのケースに当てはまるわけではありません。

 本来、一人前の社会人なら、企画や提案は自分で全て考え、プレゼンテーションしてもなんら問題はない。…と、いうより当然でしょう。

 また企業として、それぐらいの能力を持った社員がいなければお話にならないのも事実。

 しかし、自分より優れた企画や提案が、部下の個人的な能力によってのみもたらされたということに、上司はどういう気持ちを持つでしょうか。

 客観的に見て、これは素直に喜んでいいことに決まってます。

 たとえホントは違っても、すぐれた部下を自分は育てたのだと思えば、表立ってそれに異を唱える人はいないはず。

 一応部下なんですから、多少の薫陶は目に見えない形でも、与えている可能性がある。

 でも、そう思わない上司って、結構多いかも。

 とくに大企業で、最先端の経営理論を勉強している上司ほど、部下が100%ひとりで作り上げた企画や提案にケチをつけそうです。

 本当にケチをつけねばならない企画や提案も数多くあるのでしょうけど…。

 これが、自分の会社とは関係ない赤の他人だったら、素直に受け入れられるんですよ。

「旧来の価値観を変えるようなバイタリティのある若手って、うちの会社にはいないよな」

 なんて、嘆いている中高年中間管理職は、結構いるらしいですが、ホントに部下にいたらどうなんでしょうねぇ。

「こいつの企画や提案が全て通ったら、大変なことになるぞ。いくら企画は良くても、あいつに権限を与えたら大変なことになる。俺たちは真っ先にリストラじゃ」と大騒ぎになって、シャットアウトせざるをえなくなる。
 
 これは少し極端な例かもしれませんが、能力のある部下が、自分ひとりで作った企画、提案に対して、諸手をあげて喜べないムードが一部の組織の中にあることは間違いない。

 そこで、企画や提案を支障なく通したいと思ったら、それを100%完成させず、上役の意見を聞く余地を残しておく。

 これは、おべっかとも考えられますが、このような手を使って出世をした人が、日本の歴史の中にいますね。

 史上最大の出世をしたと言っていい、太閤秀吉です。

 ご存知のように秀吉は、草履取りから身を起こし、上司といっていい織田信長に気に入られ出世街道を邁進します。

 そして、毛利攻めの司令長官に任命される。まだ羽柴秀吉と言っていた時代です。

 秀吉は苦労しながらも、諜略を繰り返して味方を増やし、一歩一歩、毛利を追い詰めていきます。そして、自分だけの軍勢でも毛利と互角に戦えるところまでくる。

 ここで秀吉が、自分の軍勢だけで毛利を滅亡に追い込めば、すごい功名を立てることになるでしょう。

 秀吉は、自分だけでもある程度戦えるという自信はあったと思いますよ。でも、上司の信長に援軍を要請します。

「大毛利は、とても猿風情が戦えるような相手ではございません。是非、信長様自らの出馬をお願いいたしたく…」と、平身低頭して、秀吉は信長の出馬を懇願します。

 功名を100%完成させず、信長の意見を聞く余地を残しておいたのです。この辺の人間の機微の読み方はさすがですね。普通なら、絶対自分のところの軍勢だけで勝ちたいと思うのが人情です。

 信長は、当然、秀吉の考えはわかっていたのでしょう。

 しかし、怒れない。

「いつまで経っても、俺が出て行かなければ戦を終わらせられないのか」と苦笑したかもしれません。

 しかし、気分は悪くなかったのでしょうね。すぐ明智光秀を、秀吉の応援に向かわせ、自らも安土城を出て中国へ向かうべく、京都の本能寺へ入る。

 そのあとは、皆さんご存知の通り。

 能力に見合った仕事なら、一人ですべて完成させないと、「何だ。こんなことも一人でできないのか」と怒られる。

 周りの誰が見ても、できそうにない仕事をひとりで全てこなしてしまうのは、気持ちのいいものです。

 若い頃、そう度々ではありませんでしたが、何回かありました。支店全体の目標を一人で全部やってしまうみたいな。

 当然、それだけ仕事をすればほめられます。全部自分がやったんだと肩で風切って歩きたくなる。

 しかし、それも一瞬。

 仕事ができるということは、確かに認める。だけど人間としては、ひとり突出して喜んでいる者は認めない。

 この論理を、もちろん面と向かって言う人は誰もいないでしょう。本人すら気づいていない場合が多いのですから。

 だけど、なんとなく面白くない。いけ好かないという気持ちだけが残る。

 そして、それがどんどん積み重ねられていくのですね。

 こういう人間関係のからくりを、太閤秀吉は知っていたのですね。いくら「人たらしの秀吉」と言われるぐらい人間関係に造詣が深くても、400年以上前の人ですよ。

 そんな昔の人に、いまさらながら教えられるというのは、人間は進歩したなんて、勝手に思っておきながら、実際は少しも進歩していないことに驚かされるのです。

Banner2_5

↑ ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

城山・津久井湖 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 前回のブログの新しいチャレンジについてのなぞなぞですが、おわかりになりましたか?

 一応、オイラが意図していたのは、写真でした。

 「デジカメを買ったのですか」と気付いてくれた人がいたのでよかったです。よくわかりましたね。

 実は先日、新しいケータイを買ったのですよ。

 それはデジカメ並みの画質。しかも、USBケーブルで直接パソコンと接続できるといううたい文句で発売されていました。

 今までのオイラのカメラ付きケータイは、137万画素。しかも、撮った写真をメールの添付ファイルという形でパソコンへ送っていたので、一枚あたり110~150円もかかったのです。

 実にもったいない話。

 そういう生活をブログ開始から一年以上も続けていたのでした。

 今度買ったケータイは、323万画素。2メガピクセル近くも画質が向上するのですね~。

 オイラのブログの写真を見た人は、「おお~、なんと美しい写真じゃ~」と驚いてくれるのを期待して、思わせぶりなことを書いたのですけど…。

 今は、500万画素以上のデジカメ全盛の時代ですもんね。別に珍しくはないのでした。

 オイラが、同じ質問をされたら、絶対気がつかないことだけは断言できます。

 ちなみに、去年古いカメラで撮った東京モーターショーの写真。

 近未来のスカイライン。

20051028_

 そして、これが新しいケータイで撮った写真。

Ts360001_1

 昭和の名車、ハコスカ。

 並べてみると、わかりますか?

 ケータイからパソコンにUSB接続するために、新しいソフトをダウンロードしたり、説明書読みまくったりなかなか骨が折れました。

 うぬぬ、やっぱりあまり見た目は変わらないのだろうかと考え込む今日この頃。

 これからアップする写真もあまり良い出来ではないし…。

 撮った日は曇っていて、もやがかかっていたという悪条件はあったのですけどね。

 3メガピクセルの実力が発揮できるよう、これから腕を磨いていくしかないっす。

 ところで今日は、久しぶりのお散歩ネタです。

 最近仕事が忙しくて土日も休む暇がなかったので、多少ストレスもたまり気味。

 このままだと仕事の能率が落ちる可能性があったので、エネルギー補給に行くことにしたのです。

 新しく買ったカメラ付きケータイで、美しい写真を撮りたかったのもその理由のひとつ。

 それにしても、ケータイを買い換えてから、いただく電話はすべて新しい仕事の依頼です。

 将来、期待できそうなお話もあって、なかなか縁起がいい。これで写真がうまく撮れたら最高なのですけどねぇ。 

 さて、ウォーキングに行って、失敗写真を大量に発生させた場所は、神奈川県の城山町です。

 現在、市町村の合併が急ピッチで行われていますが、ここももうすぐ相模原市と合併の予定なのだとか。隣の津久井町はもうすでに相模原市と合併したみたいですよ。

 オイラは、JR横浜線の橋本駅に降り立ちました。

 この近所でも昔、半年くらい通って仕事したことがありましたっけ。

 駅前には高層マンションが建って、10年前とはずいぶん変わりました。若い学生がたくさん電車に乗っていると思ったら、青山学院大学が沿線に引っ越してきたのですね。

 前は、厚木からバスでかなり走ったところにある「森の里」という場所に一般教養課程があったのを記憶しています。

 ハイキングへ行ったら、突然垢抜けた格好をした女子大生が歩いていたんですよ。何でこんな山の中を歩いているの?と思ったら、大学のキャンパスが近くにあったという次第。

 景色はいいところでしたが、ちょっとハイソな大学のイメージには合わなかったのかも。

 今のキャンパスは、横浜線の車窓から見えるのですが、お洒落でなかなか素敵ですよ。

 話が脱線しそうなので元に戻します。

 橋本駅から、バスで約15分。城山役場前で下車しました。

 天気は曇りで、今にも雨が降り出しそう。低い山も見えますが、霞がかかったようで視界悪し。

 じめっとしてウォーキングにはあまりいい条件じゃないですな。でも、今の時期天気が良すぎても、汗がドバッと出て苦しいからビミョーなところです。

 ガイドブックを見ながらまず向かったのは、川尻八幡神社。
Ts360005

  うっそうとした森に抱かれた社殿を見ていると、日頃のストレスも発散しますよね~。千年以上も地元の人たちから信心を集めてきた神社は、人間の心を清める霊気にみなぎっている気がします。

 そこから、春には観光客で賑わうという「カタクリの里」の前を通り、バス通りからハイキングーコースへ入ります。

 コースの入り口に「イノシシ注意!」という看板があって少しびびりました。

 いくら注意したって、突然突進してこられたらどうすりゃええんじゃぁぁぁぁぁ~

 死んだふりをするといいという迷信は、熊だったっけと思い出しながら山道を登ります。

 幸いイノシシには出会うことなく、山の尾根に到着。

 このあたりは戦国時代の山城、小松城があったところなのだとか。

 解説板がありましたが、なければわからず通り過ぎるかも。

 藪の中とか、周囲の地形を調べてみましたが、空堀の跡だと思われるところは確認。でも、ちょっと竹の子掘りのために後世作った切り通しだと言われれば信じてしまうかもしれませぬ。

 そのまま尾根道を城山湖に向かって歩きます。

 道の左右は、神奈川県美林五十選に選ばれたヒノキ林。うっそうとした緑に抱かれながらのウォーキングは実に快適。

 うれしくなって、ワハハハハハハハハハ~と黄金バットの笑い声を発しても、反応するのは野鳥ばかり。

 ルンルン気分で、半分スキップしながら城山湖へたどり着きました。

 上から湖を見下ろすと、まさに絶景。
Ts360010

 思わず、かつてのテンプターズの名曲「エメラルドの伝説」を口ずさみながら歩きます。

 うっそうとした森をぬけてゆくと、やがて武相四大薬師のひとつ、峰の薬師に到着しました。鳥居をくぐって広場に出ると、「姿三四郎決闘の場」の石碑が…。
Ts360015

 手ぶれが、少し残念。

 フィクションだと思いますが、小説の中で桧垣兄弟と決闘する場面はここだったのですね。

 思わず、決闘する相手を探しましたが、境内にいるのは猫が一匹だけ。

 暑さで、戦意を失ったニャンコ先生と戦っても仕方がない。

 美空ひばりの名曲「柔」を口ずさみながら、境内の端にある展望スペースへ向かいました。

 そこから見下ろすと、津久井湖が広がり、ここもまさに絶景。
Ts360014

 今にも雨が降りそうな曇天と、ケータイのカメラの設定が間違っていたようで、こんなピンボケになってしまいました。

 そこから山を下り津久井湖と津久井城址へ向かうのですが、それはまた次々回。

 もう一度、説明書を読み直さねば。

Banner2_4

↑ ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »