目黒~渋谷 ウォーキングストーリー
こんにちは。
なんと、今日もお散歩ネタです。
文章ネタも行きたいところですが、最近ますますウォーキング付いているので、お散歩ネタが溜まっていて。
ここでお蔵出ししとかないと、季節感が滅茶苦茶になりそう。
冬になってからも、「蝉が鳴く中、汗を拭きつつ歩く」なんてことになったりしたら大変ですからね~。
そんな努力の甲斐あって、体脂肪率は1パーセント減少しました。
相変わらず体重はさほど変わりませんが…。
でも、なんとなく効果が実感できるようになってきたので、これからも頑張りまっす。
…ということで、先日の日曜日の午後、ちょこっと余裕のある時間がとれそうだったので、またプチ・ウォーキングへ行くことにしました。
場所は、一見、何の変哲もない目黒から渋谷へ行くルート。
山手線に乗ると、間に恵比寿駅が入るだけのたった二駅。乗車券も150円で買える。
だけど、電車に乗ったら5分の距離の中にも、弥生時代から平成に至る人間の足跡が残されているのですね~。
今回のウォーキングは、都心の街中を歴史と文化という視点からアプローチしてみようか、と…。
ウォーキングの出発地点は、JR目黒駅から。
かつて、3両編成の木造電車と揶揄された目蒲線のターミナルでもあったのですが、東急目黒線に変わり、地下鉄とドッキングされてからはグッと交通の便がよくなりました。
駅前から続く権之助坂を下って、目黒川を目指します。
この権之助坂。
ビートきよしの「雨の権之助坂」で有名?ですが、それにしても曰くのありそうなネーミングです。
調べてみたら、実際そうなのでした。
今から300年ほど前、このあたりは細く急な坂道しかなかったらしい。村人たちは大変な思いをして坂道を登っていた。
中目黒村の名主、菅沼権之助は、村人達の利便や交通のために、細く急な坂道の横に新しく広い坂を作る。
しかし、権之助は幕府の許可なしに作ったため、罪に問われ死罪となってしまう。
人々は、彼をしのび、いつしかこの坂を彼の名前で呼ぶようになったらしい。
また別の説では、権之助は村人の為に、年貢米の取立てをゆるめてもらおうと訴え出るが、その行為がかえって罪に問われてしまう。
刑場にひかれてゆくとき、最後に振り返った坂を権之助坂と呼ぶようになったとか。
佐倉惣五郎みたいな人が、目黒にもいたのですね。
いずれにしても、処刑されてしまうわけですか。オイラはわりと、上の人には言うタイプだから、この時代だったらすでに処刑されているかも。
…などと考えつつ坂をくだると、目黒川。
目黒川は、世田谷区から目黒区、品川区を通って東京湾に注ぐ延長8キロの川です。
オイラが子供の頃は、ヘドロが溜まって近くへ寄ると異臭がしたものですが、今は浄化された水がサラサラと流れていました。
ここはいわずと知れた桜の名所でもある。
目黒駅辺りから大橋まで約3.8キロの川沿いに、約830本のソメイヨシノが植えられているとか。
ちなみにこの写真は、桜の季節のものですので念のため。
自宅から比較的近いので、桜のシーズンにはよくフラフラとこのあたりを歩きます。
目黒川にかかる橋をわたり、すぐ右折して川岸沿いを歩いてゆくと、そこは目黒区民センター。
区立美術館や図書館やボーリング場、プールなどがある。
そこで、350ミリリットル入り、100円の紙パックのコーヒーを買い、飲みながら先を急ぎます。
ダイエットのためにやっているのに、カロリーの高い飲み物を買ってしまった!と思っても後の祭り。
やがて、川越しにインパクトのある真っ白で高い煙突が見えました。
ここは、目黒清掃工場。
煙突や建物の白と、雲ひとつないスカイブルーの対比が美しくて、何枚も写真を撮ってしまいました。
途中、対岸に緑あふれる公園が見えたので行ってみることにしました。
場所は、東京共済病院の隣辺り。
昔この辺に来たこともあるのですが、病院の建物が新しくなったのはいいとして、公園はなかったような。
家に戻ってからネットで調べてみると、2002年3月31日オープンで、金属材料技術研究所の移転跡地に造られたのだとか。
サッカーができる広場や芝生など、こんな素敵な公園が近くにできたらいいですよね~。
次に向かったのは、川の資料館。
川についてのさまざまな情報を映像やパネルで紹介しています。
ここで、解説員のおねーたんから、城南地区を流れる目黒川や立会川、呑川などが全部、元は多摩川だったということを聞きました。
ここから渋谷まで、標高差が25メートルもあるとも。
渋谷のあたりの地形が、古代の多摩川に影響されているのには多少驚きました。
渋谷から東急線に乗っても結構、多摩川まで距離がありますから。
川の資料館を出て、次に向かったのは目黒区役所。
なんで、区役所へ向かったのかと言うと、見るべきものがあるのですね~。
それは建物…。
有名な建築家の村野藤吾が設計した建物として、文化財的な価値があるらしい。
広島世界平和記念聖堂、大阪そごう百貨店、大阪新歌舞伎座、京都都ホテル佳水園、早稲田大学文学部校舎なども村野氏の設計だとか。
現在は、目黒区の庁舎として使われていますが、もとは千代田生命の本社ビルとして建てられたもの。
平成15年に、区役所がこちらに移転してきたのですね。
外観も素晴らしいのですが、なんと言っても内部の装飾がまた素敵らしい。
茶室や和室、そしてエントランスホールのディテール。デザインの凝った螺旋階段もあるそうなのですが、休日だったので中を見ることはできませんでした。
残念。でも近いからまた来ようっと。
区役所から向かったのは代官山です。
さすがに、山というだけあって坂を登らねばなりませぬ。
代官山と言えば、いまやと都内屈指のセレブスポットになってしまいましたが、歴史的にも価値のある場所ですよ。
代官山の名前の由来は、八幡通りの南側の高台に江戸の燃料配給地である薪山があった。
江戸時代は、勘定奉行がそこを支配管理したことから、代官が支配した山、代官山といわれるようになったという説があるらしい。
今はまったくその面影はありませんが、実はもっと古いコンテンツがあるのでした。
それは、なんと古墳。
お洒落なヒルサイドビルの脇の路地をはいってゆくと、6~7世紀の古墳時代末期の円墳が…。
高さは5メートルくらいで、それほど大きくはないのですが、都心の一等地にこれだけの古墳が残っているのは感動です。
その古墳の名前は、「猿楽塚」。
このあたりは猿楽町という町名ですが、現在の町名の起源にもなっているのですね。
そして、旧山手通りを少し歩くと、西郷山公園。
あの有名な西郷隆盛の弟、従道のお屋敷のあった場所を公園にしたのですね~。
ここは高台になっているので、広い芝生に寝転びながら、下に広がる街を眺めると、あなたも海軍大臣西郷従道気分に…。
ちなみに、ここにあった洋館は、愛知県の明治村にあるらしい。
たぶん昔行ったとき見たと思うのですが、忘れました。
冬のよく晴れた日には、富士山も見えるそうですよ。
さて、最後に向かったのは、今までのうちでもっとも古い遺跡。
なんと、弥生時代の住居跡です。
西郷山公園から、第一商業高校のわきの道を通り、立派なお屋敷が並ぶ住宅街を歩いていくと、10分もかからず到着。
普通の児童公園かと思ったのですが、奥のほうに竪穴式の住居跡が…。
以前は、復元した住居があったそうですが、火事で燃えてしまったそうな。
近くに、弥生時代の渋谷の様子をジオラマ風に見せた模型がありました。
さまざまな川がながれ、起伏に富んだ山や丘が再現されています。
今の渋谷からはとても信じられない光景。
でも、女子高生軍団のいない渋谷は、オヤジとしては少しくつろげる景色だったりして…。
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