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千葉・花見川 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 あたふたしていたら、なんと今年はあと一日もないのですね。

 せっかく心を入れ替え、終わりよければすべて良しと、ブログの更新頻度を高めようと思ったのに…。

 すでに手遅れ状態。

 今年はもうあきらめて、来年からまた頑張ろうと思ったのですが、約1ヶ月前にウォーキングへ行って、ネタにしようと写真を撮ってきた場所があったのを思い出しました。

 当時は晩秋だったのですが、今や立派な冬。年を越えると、季節感がますますぐちゃぐちゃになってしまう。

 …ということで、師走で皆様忙しいところ誠に恐縮ですが、今年のお散歩ネタの大トリというか、在庫一掃セールというか、行かせていただきまっす。

 行ったのは、千葉市の花見川区です。

 ウォーキングの専門誌にコースが紹介されていたのですが、知り合いに花見川区に住んでいる人がいて、以前から話は聞いていました。

 コースのタイトルを見ると、「千葉の水回廊を巡る道」とある。距離は15キロもあるそうなので、多少気合を入れて行かないといけませんね。

 記事と一緒に載っていた写真を見ると、見晴らしのいい河原や神社とかあって、なかなか良い所みたい。

 夏のくそ暑いときに、日陰のない河原を歩くのはたまりません。

 行くなら、本格的な冬の始まる今がいいのではないか。

 しかも、東京はもちろん、神奈川や埼玉にはかなり進出しているのですが、まだ千葉は行ってない場所も多いのです。

 ネットの乗り換え案内を調べてみると、乗り継ぎをうまくすればそれほど交通費もかからないみたいだし。

 …ということで、12月の初旬、天気はあいにくの曇りでしたが、午後から晴れるということなので行くことにしました。

 地下鉄とJRを小刻みに乗り継いで、JR新検見川駅に着いたのが、午前10時半。

 空はどんよりと曇っているじゃないですか。

 雨の日のウォーキングは悲惨ですからね~。

 今でも苦い思い出として残っているのは、山口県の萩、山形県の鶴岡etc…。

 鶴岡へ行ったときは、台風のどしゃぶりでした。

 しかも水溜りですべって足を捻挫。

 痛くて歩けなくなり、名誉ある撤退を余儀なくされたのですが、東京へ戻ろうと思ったらなんと電車が不通。

 一瞬、「天は我を見放したか~」と八甲田山の気分になりました。

 不幸中の幸いで日本海側の電車は動いていたので、痛む足を引きずりつつ、新潟まわりで東京へ戻ったこともありましたっけ。

 当時の暗い思い出が頭をよぎり、雨が降らないことを祈りつつ向かったのは、検見川神社(けみがわじんじゃ)。

Ts360431

 なかなか立派な神社で、創建は1200年前、平安時代前期まで遡るのだとか。緑に囲まれた小高い丘の上の豪壮な社殿は、一見の価値ありですね。

 オイラが行った日は、中高年のウォーキングサークルの人たちが大勢参拝していました。

 オイラも、厳粛な気分で参拝。

 …と、そこへ心配した雨がポツリポツリと降ってきたのでした。

 やはり、日頃の行いが悪いから、天罰が下ったのかも。折りたたみの傘を差して、石段を下ります。

 そこから、いよいよ花見川を目指して歩きはじめたのでした。

 浪花橋から花見川の川端に整備されたサイクリングロードを上流に向けて進む。

 桜の木がたくさん植えられていて、まさに花見川。

 春には、満開の桜の中を歩くことができるのですね。

 ところが、寒風吹きすさぶサイクリングロードはほとんど歩いている人はいない。

 桜とこの天候の落差に、自虐的気分に陥ったところで、とうとう雨が本降りになってきました。

「今日の午前中は曇りで、晴れるのはお昼過ぎになる見込みです」と笑顔で話していた天気予報のおねーたんを恨みつつ、なんとかしらさぎ公園に到着。

 すると近くに花見川区役所が見えたので、緊急避難することにしました。新しくできたピンク色の庁舎がなんとも、花見~というイメージです。

 しばらく雨宿りしていたのですが、一向に止む気配がない。

 仕方ないので雨の降る中、次の目的地に向かって再び歩きはじめました。

 道に迷いつつ、なんとか到着したのが子安神社。

Ts360436

 風情のある神社で、古墳や石碑などもあるそうなのですが、お参りだけして先を急ぎます。

 子安神社の裏手から清涼寺を過ぎ、畑小学校発祥の地を右に見つつ道なりに進んでゆく。

 このあたりは、立派な瓦屋根のお屋敷がたくさんありますね。とくに長林寺の前の長屋門は素晴らしい。

Ts360439

 江戸時代は庄屋さんだったのでしょうか。武家屋敷の門と比べても遜色ないですな。

 亥鼻橋付近で花見川に合流。再び川端を上流目指して歩きます。

 広くて整備されたサイクリングロードを歩いていると、ようやく雨が小降りになってきました。

 天戸大橋の下をくぐり抜け、天戸制水門に到着。

Ts360446

 ここは、花見川上流部の水位を一定に保つことで、もろい地質を水圧で安定させる役割を担っているとか。

 花見川大橋の下を通って、ずんずん進んでゆくと、樹木がだんだん増えて、山の中を歩いているような気分になってきました。

Ts360449

 左下をゆっくり流れる川に浚渫船が浮かび、その上に固定されたシャベルカーが川底の土砂をさらっています。

 コンクリートで覆われていないので、常に土砂をさらって一定の深さを保っていないと洪水の危険があるからでしょうか。

 歩いていると、川原の草を刈る作業員の姿もよく見かけました。

 都会の中にあって、風情のある昔ながらの川の景観を維持するためには、いろいろな苦労があるのかも。

 そんな柄にもない真面目なことを考えつつ歩いていると、レトロ感漂う石橋が見えてきました。

Ts360452

 その頃は、ようやく天気予報通り太陽が顔を出して、川面がキラキラ光り輝きます。

 これは花島橋。対岸の花島観音の瓦屋根や山門と古い橋をペアで眺めるとなかなかの景観ですな。

 花島観音の境内にある2本のイチョウの大木が立派。

 今回のウォーキングコースの目玉は、境内の裏手に広がる花島公園でしょうね。

 正直、あまり期待していなかったのですが、渓流水系ゾーンや河川水系ゾーンなどさまざまな景観が楽しめます。

 入り口はさほど広くはないけれども、奥行きがすごいんですよ。

 左手の崖を登ると芝生の広場、運動場などもありました。晴れて暖かければ、ここで弁当を広げるのもいいですね。

Ts360460

 再び花島橋へ引き返し、再び花見川の遊歩道を上流に向けて歩きます。

 遊歩道はここから舗装がなくなり、ますます山道のような雰囲気に。

Ts360463

 川の周囲も緑にあふれ、政令指定都市の市街を流れる川とはとても思えませぬ。

 冬以外に来れば、きっと野鳥のさえずりが聞こえ、昆虫もたくさん見られるのでしょうね。

 快適な遊歩道を快調に歩き、やがて弁天橋に到着。橋を渡ると、横戸元池弁天宮が現れます。

 と言っても、小さなお宮さんがあるだけでした。注目したのは、境内脇の空き地に屋根付の土俵があること。

Ts360465

 最近使われていないらしく、くずれそうな部分もありましたが、無粋な柵がないのはいいですね。

 さっそく土俵にあがり、雲竜型の土俵入りを披露しました。

 披露といっても、誰も見ている人がいないからやったのですが…。

 やはり本式の土俵の上でやるとストレス解消になるかも。

 さらに上流目指して歩いてゆくと、やがて周囲に家が見え始めました。前方に京成本線の橋が見えたところで右折し、いったん花見川から離れて住宅地へと向かいます。

 成田街道を越え、再び花見川へ戻ると、大和田排水機場にぶつかる。

 ここは増水時、水位の低い新川側の水をポンプで強制的に花見川へ流す役目を担うのだとか。

 柵に囲まれた大和田排水機場の北側に回りこむと、そこから先は川幅の広い新川。

 川の回りも広く開け、都会を流れる広い川へと景観は一変する。

 歩行者専用のなかよし橋を渡り、最後の目的地、八千代総合運動公園へ。

 かなり暗くなっていましたが、少年サッカーチームの練習が広いグラウンドで行われていました。

 公園の先に面白い形をした橋を発見したので行ってみました。

 歩行者専用の橋ですが、こちらはつり橋。

Ts360468

 橋を渡っていると、元気のいい老人が橋を思いっきり揺らすように渡っていきます。

 落ちることはないと思いますが、初心者はちょっとその揺れにビビります。

 それにしても、よく揺れるなぁと思ったら、橋の名前が「ゆらゆら橋」というのですね。

 橋の中ほどにある展望台から見た眺めは、江戸時代から続く豊かな農村地帯をイメージできました。

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体言止めにかかわる一考察

 こんにちは。

 ご無沙汰いたしております。

 とうとう過去例がないくらい、更新の間隔があいてしまいました。

 そろそろ限界説が流れる今日この頃。

 書きたいことはいっぱいあるのですけど、ここに来て、かなり忙しくなってきたんですね~。

 普段、休日は休むことにしているのですが、先週の日曜日は本業と副業でてんてこまいでした。

 朝、ネットの副業を片付けてから、外出して座談会やモニターに参加したり、取材したりした後、夜帰ってきてまたネットの副業。

 「功名が辻」を見る時間がなかったので、番組が終了していたのが不幸中の幸い?だったかも。 

 それでも座談会に出席すると、変わったことを言って笑いを取ろうとする自分が悲しい。

 今月はそれなりに頑張ったので、かなりの量の商品券や図書カードと、いくばくかの現ナマをゲットすることができました~♪。

 おかげさまで、これでようやく年が越せますだ。

 …と、苦労して手に入れた金券を、夜毎、机の引き出しから取り出しては、一枚~二枚~と番町皿屋敷のお菊のように数えて悦に入っていたのですよ。

 これだけあれば、ユニクロでフリースが何着買えるだろうと幸せな気分になったのです。

 クリスマス、皆様はいかがお過ごしでしたか。

 15年前のクリスマスは、降りしきる雪の中を、マッチ売りの少女のように営業に回ってつらい思いをしたなぁ~と感慨にふけったりして。

 ところが、そんなささやかな幸せに水を差す出来事が。

 今月のはじめに、金融機関のおねーたんに勧められて金融商品を買ったとブログに書きました。

 買ってから10日もたたないうちに、分配金が口座に振り込まれたのです。

 なんと、その金額が、この一ヶ月、オイラが寝る時間も惜しんで都内をぐるぐるまわり、2キロもダイエットに成功し、ブログの更新に支障をきたしてまで獲得したお金よりも、多い。

 言っておきますけど、そんな大金を預けたわけではありませんよ。

 銀行の窓口で預けると、せいぜいティッシュか、よくてサランラップが粗品でもらえるくらいの金額。

 世の中のお金持ちは、こうやって不労所得を得ているのでしょうか。

 …とすると、今までのオイラは、完全にワーキングプア状態。

 汗水たらして働くのは、人間の美徳だと思うのですが、この差を歴然と見せ付けられてしまうと…。

 ネットで金融商品を買うのに要した時間は、1分もなかったですし、この作業を時給に換算したら…。
 

 さて、あまり考えると暗くなってくるので、今日は久しぶりに文章ネタを行ってみたいと思います。

 完全に前回のネタを忘れていて、読み直してみてようやく自分が文末についての話題を書いていたことを思い出しました。

 文末というと、避けて通れないのが「体言止め」でしょうか。

 「体言止め」とは、ご存知のようにセンテンスの末尾を「体言」で結ぶ書き方のことです。

 体言とは、名詞や代名詞。

 ちなみに、上記の文章は体言止めですよ~。

 それはともかく、またいつもの文章を使って例を書きますと…。

 「きのうは、ぼくの学校の運動会。だから、早起き。学校へ行くと、みんな集合中。最初はラジオたいそうから。そのあとの校長先生の長~いお話。ぼくは徒競走で、ビリから二番目。もう少しがんばればよかったかも。お昼にはみんなでお弁当」

 ちょっと無理のある例でしたが、ニュアンスは伝わったでしょうか。

 こういう文章って、軽い系の雑誌ではたまに見ますよね。 

 実は、ここだけの話、最近まで「体言止め」という言葉を知らなかったんですよ。

 なぜ知るようになったかというと、その点について指摘されたことがあるから。

 もちろん、言葉を知らないだけで、そういう文章技法は知っていたのですが…。

 かつて本を出版したとき、自称・文章の専門家であるフリーライターの人に原稿を見てもらったことがあるのです。

 そのとき、オイラの書いた文章の中に体言止めの箇所がいくつかあって、けちょんけちゃんに言われました。

 そのとき、理由は教えてもらえなかったのですが、体言止めなんか使う奴は素人だと…。

 確かに、オイラ、素人なんすけど。

 でも、一寸の虫にだって五分の魂がある。

 さすがに腹が立って、文章作法の本やネットの文章講座で調べてみました。

 確かに、ちゃんとした本ほど、体言止めについての分は良くないですな。

 そのデメリットについて、いろいろ書かれていましたが、主に次の点に由来するらしい。


● 一つの文章の中で何度も用いると、文章全体のリズムが途切れる
 
● 文章の品がなくなる。

● 文章が曖昧になる。

● 第一級の文章家は決して体言止めを愛用することがない。

 確かに、論文やきちんとした本は、上記のことが言えると思うんですよ。

 オイラのブログの文章は、論文に使えないのは自他共に認めるところ。

 でも、多用しすぎないよう気をつけながら、文章のスパイスの意味で使うなら、有効な面もあるのではないか。

 お言葉を返すようですが、体言止めにも、メリットはいくつか考えられます。

 まず、文章の中でとくに読者に注目してもらいたいとき、体言止めで、文章の流れを一度止める。

 そして、作者の言いたいことについて考えてもらう。

 センテンスを短く切り、テンポよく文章を連ねてゆくと、簡単に読み飛ばせる半面、読み終わってから何も記憶に残っていないことは結構ある。

 文章の心地よいリズムに身をゆだねているうちに、右の耳から入って左の耳に抜けてゆく、みたいな…。

 そういうときは、いったん停止の標識を文章の中に置いたっていいのではないか。

 うまく使えば、文章のリズムにアクセントをつけて、よりバリエーションのある表現も可能ですね~。

 文末のバリエーションにとって、体言止めは打順の中の「シンジョー」のような存在だと。

 オイラが好きなのはそこっす。

 打線のつながりを切るという意味ではありませんので、念のため。 

 「でした」や「です」と文章をつなげるより、途中で切ってしまったほうが読者の読む時間を節約できる。

 べらんめー、こちとら江戸っ子でぇ~、最後まで言わすんじゃねぇやい。気が短け~んだ!

 …みたいな。

 もちろん、書いてある内容がよくわかる場合に限ってですが。

 短い文章で、主題を強く読者に印象づけようとする場合は、自ずと体言止めが多用される結果となりますね。

 たとえば、俳句や和歌。

 限られた言葉の数で、自分の言いたいことをきっちり主張するためには不可欠な文章作法かも。

 もっとも有名な俳句、「古池や蛙飛びこむ水の音」だって、最後が体言止めだから静かな余韻が伴う。

 これが…。

「古池に蛙が飛び込んだ水の音です」

 …とやってしまったら、もう台無し。

 しつこく芭蕉のもう一句。

「荒海や佐渡によこたふ天河」だって

「荒海の佐渡によこたわるのは天河でした」

 …とすると、プラネタリウムのおじさんの解説みたいになってしまう。

 広告宣伝のコピーや情報系の雑誌の記事では、体言止めが花盛り。

 これも、なるべく短い覚えやすい文章で、主題をインパクトのある表現で印象付けようと考えているからでしょうね。

 このように書いてくると、オイラは体言止め主張論者みたいに思われるかもしれませぬ。

 でも、フォーマルな文章に体言止めが多いのもどうかと…。

 やはり、TPOはわきまえる必要があるのでしょうね。

 ブログや気軽に読める雑誌、友人のメールの文体と、フォーマルな文章は読む人というより、読む姿勢が自ずと違ってくるだろうし。

 一律に、体言止めはすべてよくないという姿勢もまた、表現のバリエーションの自由を奪ってしまうような気がするのですけど。

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冬のお肌の対処法? and クモ膜下出血の治療って、どんなことするの? 医師と女子高生の会話から

 こんにちは。

 いよいよ冬本番ということで、寒くなり空気も乾燥してきましたね~。

 …となると心配なのは、お肌の対策。

 オイラは男性用の化粧品なんてまったく持ってない無精者ですけど、乾燥対策だけは気を使っておりまする。

 以前、テレビ番組を見ていたら、小じわの原因は老化による肌の乾燥が大きいと言っていました。

 それを防ぐために大事なのは、風呂上りの対処法だとか。

 風呂からあがって、そのまま何もしないでいると、急速に肌から水分が蒸発するらしい。すぐからからに干からびたような状態になって、しわができる原因になるそうなんですよ。

 「巨人の星」の星一徹や「柔道一直線」の車周作みたいにしわだらけの顔になるのはまだ早いですからね。

 …ということで、風呂から上がって5分以内に、乳液を顔にペタペタ塗るようにしています。

 ムラがあるとそこから水分が逃げてしまうそうなので、満遍なく。

 でも、よく見ると小じわもできているし、ホントに効果あるのかなと少し疑心暗鬼になりかかっていました。

 もう3年くらい同じ銘柄の乳液を使い続けていたんですよ。

 ちょうどそれがなくなりかけた頃、ネットの懸賞に当選したとかで、別の乳液が送られてきたのです。

 超ラッキー~♪ ということで、それを使い始めた。

 なんと、その新しい乳液の効果が素晴らしいのですね~。

 もう、お肌がツルッツルッ!!!

 額に直径1ミリくらいのイボができていて、爪で引っこ抜いてもまた同じのができてくる状態が長く続いていたのです。

 新しい乳液を使い始めてからそれも治ってしまいました。

 ここ一ヶ月くらいはプルンプルンのほっぺをなでながら鏡を見て、一人うっとりとナルちゃん状態。

 うふふ、オイラ、桜塚やっくんより美しいかも…、なんて。


 ところが、喜びながら使い続けた乳液がなくなりかけているのです。

 また同じ銘柄の乳液を買わねば、この美しいお肌が損なわれてしまう。

 そのときになって初めて、その乳液のボトルに書かれた説明書きを読んだんですよ。

 さてさて、この優れものはどんな高級な成分が入っているの?

 読み始めてすぐ、目がテンになるのがわかりました。

 そこには以下のフレーズが書かれていたのです。

『 くすみの原因ともなるメラニンを含む古い角質を取り除き、明るく、透明感のあるなめらかな肌に磨き上げます 』

 そこまではよかった。問題は次のフレーズ。


『 注意! 顔や粘膜には使用しないでください。使用部位、足の裏、関節、背中etc…』


 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~

 何~? 足の裏用だと!?



 一瞬、顔が足の裏になったような感覚を覚えました。

 そういえば最近、面の皮が厚くなってきたような…。


 うぬぬ、効果はテキメンにあるんですけどね。

 やっぱり今後、この乳液を顔に塗るのはまずいかも。

 でも、ちょっと後ろ髪を引かれる思いだったりして。

 もらいものはほとんど確かめずに使ってしまう癖を直さねば、と考える今日この頃です。

 それにしても、急に血圧が上がって脳こうそくの危険が増したような。

 

 …ということで、またしても強引な前ふりを長々としてしまいました。今日は「脳の病気シリーズ」です。

 この「脳の病気シリーズ」。

 ほぼ月一回のペースで、お送りしています。

 約一ヶ月前になりますが、前回は「脳出血の手術って、どんなことするの?」という話題を取り上げました。

 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に「心と体」のカテゴリの中にある前回、前々回の記事をお読みいただければ幸いです。

 
 今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。
 
 
 前回、「脳出血の手術法」について勉強したAYAちゃん。

 今日は、「クモ膜下出血の治療って、どんなことするの?」が話題になります。
 
 それでは…。 


 < クモ膜下出血の治療って、どんなことするの? >


● AYAちゃん「さて次はクモ膜下出血の治療法ですね。この病気は、脳の血管にできるコブが破裂して出血が起こる怖い病気でしたよね。そして、何の前ぶれもなく、突然後頭部をハンマーで殴られたような痛みが襲~いかかって~くる(突然白目をむく)」


 ちょっと、AYA君の顔の方が怖いよ。前にも言ったように脳の動脈瘤が見つかっても、破裂しないうちに脳外科で修理してもらっておけば、特に怖い病気ではないんだ。だけど一度破裂してしまうと、厄介な病気になってしまうね。


● AYAちゃん「破裂してしまうと治療は難しいんですか?」


 破裂する前と比べると、はるかに難しくなる。クモ膜下出血で倒れると、症状は次の五段階で進むんだ。

 ○第1段階 … 突然これまで経験したことのない強烈な頭痛に襲われ吐き気がする。コブが破れ、ジワジワ出血を始めた時期だが手足のマヒはない。 

 ○第2段階 … 首が硬直して、首の後ろのほうに転げ回るような激しい痛みが走る。

 ○第3段階 … 睡眠状態に入っているが、起こせば目を覚ます。

 ○第4段階 … 起こしても目を覚まさない。いわば危篤状態になる。

 ○第5段階 … つねるなどの刺激を加えてもまったく無反応で、ひたすら眠り続ける。


● AYAちゃん「うわっ、すごいリアル…」


 第3段階までは、手術すれば命は助かり大部分の人は職場復帰できる。だけど第4段階に突入すると救命は難しくなり、さらに第5段階に入ってしまうと手術不能で、医師もお手上げの状態になってしまうね。


● AYAちゃん「うーん。起こすと目を覚ますか覚まさないかが生死の分かれ目なんですね。これを見てしまうと、脳卒中になったら一刻も早く脳の専門医のいる病院へ運ばなければいけないというのもわかるわ」


 動脈瘤からの出血が多く重症になると、手術は簡単ではなくなる。とくに患者さんの状態によって手術ができないときは、血圧を下げる薬を使い、手術ができる体力が回復するまで安静を保つんだ。動脈瘤の再び破裂すると、初回の破裂よりずっと死亡率が高くなるからね。


● AYAちゃん「えっ? 一度破裂したコブがまた破裂するんですか?」


 そう。動脈瘤が破裂すると、コブの内側にできた血のかたまりが、一時的に破裂した箇所をふさぐんだ。それで一応出血は収まるんだけど、コブそのものがなくなるわけじゃないからまた同じように破裂する。


● AYAちゃん「うーん。二度目はいつ破裂するか、わからないんですか?」


 大体24時間以内が多いんだ。それが過ぎても倒れてから1週間以内が多いね。今から30年ぐらい前の僕が脳外科医になりたてのころの話なんだけど、その頃はクモ膜下出血で入院しても、ただ安静に寝かせておくしか治療法がなかったんだ。ただ安静にして何日か経つと、意識もはっきりして頭痛もなくなる患者さんがいる。


● AYAちゃん「昔の人は体力があるから寝ているだけで治っちゃったんですか?」


 話は最後まで聞いてよ。そうなると当然、奥さんや子供、知り合いが大喜びしてお見舞いに来たりするよね。患者さんも一人で歩いてトイレに行ったり、目を離すと病院の売店まで行ったりして、看護婦さんに注意されることもある。その患者さんは、完全に自分が治ったという錯覚をしているんだ。


● AYAちゃん「だって、そこまで動けるようになれば誰だって良くなったって思うんじゃないですか?」


 ところがその患者さんはその2日後、自分のベッドになかなか戻ってこないので看護婦さんが探したところ、トイレの中で亡くなっていたんだ。


● AYAちゃん「ひゃー。ということは、一時的にふさがっていたコブが再び破裂したってこと?」


 その通り。


● AYAちゃん「コブがある限り、ずっと安心はできないのかぁ~。嫌だな~」


 まだ怖い症状があるよ。クモ膜下出血を起こして10~14日以内をピークに、脳の血管が急に細く縮むことがあるんだ。


● AYAちゃん「えっ? どうしてですか?」


 この症状は、出血した血液が変化した成分の影響だといわれているんだ。これが起こると血液の流れが悪くなるから、脳が酸欠状態と栄養不足になって死んでしまうこともある。また運良く助かっても、脳こうそくで半身マヒになるケースもあるんだよ。


● AYAちゃん「これも怖いなぁ。クモ膜下出血の死亡率が高いのもわかりますね。やっぱり何と言っても、コブがいけないんですよね。この憎いコブをなくすにはどうしたらいいんですか?」

 (途中ですが、また一ヵ月後に続きます)

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愛宕山・NHK放送博物館 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 相変わらず、モニターやアンケートがどっさり送られてきて、忙しい日々を過ごしています。

 最近、夕食後はほとんどこの作業に没頭しているみたい。

 真夜中、やっと仕上げたと思ったら、またドサッとメールで依頼が…。 

 それでも、ダヴィンチ・コードをようやく読み終わったので、少し寝る時間が増えたのだけは明るい話題です。

 ただ、5~10分の細切れの時間を利用して読んだので、頭の中でアンケートとモニターの内容とごっちゃになって記憶が鮮明に残っていません。

 スイスの銀行の支店長の応対がよかったか、とか、ダヴィンチの最後の晩餐のテーブルの上にはどのビールの銘柄を置いたらしっくりするか、とか。

 関係ないイメージがフラッシュバックして、頭の中がカオス状態。

 ダヴィンチ・コードの感想は、頭の整理できてから書きたいと思います。


 さて今日は、前回の「三田をゆく」の続きです。

 ウォーキングの最後に向かったのは愛宕山。

 単なる番地名ではなく、ホントに山があるのですよ。

 と言っても標高25.64メートルで、まわりの高層ビルよりもかなり低い。

 でも、江戸時代だったら、ここの頂上からお江戸の町が一望できたのでしょうね。

 ちなみに東京23区の最高峰は、新宿区戸山公園にある箱根山の標高44.6メートルだとか。

 だけどこの山は、確か尾張徳川家の下屋敷の庭園に作られた築山です。いわば人工物。

 元々あった地形からすれば、こっちのほうが山としては本家本元なのかも。

 「愛宕山」といえば、江戸時代からお花見の名所。広重が題材にしているほか、「鬼平犯科帳」などにもたびたび登場するらしい。

 ここの売りは、なんと言っても、頂上にある愛宕神社へ通じる急角度の86段の石段。

Ts360387

 ちゃんと、「出世の石段」というキャッチフレーズまでついています。

 それは、講談で有名な曲垣平九郎故事に由来する。

 ときは江戸初期。三代将軍家光が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通った。

 折しも春、愛宕山の山頂には源平の梅が咲き誇っている。

 家光は、その梅を目にして、「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命じた。

 しかし、石段はあまりの急勾配。

 家臣たちは、みな一様に下を向いてしまったとか。

 家光は、みるみる機嫌が悪くなる。

 そのとき、四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎が石段を馬で駆け上がり、梅の枝を折って家光に献上したのでした。

 平九郎は「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたらしい。

 それで、「出世の石段」と呼ばれるようなったんすか。

 オイラもそれにあやかって、馬より簡単そうな自分の足で登ってみることにしました。

 実際登ると、見上げたとき以上の急勾配。

 これでも若い頃は、山形県の山寺の1015段の石段を一気に駆け上がり、観光客から拍手喝采を浴びたのですが、寄る年並みには勝てず…。

 それでも昔取った杵柄で、心臓まひを起さずどうにか登りきることができました。

Ts360392

 この急勾配を馬に乗ったまま駆け上がるなんて、ちょっと想像できませぬ。

 空飛ぶ馬、ディープインパクトでも厳しいかも、と思ったのですが、なんと明治以降3人も、この急階段を馬に乗ったまま往復した猛者がいるらしい。

 しかも、一人は最近ですよ。

 昭和57年に、スタントマンの渡辺隆馬氏が成功したとか。

 それは知りませんでしたね~。

 もっとも当時は、銀行に入ったばかりで超ハードな日々を送っていたので、それ以外の記憶も全部飛んでしまっているのですが…。

 それはともかく、昔はここから江戸の町が一望できたという話。

 幕末に、愛宕山から撮った写真が今でも残っていますが、大名屋敷や寺院が写っていてあまりの変わりように驚きます。

 ちなみにここは、あの桜田門外の変の前に、井伊大老を討った水戸浪士が集結した場所でもあるそうな。

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 きれいな水をたたえた池などもあり、おだやかな景色ですが、そんな血生臭い過去もあったなんて、歴史というものに神秘性も感じます。

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 さて、愛宕山には神社のほかにも見所があるのでした。

 それは、NHKの放送博物館。

Ts360394

 NHKと言えば渋谷ですが、ここはラジオの本放送が行われた場所。

 ときは、大正14年の7月だったとか。

 それで、愛宕山は「放送のふるさと」と呼ばれているのですね~。

 そして、ここは昭和31年に世界最初の放送専門のミュージアムとして開館した歴史ある場所。

 そのわりに知名度はそれほど高くなく、何度か来ているのですが、いつもがら~んと閑古鳥が鳴く雰囲気。

 しかし、ここは結構穴場かも。

 渋谷の放送センターは、見所たっぷりですが、修学旅行や社会科見学でいついっても混んでいる。

 しかも入館料が必要。

 ここはすいていて、しかも無料ですよ~。

 無料なんだけど、内容はわりと充実しているかも。

 お昼休みは、広いホールでハイビジョン放送を楽しめる。

 博物館だから、放送開始当時のスタジオや機器、エピソードなどの展示はもちろん、かつてのテレビ放送の名シーンなんかが見られます。

 やはり、東京オリンピックの映像には釘付けになりましたね~。

 当時、オイラは幼稚園に通っていましたが、原宿の駅前に、日の丸の旗を持って聖火ランナーを応援に行った記憶があります。

 もちろん過去ばかりではなく、未来のテレビ放送の展示もある。

 なかでも、5.1ch DHVシアターには感動しました。

 デジタルハイビジョンの大画面と大迫力のサウンドがドッキング。

 野球や海の映像などを流していましたが、すごい臨場感。

 東京ドームで応援している雰囲気や海の中を泳いでいるようなリアルな体験が味わえるんですよ。

 家庭にこのシステムがあったら、どらえもんの「どこでもドア」と同じ感覚で、行きたい場所へすぐ行くことができる。

 未来もいいのですが、昭和のノスタルジーを味わうのもいい。

 個人的には、昔懐かしい、テレビの人形劇の人形が展示されていたのが一番感動的でした。

 やはり、ひょっこりひょうたん島は外せませんね。

 ドン・ガバチョ、とらヒゲ、サンデー先生、ダンディ、はかせetc…。

 それから、ブー、フー、ウーの三匹のこぶた。

 当時の声優は、どらえもんの大山のぶ代、三輪勝恵、黒柳徹子といったすごいメンバー。

 三輪勝恵さんは、パーマン1号の声で有名ですね~。


 それから見逃せないのが、大河ドラマ。

 自分は、「天と地と」のあたりから、記憶に残っています。

 歴代の大河ドラマで、一番好きなのは、中学校のときに見た司馬遼太郎原作の「国盗り物語」でしょうか。

 織田信長を演じた高橋英樹もよかったけれど、なんと言っても斉藤道三を演じた平幹次郎が素晴らしかった。

 一介の油売りから、権謀術数を使って美濃一国を奪ってしまう。

 当時は、正義の味方で善人の主人公ばかりでしたから、悪人っぽく演出された主人公がとても新鮮でした。

 明智光秀の演じる近藤正臣をいじめぬく、高橋英樹の演技もド迫力。

 怒りが心頭に達して、目がピクピク動くのですよ。

 画面を通してみても、怖かった。

 今高橋英樹は、ひょうきんなおじさんのイメージになってしまいましたけど。

 濃姫の松坂慶子も若かったし…。

 ちなみに、今やっている「功名が辻」も一緒にミックスして描かれていたんですよ。

 山内一豊役は東野英心で、千代役が樫山文枝。

 いまだに、こちらのほうが自分的にはしっくり感じたりして…。

 それだけ、熱を入れて当時見たということでしょうね。

 今やっている「功名が辻」ですが、原作と違うところがいくつか気にかかりました。

 なんと、関が原で山内一豊が槍を振るって戦っているじゃありませんか。

 関が原では、山内軍は何もしないまま終わってしまったと司馬遼太郎の本に書いてあった記憶があります。

 確かに、関が原の陣立てを見ると、山内軍は南宮山の毛利の大軍に備える形で布陣している。

 結局、最後まで毛利軍は吉川広家の策謀により動けず、戦には参加しなかった。

 一豊軍が西軍と戦おうとするなら、徳川家康の本陣を突き抜けて行かなければならない。

 本陣を突き抜けて前線まで行ったら、家康は怒ったでしょうね。

 テレビでは一応、家康の了解を得たという形にはなっていましたが、実際は物理的に難しいのではないか。

 一両具足との戦いも、突っ込みたい部分はありましたけど。

 そうして見ると、中学校時代のように、大河ドラマの描写をすんなり受け入れられた時代が懐かしい。

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文豪の心地よいリズムからなる文章の研究

 こんにちは。

 またまたご無沙汰でした。

 相変わらず都内をぐるぐる回り、いろんなところに首を突っ込んでいます。

 前回も少し触れましたが、接遇応対の調査へ行ったんですよ。

 そしたら、窓口係のおねーたんにうまく丸め込まれて商品を買う羽目に…。

 まさに、ミイラ取りがミイラになる状態。

 でも、丸め込まれたという表現は適切ではないかもしれませんね~。

 これまでのオイラの運用の仕方があまりにも、トーシローだったということでしょうか。

 もっと勉強しなければと反省する今日この頃。

 先週は食品モニターのおかげでダイエットできたとか、ダヴィンチ・コードを読みすぎて遅刻しそうになったとか、いろいろ話題は豊富なのですが、それはいずれまた。

 今回は引き続き、文末のお話です。

 でも、もうかなり昔の話になりつつありますので、オイラも忘れてしまった部分がかなりありまして。

 そこで、これまでのお話をかいつまんで書きますと…

 日本語は、表現が文末で決定される。

 そして、文末の実質を述語が担う。

 動詞の終止形は、「~る」がほとんど。ときとして、過去形の「~た」を従える。

 従って、日本語の文末は、「~る」か「~た」という単調な二本立てにならざるを得ないということでした。

 日本語の基礎を授業で覚えたばかりの小学生は以下のような「~た」が際限なく続く文章になる傾向があると書いた記憶があります。 

 『 きのうは、ぼくの学校の運動会でした。ぼくはそれで早起きしました。学校へ行くと、みんなが集まっていました。最初はラジオたいそうをしました。校長先生の話が長いでした。ぼくは徒競走で、ビリから二番目でした。もう少しがんばればよかったと思いました。お昼にはみんなでお弁当を食べました…』

 が、しかし…。

 今度は次の文章をご覧ください。

 おそらく、読んだことのある人も多いはず。

『 芸人たちはそれぞれに天城を越えた時と同じ荷物を持った。おふくろの腕の輪に子犬が前足を載せて旅馴れた顔をしていた。湯ヶ島を出外れると、また山にはいった。海の上の朝日が山の腹を温めていた。私達は朝日の方を眺めた。河津川の行く手に河津の浜が明るく開けていた。

「あれが大島なんですね」

「あんなに大きく見えるんですもの、いらっしゃいましね」と踊り子が言った。

 秋風が晴れ過ぎたためか、日に近い海は春のように霞んでいた。ここから下田まで五里歩くのだった。しばらくの間海が見え隠れしていた。千代子はのんびりと歌を歌いだした。 』

 以上、ご存知、川端康成の名作「伊豆の踊り子」の一節。

 川端康成の風景描写の大ファンなので、パソコンでたどたどしくキータッチしていても楽しいっす。

 でも、ご覧になって解かるとおり、見事に文末は「~た」の連続。

 ノーベル賞作家を小学生の作文と比べてしまって、まことに失礼なのですが、ひとつのセンテンスはとても簡潔。

 それに、京極夏彦の文章のような難しい漢字もほとんどない。

 (もっとも、京極夏彦は、難しくおどろおどろしい漢字を多用することによって、独特の魑魅魍魎の跋扈する世界を演出しようとするのですが…。)

 川端康成の文章って、言葉を一つひとつ吟味し、完璧なジグソーパズルを作るよう丁寧にセンテンスにはめ込んであるような感じを受ける。

 同じことが、志賀直哉の文章にも言えますね。

 まさに、鍛えこまれた職人技。

 「~た」の続く一般人の文章との違いはどこにあるのだろうと、ずっと思っていたのですよ。

 その疑問に答えてくれたのが、前回も引用させていただいた井上ひさし氏の「自家製 文章読本」でした。

 また引用させていただくと…。

 『 「~た」の連続なのに、ちっとも単調ではない。むしろ「~た」の連続は詠む者の心のうちに快いリズムを響かせる。「~た」の連打によるリズムが器だ。この器に意味が盛ってある。』

 本によると、川端康成や志賀直哉の文学作品は、自然と人間とを同時に捉えようとしているところがミソだとか。

 「~た」の連打という単調な形式によって、自然の細やかな変化。その美しい営みを、人間との対比において描こうとしているのですな。

 それらは、人間が、自分の存在を自然の中で意識する瞬間を、的確にあらわそうとするものらしい。

 うぬぬ、このへんにくるとオイラの読解力では難しいっす。

 でも、なんとなくニュアンスはわかるような気が…。

 ここから先はオイラの主観です。間違っているかもしれませんので、念のため。

 小学生の作文は、自分が主体となって書かれている。視点が常に自分にあるというか。

 自己チューに物事を眺め、自己チューに感じたことを書く。

 それはそれで言いのだけれど、そのとき、「~た」という文末を続けると、あまり考えないで、ただ見たまま聞いたままを書いている印象を受けるのではないか。

 しつこいようですが、子供が書いたような文章をもう一度ご覧いただくと…

『 きのうは、ぼくの学校の運動会でした。ぼくはそれで早起きしました。学校へ行くと、みんなが集まっていました。最初はラジオたいそうをしました。校長先生の話が長いでした。ぼくは徒競走で、ビリから二番目でした。もう少しがんばればよかったと思いました。お昼にはみんなでお弁当を食べました…』

 主語はほとんど、「ほく」。

 だとすると、自分の行動や考えに対して、もうちょっと深く突っ込んで考えてもいいのではないか。

 大人だったら、「運動会」や「早起き」、「校長先生の話」、「徒競走の結果」に対して、もう少し多彩な表現を使うでしょうね。

 それに対して、文豪の文章の「~た」は、押し付けがましさがない。

 それは、主語が「ぼく」や「私」ではなく、視点がかなり上のほうにあるからだという気がするんですよ。

 自然の中にある人間を同時に捉えつつも、一歩引いて客観的な立場で、自然と人間との対比を描く。

 自然を捉えるためには、目や耳や鼻、肌などの感覚器官を総動員しなければなりませんからね。

 自然に人間の感覚器官をぶっつけ、客観世界として親しく触れ合う。

 自然をあるがままの形で受け入れることによって、自然と自己が同時に発見できるものらしい。

 そういえば、志賀直哉の「暗夜行路」。

 主人公の時任謙作は、祖父の妾だった女性と分家住まいをしながら気ままに暮らす作家志望の人間でしたね。

 旅先の尾道で、自分が祖父と母との間に生まれた不義の子であることを知らされ衝撃をうける。

 その重い心は京都で見初めた直子との結婚で和らぐ。しかし彼の留守中にその直子が幼なじみの従兄弟と過ちを犯したことがわかってまた悩む。

 許すべきであるのに許しえないことへの葛藤。

 そして、謙作は山陰の旅に出る。

 最後の場面はまさに、自然と自己が同時に発見できる情景描写ですね~。

 伯耆富士ともよばれている大山。この神秘の山で悩み多い主人公・時任謙作が新たな生き方に目覚める名シーン。

 『 疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感じられた。彼は自分の精神も肉体も、今、此大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、言葉に表現できない程の快さであった 』

 でも正直、両者の確固とした違いの理由はまだわからないっす。

 なんとなく感覚としてとらえている段階といいますか…。

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