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七沢城址から七沢森林公園 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 もう、体調、最悪っす。

 花粉症が完璧に発症しているのみならず、またしても口内炎が…。

 唇の裏の左右の粘膜に二個。それに加えて、舌にも口内炎ができてしまって、満足にひゃべれまひぇぬ。

 そういえば、去年もこの時期に同じような地獄を味わったような気が…。

 先に花粉症が出て、次に口内炎。

 その因果関係を考えてみると、どうやら薬の副作用で口内炎ができるみたい。

 去年と同じ薬が残っていたので、今年もラッキー~♪と飲んだら、またなってしまったようです。

 去年、気をつけようと思っていたのに。

 それにしても、舌に口内炎ができるとキツイですな。

 昼食に、カキフライ定食を食べたのです。

 いつもと同じに、レモンの汁をたっぷりカキフライにかけ、口に入れてしまいました。

 その直後、あまりの衝撃に、そのままテーブルに突っ伏し、涙を流して激痛をこらえる羽目に。

 傍からは、あまりのおいしさに涙を流して感動しているように見えたかもしれませんが…。

 でも、鎮痛剤の効果もあって、なんとかブログの更新ができるまで症状が改善しました。

 ただ、今日もお散歩ネタでお茶を濁すしか、オイラに残された道はありませんのでご容赦ください。

 ここでストップしたら、二度と更新できないような恐怖感にかられる今日この頃です。

 さて、前回は、熊さんとの激闘シーンがないまま、中途半端な形で終わってしまったのでした。

 今日は、前回の続きです。

 
 日向山で、熊さんとの死闘をせずにすみ、無事、山を降りてくることができました。

 再び、薬師林道に戻り、また七沢温泉を目指して歩き始めます。

 ゆるやかに下っていくと、道脇にコンクリート造りの展望台が。

 喜んで登ってみたのですが、まわりを繁茂している木々にさえぎられて、10メートル先も見えませぬ。

Ts360506

 少しがっかりしながら、車道を下っていきました。

 実はさきほどからキョロキョロして、まわりを眺めているのです。

 再びここへ来た理由にもなった絶景。

 山の尾根道から見た幾重にも折り重なった緑と目の前にデンとそびえる形のいい山が見える場所が、な~い。

 以前見た絶景はどこだったかしらん、と。

 とうとう最後まで、自分の記憶の中にある景色と一致する風景とは出会えませんでした。

 人間の記憶はやはり当てにならない。というか、オイラの記憶が当てにならないのか。

 もしかして、別の場所だったのかと、七沢温泉の集落を、首を傾げながら歩きました。

 右手に、知る人ぞ知る七沢リハビリテーション病院の建物群を見ながら、道なりに右手に曲がると、七沢城址のバス停が。

 ガイドブックには何も書いてなかったのですが、城跡と聞いて、黙って帰るわけには行きませぬ。

 でも、どこ? バス停があるだけでどこにもそれらしい場所がないじゃあ~りませんか。

 ぐるぐる周りをまわって、オイラが城好きとしては、致命的なミスをしでかしたことにやっと気付きました。

Ts360514

  七沢リハビリテーション病院の敷地がそのまま城跡なのですね~。


 まさに灯台下暗し。

 お役所、大学、病院といった権威のある施設は、城跡というステイタスのある場所に建築したがるものだという心理を忘れてしまっていたのでした。

 それにしても、ここまで病院仕様に改造されてしまうとよくわかりませんが、土塁や空堀らしきものがまわりに見られました。

 病院の建物群が、城の櫓や御殿、蔵や門に見えるのは、オイラだけでしょうか。

 昔、整形外科のクリニックで仕事をしたこともあるので、この病院の名前は聞いていましたが、大きくて堂々とした佇まいに驚きました。

 もし将来、リニューアルするときは、そっくり城の建物を模してくれるとうれしいのですが…。

 ところでリハビリテーション病院というだけあって、信号や車道、歩道を模した交通公園みたいな施設があるのが印象的でした。

 さらに歩き、県道伊勢原津久井線の道路に出て少し行き、駐車場のところを左に曲がると、七沢森林公園。

 公園のシンボルである「森の架け橋」が見えてきました。

Ts360517

 入口は、橋をくぐったすぐ先。

Ts360518

 県立七沢森林公園は、丹沢の麓に立地し、自然をできるだけ残す形で設立された自然公園だとか。

 起伏に富んだ地形に雑木林が広がり、広さは約64ヘクタール。横浜スタジアムの24個分の広さもあるらしい。

 最初に、公園管理事務所に寄り、「県立七沢森林公園 ウォーキングガイドブック」をゲッツしました。

 ところどころに懇切丁寧な園内の地図がありますが、これだけ広いと計画的にまわらねば園内で遭難しかねませぬ。

 ふむふむ、こちらの公園は、細長いのですな。

 …と、頭の中で一筆書きをして、回る順路を決めました。

 入口付近の出会いの広場からまずオイラは、せせらぎ広場を抜け、急な階段を登ります。

 まだ3時ちょっと過ぎですが、樹木が鬱蒼と茂って薄暗い。

 ようやく丘の尾根道に出て、まず向かったのは、野外ステージ。

Ts360521

 自然の起伏をうまく利用した芝生の客席で、音楽や演劇などを見たらいいでしょうね。

 でも、さすがに冬は寒いかも、と誰もいませんでした。

 熊さんがいればよかったのに、とこのときばかりは思いましたが。

 そこでオイラは、野外ステージで、一人ミュージカルを披露。

 まずは、永遠の名作、サウンドオブ・ミュージックから、「エーデルワイス」です。

 映画の中でも、音楽会のシーンで、トラップ大佐役のクリストファ・プラマーが唄っていましたね。

 でも、エーデルワイスというより、「エーデルヴァイス」と聞こえました。

 クリストファ・プラマー風の発音に気をつけて唄ったものの、あたりは木枯らしが吹くばかり…。

 ここで一瞬、はしだのりひことシューベルツの「風」が脳裏を横切りましたが、あまりにも今の状況と歌詞が合いすぎて、暗くなってきそう。

 そうなるとやっぱり、秋川雅史の「千の風になって」ですかね。

 「♪~千の風に~ 千の風にな~って あの大きな空を 吹きわたっています~♪」
 そこしか覚えていないので、そこだけ何度も、唄っています~♪ 

 アホなことをして体が温まったところで、近くのななさわの丘へ行ってみました。

Ts360523

 ここは、森林公園で一番高い場所で、展望台からは七沢の街並みや霊峰大山の雄大な姿が眺められます。

 いったん丘をくだり、先ほど下をくぐり抜けた森の架け橋を渡りました。

 向かったのは、おおやま広場。

Ts360530

 起伏に富んだ広大な芝生広場越しに見る霊峰大山を中心とした東丹沢の雄大な眺めが素晴らしい。

 そこから尾根道を通って、ピクニック広場へ。

 冬場で利用している人はいませんでしたが、ここにはバーベキュー場があり、施設が材料をすべて用意してくれるそうなので、手ぶらで気軽に利用できるとか。炭火で焼くと、おいしそうですよね。 

 ここから山をぐるっとまわり、尾根道ぞいにある展望デッキからは、森の里や厚木方面の市街地が見渡せます。

Ts360532
 

 七沢森林公園は、一つの山がそのまま公園になっているのですね。その背骨に当たる位置に尾根道があって、天気が良ければ江ノ島や新宿副都心まで見ることができるのだとか。

 もう暗くなりかけていましたが、緑の中に点在するビルやうっすらと青く煙って見える相模湾を眺めていると時間を忘れました。

 展望のいい尾根の散歩道をゆっくり歩いて、ながめの丘でまた眺望を楽しみ、とうげの広場へ出ました。

 ここは順礼峠とも言うらしい。

 その昔巡礼中の娘と老人が、この場所で何者かに殺され、それを哀れんだ村人がお地蔵さんを建てたとの言い伝えがあるそうな。

 お地蔵様が、ぽつんと暗い山道にありました。

 森林公園というけれど、ここだけは昔ながらの旅人が行き来した古道の雰囲気です。

 そこから、九十九折の坂道を降り、細いせせらぎに沿って、沢の散歩道がありました。

 暗くて、こんな感じでした。

Ts360536

 でも、清流の音と涼しげな景観を眺めながら、整備された木道を行くのは心地よく、夏とかもう一度ここへ来て歩いたら最高かも。

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秘剣 熊の骨 日向薬師から日向山 ウォーキングストーリー 

 こんにちは。

 最近、図書館で、「司馬遼太郎が考えたこと」というエッセイ集を借りて読んでいます。

 十数巻もあるので、全部読むにはかなり時間がかかりそうですが、司馬氏の若い頃からのエッセイが年代順に記載されていてとても興味深い。

 あの膨大でエネルギッシュな作品群の背景を知るにはなかなかためになりますね。

 第一巻だったと思うのですが、「ヒムカ」という言葉がやたら出てくる箇所がありました。

 ヒムカを漢字で書くと、「日向」。

 昔の日向国と言えば、今、東国原知事で注目を集める宮崎県です。

 東氏の、白いブリーフの上にトレンチコートだけを羽織ったファッショナブルなコーディネートがもう見られないと思うと、とても寂しく感じるのはオイラだけでしょうか。

 それはともかく、日向は、高千穂の峯に降り立った天孫族が東征したという古事記の建国神話の残る由緒ある場所。

 本には、ヒムカという言葉のさまざまな解釈も述べられているのですが、オイラは関東にも、「日向」という名のついた場所があるのを思い出しました。

 確か、お寺と山がセットであったような。

 昔、ウォーキングへ行くときよく見たガイドブックを出して眺めると、日向薬師と日向山でした。

 読み方は、「ヒムカヤクシ」ではなく、「ひなたやくし」に「ひなたやま」ですけど…。
 
 日向薬師は、20歳代の半ば頃に行ったのですが、丹沢の深い山にいだかれたお寺のイメージが残っています。

 お寺の裏からハイキングコースをゆくと、2時間前までは都会にいたとは思えないような雄大な自然に出会える場所。

 かなり忘れた部分もありますが、山の尾根道から見た幾重にも折り重なった緑と目の前にデンとそびえる形のいい山がありました。

 あまりの絶景に、しばし仕事のストレスを忘れて、見入っていた記憶があります。

 またその景色に出会いたい。

 
 …ということで、年末のある日、オイラは小田急線の伊勢原駅に降り立ちました。

 前回来たときは、ここからバスに乗ったような。

 バス停を探すと、日向薬師行きのバスがありました。すると、バスの時刻表のそばに紙が貼ってある。

 「熊が出没したとの情報がありました。ハイカーの方たちは十分注意してください」

 そして、出没地点の場所にマークで示された地図も。


 何々? 熊、出没注意?

 おお、これから熊さんが出るくらいの秘境に行くのですか。

 …と、川口浩探検隊の一員になったような気分になりました。

 そこからバスに乗ること、20分。

 途中まで、伊勢原の市街が続き、ホントに山に向かっているのだろうかと不安になりましたが、だんだん緑が増え、上り坂になってきます。

 それでも、以前来たとき見た、のどかな農村風景は失われているような。

 やがて、日向薬師のバス停に到着。

 そこから車道を少し戻って左折、薬師の参道に入ります。

 長い階段を登ると、仁王像が祀られた趣のある仁王門。

Ts360491

 そこを通り抜け、大きな石で作られた歴史を感じさせる石段をゆっくり登りました。

 そしてまた急な石段。

 息を切らしながら登ると、本堂前の広場に出る。

Ts360497

 萱葺きの豪壮な本堂に身が引き締まります。

 日向薬師は、8世紀の初めに行基が開山されたと伝えられる古刹。日本三大薬師のひとつにも数えられるとか。

 司馬遼太郎の言う「ヒムカ」との関連はわかりませんが…。

 杉の古木や鐘楼など、境内は重厚な雰囲気が漂い、昔からの信仰の深さを感じました。

 しっかりお参りをした後、いよいよ思い出の場所に向けて歩き始めます。

 境内の左手にある収蔵殿前を通り、駐車場の先の薬師林道に出る。

 そこから、七沢温泉を目指すのですね~。

 でも、朝早く出たのでまだ時間はお昼前。

 ここから七沢温泉まで、歩いて40分程度だから、早く着きすぎてしまう。

 そこで、林道の標識に従い、近くの日向山に登ってみることにしました。

Ts360501

 標高400メートル程度だし、往復しても1時間程度だろう、と…。

 足取り軽く、山道を登りはじめたものの、森が深くなり、やがて薄暗くなってきます。

 左手は深い谷。シーンと静まり返って、聞こえるのはオイラの足音だけ。

 右手は、見上げるような崖で、以前崖崩れでもあったのか、下には大きな岩がゴロゴロ。

 さすがのオイラも、少し心細くなってきました。

 そのとき、伊勢原のバス停で見た、「熊出没、注意」の文字が頭の中でフラッシュバック。

 そういえば、熊の出没地点は、確かこの辺りだったような。

 黒い岩が、うずくまる熊にも見え、鳥肌が立ったりして。

 薄気味悪いので、歌を唄おうか。

 すぐ頭に浮かんだのは次の曲。

 ある~日、森の中♪~熊さんに、出会った~♪


 いかん、これではホントに出会ってしまう。

 別の曲を浮かべようとして、浮かんだのは、ヒッキーの「ぼくはクマ」。

 「…………。」


 いよいよ切羽詰って、専守防衛のため、武装することにしました。

 といっても、山の中。

 差し当たって武器になりそうなのは、落ちている木の枝ぐらいしかない。

 頃合の枝を拾い上げ、それを杖にして歩こうとしたら、一歩目でボキッと折れ、もんどりうって転ぶ羽目に。

 もっと強い棒と思って、探しまくり、やっと気に入った棒を手に入れました~♪

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 長さ、1.5メートル。直径5センチ。先端は尖り、先に行くにしたがって細くなり、やや反身。

 佐々木小次郎の「物干し竿」もこれくらいの長さがあったのでしょうか。でも、この重さでは振り回すのがやっと。

 鎌倉時代の大刀といった雰囲気ですな。

 ちなみに、今日の日記のタイトル「秘剣  熊の骨」は、おととしNHKでやった金曜時代劇「秘太刀 馬の骨」からパクリました。

 「秘太刀 馬の骨」とは、疾走する暴れ馬の首の骨を一刀で両断したと伝わる謎の秘剣。

 この謎の秘剣を求めて、北国の小藩に江戸からやって来た剣客・石橋銀次郎は、「馬の骨」の使い手が誰なのかを見極めるため、六人の剣客に、命を賭して戦いを挑んでいくのであった。

 ビジベンも、荒れ狂う熊に向かって、命を賭して戦いを挑んでゆくのであった。

 

 木の棒一本拾っただけで、急に気が大きくなるのが人間の不思議でしょうか。

 とりあえず、熊が出たときに備えて、攻防戦の練習をしました。

 まずは、司馬遼太郎の「北斗の人」で勉強した、千葉周作の北辰一刀流から。

 剣の切っ先が、ひょこひょこ動き、すぐ次の動作に移ることができる。剣道の全国大会でも、皆切っ先を小刻みに動かしている選手をよく見かけます。

 型よりも、合理性を重んじた剣法だと書かれていたような。

 続きまして、同じく司馬遼太郎の「燃えよ剣」から、近藤勇の天然理心流。型はわからないけれど、より実践的で無骨な剣法だったようですね。

 とくれば、一番の使い手はやはり、沖田総司でしょう。

 実際はあまりカッコよくなく、背の高いヒラメのような顔をした人物だったとどこかで聞いたことがありますが…。

 「新撰組一番隊長~沖田総司じゃ~」

 と叫びながら、木の棒を振り下ろす。


 また、司馬遼太郎の幕末モノと来たら、これも忘れてはなりませぬ。


 チェストォォォォォォォォォォォォォ~!!!

 一撃必殺の気合は、薩摩示現流~

 真っ向から振り下ろされる威力ある斬撃は、二の太刀いらずと言われた。


 剣の使い手として、宮本武蔵ははずせませぬ。

 もう一本、木の棒を拾ってきて、二刀流~♪

 単純に考えれば、二刀流が一番強い。

 ただ、一本の腕が両手と同じくらいの力を出せれば、の話ですが。

 普通の人は、両手で剣を持つのに比べれば、片手が出せる力は3分の1くらいでしょうか。

 すると、一つの剣を二つの腕で持っている人の3分の2の力しか出せない。

 武蔵の腕の力は、片手でも3分の2の力が出せたのではないか。

 だから、他の武芸者より3割以上も強いのは当然?

 そんなことを考えつつ、一乗寺下り松の決闘のように、走り回って崖から飛び降りる。


 続きまして、武蔵とくれば、柳生心陰流。

 昔、NHKの大河ドラマ「春の坂道」で、萬屋錦之介がやっていた柳生但馬守宗矩の型を披露。

 確か、刀を前に突き出したまま、前傾姿勢をとったような。

 同じく萬屋錦之介がやった「子連れ狼」の拝一刀の水王流は、水の中に刀を沈めるシーンがやけに印象に残っている。

 でも、寒いのでパス!

 そのほか、柳生十兵衛じゃ~、塚原ト伝じゃ~、赤胴鈴の助の真空切りじゃ~、仮面の忍者赤影じゃ~と、山の中で騒いでいるうちに、遠くからこの様子を眺めていた熊さんはあきれ返り、山の奥深くへ去ったのでした


 …のだったら、いいけれど。

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クモ膜下出血の治療法  医師と女子高生の会話から

 こんにちは。

 やっぱり暖冬の影響か、もうすでに花粉が飛び回っていますね。

 オイラの花粉センサーは、かなり感度がいいほうなので、すでに目がかゆいし、くしゃみも出始めています。

 でも花粉症も悪いことばかりではなく、災い転じて福となすインサイドワークに長けているのは年の功からでしょうか。

 おととしは治験に参加してがっぽりお小遣いをせしめたし、今週も、花粉症のつらい症状を、涙ながらに切々と訴えて同情を誘い、モニター料をいただきました~♪

 今は病気で稼げる時代なのですね。

 高血圧はかなりニーズが高いそうなので、塩っ辛い食事をしようと悪魔が囁きかける今日この頃です。

 でも、花粉症で死ぬ人はあまりいないと思いますが、高血圧は脳卒中のもっとも大きな誘因になる。

 病院で、脳卒中の後遺症で苦しむ患者さんを見るにつけ、予防の重要性を実感しております。


 …ということで、今日は久々に「脳の病気シリーズ」です。

 この「脳の病気シリーズ」。

 ほぼ月一回のペースでお送りしていますが、一月はいろいろあって忘れてしまいました。

 なんと、今年最初なのですね。

 前回は「クモ膜下出血の治療って、どんなことするの?」という話題を取り上げました。

  今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。
 
 
 前回、「クモ膜下出血の治療法」について勉強したAYAちゃん。

 今日は、引き続き、クモ膜下出血の治療法が話題になります。

 二ヶ月ぶりなのと、前回途中で終わってしまったので、今日は前回の分も一緒にどうぞ。
 
 それでは…。 


 < クモ膜下出血の治療って、どんなことするの? >


● AYAちゃん「さて次はクモ膜下出血の治療法ですね。この病気は、脳の血管にできるコブが破裂して出血が起こる怖い病気でしたよね。そして、何の前ぶれもなく、突然後頭部をハンマーで殴られたような痛みが襲~いかかって~くる(突然白目をむく)」


 ちょっと、AYA君の顔の方が怖いよ。前にも言ったように脳の動脈瘤が見つかっても、破裂しないうちに脳外科で修理してもらっておけば、特に怖い病気ではないんだ。だけど一度破裂してしまうと、厄介な病気になってしまうね。


● AYAちゃん「破裂してしまうと治療は難しいんですか?」


 破裂する前と比べると、はるかに難しくなる。クモ膜下出血で倒れると、症状は次の五段階で進むんだ。

 ○第1段階 … 突然これまで経験したことのない強烈な頭痛に襲われ吐き気がする。コブが破れ、ジワジワ出血を始めた時期だが手足のマヒはない。 

 ○第2段階 … 首が硬直して、首の後ろのほうに転げ回るような激しい痛みが走る。

 ○第3段階 … 睡眠状態に入っているが、起こせば目を覚ます。

 ○第4段階 … 起こしても目を覚まさない。いわば危篤状態になる。

 ○第5段階 … つねるなどの刺激を加えてもまったく無反応で、ひたすら眠り続ける。


● AYAちゃん「うわっ、すごいリアル…」


 第3段階までは、手術すれば命は助かり大部分の人は職場復帰できる。だけど第4段階に突入すると救命は難しくなり、さらに第5段階に入ってしまうと手術不能で、医師もお手上げの状態になってしまうね。


● AYAちゃん「うーん。起こすと目を覚ますか覚まさないかが生死の分かれ目なんですね。これを見てしまうと、脳卒中になったら一刻も早く脳の専門医のいる病院へ運ばなければいけないというのもわかるわ」


 動脈瘤からの出血が多く重症になると、手術は簡単ではなくなる。とくに患者さんの状態によって手術ができないときは、血圧を下げる薬を使い、手術ができる体力が回復するまで安静を保つんだ。動脈瘤の再び破裂すると、初回の破裂よりずっと死亡率が高くなるからね。


● AYAちゃん「えっ? 一度破裂したコブがまた破裂するんですか?」


 そう。動脈瘤が破裂すると、コブの内側にできた血のかたまりが、一時的に破裂した箇所をふさぐんだ。それで一応出血は収まるんだけど、コブそのものがなくなるわけじゃないからまた同じように破裂する。


● AYAちゃん「うーん。二度目はいつ破裂するか、わからないんですか?」


 大体24時間以内が多いんだ。それが過ぎても倒れてから1週間以内が多いね。今から30年ぐらい前の僕が脳外科医になりたてのころの話なんだけど、その頃はクモ膜下出血で入院しても、ただ安静に寝かせておくしか治療法がなかったんだ。ただ安静にして何日か経つと、意識もはっきりして頭痛もなくなる患者さんがいる。


● AYAちゃん「昔の人は体力があるから寝ているだけで治っちゃったんですか?」


 話は最後まで聞いてよ。そうなると当然、奥さんや子供、知り合いが大喜びしてお見舞いに来たりするよね。患者さんも一人で歩いてトイレに行ったり、目を離すと病院の売店まで行ったりして、看護婦さんに注意されることもある。その患者さんは、完全に自分が治ったという錯覚をしているんだ。


● AYAちゃん「だって、そこまで動けるようになれば誰だって良くなったって思うんじゃないですか?」


 ところがその患者さんはその2日後、自分のベッドになかなか戻ってこないので看護婦さんが探したところ、トイレの中で亡くなっていたんだ。


● AYAちゃん「ひゃー。ということは、一時的にふさがっていたコブが再び破裂したってこと?」


 その通り。


● AYAちゃん「コブがある限り、ずっと安心はできないのかぁ~。嫌だな~」


 まだ怖い症状があるよ。クモ膜下出血を起こして10~14日以内をピークに、脳の血管が急に細く縮むことがあるんだ。


● AYAちゃん「えっ? どうしてですか?」


 この症状は、出血した血液が変化した成分の影響だといわれているんだ。これが起こると血液の流れが悪くなるから、脳が酸欠状態と栄養不足になって死んでしまうこともある。また運良く助かっても、脳こうそくで半身マヒになるケースもあるんだよ。


● AYAちゃん「これも怖いなぁ。クモ膜下出血の死亡率が高いのもわかりますね。やっぱり何と言っても、コブがいけないんですよね。この憎いコブをなくすにはどうしたらいいんですか?」


 コブをなくすには手術しかないんだよ。一度コブが破れた場合、唯一の再発防止策は外科手術だけなんだ。


● AYAちゃん「手術を受ければもう心配はいらないんですか?」


 脳卒中の危険因子がなくなるわけじゃないから、それはなんとも言えないよ。だけど、一度破れたコブが再び破裂する心配や破裂しそうなコブが破裂する心配はないね。


● AYAちゃん「何だか私が手術を受けるような気分になってきちゃいましたね。ついでだからどのように手術するのか教えてください」


 これは僕の専門だからいくらでも話せるけど、簡単に説明しようか。まず痛みを止めて血圧を下げることから始めるんだ。血圧が高いと出血の量も多くなるからね。それから脳血管の造影検査をして、このコブの場所と大きさを確認する。それから頭を開けるんだよ


● AYAちゃん「頭の開け方は、さっきの脳出血と同じですね」


 そう。これは専門の器具があって簡単にできるんだ。さて、頭を開いて中を覗くと大抵血の海になっている。


● AYAちゃん「ゴクリ…(生つばを飲みこむ音)」


 吸引機で血を吸い取り、脳内部の多くの血管を傷つけないように注意しながら出血しているコブを見つけるんだ。このときさっき話した手術用顕微鏡が大きな力を発揮する。


● AYAちゃん「マイクロソフト…、じゃなかった、マイクロサージャリーでしたっけ?」


 そう。肉眼ではなかなか周囲の血管や組織を傷つけずにコブを見つけ出すのは困難だからね。このコブはちょうどタコの頭のような格好をしているんだよ。


● AYAちゃん「見つけたら、このタコ!! っていう感じですね。うーん。タコは普通黒い墨を吐くけど、赤い血を吐いているわけですか。どうやって出血を止めるんですか?」


 このコブをまわりの脳の組織から少しずつ剥がして、根元をクリップでとめるんだ。


● AYAちゃん「えっ? 私がいつも使うクリップで?」


 まさか。ちゃんと動脈瘤をはさむ専用のクリップがあるんだよ。洗濯バサミのような形をしているんだけど、金属製で特殊なメッキが施されている。コブは、人それぞれ形や大きさなど一定じゃないから、クリップもそれに合うようにさまざまな形や大きさのものがあるんだ。


● AYAちゃん「それはわかりますけど、そんなものをずっと頭の中に入れておいて大丈夫なんですか?」


 大丈夫。一度パチンととめておけば一生外れることはないし、さびることもない。


● AYAちゃん「そうか、それならいいですね。いつ破裂するかわからない頭の中のコブにビクビクしながら生活しているよりは」


 そうだね。ほかにも頭を開けないで、管を動脈に入れてコブまで通し、白金製のコイルをその中に詰めて治療する方法もあるよ。コブの内側にすき間なく詰めてしまえば、破裂する心配もなくなるから。


● AYAちゃん「頭を開けなくてすむなら、体に負担がかからなくていいですね」


 もちろん難しい治療法だし、コブの状態によってはできないケースも多いんだ。だけど、医療技術も進歩しているから、これから体に負担をかけなくてすむ新しい治療法がどんどん出てくると思うよ。


● AYAちゃん「今の時代に生きててよかった」


(また一ヵ月後に続きます)

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真鶴 ウォーキングストーリー 

 こんにちは。

 この一週間。

 座談会に出席したり、海外のテレビ局の取材を受けたり、国家試験の監督をしたり、賞味期限の切れたチョコレートを食べて気持ち悪くなったり、早くも花粉症の症状が出たりと、とてもエキサイティングでした。

 そろそろ、ビジネスネタや文章ネタを書かなくてはとあせり始める今日この頃。

 なのに、少しも気力が沸き起こってまいりませぬ。

 この脱力感は、花粉症から来るのでしょうか。

 まだ、脳みそが花粉まみれのきなこ餅状態というほどではないのですが、なんとなく頭の中に靄がかかっている状態。

 しかしオイラには、食欲のないときでも食べられる、さっぱり風味のそうめんのようなネタがあるのでした。

 それは、お散歩ネタ。

 やる気が出るまでお散歩ネタでつなごうか、とせこいことを考えたのでした。

 不幸中の幸いというか、今年、花粉症が発症する前に撮りためた写真が結構ありますし。

 …ということで、今日のお散歩ネタは、お正月に行った神奈川県の真鶴です。

 真鶴は、東海道線の東京から見て、小田原の先、熱海の手前にある町。 

 首都圏から真鶴へ行くには、小田急で小田原まで出て、そこから東海道線に乗ると格安ですよ。

 ちなみに小田原から真鶴までのJRの運賃は、230円っす。

 オイラが、JR真鶴駅に着いたのは、1月4日の午前11時。

 駅前を国道が通り、ひっきりなしに乗用車やバス、トラックが行き過ぎます。高いビルもなく、コンビニや食堂の家並みの後ろには小高い丘といった風情。

 ガイドブックを見ながら、まず駅の近くにあるという荒井城址公園を訪ねてみることにしました。

 駅の正面から伸びる大通りの横に伸びる小道を行くと、小高い丘の麓に荒井城址公園入り口の標識が。

 階段を少し登ると、明らかに土塁と空堀のあとがわかります。

 思ったよりきれいに城跡が残っているので、うれしくなってさらに階段を登ると、広く開けた広場に出ました。

Ts360582

 がぁぁぁぁぁぁ~ん。

 ちょっと、整備しすぎ…。

 おそらく、二の丸か三の丸のあとだったと思うのですが、完全にどこにでもある普通の公園になっている。

 あとで調べてみると、かつて城址公園として整備したときに、城郭遺構はかなり破壊されてしまったらしい。

 城址公園とは、この場合、「昔、城のあったところ」という認識なのですな。

 この城は、かつて後三年の役(1083)に源義家の配下として出陣した荒井実継の居城だったとか。その後は荒井氏に代わり鎌倉幕府の有力御家人である土肥氏の持ち城となり、戦国時代には後北条氏の烽火台として機能していたと伝えられる。

 城址公園として整備されたとき、平安時代から後北条氏の遺構がどれくらい残っていたかわかりませんが、なるべく手を入れないでもらいたかったニャー。

 …というのは、現在の地形から当時の城跡をイメージできないのです。ここよりもっと高い地形に、住宅が建ち並んでいるので、そこも城内だったのでしょう。

 おそらく本丸は、もっと高い場所にあったように思えるし。

 腕を組みつつ、当時の城の縄張りを考えましたがわからない。仕方なく後ろ髪を引かれる思いで、真鶴半島へ向かうことにしました。


 真鶴半島は、相模湾に小指を立てたような形状で、その背骨にあたる位置に高い尾根が半島の先端まで続く。

 その尾根道ともいえる舗装道路を、オイラは気持ちよく歩きました。

 時折、木々や家並みが切れる場所から、相模湾のオーシャンブルーが冬の暖かな日差しに光り輝いて広がっているのが見渡せます。

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 あまりの絶景に、思わず立ち止まって何枚も写真を撮りました。

 快調に歩き、最初の目的地である御林展望公園に到着。

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 広大な芝生の広場と海に面した高台から熱海方面を望むことができます。

 展望公園の横にある中川一政美術館に寄ってみました。

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 ここは、真鶴町立の美術館で、かつて真鶴町にアトリエを設けていた中川一政画伯から、約600点の作品の寄贈を受け、平成元年に開館したとか。

 中川一政は、昔、日曜美術館で紹介されていた頃から名前は知っていました。昔、ゴジラの映画に出ていた女優の中川安奈は、孫娘だということも。

 でも、彼の作品を間近でしみじみと鑑賞したのは、今回が初めてであったような。

 行った日は、20歳代の初期の作品から97歳で死去する間近の作品まで見ることができましたが、70歳代から80歳くらいまでの作品がすごくいいですね。

 真鶴の福浦港にキャンバスを据え、毎日外で港や港から見える山を描いた油彩の奔放な色使いが見る者を圧倒する。

 絵を飾る額にも、それぞれの絵が引き立つような彫刻を施したり、色を塗ったりしてあったのが興味深かったですね~。

 あと、参考作品として、生前、中川一政が納得できないと思った作品も展示されていました。

 その作品と、他の作品を比べてみて、素晴らしい作品はベクトルが外に向かって放射されているなと、感じました。

 逆に参考作品は、うまくまとまっているけれど、それがかえってベクトルが内側に向かっているのではないか、と…。

 絵のことはよくわからないので、あまりえらそーに書くとボロが出てきますからこのくらいにしておきます。

 でも、70歳過ぎてから、人生でもっとも素晴らしい作品を描き続けることができたというのは励みになりますね。

 オイラも、頑張らねば。

 さて、中川一政美術館を出て、いよいよ半島の先端を目指して歩き始めました。

 美術館の近くの案内板に従って、「お林遊歩道」の緩やかな登りの道に入る。

Ts360597

 森林浴気分で道を登ると、やがて十字路に。

 そこをまっすぐ進み、小鳥の観察小屋の近くを過ぎ、うっそうとした森に囲まれた車道に出て、道なりにゆるやかに登っていきます。

 やがて周囲は明るく開け、半島の先端の丘の上に立つ観光施設、ケープ真鶴の正面に出ました。

 裏手の芝生の広場に出ると、目の前は相模湾。

 太陽が直接目に入って、眩しいのなんの。

 それでも、透き通るような青の水平線の向こうには初島や伊豆の山々が見渡せました。

 かすみがかかった先におぼろに見えるのは、大島でしょうか。

 近くに目を転じると、岬の先端には荒波が押し寄せる岩場の風景。海から突き出た岩は、有名な三ツ石ですね~。

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 石段を降りて、三ツ石海岸へ向かいました。

 岩に波が押し寄せて、白く砕ける景色はなかなか。

Ts360605

 この景色が、真鶴のシンボルというのも頷けました。

 ここから、磯伝いに設けられた「潮騒遊歩道」を歩きます。確かに、波の音はウォーキングのバックグランドミュージックとしては絶妙。

 荒波が打ち寄せる岩場の中に舗装された道をゆっくり歩き、青く澄んだ入江の番場浦へ出る。

 月夜の晩だったら、松田聖子の名曲「秘密の花園」が似合いそうな景色。

 ここから潮騒の音に別れを告げ、再び階段を登って、「森林浴遊歩道」へ入ります。さきほど通った道を抜け、舗装された車道を両側に樹林を見ながら歩くと、岬入口の標識がクロマツやくすのきの巨木に囲まれた車道に立っていました。

 ここからは下りで、琴ヶ浜海岸の素晴らしい風景が見渡せます。

 琴ヶ浜には、名物の干物や鮮魚店が並んでいる。

 ウインドウショッピングならぬ店先ショッピングを楽しんだあと、階段を下りて海辺へ出てみました。

 こちらも海岸伝いに広い道が整備されていて、波の音を聴きながらウォーキングを楽しむことができるのですね~。

Ts360617

 少し浜辺は人工的な感じもしましたが、海はモノホンの素晴らしさ。

 色といい、水のきれいさといい、夏に来たら最高かも。

 ゆっくり海辺の景色を堪能しながら歩き、あっという間に真鶴港へ着きました。

 小さな漁港ですが、近くにヨットハーバーや魚市場、鮮魚料理の店や干物を売る店など、ほとんどすべてのアイテムが揃っています。

 遊覧船の発着場もあって、さきほどの三ツ石など真鶴半島を海から眺めることもできるのですよ。

 魚市場のバス停のそばに、品川台場礎石の碑がありました。

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 去年行った、お台場の壮大な石垣は、ここから運ばれた石によって作られたのでしょうか。

 巨石の碑の後ろに、しとどの窟という史跡もありました。

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 解説板を読むと、源頼朝が石垣山の戦いに敗れたとき、この岩屋に一時隠れて難を逃れたのだとか。

 岩屋の中を覗き込むと、薄暗くて3畳のスペースもないでしょうね。

 のちの征夷大将軍が、こんな薄暗い穴の中で、息を殺して隠れていたなんて、歴史のロマンを感じました。

 頼朝もかなりやばい橋をわたって創業したのですな。

 それにしても、海のそばだし、前の道からもわりと目立つ場所にあるし、すぐ見つかってしまうような気もするのだけど…。

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