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ワインとカッパの里・牛久 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 おかげさまで、おつりがくるほど体調が回復しました~♪

 大通りで信号が赤になりそうだと、全力疾走で横断歩道を駆け抜け、そのまま300メートルくらい柴田恭平の横走りを披露するとか。

 先日は、学校に遅刻しそうになって走る高校生に後ろから抜かれたのです。

 でもそこからが勝負でしたね。

 500メートル地点で追いつき、逆転して、駅の改札を先に抜けることができました。

 瞬発力ではかなわないものの、まだまだ持久力では若いものには負けませぬ。

 でも、そのあと、足がつって翌日まで治らなかったのですが…。


 さて今日も懲りずに、お散歩ネタです。

 今回行ったのは、茨城県の牛久。

 牛久といえば、どうして知ったのかさだかではありませんが、ワインが有名だということは知っていました。

 牛久シャトーというヨーロッパの城館を思わせる建築物があるということも。

 でも正直、観光地としてそれほど有名なわけではないので、あまり期待していなかったのも事実ですね~。

 ところが実際行ってみると、ガイドブックの説明文のイメージの何倍もよかったです。

 いくら写真を見たり、文章を読んだりしても、この目で見ないことにはその土地をわかったことにはならないと実感しました。

 それに、距離的にはかなりあるのでしょうけど、常磐線の快速が走っているので、自宅から2時間もかからないところもグー。

 さて、牛久駅へやって来たオイラは、東口を出て、整備された駅前の並木道と陸橋を通り、低い塀で囲まれた一画へ出ました。

 ここは、牛久シャトーとしても有名なシャトーカミヤ。

 シャトーカミヤは、日本初のワイン醸造所があったところだとか。ワインが有名なわけですな。

 広大な敷地は無料で入れるので、中世のヨーロッパ城館を思わせる建築物をキョロキョロ眺めながら歩いて正門へ向かいます。

 今もワインの醸造は続けているらしいですが、敷地内にレストランや喫茶、チャペルが点在し、古いヨーロッパの町並みを歩いているような気分になりました。

 正門の前に位置するシャトー本館は、明治36年(1903)に完成したらしい。あまりにもきれいなので、ディズニーランドみたいに最近作られたものかと思ってしまいます。

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 中は喫茶店になっているようでしたが、ちょっと庶民には敷居が高そうなので、外から眺めるだけにしておきました。

 丸いドームをくぐって中に入ると、これまた広くて異国情緒豊かなパティオ。

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 どこかでこれと似たような景色を見たなと思ったら、昔行った倉敷のアイビースクエアがこんな感じだったかも。

 歴史があるのに、古さを感じさせない清潔感がいいですね。

 レンガ造りの洋館は、現在、ワイン資料館(神谷傳兵衛記念館)として無料で見学できるらしい。

 さっそくなかに入って見ることにしました。

 一階は、貯蔵庫になっているみたいで、ホワイトオークの大樽が並んでいました。もちろん今は使われていないのでしょうけれど、当時の匂いというか、樽とワインがかもし出すほのかな香りが残っているんですよ。

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 2階は、この牛久シャトーを作り上げた神谷傳兵衛の足跡と創業当時のワイン作りの道具が展示されていました。

 展示室はアンティーク調で、薄暗い中に、展示物にスポットライトなどが当たるなど趣があります。

 古いフローリングの床もなかなかいいなと思ったら、下からスポットライトみたいに光が漏れているんですよ。

 よく見たら、床の板の隙間から、数メートル下の一階倉庫を見下ろすことができました。

 ということは、オイラを支えているのは一枚の板だけ?

 なかなかスリリングな想像でしたが、もちろん安全なのでしょうね。

 ところで、神谷傳兵衛さんは、オイラの田舎と同じ地域の出身なのだとか。

 浅草にある有名な神谷バーは、神谷さんが作ったのだとはじめて知りました。

 何にしても、日本に最初に手がけるということはすごいことですが、最初ならではのいろいろな苦労もあったらしい。

 でも、成功すれば多くの財産と栄光を手に入れることができるのですな。

 館内でオイラを釘付けにしたのは、当時の写真でした。

 なんと、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の登場人物と、傳兵衛さんが一緒に写った写真が大量に展示してあるのですよ。

 今思い出しても、大山巌に板垣退助、松方正義、そしてオイラがもっとも尊敬する児玉源太郎の写真まで。

 みんな坂の上の雲のイメージそのままでした。

 そして地下にあるワイン貯蔵庫は、一見の価値ありですよ。

 しんと静まり返った暗い地下室。薄明かりに照らされた樽がどこまでも並んでいる様は壮観でした。

 あの荘厳な雰囲気は、やはり行って見ないとわからないかも。

 シャトーカミヤのワイナリーには世界各国から集められたワインが15000本以上も販売しているらしいので、ワインファンは必見ですね。

 ところで、ガラス越しに見える工場の壁に「楽天市場」のポスターが貼ってありました。

 こんな歴史のある会社とも取引して儲けているのですな。


 さて、シャトーカミヤを出て、いったん牛久駅に戻り、今度は駅の反対側を歩きます。

 こちらをずっと歩いてゆくと、牛久沼がある。

 沼の周辺には、見所がいろいろあるそう。

 国道6号を歩き、二股に分かれる道を右に進んでずんずん歩いてゆくと、牛久沼へ着きました。

 三日月橋という風流な名前がつけられている橋のたもとにあるのが、牛久アヤメ園。

 残念ながら、6月のアヤメの季節はまだで、何も咲いていませんでしたが、河童の像が出迎えてくれました。

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 体育すわりをしている河童が牛久沼とどういう関係があるの?と思いましたが、この近所は河童の伝説があるらしい。

 牛久沼を右手に見ながら細い道を進み、見渡す限り誰もいない田んぼのなかを歩きます。

 やがて道は竹林の坂道になり、村の祠のような稲荷神社を過ぎれば、河童の碑と小川芋銭のアトリエ。

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 小川芋銭(うせん)は、明治から大正にかけて、独特の境地の幻想画を描いた画人。とくに河童の水墨画を多く残したらしい。

 晩年にこの地に建てたアトリエ「雲魚亭」は、現在、小川芋銭記念館になっているのでした。

 実際、ここで掛け軸を見ましたが、河童の姿がかなりリアル。モデルは、モノ本の河童かも、なんて思ってしまいます。

 雲魚亭を出て、今まで来た道を戻り、竹林の中を行くと、得月院へ出ます。

 ここには、さきほどの小川芋銭の墓がありました。

 さて、最後に向かったのは今日のメインディッシュの牛久城。

 この城は、戦国時代にこの地方の豪族であった岡見氏によって築城されたらしい。

 その後、北条方の城として栄えたが、豊臣秀吉の関東攻めによって、北条氏とともに岡見氏が滅亡。今の群馬県の金山城主であった由良国繁が入城したが、江戸時代初期に由良氏が除封になり廃城となる。

 事前にネットで調べておいたので、多少の予備知識はありました。

 でも、ネッにあった航空写真で、城の縄張りがわかったと思ったら大違い。

 実際、現地で城の場所がわからず、探し回ってしまったのでした。

 やはり、本やネットでわかった気になっても、実際には現場で迷子になってしまうのですね。

 やっと入り口を探し当てたものの、竹やぶに入ってゆくような感じでした。

 去年の夏、城めぐりをしてやぶ蚊の大群に襲われた悪夢が脳裏をよぎりましたが、幸い春のまだ寒い日でよかったです。

 牛久城って、今までオイラはあまりマークしていなかった城ですが、なかなか壮大な遺構が残っていますね。

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 空堀が深くて広い。土塁も高い。当時、三方が沼だったそうですから、かなりの要害だったことがわかります。

 ただ、城好き以外の人たちにとっては、たんなる起伏のある竹やぶなのかも。

 立派な城なのに、なんの整備もされていないのですよ。

 本丸や二の丸のおぼしき場所は、太い竹が剣山のようにそそり立ち、郭内を歩いてまわることができませぬ。

 宇都宮城が市民の寄付で整備されたりと、今や城跡は立派な観光資源なのですけどね。

 ここまで荒城のまま、ほったらかしなのは、実にもったいない。

 当時の牛久城は、東西約800m、南北約1kmに及ぶ城中全体を取り囲んだ巨大な惣構えをもっていたとか。

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 ちょっと整備すれば、関東屈指の中世城郭遺構として、引く手あまたの観光地になると思うんですけどねぇ~残念!

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 最後に牛久沼。

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池上七福神めぐりと池上本門寺 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ようやく体調が回復したので、久しぶりにウォーキングへ行ってきました。と言っても、仕事の合間のプチウォーキングですが。

 行ったのは、東京都大田区の池上界隈。

 池上といえば、日蓮宗の大本山、池上本門寺で有名ですね。

 ここに行ったのは、都営地下鉄の駅で「東京WALK 1万歩」のパンフレットをもらったからです。

 なんでも、この周辺で七福神めぐりができるのだとか。 

 何度も出かけたことのある場所でしたが、池上梅園というフレーズにビビビときました。

 そういえば梅の咲いている池上梅園を見たことはない。

 一度出かけてみようと思ったのが、今年の一月です。

 でも、仕事が忙しかったり、体調を崩したりして、今週のはじめになってやっと、行くことができたのでした。

 スタートは都営地下鉄浅草線の終点、西馬込駅。

 階段を登って駅から出ると、車やダンプがびゅんびゅん走る大通りに出ます。第二京浜国道ですね。

 通りに沿って川崎方面に歩き、まず向かったのは、もちろん池上梅園。

 ここは、池上本門寺の西に位置する丘陵の斜面を利用した庭園です。

 でも、池上梅園の正門の前に立って唖然としました。

 目の前にそびえるのは、鮮やかな緑の丘。

 うう、梅が咲いてないっす。

 入り口で入園料100円を出しつつ、係の人に、「梅はもう終わりですか」と当然の疑問をぶつけました。

「ええ、もう終わってしまったんですよ」と、気の毒そうに、しかし目にも留まらぬ早業で100円をしまいながら答える受付の人。 

 3月の初旬だから、普通なら梅が咲いていると思いますよね。

 今年の暖冬の影響は、小市民のささやかな楽しみまで奪ってしまったのでした。

 ちょうど、梅が咲き誇っていた時分、オイラはインフルエンザと口内炎と花粉症の3点セットで地獄の苦しみを味わっていたのでしたっけ。

 お金を払ってしまったので、仕方なくほとんど人のいない園内へ入ってみました。

「混雑しているときは、止まらず前にお進みください」という立て看板がむなしい。

 でも、よく見ると、しぼみかかった梅の花が咲く木を2本も発見!

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 しょぼい観梅でしたが、なんとか気分を味わうこともできました。

 負け惜しみを言うわけではないですが、見晴台の東屋からの眺めはなかなかよかったですよ。

 遠くにかすんで見える山の稜線は、丹沢の山並みでしょうか。

 混んでいたら、こんなゆったりした気分は味わえなかったかも。

 来年は花が咲いているとき来ようという決意を新たにしながら、いよいよ七福神めぐりにとりかかります。

 パンフレットを見ると、七福神のあるお寺は、本門寺の塔頭や末寺が多いのですね。

 まず向かったのは、厳定院。鎌倉時代に開創されたお寺で、弁財天が本堂の右手の祠にありました。

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 そこを出て、左手の小高い丘の上にある広大な本門寺の境内を見つつ歩きます。

 七福神めぐりのコースではありませんが、久しぶりに本門寺にお参りすることにしました。

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 池上本門寺は、有名な日蓮聖人が今から約七百十数年前の鎌倉時代、61歳で亡くなられたところ。

 当時は、武蔵国池上の郷主・池上宗仲の館があったとか。その後、日蓮聖人が入滅された後、約7万坪の寺域を寄進されて、お寺の礎が築かれたのですね。

 元禄年間に作られた巨大な総門をくぐると、長い石段。

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 この石段は、加藤清正が寄進したそうで、此経難持坂(しきょうなんじざか)という由緒ありそうな名がついています。

 石段は全部で96段だそうですが、各段が高いので登るのはなかなか大変。

 やっと石段を登り終えると、仁王門から大堂へと続く壮大な伽藍が見渡せます。

 元あった大堂は、太平洋戦争で焼けてしまったそうで、今あるのは、昭和39年に鉄筋コンクリートで再建されたもの。

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 屋根が高くて、間口も広く、大本山の風格を感じさせます。

 外陣の天井画は、日本画の巨匠、川端龍子が手がけたものの、未完のまま逝去されたらしい。その後、奥村土牛が眼を点じて開眼供養をとげたとか。

 実際、かなり空白の部分があるのですが、巨匠の絶筆としての迫力は感じられました。

 大堂の横にあるのが、江戸時代に建てられた経蔵。

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 そのほか、日蓮上人が入滅されたときの荼毘所であった場所に立つ、宝塔も見逃すことはできませぬ。

 こちらも江戸時代の後期に作られた堂々たる建物。この場所に立っていると、とても23区内にいるとは思えませんね。

 山深い古寺の中に迷い込んだような錯覚にとらわれます。

 そして、池上本門寺といえば忘れてならないのが、五重塔。

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 関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔で、なんと1608年の建立だとか。

 平成13年に全面修復が行われたようで、鮮やかな朱色が青空に映えてとても美しい眺めでした。

 この塔は、年代的には桃山時代の建築に分類されるのですね。

 ちなみに、桃山期の五重塔は全国で1基だけだそうで、当然、重要文化財。

 ところで、本門寺はオイラにとっても、特別なお寺なのでした。

 なぜかというと、オイラが尊敬してやまない偉大な人物のお墓があるからです。

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 その人の名は、力道山。

 しっかりお墓にお参りしたあと、力道山直伝の空手チョップの型を披露したのでした。

 境内のそばにある大田区立池上会館の屋上からは、広い境内や様変わりする区内の様子が見渡せてお勧めですよ。

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 さて、あまり道草していると忘れそうになるので、七福神めぐりを再開することにしました。

 高台にある本門寺から降りて次に向かったのは、寿老人の妙見堂。

 急な階段を登ってやっと本堂に出たら、先ほどまでいた本門寺の境内とつながっているのを発見。

 ビル5階分を余計に上り下りしたことになるのですか。どっと疲れが出ました。

 再度階段を降り、呑川沿いにある養源寺へ向かいます。

 ここは、敷地の周りに植えられた菜の花が満開。

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 梅の満開は見られませんでしたが、その分菜の花のショッキングイエローを堪能しました。

 本門寺の総門前の道に戻り、池上駅を超えて商店街から住宅街を歩いて着いたのは、布袋尊の曹禅寺。

 大きな石を本堂の前にあしらった庭がなかなか見事でした。

 ここから、池上通りに出て、毘沙門天の微妙庵にお参りし、いよいよ最後に残ったのは大黒天の馬頭観音堂のみ。

 池上警察署の近代的なビルの後ろにまわってみると、普通の民家に通じるような石段が。

 ここを登っていいのだろうかと、少し逡巡しながら行くと、民家の庭のようなところにコンクリート造りの小さなお堂がありました。

 とにかくお参りをして、これで、池上七福神めぐり、達成しました~♪


 七福神めぐりをしてからというもの、仕事の依頼が増えたり、図書館で前から借りたかったDVDをゲッツできたりしたので、それなりにご利益があったのかも。

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脳こうそくの治療法 医師と女子高生の会話から

 こんにちは。

 花粉症、口内炎、インフルエンザの3点セットを患い、ここ当分ずっと苦しかったです。

 あれからすぐ体調全快とまではいかなかったのですが、ここに来てやっといつも通りの花粉症だけの状態に戻ることができました。

 花粉症もそれなりに苦しいのですが、あの地獄を味わった身としては、鼻水と目のかゆみと倦怠感だけで暮らせる喜びを実感しております。

 それにしても、あの頭痛は半端じゃなかったですね~。

 5秒に1回、万力で後頭部を締め上げられる痛みといいますか。

 しかも、その万力の先端は平面ではなく、剣山みたいに傷みが頭に突き刺さる感じ。

 当然、鎮痛剤を飲んだのですが、効いている時間はジャスト4時間なんですよ。

 午前0時に飲んでも、午前4時には痛みが再開してしまう。

 薬が効いている間も、鼓動のようなうずきが後頭部から消えない。

 この痛みは、以前、本で読んだ首の緊張から来る緊張型頭痛だとわかりました。

 これは、頭から首、肩にかけての筋肉が緊張し、血流が悪くなると疲労物質が筋肉にたまり、神経を刺激して痛みが起こるもの。

 これだけ聞くと、たいした痛みではないと思ったりします。

 でも、読むのと体験するのでは大違い。

 オイラの場合、インフルエンザと相乗効果でおきたからかなり重症だったと思いますが。

 それはともかく、そのとき、首の筋をリラックスさせれば、痛みがやわらぐのではないか、と思ったんですよ。

 午前4時過ぎに、布団のなかで、首のどの筋が緊張しているのか、指で探ってみました。

 すると明らかに、痛みの元凶ともいえる筋を発見!

 こいつをマッサージして、緊張をほぐせば治るのではないか。

 そこで、押したり、グリグリもんだり、指で筋をこねくりまわしたり…。

 やっている間は、イタ気持ちいい~♪。

 一通りマッサージして、さあ寝ようとした。

 一瞬あと、

 ズッキィィィィィィィィィィィィィィ~ン

 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~



 あまりの衝撃に、30センチくらい布団から飛び上がりましたね。

 後頭部が爆発したのではないかと思いました。

 もう、完全に想定の範囲外の痛み。

 ひぃぃぃぃぃぃぃぃ~、もうしませんからお許しを~


 涙を流しながら、直後の偏頭痛に耐えたのでした。

 もう一度、鎮痛剤を飲まなかったら、どうなっていたことか。

 禁断の実を口に入れてしまった心境です。

 やはり素人療法の危うさを再認識しました。

 それにしても、くも膜下出血の痛みは、ハンマーで殴られたような痛みとよく形容されますが、実際どうなのでしょうね。

 あのときの傷みは、ハンマーで殴られたような痛みだったと言っても過言ではないかも。

 くも膜下出血は嫌だけれども、それ以上にあの強烈な頭痛を再び味わうのだけは勘弁して欲しいと思う今日この頃です。
 

 …ということで、今日は久々に「脳の病気シリーズ」です。

 この「脳の病気シリーズ」。

 ほぼ月一回のペースでお送りしています。

 前回は「クモ膜下出血の治療って、どんなことするの?」という話題を取り上げました。

 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に「心と体」のカテゴリにある前回の記事をお読みいただければ幸いです。

 今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。
 
 
 前回、「クモ膜下出血の治療法」について勉強したAYAちゃん。

 今日は、「脳こうそくの治療法」が話題になります。

 それでは…

< 脳こうそくの治療はどんなことするの? >


● AYAちゃん「最後は脳こうそくの治療法か。以前応急処置のところで聞きましたけど、脳の血管に詰まった血のかたまりを溶かす薬があるんですよね」


 そう。脳こうそくになってから3時間以内ならとても効果があるって言ったね。脳こうそくの治療は、倒れてからどれくらい時間が経過したかによって変わってくるんだ。

 それから脳こうそくの病気のタイプによってもね。脳こうそくの病気のタイプは覚えてる?


● AYAちゃん「ぐっ。確か長嶋監督がなったタイプと頭に小さな穴が開くタイプがあのましたよね。それからあとひとつ、何だっけな」


 あとひとつは、動脈の血管の内側にコレステロールなどかにできたドロドロのかたまりができて血管をふさぐものだよ。難しい言葉で、アテローム血栓性脳こうそくと言うんだけど。


● AYAちゃん「そうでした」


 長嶋監督がなった、心臓にできた血のかたまりが脳の血管に詰まるのが心原性脳塞栓症。高血圧などの影響で脳の細い血管が動脈硬化を起こして酸素や栄養が行き渡らなくなり、脳細胞が死んで脳に小さな穴が開くのがラクナこうそくだったね。

 それに今言ったアテローム血栓性脳こうそく。これらは同じ脳こうそくだけど、タイプがそれぞれ違うから治療の仕方も変わってくるんだ。だから治療の前にきちんと診断して、どの病気なのか特定することが大事なんだよ。


● AYAちゃん「そういえば血のかたまりができる場所によって分けられるんでしたよね」


 そう。脳血栓は脳血管に血のかたまりができるケースで、アテローム血栓性脳こうそくとラクナこうそくがそれに当たる。もうひとつは脳以外の、おもに心臓の病気が原因で血のかたまりができ、それが脳の血管へ流れていって詰まらせる脳塞栓だったね。


● AYAちゃん「まぎらわしいからすぐ忘れちゃいますねぇ。それで、その2つのタイプによって治療法が違ってくるんですか?」


 そうだよ。まず脳血栓の場合は、基本的に詰まった血のかたまりを溶かす血栓溶解療法が治療の中心になる。脳塞栓の治療は、脳のむくみをとることが中心になるんだけど、発病後3時間以内だったらこの血栓溶解療法も非常に効果的だね。


● AYAちゃん「脳こうそくになって血液の流れがほとんど途絶えても、まだ生きている脳細胞があるんですよね」


 そう。早くこの血栓溶解療法を行えば、半死半生の脳細胞が息を吹き返すんだ。そうすると後遺症もかなり少なくすることができるんだよ。


● AYAちゃん「ある程度時間がたってからこの治療法をしてもだめなのですか?」


 かえって危険になることがあるんだよ。


● AYAちゃん「えっ!? どうして?」


 どうしてかと言うと、この半死半生になったままほっておかれた脳細胞は、発病してから6時間経つとほとんど死んでしまうんだ。一度死んでしまったらいくら血液の流れが回復しても生き返らない。

 それどころか、その死んだ部分に血液が流れ込むと、傷ついた血管の壁から脳の中に血が流れ出してしまうんだよ。


● AYAちゃん「わっ! 脳出血だ」


 そう。血栓溶解療法はとても効果的な治療法だけど、早くしなければかえって逆効果になってしまうんだ。

 今は、t-PA製剤という血のかたまりを溶かす力が強く、従来の薬に比べ副作用の少ない薬が注目を集めている。でもこの薬も、早く使わなければ意味がないんだ。


● AYAちゃん「なるほど、脳こうそくの治療が急がなければいけない理由がよーくわかりました。ほかにはどんな薬を使うんですか?」


 さっき言った脳のむくみを取る薬だね。脳こうそくになってからある程度時間が経つと、血液が詰まったところの周辺は血液の循環が悪くなって、むくみが出てくるんだ。


● AYAちゃん「むくみが激しくなると、頭の中ですし詰めの状態になった脳は、脳幹のまわりのすき間へ逃げ込むんでしたっけ」


 そう。脳幹は生命中枢のあるところだから、そこが圧迫されてやられてしまうと、重い意識障害や呼吸障害をきたしてしまう。この状態を脳ヘルニアといってとても危険な状態なんだ。

 だから脳がむくまないようにするのは、大切なことなんだよ。とくに脳塞栓症は、心臓などから流れてくる血のかたまりがいきなり脳の血管をふさいでしまうから重症になることが多い。

   ( 一ヵ月後に続く )

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巣鴨から滝野川公園、飛鳥山 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ご無沙汰いたしております。

 前回、体調が最悪と書きましたが、それをはるかに上回る不幸に見舞われる羽目に…。

 花粉症と口内炎の現状を維持したまま、インフルエンザのトッピングが加わったのです。

 熱のマックスは38.1度でしたが、オイラにとって38度越えは10年ぶりの快挙でした。

 何と言っても、苦しかったのは、頭痛ですね。

 後頭部を万力で締め上げるような痛みが、5秒に1回の間隔で、いつ果てるともなく続く。

 脳卒中と間違われがちな、緊張型頭痛だということはすぐわかりました。それで、インフルエンザとの因果関係を突き止めてやろうとしたのですよ。

 それで、首の筋をいろいろ探っているうちに、激痛のツボを押さえてしまったみたい。

 今もまだ完治したわけではないので、そのときの阿鼻叫喚の模様はいずれまた書きたいと思います。

 以前、誰かが「今が最悪だと思えるときは、最悪ではない」と言っていた記憶がありますが、今回、まさにその言葉を実感しました。

 おかげさまで、仕事に穴を開ける状況だけは回避できましたが、さすがにブログを更新する余力はなかったですね~。

 インフルエンザの予防注射はやっぱり受けておいたほうがいいです。

 さて、ここからが今日の本題です。

 以下は、インフルエンザになる前の健康なときのテンションで書かれていますので、お含み置きください。

 実は、日記を更新しようと思って、途中まで書いたところでインフルエンザになってしまったのです。 

 さて、一ヶ月くらい前ですが、巣鴨から飛鳥山へ抜ける江戸時代の行楽地とも言えるコースを歩きました。

 出発地点は、巣鴨駅です。 

 巣鴨駅から本郷高校の裏を通って向かったのは、染井霊園。

 ここは播州建部家の屋敷跡に明治5年に開園した都営の霊園なのですね~。

 大名家の石高になぜか詳しいオイラでもノーマークだった建部家。

 そんな小さな大名家の屋敷でも、この広さっすか。

 当時の大名家のお屋敷が、いかに広かったかと思い知らされます。

 この霊園には、有名な高村光太郎と智恵子夫妻の墓や文学史には必須の二葉亭四迷などのお墓があるそうな。

 オイラは、日本史の教科書に出ている幣原喜重郎や目上げるような大きさの藤堂家のお墓が印象に残りました。

 ちなみに、この近所には伊勢津32万石の大大名、藤堂家の下屋敷もあったらしい。

 ここから少し歩くと、柳沢吉保の屋敷のあった六義園も近いし、江戸時代はこの辺り、大名のお屋敷が立ち並んでいたのでしょうね。

 ところで、染井霊園の近くに江戸時代のヒーローたちのお墓もあるのでした。

 そこは、本妙寺。

 なんと、遠山の金さんこと、江戸町奉行遠山金四郎のお墓があります。

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 江戸町奉行の先輩でもあるのでしっかりお参りをしました。

そして、司馬遼太郎の「北斗の人」や赤胴鈴の助の師匠としても有名な北辰一刀流千葉周作のお墓も。

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  なぜそんな有名人の墓が巣鴨に?と思ったのですが、明治時代の終わりに、本郷円山町から引っ越してきたのですね~。

 ちなみにこの寺は、振袖火事として有名な「明暦の大火」の火元になった寺で、境内には明暦の大火の慰霊碑もありました。

 染井霊園から、白山通りを渡り少し巣鴨駅へ戻ったあたりにあるのは、真性寺。

 ここには、江戸六地蔵のうち、中仙道に安置された一体があります。

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 地蔵といっても、大きさは大仏クラスの迫力。

 六地蔵は、当時、江戸を起点とする六街道の入口に、旅人の安全を祈願して建立されたものだそうな。

 さて、境内を出ると、そこはおばあちゃんの原宿として有名な、巣鴨地蔵通り商店街。

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 高齢者が興味をひきそうなグッズが、いろいろ売られておりました。

 オイラも、ぶらぶら店頭を眺めつつ、そぞろ歩きで行くと、とげ抜き地蔵のある高岩寺へ到着。

 身代わり観音をなでると、いろいろなご利益があるらしい。ここは何度も来たことがありますが、いつ来ても混んでいますな。

 長い行列が出来ておりました。

 これだけ人気があるのはどうしてだろうと思ったら、ここは江戸時代の中期から病気平癒のご利益があると評判だったそうですね。

 これだけ医学が進歩した現代であっても、病気の不安は消えてなくならないのでしょうか。

 何となく、お年寄りの行列に並ぶのが気後れして、まだ一度も観音さまをなでていないのですが、いつかきっと、と思いつつ、寺をあとにしました。

 地蔵通り商店街をそのまま歩き、巣鴨庚申塚のところを右折して再び白山通りへ。

 白山通りを渡ると、通りの名前が「お岩通り」と変わりました。

 お岩通り、ということは、あの四谷怪談で有名なお岩さんと関係があるの?

 でも、四谷なのではと思いましたが、都電の線路を越えたところにある妙行寺へ行ったら、その理由がわかりました。

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 こちらのお寺も、明治時代に引っ越してきたわけですか。もともと四谷にあったお寺で、お岩さんのお墓があるとのこと。

 四谷怪談は講談だし、本当のお岩さんはいい人らしいのですが、正直ちょっとびびりつつも、お参りすることにしました。

 お岩さんのお墓は、小さな石を積み上げただけの素朴なものでしたが、存在感がありますね。

 手をあわせたちょうどそのとき、今まで雲が立ち込めていたのですが、急に雲間から太陽が差し込んだんですよ。

 暗い部屋にスイッチを入れて、明るくなったという感覚。

 あまりのタイミングのよさに、少し驚きました。


 妙行寺を出て、都電の線路をわたり、飛鳥山公園を目指します。

 オイラが子供の頃は、東京中の路面を走り回っていた都電も、残っているのはここ、早稲田~三ノ輪間のみ。

 古い家屋と、狭い路地に昭和の時代の郷愁を感じます。

 走ってくる都電を、カメラ小僧になった気分で撮影しました。

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 運転手さんも、花粉症なのでしょうか。

 それはともかく、この滝野川から西ヶ原の辺りって、名探偵浅見光彦の自宅のあるところでしたよね。

 歩いていて出会ったら、推理勝負を申し込もうか、と考えつつ、小道を通って、本郷通りに出ました。

 ここから飛鳥山は目と鼻の先。

 ちょっと歩き足りなかったので、以前行ったことのある滝野川公園へ行ってみることにしました。

 途中にあるのは、一里塚。

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 道の両側に残っているのは珍しいですね。

 解説板を読むと、かつてこの通りに都電を通すとき、一里塚が破壊されようとしたところ、渋沢栄一などが待ったをかけ、存続されたそうな。

 ちなみに一里塚とは、江戸幕府が全国の主要街道に、一里(およそ3.9キロメートル)ごとに道の両側に塚を築かせたもの。街道を旅する旅人にとって一里塚は、旅の長い道のりの目安となり、駕籠賃の目安にもなったとか。

 一里塚の木陰は、旅人の憩いの場所にもなったのでしょう。
  
 滝野川公園のあたりは、古代の武蔵国に置かれた郡の一つ豊島郡の郡衙(ぐんが) の中心部分があったところらしい。 郡衙とは、今でいう区役所や市役所のようなものでしょうか。

 今は、白御影石の壁と直径25メートルの大池が美しい公園になっていました。

 そして、滝野川公園の南側に見える森が、平塚神社。

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 オイラにとっては、神社よりも平塚城址と言ったほうが興味あったりして。

 平塚城は、中世の豊島郡一帯に大きな勢力を張った、豊島氏の居城といわれています。ときは平安末期ですから、今残っている石垣に囲まれた天守閣があるような城ではなく、館のような感じだったのでしょうけど。

 ここは、源義家が後三年の役(えき)で奥州に遠征した帰りに寄り、豊島氏がもてなしたところと言われている。義家は、その礼に鎧と守り本尊の十一面観音像を譲ったとそうな。

 境内の裏手に、その鎧を埋めたと伝えられる甲冑塚がありました。

 そこの解説板を読むと、その塚が平らだったため、現在の「平塚」という名称になったそうですね。

 今ではなんの変哲もない土地の起伏ですが、歴史のスターたちがここを訪れたと思うと見る目も変わってきます。

 歴史的に土地を眺めると、世界がドバッと広く感じられるところが魅力かも。

 そして最後に向かったのは、飛鳥山公園。

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  ここは、桜の名所としても有名ですね。

 八代将軍吉宗の時代、ここに桜が植えられ、庶民の花見場所として解放されたのだとか。

 現在も山全体に桜があって、桜の時期には、大勢の花見客で賑わうのでしょう。

 オイラが行ったのは、1月の終わりごろでしたが、なんとなく春の息吹が感じられました。

 今年の開花はかなり早いでしょうね。

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 D51と桜のコラボはなかなか見事かも。

 飛鳥山公園の高台を下りると、そこはJR王子駅。

 ふと、近くに絶景スポットがあるのを思い出しました。

 それは、北とぴあです。

 王子駅前にそびえる北区の公共施設で、各種ホールや産業情報センターや消費生活センターが入っている。

 ここのお勧めは、17階の展望ロビー。

 17階といっても、各階の天井が高いためか、マンションの同じ階よりもかなり高く感じる。

 そこからは、飛鳥山公園はもちろん、晴れた日には筑波山、秩父連山、赤城山まで見渡すことができるとか。

 高いところから見ると、比較的内陸でも、東京って川が多いことに驚かされます。

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