大利根川のほとり関宿 ウォーキングストーリー
こんにちは。
今日も性懲りもなく、お散歩ネタで行きまっす。
こう毎回、お散歩ネタばかりだと、ビジベンは仕事をしないで始終その辺をほっつき歩いているような感覚にとらわれるかもしれませんね。
でも、遠めのお散歩へ行くのは、せいぜい月1~2回ですので念のため。
今回の「関宿」も、行ったのは2月のはじめの寒くて風の強い日でしたし…。
4月になったら、またビジネスネタにも再チャレンジしたいと思っているのですが、毎日、仕事やモニターでビジネス文書を作っていると、ネタにするには気合を入れなきゃならない部分もあったりして。
と思ったら、もう4月なのでした。
ホント、最近はとくに時間が流れるのが早いと感じます。
どうして周りの人たちが、こんなに年取ってるんだろうと思ったら、お前もだ!と言われてしまう今日この頃。
それはともかく、お散歩ネタでした。
ところで、皆様は「関宿」という街をご存知でしょうか。
そんなえらそーに言うオイラも、名前だけは知っていましたが、実は、地図でどこ?と聞かれると、頭をひねってしまう街。
オイラがどうして、関宿という街の名前を知っていたかというと、橋幸夫の「潮来笠」です。
♪ 潮来の伊太郎 ちょっと見なれば 薄情そうな 渡り鳥~♪
それでいいのさ あの移り気な 風が吹くまま西東
なのにヨー なぜに眼に浮く 潮来~笠 ♪
これが歌の一番。
そして三番の歌詞は、
♪ 旅空夜空で いまさら知った 女の胸の底の底
ここは関宿 大利根川へ~♪
この歌は、橋幸夫のオリジナルよりも、ザ・ぼんちのおさむちゃんの物まねのほう
で歌詞を覚えたかもしれませんが…。
それと、やはり城好きということで、関宿城という単語が頭にインプットされていたのかも。
ちなみに江戸時代の城主は、久世大和守広之(くぜ やまとのかみひろゆき)が知る人ぞ知る存在。
江戸幕府の老中として腕をふるった名君として、有名なのでした。
オイラの持っている歴史上の有名人の名言を集めた本にも、人格者の殿様として紹介されていましたっけ。
そこまで街の名前に反応していたものの、ここはまだ行ったことがないのでした。
理由としては、あまり交通の便がよくないからです。
千葉県の最西北端、利根川と江戸川の分岐点近く。二つの川に挟まれた袋小路のような土地。
JRはもちろん、私鉄の駅からもかなり離れている。
東武野田線川間駅からバスで約25分。東武動物公園駅からも、バスで約30分も乗らなければならない。
ところが、今はこんなに交通の便の悪い場所なのですが、江戸時代は「潮来笠」でも歌われるような繁華街でもあったそうな。
今回は、その謎に迫ってみたいと思いまする。
前置きが長くなりましたが、東武動物公園駅を降り立ったオイラは、駅前で待つバスへと乗り込みました。
そこから、30分のバスの旅です。
埼玉県の幸手市から関宿橋を超えると、遠くに関宿城博物館が見えました。
なんか、畑の中にポツンとお城だけある雰囲気。
とてもここが、江戸時代老中を務めた大名の城下町とは思えませぬ。
町の中を貫通する国道のバス停で降りました。
バス停から程近いところにある光岳寺は、徳川家康の母、お大の方の菩提寺として知られます。

葵の紋の入った門が印象的でしたね~。
それにしても、二つの大河に挟まれた土地にあるためか、風が強い。近くの畑の乾いた土が舞い上がり目に入ります。
下を向きながら歩いて向かったのが、同じく国道沿いにある鈴木貫太郎記念館。
鈴木貫太郎は、日本史の教科書にも載っている終戦当時の総理大臣とか。
オイラは、名前だけは知っていましたが、関宿出身とは知りませんでした。ちなみに鈴木貫太郎の父親は元関宿藩士。
海軍の軍人や昭和天皇の侍従長を勤めたあと、77歳で総理大臣に就任。戦況の悪化した終戦間際で、天皇から直々に頼むと言われて引き受けたそうな。
鈴木貫太郎記念館の前に伸びる広い通りを歩いて、実相寺へ向かいます。この辺りは、旧城下町で寺が多いですね。
実相寺の庫裏は、関宿城の新御殿を移築した建物だそうです。御殿が残っているのはホント珍しい。
ここには、さきほど触れた鈴木貫太郎のお墓もありました。有名人としては質素ですが、それがまた無骨な人柄を感じさせます。
次に向かったのは、宗英寺。
関宿初代藩主松平康元が建立した寺で、当時の門がそのまま残っておりました。畑に囲まれた墓地が、なんとも風情のあるお寺です。
再び、鈴木貫太郎記念館の前に戻り、そこから江戸川へ向かいます。
途中に、「関所跡記念碑」がありました。関所といっても、道ではなく川の関所とは珍しい。
なんで、今はのどかな田園になっている関宿が、江戸時代、重要な土地として栄えたのかは、この関所の存在が大きかったとのこと。
その話はまた後にして、江戸川の土手を歩き、お城を模した関宿城博物館へ向かいます。
芝生で覆われ、丘のように目の前に立ちふさがる土手に登ってみました。
ところがすごい強風。
晴れていて、それほど寒くはないのですが、この風には閉口しました。
せっかく、見晴らしのいい舗装されたサイクリングロードなのに、とてもまっすぐ歩けそうもなく、土手の下の道をゆくことに。
しばらく歩いて、独特の臭いがするなと思ったら、なんと牧場があるのですよ。
牛さんたちが一斉に胡散臭そうな顔でこちらを見ると、なんとなく悪徳セールスマンになったような気分。
地図で調べてみると、ここはもう立派な当時の関宿城の城内なのですね。
老中の城も、いまや牛さんたちの楽園ですか。
江戸川の土手と水田に囲まれた一画に、関宿城の碑がありました。
当時の城の本丸部分は、江戸川の河川工事のとき、今ある土手の下になってしまったらしい。
今いる場所から、到底当時の城の面影をしのぶことはできませぬ。
でも、土手の上に、当時の関宿城を模した天守閣があるのは、なかなかの眺めですな。
歴史的にはまったく関係ない建物でも、あるのとないのとでは全然違う。
関宿城博物館へ入る前に、「関宿水閘門(すいこうもん)」へ行って見ました。
ちなみに関宿水閘門は、1918年の着工から1927年の竣工まで約10年の歳月を経て完成したもので、利根川と江戸川の分流地点で江戸川の低水流量を調整する施設。
途中にある中の島公園には、歴史的建造物の関宿水閘門やコブシの木をはじめ多くの木々が植樹されている。
これは、関東地方で最大級の大コブシだそうな。
さて、まわりを眺めたあとは、いよいよ関宿城博物館へ。
それにしても、この外観、どっかで見たことがあるなと思ったら、江戸城の富士見櫓を模して作られたものだとか。
復興の天守閣は、よく小田原城とか浜松城とかに概観を似せて作りますからね。
…と思ったら、元々関宿城の天守閣は、江戸城の富士見櫓を模して作られたものらしい。
博物館の中は、近代的な作り。
ここでは、大江戸の繁栄に利根川、江戸川の舟運がいかに重要であったかよくわかりました。
そして、江戸時代、関宿がどうして重要な場所だったのかも。
東北地方から運ばれた物資を、房総半島をまわって江戸湾に運ぶのは、航海術が未熟な当時ではなかなか危険な作業だったとか。
房総半島沖は、太平洋の荒波がありますからね。
そこで、房総半島沖を経由せず、利根川から物資を運びいれ、ここ関宿でヘアピンカーブを描いて江戸川へ。
江戸川から、江戸の町へ物資を安全に運び入れたのですね~
そしてちょうど、利根川から江戸川へ入る辺りに、川の関所を設けて管理した。
今は、そんな遠回りをしなくても、東北の物資はさまざまなルートで東京へ送ることができる。
それと同時に、関宿の使命も薄れて行ったのですか。
博物館の最上階の展望室からの眺めは素晴らしかったです。
ふたつの大河に挟まれた緑の土地。遠くには筑波山。
せっかくここまで来たのだからと、利根川をこの足で越えてみようと思いました。
境大橋を渡り、茨城県の堺町へ。
利根川はさすが坂東太郎ですな。
迫力がちょっとほかの川とは違いまする。
風が強くて、橋の欄干のそばを歩くのは少し怖かったのですが、その雄大さを満喫しました。
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