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東京ミッドタウン ウォーキングストーリー 

 こんにちは。

 今日はまたまたお散歩ネタです。

 今流行のニュースポット、東京ミッドタウンに行ってきました~♪

 場所は東京六本木。もと防衛庁のあったところです。

 2000年5月に防衛庁本庁舎は新宿区の「市ヶ谷駐屯地」に移転し、今年の3月30日にオープンしたばかり。

 六本木は昔から仕事でよく訪れていた場所で、当時の防衛庁の前も何度も通り過ぎたのを覚えています。

 当時から夜の六本木はいけていましたが、昼間の六本木は、正直言ってあまり魅力的な街だとは思いませんでした。

 昼間の六本木って、夜の大舞台を控えた楽屋裏っていう感じがしたのですよ。

 夜、タキシードで着飾ったウエイターが、昼間は開店の準備に、ジャージにサンダル履きで歩いているような部分があって。

 ところが、アークヒルズが出来、最近になって六本木ヒルズ、そして東京ミッドタウンと、どんどん昼間の魅力が増しているとか。

 …ということで、夜に約束があったのがちょうどよい機会と、昼間の六本木を久しぶりに歩いてみることにしました。

 地下鉄を使い、オイラが降りたのは都営大江戸線の六本木駅。大江戸線ができてから、個人的には随分便利になりましたね。

 オイラがまず向かったのは、東京ミッドタウンではなく、青山墓地。

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 実はここに、うちのお墓があるのです。

 かなりご無沙汰をしていたので、お参りをしていこうか、と…。

 今、青山墓地はお墓の中でもかなりのブランドだそうですね。

 ユニクロや吉野家、松屋を愛し、清貧にかけては他の追随を許さぬオイラですが、死んでお墓に入ったときだけはセレブな気分を味わえるのかどうか。

 青山墓地を出て、次に向かったのは、国立新美術館。

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 都知事に立候補した記憶に新しい黒川紀章氏が設計したモダンな建物です。

 当日は、モネの回顧展など興味深いテーマでしたが、時間がなかったのでパス。建物の外観とホールだけ見学しました。

 中に入ると、なぜか東京国際フォーラムと雰囲気が似ている。旬の場所なので、平日でしたが多くの見学者であふれかえっておりました。

 この近くには、六本木ヒルズの森美術館、そして赤坂から移転してきた東京ミッドタウンのサントリー美術館と、新しい美術館が次々とオープンしていますね。

 その位置関係が三角形になることから、六本木アート・トライアングルと呼ばれているらしい。

 昔から六本木は人通りが多かったですが、一本、道を中に入ると閑散としていた記憶があります。

 今日訪れたら、どの道も多くの人が歩いていました。そのトライアングルの中は今後も活況を呈しそうですね。

 新国立美術館からは、六本木ヒルズの威容も望めましたし。

 さて、いよいよ今日のメインとして向かったのが東京ミッドタウン。

 敷地面積は、約68,900平方メートルとか。

 外苑東通りの正面に立つと、ひときわ高い超高層ビルに目が行きます。

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 これが東京ミッドタウンのシンボルとなるミッドタウン・タワーっすか。

 高さ248mで、東京都庁舎を追い抜き、都内で最も高い超高層ビルだとか。

 ただ、残念ながら展望台は設けられていないそうな。最上階である54階は機械室など施設の維持・管理のためのスペースとなっていて、一般客は入場する事ができないとのこと。

 タワーのホールまで行ってみたのですが、恐そうな警備員のおじさんたちが仁王立ちしておりました。

 このタワーは、USEN、ヤフー、グッドウィル・グループなどのテナントが入居し、上層階はホテルになっているみたい。

 六本木ヒルズのタワーと、東京の覇権をめぐって争っているような臨戦態勢の雰囲気がどことなく伝わってきました。

 少し気分を和らげようと、ミッドタウンに隣接する公園に行ってみることにしました。

 そこにはかつての六本木を知る人には目を疑うような光景が…。

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 都会のど真ん中に、広い芝生の広場ができているんですよ。

 この場所は、前から檜町公園があったところ。

 オイラは昔、この近所を営業で回っていた頃にお休みスペースとしてよく利用しました。

 それなりに広い公園でしたが、階段を登らないと入れなかったし、利用勝手のいい公園とは言えなかった。

 それが見違えるような変貌振り。

 この付近は江戸時代、長州藩の毛利氏の中屋敷があったところだとか。 敷地は約12haもあったらしい。

 今、東京ミッドタウンのある場所に長州藩の御殿があったそうですね。邸内に檜が多かったことから「檜屋敷」と呼ばれ、檜町という地名の由来になったとか。

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 由緒正しき公園ですが、今その名残というと、池の周辺くらいでしょうか。

 行った日はもう桜の花が散った後でしたが、桜が咲いていたら芝生の緑とコラボしてきれいでしょうね。

 園内には、現代アートの彫刻が置かれたり、ちょっとした滑り台やブランコも、現代アートのようなお洒落な色とデザインだったりして目を惹かれました。

 オイラが行った日は、広大な芝生広場を背景に、日産スカイラインの初代から現代までの車が展示してありました。

 ずいぶん広いと思いましたが、緑地の部分だけでも4ヘクタールもあるらしい。

 さて、いよいよミッドタウンの中へ。

 東京ミッドタウンは、備え付けのフロアガイドによると、「ガレリア」と「プラザ」、「ガーデン」の3つのゾーンに分かれているらしい。

 今、見てきたのはその中の「ガーデン」。

 ガーデンから歩道橋を渡って、メインショッピングセンターの「ガレリア」へ入ります。

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 そこは、全長150メートル、高さ25メートルの4層吹き抜けの大空間。

 だけど、最近郊外に出来たショッピングセンターはこれ以上の規模のものがたくさんあります。

 ただ、さすが六本木だけあって、柱の中にもちょっとした展示スペースを設けたり、一流の人気店がテナントで入っていたり、一味違った高級感がありました。

 ショッピングセンターの中のショップを「見てるだけ~」とウインドーショッピング。

 見てるだけでしたが、広いフロアの所々に彫刻や絵画が設置されていて楽しめました。

 コンセプトは、都市とアートが一体化し、日常的な空間にハイクオリティーなアートがあることだとか。

 そういえば、うちにも使わなくなった古いテレビやワープロ、床に散乱する本なども、現代アートだと思えば気にならないかも。

 それはともかく、結構歩き回ったので小腹が減ってきました。

 立ち食いそばで、エネルギーチャージと思ったのですが、どこにもな~い。

 さすがに、天下の東京ミッドタウンに来て、立ち食いそばを食う人はいないのでしょうか。

 往年の植木等の「お呼びでない?こりゃまた失礼しました~」という気分になりましたよ。

 一旦外に出て、六本木の駅前の「富士そば」で、ガソリンを補給し、再度ミッドタウンにチャレンジです。

 あとでわかったのですが、ミッドタウンの中にセブンイレブンもあるのですね。あと、吉野家や松屋もテナントとして是非誘致して欲しいと思いました。

 ミッドタウンの客層が変わってしまいそうですが…。

 最後に、「プラザ」に寄ってみました。

 巨大なビルに囲まれたパティオには、カフェやカレーショップなどが並んでいます。FMのサテライトスタジオや大型スクリーンなど、待ち合わせも退屈しないですみそう。

 ガラスでできた巨大な天井は、どっかで見たなぁ~と思ったら、かつて大阪で行われた万国博のお祭広場大屋根に雰囲気が似ている。

 太陽の塔はどこ?とノスタルジックな気分で上を見上げると、幟のようなものが風にたなびいておりました。

Photo_10

 最初、鯉のぼり?と思ったのですが、違うみたい。

 いろいろ訳のわからないものがたくさんありましたが、想像を膨らませることができるのが現代アートなのか、と…。

 ミッドタウン内部は、日本の伝統的なカラーコーディネートであったり、竹林みたいな場所があったり、初めて訪れたのに落ち着いた気分になりました。

 未来をコンセプトにしたかのように思える六本木ヒルズと比べ、なかなか居心地のいい空間ではあるみたい。

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脳こうそくの外科的治療ってどんなことするの? 医師と女子高生の会話から

 こんにちは。 

 先日、ある大学医学部の公開講座を聞いてきたんですよ。

 配られた資料を何気に目を通していて、目の留まった箇所があったのです。

 それは比較的若い人たちの突然死のデータ。

 死因が不明ということで、その大学の法医学教室に運ばれ、解剖された人たちの亡くなる直前の行動と死因が書かれていました。

 データとして記載されていたのは、15人。

 もちろん明確な個人情報は伏せられていますが、そのうち男性は10人、女性が5人で、平均すると40歳代以下の人たちが多かったです。

 目に留まったのは、女性3人の死因でした。20歳代から30歳代のもっとも若い女性たちなのです。

 なんと、死因が全部同じなのですよ。

 それは、クモ膜下出血。

 他の12人が違う病名だったので、同じ病名が連続3回も続いたその部分は嫌でも目に飛び込んできます。

 公開講座のテーマは脳卒中ではなかったですから、とくにクモ膜下出血の恐さを強調する意図はなかったのでしょう。

 脳卒中は比較的高齢者の病気と考えられがちですが、若い人の突然死の面からのスポットも当てる必要があると思いました。

 クモ膜下出血は、遺伝的な要因もあると聞きますし…。

 また、突然死で亡くなられた方15人に共通する直前の症状として、頭痛があったことも驚きました。

 他の人たちは、死因を拝見すると、脳卒中とは関係ない方ばかりなのです。内臓の病気なのに、なぜ頭が痛くなるの?という素朴な疑問がわきました。

 突然死は嫌ですが、その直前に頭が痛くなるのも嫌ですね。

 その理由については、またいずれ。

 さて、以前お話した脳卒中の本の出版ですが、現在、オイラが追加修正した原稿をいつもお世話になっている脳外科病院の院長先生にチェックしていただいています。

 脳卒中をはじめとする病気の治療は、急速に進歩しています。2~3年前に書かれた本でも、現場の実際の治療方針とはかなり違ったものになっていると聞きました。

 その点、5000件もの脳神経外科手術を執刀、指導され、テレビにも登場する名医の先生ですので、宇宙戦艦ヤマトに乗ってイスカルダルに向かうような大船の乗った気分でおります。

 
 突然死はもちろんですが、最近でも平沼赳夫元経済産業大臣や大関の栃東関など、脳卒中は人生プランに大きな影響をおよぼします。

 栃東の30歳での引退は寂しい限り。千代の富士は30代前半からどんどん強くなりましたから、まだこれからなのに。

 体調が万全なら朝青龍と互角に戦える大関の、早すぎる引退を惜しむ人はオイラだけではないでしょう。

 これもすべて、脳こうそくのせいじゃ。


 出版は、もう少し先になりそうですが、期日が決まりましたら真っ先にご報告させていただきます。

 実は、まだオイラの周りの人たちには話していないのですが。


 …ということで、「脳の病気シリーズ」です。

 この「脳の病気シリーズ」。

 ほぼ月一回のペースでお送りしています。

 前回は「脳こうそくの治療ってどんなことするの?」という話題を取り上げました。

 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に「心と体」のカテゴリの中にある前回、前々回の記事をお読みいただければ幸いです。


 今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。
 
 
 前回、「脳こうそくの内科的治療法」について勉強したAYAちゃん。

 今日は、前回に引き続き、「脳こうそくの外科的治療法」が話題になります。

 それでは…


 < 脳こうそくの外科的治療って、どんなことするの?>


● AYAちゃん「先生、教えてもらった脳こうそくの治療って薬を使うものばかりですよね。手術はしないのですか?」


 脳こうそくは薬による治療が中心になるけど、病気の種類によっては手術したほうが薬よりも良くなって、再発もふせげるものがあるね。それではいよいよ脳こうそくの手術を説明しようか。


● AYAちゃん「ドクター、お願いします」


 脳こうそくは、何度も言うように血管の中に血のかたまりなどが詰まって血流がさまたげられる病気だよね。いわば詰まって水が流れなくなった水道管だ。もし何らかの理由で水道管が取り替えられないとしたら、AYA君はどうやって修理する?


● AYAちゃん「私だったら薬を使って水垢を溶かそうとするかな。でも効果がないこともあるってお母さんが言ってたし…。一番いいのは、水道管を途中で切って中の水垢を削り取るんですよ。それでまたつなげればいいのだけれど。でも金属製のパイプじゃ、ちょっと無理ですよね」


 人間の血管は、金属じゃないよ。


● AYAちゃん「えっ!? 詰まった血管の中を削り取るんですか?」


 ご名答。アテローム血栓性脳こうそくって何度も出てきたから覚えているよね。首のところを通る動脈の内側に、コレステロールなどからできたドロドロのかたまりがしみ込んで硬くなり、血液の流れが悪くなった状態だ。

 この動脈の血流が7割以上ふさがっている場合は、手術のほうが薬による治療より効果があがっているんだ。治療の有効な選択肢のひとつだね。


● AYAちゃん「うーん。薬だけではなかなかこびりついてしみ込んだ動脈硬化のアカが取りきれないのはわかるなあ。それでもいくら太い動脈といっても、血管の内側のアカだけ削り取るというのはむずかしそうですねぇ。どうやって手術するんですか?」


 これもやはり非常に細かい手術だから、手術用の顕微鏡を使って患部を拡大し、脳波モニターで脳の状態を監視しながら慎重にやるんだ。

 頸動脈の手術を例にとると、全身麻酔をしてから首の脇にメスを入れ、まず頸動脈を露出させる。
それから頚動脈を切り開き、顕微鏡を見ながら、手術中、脳に酸素を送る管を入れる。

 そして血管の内側の動脈硬化を起こして硬くなっている部分や血のかたまりそのものをぐるっと一周削り取るんだ。最後に頸動脈を縫って元に戻し、血管撮影で狭くなっていた部分がよくなっているかどうか確認して手術を終える。


● AYAちゃん「手術は大変そうですけど、終わったら脳みそはほっとするでしょうねぇ」


 そうだね。脳へ酸素や栄養を運ぶ幹線道路の車線が7割も広がるんだから、一気に渋滞解消ですっきりするだろうね。ところでこの手術は、難しい言葉で、『内頸動脈内膜切除術』というんだ。


● AYAちゃん「ふーん。ほかにも脳への血液の流れを改善させる手術ってあるんですか?」


 あるよ。以前、『抜け道』、『回り道』の話をしたよね。脳血栓のように脳の血管が徐々に狭くなってくる場合は、脳の血管が詰まっても別のルートが発達して大きな血管が2~3本詰まっても脳こうそくの症状が出ない人がいるって話…。


● AYAちゃん「覚えていますよ。それがどうかしたんですかぁ。先生の話っていつも『回り道』へそれるからなぁ」


(少しムッとして)いつも横道へそれるのはそっちじゃない。それに『回り道』じゃないよ。要は脳こうそくになっても『抜け道』、『回り道』があればいいってこと。だったら、『抜け道』、『回り道』みたいなバイパスを人工的に作ってやればいいわけでしょ。


● AYAちゃん「なるほど、今の話は『回り道』じゃないですね。ところでそれはどんな手術なんですか?」


( 約一ヵ月後に続く )

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鷺宮~高円寺 ウォーキングエクササイズストーリー

  こんにちは。

 ゴールデンウィークが懐かしく思えてくる今日この頃。

 皆様は、よいお休みを過ごされたでしょうか。

 オイラは、またいろいろほっつき歩いてきました。

 海と山へそれぞれ一回ずつ。

 また古城を歩いてきたのですが、急斜面に玉砂利が敷き詰められていて、転びまくりました。

 滑りやすいシューズを履いて行ったのが失敗の元で、ローラースケートを履いたまま山道を降りてくるような感じでしたね~。

 おかげで、股裂きやバックドロップ、アトミックドロップを何度も食らったようなダメージが今も残っています。

 その修羅場の模様は、いずれまたまたブログの中で。


 ところで、オイラはこれだけいつも歩いているのに、歩き方には無頓着だったことに気づきました。

 商店のショーウインドーにうつるオイラの歩き方を見ると、なぜかあまりかっこ良くないんですよ。

上半身だけを見ているとスーッと宙を飛んでいるようにも見える。

 長い距離を歩いても疲れないように、上下動の少ないフォームが自然と身についてしまったのかもしれませんね。

 そういえば往年のマラソンランナー瀬古俊彦選手も、上下動が少なく疲れにくい、理想的なフォームと言われました。

 ところがオイラの場合、ちょっと違うような。

 前傾姿勢で、首だけ前にスーッと動いているといいますか。

 いろいろ多角的に分析してみて、子供の頃にテレビで見た「牡丹灯篭」の幽霊みたいじゃ~という結論に達したのです。

 空中をスーッと水平移動しているように見えるのは、なんとも不気味。

 これは何とかせねば。

 …ということで、さっそく図書館でDVDを借りてきました~♪ 

 それは、「デューク更家のウォーキングエクササイズ」。

 デューク更家は、50歳過ぎてますし、顔はそれなりにふけていますが、体型はなかなか素晴らしい。

 見始めたら、これが目からウロコで勉強になりました。

 まず、基本的な立ち方。

 普通なら、背筋を伸ばして胸を張って立つ、とか教えられますよね。

 このDVDだと、直立して立ち、指先を太ももの側面の中心よりやや後ろ側につけますと言っていました。

 その通りすると、なるへそ、自然と胸を張った理想的な立ち方になる。

 胸を張って立つというやや抽象的な表現が、より具体的になったといいますか。

 こういう誰でもすぐ実行できる教え方は、千葉周作の北辰一刀流の指導法にも通じるところがあるかも。

 それから、美しく歩くためのエクササイズ。

 美しく歩くためには、柔らかな関節としなやかで強い筋肉が必要なのですか。

 履くシューズ別に、歩き方を変えるというのも初めて知りましたね。

 パンプスやハイヒールは、着地する足のつま先を若干外側に傾けるとか。

 ミュールも含めて、どれも美しい歩き方に共通しているのは、一本の細い線の上を歩いているようにイメージすること。

 ハイヒールの場合は、足を交差させるような感じで、足を運ぶと美しく、細く見えるのすっか。

 外を歩くときに練習して、ようやく美しい歩き方をマスターしました~♪

 でも、またショーウインドーに映るオイラの歩き方を見て、噴出しそうになりました。

 これは、映画の「キャットウーマン」で見た、ハル・ベリーの歩き方にクリソツ。

 いわゆるモデルさんのキャットウォークなのですね。

 キャットウーマンとくれば、ムチが欠かせない。

 オイラも鞭をもって、変な歩き方をしている人たちをムチでしばきながら歩こうか…なんて。

 一番変な歩き方なのは自分なのですが…。


 それはともかく、前回の続きです。

 前回は、鷺宮周辺の石仏をめぐったのでした。今回は、そこから高円寺へと向かいます。 

 さらに中杉通りを早稲田通りの方向に向けて歩き、信号を左に入ると、鷺宮八幡神社がありました。

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 この近くに鷺がたくさんいたということで、鷺宮の地名の発祥ともなった古社なのですね。

 境内には「力石」が大量にありました。

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 力石は、村の力自慢の若者が持ち上げた石を奉納したものですか。

 それにしても、すごい巨石。一番小さなものでも百キロ以上はありそう。昔、バイトしていた頃は、重い物と見ればよくチャレンジして、腰を痛めたことがあります。

寄る年波には勝てず今回は自重することにしました。

 こちらもコンクリで固められているみたいだし。

 鷺宮神社のそばにあるのが「いぼとり地蔵」。昔の人の願いには、どういうものがあったのかを知るのには、お地蔵様のニーズを調べるのが早道かもしれませんね。

 近くにある「福蔵院」は、よく整備された美しいお寺でした。

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 ここにも十三体のお地蔵様が。

 住宅街の小道をぶらぶら歩きながら中杉通りに戻ると、「五差路のお堂」。

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 こちらはお地蔵様と庚申塔、馬頭観音がそろう豪華バージョン。

 江戸時代は、道の辻には必ずと言っていいほど、このような石仏があったのでしょうか。

 今でもこの近所に住む人たちの信仰心が残っていないと、これだけの石仏は維持できないのではと思いました。

 大きい道から一つ入ると、巨木に抱かれた古い家が数多くありますね。

 深い緑の場所があったので、寄り道して行ってみました。

 すると、23区内なのに、何とも野趣あふれた小公園が。

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 大木の下のベンチに腰掛けていると落ち着きます。

 ガイドブックのコースは、このまま鷺ノ宮駅へ戻って終わりでしたが、少し物足りなかったので、中央線の駅まで歩いてみることにしました。

 中杉通りを南下して、早稲田通りを左折、しばらく行くとまたお地蔵様と庚申塔がありました。

 いつもは見過ごしてしまいますが、注意して見ると至るところに江戸の息吹が残っているのですね。

 馬橋公園を通って、高円寺まで歩きます。

 高円寺と言えば、直木賞作家ねじめ正一の「高円寺純情商店街」が頭に浮かびます。

 でも、最近はお洒落な店が増えたせいか、小説の雰囲気とは少し変わってしまいましたね。ここでも、街が吉祥寺化しているような気が。

 行った日はちょうど、区議会議員選挙の最終日だったので、すごい熱気でした。高円寺の駅前で、各候補の舌戦が繰り広げられております。

 この地区での選挙権がないのに、パンフ攻勢がすごい。

 その喧騒から逃げるようにオイラが向かったのは、高円寺。

 高円寺に来ているのに、高円寺?

 いえ、お寺の名前っす。

 地名の由来になったお寺が、駅のそばにあるのですね~。

 駅のそばにお寺があったから、駅名になったと言われそうですが、旧国鉄がこの駅名をつける以前からこの辺りは、高円寺村だったとか。

 しかも、命名者は、徳川三代将軍家光だとか。

 当時この辺りは、幕府直轄の天領で、将軍の鷹狩りの場として絶好の地だったそうな。家光も鷹狩りに度々訪れ、休息にはこの高円寺に立ち寄っていた。

 それが縁で、それまで小沢村と呼ばれていた当地の地名をこのお寺の名前をとって高円寺村と変えさせたらしい。

 今は、高円寺というお寺があることを知らない人がいるかもしれませんね。

 本堂は昭和の再建で、それほど古くはありませんが、透かし彫りなどの彫刻が素晴らしかったです。

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 行った日は、花が満開で、得した気分。

 植物の名前は全然わからないのですが、これは何の花でしょうね~

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鷺宮、石仏めぐり ウォーキングダイエットストーリー 

  こんにちは。

 ゴールデンウィークも今日で終わり。

 皆様は、よいお休みを過ごされたでしょうか。

 オイラは、またいろいろほっつき歩いてきました。

 海と山へそれぞれ一回ずつ。

 昨日はまた古城を歩いてきたのですが、急斜面に玉砂利が敷き詰められていて、転びまくりました。

 滑りやすいシューズを履いて行ったのが失敗の元で、ローラースケートを履いたまま山道を降りてくるような感じでしたね~。

 おかげで、股裂きやバックドロップ、アトミックドロップを何度も食らったようなダメージが今も残っています。

 その修羅場の模様は、いずれまたまたブログの中で。


 ところで、今年になって、これだけしつこくお散歩ネタを繰り返していたら、ホントにやせてきたんですよ。

 ブログに書きたいから歩くという、インセンティブがしっかりできていたからよかったのかもしれませぬ。

 一番太っていた頃から比べると、6キロ減。体脂肪計を買って、定期的に体重を量り始めてからだと3キロ減です。

 これでオイラのBMIは22になりました~♪

 標準値が22だそうですから、ぴったし標準値っすか。

 ちなみにBMIとは体型評価の基準で、体重を身長(メートル換算)の2乗で割った数値です。

 たとえば、身長170センチ、体重80キロだったら

 80÷(1.7×1.7)で、27.68

 18.5未満が「やせ」、18.5~25未満が「標準」、25~30未満が「肥満」で30以上が「高度肥満」だそうですから、この数字だと肥満になってしまうわけですね。

 歩けば体重が減るのはわかるのですが、オイラの場合、身長が1センチも伸びるという結果に…。

 今まで森田健作と同じ身長だと言っていましたが、ハンカチ王子と同じ背の高さになりました~♪

 なんか、この差は非常に大きいような気が…。

 体脂肪計の「体内年齢」は30歳だし、まだまだ成長期にあるのかしらん。

 もっとも精神年齢は、小学生クラスという自負があるのですが…。


 しかしBMIは標準値でも、いけてる中年になるにはさらなるダイエットが必要かも。

 去年、日本橋のデパートで見た、舘ひろしのかっこ良さがまだ脳裏に焼きついて離れないのです。

 贅肉がまったくない。顔が小さくてシャープ。どんな動作も様になる。

 スリムなスーツをびったし着こなした姿は、同年配のおじさんたちと同じ人種とは到底思えないほどでした。

 そのかっこ良さは、隣にいた徳重聡がかすんでしまったほど。

 舘ひろしは、身長183センチ、体重68キロだとか。

 ちなみにBMIを計算してみると、20.3。

 標準の枠の中に入るし、あのかっこ良さはあこがれますね~。

 しかしですよ。

 医学的には、多少小太りのほうが長生きできるらしい。

 たとえば、170センチだったら、72キロとか。

 緊急手術の場合でも、やせている人よりは小太りの人のほうが命を取り留める確率が高いそうですね。

 BMIのぴったし標準のオイラとしては、今後、舘ひろしを目指すべきか、小太りの中年を目指すべきか、重大な局面に立たされておりまする。

 
 それはともかくお散歩ネタです。結果が出始めるとますますやる気が出る今日この頃。

 今回行ったのは、西武新宿線の鷺ノ宮駅のあたりです。

 さる土曜日の朝、この近くで用事をすまし終えたのが午前10時半。

 このあと用事はなかったので、せっかく来たのだからぶらぶらこの近くを歩いてみようと思ったのです。 

 何より、はじめて歩く場所って、脳細胞を刺激するそうです。

 オイラの持っている優れもののガイドブックに、鷺ノ宮駅周辺のウォーキングコースが紹介されていましたし。
 

 …ということで、鷺ノ宮駅前の中杉通りを練馬区の方向に向けて歩き始めます。

 商店街を通り、新青梅街道を渡ってしばらく進むと、スーパーの隣の三叉路に、二体のお地蔵様がありました。

Ts360851

 このあたりは、江戸時代に作られた石仏が数多く残っているみたいですね。

 近くの解説板によると、「願掛け地蔵」と言うらしい。

 この二体のお地蔵様のうち、小さいほうのお地蔵様を夜中に倒して願掛けをする。すると、大きなほうのお地蔵様は、小さいほうを起してもらいたいがために願いを聞いてくれるとのこと。

 お地蔵様にとっては、ちょっと理不尽な行いのような気がしますが、当時の人たちの願いに対する熱望が感じられました。

 今みたいに、もっとお金が欲しいとか、自分の希望する学校へ行きたいとかいう願いではなく、生きていく上での根源的な願いだったのでしょうね。

 マズローの欲求五段階説における「生理的欲求」や「安全の欲求」といいますか。

 オイラも、今なお人間が生きる上での根源的な欲求を欲する段階にありますので、今度夜に来て、やってみようかと思ったりしました。

 ところがよく見ると、小さなお地蔵様の台座がコンクリートで固められておりまする。

 当時と比べて人口も増えましたし、人々の願いがあるたびに、横倒しにされていてはかわいそうなので、これは致し方ないのかも。

 そう思いつつ、今来た道を引き返し、新青梅街道を上石神井方面に向かって歩きます。

 都立武蔵丘高校入り口の信号のそばにある二差路の角にも、お地蔵様がありました。

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 これは、「つげの木地蔵」というらしい。

 屋根のある場所に立っているから、なんとなくリッチな感じがするのはオイラだけでしょうか。

 新青梅街道を渡り、少し住宅街に入った駐車場の脇に立っているのが、庚申塔。

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 江戸時代、庚申講を続けた記念として、集落の辻などによく立てられたとか。

 小さいので見落としがちですが、どこの土地へ行ってもこの庚申塔は結構ありますね。

 江戸時代の大ブームの庚申講の痕跡が今でも残っているわけですから、当時としては一大センセーショナルだったのでしょう。

 ちなみに庚申講とは、集落の人が集まり、夜通し起きて庚申様を迎える信仰。それがだんだん、人々の楽しみの一つになって、全国で大ブームになったのですね~。

 仲のいい人たちと集まって、寝ないで夜通しお酒を飲めるわけですから。しかも、そうすることによって長寿を全うできるという大義名分があれば、ブームになる理由もわかります。

 しかし今、午前様のご主人が、「今日は庚申講の寄り合いだった」と言っても、奥さんは納得してくれないと思いますので念のため。


 それはともかく、庚申塔の前の道をどんどん歩きます。

 ところどころ残っている畑を横目に、300メートルほど行くと、また庚申塔が…。

 隣に、「子育て地蔵」というスラリとしたお地蔵様がありました。

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 江戸時代は、乳児の死亡率も高かったから、当時の人たちはすがるような思いで拝んだのでしょうね。

 再び鷺ノ宮駅に戻り、今度は駅の反対側を歩きます。

 駅のそば、中杉通りに面して立つのは、「交通安全地蔵」。

 こちらは最近作られたみたいですが、近くに庚申塔や石仏が集められたスペースがありました。

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 新旧のお地蔵様は、今も昔も変わらず、人々の願いを聞いてくれているようで。

 現代の人たちの願いの中に、「交通安全」がかなりのウェートを占めている点が若干昔とは違うかもしれませぬ。

 ここからまた石仏めぐりをしながら高円寺を目指したのですが、それはまた次回。

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大澄山~羽村 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 前回は、年をとっても脳細胞が増えるという前ふりからでした。

 増えるといえば、減る、つまり脳細胞が死んでしまうということも書かねばなりませぬ。

 脳細胞を死滅させるもっとも効率的な方法があるらしいのですよ。

 もちろん、あまりお勧めはできませんが…。

 それは何かというと、強度のストレスにさらされること。

 長年連れ添った奥さんに先立たれた男性や親から引き継いだお店を潰してしまったご主人が急にボケてしまったって話を聞くことがありますよね。

 これは強いストレスにさらされることによって、脳細胞が死んでしまったと考えられるらしい。

 かつて、ベトナム戦争の前線で戦った帰還兵の脳を調べてみたら、脳の前頭葉や海馬の部分が萎縮していたとか。

 やはり、強いストレスを感じたときは、リラクゼーションを考えたほうがいいですよ。

 風呂にゆっくり入ったり、マッサージしたり、アロマテラピーをしたり、好きな音楽を聴いたり、友達と話したり…。

 何でもいいから、自分なりに手軽にできるストレス解消法があったらいいですね~。 

 ちなみに脳細胞を増やし、なおかつストレス解消にいいのは、ウォーキングだそうな。

 …ということで、ここから先は前回の続きのお散歩ネタ。

 3月の終わりの桜の花咲く頃、オイラはあきる野市へ行ったのでした。

 二宮神社から大塚古墳を見て脳細胞を活性化したあと、秋留台公園から草花公園と快調に歩きます。

 草花公園の横を流れる平井川の桜も、当時は満開まであと一息でしたが、なかなかの美しさです。

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 南小宮橋をわたり、大通りを右折、これまた「下草花」という表示のある信号のところを左折すると、左前方に小高い山が見えました。

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 その下にある寺が、慈勝寺。

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 文治4(1188)年畠山重弘の娘で畠山重忠の伯母にあたる円寿院のために創建されたらしい。

 本堂は新しかったですが、境内のモッコクや裏手の「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれる巨樹に風格を感じました。

 この寺の開祖は、秩父庄司重弘の娘で、有名な豪族千葉常胤の妻だった人だそうですから、それも納得できますね。

 さて、さっき書いた小高い山。

 大澄山という名前で、「おおすみやま」と読むのかと思ったら、「だいちょうざん」と読むのだとか。

 なんとなく登るのが大変そうなネーミングだと思いながら、それでも比較的楽に頂上まで登ることが出来ました。

 大仰な名前がついていますが、標高は192メートルなのですね。

 しかし、そこからの眺望は決してその名に恥じないものでした。

 多摩川の流れの彼方には福生、羽村、八王子の市街。晴れた日には新宿副都心までが一望できるとか。

 そのまま尾根伝いに、草花丘陵を歩きます。

 眼下には、雄大な多摩川の清流。羽村大橋や後で行く予定の羽村堰が見渡せます。

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 対岸には、ピンクの桜並木が続き、その下でお花見をしている人たちの姿も小さく見えました。

 いったん尾根から降り、大きな道路を越え、再び草花丘陵の深い緑の小道へ。

 木々が生い茂り、あまり展望は望めませんでしたが、たっぷり森林浴を満喫しました。

 それにしても、結構起伏もあって、なかなかハードな部分もありまする。随分、深い山の中を行くな、と思っていると、突然左手の視界が開けました。

 なんと、鮮やかなグリーンの芝生が敷き詰められたゴルフ場じゃないっすか。

 テレビとかでたまに見る立川国際カントリークラブはここにあるのですな。

 この小道は、どうやら、その外縁部をぐるっと取り巻いているみたい。

 左手をフェンスで囲まれた道がしばらく続き、ゴルフ場の広々としたグリーンが目に眩しかったです。

 それにしても、こっちは随分狭い道。

 グリーンの上から見たら、オイラは金網に囲まれて、窮屈そうに歩いているように見えるかも。

 そんなことを考えつつ歩いていると、やがて野球場のバックネットみたいなフェンスに囲まれた小山へ出ました。

 ここが、次の目的地の浅間岳っすか。

 標高235メートルと、大澄山より高いのですが、木々か生い茂って眺望はイマイチ。

 しかし、山頂より少し下ったところにある羽村神社の境内の崖から下を覗いてみると…。

 おおお~、まさに断崖絶壁じゃ~

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 都庁の展望台から眺めるような高さ。しかも、ガラスがない。

 はるか彼方の対岸にあるグラウンドでは少年野球大会が行われているようでしたが、豆粒より小さく見える。

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 でも、掛け声だけがやけに大きく聞こえるんですよ。

 人間の能力も捨てたもんじゃないな、と、そのとき思いましたね~。

 急な斜面に作られた道を、転がるようにして降り、羽村市郷土博物館へ向かいました。

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 ここの目玉は、玉川上水についての展示でしょうか。もともと羽村は江戸時代、玉川上水の取水口が置かれたことによって発展してきた町。江戸の町を潤した玉川上水の出発点ですからね。

 江戸時代の水門や現在の水門の実物大模型が迫力ありました。

 でもオイラは、地元出身の中里介山の生涯と作品の世界の展示に興味を惹かれました。

 中里介山といえば、小説『大菩薩峠』。

 幕末の混乱期を舞台に躊躇いなく凶剣を振るう机竜之介を主人公として、様々な人物が織り成す群像劇です。

 市川雷蔵や仲代達矢主演の映画も有名ですね~。

 すっかり、机龍之介のようなニヒルな主人公になりきったオイラは、博物館の前にある多摩川の河川敷に出ました。

 ここで、凶剣をふるうわけではありませぬ。

 土手の道に出たとき、おかしなものを発見したからです。

 近くに行って見ても、やはり珍妙な物体。

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 これは、水害を防ぐための伝統的河川工法で用いられるものだとか。牛枠とか聖牛とか名付けられたもので、武田信玄時代に考案されたものでもあるらしい。

 そういえば、武田信玄は領国の水害対策のため大土木工事を行ったことでも知られていますね。

 それを復元したものなのですか。

 戦国から江戸時代にかけての河川には、こんなものが大量に置かれていたのですね。

 さて、土手に咲く桜を満喫しながら、羽村堰下橋を渡り、羽村堰に向かいました。

 ここは江戸時代初期に、玉川兄弟によって開削工事が成されたのは有名ですな。

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 羽村から四谷大木戸までの約42kmにわたり造られ、江戸市民の生活用水として、また武蔵野台地の干害用水として生活を支えてきたらしい。

 水は、なんと今も変わらず、都民の飲料水の一部として利用されているとか。

 玉川上水は、もう少し下流へ行くと、桜の名所でも有名ですが、羽村の堰下公園のあたりも桜の名所で、多くの人たちがお花見をしていました。

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 玉川上水をダイナミックに流れる水の力強さと桜のエレガントな美しさの対比はなかなか見ごたえがありますね。

 羽村の市内を通って、JR青梅線の羽村駅へ向かいます。

 最後にやってきたのは、羽村駅東口駅前にある熊野神社。

 その境内に、「まいまいず井戸」があるんですよ。

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 「まいまいず」とは、多摩地方の方言で、カタツムリのこと。

 なぜ、カタツムリと井戸がコラボしちゃうかといいますと、渦巻きタイプの井戸だからなんですね~。

 普通の井戸は、地面を垂直に掘り下げる。でも、「まいまいず井戸」は、地面を渦巻き型に掘り下げていって、その底にまた井戸を掘る。

 こうすると、地面を直接掘り下げるより、深く掘れるのですな。

 何で、ここの井戸がそんな面倒なことをしているかというと、羽村の地層には砂が混じっていて、当時の技術では垂直に深く掘ることが難しかったかららしい。

 それで、広い土地とかなりの労力を使って、こんな面白い形の井戸ができたのですか。

 それにしてもこの井戸。作られたのは鎌倉時代頃と言われているのですが、昭和30年頃まで、現役で使われていたのだとか。

 800年間も、この地域の人たちに使い続けられたということっすか。

 水を汲みに行く度、ぐるぐる回る浮遊感が味わえるから、病み付きになりそうです。

 でも、ぐるぐる回って重い水を運ぶのは大変だったのでしょうね。

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