« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

大森貝塚から馬込文士村 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 最近、仕事が忙しくてなかなかウォーキングへ行く機会がなかったのですが、半日ばかり余裕ができたのを幸い、近場をほっつき歩くことにしました。

 行ったのは、東京南部にある大田区。

 一昔前までは、田んぼも結構残っていて、オイラの憩いの場所ともなっていたところです。

 スタートは、JR大森駅。

 駅の山王北口を出ると目の前は、池上通りで、車がじゃんじゃん行き交っています。

 目的地である馬込文士村へ行こうと思ったのですが、近くに歴史好きならおそらく誰もが知っている場所があるのを思い出しました。

 それは、大森貝塚。

 日本考古学発祥の地とも言われるところですね。

 教科書にも載っている話ですが、この貝塚を発見したのは日本人ではないのです。

 それは、明治10年に来日したエドワード・モース博士。何でも、考古学者ではなく、アメリカ人の動物学者だそうな。

 もちろん、このご近所に住んでいる人たちは、やけにたくさん貝殻が埋まっているな、くらいの認識はあったでしょうけど。

 博士が汽車で横浜から東京へ移動中、車窓から何気に外を眺めていると、大森のあたりの崖から大量の貝が埋まっている地層が見えたのだそうな。

 うぬぬ、これはもしかして、と思って調べてみたら、貝塚であった。

 そしてモース博士は、生物学を教えることになった東京大学の教え子たちと大森貝塚を発掘したのですね~。

 さらに、日本初の発掘報告書を出版。博士の大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことだったとか。

 …が、しかし。

 長い年月を経て、そのモース博士が発掘した場所がどこかわからなくなってしまったそうな。

 大森貝塚は現に存在しているのだから、たいした問題でもないような気がしますが、その位置がちょうど品川区と大田区との境界にあった。

 なんたって、日本考古学発祥の地ですからね。

 自分たちの区内にあるということであればメリットはあるはず。

 で、品川区と大田区の間で、論争が一時期あったそうな。

 それも、50年に以上に及ぶ論争がだったというからすごい。

 今でも大森貝塚の碑は、大田区と品川区の両方あるのがその名残かも。

 こちら大田区の碑。

Ts361035 

 そしてこっちが品川区の碑。

Ts361040

 結局、決着がついたのは、モース博士の発掘から100年後でした。

 大森貝塚発掘当時の文書が、東京都公文書館で発見されたそうなんですよ。

 そして、そこに記された発掘地の住所が、現在の品川区の大森貝塚遺跡庭園の位置にあたることがわかったとのこと。

 モース博士は、大森貝塚なのに品川区を発掘していたのですか。

 品川区の遺跡公園が立派なのに対し、大田区側の史跡の周辺がなんともうらぶれた風情なのが哀しい。

 その辺りの事情について、以前会ったことのある品川区の教育委員会の人が鼻高々に話していたのを思い出します。

 さて、再び、大森駅方面に戻り、池上通りを右折してジャーマン通りを歩きます。

 なぜ、ジャーマン通りというのかわかりませぬ。

 ジャーマンスープレックスホールドで一世を風靡したカール・ゴッチと関係あるのかな、と想像を逞しくしながら歩き、次に向かったのが山王草堂記念館。

Ts361050

 ここは、明治から昭和初期にかけて活躍したジャーナリスト、徳富蘇峰の住居だったところです。

 ちなみに、世田谷に徳富蘆花の住居跡に作られた公園がありますが、蘇峰は蘆花の実兄ですよ。


 今は、公園みたいになっていますが、入り口の石段に当時の豪邸の面影がしのばれます。

Ts361049

 蘇峰は、日本最初の総合雑誌「国民之友」を発刊したり、現在の東京新聞の前身である「国民新聞」を創刊したりした人だとか。

 しかし、なんと言っても、「近世日本国民史」全百巻の著者として有名ですね。

 この長大な作品は、ギネスブックにも記載されたことがあるそうな。

 しかも、56歳からはじめて、34年間かけて完成させたところは中高年にも勇気を与えてくれそう。

 やはり人間は、大きな目的を持って生きるのが、健康で長生きできる秘訣なのかもしれません。

 草堂記念館の中は、蘇峰が「近世日本国民史」を執筆した二階の書斎部分が移築、復元されておりました。

 畳敷きの広い部屋が二間続いていて、仕事がしやすいように机の配置も工夫が凝らされています。

 記念館のまわりは、起伏に富み、緑深い庭園になっていて、執筆に疲れた蘇峰がよく歩いたのでしょうね。

 山王草堂記念館を出て、これから馬込文士村と呼ばれる文士たちの文学碑をたどって歩くことにしました。

 最初は、記念館のそばにある尾崎士郎の文学碑。

Ts361053

 ちなみに昨日新聞を読んでいたら、尾崎士郎の旧宅跡を大田区が買い取って記念館を建設することになったそうなんですよ。

 いよいよ、大田区の逆襲が始まったか、と思いました。品川区がどういう対抗策を打ち出すか、見ものかも。

 ところで、士郎は、「人生劇場」の著者として有名ですが、この作品が世に出た当時はあまり評判にならなかったらしい。

 注目されたきっかけは、川端康成が読売新聞の文芸欄で絶賛されてからだとか。

 それはともかく、尾崎士郎と川端康成が同時代の作家だということに驚きました。

 川端康成がノーベル賞を取ったときのことや自殺したときのテレビ番組を良く覚えているのですが、尾崎士郎自身のリアルな記憶はないですから。

 この馬込の近辺が、文士村と呼ばれるようになったのは、尾崎士郎の働きかけによるところが大きかったらしい。

 大正から昭和初期に、この馬込周辺に住んだ作家は、尾崎士郎とその妻の宇野千代、川端康成、萩原朔太郎、室生犀星、北原白秋、広津和郎、山本周五郎などそうそうたるメンバー。

 これらの人たちの中には、相撲好きな人が多く、「大森相撲協会」なるものを立ち上げ、大真面目に練習をしていたそうですね。

 中でも尾崎士郎は、太って強くなりたいために、インシュリンの注射を打ち、泡をふいて倒れたこともあったとか。

 当時の文士たちの力士姿の写真が残っていますが、皆真剣な顔で土俵入りを披露しているシーンが印象的でした。

 尾崎士郎の文学碑から、地図をたよりに住宅街を右往左往しながら向かったのが、北原白秋の文学碑。

 詩人としてあまりにも有名ですが、彼もまた馬込の緑ヶ丘と呼ばれる高台に住んでいたらしい。

 当時は、眺めがとても美しく、丘陵の尾根が見え、夜景がとてもきれいな場所だった。

 その高台にある赤い屋根の洋館。中には、洋風の書斎で、白秋はとても気に入っていたとか。

Ts361056

 今、その文学碑は、児童公園の入り口に立っていましたが、高低差は確認できるものの、眺望は損なわれていて残念でした。

 次に行ったのは、山本周五郎の文学碑。

 こちらも、小奇麗な児童公園の前に立っていました。

Ts361057

 「もみの木は残った」「赤ひげ診療譚」「青べか物語」など今でも多くの人たちに読まれていますね。

 文学碑には、直木賞を辞退するなど、かなり偏屈な人物みたいに書かれていましたが、その孤高の文体からもなんとなくわかるような気がしました。

 このあたりはお屋敷が多いためか、緑が豊かです。

 個人の所有なので中には入れませんでしたが、馬込の自然林が残っている場所を塀越しに眺めました。

 巨木が生い茂ってすごい迫力っす。

 暑かったので、汗を拭き吹き住宅街をテクテク歩き、大きなお寺の前に出ました。

 ここは万福寺。

Ts361065

 この寺を開基した人はしぶいですよ。

 なんとあの梶原景時。

 タッキー主演の大河ドラマ「義経」で、中尾彬が演じていた記憶があります。義経の悪口を源頼朝に伝えたとか、不運な最後からも分かるとおり、あくの強い人物だったみたいですが、鎌倉幕府の設立に大きな力を果たした人物であることは間違いないでしょうね。

 寺には、景時の墓がひっそりと立っておりました。

Ts361061

 万福寺の境内には、室生犀星の句碑もありました。そして寺を出て、少し歩くと、室生犀星の文学碑も。

 室生犀星の名前は知っていましたが、俳人であり、詩人であり、小説家でもあったのですか。

 文士の三冠王みたい。

 文学碑のうしろのマンションが、「室生マンション」というのはそのものズバリですね。

 当時は、この辺も畑ばかりだったのでしょう。

 同じ道筋に、日本画の巨匠、小林古径の文学碑もありました。

Ts361069

 そして最後に向かったのが、大田区立郷土資料館。

 言い忘れましたが、さきほどの山王草堂記念館と同じく、こちらも入館無料なのがうれしい。

 大田区は、羽田空港や京浜工業地帯といった雰囲気が濃厚ですが、多摩川の近くを中心に古墳が多い場所としても知られていますね。

 しばらくお散歩ネタは、大田区を密着取材する予定です。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

脳こうそくの手術って、どんなことするの? 医師と女子高生の会話から

 こんにちは。

 先々週、ようやく、脳卒中の本の改訂原稿を出版社さんにお送りすることができました~♪

 これで、ひとつの大きな山を越えたという感じです。

 改訂作業は、思ったより大変でした。

 放り出して逃亡を企てようかという、プロジェクトX的なシーンもあったりして。

 なんとか形にできたのは、温かいコメントをお寄せくださった楽天ブログの方たちのおかげと、感謝してやみません。

 実はこの脳卒中の原稿は、二年ほど前に書いたものですが、実際の医療現場では治療方法が大きく変わっている部分もあったのですよ。

 IT業界は、成長の早さから、ドッグイヤーなんてことを申しますが、それ以上に最新医療の現場は、成長速度が早いということを実感しました。

 最近の傾向としては、なるべく患者さんの体に負担をかけないで結果を出す治療法が主流になっているみたい。

 それはもちろん素晴らしいことですよね。

 でも、結果的に最新治療や従来の方法などがカオス的混合をきたしていると言えなくもない。

 それぞれメリット、デメリットがあったりして、一般の患者さんは迷ってしまう部分があるかもしれません。

 患者さんやご家族の方にとって、病気や治療についての知識はあったほうがいいと切に感じました。

 ブログのほうは、前後関係が変わってしまうので、従来の原稿で続けさせていただく予定ですが、あらたに加筆した部分もあります。

 それは、最新の脳研究における「脳細胞をどんどん増やす法」についての記述。

 従来は脳細胞の数が決まっていて、年をとると減る一方だと思われていたそうな。

 それが、研究によって、年をとっても脳細胞が増えるということがわかってきたとのこと。増えるものなら増やしたいのが脳細胞ですよね。

 その方法について、いろいろ文献を調べ、AYAちゃんと先生に面白く会話してもらいました~


 現在、脳卒中の本は、出版社さんの元で編集作業が行われております。

 脳卒中の本は、そう遠くない未来に、姿を現すことになりそうです。


 オイラ以上に、出版社の方たちは思い入れを持ってこの原稿に取り組んでいただいていますので、編集方針はすべてお任せすることにしました。

 さて、どんな本になるのか。

 期待に胸を膨らませております。


 …ということで、「脳の病気シリーズ」です。

 この「脳の病気シリーズ」。

 ほぼ月一回のペースでお送りしています。

 前回は「脳こうそくの外科的治療ってどんなことするの?」という話題を取り上げました。

 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に「心と体」のカテゴリの中にある記事をお読みいただければ幸いです。

 今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。  
 
 前回、「脳こうそくの外科的治療法」について勉強したAYAちゃん。

 今日も、前回に引き続き、「脳こうそくの外科的治療法」が話題になります。

 それでは…


< 脳こうそくの手術ってどんなことするの? 医師と女子高生の会話から >


● AYAちゃん「ふーん。ほかにも脳への血液の流れを改善させる手術ってあるんですか?」


 あるよ。以前、『抜け道』、『回り道』の話をしたよね。脳血栓のように脳の血管が徐々に狭くなってくる場合は、脳の血管が詰まっても別のルートが発達して大きな血管が2~3本詰まっても脳こうそくの症状が出ない人がいるって話…。


● AYAちゃん「覚えていますよ。それがどうかしたんですかぁ。先生の話っていつも『回り道』へそれるからなぁ」


(少しムッとして)いつも横道へそれるのはそっちじゃない。それに『回り道』じゃないよ。要は脳こうそくになっても『抜け道』、『回り道』があればいいってこと。だったら、『抜け道』、『回り道』みたいなバイパスを人工的に作ってやればいいわけでしょ。


● AYAちゃん「なるほど、今の話は『回り道』じゃないですね。ところでそれはどんな手術なんですか?」


 脳の動脈にバイパスを作る方法だから、いろいろなやり方があるんだよ。もっとも多く行われているのは、こめかみの皮膚の下にある動脈を脳の表面にある動脈につなぐ手術だね。


● AYAちゃん「ん? こめかみの皮膚の下にある動脈って、頸動脈みたいに脳に血液を送る動脈とは別ルートなんですか?」


 そうだよ。難しい言葉で、『浅側頭動脈』って言うんだけど、これは頭皮に血液を送るものなんだ。バイパスを作って脳に血液が流れるようにしたあとの頭皮には、別の血管から血液が送られるから血流不足になることはないんだけどね。


● AYAちゃん「なるほど。別のルートなら、脳へ向かう4本の幹線道路に障害が起きたときのバイパスになりますね。ところで頭皮へ行く血管ということは、頭の骨に穴を開ける必要があるんだ」


 手術の方法は、全身麻酔をしてから、こめかみの辺りを切り開いて、まず浅側頭動脈をはがすことから始める。それからその傍の頭蓋骨に穴を開け、その穴に浅側頭動脈を引き入れて、脳の表面を走る中大脳動脈とつなぐんだ。


● AYAちゃん「難しそうな手術ですね」


 手術用顕微鏡を使った高度な技術が要求されるけど、脳の専門医からすれば難しい手術じゃない。安全だといっていいんじゃないかな。ただこの手術を行うかどうかは、有効性の面で他の治療法と比べながら、いろいろ検討してみる必要があるね。


● AYAちゃん「詰まった血管の中のアカを削り取ったり、頭に穴を開けてバイパスを作ったり、すごく効果がありそうですね。だけどちょっと首や頭に傷をつけるのは抵抗があるなぁ」


 最近では管を動脈に入れ、狭くなった部分を風船で広げて血のかたまりを押しつぶし、血管の中を広げる方法もある。それからその広がった部分にステントと呼ばれる材料を入れて広がったままにするとか、切らないですむ治療法も出てきたね。


● AYAちゃん「クモ膜下出血の治療法で聞いたコブの中にコイルを詰めて破裂しないようにする方法に似ていますね」


 脳の血管内治療という点ではどちらも同じだね。方法は、太ももの付け根に局所麻酔の注射をしてから、そこを流れる動脈にカテーテルと呼ばれる細い管を挿入して、脳や首まで推し進めるんだ。
 そして脳の透視画像を見ながら、カテーテルの先につけた風船を膨らませたり、ステントを入れたり、動脈瘤の中にコイルを詰めたりするんだよ。


● AYAちゃん「私が手術をするんだったらやっぱり、こっちのほうがいいなぁ。でも、できないケースもあるんですよね」


 前にも言ったけど、技術がどんどん進歩しているから、今後は頭を開けない手術が主流になっていくと思うよ。外国ではこちらの血管内治療が主流になりつつあるからね。


● AYAちゃん「それにしても脳卒中にはいろいろな治療法があるんですね。先生、どれが一番いいんですか? シェフのお勧めの一品は?」


 アドバイスはもちろんたっぷりさせていただきますけど、残念ながら『シェフのおまかせコース』はございません。薬を中心とした内科的治療、手術をする外科的治療、それぞれ一長一短がある。医師ができるのは、可能な治療の方法とそれらの治療成績をきちんと説明するということだよ。
 あくまでも治療をどれにするか、最終的に決めるのは本人とご家族だからね。


● AYAちゃん「そう言われてみればそうですよね。でも、そのときになったら迷うだろうなぁ。脳みそはひとつしかないし。私なんかユニクロへ行って、どの色のTシャツを買うか、30分も迷うことがありますから」


 だからしっかり脳卒中の勉強をしなくちゃね。


● AYAちゃん「そのためには、まずネットで『脳卒中』『治療法』のキーワードで検索を…と。(先生のノートパソコンを横目で見る)」


 ちょっと待った。あぶない…あぶない。(先生、ノートパソコンを自分の後ろに隠す) その手は桑名の焼きハマグリ…と。


● AYAちゃん「(く~、見破られた)」


 ( 約一ヵ月後に続きます )

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

あなたと小坂明子と個人授業の関係

 こんにちは。

 最近、パソコンで仕事をすることが増えているのですよ。

 長い間画面を見続けていると、ホント目が疲れます。

 文章を書くのは嫌いではないので、ずっとキーを打ち続けていて、あっという間に1~2時間も経ってしまうことがある。

 気がつくと、画面以外はぼんやりと霧の摩周湖状態。

 さすがにそうなると、机に突っ伏して十数分間も、仮死状態に陥らざるを得ないのです。

 でも、何も考えずにただ休憩を取るよりは、その間、好きな音楽を聴いていたほうが、フリーズ状態から早く立ち直るのを知りました。

 …ということで、休憩時間を利用して、いろんな音楽を聴いているんですよ。

 っていうか、仕事中もですけど。

 前は、図書館で、CDを借りてきてはパソコンに取り込んで聴いているってブログに書きました。

 その頃借りたのは、男性アイドルでは俊ちゃんやマッチ、西城秀樹に郷ひろみ、野口五郎など。

 女性では、山口百恵に浅田美代子、松田聖子、森高千里といった一昔前のアイドルでしょうか。

 それにしても、NHK大河の「風林火山」を毎回見ていて、ひ~ふ~美代ちゃんこと浅田美代子の姿に、時代の流れを感じるのはオイラだけでしょうか。

 真理ちゃんよりはいいけど。

 オイラの中学校時代の友人たちは、皆、透明な下敷きの中に、雑誌のグラビアを切り抜いて入れてましたね~。

 当時、今のような状況を想像していた人はいなかったかも。

 今、彼らは何を想い、何を心の支えにして生きているのか、すごく気になったりして。

 風吹ジュンは、うまく年をとっているように見えるのだけれど、その違いってどこにあるのだろうと感じる今日この頃です。

 当時は、浅田美代子のファンで、それほど風吹ジュンのファンではなかったということも影響しているのかもしれませんが…。

 もちろん、昔のアイドル以外にもいろいろ聴いていますよ。

 トワ・エ・モアとか、チューリップとか、かぐや姫とか。

 でも演歌は、内山田洋とクールファイブか、テレサ・テン、ぴんからトリオの「女のみち」以外はあまり聴かないですね。

 一般的に、オイラと同世代の友人たちも、演歌をあまり聴かないみたい。

 でも、ちょっと上の世代から団塊の世代以上になると、演歌が主流。

 昔、銀行時代の上司たちとカラオケに行ったとき、「なぜ、演歌を歌わないのだ!」と延々と説教された経験があるのです。

 「演歌以外は歌ではない」と極論する上司もいましたっけ。

 このあたりの世代間ギャップを、文化人類学的に考察してみれば面白いかも、と考えるのですが、どなたか教えていただければ助かります。

 しかし、どれも歌謡曲の枠をこえられないところがオイラの限界なのかも。

 ジャズやクラシックを聴いています、と書ければかっこいいのだけれど…。

 ああ、ちょい悪のいけてるオヤジになりた~い。

 でも、言っておきますが、オイラは古い歌ばかりを聴いて、過ぎ去った若き日を懐かしんでいるばかりじゃありませんよ。

 パソコンのハードディスクの入っている新しめの歌手をアトランダムにあげてみますと、以下の通り。

 福山雅治、サザン、倉木麻衣、平原綾香、夏川りみ、宇多田ヒカル、パフィー、松浦亜弥、ELTにチャゲアス、ミスチル、SPEED、そしてモー娘。だって入っているのだ。

 モー娘のあとに「。」をつけなければならないことも知っているし、最近、リーダーがミキティから愛ちゃんに代わった理由もつかんでおりまする。

 それから、ZARDも入っていて、よく聴いているのです。

 事件をはじめて知ったのは、ヤフーのネット記事でしたが、ちょうどそのとき、「負けないで」が終わって、「揺れる想い」を聴き始めたところだったので、二重にびっくりしました。

 ZARDの歌には、よく励まされたので、哀しいっす。「君がいない」のはすごく残念ですが、これからも長く聴き続けていきたいと思っています。


 話は変わりますが、最近、パソコンで音楽をダウンロードすることを覚えました。

 最近の曲は、図書館やレンタルショップで借りたり、最悪の場合?自腹でCDを購入したりできます。

 ただ、古い曲を店頭で探すのは面倒くさい、というか、ない。

 ということで、ダウンロードでは、小学校や中学、高校時代に聴いたポップスをよく購入しています。

 今やほとんど聴くことのできないような曲もあったりして、ネットの威力はすごいと感じますね。

 それに昔聴いたときと比べ、今聴くと新たな発見があったりする。
 
 たとえば、フィンガー5。

 以前は、当時のオイラと同じくらいの子供がサングラスかけてよくやるよ、くらいにしか思っていなかった。

 「個人授業」なんか、今聴いても、すごい迫力あるサウンド。

 オイラは音楽的才能のまったくない人間ですが、フィンガー5って、こんなすごいアーチストだったの?と認識を新たにしました。

 とくに、ボーカルのアキラのハイトーンボイス、ド迫力の歌唱力が秀逸。

 昔よく真似して、たいしたことないじゃんなんて、生意気なことを言っていたオイラが恥ずかしいっす。

 今からでも謝りたいぐらい。

 そして、昨日ダウンロードしたのが、小坂明子の名曲「あなた」でした。

 いろんなネットショップを探してみてもなくて、たまたま楽天からダウンロードできることを知ったのです。

 まさに、灯台下暗し。

 ライヴバージョンでしたが、210円で、こんな素晴らしい曲がゲッツできるなんて、今の時代に生きていることの喜びを実感しました。

 もう何十年も聴いていなかったので、当時のことを思い出しながら何十回も聴き返しています。

 今日も、十回以上聴いてしまいました。

 この曲を最初に聴いたのは、確かラジオだったと思います。あるラジオ番組の主題歌だったような。

 けだるい感じのイントロ部分から、サビの熱唱、そしてまた静かな中盤を経て、ラストの「あなた、あなた」の叫ぶような心に響く歌声、そして旋律の美しさに一瞬で魅了されたといいますか。

 この、静と動、スローとハイスピードとの対比が絶妙。

 この若々しく、清楚な歌声は、いったいどんな美しい女性が歌っているのだろう。

 当時、ラジオをずっと聴きまくって、想像をふくらませて、ふくらませて、自分の中で偶像崇拝ともいうべきものを作り上げて行き、その数ヵ月後、歌が大ヒットして、小坂明子がテレビに出るという情報をつかんだ。

 そして、正座したまま、テレビを見た~

 おお~


 倉本聡 的な 「間」。


 しかし、だからと言って、この歌の素晴らしさが、色あせることはありませんでした。

 でも、そのあと、ダイエットして、スリムな女性に生まれ変わったと聞きましたが。

 この歌は、小坂明子さんが高校時代の授業中に作った歌だったらしい。

 よっぽど面白くない授業だったのかどうかはさておき、当時人気絶頂だったガロに会いたい一心で、昭和48年にヤマハポピューラーソングコンテストに応募したのだとか。

 そして、グランプリ大会ではグランプリを受賞。そして同じ年の第4回世界歌謡祭では最優秀グランプリに輝く。

 「あなた」は、発売1ヶ月で100万枚を突破。3ヶ月で165万枚を売り上げ、ポップス界の歴史的ヒットとなる。

 そして、各新人賞を総なめにして、次の年にはNHKの紅白歌合戦に出演。

 現在では200万枚以上を売り上げているそうな。 

 普通の高校生の作った歌が、こんなすごいことになったのは、なんと言ってもこの歌の魅力からですね。

 当時は、穢れなき夢見る少女が、将来幸せな家庭を築きたいという願望を歌った歌だと思っていたんですよ。

 でも、今聴いてみると、ちょっと違う印象がありました。

 「夢だった」「望みだった」という過去形のあとに、「いとしいあなたは、今どこに」ですか。

 恋人が逃げてしまったか、失踪されてしまった女性が、彼と築くはずであった理想の家庭を夢見つつ、一人、レースを編む。

 これは、失恋した女性の寂しい心象風景を描いた歌だったのでしょうか。

 高校二年生の少女が、授業中、こんなことを考えていたのですかね。

 最初の、理想の「家」の記述も、こう考えていくといろいろな暗示がこめられていそう。

 それもまた、モナリザの微笑みたいなミステリアスな魅力がありますね。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

猿橋~岩殿城~大月 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今日は、ゴールデンウィークに訪れた二つ目の場所です。

 行ったのは、今、何かと話題の甲斐の国。

 東京モノにとって、神奈川や千葉、埼玉は身近な存在ですが、山梨となるとちょっと遠い感じがするのはオイラだけでしょうか。

 若い頃から今まで、いろんなところをほっつき歩いてきたオイラですが、意外と山梨に足を踏み入れたことは数えるほどしかない。

 中央本線って、JRで電車賃も高いような気がしますし。

 でも、先日、山手線の駅で、すぐれもののガイドブックを手に入れたんですよ。

 その名は、「甲州古道ウォーキング 相模湖駅~甲斐大和駅」。

 古道をウォーキングなんて、いかにもオイラ好みのネーミング。

 さっそく、ネットの乗り換え案内で、所要時間と料金を調べてみました~♪

 なんと、意外と山梨って近いし、安く行けるんじゃないっすか。

 オイラがたまに私鉄を使って行く、群馬や栃木、茨城より安い。

 もちろん、裏技があるのですが。

 それは、新宿から中央線に乗るのではなく、高尾まで京王線に乗り、そこで中央線に乗り換えること。

 電車賃節約のコツは、いかに目的地のそばまで私鉄で行けるかということでしょうか。

 さて、そうやってせこいルートを乗り継ぎ、オイラは中央線の鳥沢駅にたどり着いたのでした。

 でも、京王線の急行に乗ったので、それほど時間のロスは感じませんでしたが。

 鳥沢駅周辺は、かつて鳥沢宿という宿場町でにぎわったところらしい。

 富士講の名残など、かつては旅籠や下駄屋、お茶屋などの街並だった面影が味わえるとか。

 古道というより、国道の車の往来が激しくて、せわしない雰囲気がありましたけど。

 でも、歩いてゆくと昔ながらの宿場町の面影のある古い家がところどころに残っておりました。

Ts360965

 これらの古い家は、出桁軒裏造りといって庇が長いのが特徴だとか。二階の窓に設置された手すり部分は、それぞれデザインが異なり、なかなか凝っていますな。

 国道20号を歩き、大月方面を目指します。

 行った日は、雲ひとつないいいお天気でした。いい形の山があったりして、見とれながらの快調なウォーキング。

 国道を折れ、細い小道に入ってしばらく行くと、中央本線の複線化以前に使用した橋台がありました。

Ts360969

 ちょうど、深い谷越しに向かい合う形で、石組みの立派な橋台が残っています。草木が生い茂り、一昔前にここを列車が走ったなんてとても思えない。

 SLが煙を上げながら轟然と鉄橋をわたるシーンを想像しました。

 ふたたび、国道に戻り、今度は猿橋めざして歩きます。

 なんとなく、猿橋という名前の橋があることは知っていましたが、こんな近くにあるとは思っていませんでした。

 名前だけ知っていたのは、おそらく「日本三奇橋」のひとつだから耳に入ったのでしょうね。

 ちなみに、あとの二つは、「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」。

 有名ですが、どちらも行ったことがございませぬ。まだまだ日本中、行ったことない場所だらけだから、老後の楽しみが増えそう。

 それはともかく、実際目で見ると、やはり変わった橋ではありました。

Ts360984

 長さ31m、幅3.3mだそうなので、さほど大きくはない。この独特なフォルムは、谷が深くて橋脚が立てられないため、橋脚を使わず、両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支えているところからくるみたい。

 7世紀に、猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと言う伝説があるそうですな。なるほどそう言われてみると、両岸から張り出した四層のはね木が重なっている猿にまったく見えなくはない。ちょっと苦しいですが。

 それにしても、猿橋の欄干から下を見ると、かなり谷が深いっす。

Ts360982

 水面からの高さが31メートルですか。しかも、まわりの緑との調和も見事。自然の景観との調和が素晴らしいということで、国の名勝に指定されたのも納得が行きました。

 江戸時代の浮世絵師、安藤広重の「甲陽猿橋の図」も有名らしいですね。江戸時代からもその絶景が話題になっていたのですか。

 猿橋を去り、これがホントの「去る橋」なのじゃ~と久しぶりに納得のいく駄洒落を思いつきました。

 でも、こういう駄洒落は、絶対どこかのオヤジがかまして著作権を申請しているでしょうね。

 参考文献みたいに出展を明らかにしないと訴えられるかも。


 猿橋近隣公園の深い緑を堪能しつつ、大月市郷土資料館にたどりつきました。

Ts360986

 小さな資料館でしたが、100円を支払って入館。郷土資料はそれほど目を引くものはなかったですが、特別展で白旗史朗の写真展をやっていました。

 富士山を撮り続けた写真家として有名らしいですね。

 行った日も、富士山を写した白幡史朗や地元のアマチュアカメラマンの作品が展示されていました。

 あらためて、富士山がいろんな顔を持っていることを確認しました。富士山といえば、東海道というイメージがありましたが、大月市もまた絶景ポイントがたくさんあるのですね。

 さて、郷土資料館を出て、大月市の市内を流れる桂川につかず離れず歩いてゆくと、前方に妙な形の山が見えてきました。

Ts360995

 高さはそれほどでもないけど、山の中腹から頂上にかけて垂直に切り立った岩盤がドームのように見えるっす。

 これがあの岩殿山城ですか。

 こここそ、あの「風林火山」にも登場する中世・武田氏の家臣、小山田氏の居城のあった場所。小山田氏は武田24将の一人として有名ですね。

 「風林火山」当時の小山田家当主は、小山田信有。

 確か、田辺誠一が演じていたような。

 小山田氏が岩殿山を本格的な居城となしたのは天文元年(1532)といわれ、武田信玄の躑躅ヶ崎城の境目の城として、重要な押さえとなっていたとか。

 話には聞いていたけど、実際近くで見ると、その迫力がすごいっす。

 岩殿山は、その名の通り海抜635mの岩山。まわりには、東に葛野川、南に桂川を配し、頂上近くの垂直の岩盤は、まさに天険の要害ですな。

 眼前に立ちはだかる岸壁を前にして、あとに引くことはできませぬ。

 ガイドブックのコースにはないのですが、その要害を落とすべく、城攻めを開始しました。

 よく整備された階段をのぼってゆくと、やがて中世の城の遺構を思わせる建築物が。

Ts361001

 ここは、岩殿山ふれあいの館。

 岩殿山中腹に建ち、外見からは信じられないですが、なんと中にプラネタリウムもあるとか。

 小山田氏が城主だった当時は、やはりこんな建築物もあったのでしょうか。

 さて、そこから先もコンクリートの階段が延々と続いておりました。やはり、城攻めは楽じゃないっす。朝から、歩き詰めだし。

 でも、苦しさに反比例して、標高がぐんぐんあがり、市内を眼下に望む見晴らしが良くなる。

 そしてようやく、岩殿山城の揚木戸門跡が見えてきました。巨大な岩がすごいっすね。

Ts361005

 横に巨大な岩があるため、読んで字のごとく、門は上に引き上げる形式だったらしい。

 そこからすぐ上にあがったところにあるのが、番所跡。それほど広いスペースはないですが、門番の詰め所かなんかがあったのでしょうか。

 そしてようやく頂上近くの尾根に到着。

Ts361008

 そこからの眺めはさすがに素晴らしかったです。さっき、山の下から見えた垂直に切り立った岸壁がこの下にあるのですね~。

 尾根の部分に、本丸や二の丸、三の丸、馬場などがあるのでしょうけど、それぞれそれほど広くはないし、かなり削られた部分もあるようで、これぞ城跡の遺構というものは感じられませんでした。

 あえて言えば、帯郭下にある亀ヶ池と馬洗い池ですかね。山城は、水の確保が最重要課題ですから、小さいとはいえ今も枯れることがない水源があるのは心強かったでしょう。

Ts361010

 それにしても、ゴールデンウィークでよかったと、去年行った城跡で、大量の蚊のじゅうたん爆撃にさらされたオイラは切に思ったのでした。

 せっかくだから、山の頂上にある本丸へ行ってみました。

 もともとせまいスペースなのに、電波塔様が我が物顔で居座っていらっしゃいました。

Ts361015

 今の城主は、電波塔様なのですね。

 本丸のまわりに空堀が残っていて喜んだはずみに、空堀に転落してしまいました。

 戦国時代だったら、上から矢を射掛けられて戦死していたかも。

 城攻めを果たし、晴れて岩殿山から降りてきたのですが、そのときが一番大変でした。

 道に、細かい石がたくさんあって、トレッキング用のシューズではなかったので滑る、滑る。

 山道で、ヘッドスライディングみたいに派手な転び方を何度もしました。

 高校時代の体育で習った柔道の受身が、こんなところで役に立つとは思いませんでしたね。

 そういえば、今での短くない人生において、蒲田行進曲の階段落ちに匹敵する転倒を何度も経験しました。

 JR渋谷駅の一番上の階段から、踊り場まで転げ落ちるとか。

 そのたびに、ディフェンスのうまさで九死に一生を得てきたのです。

 若いうちに、いろいろ習い事をするのもいいですが、受身だけは勉強より役に立つかもしれません。

 倉本聡的 「間」


 転ばない方法を考えろと、誰か突っ込みいれてくれぇぇぇぇぇぇ~

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平塚 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今や定番となったお散歩ネタ。

 今日は、ゴールデンウィークに行った平塚っす。

 どうして平塚かと言いますと、たぶんまだ行ったことがないから。

 最近、昔行った場所かどうかということが、すごく不鮮明になってきたんですよ。

 初めて訪れた場所だと思ったところが、どうも以前行ったような気がしてならない。

 もしかして、前世に訪れたことがあったからだったりして。


 それはともかく、JR平塚駅の南口を出て、一路海を目指して歩き始めます。

 駅前からまっすぐ広い道が、湘南の海へ一直線。

 まぶしいほどの光が燦燦と降り注ぐ、この開放感はさすが湘南。写真で見た南国・宮崎みたい。

 今をときめく東国原知事に出会うのではないかという錯覚に陥りました。

 やがて松林が目の前に現れ、海の近くに来たということがわかります。この森は、「しおさいの森」というらしい。

 森へ入る前に歩道橋をわたったのですが、この景色どこかで見たような。

Ts360923

 そういえば、毎年、箱根駅伝でこのアングルの映像が映っていた記憶があります。この歩道橋の上から撮っているのかしらん。

 来年の箱根駅伝は注目して見ようと思いました。道路の先には、箱根の山々が遠くにかすんで見える。

 あんな遠いところまで一気に走ってゆくのですね~。若いって、すごい!

 しおさい森の中に入ると、陽だまりでほてった体がクールダウンしてくるのがわかります。松林を抜けるとそこは、まぎれもなく、湘南の海。

Ts360927

 抜けるような青空とどこまでも続く青い海。そして白い砂浜。

 加山雄三やワイルドワンズ、そしてサザンが愛した湘南の海じゃぁぁぁぁ~

 と思いながらも、頭の中で流れていた曲は、チューブでしたが…。

 湘南とくれば、サーファー。連休中だけあって、多くの若者たちがサーフィンを楽しんでおりました。

 と思ったら、白髪頭のおじさんたちも少なくない。さすが、湘南の中高年は若いっす。

 海岸にそって、木製の遊歩道が整備されていて、その近くでは多くの人たちがビーチバレーをしています。

Ts360928

 ここでも、長州小力のような体格のおじさんが、若者たちにまじってビーチバレーを。

 恐るべし、団塊の世代。若者たちより、ジャンプ力があったりして。

 砂浜を延々と相模川の方へ歩き、湘南大橋の下をくぐって相模川を少し遡ると、赤い鳥居が立ち並ぶ港稲荷神社がありました。

 小さな神社ですが、名前どおり、須賀港を見下ろす絶好のロケーション。ここでお参りすると、たくさん魚が釣れるのだとか。

 魚釣りの趣味はないのですが、いろんなものを釣りあげ?たくて、しっかり手を合わせてお参りしました。

 隣の須賀港は小さな港ですが、自然の港としても古い歴史を持っているそうですね。ホントかどうかかりませんが、何でも空海が庵を結んだという伝説が残っているらしい。

Ts360933

 江戸時代は、回船問屋が千石船で江戸を始め各地と物資の交流を行なったため、 商業地として大変な賑わいだったそうな。

 コンクリートで囲まれた港の壁面には、魚や海鳥の絵が描かれていて、ほのぼのとした気分になりました。

 近くには、湘南潮来の記念碑もあります。

 この周辺は、広々とした水郷地帯で、景観が潮来に似ていることからそう呼ばれることになったらしいっす。

 相模川を遡り、東海道本線と国道一号を越えたところにあるのが、蓮光寺。

 境内の隅に、願い事を念じながら持ち上げ、軽く感じたら願い事が叶うと言われる「持ち上げ地蔵」がありました。

Ts360940

 持ち上げてみようかと思いましたが、かなり重そう。

 これは、軽く感じることはありえないでしょうと、持ち上げることを断念しました。

 蓮光寺のそばには、丁髷塚という面白い名前の史跡があります。

Ts360942

 解説板を読むと、江戸時代、近隣にある一ノ宮寒川神社と平塚八幡宮の御輿を担ぐ若者同士で諍いがあったらしい。

 多くの負傷者を出し、その諍いの当事者だった若者16人は、打ち首の判決をうける。

 しかし、当時の代官は、彼らの丁髷だけを切り落とし、打ち首に変えた。

 その丁髷を埋めたのがこの塚なのだとか。

 遠山の金さんみたいな粋なお裁きをした代官も、ホントにいたのですね。

 さわやかな木陰の道が続く馬入緑道を歩き、突き当りを右折。再び、相模川の河川敷に向かいます。

Ts360945

 ここには、馬入・光と風の花つづみという何ともメルヘンチックなネーミングの花畑が広がっていました。

 広さはなんと、3万平方メートルもあるとか。

 行った日は、晩春の頃でしたが、オレンジのポピーの花が出迎えてくれました。

 相模川では、水上オートバイが猛スピードで水面を駆け抜けています。しばし、その迫力に口を開けたまま、見とれていました。

 20分ほど市内を歩き、次にむかったのは八幡山公園。

Ts360952

 平塚八幡宮とそれを取り巻く深い緑が印象的な場所です。

 市内の中心地に、これだけの森が残っているのはいいですね。園内には、遊歩道や平和慰霊塔など見所もたくさんありました。

 市役所をはさんで隣接するのは、文化公園。

 巨大なSLが展示されていたり、オブジェや野外彫刻が点在していたり、博物館、中央図書館、教育会館もあり、まさに平塚の文化の拠点ですか。

 さっそく、博物館に入ってみました。

 入館料無料なのがうれしいっす。

 無料だけど、展示物はなかなか充実していました。

 平塚は、ご存知のように東海道の宿場町として発展した町です。

 歴史のある街なのに、街中には歴史的な建物がほとんど残っていないのが気になりました。

 館内を見て回っているうちに、それらの歴史的建造物が太平洋戦争でほとんど失われたのを知りました。

 平塚はどうかわかりませんが、名古屋城など国宝級の建築物が、つい最近に失われたのは誠に残念ですね。

 行った日は、二宮尊徳の特別展が開かれていました。

 二宮尊徳って、二宮金次郎当時の銅像は有名ですが、どんな業績をあげた人かというとよくわからない人も多いのではないでしょうか。

 実はオイラもそうでした。

 特別展をながめたイメージからいうと、いわゆる町おこし、村おこしのコンサルタントだったのではないかという感じがします。

 もっとも、当時は飢饉とかで、人が餓死したりして、取り巻く環境は今とは全然違うとは思いますが。

 最後に向かったのは、平塚市総合公園。

 ここは、旧農林省果樹試験場跡地に市制施行50周年を記念して、平成3年3月に全体が完成したのだとか。

 それほど古い公園ではないみたい。そのせいか、よく整備されたきれいな公園でした。

 広さは30.3ヘクタールもあって、約230種10万本の木々が植えられているらしい。

 公園の中には、平塚球場や平塚競技場、平塚総合体育館、温水プールなどがあります。

 公園の中を歩いていたら、イケメンのスポーツマンタイプのおに~さんたちとすれ違いました。

 即、彼らはただものではないと直感したんですよ。

 後で知ったのですが、ここは湘南ベルマーレの本拠地なんですか。そこの選手たちだったのかも。

 だけど、オイラは最近のスポーツ選手の名前を知らないんす。

 昭和40年代のプロ野球選手だったら、ほんどん顔と名前と背番号が一致するのに。

 そう悔やみつつ、ジェネレーションギャップの傷心を癒すために向かったのが、「ふれあい動物園」。

 38種約700頭の動物たちに出会える小動物園で、その名の通り、さまざまな動物たちとふれあえるのだそうな。

Ts360960

 ポニー乗馬コーナーは、小学生以下の子どもであれば1回100円で乗馬が可能なんですね~。

 他にもヤギ、ヒツジ、子ウシ、犬、ウサギ、モルモット、七面鳥、アヒル、ニワトリ、チャボ、ハムスター、ひよこなどの動物たちに触ったり、エサをあげたりすることができるとのことでした。

 動物は見るのはいいけれど、さわるのはちょっと怖いにゃ~と思ったので、最後にフィールドアスレチックのコーナーへ向かいました。

Ts360962

 ここも連休中だったので、子供たちで一杯。

 大きな広場には、面白そうなアスレチックの遊具がたくさん置かれていました。

 フィールドアスレチック大好き男としてはやってみたいけれども、子供に占領されていてやれないのが残念でした。

 誰も見ていなければ絶対やったでしょうね。

 今後は、中年用の遊具を是非、設置して欲しいっす。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »