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脳の働きについて 医師と女子高生の会話から

 こんにちは。

 脳卒中をテーマにした出版の件ですが、校正用の原稿ができあがりました~

 出版社さんから、オイラのところへ活字になった原稿が送られてきたのが19日。

 昨日の土曜は一日中外出していましたが、金曜日は一日中校正の作業を行っていました。

 出版社さんが細かな部分まで、ケアレスミスや言い回しを手直ししていただいたので、すごく作業が楽でした。

 さらに読みやすく、わかりやすくなったかも。

 途中から、校正のことは忘れ、一読者として原稿を読み耽ってしまうことに…。

 いつもはパソコンの画面で読んでいて、今まで紙に印字された脳卒中の本の原稿を読むことはなかったのですよ。

 ブログだと細切れになっていますが、通しで読むと流れがスムーズ。ギャグの部分がオイラ的には結構面白くて、ニタニタ笑いながら読んでいました。

 病気の解説はそれほどでもないのですが、ギャグに関してはわりと緻密な構成になっているのだと意外な発見が。

 手直ししようとすると、十数か所もあわせて修正しなければならない部分もあったのです。

 一時は、どちらに力をおいて書いたのだろうと自己嫌悪に陥りそうになりました。

 病気の本で笑えるというのも、あまり前例がないですからね。ただ、面白いというのは、オイラの個人的見解ですので念のため。

 ちなみに、本は、四六版ソフトカバー。

 と言っても、わかりにくいかもしれませんが、実用書としてもっともポピュラーな単行本となる予定です。

 ブログとの相違点は、まず縦書きになるということでしょうか。

 それから、AYAちゃんが彩ちゃんという漢字に変更になりました。これらを決定していただいたのは出版社の方たちです。

 「松戸あや」というネーミングは、もちろん「あやや」と「上戸彩ちゃん」をコラボしたものですが、できあがった初稿を見て、いつの間にかAYAちゃんが彩ちゃんになっていたのです。

 亜弥ちゃんという選択肢もあったのではないか、と…。

 実は、どちらかというとAYAちゃんは、上戸彩ちゃんのほうを意識してキャラを作っているのでこれで正解。

 残念ながら、島津亜矢ちゃんではありませんので念のため。

 原稿を何の先入観もなしに読んだら、やっぱり他の人も彩ちゃんをイメージしていたのかと、少し安心した気分になりました。

 亜弥ちゃんだったら、これほど当意即妙な応対にならず、口を尖らせ、「ふ~ん」とか間を空ける機会が増えそうですから。

 それはともかく、来週には脳外科医の先生に最終チェックをしてもらう予定です。

 カバーのデザインも近くできあがるそうなので、そちらも楽しみです。前例のない病気の本がもうすぐ出来上がりそう。

 今後とも、よろしくご指導いただければ幸いです。 


 …ということで、ブログの「脳の病気シリーズ」。

 前回は「脳こうそくの手術ってどんなことするの?」という話題を取り上げました。

 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に「心と体」のカテゴリの中にある前回、前々回の記事をお読みいただければ幸いです。

 今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。  
 
 前回、「脳こうそくの手術」について勉強したAYAちゃん。

 今までは脳卒中の治療編でしたが、今日から脳卒中のリハビリが話題になります。

 それでは…。


<脳卒中になっても体は元にもどりますか?  脳の働きについて>


● AYAちゃん「よーし。だんだん脳卒中のことがわかってきたぞ。脳卒中で倒れたら、先生みたいな脳の専門医のいる病院で診てもらえば、全然大丈夫なんですよね」


 また楽天的なこと言って…。患者さんにとっては、それからが大変なんだ。それに『全然大丈夫』っていうのも、変な言い方だし。


● AYAちゃん「そういうこと言ってると、おじさんって言われますよ。ところで、脳卒中がよくなってからが大変って、どういうことなんですか?」


 わかってないなぁ。何度も言うように、脳卒中は脳の血管の病気だよね。早い話、その血管が切れるか詰まるかして、つねに酸素と栄養を必要としている脳細胞にダメージを与えるんだ。ダメージを受けて死んでしまった脳細胞は生き返らないし、新しく増えることもない。と、すると…?


● AYAちゃん「うーん。脳っていろいろな部分で働きが違うんでしたよね。大脳の中の一部分が、見たり、聞いたり、話したり、臭いをかいだり、手足を動かしたりといった役割を受け持っているんでしたっけ。そうすると、脳卒中で脳の一部分が壊れてしまうと、その受け持っていた役割に支障がでるんですか」


 その通り、脳卒中の後遺症の問題だ。脳のどの部分の脳細胞にダメージを負ったか、またそのダメージの部分が大きいか小さいかによって症状が違ってくる。脳卒中の大変さは、こういった後遺症と多かれ少なかれ、一生付き合っていかなければいけないところにあるんだよ。


● AYAちゃん「それは大変だわ。一生ですものね」


 脳卒中の後遺症について話す前に、脳の各部分の働きを見ておこうか。脳は、図で見ると分かるとおり、大脳、間脳、小脳、脳幹の4つの部分からなっているんだ。


● AYAちゃん「脳幹は前に聞きましたね。確か、意識や呼吸などの生命中枢があるところだって」


 そう。脳幹は大きく分けて3つに分かれるんだけど、それぞれ目や顔を動かしたり、食べ物や飲み物を飲み込んだり、呼吸や発汗、排泄などの中枢神経があるんだ。したがってここがやられてしまうと、目や顔、舌の動きがおかしくなったり、意識障害が出たりする。重要な神経が狭いところに集中している部分だから、出血やこうそくが小さくても重症になることが多く、さまざまな障害が出るんだ。


● AYAちゃん「心臓が動いていても、ここが駄目になったらもう脳死なんですよね」


 そう。残念だけどもう回復の望みはない。それほど大切な部分なんだ。


● AYAちゃん「間脳と小脳って、どんな働きをしているんですか?」


 まず間脳から説明しようか。ここは感覚情報を中継して大脳へ送るとともに、自律神経やホルモンを出すシステムの中枢でもあるんだ。


● AYAちゃん「うーん、わかりにくいですねぇ。感覚情報って具体的にいうとどんなものがあるんですか?(目の前の缶コーラを飲んで、冷たさに顔をしかめるAYAちゃん)」


 ほらっ、その『冷たい』という感じだよ。ほかには、『熱い』とか『痛い』とか『おいしい』とかいう感じ。そのほかにも、触覚、視覚、聴覚などの感覚刺激があるね。


● AYAちゃん「なるほど、今、頭がキーンとしたとき、私の間脳から大脳へ『冷たい』という情報が伝わったんですね。それと、自律神経とホルモンは、私たちの体にどんな働きをしているんですか? (またコーラを一口飲む、AYAちゃん)」


 あんまりコーラばっかり飲んでると、太るよ。


● AYAちゃん「(ムカッ)いーじゃないですか、そんなこと、どーでも… (怒)」


 ほらっ、自律神経がおかしくなったのがその状態だよ。自律神経は、私たちの意思とは無関係に内臓や各器官の機能を調節している神経で、体のコンディションを整える働きをしているんだ。だけど精神的ストレスや病気などの理由で自律神経の働きが乱れると、血圧や体温の大きな変動といった自律神経失調症状が現れるんだ。今のAYA君みたいにね。


● AYAちゃん「なんだか胃が痛くなってきたわ」


 その症状もそうだね。それからホルモンも、自律神経とともに体の機能を調整しながら体内を常に一定の状態に保つ働きをしているんだ。体温や血圧、体液、睡眠などの調節がそれにあたる。ところで気分は大丈夫かい?


● AYAちゃん「私、立ち直りが早いですから。それじゃ、気分を変えて小脳の説明をお願いします」


( 途中ですが、約一ヵ月後に続きます )

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江戸東京たてもの園・小金井公園 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ここ最近、土曜日の午前中は、西武新宿線の沿線で仕事があるんですよ。せっかく来たのだからと先週の土曜日の午後、ウォーキングをすることにしたのです。

 さて、どこに行こうと地図を眺めていて目に留まったのが、小金井公園。

 オイラが会社勤めをしていた頃、この近くにグラウンドや研修施設があったので、友人たちとよく訪れた場所です。

 やたら広くて、見渡す限り芝生の広場と大木が林立するところというイメージがありました。

 でも、最近は「江戸東京たてもの園」ができて、江戸時代から昭和初期の建物が建ち並んでいるらしい。

 古い建物大好き人間としては、是非、再び訪れねばなりませぬ。

 …ということで仕事が終わるとすぐ、西武新宿線に乗って花小金井の駅へやってきました。

 駅前から公園までは、多摩湖自転車道が延びているそうなんですよ。

 自転車道といっても広いし、ウォーキングする人のためにも道が設けられているので、とても歩きやすい。

 道路の両側には大きな木が植えられて日陰が多く、休憩用のベンチが至るところに設けられているのは、このくそ暑い時期にはうれしいですね。

 ひたすら歩き続け、右手に深い森が見えてきたところが、小金井公園の端っこのほうですか。

 オイラは緑道口から中に入ります。

 それにしても、公園の中は相変わらず広い。

 広さは、なんと77ヘクタール。同じ都立公園でも、日比谷公園の4.7倍、上野公園の1.4倍もあるとか。

 もとは、昭和15年の紀元2600年記念事業で計画された小金井大緑地。そして、昭和29年小金井公園として開園したらしい。

 もちろん日比谷公園や上野公園より新しい公園なのですな。サラリーマンやOLが昼休みに弁当を食べていないし、池にボートもない。少々の家族連れがやって来ても、軽く収容しきれてしまう所がこの公園の魅力かもしれませぬ。

Ts361192

 広々とした草地、そしてそれを取り巻く雑木林は、砧公園をよりグレードアップした感じ。園内に置かれていた「樹木ウォーキングマップ」がなかったら完全に迷っていたでしょうね。

 それぞれの草地には、ゆりの木広場やユーカリ広場、いこいの広場などのネーミングがつけられておりました。

 子どもの広場にはさまざまな遊具施設が並び、ソリゲレンデでは子供たちが人工芝の丘からソリで滑り降りています。

Ts361193

  ドッグランやバードサンクチュアリーなど、たてもの園に入る前にちょっと寄り道しようかと思ったのですが、寄り道で終わらなくなってしまいました。

 とにかく広い。公園を一通り回ろうと思ったら、一時間ではきついかも。

 かなり疲れきった状態で、小金井公園の西にある江戸東京たてもの園の入り口に立ったのが、午後2時。

Ts361241

 オイラが以前来たとき、この建物は「武蔵野郷土資料館」と言われていました。今はビジターセンターと呼ばれているのだとか。

 この一見格調のある建物は、それもそのはず、旧光華殿といって昭和15年に、紀元2600年の記念式典用に皇居前に建てられた式殿であったそうな。

 一般の入場料400円を支払って中に入ると、旧石器時代から江戸時代までの考古資料、歴史資料の展示室がありました。

 一通り眺めてからいよいよ今日のメインイベント、屋外展示コーナーへ。

 エントランス広場では、広い園内をまわって疲れきった人々がグロッキー状態で座っています。

 その間を縫い、まず目の前にある比較的新しい建物から見学することにしました。

 まず入ったのが、「田園調布の家」。

Ts361197

  前回のブログで紹介した田園調布の草創期は、こんな家が建っていたのですね。

 平屋の洋風建築ですが、居間を中心に食堂や寝室、書斎が配置されてとても使いやすそう。

 和室と洋間の折衷の「文化住宅」と違って、全室洋間なのもハイカラですね~。

 隣に立っているのが、建築家の前川國男邸。

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 切妻屋根のモダンな建物ですが、戦時中に建てられたというから驚きです。書斎の開放感いっぱいの窓がいいですな。

 そのまた隣の小出邸は、不思議な外観。

Ts361201

 ヨーロッパで流行していたデザインと日本の伝統的な造詣を折衷した造りだそうですが、オイラには、建物とピラミッドを融合したように見えるのですが。

 でも、いろいろ回った中で、一番住みやすそうな家でした。

 一見、昔のホテルのようにも見えるこの建物は、「常盤台写真場」。

Ts361206

 いわゆる写真館なのですな。

 2階がスタジオみたいになっていて、天井や側面の窓から日が一杯に入って明るいのが印象的でした。

 当時は照明設備が発達していないので、太陽光を最大限取り込もうとしたのでしょうね。

 一階の住宅部分は、和室が多く、そのアンバランスなところも興味深かったです。

 「常盤台写真場」の向かいにある豪壮な日本建築はどちらのお宅?と思ったら、なんとあの財閥三井家の邸宅なのでした。

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 昭和27年に建てられたそうですが、客間と食堂は京都にあった建物を移築したそうですね。当時はもっと広かったのでしょうが、家具やシャンデリアなどの設備は、さすが三井家だと思いました。

 でも、二階のご当主と奥様のお部屋はそれぞれ六畳間。ご当主は、和室にベッドでお休みになっていたそうですが、なんとも狭そうな雰囲気でした。

 広いからゴージャスという訳ではないと思いますけど、奥様の趣味の部屋が二畳ですからね。

 狭いと落ち着くのは、貧乏なオイラにも納得できますが、そのココロはどうなのかわかりませぬ。

 新しめの家を見た後、江戸時代の家屋をまわりました。

 八王子千人同心組頭の家、農家の綱島家と吉野家の江戸時代の民家。土間と座敷がある基本的な間取りは、どこも大差はないみたい。

 最初、「吉野家」と聞いて腹が減っていたオイラは喜んだのですが、牛丼も豚丼も売っていませんでした。

 「山の手通り」と呼ばれるメインロードをテクテク歩き、たてもの園のセンターゾーンと東ゾーンに向かいます。

 センターゾーンには、尾張徳川家の正室が将軍家光の側室であった母を供養するため建立した「旧自証院霊屋」がありました。

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 東照宮みたいな彫刻がすごかったです。

 そしてそのはす向かいにあるのが、たてもの園の顔とも言える「高橋是清邸」。

Ts361211

 赤坂で今は公園になっている場所に建っていた建物ですね。

 高橋是清といえば、日銀総裁から大蔵大臣、総理大臣も勤めた政治家として有名です。「だるま宰相」として人気もあったとか。

 ところが、2・26事件で、軍部の青年将校たちに暗殺されたのでした。

 その暗殺の舞台になったのが、この家。

 二階には今も、当時の部屋が残っています。中に入ったとき、歴史の舞台に立ったような重みを感じました。

 家を出て、赤坂の自宅の庭園を復元した庭を歩くと、豪壮な門がある。

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 どこから見ても、江戸時代の大名屋敷の門ですが、大正時代に作られたものらしい。

 旧宇和島藩伊達家が、東京に建てた屋敷の表門として利用されたものだとか。

 そこからまた歩き、東ゾーンへ。

 東ゾーンは、昔の商家、銭湯、居酒屋などが建ち並び、なんとなく懐かしい気分に誘ってくれます。

 建物の前面を銅板で覆ったお店を昔はたまに見かけたものですが、それは「看板建築」と呼ばれるらしい。

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 緑青の浮き出た感じがなんとも趣がありますね。

 それから、板張りの家の商店。

 その少し黒味がかったやわらかな色調が、下町の人情を感じさせたりして。

Ts361221

 一軒だけなら、ウォーキングをしていて今でも街中に見かけますが、一そろいであるというのは、東京ではこうした展示施設の中だけかも。

 昔は、赤土がむき出しになった空き地がところどころ都内にもあって、こんな土管が置かれたりしていました。

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 初期のオバQやパーマン、ドラエモンの漫画ではこんな空き地のシーンがあったような気がします。

 こんな下町の通りの突き当たりに、銭湯がどっしりかまえてありました。

 これは、かつて足立区にあった「子宝湯」。

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 中にも入れて、当時の銭湯に思いをはせました。

 当時から残る番台。

 男湯と女湯の間の仕切りが意外と低いんですよ。

Ts361229

 オイラは無理だけど、ジャイアント馬場だったら、立っているだけで向こう側が覗けそう。

 背の高さだけで、迷惑条例か軽犯罪法に違反するのは何とも気の毒ですね。

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田園調布 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今日は、大田区シリーズ3回目。東京のみならず日本が誇る高級住宅地、田園調布っす。

 星セント・ルイスの「田園調布に家が建つ」というネタも一世を風靡しましたね。

 そのネタだけで、星セント・ルイスが田園調布に家が建ったかどうかさだかではありませんが…。

 実は、オイラのうちはなんと、その田園調布を通過する沿線にあるのですよ。乗車時間にして10分ほど。

 なのに、田園調布とオイラの住む町との間には、グランドキャニオンの大渓谷かマリアナ海溝か、というくらい深い精神的な溝があったりする。

 そもそも、田園調布に知り合いなど一人もおらんし。

 感覚的には、ヨーロッパの格式ある小国に感じられるのですが。

 ということで今日は、その近くて遠い国、田園調布近郊を旅してみたいと思いまする。

 ウォーキングのスタートは、東急線の田園調布駅。

 今は、地下駅となっていますが、昔はこの瀟洒な駅舎が田園調布のシンボルのひとつでしたね。

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  この街の起こりは、1924年に田園都市会社が「田園都市多摩川台」として分譲を始めたことによるのだとか。

 イギリスの田園都市構想を参考に近代的に開発された住宅地を作ろうと提唱したのは、明治財界の大御所、渋沢栄一。

 その息子の渋沢秀雄が、都市計画と設計を担当して今日の田園調布の基盤ができたのですね~。

 確かに、昔の駅舎は、英国の田園風景に似合いそう。オイラが子供の頃は、へんてこりんな駅だな、というくらいの認識でした。

 田園調布の街の特徴といえば、まず駅の西側に放射状にのびる並木道。その扇形をよぎる円環状の道路によって区画整理された町並みでしょうか。

 並木道には、イチョウの古木が日をさえぎって、いかにも高級住宅地としての落ち着きが感じられますな。

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 ところが、そのセレブなたたずまいが、オイラにとっては、誠に精神衛生上良くないのでした。

 王様の舞踏会に紛れ込んでしまったシンデレラのごとく、落ち着かずあたりをキョロキョロ。駅前の交番の前を通るときは、不審者として職務質問されないかとビクビクする羽目に。

 それでも、迷宮にまぎれこんでしまったインディー・ジョーンズのように勇気を奮って宝来公園へ向かう坂道を登ります。

 さすが屈指の高級住宅街だけあって、どの家も小学校の体育館並みの敷地面積がありそう。

 あとで田園調布に住んでいる人たちをネットで検索してみたんですよ。

 まず有名なのは、長嶋茂雄氏。それからなぜか、楽天の野村監督も同じ町内にお住みなのですか。

 仲が悪いと評判なのに、なんか、意外っす。

 とすれば、もちろんサッチーも?

 それから、石原都知事に中井貴一、五木ひろし、小林よしのりなどもお住まいになっていらっしゃるのだとか。

 小林よしのりが「東大一直線」でデビューしたときは、田園調布に住むような大物になるなんて思いもしなかったです。

 そして、今をときめく有名人の、折口雅博グッドウィル・グループ会長もお住まいなのですか。

 田園調布にコブラがいたとは…。

 そんな、大金持ちに対するビンボー人の僻み根性まるだしで歩きました。

 歩いていると、大豪邸から、お嬢様が一人二人とお出ましになります。学生さんですかねぇ。

 白鳥麗子さんみたいな格好かと思いきや、皆さんジーンズにTシャツといったラフなお姿が意外でした。

 これでは、街中にまぎれてしまうとお金持ちか、そうでない人か、見分けるのが難しいかも。

 ユニクロのジーンズとポロシャツのオイラでも、素人にはわからないぞと一瞬胸を張ったオイラですが、さすがにバッグはブランド物なのですね。

 バッグもユニクロのオイラとしては、その違いが大名と長屋住まいの浪人のような隔たりに感じたのでした。

 でも実際歩いてみると、この田園調布。

 起伏が結構あるし、駅前にささやかにある商店を除けば、買い物ができる場所がほとんどない。

 お屋敷の前には、さすがに飲料の自販機も置いてありませぬ。

 行った日は直射日光がすごかったし、ペットボトルのお茶を持っていなかったら、脱水症状を起して倒れたかもしれません。

 野垂れ死にしたら、なぜ、田園調布に縁もゆかりもない男がここにいたのか、と新聞記事になりそう。身辺調査も行われたりして。

 田園調布は意外と住みにくいのではないかと思いました。もちろんオイラの僻みですけど…。

 それに歩いていて気付いたのですが、意外と電線が多い。

Ts361130

 一説によると、「電線調布」という異名もあるのだとか。

 電線が多いのは、東京では珍しくないのですが、道幅が割と広いし、それぞれのお屋敷の敷地面積が広いので余計目立つのですな。

 うちの近所は、小さな家が建て込んでいるので、あまり上を見ることがない。だから電線のことを意識しないで歩けるメリットがある。

 それに、モロ下町風情なのもなかなか住みやすいものですよ。

 商店街がどこまでも長く続き、5店舗以上あるスーパーが価格競争にしのぎを削る。コンビニも過当競争で出店しては潰れる状態。駅を降り立つと、パチンコ屋や雀荘のティッシュ攻撃で、ポケットティッシュを買ったことは一度もない。

 100円ショップまで過当競争だから、貧乏でもどうにか生きていけるのです。

 そんな神をも恐れぬ対抗意識を燃やしながら最初の目的地、宝来公園に到着。

 この公園は、田園調布を開発する際に、都市計画の一環として整備されたのだとか。

 小学校当時から何度も来たことがありますが、樹木が多く起伏に富んだ変化が楽しめますね。ちょっと麻布にある有栖川公園に似ている雰囲気。

 宝来公園からさらに坂道を登ると、多摩川台公園に着きます。

 ここの中には、「田園調布古墳群」と呼ばれる都内有数の古墳群があるのでした。

Ts361144

 古墳の大きさで言うと、一位が以前ブログで紹介した芝丸山古墳。

 しかし、2位、3位、5位がここにあることから考えると、古代ではこのあたりが今の都心より栄えていたのかも、と思えるのです。

 西北端にある3位の宝莱山古墳は、「前方部」が削られて現在は「後円」の部分しか残っていないのが残念。

 でも、2位の全長107m亀甲山古墳は国の史跡で、保存状態は良好。二つの大きな前方後円墳の間に、小さな古墳が直線上に並んだ景観もなかなか興味深いです。

 公園の中には古墳展示室もあって、多摩川台古墳群より出土した人や動物の埴輪、刀剣、ガラス小玉などのレプリカが展示されていました。

 この多摩川台公園は、オイラが小学校のとき、写生大会で来た記憶があります。そして、ちょっと自慢入ってますが、入選して展覧会で飾られたことが…。

 そのとき描いた写生の場所はどこだったろうと探し回ってみました。

 たぶんここだったかも。

Ts361143

  当時はもう少し、見晴らしがよかったのですが…。

 写真の撮影場所は忘れても、絵に描いた場所は何十年たっても位置を覚えているのが意外でした。

 公園中には、水生植物園もありましたが、昔、古墳を削ってしまったあとにできているというところがちょっと複雑な心境です。

 でも、あじさいがきれいだし、まっいっか、と。

Ts361149

 東横線をはさんだ丘の上にあるのが、浅間神社。

Ts361154

  北条政子が、信仰する富士浅間神社に、夫である源頼朝の武運長久を祈り、この地に持仏の観音像をまつったのが、この神社の始まりとか。

 実はなんと、この高台もまた全長60メートルの前方後円墳だったらしい。

 改築の際、5世紀末から6世紀前半にかけての人物埴輪や動物埴輪などが出土したそうな。

 結構、古墳の上に神社を作ることって多いですね。

 近くにある東急多摩川駅は、昔は「多摩川園駅」といって、小さな遊園地が駅前にありました。

 子供時代、よく連れて行ってもらって遊んだ記憶がありますが、やがて閉鎖になりテニスコートになったのです。

 ところが今回行ってみると、テニスコートもなくなって、公園になっていました。

 飛行塔やメリーゴーランド、お化け屋敷、ジェットコースターのあった場所が原っぱに。

Ts361159

 当時のことを思い出して、ノスタルジックな気分になりながら、園内をめぐりました。

 ここに昔、大勢の家族連れが集まって大盛況だったなんて夢のよう。兵どもが夢のあとと詠った芭蕉の気分です。

 中原街道の下のトンネルを抜け、六郷用水が脇を流れる道を歩きます。

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  六郷用水は、江戸時代初期にできた用水路で、今の狛江市から世田谷区、大田区へ至るとか。おもに農業用の水をこの地区に供給したらしい。

 かなり整備されて当時とは変わっているのだと思いますが、それはそれでなかなかの景観。鯉がゆったりと泳いでいる様子は、昔行った郡上八幡の町を思い出しました。

 この小道沿いには、東光院や密蔵院といった趣のあるお寺が続きます。

 最後に向かったのは、鵜の木公園。

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 この公園は始めて行ったのですが、都内とは思えない景観が楽しめました。

 松が植えられている小高い芝生の広場からの眺めがなかなかよかったですよ。

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多摩川・六郷~梅屋敷 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今日は大田区シリーズの2回目。

 近場といっても東京は広いし、高層ビルだけじゃなく、なかなか趣のある場所も多いっす。

 先日、新しく買ったウォーキングガイド「東京さわやか散歩3」は、一度行ったことのある場所も、知る人ぞ知る観光スポットが隠れていることを気づかせてくれました。

 その本をパラパラと眺めていて、目に留まったのが東京の最南部、六郷と言われる場所です。

 多摩川をはさんで、向こう岸はもう神奈川県川崎市。

 オイラにとって、ほろずっぱい、ノスタルジックな響きのある場所なのです。

 もう5年近くも意図的に行っていないのですが、いずれその話題も書かなきゃいけない日がくるのかどうか。

 それはともかく、ちょこっと変わった景色に出会えるのではないかと、六郷を訪れてみることにしました。

 ウォーキングの基点は、JR蒲田駅です。

 ガイドブックは、京急線の雑色駅でしたが、こちらのほうが家から安く行ける。

 なるべく電車に乗らず、行けるところまで歩くというのがオイラの方式なのですね~。

 蒲田といえば、手芸用品などで有名な「ユザワヤ」とその独特な紙袋を思い浮かべる人は多いと思いますが、オイラは映画で見た「蒲田行進曲」でしょうか。

 昔、駅のそぱに「松竹キネマ蒲田撮影所」があったそうな。

 と言っても、オイラが生まれる前の大正9年から昭和11年までの17年間だったそうですが…。

 当時の様子を現在に伝えるものはほとんど残っていないですが、「キネマ通り商店街」というネーミングやJR蒲田駅のプラットホームでは「蒲田行進曲」のテーマが今も流れております。

 さて、駅前にある大田区役所の近代的なビルを横目に、雑色駅を目指します。

 途中、かつて松竹キネマ蒲田撮影所があったというアロマスクエアを通りました。

 地上18階の巨大なビルと地上5階の大田区民ホール「アプリコ」からなる複合施設で、映画の汗と涙の世界からは見事に隔絶されておりました。

 環八通りを越え、仲六郷商店街をひたすら南下します。

 この商店街は、古きよき時代であった昭和を感じさせ、うれしくなりますね~。

 お昼ちかくになっていたので、腹ごしらえをしようと思ったら、どこにもファストフードのチェーン店がな~い。

 駅前のハンバーガーショップではカロリーが心配。やせるために、ウォーキングする意味がなくなってしまう。

 仕方なくコンビニで、パンとウーロン茶を買いました。

 昭和が良いといいながら、ファストフードがないと生きてゆけないのでは、どうしようもないっす。

 コンビニの袋を抱え、雑色の商店街を歩き、東海道本線の踏切を越えて、西六郷地区に入りました。

 昨日までの悪天候が嘘のように青空が広がります。

 これもまた懐かしい風景だなあと思い、理由を考えてみたら高層ビルがひとつもない場所だということに気づきました。

 3階建て以上の建物がない場所って、こんなに空が広く、美しく見えるものなのですね。

 昭和の空は皆、こうだったなと子供時代を思い出しました。

 どんどん歩き、多摩川にぷつかる手前にあるお寺が、安養寺。

Ts361087

 この寺は、なんと和銅(710)年、行基が三尊像を安置したのが始まりだとか。そんな古い時代から、この地区は人が暮らしていたのですね。

 多摩川の恵みが受けられることから、意外と現在の都心部より開けていたのかもしれませぬ。

 多摩川の土手にあがってみると、緑あふれる素晴らしい眺め。

Ts361092

 でも、日陰がどこにもないっす。

 紫外線攻撃をモロに受け、撤退しました。日陰を探しつつ、次の目的地に向かいます。

 宝憧院は、鎌倉時代に創建された古寺ですが、本堂がモダンな現代建築。ステンドグラスみたいな部分もありましたが、妙にしっくり周りの雰囲気にあっていたので少し驚きました。

 神社仏閣は、昔ながらの木造建築が好みですが、こういう建物もまたあってよいのではないか、と。

 近くの公園で、パンとウーロン茶で昼食をとったのですが、ベンチから見える青空もまた広くて、美しくて、こちらも最高のごちそう。

 近代的なビルに囲まれた都心のオープンカフェテラスも悪くないけれど、空を独り占めできるような壮大な感覚はそう経験できないかもしれませんね。

 エネルギーをチャージして、再び多摩川の河川敷目指して歩きます。

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 東海道線と京浜急行が並んで走る鉄橋と緑あふれる河川敷、そして対岸の川崎の高層ビル群の対比がまた絶妙。

 ここでは、色の対比がより鮮明で、印象的な光景でした。

 鉄橋の下を二本くぐりましたが、京浜急行の鉄橋の下は、運動会の障害物競走のような感じの高さ。

 快速特急が轟音を響かせながら、過ぎ去る迫力を満喫しました。

 八大将軍吉宗の落馬を止めたという故事から、「止め天神」とも言われる北野天神は鉄橋のそばにひっそりとあります。

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 道路をはさんで、旧六郷橋の鉄橋アーチが保存されていました。

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 なんか存在感のあるその姿にしばし見とれてしまいました。

 第一京浜国道の下をくぐり抜け、多摩川六郷橋緑地の土手の上を歩きます。日差しが痛いほど照りつけるのに、日陰がまったくない。

 一気に顔と手が真っ赤に日焼けするのが実感できます。

 土手から降り、団地やマンションの日陰を求めながら向かったのが、六郷神社。

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 ここは、1057年に、源頼義、義家親子が奥州征伐に向かうとき、杉の古木に白旗をかけて戦勝祈願したのが始まりらしい。

 そういえば、足立区にも似たような来歴の神社がありましたね。

 ほかにも、都内を歩いていると、その親子の故事をいくつか聞いた記憶があります。

 千年近くたっても、いまだに神社や故事が残っているとは、当時はよほどの大事件だったのでしょう。

 今の時代で、千年後も残るような事件はあるのだろうかとしばし考えてしまいました。

 六郷神社には、江戸時代初期に作られたユーモラスな顔の狛犬もあります。

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 これは、わざとこういう形に作ったのか、はたまた一生懸命作ったのに、こういう顔になってしまったのか。

 眠れなくなるので、深く考えないことにしました。

 また、この小さな太鼓橋は、前回登場した梶原景時が寄進したものだとか。

 またしても、中尾彬の面影が浮かびましたが、信心深い人物だったのは間違いないみたい。

 六郷神社から再び、焼け付くような多摩川の土手に戻り、ひたすら下流に向かって歩くと、六郷水門がありました。

 この水門の存在ははじめて知ったのですが、なかなか堂々たる建造物でした。

 Ts361111

 昭和6年に、大雨のときなどに多摩川の水が逆流して浸水する被害を防止するために作られたのだとか。

 水門のまわりでは、おじさんたちが魚釣りを楽しんでいました。

 六郷水門から、住宅街を歩き、七つの寺が集まっている寺町に向かいます。

 ここは、関東大震災後に築地から移転してきた寺が集まっている地域。

 世田谷にも、練馬のほうにも、同じような理由で都心から移った寺が多いですね。

 江戸時代の都心部は、今よりずっと寺が多かったのかもしれませぬ。

 そんなことを考えつつ、日の出銀座商店街を抜け、環七通りを越え、新呑川にかかる天神橋を渡り、第一京浜国道へ。

 国道沿いにあるのが、聖蹟梅屋敷公園。

 「聖蹟」というのは、明治天皇や大正天皇が訪れたことに由来するもの。

 徳川将軍も訪れたり、近くの京急線の「梅屋敷」駅の由来にもなったり、由緒ある公園ですが、実はその辺の児童公園くらいの広さしかない。

 江戸時代後期に、薬の販売で財を成した人物がひらいた庭園なので、当時は広大だったのだと思います。

 梅屋敷というくらいなので、今も梅の木が植えられていました。

 公園よりも、オイラの心のビビビときたのが、国道をはさんで正面に立つ特徴的な建物。

Ts361114

 これは、大田区立体育館じゃないっすか。

 昔は、よくここでプロレスの試合が行われたのですね~。

 一昔前のプロレス誌を見ると、数々の名勝負が行われていたのがわかるかも。

 今もやっているのでしょうか。

 かなり老朽化しているようだけれど、頑張って欲しいものです。

 最後に向かったのが、稗田神社。

Ts361120

 社殿は最近できたみたいですが、石造りの鳥居は1800年に作られた区内でもっとも古いものだとか。

 それほど広くはない境内からは、1500年前の土器が発見されたらしい。

 今はたんなる住宅地ですが、当時は先進的な場所でもあったのでしょうね。

 うちに帰って風呂に入ったら、半袖シャツを着ていた部分と二の腕部分の日焼けのコントラストが見事でした。

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