田園調布 ウォーキングストーリー
こんにちは。
今日は、大田区シリーズ3回目。東京のみならず日本が誇る高級住宅地、田園調布っす。
星セント・ルイスの「田園調布に家が建つ」というネタも一世を風靡しましたね。
そのネタだけで、星セント・ルイスが田園調布に家が建ったかどうかさだかではありませんが…。
実は、オイラのうちはなんと、その田園調布を通過する沿線にあるのですよ。乗車時間にして10分ほど。
なのに、田園調布とオイラの住む町との間には、グランドキャニオンの大渓谷かマリアナ海溝か、というくらい深い精神的な溝があったりする。
そもそも、田園調布に知り合いなど一人もおらんし。
感覚的には、ヨーロッパの格式ある小国に感じられるのですが。
ということで今日は、その近くて遠い国、田園調布近郊を旅してみたいと思いまする。
ウォーキングのスタートは、東急線の田園調布駅。
今は、地下駅となっていますが、昔はこの瀟洒な駅舎が田園調布のシンボルのひとつでしたね。

この街の起こりは、1924年に田園都市会社が「田園都市多摩川台」として分譲を始めたことによるのだとか。
イギリスの田園都市構想を参考に近代的に開発された住宅地を作ろうと提唱したのは、明治財界の大御所、渋沢栄一。
その息子の渋沢秀雄が、都市計画と設計を担当して今日の田園調布の基盤ができたのですね~。
確かに、昔の駅舎は、英国の田園風景に似合いそう。オイラが子供の頃は、へんてこりんな駅だな、というくらいの認識でした。
田園調布の街の特徴といえば、まず駅の西側に放射状にのびる並木道。その扇形をよぎる円環状の道路によって区画整理された町並みでしょうか。
並木道には、イチョウの古木が日をさえぎって、いかにも高級住宅地としての落ち着きが感じられますな。
ところが、そのセレブなたたずまいが、オイラにとっては、誠に精神衛生上良くないのでした。
王様の舞踏会に紛れ込んでしまったシンデレラのごとく、落ち着かずあたりをキョロキョロ。駅前の交番の前を通るときは、不審者として職務質問されないかとビクビクする羽目に。
それでも、迷宮にまぎれこんでしまったインディー・ジョーンズのように勇気を奮って宝来公園へ向かう坂道を登ります。
さすが屈指の高級住宅街だけあって、どの家も小学校の体育館並みの敷地面積がありそう。
あとで田園調布に住んでいる人たちをネットで検索してみたんですよ。
まず有名なのは、長嶋茂雄氏。それからなぜか、楽天の野村監督も同じ町内にお住みなのですか。
仲が悪いと評判なのに、なんか、意外っす。
とすれば、もちろんサッチーも?
それから、石原都知事に中井貴一、五木ひろし、小林よしのりなどもお住まいになっていらっしゃるのだとか。
小林よしのりが「東大一直線」でデビューしたときは、田園調布に住むような大物になるなんて思いもしなかったです。
そして、今をときめく有名人の、折口雅博グッドウィル・グループ会長もお住まいなのですか。
田園調布にコブラがいたとは…。
そんな、大金持ちに対するビンボー人の僻み根性まるだしで歩きました。
歩いていると、大豪邸から、お嬢様が一人二人とお出ましになります。学生さんですかねぇ。
白鳥麗子さんみたいな格好かと思いきや、皆さんジーンズにTシャツといったラフなお姿が意外でした。
これでは、街中にまぎれてしまうとお金持ちか、そうでない人か、見分けるのが難しいかも。
ユニクロのジーンズとポロシャツのオイラでも、素人にはわからないぞと一瞬胸を張ったオイラですが、さすがにバッグはブランド物なのですね。
バッグもユニクロのオイラとしては、その違いが大名と長屋住まいの浪人のような隔たりに感じたのでした。
でも実際歩いてみると、この田園調布。
起伏が結構あるし、駅前にささやかにある商店を除けば、買い物ができる場所がほとんどない。
お屋敷の前には、さすがに飲料の自販機も置いてありませぬ。
行った日は直射日光がすごかったし、ペットボトルのお茶を持っていなかったら、脱水症状を起して倒れたかもしれません。
野垂れ死にしたら、なぜ、田園調布に縁もゆかりもない男がここにいたのか、と新聞記事になりそう。身辺調査も行われたりして。
田園調布は意外と住みにくいのではないかと思いました。もちろんオイラの僻みですけど…。
それに歩いていて気付いたのですが、意外と電線が多い。
一説によると、「電線調布」という異名もあるのだとか。
電線が多いのは、東京では珍しくないのですが、道幅が割と広いし、それぞれのお屋敷の敷地面積が広いので余計目立つのですな。
うちの近所は、小さな家が建て込んでいるので、あまり上を見ることがない。だから電線のことを意識しないで歩けるメリットがある。
それに、モロ下町風情なのもなかなか住みやすいものですよ。
商店街がどこまでも長く続き、5店舗以上あるスーパーが価格競争にしのぎを削る。コンビニも過当競争で出店しては潰れる状態。駅を降り立つと、パチンコ屋や雀荘のティッシュ攻撃で、ポケットティッシュを買ったことは一度もない。
100円ショップまで過当競争だから、貧乏でもどうにか生きていけるのです。
そんな神をも恐れぬ対抗意識を燃やしながら最初の目的地、宝来公園に到着。
この公園は、田園調布を開発する際に、都市計画の一環として整備されたのだとか。
小学校当時から何度も来たことがありますが、樹木が多く起伏に富んだ変化が楽しめますね。ちょっと麻布にある有栖川公園に似ている雰囲気。
宝来公園からさらに坂道を登ると、多摩川台公園に着きます。
ここの中には、「田園調布古墳群」と呼ばれる都内有数の古墳群があるのでした。
古墳の大きさで言うと、一位が以前ブログで紹介した芝丸山古墳。
しかし、2位、3位、5位がここにあることから考えると、古代ではこのあたりが今の都心より栄えていたのかも、と思えるのです。
西北端にある3位の宝莱山古墳は、「前方部」が削られて現在は「後円」の部分しか残っていないのが残念。
でも、2位の全長107m亀甲山古墳は国の史跡で、保存状態は良好。二つの大きな前方後円墳の間に、小さな古墳が直線上に並んだ景観もなかなか興味深いです。
公園の中には古墳展示室もあって、多摩川台古墳群より出土した人や動物の埴輪、刀剣、ガラス小玉などのレプリカが展示されていました。
この多摩川台公園は、オイラが小学校のとき、写生大会で来た記憶があります。そして、ちょっと自慢入ってますが、入選して展覧会で飾られたことが…。
そのとき描いた写生の場所はどこだったろうと探し回ってみました。
たぶんここだったかも。
当時はもう少し、見晴らしがよかったのですが…。
写真の撮影場所は忘れても、絵に描いた場所は何十年たっても位置を覚えているのが意外でした。
公園中には、水生植物園もありましたが、昔、古墳を削ってしまったあとにできているというところがちょっと複雑な心境です。
でも、あじさいがきれいだし、まっいっか、と。
東横線をはさんだ丘の上にあるのが、浅間神社。

北条政子が、信仰する富士浅間神社に、夫である源頼朝の武運長久を祈り、この地に持仏の観音像をまつったのが、この神社の始まりとか。
実はなんと、この高台もまた全長60メートルの前方後円墳だったらしい。
改築の際、5世紀末から6世紀前半にかけての人物埴輪や動物埴輪などが出土したそうな。
結構、古墳の上に神社を作ることって多いですね。
近くにある東急多摩川駅は、昔は「多摩川園駅」といって、小さな遊園地が駅前にありました。
子供時代、よく連れて行ってもらって遊んだ記憶がありますが、やがて閉鎖になりテニスコートになったのです。
ところが今回行ってみると、テニスコートもなくなって、公園になっていました。
飛行塔やメリーゴーランド、お化け屋敷、ジェットコースターのあった場所が原っぱに。
当時のことを思い出して、ノスタルジックな気分になりながら、園内をめぐりました。
ここに昔、大勢の家族連れが集まって大盛況だったなんて夢のよう。兵どもが夢のあとと詠った芭蕉の気分です。
中原街道の下のトンネルを抜け、六郷用水が脇を流れる道を歩きます。
六郷用水は、江戸時代初期にできた用水路で、今の狛江市から世田谷区、大田区へ至るとか。おもに農業用の水をこの地区に供給したらしい。
かなり整備されて当時とは変わっているのだと思いますが、それはそれでなかなかの景観。鯉がゆったりと泳いでいる様子は、昔行った郡上八幡の町を思い出しました。
この小道沿いには、東光院や密蔵院といった趣のあるお寺が続きます。
最後に向かったのは、鵜の木公園。
この公園は始めて行ったのですが、都内とは思えない景観が楽しめました。
松が植えられている小高い芝生の広場からの眺めがなかなかよかったですよ。
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