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脳卒中の本、来月発売!脳の働きって、何? 医師と女子高生の会話から

 こんにちは。

 出版が決定してから、いつ発売になるのか、著者であるオイラも先行き不透明だった脳卒中をテーマにした本。

 ようやく編集作業が終わり、現在、印刷所に原稿がまわったそうです。

 もしかして、来月には発売しちゃうかも。

 この猛暑の中、印刷所のおじさんたちが、額に汗を浮かべて印刷作業をしていただいていると思うと頭が下がります。

 それ以上に、最近夏バテ気味で、更新が青色吐息になっているオイラのブログを訪問してくださる皆様に感謝です。

 さて、本のタイトルですが、「世界一やさしい脳卒中にならないための本」と決定しました。

 実は、このタイトルはオイラが考えたのですが、なんとそのまま採用になってしまったのです。

 ちょっと長すぎてゴロが悪いかもしれませんが、脳卒中にならないためのノウハウをやさしく、わかりやすく、ときに楽しく、願いを込めたつもりです。

 実はここだけの話、あのベストセラー「病気にならない生き方」のタイトルを少々パクらせていただいたのですが…。

 本のカバーのデザイン案は、黄色と黄緑の背景でそれぞれ脳みそのイラストが描かれた2種類ありました。

 どっちに決まったのだろうと考える今日この頃。

 …というくらい自分の書いた本の情報には疎いのですが、発売の時期が決まりましたら真っ先にご報告させていただきます。 


 今日は久しぶりに、ブログのほうの「脳の病気シリーズ」。

 前回は「脳卒中になっても体は元にもどりますか?」という話題を取り上げました。

 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に「心と体」のカテゴリにある前回、前々回の記事をお読みいただければ幸いです。

 今日はその続きです。
 
 登場人物は、脳外科のベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。

 将来、看護師になることを夢見て、おじいさんの担当医師から脳卒中のことを勉強しているという設定でしたね。  
 
 前回、「脳のはたらき」について勉強したAYAちゃん。

 今日も引き続き、脳のはたらきが話題になります。

 それでは…。

● AYAちゃん「私、立ち直りが早いですから。それじゃ、気分を変えて小脳の説明をお願いします」


 さすが、B型。ところで小脳は平衡感覚を保ち、運動や動作の調整を行う働きをしているんだ。ここがやられてしまうとお酒に酔ったようにフラフラして、ちゃんと立ったり歩いたりすることができなくなってしまう。また手を思ったところへ持って行けないなどの症状が出るんだ。


● AYAちゃん「うーん。ここも人間にとって大切な働きをしているんですね。そしていよいよ真打ちの大脳の登場ですね」


 大脳はひと言でいえば、人間らしい精神活動を支配するところだね。図を見ながら説明しようか。大脳は左右2つの大脳半球に分かれている。それぞれ体の左側を左脳、右側を右脳というんだよ。


● AYAちゃん「よく左脳、右脳って言いますよね。確か芸術家は、右脳が発達した人が多いとか…」


 そう。左脳は左目と右半身の感覚や運動をコントロールしている。それに対して右脳は、右目と左半身のコントロールだね。左脳は『言語脳』とも言われ、『読む』『聞く』『話す』『書く』などの役割を担っている。右脳はこれに対して、『感覚脳』と言われ、『イメージ』『描く』『演奏する』『方向感覚』『直覚』などの役割を担っているんだ。


● AYAちゃん「右脳が芸術家タイプだとすれば、左脳はサラリーマンタイプなのかなぁ」


 そうとも言えるかもしれないね。左脳に『文字を書く』『話をする』といった言語中枢があるから、こちらに障害が起きれば話せなくなって右半身にまひが起きるケースが多い。ちなみに9割以上の人が右利きで、左脳が優位だと言えるね。


● AYAちゃん「人間の外見と違って、左脳と右脳は、見た目ではどちらが芸術家やサラリーマンかわからないですね」


 面白いこと言うなぁ。この図に見えるのは、大脳の表面をおおう大脳皮質の部分だよ。色は少し黄色を帯びた白で、硬さは豆腐より少し硬くて弾力性がある。百数十億と言われる神経細胞からできていて、多くのしわが刻まれているんだ。このしわは、神経細胞の表面積をより広くするためと言われているね。


● AYAちゃん「よく見ると脳の真上から真下へと、それから脳の前下から斜め後ろへ深い溝があるんですね。知らなかったな。それにしても結構メリハリのある形をしているんですね。これなら前と後ろを間違える心配がなくていいですよ」


 溝によく気がついたね。ちなみに大脳の真上から真下へ向かう溝を『中心溝』、前下から斜め後ろへ向かう溝を『外側裂』と言うんだ。脳はあまり外へ出して眺めるもんじゃないから、前と後ろの心配はしなくていいと思うけど。


● AYAちゃん「それならよかった。手術のとき迷わなければ。ところで大脳皮質の下はどうなっているんですか?」


 大脳皮質の内側には、難しい言葉で『大脳辺縁系』と呼ばれる部分がある。これは古皮質とも言って、生まれながらの本能と情動を扱うんだよ。たとえば、食欲や性欲などの本能的欲求、そして快適や不快、恐れや怒り、不安といった原始的な感覚だね。
 それから記憶に関する機能も扱っているんだ。その下の大脳の一番深いところにある『大脳基底核』には、運動や筋肉、関節の緊張状態を調節する機能があるんだけど、このあたりはちょっと難しいかな。


● AYAちゃん「これ以上難しくなると自律神経失調症になりますよ。お代官様、どうかここいらで、堪忍してやってくだせぇ」


 自律神経失調症なんて、難しい言葉を覚えているんだけどなぁ。まぁいいや、それじゃあ大脳皮質に戻ろうか。


● AYAちゃん「へい、ガッテンだ」


 さっき言ったように、大脳皮質は4つの部分に分かれている。大脳半球にある2本の深い溝で分ければ、中心溝から前の部分が『前頭葉』、その後ろの部分が『頭頂葉』、外側裂の下の部分が『側頭葉』、そして後頭部側が『後頭葉』だ。そこまではいいね。


● AYAちゃん「結構でござんす」


 ちょっと時代劇の見すぎだよ。さっき言ったように、大脳はその場所によって役割分担がはっきりしているんだ。たとえば前頭葉には、思考や理性、判断、創造などの中枢がある。だから頭の良し悪しは、前頭葉の働きに大きく影響されるね。


● AYAちゃん「じゃ、頭がいいと言うんじゃなくて、前頭葉がいいと言ったほうがいいんじゃないですか?」


 まぁ判断基準はいろいろあるから、その話は置いといて。それから側頭葉は、記憶と聴覚の中枢があるんだ。また、頭のてっぺんの頭頂葉は、痛みや熱さといった刺激を感じる皮膚感覚や関節、筋肉の動きを感知する知覚の中枢。そして後頭葉には、視覚の中枢があるんだよ。


● AYAちゃん「うーん。どれをとっても私たちの体になくてはならないものですね。脳卒中になって、これらの部分に障害をうければ、当然今聞いた働きに悪影響が出たり、まったくなくなったりしてしまうこともあるのか」

( 途中ですが、約一ヵ月後に続きます )

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池袋 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今回は、久々に都心を歩いてみたいと思いまする。

 人の多い場所はあまり好きではないのですが、都会の中にも閑静な心洗われる場所は意外と多いのですよ。

 たとえば、池袋とその周辺とか。

 池袋は、今や押しも押されもしない大都会。先日、ヤマダ電機の大型店舗が駅の近くに進出し、迎え撃つビックカメラと「池袋決戦」が行われているという注目の地域ですね。

Ts361417

 そんなあわただしい都会ですが、意外と池袋は歴史のある建築物や緑のオアシスもあるのですね~。

 今日はそんな池袋癒しスポットを中心に、ご紹介したいと思いました。

 ウォーキングのスタートは、池袋ではなく、目白駅。

 目白といえば、日本でもっとも高貴な大学と言っても過言ではない「学習院大学」。

 緑豊かなキャンパスは、ピラミッド校舎や血洗いの池など見所も多いのですが、今日はパス。

 改札を出て、住宅街を歩き、「目白庭園」に向かいます。

Ts361364

 築地塀に囲まれた回遊式庭園で、2800平方メートルというから、庭園としてはそれほど広くない。

 でも、よく整備されていてグッドな景観が味わえます。

 ここは、元公立学校共済組合住宅で、平成2年11月に開園されたのだとか。

 そういえば、開園されたとき、テレビ番組で紹介されていたのを覚えています。

 人工的に作られた滝から、池に水が流れ込み、鴨の親子が気持ち良さそうに浮かんでおりました。

 庭園を出て踏み切りを渡り、少し歩くと、「上がり屋敷公園」。

 上がり屋敷とは、何ともいわくがありそうな名前ですが、この地域は江戸時代将軍家の狩場だったのだとか。

 将軍様の休憩所が上がり屋敷と呼ばれたのがその由来なのですね。

 もっとも、公園は立派なイチョウの木があるほかは、何の変哲もない児童公園でしたが。

 次に向かったのは、なんとあの有名な建築家ライトの設計した自由学園明日館。

Ts361375

 「あしたかん」ではなく、「みょうにちかん」と読むのだそうな。

 ライトは明、治村にある旧帝国ホテルを設計したことで知られていますね。

 大正11年に建てられたモダンな建築物ですが、当初は自由学園の校舎として使われていたらしい。

 ちなみに自由学園は、婦人之友社を設立した羽仁吉一、もと子夫妻によって、女学校として創立されたのだとか。

 現在、東久留米市に広大なキャンパスのある自由学園は、創立当初はここにあったのですね。

 ホールや食堂、教室は、当時の学校からしたら、とても斬新なのがわかります。今でも、こんな学校で勉強できたら楽しそう。

 食堂が広くて、しかも外光をたくみに取り入れて素晴らしい。お金持ちの広々とした別荘という感じ。

 この建物が、国の重要文化財だというのも納得できました。

 次の目的地へ向かう道の途中に、児童文学者の坪田譲治の旧宅があります。

 名前は有名ですが、どんな作品を書いた人なのかわかりませんが。

 池袋駅西口の広い通り沿いにあるのが、勤労福祉会館。

 その七階に、豊島区立郷土博物館があるのですね~。

 ちなみにここは無料。

 他の区の郷土博物館と同じように、豊島区の歴史や民俗資料が展示してあるのですな。

 まず、池袋ヤミ市のジオラマ。戦後、戦災の焼け跡に、バラック建てで露店が作られたのですね。

 こんな掘っ立て小屋が並ぶ焼け跡が、今の池袋駅前のビル群に生まれ変わったと思うと、人間の力のすごさが改めて感じられました。

 当時の人たちが、今の景観を予想することはできなかったのでは。

 それから、力を入れて展示されていたのが、「長崎アトリエ村」。

 1930年代に、豊島区の西部の旧長崎町を中心に、美術家向けの借家群、アトリエ村ができたのですね。

 こちらも当時のアトリエ住宅の模型がありましたが、あまりに極端な家だということがわかりました。

 アトリエが、十二畳もあるのに、居住部分が四畳半一間だったり。

 当時の若い画家は、それくらいの比率で、生活と芸術活動を考えていたのかも、と感じました。

 ほかにも、太平洋戦争当時の一般庶民の暮らしなど、今の生活からは想像できない貴重な展示がありました。

 郷土資料館を出て、池袋西口公園へ向かいます。

 西口公園というからには、この公園が石田衣良のベストセラー「池袋ウエストゲートパーク」の舞台なのでしょうか。

 小説とは少しイメージが違うようで、近代的な都市公園といった印象。

 公園に面して、東京芸術劇場の特徴的な建物がありました。

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 劇場入り口を入ると、巨大な吹き抜け。

 ガラス張りの天井から、明るい日が差し込み、日陰が恋しくなりそう。

 大ホール、中ホール、小ホールがあり、それぞれ有名な出演者が満載の演劇が行われておりました。

 東京芸術劇場を出て、しばらく繁華街を歩きくと西池袋公園。確か、先日読んだ池袋ウエストゲートパークの舞台にもなった公園ですが、小説のアップテンポでハイビートな雰囲気とは裏腹に、どこにでもある普通の公園でした。

 小説みたいに、いつも事件が巻き起こっていたら、住んでいる人たちは大変ですが。

 立教通りに出ると、あの長嶋終身監督と息子一茂氏の母校、立教大学はすぐそこ。

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 何度かこの大学のキャンパスにはお邪魔していますが、それほど広くないもののこの雰囲気の良さは、キリスト教系の学校だからでしょうか。

 最近は、キャンパスが整備されて、西洋庭園みたいになりましたね。

 キャンパス内には、有名な鈴懸の径(すずかけのみち)。

 立教大学出身の灰田勝彦が、母校のプラタナスの並木をイメージして歌った日本初のキャンパス・ソング。

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 その歌碑がプラタナスの木の下にありました。

 それにしても、立教大の女子学生は、さすがファッション雑誌のグラビアから抜け出てきたようなファッションセンス。

 お洒落なキャンパスは、そこに集う学生たちもハイソになるのか、それともハイソな学生が集まるからキャンバスがお洒落になるのか。

 しばし、鶏が先か、卵が先か、考えながらキャンバスを後にしました。

 立教通りを渡り、立教大学の5号館と6号館の間の道を歩きます。

 しばらく行くと、今時都会では珍しい土蔵のある家が。

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 ここはなんと、あの有名な江戸川乱歩の住んでいた家だとか。

 するとあの土蔵の中で、乱歩は幻想的な推理小説の構想を練ったのですかね。

 でも、比較的普通の門構えだったので、怪人二十面相も、くも男も、出てきそうなイメージはありませんでした。

 いずれ、資料館みたいな形で一般公開されるといいのだけれど…とかつてミステリー作家を志したオイラは切に願うのでした。

 かつて渾身の力を込めて書いたミステリー作品が、最初の数ページを読んだだけで犯人を当てられたときは二日ぐらい寝込みましたが、おどろおどろしいミステリー作品を読むのは好きっす。

 気を取り直して次に向かったのは、祥雲寺。

 石ノ森章太郎のお墓があるそうなので、お参りをしていこうと思ったのです。

Ts361402  

 思ったより小さなお墓でしたが、サイボーグ009や佐武と市、仮面ライダーなどおなじみのキャラクターが石に刻まれておりました。

 こういうお参りに来た人が楽しくなるような演出もいいですね。

 オイラも、自分のお墓に刻む冗談を今から考えておこうかと思ったりして。

 寺を出て、谷端川南緑道をひたすら北上します。

 昔は、川が流れていたのでしょうけど、それを暗渠にして、ブロックレンガを敷き詰めた遊歩道にしたのですね。

 暑かったですが、ところどころベンチもあって、ゆっくり歩くことができました。

 川越街道との交差点の近くにある熊野神社にお参りをし、緑道から離れて氷川神社に向かいます。

 氷川神社には、区史跡の池袋富士塚もありました。

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 さほど大きくはありませんが、よく整備された塚ですね。

 そこから、池袋本町公園を抜け、再び池袋駅に向かいます。

 そして最後に訪れたのが、「池袋の森」。

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 商店街から少し小道に入ると、そこは別世界でした。

 それほど広くはありませんが、樹木がうっそうと茂り、まさに森のイメージ。

 ここは、林政学者だった人の屋敷林の跡だとか。

 池や木で作られたコテージなど、都会の喧騒の中のオアシスのように感じられました。

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田無の公園めぐりと多摩六都科学館 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 しかし…、暑いという言葉すら口から出ず、放心状態のまま一日を生き長らえる今日この頃。

 ケータイのテトリスをやっているときだけ、暑さを忘れることができるという感じです。でも、炎天下のテトリスは、汗が目に入って画面が見えない…。

 前ふりが思いつかないので、今日もいきなりお散歩ネタ。


 2週間ごとに出かける西武新宿線沿線シリーズ、今回は田無を旅してみたいと思いまする。

 でも、街を歩いていて住居表示を見たら、「西東京市」となっていて、エッ?と立ち止まりました。

 そういえば、田無市と保谷市が合併して、西東京市になったのでしたね。合併したのはかなり前みたいですが、近隣の住民でないと実感できないのかも。

 田無と保谷という、どちらかといえばローカル色がうかがえるネーミングも好きだったのですが、西東京というと一気にビルが建ち並ぶ都会のイメージになったような。

 確かに、田無の駅前は、巨大なショッピングセンターができて、田無というネーミングがそぐわなくなっていたのでした。

 ところで田無のネーミングの由来は、いろいろな説があるらしい。

 一般的には、かつて水が乏しい荒地であったために田ができず,畑ばかりであったところから「田無」という地名ができたそうな。

 室町時代末期の後北条氏の文書に、その名があるそうなので古くから「田無」と呼ばれていたのですね。

 田無の歴史を調べてみて、明治の初め頃、ほんの数年のうちに、韮山県になったり、品川県になったり、入間郡になったり、神奈川県になったり、したことがわかりました。

 どの土地でも、そうなのだと思いますが、明治初頭がかなり混乱した時代だということが、このことからも伺えます。

 当時もそうだったのかもしれませんが、これだけ短期間に住居表示が変わったらキレる人がいるかも。

 それはともかく、駅の北口から、ショッピングセンターの近くの小道に入ります。

 この小道は、「ふれあいのこみち」と言うらしい。

 古い住宅やアパートの軒先を歩き、青梅街道と谷戸街道の交差点の近くにあるのが、田無神社。

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 ここには、江戸時代を代表する名工が彫刻をほどこした本殿があるとのこと。

 確かに、扉や壁板、脇障子のいたるところにある彫刻は、一見の価値あり、でしたね~。

 ちなみに、この本殿は都の指定文化財。

 大イチョウや参道のけやきなど、古くからこの地域の人たちの信仰を集めてきた風格が感じられました。

 境内で注目したのは、土俵があること。

 この土俵の銘は「大鵬」と言って、この神社にゆかりの大鵬親方が開いたものだそうです。

 さっそく、不知火型の土俵入りを、と思ったのですが、シートが掛けられていたし、勝手に入ると叱られそうなので自重しました。

 谷戸街道を挟んで反対側にあるのが、総持寺。

Ts361323

 明治時代の初期、前身の西光寺が近くの密蔵院、観音寺を吸収合併してできた寺らしい。

 総持寺というネーミングも、三つの寺からなることから「総じて持つ」の意味でつけられたとか。

 そんな古い時代にもM&Aがあったとは。

 ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが。

 こちらのお寺の境内にも、立派なケヤキやイチョウがあり、歴史を感じさせました。

 総持寺から「やすらぎのこみち」を歩いて、東大農場へ向かいます。

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 ここは何度か訪れたことがありますが、住宅街の真ん中に北海道の牧場の風景があると言ったらいいでしょうか。

 東大農場と言われていますが、正式には、「東京大学大学院農学生命科学研究科付属農場」という舌を噛みそうな名前がつけられているのでした。

 先日、新聞を読んでいたら、東大農場の移転が取りやめになったという記事が目に留まりました。

 都内で、広大な牧場風景を見ることができるのですから、近隣の住民じゃなくてもうれしいニュースですね。

 でも、正門から入ろうとしたら、扉が閉まっているんですよ。

 なんと、土日と年末年始が休みみたい。

 研究施設なので、遊び場じゃないですからね。

 仕方ないと思いつつも、平日だけの開放では、サラリーマンは定年退職するまでこの素晴らしい景観を味わえないかも。

 農場はなんと、22ヘクタールもあって、桜並木、ポプラ並木、果樹園、水田、牧草地やサイロ、牛舎などがあって雄大な気分に浸れるんですけどね。

 是非、仕事でストレスがたまっているサラリーマンの人たちを入れてあげてほしいと思いました。

 仕方ないので、脇の東大農場通を歩き、塀越しに中の景色を写真に収めました。

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 谷戸街道に出て北上し、次に向かったのが「発想の森」。

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 それほど広くないけれど、ここは住友重機工業が工場の敷地の一部を一般公開した公園です。

 静かで誰もいないから、ゆっくり思索にふけるのも悪くないかもしれません。

 オイラがベンチで新しい企画の発想をしようと思ったら、蚊の大編隊の集中砲火を浴びて撤退を余儀なくされましたが…。

 道をはさんで反対側にある公園が、谷戸せせらぎ公園。

Ts361333

 起伏があって、見晴らしがいい公園でした。園内を小さな小川が流れ、まさに谷戸という感じでした。

 谷戸とは、丘陵地の谷間にある低湿地という意味でしょうか。昔、このあたり一体は「トトロの森」のような自然が広がっていたかもしれませんね。

 そして、そこから歩いて数分のところにあるのが、「西東京いこいの森公園」。

Ts361340

 この公園は、平成15年に開園した新しい公園で、旧保谷市と旧田無市が2001年1月に合併して西東京市が誕生したのを記念して作られたのだとか。

 もとは、東京大学の原子核研究所のあった場所で、 広さ約4.4ヘクタールもあるとのこと。

 行った日は、広い原っぱで家族ずれがキャッチボールをしたり、バーベキューをしたりして楽しんでおりました。

 それはともかく、原子核って何?と記憶を呼び覚まそうとしても、もともと物理の知識は空っぽ。

「あぽ~ん」という響きだけがいつまでもむなしく反響するのでした。

 気を取り直し、住宅街をひたすら歩き、次の目的地の「西原自然公園」へ。

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 この公園は、雑木林の中の小道がいい風情ですね。

 市内最大の雑木林だそうで、その森閑とした雰囲気が落ち着きます。

 自然林、武蔵野の森、いこいの広場で分かれているのですが、東屋で静かに読書でもしたら、心が癒されそう。

 なぜか、蚊が少ないのも好感がもてました。

 こちらの蚊は、グルメだからオイラの血には興味がないのかも。

 蚊から追いかけられなくても、複雑な心境。

 その疑念を振り払うように、最後に向かったのが今日のメインイベント、多摩六都科学館なのでした。

 行く途中、とてつもなく高いタワーに遭遇しました。

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 オイラの持っているガイドブックにも載っていないこのタワーは何?

 聞いてないよ~、とダチョウ倶楽部の往年のギャグを思い出しましたが、あとで調べてみるとそのものズバリ「田無タワー」というらしい。

 正式には、「スカイタワー西東京」と言うらしいのですが…。

 高さ195メートルで、タワーとしては東京タワー、福岡タワーに次いで堂々たる全国3位。

 東京、福岡というメジャーな大都会の次に、田無っすか。これはすごい。

 このタワーは、マルチメディアタワーとして作られたとか。様々な無線利用者がアンテナ設置のためのスペースや無線機室を共同で利用できる施設なのですな。

 でも残念ながら、一般の人は登れないみたいです。まわりに高層ビルがないから絶景なのは間違いないと思うのですけど。

 そして目指す多摩六都科学館は、田無タワーの下にありました。

Ts361358

 六都とは、小平市、東村山市、田無市、保谷市、清瀬市、東久留米市の6市が共同で開設したのでその名が冠せられたもの。田無市と保谷市は合併して西東京市となっても、五都では言いにくいから、そのままにしたのでしょうか。ちなみにオープンは、1994年6月とか。

 パッと見は、サイエンスエッグと呼ばれる直径27.5メートルの巨大なドームが目を引きます。

 この中で、プラネタリウムや全天周映画が見られるのですね。

「宇宙の科学」、「生命の科学」、「生活の科学」、「地域の科学」、「地球の科学」の部屋があって、それぞれ体験型の展示が行われておりました。

 オイラ的には、宇宙の科学の部屋が面白かったです。

 原寸大のスペースシャトルの前方部の模型があって、その大きさを体験できるとか。

 子供用のやさしい解説だったのですが、科学の苦手なオイラにはちょうどいいレベルかも。

 反射神経の速さを調べるゲームでは、平均よりちょっといいくらいの点数。

 かつて、もぐら叩きゲームで一世を風靡したオイラとしては、再チャレンジを誓って科学館をあとにしたのでした。

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自由が丘 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 月並みな前ふりですが、暑いです。

 昨日は一晩中、扇風機をブンブン回して寝ていました。

 扇風機の風が顔を直撃するとよくないと聞いていたのでマスクをし、肌が乾燥するといけないのでクリームを顔にペタペタ塗って。

 そうまでつらい思いをして、なぜ、エアコンをつけないのかと言われるかもしれませんね。

 エアコンをつけたいのは山々ですが、最近掃除をしていないので、スイッチを入れたとたん、埃やダニが噴き出すのではないか、という恐怖が勝っているのでした。

 その恐怖のおかげで、今年の夏を乗り越えられるのではないかと考える今日この頃です。

 …ということで、またお散歩ネタ。

 暑いので、最近は近場を歩き回っています。

 オイラのイメージとはかけ離れるかもしれませんが、今回はおしゃれなショッピングスポット、自由が丘。

 ウォーキングの出発地は、東急目黒線奥沢駅です。
 
 午前中は、駅前にある奥沢図書館で調べ物をして、午後にプチウォーキングをすることにしました。

 奥沢駅から徒歩1~2分のところにあるのが、奥沢神社。

 鳥居をくぐって境内に入ろうとすると、巨大な大蛇が鳥居に絡み付いておりました。

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 もちろん、わらで作られたものだとすぐわかるのですが、それでも巨大な蛇が鳥居にからみつくというシチュエーションはあまり経験が無いので、ギョっとなりますね。

 この大蛇。

 長さ約10メートル、直径約25センチで、重さが150キロもあるそうな。

 誰がこんないたずらをして、参拝客を驚かそうとしとるのじゃ、と思いましたが、近くにある解説板を読むと、歴史と伝統のある蛇らしい。

 なんでも、江戸時代中期、ここ奥沢地方に疫病が流行したらしいんですよ。

 そのとき、村の名主様の夢枕に八幡大神が現れ、「わらで作った大蛇を村人がかつぎ、村内を巡行させよ」というお告げがあったとか。

 さっそく、その通りにしたところ、疫病が治まった。

 それ以来ずっと、なんと現代まで、この神社の氏子がわらで大蛇を作って、町内を練り歩くという行事が続いているとのこと。

 世田谷区の無形文化財にもなっている由緒正しき、大蛇様だったのですね~。

 250年間も、その行事が続いてきたというのもすごいけれど、これだけの期間があれば思考法や価値観も変わりますよね。

 それでも、江戸時代の風習が現代まで続いているのはすごいことだと思いました。

 この神社はもともと、室町時代に奥沢城主大平出羽守によって勧請されたらしい。

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 境内はさほど広くはないのですが、大木を中心に深い緑に囲まれ、森閑とした風格を感じます。

 奥沢駅から見えるくらい近いのですが、住宅街の中心にあるので、静かな佇まいでした。

 しっかりお参りしたあと、奥沢駅方向に戻り、等々力通りを西に向かいます。

 東急東横線の踏み切りを越え、しばらく行くと「宮本三郎記念美術館」があります。

Ts361291

 ここは、昭和の洋画壇を代表する画家、宮本三郎のアトリエがあった場所。

 宮本三郎が亡くなった後、膨大な作品と土地を世田谷区が譲り受け、世田谷美術館の分館として開館したのだそうな。

 開館は、平成16年だそうだから、まだできてから3年と少し。

 住宅街の真ん中に、コンクリートの斬新なデザインの建物が目を引きました。美術館は、2階建てで、1階が講座室、2階が展示室になっています。

 まだ新しい建物だから、床や壁、天井、どれをとってもピカピカでいい雰囲気。

 建物のモダンさと、豊かで華麗な色彩の絵画がとてもマッチしていましたね。

 でも、オイラは、絵を見るのは好きだけれど、それほど美術に詳しいわけではないっす。

 だから、恥ずかしながら宮本三郎という画家の名前は知りませんでした。

 なんでも石川県の小松市出身で、上京して画学校に通い、若くして二科展に入選して注目されたのだとか。

 晩年は、日本美術家連盟理事長や多摩美術大学教授、金沢美術工芸大学名誉教授にも就任した大家なのですね。

 もっとも経歴より、その絵の好き嫌いがオイラにとっては重要なのですが、この絵はわりと好きかも、と感じました。

 もともと抽象画より写実画のほうが好きな人間ですが、その中間あたりの表現で、何より色彩が素晴らしい。

 行った日は、「光を浴びる女性達」というテーマで絵が展示されていました。

 モデルが、高峰秀子や新珠三千代、京マチ子など有名な人だったり、バレリーナや踊り子を独特の色彩表現で写し取ったりしてなかなか面白かったです。

 さて、美術館を出て、いよいよ自由が丘の街へ。

 自由が丘といえば、いまやお洒落なショップが建ち並ぶ街として泣く子も黙る存在ですね。

 ただ、オイラ的には、セレブというよりはもう少し垣根が低いかも、と思うのです。若い普通の女性のグループが多いし、わりと高校生も多く歩いている。

 青山や六本木に比べると少し庶民的な部分もあるのではないか、と。

 でも、雑誌などのアンケートでは、「住みたい街」として1位に選ばれることもあるほどの人気スポットらしいですね。

 実は、自由が丘。

 仕事でなんども来ているのですが、その魅力というのがイマイチわからなかったりして。

 今日は、その人気の秘訣を探ろうと決意を新たにしたのでした。

 ガイドブックを見ると、まず自由が丘の見所のひとつが駅前の女神像だとか。毎年夏には、女神祭りというのが開催されるらしい。

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 知らなかったっす。

 祭りどころか、駅前に女神像があることすら。

 自由が丘の魅力は、服飾・雑貨のお洒落な店やレストランが建ち並ぶ洗練された街並みだとおっしゃる方は多いでしょう。

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 でも、オイラ的には、ハードはもちろんですが、ソフト面も見逃せないのではないか。

 たとえば、自由が丘のネーミング。

 なんとも、ハイソでお洒落なイメージですよね。

 でも、自由が丘と呼ばれるようになる前は、東京府荏原郡衾村字谷畑と言ったらしい。

 衾村(ふすまむら)とか、谷畑というネーミングのままだったら、これほどの繁栄はなかったかも。

 自由が丘という名前は、ここにある学校がルーツだと知っている人は少ないかもしれませんね。

 1927年、この地に手塚岸衛という人が自由ヶ丘学園を開設し、その学園の名前が街の名前になったとのこと。

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 そういえば、成城学園もそうでしたね。

 ただ、今や自由が丘という名前だけ先行して、学園と結び付けてイメージする人はほとんどいないかもしれませんが。

 それから、自由が丘をお洒落な街というイメージにしているのは、通りの名前。

 カトレア通りにガーベラ通り、それにメイプルストリートですか。

 でも、通りの名前に惹かれて訪れても、普通のお洒落目の店が並ぶ通り以外の何者でもないので念のため。

 オイラはまず、カトレア通り沿いにあるラ・ヴィータに向かいました。

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 ここは、ベネチアを模したショッピングタウン。

 自由が丘の新しい顔として、雑誌にも紹介されることが多いので知っている人も多いのでは。

 オイラも、自由が丘に来たら一度訪ねてみたいと思っておりました。

 ちなみに、ラ・ヴィータとはイタリア語で「生命」「人生」の意味だとか。

 水路にはゴンドラが浮かび、カラフルな建物とレンガ造りの洋館。そしてグレーの石畳。
運河の水映る町は、まるで絵画のよう。

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 だけど、思ったより狭いっす。

 以前、この前を気づかないで通り過ぎたことがあったのを思い出しました。

 だけど、ベンチに腰掛けて、想像力が豊かな人はベネチアに来ている気分を味わえなくはないですな。

 行った日は、ゴンドラにシートがかけられていて、ベネチア気分も半分でしたが。

 ベネチアのすぐそばに、古都を思わせる茶房があったのはなかなか興味深い眺めでした。

 そして、自由が丘にはオイラの若かりし日の思い出が…。

 その思い出の地とはこの建物っす。

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 二階にあるテナントが、フローレスセイ○。

 聖○(←伏字になってない?)ちゃんプロデュースのブランドショップなのですね~。

 このお店が開店したのは今から19年前。

 開店の日に、オイラはお手伝いさせていただいたのですね~♪

 そして、お昼は、スタッフのためにお弁当の買出しに行ったのです。

 オイラの買ってきたお弁当を聖○ちゃんも召し上がっていただいてうれしかったっす。


 単なるパシリですが、何か?

 「♪♪♪」の素敵なロゴの入ったトレーナーやハンカチなどのアイテムは今も健在でした。

 有名人のブランドショップが一頃流行りましたが、今も変わらず営業を続けているところは少ないかもしれませんね。

 聖○ちゃんの息の長い人気に頭が下がる今日この頃でした。

 東急東横線と大井町線の線路を二つ越え、最後に向かったのはスイーツフォレスト。

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 ここは、2003年のオープンしたスイーツの殿堂という噂が。

 いわゆるスイーツがテーマのフードテーマパークなのですな。

 選りすぐりのお菓子職人の店が8店舗集結。日本を代表するスーパー・パティシエたちが交代で登場するところが売りらしい。

 中は、お台場のビーナスフォートを思いっきり小振りにした天井と壁、赤い葉っぱの人工の森がファンタジックなイメージを演出する。

 スイーツにはあまり興味のないオイラですが、うれしそうな顔をした若い女性がたくさん訪れておりました。

 ちょこっと、学園祭のような雰囲気でしたが。

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小平・がす資料館~小平霊園、狭山・境緑道 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ううう、暑い。

 先日の土曜日、仕事が終わってからまた西武新宿線沿線を歩いてみたんですよ。

 さて、今回行ったのは、小平。

 小平といえば、小平霊園以外あまり聞いたことのある場所はないのですが、さがせばなかなか面白い場所もあるらしい。

 それでまた、ガイドブック片手に行ってみることに。

 まず、西武新宿線小平駅北口から商店街を抜け、東京街道へ出ます。

 「東京街道」という大層なネーミングですが、それほど広くもなく、特別車が多いわけでも店が多いわけでもない。

多少、名前負けしている感が、無きにしも非ず。

 その謂れを知りたいと思いました。

 でも、歩道が作られていて快適な道ではありますね。

 田無方面に歩き、錦城高校の交差点の前で左折。バスを待っている高校生たちの前を通過すると右手に広いグランドが見えてきました。

 やけに立派なグランドだと思ったら、これがFC東京のグランドなのだとか。

 選手たちはいませんでしたが、練習日は見学ができるそうですね。サッカー好きは、要チェックかも。

 さらに進むと、信号の向こうに、赤レンガの古い建物が見えてきました。

 ここが最初の目的地、がす資料館。

 がす資料館には、赤レンガの二つの建物がありました。

 どちらも外観は、古い建物を模したディズニーランドみたいな建築物だと思ったら、ホントに古いらしくてビックリ。

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 こちらは、ガス灯館で、なんと明治42年建築。旧東京ガス本郷出張所を移設復元したのだとか。

 それにしては、綺麗すぎるっす。

 一階はガス灯ホールで、明治時代に使われていた本物のガス灯がたくさん展示されておりました。

 お~、懐かしい。…と言いたいところですが、オイラが生まれたときでもガス灯は使われていませんでしたので念のため。

 でも、明治時代、京橋や銀座の辺りは、このガス灯の光が夜を照らし出していたのですね。

 電灯の光とは違って、幻想的な色が魅力かも。

 二階はギャラリーになっていて、文明開化当時の町並みの錦絵が展示されていました。ガス灯とともにあった風景の錦絵がこれだけたくさん残っているのは、当時は灯り自体、もっとも注目すべき街の風物だったのでしょうね。

 今は街灯なんて、当たり前にそこにあるという認識ですが、当時、夜の光というものがとても貴重なものだったのだと感じました。

 そして、古いレンガ造りの建物のもうひとつは、くらし館。

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 こちらは、明治45年建築の旧東京ガス千住工場計量器室を移設復元したものだとか。

 こちらは、明治大正昭和のガス器具や当時の広告ポスターなどが展示されていました。

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 あんまり東京ガスの広告で覚えているものは少ないのですが、当時の有名人たちが皆若い。

 初代の大関貴ノ花も広告に登場していたのですね。

 昭和のガス炊飯器やガスレンジなどが展示されていて、懐かしかったのです。

 でも、当時の台所は懐かしいですが、便利な今に慣れてしまったからには戻りたいとは思いませんね。

 がすの火を利用したパイプオルガンなどなかなか見所は多かったですよ。

 ちなみに、がす資料館は無料なのがうれしいっす。

 がす資料館から新青梅街道を越え、住宅街をしばらく行くと、広大な緑のスペースが。

 ここが、小平霊園。

 昭和23年に開設した都営霊園で、総面積は約65万平方メートルもあるらしい。

 スカッと空が広がった開放的な雰囲気は、墓地というより公園のイメージかも。

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 それもそのはず、墓地として利用されているのは約半分で、残りは園路や緑地となっているのですね~。

 ここに眠っている著名人は、野口雨情、壺井栄、小川未明、柳宗悦、宮本百合子、伊藤整など。

 同じ都営霊園である青山墓地が政治家や軍人が多いのに対して、こちらは文化人が多いみたい。

 もちろん青山墓地も、文化人や民間人の方たちも多く眠っているのですが。

 有名人たちのお墓をめぐってみようと思ったのですが、標識がないのでわからないっす。

 またこれだけ広いと、探すのも大変とあきらめました。

 静かだし、亡くなった人たちは、ゆっくり眠ることができるのでしょうね。

 小平霊園を抜け、西武新宿線の踏切を渡り、狭山・境緑道へ出ました。

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 この緑道は、多摩湖から境浄水場までの水道道路を緑化したものだとか。

 一直線の道が、10.5キロも続き、所々個性的な小公園があるのも魅力的です。

 緑道と平行して、サイクリングコースがあるものいいですね。自転車で緑のトンネルを走ったら気持ちよさそう。

 緑道をひたすら歩き、まず向かったのは、あじさい公園。

 1200株の青いあじさいが咲き乱れる景色は梅雨の風物詩ですな。

 ところが、行った日は、シーズンが過ぎていて、花は咲いているもののほとんど枯れている状態でした。

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  それでも、枯れている花の数から、満開の素晴らしい景色が想像できました。

 さらに緑道を歩き、次に向かったのが、小平ふるさと村。

 ここ小平は、江戸時代初期の玉川上水の開通にともなって開発された新田村落なのだとか。当時の人たちが、水の乏しい荒野を切り開き、ようやく人が住めるようになったらしい。

 かつては、青梅街道を初め、東西に走る各街道沿いに屋敷森に囲まれた農家が並び、街道をはさんで南北には短冊型の畑が続いていたのですね。

 江戸時代は、江戸の人たちへ食料を供給していたのでしょう。

 でも最近は、スーパーやマンションが建ち並び、当時の面影が大きく変わりつつある。そこで、古い建物を移築して、当時の生活を偲ぶツールにしようとしたのですね。

 前回行った江戸東京たてもの園もまた、古い時代へのノスタルジーをかきたてるものでした。

 こちらは、見所のおもな建物が5つとかなり小規模ですが、こちらも無料なのがうれしいっす。

 まず入り口のそばにある建物が、「旧小平小川郵便局舎」。

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  現存する郵便庁舎のなかでももっとも古いもののひとつだとか。明治41年に建てられたそうな。

 木造なのはもちろんですが、板張りの事務室と電話交換室が興味深かったです。

 あとの部屋はすべて畳敷き。

 休憩時間、寝転がれたりできるのはいいかも。

 その建物の左手にある大きな建物が、旧神山家住宅主屋。

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 でも、庄屋の建物など古い建物を見慣れているオイラとしてはさほど大きく感じられませんでした。

 土間を除けば、「かって」と「ざしき」と「へや」と「おく」だけの構造。大きい家だと、あと二部屋トッピングされるのですが。

 こういう狭い家で暮らすのは、当時の暮らしは大変だったろうと思ったのです。

 ところが資料を見たら、延べ床面積が127平方メートルもあるというじゃありませんか。

 100平方メートルを越えるマンションはもう豪邸の部類ですからね。広い家を狭いと思わせるあたり、なかなか奥ゆかしいのではないか、と。

 夏は風が入って涼しいかもしれませんが、冬は寒かったでしょうね。江戸時代は、青梅が雪女の舞台になるくらい寒かったそうですからね。

 地球温暖化が進行すれば、こういう茅葺の古い民家が結構住みやすいかも、と思いました。

 それはともかく、庭の片隅に、面白い建物が。



 家としては狭いし、立派な茅葺の屋根からも物置としては立派過ぎる。

 これは旧鈴木家住宅穀櫃。

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 こくびつと読むようで、江戸時代の後期、天災や飢饉のため、幕府が各村に備えさせた穀物を蓄えておく倉庫と言えばいいのでしょうか。

 災害や飢饉の際、村人に穀物が給されたのですか。

 言わば、江戸時代の災害用備蓄倉庫。

 これも、立派な物置として、現代まで残ったのですね~。

 それから、「旧小川家住宅玄関棟」。

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 これだけでも、ちょっと小ぶりな住宅として通用する大きさなのに、なんと玄関だけの建物として利用されていたというから驚きです。

 式台をあがった玄関の間が8畳、そしてそれに続く控えの間が6畳ですか。いわゆる母屋に向かう通路でこれだけの広さ。

 江戸時代の名主様の実力が偲ばれます。

 これらの建物は移築され、市の有形文化財に指定されたものですが、復元されたものでオイラが珍しいと思った住居があるのでした。

 それは、江戸時代初期、この小川村が開発された当時に、開拓民が暮らしたと思われる住宅が復元されているのです。

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 当時の住宅の様子を克明に書いた古文書が残っていたそうですが、屋根が茅葺なのはいいとして、壁の部分もまた茅葺なのは珍しい。

 縄文時代の住居は、屋根も壁も茅葺だったそうですから、その点はあまり変わりがないのではないか。

 しかも、中は畳の部屋がなく、細い竹を組んだ床、あるいは籾殻の上に筵を敷いて暮らしたらしい。

 江戸時代の初期は、他の農家も同じような作りの家に暮らしていたケースが多かったそうですが、こういう質素な家に住みながら、荒地を開拓した当時の人たちの苦労が伝わってきました。

 小平ふるさと村を出て、最後に向かったのが、たけのこ公園。

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 緑道沿いにある小さな公園ですが、竹林の中をあるくとそれなりに風情はありました。

 すぐそばを西武線の急行が走りぬける様を眺めるのも一興かと。

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