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江東区・亀戸 亀戸天神、立花大正民家園 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 花粉も飛ばなくなって、ウォーキングにはいい季節になったと喜んでいたら、一気に気温が上がってきましたね。

 また今年も、地球温暖化の影響を骨身に感じるシーズンが到来っすか。

 今のうちに、たくさん歩いておかねば…。

 と、毎年思うものの、暑くなってからも歩き回っているのですが…。

 さて、今回行ったのは江東区にある亀戸。

 当然何度か来ているのですが、亀戸天神など駅の周辺がほとんど。地図を見ていて、隣接する墨田区周辺にも見所がたくさんあることに気付きました。

 まだ行ったことがない場所も多いので、これは行くっきゃない、と…。

 ちょうどテレビで、亀戸天神の「藤まつり」も開かれていると聞きましたし。

 …ということで、四月の終りの連休前に、オイラはJR総武線亀戸駅にやってきました。

 一見して、「藤まつり」へ向かうとわかるお年寄りのグループも多いような。

 オイラはそれだけがメインではないので、北口から歩き始めます。

 まず目に留まったのが、駅前公園にある亀のモニュメント。

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 亀戸だから、亀っすか。

 だけど、この土地の亀にまつわるネーミングがかなり古いみたい。

 昔、この辺一帯は、亀ノ島と呼ばれる海上の島だったとか。

 江戸幕府がおかれる前は、都心部は海だったとよく知られていますが、島もあったのですね。

 佃島は今でも島だとわかりますけど、この辺りはまったく見分けがつかないっす。

 何でも、古墳時代や石器時代の遺跡もあるのだとか。

 それはともかく、やがてこの島に亀村という村ができ、村にあった亀ヶ井という湧水が有名になった。

 その後、亀村と亀ヶ井が混ざって亀井戸村になり、井がなくなって亀戸になったらしい。

 由緒正しい亀だったのですね。

 それにしても、親亀の背中に小亀、そのまた背中に孫亀を乗せた形は珍しくないのですけど、三匹とも甲羅から羽が生えている。

 作者の意図がわかりませんが、ガメラとラドンが合体した新種の怪獣をイメージしたものだろうかと考えました。

 ガメラは大映だから、ラドンではなくギャオスかもしれませんが。

 その後ろにある塔が、荒川の水位を示したモニュメントらしい。現在の荒川の水位と過去水害を起こしたときの水位が表示されておりました。

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 かつて洪水で、オイラの身長をはるかに上回るところまで水が来たなんてとても信じられませぬ。

 駅前から横十軒川まで歩き、川のほとりを右折してしばらく行くと、「亀戸銭座跡」の石柱があります。

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 江戸時代、この場所で寛永通宝を鋳造していたのですね。

 寛永通宝がなじみのない方は、銭形平次が投げる銭をここで作っていたと言うほうが、イメージがわくでしょうか。

 『銭形平次様御用達』の幟が立っている町工場をイメージしましたが、平次親分は架空の人物なのでした。

 川沿いをさらに進み、天神橋の交差点を右折すると、今日のウォーキング前半の注目ポイント、亀戸天神へ到着。

Ts363126  

 さすが、都内随一の藤棚が満開というだけあって、境内は混んでいましたね。

 亀戸天神は、ご存知、学問の神様・菅原道真公をまつる天満宮。江戸時代初期、九州の太宰府天満宮の神官であった道真公の子孫がこの地に創建されたらしい。

 そういえば、思いっきりミニチュアですが、九州の太宰府と雰囲気が似ているような。

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 藤の花は、西洋の花みたいにゴージャスではありませんけど、奥ゆかしくて上品な色。

 本来はそれほど目立つ花ではないような気がしますが、境内からこぼれおちんばかりに咲いていると迫力があります。

 太鼓橋の赤と藤色、そして木々の緑が春を実感。

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 境内には立派な本堂や石碑、史跡があるのですが、このシーズンばかりは藤に主役を奪われた感じがしました。

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 ネットで調べたら、日本の絶景ベスト120で、東京からは柴又帝釈天とこの亀戸天神だけがランクインしていました。

 どういう基準で選んだのか調べませんでしたけど、東京が誇る絶景というのは間違いないですね。

 と言っても、それほど広くはないので、ぐるっと境内を三周して次の目的地へ向かいます。

 亀戸天神からすぐのところにあるのが普門院。

 森の中にあるようなお寺で、喧騒から静寂への対比が面白かったです。

 家屋が建て込んだ下町の中でしたが、静かな雰囲気がいいですね。

 ここには、「野菊の墓」で有名な作家の伊藤左千夫の墓がありました。墓地の隅っこの比較的目立たない場所。

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 まわりに野菊はないだろうかと探したのですが、思ったより質実で、でも威厳に満ち溢れたお墓ですね。

 普門院を出て、住宅街の中をテクテク歩き、二世歌川豊国の墓がある光明寺、萩寺と呼ばれ江戸時代からの名所であった龍眼寺をまわります。

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 墨田区に入って、北十軒川をわたり、住宅街の中に点在する押上公園、文花公園をめぐりました。

 墨田区は、昔ながらの商店街やスーパーが多い下町情緒の残るところですね。

 古い喫茶店の店頭にメニューが掲げてありました。

 何気に見たら、「ほぼブラジル」というコーヒーがあるらしい。

 これはおそらく「ボボ・ブラジル」をもじったものですよね。

 これを渋谷や原宿の街に持っていっても、お客さんは????の反応かも。

 オイラと話が合いそうな人たちの多い街なのだなと思ってうれしくなりました。

 それから、意外と公園が多い。

 小学校や中学校の近くには必ずある程度の広さをもった公園があるのはいいですね。

 小学校時代、家の近くに広い公園がなくて、狭い小道で三角ベースの野球をやっていましたから。

 民家の庭にボールが飛び込むし、近所のおっさんに怒られるし、あまりいい思い出がないっす。

 そんなことを考えながら歩いて、宮前橋公園にたどりつきました。

 その隣にあるのが、すみだ環境ふれあい館。

 ここは読んで字のごとく、環境学習の拠点で、「環境学習室」「雨水資料室」「関野吉晴探検資料室」に分かれているらしい。

 元文花小学校の校舎がそのまま使われているのですね。

 ちなみに無料ですよ。

 雨水資料室は、世界でも珍しいものだとか。小学校の入り口ホールと中庭が使われていました。

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 雨水をタンクにためて、トイレや冷房、草花の散水に使おうという提案ですか。確かに、地球環境が激変しているから危機管理の選択肢のひとつになりますね。

 世界各国の雨水の利用法とか、グローバルな視点で考えられ、なかなか面白かったです。

 オーストラリアだったと思うのですが、雨水をビニールシートにためて集め、殺菌してそのままミネラルウォーターにして売っている会社があるのですね。

 それだけ大気がきれいだということでしょうけど、日本でも、雨の日はみんなが空に向かって口を開けられるようになればいいと思いました。

 小学校の教室を利用した手作りの展示も、学園祭みたいで面白かったです。

 廊下の水飲み場やトイレの小さくて、みんな位置が下にあって、自分もこんなにちっちゃいときがあったのだとノスタルジックな気分にもなりましたね。

 2階は、探検家関野吉晴の探検資料室。

 確か、テレビでグレートジャーニー5万キロという番組をやっていた記憶がありますけど、人類のルーツをたどる旅だったとは行ってみて初めて知りました。

 人類はアフリカで誕生し、その後世界へ散らばって行ったのですか。それを逆にたどる試みでしょうか。

 南米大陸を出発し、中米、北米、アラスカ、モンゴル、ヒマラヤ、西アジア、アフリカと旅した時、その土地にすむ人々を撮ったパネル写真が展示されていました。

 過酷な環境で暮らしていると思うのですが、皆、明るく助けあって元気に暮らしているのがその表情からわかります。

 現在の日本人にカメラを向けて、これだけ明るい表情ができる人がどれだけいるだろうかと考えました。

 暮らす環境に関しては、はるかに恵まれていると思うのですが、恵まれている分、別な部分でいろいろストレスを感じているのかもしれませぬ。

 環境ふれあい館を出て、アフリカの熱帯や極寒のアラスカと比べ、はるかにすみやすい温暖で快適な街を歩きます。

 あずま百樹園、そして緑と花の学習館。公園だけじゃなく、美しい花も多いですね、この街は。

 そういえば、緑と花の学習館なんて、「文花」という町名そのものっす。

 香取神社、東漸寺とめぐり、後半の注目スポット、立花大正民家園へ。

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 ここは大正六年に建てられた民家を保存、公開しているのですね。

 農家と町屋の特徴を兼ね備えた住宅だそうですが、普通のお宅として建てられたみたい。

 それでも、庭をふくめた敷地が400坪以上あって、延べ床面積は34坪。

 創建当時は4部屋だったみたいですが、どれも6畳以上、10畳間もあってとても広々していました。

 奥座敷には5月人形が飾られていて懐かしかったです。

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 中にいたのは数分でしたけど、ゆったりくつろいだ気分を味わうことができましたね。

 関東大震災や東京大空襲の大災害を免れて立つ姿に威厳も感じられました。

 民家園を出て、東あずま公園、立花公園でまた藤の花などを観賞し、最後に向かったのは亀戸香取神社。

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 社伝によると創建はなんと665年だとか。

 亀戸村の総鎮守で平安時代の中期、関東で起こった平将門の乱を平定した藤原秀郷が、戦勝の返礼として弓矢を奉納して「勝矢」と命名したらしい。

 その古事にちなみ、毎年5月5日に勝矢祭が行われているそうな。また塚原朴伝や千葉周作などの剣豪からも崇拝されたのですね。

 そのようないきさつから、現在はスポーツ振興の神として、多くの参拝者を集めているそうです。

 それはともかく、境内でオイラの目を引いたのは亀戸大根の碑。

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 以前、練馬大根の碑を見に行ったことがありましたが、江戸時代には亀戸でも大根が栽培されていたのですね。

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日暮里・舎人ライナー沿線 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 先日、都内の新しい注目スポット、足立区西部へ行ってきましたぁぁぁぁぁ~

 日暮里・舎人ライナーが3月30日に開業して、一気に交通の便がよくなったのですね~。

 子供の頃から都内をテクテク歩いているオイラですから、西新井大師や竹ノ塚周辺をウォーキングしたことはありました。

 でも、その先へ進んで埼玉県と接するあたりは、行きはよくても帰りが難渋しそう。

 10年ほど前、西新井大師駅から舎人公園まで歩いたことがあったんですよ。帰りはバスがなかなか来ないし、乗ってからも渋滞で駅まですごい時間がかかった記憶があります。

 日暮里・舎人ライナーのバンフを見ると、「交通不便地帯」の解消が開業の大きな理由だとか。

 この地域は、距離的には都心に近いですからね。しかも、有効利用できる広い土地がまだまだ残っているみたい。

 以前、舎人公園周辺を歩いたときは、だだっ広い空き地がどこまでも広がっているような印象でした。当時はあまり整備されていなくて、見所もあまりなかったような。

 新交通システムができて、どう進化しているのか見てみたい。

 どういうルートで歩こうかと考えていたら、駅ですぐれもののバンフを見つけました。

 それは、「日暮里・舎人ライナー」沿線ウォーク。

 4月12日に、開業してからまもない日暮里・舎人ライナー沿線で行われたウォーキングイベントなのですね。

 距離は約11キロ、所要時間は約3時間、募集人員3000人っすか。

 参加料は無料で魅力なのだけれど、大勢と歩くと名所旧跡がゆっくり眺められないというデメリットもあり…。

 …ということで、そのあと自主イベントとして歩いてみることにしました。

 パンフではスタートが都電荒川車庫前でしたが、オイラはJR高崎線の尾久駅から歩きます。

 近くには、23区内で唯一の区立遊園地「あらかわ遊園」があるのでした。

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 入園料が大人200円とリーズナブルなのからも分かるとおり、面積は3万平方メートルと比較的小規模。アトラクションも絶叫系のマシンは無くて、小さい子供連れの家族にはお勧めでしょうね。

 ヤギ、ヒツジ、ウサギ、モルモットなどとふれあえる「ふれあい広場」「ふれあいコーナー」やポニー乗馬サービス、釣り堀などもあって、大人の癒しスポットにもいいみたい。

 何度か訪れたことがあるので、今日は入り口から中を伺うだけにしました。すいているから、すぐ乗り物に乗れるメリットもありそうですな。

 あらかわ遊園の隣に船方神社があるのは、今回はじめて知りました。

 本殿の裏に、十二天塚という塚があって、この地域の荘園主 豊島清光の姫にちなむ悲しい伝説があるらしい。なんでも、嫁ぎ先で心ない仕打ちを受け、荒川に身を投げてしまい、その時姫に仕えていた十二人の侍女たちも殉死したのだとか。

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 それで、十二天塚なのですね。

 神社の裏を流れる川がその荒川かと思ったら、隅田川なのでした。隅田川沿いの遊歩道を下流に向かって歩くと、あらかわ遊園を裏から眺めることができます。

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 小さめの観覧車ですが、まわりを遮る建物がないので絶景が味わえそう。

 昭和8年に作られたという永代橋をコンパクトにしたような鉄橋をわたり、荒川商業高校の前を道なりに進みます。

 タバコ屋の角を左に曲がり、信号を右、そして再び別のタバコ屋の角を左と、めまぐるしいコースですが、今回は一度も迷いませんでした。

 たった1枚のA4版のパンフの地図なのに…。

 迷いそうな場所を拡大表示して、ルートが変わるときは目印を明確にする。

 それだけで、こんなに道順がわかりやすいのですね。

 頭を絞る必要がないので、脳の活性化になりにくいという点を除けば、あとは快調でした。

 創建の時代はわからないそうですが、豪族の館跡に作られたという宮城氷川神社にお参りして、裏手の堤防をのぼるとそこは荒川の河川敷。

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 広い河川敷には、野球場やサッカーグラウンドがあり、堤防の上ではウォーキングやジョギングをしている人がいました。

 オイラも、目の前に広がる景色を堪能しながら堤防を扇大橋目指してテクテク歩きます。

 扇大橋より一段高いところを平行して走るスリムな橋。

 見上げると、おお、日暮里・舎人ライナーが走っているじゃありませんか。

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 ゆりかもめを見慣れているから、とくに驚きませんでしたが、広々とした川の上を滑るように走る車両は未来的な景観がしました。

 走り去った車両を追いかけるように、橋を渡ります。

 ここから先は、尾久橋通りをひたすら北上。広い通りの上は日暮里・舎人ライナーの高架になっているのですな。

 東京都心の大通りの上は高速道路や電車の高架が走っていることが多いのですが、日暮里・舎人ライナーの高架は幅がそれらの半分くらいでしょうか。

 しかも、高さがかなりある。

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 下から見上げると、綱渡りをして車両が走っているようにも見えました。

 強度は問題ないのでしょうけど…。

 荒川を渡ってから、「扇大橋」「高野」「江北」と3駅分平行して歩きます。

 3駅といっても、隣の駅が見えるくらいの距離なので、この近くに住む人たちは皆、駅から歩いて数分の距離ということになるのでしょうね。

 新しくできたスーパーや家電量販店も多く目にしました。ファストフードのお店もどんどん進出して、新しい町が作られているという感じです。

 そして江北駅前にあるのが、高野胡録神社。

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 社殿は比較的新しいようですが、創建は約300年前と言われているそうな。

 境内鳥居には、大きな龍の頭をもった注連縄が取り付けられ、新しい中にも古い伝統は引き継がれているみたい。

 環七通りとの交差点を右折し、次の目的地の西新井大師へ。

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 このお寺の近くに東武線の大師駅があって何度も訪れているのですが、別のルートから来ると景色が変わって新鮮な気持ちになりました。

 西新井大師というネーミングからも分かるとおり、弘法大師の創建。

 なんでも、弘法大師・空海が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫って、826年に寺院を建立したことに始まるらしい。

 大師さまといえば、川崎大師も有名ですね。

 草団子やせんべいの店が並ぶ参道はどことなく似ています。

 どちらも、私鉄の「大師前」駅があるし…。

 川崎大師にはさんざお世話になったこともあり、こちらもしっかりお参りをしていこうと思いました。

 境内に入ったら、本堂は工事中。

 火災後、昭和46年に再建された本堂はまだ十分綺麗でしたけど…。

 でも、境内にはしだれ桜?の花がきれいに咲いて、殺風景な工事現場の雰囲気を和ませてくれていました。

 しだれ桜?と勝手に認識してしまいましたけど、このゴージャスな花はなんでしょうね。

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 何度も来ているのですが、このお寺の寺名が「総持寺」ということ。また境内の弘法大師ゆかりの井戸が、本堂に西側に所在することから西新井大師といわれたり、この近所の地名になったりしたことははじめて知りました。

 やはり知っている場所でも、何度も訪れることによって新たな発見はあるのですね。

 西新井大師を出て、住宅街を歩き、一直線に並ぶ公園をいくつも見て歩きます。

 都心より緑は豊富だし、安売りのディスカウント店やファストフードの店も多いし、住むにはとても快適かも。

 小学校や中学、高校が多く、それぞれ大きな公園に面しているのは、とても充実した学生時代が過ごせそうだと思いました。

 快調に歩き、最終目的地の舎人公園に到着。

 前に来たときは、フェンスに囲まれた草ぼうぼうの原っぱがあるだけというイメージでしたが、現在は美しい都市公園に変貌していました。

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 それにしても広いですね。

 それもそのはずで、現在はスポーツ施設、様々な広場、池などが整備され、広さは50ヘクタールを超えるらしい。

 現在も整備中で、最終的には70ヘクタール近い広さを持った都内最大級の大公園になるのだとか。

 大通りと日暮里・舎人ライナーの「舎人公園駅」をはさんで大きく4つのブロックにわかれるみたいですが、オイラはまず駅前の菜の花が咲き乱れるエリアへ行ってみました。

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 ショッキングイエローが目にまぶしいっす。

 それから近隣のボランティアの人たちの手で、チューリップなど美しい花をたくさん目にして春を満喫することができました。

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 それから、前にも見た広い原っぱも、都内ではごちそうですよね。

 最後に行ったのは、メインとなるエリア。

 こちらは、水辺の景色が美しい。

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 前日は大雨だったので、池の水位が木々の直前まで迫っていたのですが、それがヨーロッパの都市公園を思わせる風情がありました。

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 ぐるっとパスを使って美術館でさんざん見た絵画の印象ですが…。

 公園の高台にのぼると街が一望できて、落ち込んでいるとき来たら気分がリフレッシュできそう。

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市川のラビリンス 北総線沿線の迷宮 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 前回、道に迷いすぎたので、記事一回分では収まりきらなくなった迷宮の旅シリーズ、今回は完結編です。

 さて、曽谷貝塚で膨大な量の貝殻を見て驚いたオイラが次に向かったのは、弁天池公園。

 ここまで一本道でしたので、スムーズでした。

 行った日は、池の周りの桜が満開でとてもきれいでしたね。新興住宅街の中にポッカリ開いたオアシスのよう。

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 池の大きな鯉が、うれしそうに飛び跳ねる姿が印象的でした。

 ここからウォーキングコースは、小刻みに右に左にと揺れ動きます。

『突き当たり手前のT字路を左折し、少し進み、右手の階段を下り、直進する』『突き当たりを右折後、左手の階段を上り、直進する』

 だんだん文章の表現の癖がわかってくると、迷わず次々に難関をクリアしていきました。

 慣れてくると、懇切丁寧に書かれているということがわかりました。

 楽勝で到着したのが、本将寺。

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 鎌倉時代に開山されたそうですが、ずいぶんハイカラなお寺だなと感じました。最近になって、この土地に移ったそうですね。

 このお寺の「将」の文字は、平将門に由来すると伝えられているとか。

 1000年以上たった今も、この地区の人たちは将門を好意的に迎えているのだということが伝わってきました。 

 なんでも、将門が藤原秀郷と戦って戦死したとき、将門のこめかみに突き刺さった矢が、南天の木の矢だったらしい。だから、この地区に住む人たちの庭には、南天の木を植えないのだそうな。

 また成田不動尊は、将門調伏の祈祷を行ったから、お参りに行かないという話もあるそうですね。

 次に向かったのは、JR武蔵野線市川大野駅近くにある「市川市万葉植物園」。

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 なぜ、市川と万葉集? って思いましたが、万葉集の中にこの地域を詠んだ歌が10首ほど収められているらしい。

 市川は、古来下総国の国府や国分寺が置かれるなど、歴史豊かな街なのですね。

 この植物園は、敷地面積がおよそ3500平方メートルだからそれほど広くはない。

 でも、こじんまりとしていて落ち着ける和式庭園でした。池を中心に万葉集に出てくる植物、およそ200種類が植えられています。

 その植物には、万葉歌とその作者などを記した案内板があって、興味のある人にはうれしいですね。
 
 植物園を出て、武蔵野線のガードをくぐり、室町時代に創立されたという本光寺にお参りしたあと、浄光寺に向かいました。

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 なかなか立派なお寺ですが、境内がフェンスも無くそのまま幼稚園の庭になっているのは珍しいかも。

 行った日は、幼稚園はお休みでしたが、本堂や庫裏、仁王門も園児たちの遊び場になるのでしょうか。

 昔の人たちは子供の頃、お寺で勉強する機会が多かったと聞きました。仏像や仁王さまに囲まれて、とても充実した時間を過ごせるような気がしました。

 子供とお寺と言うと、どうしても一休さんをイメージしてしまうのですが…。

 浄光寺からすぐのところに中学校があります。このあたりは丘陵になっていて、かつて大野城という城があったらしい。

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 現在では、そう言われない限り、城跡だと明白にわかるものは残っていないのですが、付近には「御門」「殿台」といった地名が今も残っているそうな。

 ネットで調べてみると、お城ファンがこんなあやふやな城にもちゃんと訪れていて、しっかり由来や縄張りなどに言及していました。

 今まで生きてきて、オイラより城について詳しい人にはリアルで出会ったことはないのですが、やっぱり世の中は広いっす。

 上には上があるものじゃ、と感心しました。

 ただ、中学校がそのまま城跡になっているので、さすがのお城ファンも中には踏み込めなかったみたい。

 デジカメを持って、校内をうろつく不審な人物と断定されてしまうと、いくらお城ファンだと主張しても、普通の人には理解されないですからね。

 行った日は体育館で女子中学生がバレーボールをしている声が外にも聞こえているし…。

 土塁や空堀の跡を見たさに、警察のご厄介になる勇気はないので、外から眺めるだけでした。

 ただ、急な階段を下り、上を見上げると切り立った崖から中世の城跡の姿をかすかにイメージすることはできましたね。

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 ところで、この大野城。

 いつ、誰が作ったのかは明らかではないのだとか。

 将門伝説が豊富なこの土地ですから、当然、平将門が作った出城という説もあるそうのですね。

 ただ、昭和に行われた発掘調査の結果では、中世戦国時代に相当する城跡だと言われているらしい。

 平安時代の関東の城がどういう形態をしているのか、オイラにはちょっとわかりませんけど、将門も恐らくこの土地を訪れたことはあるのでしょう。

 この丘陵の急峻な崖に注目して、なんらかの防御施設を作ったということも考えられるな、と妄想は膨らみました。

 中学校のある丘陵と谷一つ隔てた小高い丘に、天満天神宮があります。

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 ここは、江戸時代初期に菅原道真を祭神として勧進されたと伝わるらしい。

 ただ、神社の由来を伝えた掛け軸によると、平将門が京都の北野天満宮を勧請したという記載があるそうですね。

 この土地と将門伝説のミステリーを解き明かすべく、浅見光彦になった気分でテクテク歩いていると、また道を迷ってしまいました。

 次の目的地は、駒形大神社。

 『天神宮へは、左手に商店のある十字路を左折する。駒形様へは、同十字路を左折後、次のY字路を右折し、道なりに進む』

 十字路を左折してから、次のY字路と思われる場所を右折して道なりに進んだのだけれど、やがてその「道なり」がいろんな小道と交差してわかりませぬ。

 仕方ない、戻るかと、今日何度目かの振り出しに戻る作戦を選択したのですが、途中でわからなくなってしまいました。

 しまった、ヘンデルとグレーテルみたいに森へ入るときは、パンくずを落として目印にすればよかったと悔やむものの後の祭り。

 地元の人に聞こうにも、なぜか出会いませぬ。

 千葉県の地図は持ってないし、あるのはこの小冊子の地図のみ。

 観光地だったら、看板や地図が道路にあるんですけどね。

 方向感覚もわからなくなってきて、久しぶりにあせりました。

 小冊子に書かれたかすかな情報をたよりに、歩きまくっていたら、地図の作成者がきまぐれに書き込んだと思われるお寺の名前を発見。

 その近所を歩き回って、正規のルートである「駒形大神社」の石柱を発見したときは、迷宮から脱出した気分になりました。

 駒形大神社は、神社に「大」がついている名に恥じず、荘厳な佇まい。

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 祭神は、経津主命と平将門なのですか。

 こちらの神社には面白い行事があるそうなんですよ。

 それは、市指定民俗文化財の「にらめっこおびしゃ」。

 東西に別れた氏子たちが一人ずつ向かい合って酒を飲んで、先に笑った方が大盃の酒を飲まなくてはいけないのだとか。

 そのときは、神妙な顔つきで酒を飲み合う二人に周囲の人たちは笑わせようと冗談を飛ばすらしい。

 笑ったり、しゃべったり、盃から口を離したりすると行司は「不敬者!」と一喝し、二人はさらに大盃の酒を受けるのですか。 

 五穀豊穣と村内安全を祈念する行事だそうですが、笑い上戸の大酒飲みにはたまらない行事かも。

 神に供える餅を投げあうシーンもあって、この餅に当たれば無病息災といわれるのですね。

 この行事にも将門の伝説があるようで、この土地を開墾した将門の配下だった将兵と都の朝廷政権との和睦を形式化したという話もあるそうです。


 それはともかく、現代のバラエティー番組の企画としても採用できそう。

 元々面白い顔をしたオヤジのほうが、分がいいわけですから、何らかのハンデもあったほうがいいのではないか、と…。

 餅のぶつけ合いも、食べ物を粗末にするなという昔の人の教訓にも逆行するようだし。

 昔は厳粛で、エンタテイメントがなかったようなイメージがありますけど、こういう行事が残っていると昔の人が身近に感じられました。

 駒形大神社を出てからは、わかりやすくて迷わない道が続きます。

 「市川市少年自然の家」のあたりは林間コースで、軽井沢の小道をあるいているよう。

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 巨大なお寺の本堂のような民家もあったりして、見所は盛りだくさん。壮大な果樹園は、何ができるのでしょうね。

 そして、最後の目的地、日枝神社に到着。

 隣にある広場では、桜が満開でした。

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 ベンチに腰掛け、コンビニで買った酢イカと缶コーヒーでお花見です。

 ここから、松飛台の駅まで一本道。

 ラビリンス、迷宮から生還したインディー・ジョーンズの気分になりました。

 気が緩んだのか、ここで花粉症の禁断症状が現れ、そのあと一日でティシュ一箱使う羽目に…。

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東京近郊のラビリンス、北総線沿線 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ゴールデンウイークはいかがお過ごしでしたか?

 オイラは二日間ほど、ウォーキングに行ってきました。しっかり充電したので、今日から仕事に頑張る予定です。

 それはともかく、オイラは小学校時代から東京周辺をほっつき歩いていたので、首都圏の鉄道はほとんど制覇していると思っていたんですよ。

 上野動物園のモノレールはもちろん、都内の遊園地のお猿電車まで…。

 最近できた日暮里舎人ライナーはまだですが、いずれ確実に乗ることになるでしょう。

 ところが灯台下暗し。

 オイラがよく利用している都営地下鉄から接続しているのに、まだ足を踏み入れていないルートがあることを発見したのです。

 それは、北総線。

 読んで字のごとく、千葉県の北部を横断して、終点の印旛日本医大駅まで続いているのですな。

 でも、電車に乗るのだけが趣味ではないし、結構電車賃が高い。

 沿線に見所でもあれば行ってもいいのだけれど、と思っていました。

 するとある日、都営地下鉄の駅で「ほくそう」という小冊子を見つけたのです。無料なので、条件反射で手が出てそれを読んでみると、ありました、ウォーキングコース。

 北総線の秋山駅から松飛台駅まで、約11キロ、所要時間2時間20分のコースですと。

 こりゃ、お手頃だし、コースを見ると神社仏閣、遺跡、そしてなんとお城までトッピングされている。

 行くっきゃない、と花粉がびゅんびゅん飛んでいる日でしたが、決死の覚悟でウォーキングを敢行しました。

 都営浅草線から乗り換えなしで京成線へ。京成高砂駅から北総線に乗り換えます。

 地下鉄から直接終点の印旛日本医大まで走っている電車もあって、ルート選択はなかなかややこしい。

 これは間違える人もいるだろうなと思いましたが、オイラは無事、目指す秋山駅に到着。 

 ホームを歩いていると、おっさん2人に呼び止められました。

 何でも、柴又まで行くつもりが、迷ってしまったらしい。

 いつまで乗っても着かず、だんだん郊外へ向かっているようで不安になって降りたのですか。

 目が泳ぎ、映画で見る寅さんの舞台とは似ても似つかぬ風景に戸惑っている様子がありありでした。

 京成高砂駅で京成線に乗らず、北総線に乗ってしまったのね。

 高砂駅まで戻ったほうが良いと言うと、二人は肩を落としてトボトボと反対側のホームへ向かうのでした。

 駅前に出ると、マンションはあるのに、商店がほとんどない。都心近郊の駅とは思えない風景でしたが、あと10年もするとスーパーやチェーン店がひしめく繁華街に激変するのでしょうね。

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 小冊子の地図を見ながら、まず向かったのは春日神社。

 古くて急な石段を上がると、趣のある社殿がありました。

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 この近所に春日神社が多いのは、昔、この近くにあった下総国の国府に赴任した都の役人がそのまま土着し、都で彼らが崇拝していた春日神社を祭ったのが始まりとか。

 1000年以上前にも、Iターンがあったのですね。生まれた土地に対する愛着は当時の人たちも強かったのでしょうか。

 そんなことを思い、小冊子を読みつつ、次の目的地を目指します。

 それにしてもこの小冊子。

 地図はあるのだけれど、市街図のようにいろいろな目印が書かれていないのでわかりづらいっす。

 それをサポートする意味で、地図に文章が書き込まれている。

 たとえば…

『参道を進み、五差路を右斜め前の道に入り、大通りへと出たら右折し、高校正門先の横断歩道を渡る』

 うう、国語の読解力が試されているような。

 これは、どう読み解けばいいのだろうと、立ち止まって考え込みました。

 海賊キッドの宝探しみたいで楽しかったですけどね。

 でも、次の文章には困りました。

『突き当たり手前のT字路を左折し小路へと入り、小橋を渡り坂を上る』

 この言葉通り進んだつもりが、地図と実態とが全然適合しない。

 ひぃぃぃ、早くも迷子ですか。

 あせるな、こういうときこそ、冷静になるのじゃと、自分を励まして、文章から地理的状況を推理しました。

 小橋があるってことは、川が近くに流れているはず。それに坂があるということは高台もなければならない。

 その二つの条件を満たす場所が、この近くにあるかどうか探せばよいのじゃ。

 …と探したけれど、どこにもないっす。

 第一、住宅街の真ん中でどこにも川なんて流れてないよう。

 仕方なく、地図と現実がマッチすると思われる場所まで戻ることにしました。

 そしてもう一度、さきほどの文章を読み解いて、自分が思い違いをしていることに気づいたのです。

 オイラは、突き当たりのT字路を左折してしまったのですが、正しくは突き当たり手前のT字路を左折するのですな。

 その条件で探すと、ありました。T字路と小路が…。

 そしてそこを進んでいくと、おお、これが小橋っすか。

Ts362975

 確かに、「小橋」だけど、オイラの思い描いていたイメージとはかなりの隔たりが…。

 ホントに日本語の表現って、難しいですね。

 やっと、コースに戻れたと喜んだのも束の間、また次の目的地がわからなくなってしまいました。

 それでも、目印となる高校が地図に書き込まれていたのでなんとか、その隣にある厳島神社に到着。

Ts362976

 厳島神社といえば、安芸宮島の厳島神社が有名ですが、そこは平家一門の守護神としても有名ですな。

 なぜ、関東に平氏が、という疑問もわきますが、関東にも平氏のスーパースターがおられるのでした。

 それは、承平天慶の乱の立役者である平将門。

 この地域は、平将門にまつわる伝承が今も数多く残っているのですね。この厳島神社も、平将門にゆかりの神社ではないかとも考えられているらしい。

 平将門については詳しくないのですが、朝廷に反旗をひるがえして、関東一円を手中に収めた平安時代の武将だという記憶があります。独立国を立ち上げようと画策したものの、平貞盛や藤原秀郷らによって討死した悲劇のヒーロー。

 ずっと前の大河ドラマ「風と雲と虹と」で、若き日の加藤剛が将門を演じてかっこよかったという記憶がありますね。

 比較的新興の住宅街だと思いきや、こんな古い歴史があるとはすごいです。

 そして次に向かったのは、もっと古い歴史がある場所なのですが、またしても迷ってしまいました。

 『2棟のマンションの間のT字路を右折し、しばらく進み、突き当りを右折し、坂を上る』

 2棟のマンションを行き過ぎ、こりゃいかんとまた戻る羽目に。

 でもなんとか、縄文時代に作られたという曽谷貝塚にたどり着きました。

Ts362979

 曽谷貝塚は、東西210m、南北240mという単独の馬蹄形貝塚としては日本一の広さがある貝塚らしい。貝塚が作られたのは、今から約4000~3000年前の縄文時代後期だそうですね。

 貝塚だけではなく、竪穴住居や土偶、土器、埋葬された人骨なども発見されているらしい。

 住宅と畑に囲まれた広い原っぱが、その跡ですか。さすがに日本一というだけあって、広いですな。

 う~ん。でも、歴史に興味がない人から見たら、ただの原っぱかも。

Ts362980

 あるのは石碑と解説板だけっすか。

 でも、せっかく来たのだからと、原っぱの周囲をぐるっと回ってみることにしました。

 それにしても、東京の近郊にこんな広々とした空間があるのは素敵ですよね。

 …と、何気に畑を覗いてみたのです。

 やけに白い土だなと…。

Ts362984

 よく見ると、白いツブツブが土の上にまだら模様になっている。

 何?この白いものは、とよくよく見たら、細かく砕かれた貝殻じゃないっすか。

Ts362987

 も、もしかして、これは貝塚からあふれ出した貝殻?

 だとしたら、ものすごい量の貝。

 畑からあふれ出した貝殻は、細かく砕かれてアスファルトの道路の上にも撒き散らされている。

 オイラが今道路の上で踏んでいる貝の欠片は、縄文人が食べた貝?

 おお、これはすごい。すごすぎる。

 農家の人も、畑からあふれ出た貝を撤去するというのではなく、作物とともに共存させているといいますか。

Ts362985

 縄文時代の貝殻から、にょっきり出た作物がとても貴重なように思えました。

 それにしても、この原っぱの下にはとてつもない量の貝が埋まっているのですね。それらは全部、縄文人がここまで運んできて、貝を食べた後捨てたもの。

 人間の力を見せ付けられたような気持ちになりました。

 今日の記事はまたまた長くなりましたが、まだウォーキングの半分も書いてはおりませぬ。

 途中で随分道に迷いましたからね。

 このあとも、文章の解釈をめぐってまた迷ってしまうのですが…。

 果たしてビジベンは、この東京近郊のラビリンス、迷宮から無事脱出できるのか。

 それは次回。

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