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輝く!私が、読んで面白かった小説大賞 ノミネート作品発表!!(2007年下半期~2008年上半期)

 こんにちは。

 ホント、暑いっすね。

 ところで先日、押入れをひっくり返して、70年代の地層から五分袖のトレーナーの発掘に成功したって書きました。

 同時にとんでもない遺物が出てきたんですよ。

 それは、オイラの高校時代の学生証。

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 モノクロ写真が時代を感じさせます。

 当時は体重50キロちょっとでしたから、かなり頬がこけているような。 

 それはともかく、学生証って普通、卒業証書と引き換えに学校に返却するんですよね。

 もしかして、オイラは高校を卒業していなかったのではと不安になり、卒業証書を探してしまいました。

 おかげさまで高校を卒業していたのは間違いなかったですけど…。

 返却し忘れたオイラに瑕疵があるのはもちろんですが、当時の高校の先生もゆるい人が多かったのを思い出しました。

 修学旅行の引率はだるいから中止しようとか、担任の先生が言ってたのを覚えています。

 学生が修学旅行に行きたいと言い張って、アンケートをすることになったのです。

 結局希望者多数で修学旅行へ行ったのですが、先生方はみんなしぶしぶついて行くという感じでしたね。

 そのゆるい教育が、現在のオイラのルーツになっているのかも。

 やっぱり、教育は大事ですな。

 さて、今日は毎年恒例となりました、私が、読んで面白かった小説大賞 2008年上半期の発表です。

 いつも芥川賞と直木賞の発表の後に行っているのですが、マスコミからはまったく何の反応もありませぬ。

 毎回、自分だけが勝手に盛り上がっている小説大賞。ちなみに昨年度(2007年下半期)のベスト5は以下の作品でした。


第五位
 アキハバラ@DEEP 石田衣良
 扉は閉ざされたまま 石持浅海

第四位
 上高地の切り裂きジャック 島田荘司

第三位
 花まんま 朱川湊人

第二位
 新史太閤記 司馬遼太郎

第一位
 電車男 中野独人



 前回は、国民的大作家や直木賞受賞のベストセラー作家の作品を差し置き、「電車男」がグランプリに輝いたのでした。
 
 上記を見ていただくとお分かりの通り、たんに私が読んで面白かったかどうかだけで選ばれるランキング。

 素人だけが許される特権を最大限に生かして、今年はどの作品が選ばれるのか、自分だけが注目しております。

 さて、能書きはこのくらいにして、本日は「ビジベンは、こんな本を読んできた。2008年上半期 輝く!私が読んで面白かった小説大賞」ノミネート作品発表。

 上半期があるなら、当然、下半期もあるはずですが、それはまた、いずれ。

 まずは、オイラが今年の1~6月までに読んだ本。

 読んだ小説は、以下のとおり、しめて25冊。

 ちなみに、去年は、29冊。おととしは22冊。その前は34冊でした。

 去年より忙しかったのかな、と考えたのですが、ひとつの作品を上下2冊にカウントしている分が4作品もありますからね。

 冊数で仕事の繁忙を決めるのは難しいのでした。

 このほかにもビジネス書や家庭医学書を結構読んでいるので、相変わらず、かなりの活字中毒ですな。

 でも、昔は月に10冊くらい小説を読んでいる時期もありましたからね。 

 最近は、まとまった時間がとれないので、電車の中や食事のときなど細切れの時間を利用して読むことが多いです。

 読みなれているからスピードは早いと思いますが、歳を経るに従って読解力が落ちているのがわかります。

 ミステリーでも、昔は犯人を当てるためにいろいろ考えながら読みましたが、最近は登場人物の名前を覚えるのがやっと…。

 最後に真犯人がわかっても、そんな人いたっけ? …とか。

 それはともかく、今年の上半期に読んだ本は以下のとおりです。発売された時期ではありませんので、念のため。


2008年上半期

1月
 菜の花の沖(6) 司馬遼太郎
 乱鴉の島 有栖川有栖
 顔のない敵 石持浅海
 犯人に告ぐ 雫井修介


2月
 妖怪(上) 司馬遼太郎
 妖怪(下) 司馬遼太郎
 生協の白石さん

3月
 司馬遼太郎と寺社を歩く
 風に舞い上がるビニールシート 森絵都
 殺人方程式 綾辻行人
 切り裂きジャック百年の孤独 島田荘司

4月
 スラッシャー 廃園の殺人 三津田信三
 まほろ駅前多田便利軒 三浦しをん
 平将門 吉川英治
 龍臥亭幻想(上) 島田荘司

5月
 龍臥亭幻想(下) 島田荘司
 Yの構図 島田荘司
 秋汎狩り 佐伯泰英
 消えた直木賞
 吉原手引草 松井今朝子
 
6月
 山魔の如き嗤うもの  三津田信三
 天下城 (上) 佐々木譲
 天下城 (下) 佐々木譲
 贄門島 (上) 内田康夫
 贄門島 (下) 内田康夫



 うぬぬ、この中からベスト5を選ぶのですか。

 ざっと眺めてみて、完全自己チューでオイラが面白かった本を5冊選ぶのはちょっと難しいかも。

 文句なしに第一位に輝く作品はあるのですけどね。あと、他の人はいざ知らず、オイラが読んで面白いというヲタク的なジャンルの本が一作品。

 それだけ書くとどの作品かわかってしまいそうですが…。

 ほかは文学的な価値はあっても、たんに面白かった本という基準では推しにくいかも。

 やっぱり、オイラが読んで面白かった小説大賞の価値を維持できる作品のレベルを維持する必要はある。

 …なんて、直木賞を「該当なし」と決めるような選考委員の気分を味わってみたいのでした。

 困ったニャー。

 …と思ったら、去年の下半期の面白かった小説大賞の発表をし忘れていたのでした。

 ちょうど良かったと、今回は去年の下半期と今年の上半期、トータル1年分から大賞作品を選ぶことにしたのでした。

 うう、すごいハイレベルな戦いになりそうじゃ。

 でも、完全自己チューですから、例によって万人に受ける作品と言うより、えっ?何これ?という作品になりそうですが…。

 去年のグランプリは「電車男」だし…。

 それはともかく、去年の下半期にオイラが読んだ作品は以下の通りっす。


2007年下半期

7月
 神の子供たちはみな踊る 村上春樹
 生首に聞いてみろ 法月倫太郎
 ミロクの掌 安孫子武丸

8月
 セリヌンティウスの舟 石持浅海
 カンガルー日和 村上春樹
 野ブタ。をプロデュース 白岩玄
 隠し剣孤影抄 藤沢周平
 スイス時計の謎 有栖川有栖

9月
 黒祠の島 小野不由美
 時の密室 芦辺拓
 ブルータワー 石田衣良
 信長の棺 加藤廣
 容疑者Xの献身 東野圭吾

10月
 半島を出よ(上) 村上龍
 半島を出よ(下) 村上龍


11月
 俄(にわか) (上) 司馬遼太郎
 俄(にわか) (下) 司馬遼太郎
 19歳の肖像 島田荘司
 日本殺人事件 山口雅也
 菜の花の沖 (1) 司馬遼太郎

12月
 菜の花の沖 (2) 司馬遼太郎
 菜の花の沖 (3) 司馬遼太郎
 菜の花の沖 (4) 司馬遼太郎
 菜の花の沖 (5) 司馬遼太郎



 去年の下半期は、25冊ですか。

 相変わらず、司馬遼太郎の本が多いですな。

 例年通り、歴史物、おもに司馬遼太郎の作品とミステリーを交互に読み、箸休めとしてジャンルを問わずベストセラーや話題になった作品を濫読する傾向にあるみたい。

 「菜の花の沖」を読んでしまったので、残る大作は、「翔ぶが如く」くらいになってしまったのは寂しい限りです。

 オイラの人生に大きな影響を与えた大作家ですからね。とくに「項羽と劉邦」「坂の上の雲」には、生きるヒントが凝縮して含まれているような気がしました。

 成功して栄華を極めてから、生き方を誤って新聞紙上を賑わしている有名人が多々いますけど、その転落の理由が司馬作品の中の登場人物にすべて入っているような。

 歴史は繰り返すといいますか、人間の本質だけは発展しないのだなとつくづく思います。


 それはともかく、この50冊の中から、ベスト5を選ぶんすか。

 ベストセラーや評判になった本ばかりの珠玉の50冊。

 自分で言っておきながら、難しいっすよ。

 じっくり一人になって考えてみます。発表は次回。

 ところで皆さんは、どの小説を選びますか?

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復活!70年代ファッション with 久留里 ウォーキングストーリー2

 こんにちは。

 やせてズボンのウエストがゆるゆるになったので、20代のときに買ったエドウィンのブルージーンズを穿いてみたんですよ。

 おお、入る、入る。

 ちょっときついけれど、ウエスト76センチをクリア。

 これが穿けたのは十年ぶりでしょうか。

 …となると、あれも穿けるかも。

 押入れをひっくり返し、取り出しましたるは10代のときに買った、ベルボトムのジーンズ。

 ククク…、これはきつい。

 まるで、今話題のスピード社の水着、レーザーレーサーを着るみたい。(← もちろん着たことないけど)

 悪戦苦闘の末、ようやく穿けたのです。ベルボトムを穿いたら、当時流行していた五分袖のトレーナーを着てみたくなりました。

 またしても押入れをひっくり返して、ようやく70年代の地層から、目指す遺物の発掘に成功しましたぁぁぁぁぁぁ~♪

 ベルボトムのジーンズに、五分袖のトレーナー。 …レトロっす。

 自分の姿を鏡に映して当時を懐かしんだのですが、なんかまだ足りないような。

 そうそう、あれを忘れてはなりませぬ。

 今でも箪笥に入っているはず…。

 取り出したのは、チューリップハット。

 高校時代、風吹ジュンにあこがれて買ったのですね~。

 ここまで完璧に70年代を再現できたら、外を歩いてみたくなるのが人情。

 靴ではなく、フォークシンガーみたいに雪駄を履いて歩くというこだわりもありました。

 外へ出て、完璧な「ナウい格好」で歩くオイラ。

 炎天下でしたが、なんか背筋が寒いと思ってまわりを見渡すと、道行く人々の冷たい視線を感じるのでした。

 結果的には、地球温暖化が人間の脳に与える影響について、問題を提議したことになるのかも。 


 さて、とうとう3回目に突入した久留里への旅。

 今日で最終回にしなければ、どこまでも続きそう。

 …ということで、またしてもお城の話題から。

 以前から、久留里城を写真で見るとき、天守閣の横に芝生の土檀があって何だろうと思っていたのですよ。

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 今回の旅行で、やっとその理由がわかりました。

 天守台の跡なのですな。

 復元された天守閣は、その横に改めて作ったわけですか。

 久留里城固有の城の形式かと思いましたが、疑問は氷解しました。

 やっぱり現地に来ないとわかりませんね。

 天守閣に入ると、やっぱし鉄コン筋クリート。

 最近は、木造で忠実に史料考証された天守閣が再建されていますが、昭和に復元されたお城は、外見だけ似せて、町のシンボルとする試みが多かったみたい。

 城ファンとしては、当時を忠実に再現してほしいですが、こうしてオイラがここに来たというのも、外側だけでも天守閣が見られるから。

 鉄コン筋クリートでも、なければここには来なかったでしょうね。

 一階には、日本全国の城の天守閣の写真が展示されていました。

 天守閣に登り、望楼からまわりの景色を眺めます。

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 ふふふ、久留里3万石の城主になった気分。

 下を眺めると、オイラと同じ城ヲタクが一眼レフのカメラでバシバシ写真を撮っているのが確認できます。

 久留里城は、「雨城」という別名もあるそうなんですよ。

 これは築城する際、3日に1度、21回も雨が降ったという伝説からつけられたらしい。

 姫路城を「白鷺城」、松本城を「烏城」、会津若松城を「鶴ヶ城」と呼ぶように、鳥の名前をつけた城が多いですが、「雨」とは珍しい。

 今に残るくらいだから、よっぽど城を作るときは困ったのでしょうね。

 そのとき雨がたくさん降ったから、今も町の至る所で水が噴き出しているのだろうかと思ったりしました。

 今日みたいにギンギラギンに晴れていると「雨城」というイメージはわきませんね。

 ちなみに天守閣と本丸を見たあと、元来た山道を戻ったのですが、家に帰ってネットで検索してみたのです。

 すると、本丸を別ルートで降りたところにド迫力の巨大堀切があると言うじゃないですか。

 しまった、見逃したぁぁぁぁ~ と地団太を踏んで悔しがっても後の祭り。

 そんな見所があるんだったら、解説板に書いといてよ!!

 もっとも、城の興味がない人が見たら、行く手を阻む迷惑な崖があるだけですが…。

 あとで悔しがるとは思わないオイラは、さきほど薬師曲輪の見晴台から眺めた三の丸のあとへ行ってみることにしました。

 当時は三の丸御殿があったそうですが、今は広い田んぼが広がるのみ。

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 何も残ってないなと、何気にケータイを取り出して写真を撮ろうとしたら、手が滑って舗装道路に落としてしまいました。

 ケータイは何度か落としたことがありますけど、今回はぶつかった場所が悪かったのか、蝶番の部分にひびが入ってしまったのです。

 2年前の機種なので買い換えればいいんですけど、324万画素のカメラ付きなので惜しいっす。

 …と、今もセロテープをケータイに貼って使っている自分が情けない。

 調子こいて歩き回っていましたが、これも13日の金曜日のたたり?

 めざましテレビの星座占いで、大切なものを壊すかもしれないから気をつけて、とお天気おねーたんの愛ちゃんが言っていたのを思い出しました。


 気を取り直して、後半の旅を続けます。

 久留里城の駐車場まで戻り、森林体験交流センターの横を通って道なりに進むと、県道大多喜君津線。

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 ほとんど車の通らない県道も珍しい。

 日陰がなく、久留里の名水とミネラルウォーターを満載した体から水分がどんどん蒸発してゆくのがわかりました。

 炎天下の田園をしばし歩き、久留里に来て始めて見たスーパーマーケットの横を右に入ってしばらく歩くと、お寺の山門が見えてきました。

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 このお寺は円覚寺。

 鎌倉にも円覚寺というお寺があって、国宝に指定されているお堂もあったと記憶しています。

 こちらの円覚寺は、江戸時代初期の久留里の城主であった土屋家の菩提寺だそうな。

 土屋家の先祖は、武田信玄に仕えた武将で、信玄愛用の数珠が所蔵されているらしい。

 このお寺の見所は、裏の墓所にある五輪塔。

 五輪塔とは、現代でいえば墓石でしょうか。

 県内最大の五輪塔という表示があったので行ってみることにしました。

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 おお、高さは約4メートルもあるのですね。

 そういえば、吉良上野介の五輪塔が都内にありましたが、こちらのほうがずっと大きい。

 2万石でも大名と高家筆頭との差はこんなところにあるのですかね。

 そういえば、二つ前の記事に書いた久留里藩最後の藩主黒田直養のお墓は元大名のお墓としては小さかったような。

 江戸時代初期と幕末から明治にかけてのお墓の変遷が面白かったです。

 隣の円如寺は、「花の寺」とも言われ、一年中花が咲いているシーンを見られるそうな。

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 オイラが行った日も、境内に花が咲いていました。

 花の知識に疎いので、何の花かわからないのですが…。

 ここから再び田園地帯を歩いて久留里駅前に出れば今回のウォーキングコースは終わりなのですが、まだ帰りのバスの時間には余裕がある。

 そこで地元でもらったガイドマップを再チェック。

 見所を完全に制覇しようという野望を企てたのでした。

 まず、朝、行き忘れた正源寺へ。

 ここには加勢観音像があり、戦国時代の久留里城主だった里見義堯が、夢のお告げに従って観音像を背負って小田原北条氏との合戦に臨んだらしい。

 それで合戦に勝ったのですか。

 オイラの住んでいるところは、江戸時代はともかく戦国時代の逸話なぞ聞いたことがありませぬ。

 地方都市には、昔の出来事がタイムカプセルみたいによく残っているのですね。

 それにしても、町内には井戸がホントにたくさんあります。

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 どうしてこんなに井戸がたくさんあるのかと考え、たくさん掘ったからという答えを導き出しました。

 それもそのはず、久留里は有名な「上総掘り」発祥の地だそうですね。

 それは、江戸時代後期に考案された井戸掘りの技法。

 櫓を組み、竹ひごの先に鉄管を取り付け、地下400メートルも掘り進むのだとか。

 前の記事で書いた久留里城址資料館の裏に、上総掘りの巨大な模型が展示されていました。

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 この技法を使って、今も発展途上国で井戸掘りが行われているというから驚きます。

 現代人でも、素人だったら地中400メートルも掘り下げる方法なんて思いつかないでしょう。

 どの時代にも、頭のいい人はいるのですな。

 …と思いつつ、またも町中の井戸から水をしこたま飲むのでした。

 そして最後に向かったのが、日本史の教科書でおなじみの新井白石の居宅跡。

 小学校の近くの公園に、新井白石居住の地の立派な碑が建っていました。

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 徳川六代将軍家宣と七代将軍家継の政治顧問として、さまざまな改革を行った人物であるというくらいの知識ですが、そんな有名人がここに住んでいたというのは驚きでした。

 江戸初期の藩主だった土屋家の藩士の子として生まれ、青年期の3年間をこの土地で過ごしたのだとか。

 その後、お家騒動で追放になったものの、勉強して儒学者・木下順庵の門下生となり、出世の糸口を掴んだのですね。

 追放にならなければ、教科書に載るような大人物にはなれなかったのかもしれないし、人の一生は、塞翁が馬だとつくづく思いました。

 そして帰りは、行きと同じく高速バスで。

 東京湾アクアラインから見た東京湾が、夕日にキラキラと光り輝いてとてもきれいでした。

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久留里 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 最近歩きすぎて、標準体重より2キロも下回ってしまいました。ズボンのウエストがゆるゆるっす。

 いつもどれくらい歩いているのだろうと、万歩計を買って計ってみたんですよ。

 多い日は、一日になんと、35,000~38,000歩も歩いている。

 このままの状態が続くと、果たして今年の夏を乗り越えられるのだろうか。

 お忙しい中恐縮ですが、街中で行き倒れになっているオイラを見かけたら、救命処置をお願いします。

 …ということで、全然懲りずに今日もお散歩ネタ。

 前回の記事では、目的地に到着するまでで終わってしまったのでした。

 でも、一本分の記事にできるくらい魅力的なバス路線。

 浜松町から久留里まで1800円の運賃で、レインボーブリッジや東京湾アクアラインなどのスペクタクルシーンが車窓に展開するのですからね。

 2時間弱、ハリウッドの大作映画を見るようなもの。

 しかもバスから降りた時点で、新たな旅が始まる。

 バスの旅を、これからもっと積極的に展開しようと思ったのでした。

 オイラがまず向かったのはJR久留里線の久留里駅。

 地方都市を効率よく回るには情報収集が欠かせませぬ。大抵、駅の近くの観光案内所などに「町めぐりマップ」があるからですね~。

 それにしても、久留里駅は絵に描いたようなローカル色が感じられて、郷愁をそそられました。 

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 駅前に無粋なロータリーやショッピングセンターがないのは、一都三県では貴重かも。

 代わりに古い公民館がありましたよ。

 そこで無料ガイドマップ2種類と駅で「駅からマップ」合計3種類をゲッツ。

 まずは情報武装をせねば、と公民館のソファーに腰掛け、持ってきたガイドブックとそれらに目を通しました。

 久留里は城下町なのはもちろん、水の里としても知られているみたい。

 町の中にたくさんの井戸があって、誰でも名水が飲めるそうですね。

 それを聞いたら、飲まないわけにはまいりませぬ。

 …と向かったのは、「久留里の名水」の一番人気といわれる高沢の井戸。

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 実はオイラ、今日は暑くなると天気予報で見たから、たっぷりミネラルウォーターを東京から持ってきたのです。

 エビアンとクリスタルガイザーと南アルプス天然水。

 久留里城は山城なので、途中水が絶たれると城攻めに支障をきたすのではないか、と…。

 東京で、水ではなく、情報を仕入れてくればよかったと悔やんでも後の祭り。

 さっそく路上で、それらのミネラルウォーターと久留里の名水の試飲会です。

 どれもおいしい~♪

 く~、暑いときは水に限るね。

 だけど、味の違いがわからないっす。

 久留里の名水は、冷えていて新鮮な分、ホントにおいしいと感じました。

 胃をチャポチャポ揺らしながら次に向かったのは、真勝寺。

 ここには、幕末維新期の悲劇の主人公、杉木良太郎の墓があるとのこと。

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 「杉木良太郎の墓」という解説板を見て、杉良太郎様をイメージしない人はいないかも。

 でも、関係はないみたいですので念のため。 

 幕末、久留里藩が官軍に帰順する決定をしたとき、憤慨した藩士の一人である杉木良太郎が官軍の陣営に一人切り込もうとしたらしい。

 それを知った父が藩を守るため、息子を切り捨てたという悲劇があったのですね。

 「泣いて馬謖を斬る」という諺がありますが、息子を斬るなんて…。

 幕末の動乱期は、今では考えられないくらいの悲劇があったのですね。

 もっとも今も、昔の人からは考えられないくらいの事件が勃発していますが。

 同じお寺に、久留里藩最後の藩主、黒田直養(くろだ なおなか)の墓もありました。

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 3万石のお殿様のお墓としては小振りですが、大正時代に亡くなられたからでしょうね。

 次に向かったのは、久留里神社。

 途中、雨城庵の井戸という名水もあって、ポリタンクを持った人が車でやってきて水を汲んでいました。

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 胃がガボガボで苦しいけど、せっかく来たのだからと、また一口いただきましたが。

 それはともかく、久留里神社は1021年に平忠常が創建したらしい。

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 源頼朝が戦勝祈願をした伝承も残るそうですね。

 そして、なんとここでも境内に井戸があって清水が滾々と湧き出ていました。

 こうなりゃ、水の飲み比べじゃ~とここでも一口。

 名水が無料で飲み放題ですからね。

 今では500ミリリットル150円を遥かに超える価格の水もあるというのに…。

 かなり体が重くなって、これから登り坂なのに大丈夫かと心配しながら、いよいよ今日のメインイベント、久留里城攻めを開始します。

 深閑とした城山隧道を抜けると、久留里城の登山口。

 広い駐車場の脇に、登山用の杖がありました。

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 こういうのがあると、登るのが大変なのではと身構えます。

 無料で借りられるのはうれしいけれど、まだオイラには早いと杖を使わず行くことにしました。

 おととしの年末、日向薬師へ行ったとき、熊に対処するために太い丸太を拾って杖代わりに歩いた記憶がよみがえりました。

 久留里城本丸への登山道は、コンクリートでしっかり固められて杖の必要は感じない。

 歩きやすいけれど、山城の野趣が感じられませぬ。車が走れるくらい立派な道をどうして作ったのでしょうね。

 本丸や二の丸へも通じているらしいので、野鳥観察の道のほうを登ることにしました。

 おお、やっぱしこちらのほうが山城の雰囲気が残っているっす。

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 火薬庫の跡や尾根を深く掘り下げて敵の侵入を防ぐ堀切もよく残っていました。

 やがて二の丸へ到着。

 二の丸の外曲輪にある薬師曲輪からの眺めは最高でした。

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 今は田んぼになっていますが、城の下には三の丸御殿や内堀が広がっていたらしい。

 戦国時代、北条の2万の大軍が久留里城を取り囲んだそうなんですよ。

 里美八犬伝で有名な里見氏の当時の城主であった里見義堯・義弘父子はこれを撃退したのだとか。

 今はのどかな田園地帯で、激しい戦闘があったなんて信じられませぬ。

 二の丸にある資料館では、君津市内の出土物や里見氏から黒田氏に至る関係資料が展示されていました。

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 藩当時の久留里城の模型もありましたが、本丸の二重櫓、いわゆる天守閣はホントにあったのですね。

 関東の城は、幕府への遠慮から天守閣を設けなかった城も多いのですが、幕府から5千両を下賜されて城を再整備したというから驚きです。

 城の模型を10分近く見入っていたので、変なおじさんと思われたかもしれませぬ。

 城の縄張りを頭にインプットして、いよいよ本丸の攻略に向かいます。

 本丸へ向かう途中にあるのが、男井戸・女井戸。

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 おいど、めいど、と読むそうな。

 山城の本丸近くに豊富に水が湧き出る井戸があると心強いですね。

 こちらの井戸は、名水というよりかなり濁っていて飲めなさそうでしたが…。

 それにしても、本丸まであとわずかというのに、天守閣が見えないっす。

 天守閣があるのに、これだけ外から見えない城は珍しいかも。

 天守閣を作る理由はいくつかありますが、権力の象徴という点は否定できないでしょうね。

 姫路城や彦根城などは高台にあって、市内のどこからでも見ることができました。

 ところが久留里城の天守閣は、町のどこからも見えないような。

 そんなことを考えつつ、階段を登って、本丸への最終コーナーをまわると、おお、やっと見えました、久留里城天守閣。

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 昭和53年に復元されたそうですが、最近になって外壁をリフォームしてきれいになったみたい。

 写真では何度も見たことがありますが、実際見ると結構大きいですね。

 高さは約15メートルだとか。

 これからいよいよ久留里城の本丸を攻めるのですが、また長く書きすぎたために、終わらなくなってしまいました。

 とうとう「久留里をゆく」はシリーズ化か?

 13日の金曜日で、星座占いの運勢はブービー賞なのに、結構順調に行っている今回の旅。

 このままビジベンは無事帰れるのか。

 次回最終回にその結果がわかります。

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東京湾アクアライン ウォーキングストーリー 

 こんにちは。

 遅ればせながら、ついに東京湾アクアラインの横断に成功しましたぁぁぁぁ~

 海ほたる経由で、オイラが行ったのは千葉県の久留里です。

 直線距離にしたら近いのですが、ぐるっと東京湾の周辺を回ってゆくと、日帰り旅ではなかなか大変な場所。

 房総半島の内陸部にありますからね。

 復興ですが、関東地方では貴重な天守閣のある城跡があるので、前から訪れてみたかった土地です。

 そんな近くて遠い場所が、都心から2時間もかからず行けるのを知ったのはつい最近でした。

 高速バスという手段があったのですね~。

 オイラは電車ではかなり旅行の経験がありますが、1時間以上バスに乗って旅行をするというのは、勤めていた頃の社員旅行以来。

 チケットを買うにはどうしたらいいだろうと、出発地点である浜松町のバスターミナルに仕事帰りに聞きに行きました。

 そこで、全然関係ないはとバスの窓口でおねーたんを困らせる羽目に…。

 ネットで調べてみたら、いろんな買い方があるのですね。

 電話はもちろんネット予約という手もあるみたいですが、面白そうだったのでコンビニの端末でチケットを購入してみました。

 おお、これは便利。ネットのようにクレジットカードを使ったり、プリンターで書類を印刷したりすることなく、現金で買えるし…。

 そんなわけで、日曜日に仕事をする日が続いていたので、自分へのご褒美と、平日に行ってみることにしました。

 当日は、13日の金曜日。しかも、めざましテレビの星座占いでは11番目と、幸運とは無縁の日でした。

 この日しか空いている日はなかったし。でも、そんなの関係ねぇ~と7時40分発の高速バスに乗り込みます。

 このバスの行き先は、亀田総合病院なのだとか。

 都心から直通バスが地方都市の病院に直通バスが出ているのですからすごいですね。

 評判の病院らしいので、一度訪れてみたいものだと思いました。

 最初、えっ、乗客はたったの4人?と驚いたのですが、次の東京駅でゾロゾロと乗ってくる人が増えました。

 それでも皆、2つのシートを一人占めできるくらいゆったりした雰囲気でしたよ。

 バスは都内の喧騒を抜け、首都高へ。

 チケットを買うのに全精力を使い果たしてしまい、どういうルートで行くのかまでは頭が回りませんでした。

 それがちょっとしたミステリーツアーの気分になったのかも。

 海岸通りからよく見た風景が続くと思ったら、おお、もしかしてレインボーブリッジを越えるのか?

 下の遊歩道は何度も渡ったことがありますが、橋の最上部をオイラが走るなんて。

 なんか少し、出世した気分。

 天井や柵のあるのとは違って、圧倒的な視界が広がります。

 行った日は、前日までの雨が嘘のように消え、真夏の日差しが容赦なく照り付けました。

 湾岸道路を快調に疾走する高速バス。

 おお、左手に見えるのは、羽田空港もとい東京国際空港じゃないっすか。

 巨大な旅客機が、大空から舞い降りてくるのがすぐ近くで確認できました。

 最近、来ていないけれど、羽田も変わったっすねぇ。

 巨大な建造物が次々に現れ、未来都市に紛れ込んだよう。

 バスの中を見ると、ギラギラ照りつける太陽を避けるため、皆カーテンを引いて眠ったり、ケータイを覗き込んだりしていました。

 カーテンを全開にして、直射日光をモロに浴びながら外の景色に興奮しているのはオイラだけっすか。

 ほかの乗客たちは、高速バスの常連客みたい。

 前に座っている中年の女性は、発車と同時にカーテンを引き、ライトやエアコンの方向を調節して文庫本を読んでるし…。

 バスに乗ってずっと下を向いていると、気持ち悪くならないのでしょうか。

 そういえば昔のバス遠足は、ゲ○吐き用のビニール袋を必ず持参するように言われたような。

 クラスメートで、バスに乗ると必ずゲ○を吐いていた子の顔がフラッシュバックして、ノスタルジックな気分になりました。

 バスに酔うという話は近頃聞かないですけど、最近の子は大丈夫なんですかね。

 高速バスで大人が酔うと恥をさらしそうなので、なるべく遠くを見ていることにしました。

 …と思ったのも束の間、バスはトンネルの中に突入し、遠くを見ることができないっす。

 このトンネルは多摩川トンネルと言うらしい。

 国境の長いトンネルを越えると、川崎だった。

 倉庫や工場が建ち並ぶ工業地帯。まさに、子供の頃習った京浜工業地帯のど真ん中にいるイメージ。

 さて、今度はどこへ向かうのか。

 巨大なインターチェンジをぐるっと回ると、またバスはトンネルの中へ。

 おお、今度のトンネルは多摩川トンネルより完璧に長いっす。

 しかも、徐々に下っている。

 地の底へ降りてゆくみたい。

 トンネルの横幅が広くて、天井も高く、巨大な鍾乳洞のように感じられました。

 暖色系のライトが、遥かかなたまで続いている。

 出口が見えないよう。

 あれっ、こんなに長いトンネルなんてあったっけ?

 も、もしかして、今オイラが走っているのが、東京湾アクアライン?

 冗談抜きで、東京湾アクアラインは、三浦半島の先端が入り口だと思っていました。

 地図で見て、東京湾が一番狭くなっているところだから。

 川崎から木更津まで直通していたら、東京からすぐですよね。

 自分の常識のなさに愕然としたとき、パッと視界が広がってトンネルから外へ出ました。

 おお、360度オーシャンブルーじゃ~

 窓から見える外は海。そして反対側の窓から見えるのも海。
 
 オイラは今、東京湾の上を走っているのですね。

 まさか目的地に向かうバスだけでこんなに文字を費やすと思ってなかったので、写真はこの一枚だけしか撮れませんでしたが…。

Ts363344

 昔、フェリーに乗って、東京湾を渡った頃の記憶がよみがえって来ました。

 当時、東京湾をそのまま渡れるなんて思ってもいなかった。

 うう、長生きはするもんじゃて。

 フロントガラスに広がる前方は、青い海の上に一本の白いラインがどこまでも続いていて、その先には木更津の市街地が広がっている。

 房総半島に近づくにつれ、遠浅になっているようで、海から何本も棒が突き出ているのが見えました。

 橋のすぐ下で、海苔を取っているのでしょうか。

 木更津市街に上陸すると、それまでノンストップで走っていたバスは路線バスのようにバス停に止まります。

 ここまで何と約一時間。

 木更津に住んで、東京までバス通勤するという選択肢もありそう。

 東京駅の前まで行きますからね。

 さすがに東京湾の上を走るから、台風とか来たら困りそうですが…。

 そんなことを考えている間も、バスは快調に走って木更津市街から君津へと入ります。

 いよいよ、オイラにとって処女地なので、背筋を伸ばしてシートに座りなおしました。

 房総半島の内陸部は、もっと山が多いと思いましたが、バス路線に関しては平地が多いような。

 水田の緑はたくさんありましたけど、結構家も建ち並んでいて、この辺りまで首都圏が進出してきているようなイメージも受けましたね。

 やがて、バスはとあるバス停に。

 そこで、リクルートスーツを着た女子大生が降りたのですが、会社訪問?

 ここらあたりは、緑豊かな丘陵地帯。

 会社があるとは思えないのだけれど。

 東京のど真ん中から、来るくらいだからきっと大企業の秘密研究所があるのかもしれませんね。

 小さな山と水田が広がる土地をしばらく走って、目指す目的地の久留里へやってきました。

 時刻は9時20分を少し過ぎたあたり。

 ここまで2時間弱で、時間と空間を越えて旅をしたような気分になります。

 降りたバス停は、商店街の中にありました。

 思ったより、人通りというか車通りが多い。

 上を見ると、おお久留里城が。

Ts363404

 これからいよいよ城下町・久留里をめぐるのですが、目的地に向かうだけで文章を書きすぎました。 

 この続きは次回。

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一億円の札束と市谷 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 またまた口内炎ができて痛いっす。

 以前は、口の中を全力で噛んで血が出て、そこから口内炎に移行するタイプが多かったのですよ。

 口の中をよく噛むのは、太ったときにそうなると聞きました。口の中に脂肪がついて狭くなるからだそうな。

 そこでダイエットして、標準体重を下回るようになったら、口の中を噛むという悲劇は確かになくなりました。

 でも相変わらず、数ヶ月に一度は口内炎になる。

 よくストレスがたまると口内炎になると言われますが、ホントですかね。

 確かに、ウォーキングへ行くと良くなるのですが…。 

 
 …ということで、口内炎の改善のため、前回のお散歩ネタの続きから。

 神楽坂の代名詞ともなっている石畳の狭い路地を抜け、大久保通りに出ると巨大なビルが…。

 おお、ここは大手ゼネコンの熊谷組の本社ビルっすか。

 熊谷組とは個人的にも会社的にも関係はないのですが、なぜか子供の頃に見たインパクトのある映像が今でも記憶に残っています。

 それは熊谷組が都市対抗野球に出たときの応援風景。

 その後、かなり長く生きていて、プロ野球や大学野球をはじめいろいろな球場へ足を運んでことがありますけど、あんなすごい応援を見たことがない。

 当時は、東京ドームができる前で、屋外の後楽園球場でした。

 親戚の知り合いが熊谷組に勤めていて、入場券をもらって友人と見に行ったのだと思います。

 都市対抗野球の決勝で、応援席がすごい盛り上がり。

 野球の応援といえば、チアガールと応援団が定番ですよね。

 熊谷組のチアガールは普通の衣装だったのですが、男の応援団はヘルメットをかぶり、土木作業員のコスチーム。足はもちろん地下足袋。

 そして、つるはしやスコップを持って、チアガールと踊りまくる。

 中には、日に焼けて、つるはしを振り下ろす腰がすわっていて、とても素人には見えない人たちも何人かおりました。

 真夏の試合だったので、筋肉質のおっさんから飛び散る汗が球場のライトに照らされてキラキラ光ります。

 そのまま後楽園球場の改修工事に取り組めそう。

 試合よりも、おっさんたちの勇姿に目が釘付けっす。

 でも、最終回に逆転されて負けてしまったのでした。

 相手チームの優勝決定の瞬間、グラウンドに投げるために渡された紙テープを握り締め、悔し涙にくれたのでした。

 その後、野球部が解散したと聞いたのですが、今はどうなのでしょうね。

 せめて、あの応援風景をもう一度見たいものじゃと思いつつ、熊谷組の本社ビルの前にある小高い丘の階段を上りました。

 丘の頂上にあるのが、筑土八幡神社。

Ts363316

 土で築くという名前から、土塁をイメージしてしまいます。

 ここも城跡の名残かも、と思いましたが、筑紫宇佐の八幡宮の土を取りよせて基礎を作ったことに由来するという説があるそうですね。

 神社の境内には、「田村虎蔵先生をたたえる碑」がありました。

 いかめしい名前の雰囲気から一瞬引いてしまいましたが、

 まさかりかついで きんたろう くまにまたがり おうまのけいこ ハイシイドウドウ ハイドウドウ ハイシイドウドウ

 という「金太郎」の歌を作曲した人だと知って、急に親近感がわいてきました。

 参拝したあと、境内の裏手から出て、御殿坂を下る角を右折し、道なりに進みます。

 けやきの大木のある白銀公園で一休みしたあと、近くの赤城神社へ向かいました。

Ts363322

 牛込城主であった牛込氏は、元は群馬県赤城山麓の豪族大胡氏だったそうですから、この地にも赤城の関連のある神社があるのでしょうか。

 赤城というだけあって、参道には赤い燈籠が並び、社殿も鮮やかな朱色が目にまぶしい。

 本家の赤城山も、やはり赤のイメージがする山なのだろうかとまだ行ったことのない山に思いをはせます。

 赤城神社から早稲田通りを経て、朝日坂を上りました。この辺りは、横寺町というだけあってお寺が多い。

 江戸の香り漂うと言いたいところですが、一見なんの変哲もない住宅街を歩いてゆくと、民家の細い路地に解説板があるのを見つけました。

Ts363324

 見ると、尾崎紅葉旧宅跡ですと。

 尾崎紅葉といえば、寛一お宮の「金色夜叉」で一世を風靡した作家ですが、気をつけていないと通り過ぎてしまうような場所に住んでいたのですね。

 でも、紅葉は30歳代の若さで亡くなり、この地に住んだのは25歳のときだったとか。

 20歳代で多くの弟子を抱えていたのに驚きましたが、この小さな家で玄関番をしていたのが、若き日の泉鏡花だったというのにはさらにびっくり。

 泉鏡花賞など権威のある賞もあるくらいの文豪ですから、若い頃から注目されてちやほやされているような印象でした。

 でも、金沢から十代で上京し、友人たちと同居しながら六回も下宿を引越したとか。

 そのあと、紅葉の家で書生をしながら、文章を磨いていったのですね。

 今でこそ、紅葉や鏡花は国語の教科書には欠かせない大人物ですが、この地にいたときは、20歳代の作家と10代の書生。

 今のオイラより年下だった二人は、どんな青春を送ったのかいろいろイメージは膨らみました。

 あまり長い時間狭い路地に立っていると、不審者と間違われそうなので次の目的地へ向かいます。

 そのまま道を直進すると、公園のそばにコンクリートの塀で囲まれた一画がありました。

 門が閉まっていて中に入れないのですが、上から覗くと古いお墓が並んでいる。

Ts363326

 また解説板を読むと、ここは「林氏墓地」だとか。

 林氏といえば、林羅山が徳川家康にお目見えし、その後代々儒学をもって幕府に仕えた家というくらいの認識。

 そういえば、江戸幕府の学問所だった昌平坂学問所の前身は林氏の私塾だったそうですね。

 東大のルーツをたどると昌平坂学問所に行き着くそうだから、そのまたルーツは林羅山が作った私塾になるのでしょうか。

 湯島聖堂に合格祈願へ行く前に、ここへお参りするのもご利益あるかも、と思いました。

 誰もお参りしていないから、ご利益の競争率は低そうだし…。

 もっとも、扉が閉まっていて中には入れないのでした。

 住宅街のラビリンスをくぐり抜け、たどり着いたのは泉鏡花旧宅跡。

Ts363329

 紅葉の玄関番から出世して、とうとう一軒家に住むことができたのですね。

 でも、一年くらいで引越してしまったそうですが、鏡花の生涯をたどっているような気分になりました。

 この辺りは古い町で、江戸、明治の史跡がたくさん残っておりまするな。

 坂をくだったところにあるのが、浄輪寺。

 ここには、先週、数学の不得意なオイラを落ち込ませた関孝和先生のお墓がありました。

Ts363330

 ここへお参りすると、数学の不得意な人は大宰府や湯島天神より専門性があるからご利益があるかも、と思ったりして…。
 
 隣の多聞院には、新劇の大女優、松井須磨子の墓が。

Ts363332

 ずっと昔、NHKの朝のドラマで見たことがありますが、文芸評論家であり演出家であった島村抱月のあとを追って自殺したそうですね。

 享年34歳。若くして亡くなってしまう俳優さんは、強烈なイメージとともに名前が残るのですな。

 そしてオイラが最後にむかったのが、「お札と切手の博物館」。

Ts363336

 ソフトな名前がつけられていますが、正式には財務省印刷局記念館というらしい。

 子供時代、切手の収集が流行っていましたが、あまり興味はなかったです。

 反面、お札には今も昔も大きな興味を寄せていますけど、なかなかうまく収集できないっす。

 古いお金じゃなくて、出来立てのお金でもいいんですけどね。

 そんな思いが通じたのか、館内にはなんとモノホンの一億円が…。

 一億円の札束を持って重さを体験できるコーナーがあるのですね~。

 その重さを実感してもらおうという意図なのだと思いますが、思ったより軽いような。

 銀行員時代、聖徳太子の札束三億円をタクシーで運んだことがあったのでした。

 現金バッグが肩に食い込んで、そのときはお金なんか嫌いじゃ~と叫びたくなりましたね。

 今、貧乏なのは、そのときの心の叫びが神様に届いてしまったのではないか、と…。

 ほかに興味を覚えたのは、顕微鏡を使ってお札に入っている「マイクロ文字」が見られるコーナー。

 ここにはサンプルのお札はなくて、自分の財布から出さねばならない。

 財布から大枚一万円札を出して顕微鏡で見てみると、一本の細い線に見えたのが超細かい文字だというのがわかりました。

 「NIPPON GINKO」の文字は、どんなに近眼の人でも見ることはできないでしょう。

 さすがに印刷技術の粋を集めてお札が作られているだけあって、偽札防止の対策がいろいろ施されているのですね。

 オイラの持っているお札はおかげさまで偽札ではないということが証明できました。

 ホログラムやすかし、凸版印刷など、お札一枚でも技術の高さが実感できます。

 ほかにも、日本のお札や切手の歴史をたどるコーナーや世界各国のお札や切手。

 お札や切手を芸術の視点で触れられるコーナーもありました。

 それにしても、現在の一万円の肖像が、KO大学の創立者の福沢諭吉なのは異論がありますな。

 今日はたまたま一万円札が財布に入っていましたけど、いつもはなるべく福沢諭吉のお札は財布に入れないようにしています。 

 やっぱし、尊敬する野口英世の千円札がオイラのメイン紙幣なのだと…。 ← たんに貧乏なだけ?

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