久留里 ウォーキングストーリー
こんにちは。
最近歩きすぎて、標準体重より2キロも下回ってしまいました。ズボンのウエストがゆるゆるっす。
いつもどれくらい歩いているのだろうと、万歩計を買って計ってみたんですよ。
多い日は、一日になんと、35,000~38,000歩も歩いている。
このままの状態が続くと、果たして今年の夏を乗り越えられるのだろうか。
お忙しい中恐縮ですが、街中で行き倒れになっているオイラを見かけたら、救命処置をお願いします。
…ということで、全然懲りずに今日もお散歩ネタ。
前回の記事では、目的地に到着するまでで終わってしまったのでした。
でも、一本分の記事にできるくらい魅力的なバス路線。
浜松町から久留里まで1800円の運賃で、レインボーブリッジや東京湾アクアラインなどのスペクタクルシーンが車窓に展開するのですからね。
2時間弱、ハリウッドの大作映画を見るようなもの。
しかもバスから降りた時点で、新たな旅が始まる。
バスの旅を、これからもっと積極的に展開しようと思ったのでした。
オイラがまず向かったのはJR久留里線の久留里駅。
地方都市を効率よく回るには情報収集が欠かせませぬ。大抵、駅の近くの観光案内所などに「町めぐりマップ」があるからですね~。
それにしても、久留里駅は絵に描いたようなローカル色が感じられて、郷愁をそそられました。
駅前に無粋なロータリーやショッピングセンターがないのは、一都三県では貴重かも。
代わりに古い公民館がありましたよ。
そこで無料ガイドマップ2種類と駅で「駅からマップ」合計3種類をゲッツ。
まずは情報武装をせねば、と公民館のソファーに腰掛け、持ってきたガイドブックとそれらに目を通しました。
久留里は城下町なのはもちろん、水の里としても知られているみたい。
町の中にたくさんの井戸があって、誰でも名水が飲めるそうですね。
それを聞いたら、飲まないわけにはまいりませぬ。
…と向かったのは、「久留里の名水」の一番人気といわれる高沢の井戸。
実はオイラ、今日は暑くなると天気予報で見たから、たっぷりミネラルウォーターを東京から持ってきたのです。
エビアンとクリスタルガイザーと南アルプス天然水。
久留里城は山城なので、途中水が絶たれると城攻めに支障をきたすのではないか、と…。
東京で、水ではなく、情報を仕入れてくればよかったと悔やんでも後の祭り。
さっそく路上で、それらのミネラルウォーターと久留里の名水の試飲会です。
どれもおいしい~♪
く~、暑いときは水に限るね。
だけど、味の違いがわからないっす。
久留里の名水は、冷えていて新鮮な分、ホントにおいしいと感じました。
胃をチャポチャポ揺らしながら次に向かったのは、真勝寺。
ここには、幕末維新期の悲劇の主人公、杉木良太郎の墓があるとのこと。
「杉木良太郎の墓」という解説板を見て、杉良太郎様をイメージしない人はいないかも。
でも、関係はないみたいですので念のため。
幕末、久留里藩が官軍に帰順する決定をしたとき、憤慨した藩士の一人である杉木良太郎が官軍の陣営に一人切り込もうとしたらしい。
それを知った父が藩を守るため、息子を切り捨てたという悲劇があったのですね。
「泣いて馬謖を斬る」という諺がありますが、息子を斬るなんて…。
幕末の動乱期は、今では考えられないくらいの悲劇があったのですね。
もっとも今も、昔の人からは考えられないくらいの事件が勃発していますが。
同じお寺に、久留里藩最後の藩主、黒田直養(くろだ なおなか)の墓もありました。
3万石のお殿様のお墓としては小振りですが、大正時代に亡くなられたからでしょうね。
次に向かったのは、久留里神社。
途中、雨城庵の井戸という名水もあって、ポリタンクを持った人が車でやってきて水を汲んでいました。
胃がガボガボで苦しいけど、せっかく来たのだからと、また一口いただきましたが。
それはともかく、久留里神社は1021年に平忠常が創建したらしい。
源頼朝が戦勝祈願をした伝承も残るそうですね。
そして、なんとここでも境内に井戸があって清水が滾々と湧き出ていました。
こうなりゃ、水の飲み比べじゃ~とここでも一口。
名水が無料で飲み放題ですからね。
今では500ミリリットル150円を遥かに超える価格の水もあるというのに…。
かなり体が重くなって、これから登り坂なのに大丈夫かと心配しながら、いよいよ今日のメインイベント、久留里城攻めを開始します。
深閑とした城山隧道を抜けると、久留里城の登山口。
広い駐車場の脇に、登山用の杖がありました。
こういうのがあると、登るのが大変なのではと身構えます。
無料で借りられるのはうれしいけれど、まだオイラには早いと杖を使わず行くことにしました。
おととしの年末、日向薬師へ行ったとき、熊に対処するために太い丸太を拾って杖代わりに歩いた記憶がよみがえりました。
久留里城本丸への登山道は、コンクリートでしっかり固められて杖の必要は感じない。
歩きやすいけれど、山城の野趣が感じられませぬ。車が走れるくらい立派な道をどうして作ったのでしょうね。
本丸や二の丸へも通じているらしいので、野鳥観察の道のほうを登ることにしました。
おお、やっぱしこちらのほうが山城の雰囲気が残っているっす。
火薬庫の跡や尾根を深く掘り下げて敵の侵入を防ぐ堀切もよく残っていました。
やがて二の丸へ到着。
二の丸の外曲輪にある薬師曲輪からの眺めは最高でした。
今は田んぼになっていますが、城の下には三の丸御殿や内堀が広がっていたらしい。
戦国時代、北条の2万の大軍が久留里城を取り囲んだそうなんですよ。
里美八犬伝で有名な里見氏の当時の城主であった里見義堯・義弘父子はこれを撃退したのだとか。
今はのどかな田園地帯で、激しい戦闘があったなんて信じられませぬ。
二の丸にある資料館では、君津市内の出土物や里見氏から黒田氏に至る関係資料が展示されていました。
藩当時の久留里城の模型もありましたが、本丸の二重櫓、いわゆる天守閣はホントにあったのですね。
関東の城は、幕府への遠慮から天守閣を設けなかった城も多いのですが、幕府から5千両を下賜されて城を再整備したというから驚きです。
城の模型を10分近く見入っていたので、変なおじさんと思われたかもしれませぬ。
城の縄張りを頭にインプットして、いよいよ本丸の攻略に向かいます。
本丸へ向かう途中にあるのが、男井戸・女井戸。
おいど、めいど、と読むそうな。
山城の本丸近くに豊富に水が湧き出る井戸があると心強いですね。
こちらの井戸は、名水というよりかなり濁っていて飲めなさそうでしたが…。
それにしても、本丸まであとわずかというのに、天守閣が見えないっす。
天守閣があるのに、これだけ外から見えない城は珍しいかも。
天守閣を作る理由はいくつかありますが、権力の象徴という点は否定できないでしょうね。
姫路城や彦根城などは高台にあって、市内のどこからでも見ることができました。
ところが久留里城の天守閣は、町のどこからも見えないような。
そんなことを考えつつ、階段を登って、本丸への最終コーナーをまわると、おお、やっと見えました、久留里城天守閣。
昭和53年に復元されたそうですが、最近になって外壁をリフォームしてきれいになったみたい。
写真では何度も見たことがありますが、実際見ると結構大きいですね。
高さは約15メートルだとか。
これからいよいよ久留里城の本丸を攻めるのですが、また長く書きすぎたために、終わらなくなってしまいました。
とうとう「久留里をゆく」はシリーズ化か?
13日の金曜日で、星座占いの運勢はブービー賞なのに、結構順調に行っている今回の旅。
このままビジベンは無事帰れるのか。
次回最終回にその結果がわかります。
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コメント
こんにちは^^
ブログ初心者の車バカですw
いきなり遊びに来てすいません(汗)
ブログって見てるだけで勉強になるし、
何より楽しいですね♪
参考になります(^-^)
これからも楽しい記事よろしくです☆
またお邪魔しちゃいますね~♪
投稿: 車バカ | 2008年7月22日 (火) 21時32分