« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

城下町・結城 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 飛び石連休はいかがお過ごしでしたか?

 ここのところ、平日より休日が忙しい状況が続いているような。座談会やモニター、病気の講演会、いろいろな大学での有償ボランティア、治験などに参加したり…。

 いろんな経験ができるから面白いし、副業で収入があるのもうれしい。

 銀行で融資担当者だったとき痛感したのですが、収入は分散しているほうがリスクは低減できる。取引先がどんなに大きくて信用があっても、数社ではこのご時勢、何が起こるかわからないですからね。

 できれば、収入が多業界にわたって分散していればベストかも。

 いくら不況といっても、全業種、低空飛行を続けることはあまりないですから。

 …と、さまざまな会社からアンケートのお礼に送られてくる500円の図書カードや1000円の商品券の枚数を、毎晩数えて喜んでおりまする。

 銀行員当時習った扇のようにひらく数え方で…。

 ただ、リスク分散を追及するあまり、時給いくらという発想がなおざりになっているのでした。空いた時間にやっているといっても、時給に換算すると500円をはるかに下回っているのではないか、と。

 安定は維持しながら、もう少し効率よく稼いで、関東地方の名所旧跡だけじゃなく世界遺産を歩きたい。 

 ネット事業は確かに経費面などリスクが少ないので、何か自分ではじめたいなと考えている今日この頃です。
 

 さて今回も、マンネリな近場のお散歩ネタ。
 
 昔から歴史のある城下町をほっつき歩くのが好きなのですが、不幸なことに関東地方は行ったことのない場所がだんだん少なくなってきました。

 ガイドブックを眺めても、比較的東京からの交通が便利なところはほとんど出かけたことがある。

 しかし、歴史好き、城好きには、見逃してはならない町が抜け落ちていたのですね~。

 それは、茨城県の結城市。

 結城は立派な城下町なのですが、紬の生産地というイメージが強すぎて、オイラの中ではあまり目立たない存在だったのです。

 でも結城といえば、戦国時代初頭?の結城合戦や豊臣秀吉の養子になっていた徳川家康の二男、秀康が跡を継いだ結城家で脚光を浴びた土地。

 もちろん城跡もあるというし…。

 …ということで、8月半ばの猛烈に暑い日、オイラはJR結城駅にやってきました。

 駅はモダンな近代建築で、これまた駅前に東京ミッドタウンのファサードみたいなお洒落な建物がありました。

Ca3a0027

 よく見ると、ガラス張りの図書館みたい。

 図書館を見ると入りたくなるので、結城攻めの作戦会議にと一休み。広々としたロビーのテーブルでは、中学生や高校生が熱心に勉強しておりました。

 こんな涼しい、広々として眺めのいい場所で勉強したら能率上がるかも。

 彼らにエールを贈りつつ、熱風吹きすさぶ外へと再び突撃。

 モワァァァァ~

 うう、あ、暑い。死にそう。



 あまりの暑さに、立ちくらみを起こしそうになり、近くの観光案内所へ緊急避難。

 そこには、無料の市内観光マップがたくさん取り揃えてありました。これはラッキーと、何種類かもらい、再び図書館へと退却します。

 こんなくそ暑い日に何時間も歩き回ったら、脱水症状を起してしまうっす。

 市内の地図を見ながら、再度作戦を立て直しました。

 冷房のある施設を拠点にして、面ではなく線で移動したらどうか。

 まず目指すは、北東のショッピングセンターじゃ~!

 突撃~!!!!

 進軍ラッパとともに、203高地を目指す兵士のごとく目的地に向かって駆け出します。

 駅前の大通りを走り交差点を渡り、右手に信用金庫の本店を見ながら走って、ショッピングセンターへ。

 着くころには、体中の毛穴から汗が噴き出し、見るも無残な姿に。

 気温36度、湿度80パーセントの中を5分以上全力で走ったのだから当然ですよね。

 何で歩かず、走ったんだろうと考えても後の祭り。別に急ぐ旅ではないのでした。

 頭がフリーズしていたとしか思えないっす。

 ショッピングセンターでは、ペットボトル飲料をしこたま買い込んだのは言うまでもありませぬ。

 ここまでは何とか来たけれど、ここから先は冷房が効いている施設はなさそう。

 走って汗をかいたら体が軽くなったので、ここから先は水分補給しながらゆっくり歩いてゆくことにしました。

 昔懐かしい麦わら帽子と、100円ショップで買った扇子がオイラの生命線です。

 マップを見つつ住宅街を歩いてゆくと、最初の目的地、大輪寺がありました。

Ca3a0032

 ここは、結城家代々の祈願所だったお寺だそうな。

 結城家は、今の栃木県にあたる下野国南部の豪族小山政光の三男、結城朝光に始まるそうな。朝光の母は源頼朝の乳母だったため、鎌倉幕府との絆も強かったらしい。

 それ以降、結城氏は約400年に渡ってこの地方を治めるのですね。

 一口に400年と言っても、徳川家康が江戸幕府を開いて、平成の現代に至るまでの年数。

 それだけ長い時代、この地方に君臨した家だけに、今なお市内に結城氏のいろんな遺跡やアイテムが残っていてもおかしくないわけですな。

 結城家8代の直光が創建したという華蔵寺にお参りし、そのまま道なりに進むと、武家屋敷のような外観の中学校が…。

Ca3a0035

 いいな~、歴史好きとしては、こんな素敵な中学校で学びたかったっす。どうせなら、水戸の弘道館や萩の明倫館みたいな藩校をイメージできるようにすればいいのに。

 松下村塾だと個人経営の塾みたいになってしまいますが…。

 直射日光をまともに受け、青々とどこまでも続く田んぼを見ながら歩きます。

 日陰が恋しくなった頃、ようやく次の目的地、結城家御廟に到着。

Ca3a0038

 ここは、結城家初代朝光から十六代政勝までの16基と、名前がわからない4基を合わせて、合計20基の五輪塔が並んでおりました。

 解説板を読むと、この御廟が作られた経緯は、いくつかの説があるそうですね。

 当然、十六代以降に作られたものでしょうけど、徳川家康の次男であった結城秀康とも関係があるみたい。

 これを作った人は、どういう気持ちで作ったのだろうといろいろ想像すると、ロマンが膨らみます。

 解説板によると、御廟の周囲は堀を構え、塚上に土を盛り、土塁をめぐらしてあるのですか。そして床面には大谷石を敷き詰め、塚全体に玉石を並べるなど、排水に細心の注意が払われているとのこと。

 確かに、今でもその痕跡が随所に残っていましたね。当時、この御廟を作った人たちの息遣いが感じられるようでした。

 そんなことを考えているうちにも、ギンギンギラギラの太陽は容赦なくオイラの体力を侵攻してゆきます。

 汗をふきつつ、蝉しぐれの中、歩きだしました。

 次はいよいよ、結城城址。

 あまり大した城跡は残ってないとのことですが、隠された痕跡を探り出すのも城ウォッチングの醍醐味のひとつですからね。

 …と、どこまでも広がる田んぼの遥か先、あれは土塁でしょうか。

Ca3a0041

 広大な田んぼが当時、堀だとしたら、なかなかの要塞だったかも、と思いました。

 城跡へ行く途中のこの起伏。

Ca3a0042

 どう見ても、土塁のように見えるのですが、あとで調べてみると城内ではないとある…。

 出城かな、それとも現代の宅地造成によるものかな、と暑さを忘れて考えながら歩きました。

 最近、造成されたものだとしたら、よっぽど城好きな土木技術者ではないかな、と…。

 結城城は城跡公園として、完璧に整備されすぎていました。

Ca3a0046

 公園へ来るまで、明らかに空堀や土塁とわかる部分はありましたけど、ここまで整備しちゃうと当時の面影をイメージすることはできませぬ。

 どこの城でも見かける当時の縄張り図も、結城城の場合、かなりアバウトですね。

 実際は、南西面660メートル、北西面が300メートル。巨大な4つの曲輪は空堀で仕切られ、背後は高い崖に守られていたらしい。そして、城の周囲を川が巡る。

 うぬぬ、イメージできませぬ。

 戦国時代の山城ならともかく、1700年に水野勝長が、一万八千石で入部して再建され、明治に至るまで水野家の居城だった城なんですけどね。

 実はこの城、1440年に足利幕府の大軍に囲まれながら、1年余りも篭城し続けた難攻不落の城でもあるらしい。

 世に言う結城合戦で、関東公方足利持氏が将軍義教と争って滅ぶと結城家11代氏朝は持氏の遺児春王丸と案王丸を奉じて兵を挙げ、落城まで一年余りの歳月を費やしたそうな。

 幕府の大軍を囲まれつつも、少ない兵力で篭城するあたり、楠木正成の千早城、赤坂城をイメージしてしまいました。

 その辺りの面影が若干残っているのは、城跡公園近くの広い空堀ですかね。

Ca3a0051

 篭城当時の空堀かどうかわかりませんけど…。

 今回は行きませんでしたが、城跡公園の近くには、「紬の里」という藍染や機織りを短時間で体験できるスポットがあるそうですよ。

 そこから5分ほど歩くと、玉日姫の墓がありました。

Ca3a0052

 玉日姫は、関白・九條兼実の七女として誕生し、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の妻だった人物。

 親鸞聖人が流罪となったあと、結城で暮らし、聖人が京都へ戻った後も、この地で草庵を結び布教をして生涯を送られたそうな。

 うちは一応浄土真宗ですし、祖父が子供の頃、お寺で修行したと聞いたことがあります。

 先祖も浄土真宗のお寺の住職らしいのですけど、親鸞聖人の伝記については一度も読んだことがありませんでした。

 その経緯はわかりませんが、流罪になったり、奥さんと別居されたり、波乱万丈の生涯を送られたのですね。

 一度、伝記や弟子の唯円が書いたという有名な「歎異抄」についても読んでみたいと思いました。

 詳しく勉強したことはないですけど、「悪人正機説」は、今の時代にあっても古くはないのではないか、と…。

 ここから結城市街へ向かい、引き続き古寺や「見世蔵」と言われる蔵造りの街並みに出会うのですが、長くなりそうなのでそれはまた次回。

 ところで、今日の記事から前回までとは変わった点があるのですが、それは気がつきましたか?

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

川崎の城跡と稲城の洞窟 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 書店でウォーキングガイドブックを物色していて、優れものの本を見つけました。

 それは、「東京の1万年を歩く」(東京古里会編著・学習研究社)という本。

 東京が舞台になった事件や遺跡に焦点を絞った歴史探訪書というコンセプトなのだとか。

 名所旧跡のコースマップや解説で埋められた本は数多ありますけど、当時の城の再現イラストや航空写真まであるのは珍しいっす。

 表紙のイラストが、戦国時代に赤羽にあった稲付城の鳥瞰図ですからね。

 稲付城ばかりではなく、戦国期の江戸城や八王子城の再現イラストもありました。

 これは、もしかしてオイラのために書かれた本なのではないか、と…。

 さっそく購入して、この本に載っているルートを歩いてみることにしたのです。

 熟読してみて、切り口は斬新だと思いましたが、如何せん何十年も関東周辺を歩き回っているオイラ。

 ほとんど行ったことがある場所ばかり。

 それでも、点ではなく面で歩けばまだまだ面白そうな地域がありそう。

 …ということで、今回は多摩川周辺にあるという城跡をめぐってみることにしました。

 ガイドブックには小田急の向ヶ丘遊園駅スタートとなっていましたが、交通費をケチるため南武線の登戸から歩きます。

 オイラが健脚になったのは、昔から交通費を浮かせようと思って歩いていたからかも。

 行った日は、35度を超える猛暑日。

 余計に歩いて汗が出た分、自販機でお茶のペットボトルや缶コーヒーを買ってしまったから、かえって損しているのでした。

 コンビニやスーパーで涼んだり、買い物をしたり寄り道して、ようやく最初の目的地・長者穴古墓群に到着。

 ここは、飯室山という小高い丘の麓に築かれた横穴墓群なのですな。7世紀中頃から後半にかけて築造されたらしい。

Ts363600

 崖に横穴を掘っただけのシンプルな墓ですが、当時は奥行が5メートル、幅3メートルほどの規模があったのだとか。

 そういえば以前ブログにも書きましたが、田園調布周辺には全長100メートルを超える前方後円墳もあるのでした。

 このシンプルな墓のほうが、時代が新しいのですね。当時からエコの考え方があったのだろうかと考えたりして。

 両側にポコポコ空いた小さな穴を見ながら、飯室山の頂上へ向かう階段を上ります。

 標高はさほどないのですが、湿度がすごい。汗で前が見えないっす。

 頂上に上り、尾根伝いに歩いてゆくと、冠木門が見えました。

 ようやく枡形城の本丸ですか。

 枡形山の山頂部は、東西130メートル、南北80メートルの平坦地となっているのでした。

 一応、山城なのでしょうけど、戦国時代の城跡の本丸がこれだけの広さを持った平坦地というのは珍しいかも。

 しかも、まわりは断崖絶壁。

 当時は木が切り払われていたでしょうから、下から見上げると巨大な枡が屹立しているように見えたのでしょう。

 戦国時代の枡形城を是非この目で見たかったっす。

 山頂には立派な展望台が…。

Ts363610

 この和風とも洋風ともつかぬ、微妙な外観が戸惑いを覚えます。

 ちょっと寝殿造りっぽい部分もありますね。

 ここまで立派な展望台を作るのだったら、いっそのこと天守閣に似せた外観にしたほうがインパクトあるのに…。

 小田原城や江戸城の櫓形式に似せた外観に抵抗があるのなら、戦国時代の物見櫓風でもよかったですね。

 以前もここに来たことがあるのですが、いつも誰も登っていないのが寂しい。 

それはともかく、上るのはいいけど、せっかく収まったのにまた汗が噴き出しそう。

 と思ったら、エレベーター完備なのでした。しかも、冷房つき。

 極楽気分で展望台にあがると、多摩川方面の絶景を拝むことができました。

Ts363614

 この枡形城は、鎌倉時代、源頼朝の妻北条政子の妹を妻に迎えた稲毛三郎重成によって築かれたらしい。

 戦国時代の1504年には、北条早雲がここを本陣として今川氏親と共に上杉顕定と戦った記録が残っているそうですね。

 北条早雲といえば、40歳過ぎてから一念発起し、関東の覇者となった後北条氏の創業者。

 中高年の期待の星とも言える存在です。

 北条早雲もこの景色を眺めたのでしょうかね。

 枡形城の本丸から降りる急な階段に、「枡形」の名残を感じることができました。

Ts363621

 しばらく行くと、広福寺の山門が現れます。

 ここは、枡形城を築いた稲毛三郎重成の館跡とも言われているそうな。

 行った日は、ちょうどお葬式の後片付けをしているところでした。

 ここから子之神社までの約3.3キロは、さすがに堪えました。

 炎天下、ほとんど日陰がない。二ヶ領用水の新川のほとりをトボトボ歩き、次に山下川の近くの住宅街では太陽が真上からオイラを直撃します。

 地球温暖化によって、人類はホントに絶滅するのではないか、と心底思いましたね。

 仕方なく、伝家の宝刀、雨用の折りたたみ傘をメリーポピンズのようにかざして歩き続けます。

 ようやく、子之神社にたどり着くと、近くのお寺ではまたお葬式が行われているのでした。

 参列する人たちは、黒い服を着て汗まみれで苦しそう。

 こう暑いと、体力が弱っている人はつらいかも。亡くなられた方は、この猛暑が影響されたのでしょうか。

 真夏の炎天下にウォーキングをするのは控えようかと思いました。

 急な石段を上り、子之神社にお参りをします。

Ts363626

 本殿は幕末に作られたそうですが、立派な装飾にしばし暑さを忘れて見とれました。

 そこから境内に相撲の土俵がある薬師堂まで歩き、いよいよ後半の注目スポットである小沢城へと向かいます。

 小沢城は、川崎市と東京稲城市との境にある丘陵上にあるのですね。

 新旧三沢川の合流地点のそばにある登り口から城攻めを開始します。

 炎天下、山道を登るのは辛いけれど、10年ほど前に行った八王子城に比べればさほどでもない。

 八王子城へ行った日は、確か38度を超えていたような。あまりの難攻不落ぶりに死にそうになりましたっけ。

 前回の豪雨と同じくらい辛かったことを思い出しつつ、小沢城の曲輪と思われる場所に到達。

 物見台や空堀、古井戸の跡なども残っていて、なかなか見所多い城でした。

Ts363638

 この城も、枡形城を築いたと言われる稲毛三郎重成と関係があるらしい。

 そして戦国時代には、北条早雲の孫、北条氏康がこの城に入って戦った記録があるのだとか。

 武田信玄や上杉謙信は戦国のスーパースターとして有名ですが、戦闘力だけではなく治世など総合力ではむしろ北条氏康のほうが上だという意見があるほどの名将。

 当時はどんな城だったのかなと縄張りを考えていると、城跡に野球のアナウンスが響き渡りました。

 すぐ隣は、よみうりランド、ジャイアンツ球場なのですね。どうやら、巨人の2軍の試合が行われているみたい。

 次に向かったのは小沢城主が毎日お参りに通ったといわれる穴澤天神社。

Ts363642

 穴というくらいですから、やっぱり穴が神社名の由来になっているらしい。

 神社の北側の丘陵斜面に横穴があって、内部に石仏が安置されていたとのこと。

 家に帰って調べてみたら、この穴の中に入れるみたい。

 洞窟の長さは10メートルほどらしいのですが、この穴も横穴墓と関係あるのでしょうか。

 入ればよかった~と悔やんだのですが、実はオイラはこのあと、もっとすごい穴に入ったのでした。

 それは、ここから1.2キロほど歩いたところにある弁天洞窟。威光寺というお寺の境内の奥にある崖にあけられた穴なのですね。

Ts363644

 ここには全長65メートル、広さにして200坪もある大洞窟があるのでした。

Ts363645

 中は、電気がなくて、まさに暗黒の世界。

 入るときは蝋燭を持って、そろりそろりと足元に気をつけながら進まねばなりませぬ。

Ts363646

 もとは横穴式の古墳だったそうですが、明治時代に現在の形に掘り広げられたそうですね。

 新東京百景に選ばれるくらい有名な場所らしいのですが、いつ来ても誰もいないような。

 実は、ここへはもう4~5回も来ているのでした。

 最初に行ったのは15年ほど前だったのですが、真っ暗だし、迷路みたいだし、中にヘビはいるし、で相当ビビッたのを覚えています。

 これだけ怖い思いをしたのだから、もしかしてご利益があるかも、と洞窟の中にいる白い大蛇に願い事をしたのです。

 もちろんモノホンの大蛇ではなく、石に彫られ着色されたものですが…。

 明るいところで見たら、普通のオブジェでしょうけど、真っ暗闇の中で蝋燭の光にボォ~と照らし出されたヘビと目が合うとさすがに怖い。

 神秘さも感じました。

 そしたら、その後願いが叶ったのですね~。

 それに味をしめて、何度か願い事があるときは訪れて一人で洞窟に入って願い事をするのでした。

 願い事といっても、プロレスの世界チャンピオンになりたいとか、森高のサインが欲しいとかいう実現不可能な願いではなく、努力すればできるレベルですが…。

 5年ぶりに洞窟に入ったのですが、慣れててもやっぱし怖いっす。

 白い大蛇が動いたらどうしよう、とか。

 蝋燭の光だけで、一人でこの中に10分間以上入っていたらどんな気分になるか。

 どなたか、この暗黒の空間を体験された方がいらっしゃれば、是非感想を聞きたいと思いました。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

豪雨とビジベン with 赤坂サカス、六本木ヒルズをゆく

 こんにちは。

 平成15年8月のある日、神奈川県の相模川の河原にいたとき、集中豪雨の増水で危機的状況に陥ったオイラ。

 前回はそこまで書いたのでしたね。

 あのあと、もう少し記憶を呼び覚まそうと、当時持ち歩いていた手帳を出してみたんですよ。

 ページを開くまでもなく、当時の惨状が手帳本体に現れていたのでした。

 集中豪雨の水をたっぷり含んで、ゴワゴワになっている。今でもページを一枚ずつめくるのに苦労する状態。

 水性インクで書かれた箇所はロールシャッハテストみたいな模様に。

 革の財布も使い物にならなくなったし、ケータイも故障。カバンの中に入れてあった本も水を吸いまくって、見るも無残な姿になったのでした。

 それ以後、ユニクロのバーゲンで買った100円のジップパースを、いまだに使わざるを得ない状況に追い込まれたのです。

 ファストフードの割引券やポイントカードがたっぶり入るから気に入ってはいるのですが…。

 手帳には、『神奈川相模川サンポ。超豪雨、全身ずぶ濡れ。一時間以上も木の下で酷い目にあった』というフレーズが書いてありました。

 結局、一時間以上も、暴風雨の中にいたのですね~。

 オイラがいた場所が中州みたいになって、川の水がどんどん増水してくる。

 雨が防げる場所へ行くには、広い河原を延々と歩き、堤防を越えて、そこからまた住宅地まで土手の上を歩かないといけないのです。

 来たときは、20分くらいかかったような。

 豪雨の中を行こうかどうか迷っていると、上流からドドドドトドッと水が押し寄せてくる音が聞こえました。

 ヤバ!!!

 そのときはさすがにあせって、土砂降りの中を強行突破することにしたのです。

 しかし、川が増水して流れている箇所を通らねばなりませぬ。

 深さがわからないから、杖になる太い枝を拾い、水深を測りながら前進しました。

 これが正解だったみたい。

 膝ぐらいの深さの濁流でしたが、急に深くなっている箇所が何箇所かあったのです。

 そこで転倒していたら、最悪、流されていたかも。

 転ばずに、何とか対岸まで到達。あとは泥田のようになった河原をひたすら堤防に向かって歩きました

 川の中では一度も転ばなかったのに、そこでは足をとられ、ヘッドスライディングみたいな豪快さで何度も転倒。

 「七人の侍」の野武士との戦闘シーンみたいじゃ~と思いましたね。

 派手な水しぶきをあげて転倒する迫力は、七人の侍のエキストラが務まるのではないか、と…。

 泥まみれになりながらも何とか相模川の堤防をこえると、遊歩道沿いに大きな東屋を発見しました。

 一時間以上も土砂降りの雨の中にいたから、屋根のある場所というだけで天国のように感じたのです。

 うう、助かった~。

 捕虜になって拷問をうけたあとのランボーみたいな姿で東屋に入ると、先客が7~8人もいる。

 オイラと同じく、雨宿りっすか。

 暗いし、雨が目に入って霞がかかったように見えるのですが、色の黒い屈強な若者たちの姿が…。

 そこへ、ドッカァァァァァァァァァ~ンと稲光。

 怖そうなお兄さんたちが眉をひそめて、オイラを見つめているのがわかりました。

 横目で見ながら、囁きあっている。その言葉は、日本語じゃないし、どうやら英語でもなさそう。イランとか、中近東の人たちみたい。

 外が土砂降りの東屋の狭い空間。何やら不穏な雰囲気。

 逃げ場はどこにもない。

 一難去ってまた一難か?

 そのとき、一人の若者が立ち上がってオイラに近づいてきました。手には傘がしっかりと握られている。

 臨戦態勢で、身構えるオイラ。

 すると彼は、傘を差し出しながら、「これ、あげる」と言ったのです。

 え~? 傘をくれるの?

 悪いからいいっすよ、と固辞するオイラに、「友達がたくさんいるから大丈夫」と傘を握らせてくれたのです。

 他の若者たちも、笑顔で「どうぞ使ってください」と言っている。

 わぉ、いい人たちじゃん!!!

 どこから見ても、それほどお金を持っていそうもない彼らだし、もらうのは申し訳ない。

 それじゃ買いますよ、と言って千円札を取り出し、手渡そうとするオイラ。

 びしょ濡れの千円札でしたが、いくら渡そうとしても、「いいですから」と受け取ってくれないのでした。

 もしかして、日本人より親切なのではないか、と思いましたね。

 困っている人、悲惨な人、ドツボにはまっている人を見て、手を差し伸べるのはできそうでなかなかできないこと。

 子供時代からプロレスを見て、外人というと悪役レスラーの印象しかなかった自分が恥ずかしかったです。

 それだけオイラの姿が哀れな状態だったのでしょう。

 30分ほどして雨が上がり、今までの雷雨が信じられないほどの晴天に。泥まみれになったのですが、暴風雨の中を歩いて、洗濯機の中で攪拌されたような状態だったのか、思ったよりきれいになっていたのは驚きました。
 
 今でも、その傘はうちの傘立てにあって、それを見るたびにやさしかった彼らのことを思い出します。

 さて、ここからはお散歩ネタ。

 こちらも、前回の続きなのでした。

 法務省の法務史料展示室を見たあと、国会議事堂方面に向かいます。

 福田首相は電撃退陣してしまいましたね。

 安倍さんのときもそうでしたが、今回もあまりに唐突。

 行った日は夏真っ盛りの頃でしたけど、こんなことになるとは思ってもみませんでした。

 国民はもう慣れっこになったのか、安倍さんのときほど非難の声が聴かれないのも哀しい。

 裁判所合同庁舎を左手に見ながら歩き、外務省と財務省を隔てる潮見坂を上ると国会前庭の和式庭園。

 ここまで来ると、国会議事堂が正面に見えます。

Ts363556

  現在の建物は、昭和11年に帝国議会議事堂として建設されたらしい。正面に向かって左側が衆議院、右側が参議院なのですか。

 中央塔の高さは、65.45mで、昔はかなり高いというイメージでしたけど、東京にビルがどんどん建つご時勢ではその高さに触れる人はいなくなってしまったような。

 国会議員の後援会の人たちを乗せたバスが何台も道に止まっていました。

 国会の前を過ぎ、洋式庭園の先にあるのが、憲政記念館。

Ts363557

 ここは、昭和45年に、我が国の議会開設80周年を記念して建てられたらしい。

 江戸時代、この場所は彦根藩井伊家の上屋敷があったそうで、大老・井伊直弼もここに住んでいたそうですね。

 中には、国会の組織や運営などの資料が多数展示してありました。

 固いイメージですが、映像資料やシアター、立体ビジョンコーナーもあって、飽きずに眺めることができました。

 オイラが興味深かったのが、議場体験コーナー。

 テレビの国会中継でよく見る議員の机と椅子が並んでいて、プチ議員体験が味わえるのですね~。

 ここにある議員の椅子は、原寸大ですかね。

 だとしたら、あまりにも狭いっす。リクライニングじゃないし、結構硬い。

 長時間座ったら、腰が痛くなりそう。

 ちょっとした映画館の椅子のほうが遥かに快適ですな。

 こんな椅子に座りたくて、皆必死に選挙を戦うのだろうかと思いました。

 憲政記念館を出て、国会図書館の前を通り、赤坂へと向かいます。

 赤坂見附の近くにあるのが弁慶堀。

Ts363563

 桜の時期にはよくテレビで紹介されていますが、都心のボート乗り場としても有名ですね。

 行った日は、さすがに暑くてボートに乗っているのはおっさんが一人だけ。

 ここは釣堀でもあるらしくて、上から見ていたら大きな魚を釣り上げていました。

 上を見ると、赤坂プリンスホテルとホテルニューオータニ。

 日本一贅沢な釣堀かも。

 外堀通りを少し行くと、左手の丘は日枝神社。

 赤い鳥居のトンネルを歩いて本殿に参拝します。

Ts363567

 ここは江戸城の鎮守として歴代の将軍から崇拝されていたらしい。

 宝物殿には、将軍から奉納された国宝、重要文化財の太刀が展示されていました。ちなみにここも無料ですよ。

 赤坂通りを歩き、今注目のスポット「赤坂サカス」へ。

Ts363578

 それにしても、「赤坂サカス」なんて珍しいネーミング。

 ここに来るまで少し迷ったので、「赤坂探す」がその由来かと思いましたが、やっぱし違ったのでした。

 調べてみると、赤坂サカスの『サカス』は、桜を咲かすという意味であると同時に、赤坂にたくさんある坂=坂s=『サカス』の意味もあるのだとか。

 ふーん、なるへそ、セレブの人たちの考えることは違うニャ。

 TBSテレビの本社ビルとリニューアルオープンした赤坂BLITZタワーと赤坂ACTシアターで作った「街」なのですな。

Ts363576

 高層ビルとお洒落なテナントのコラボは、六本木ヒルズや東京ミッドタウンで免疫ができていたので、度肝を抜かれるという事態は避けることができました。

 テレビやマスコミの加熱ぶりが先行しているという感じはありましたね。

 …と、そこにあるコンビニしか利用しなかったオイラが向かったのは、乃木神社。

Ts363581

 ここはかつて、乃木大将の屋敷があった場所てすな。

 今も残っている建物はログハウス風で、乃木大将がドイツ留学中見たフランスの連帯本部兵舎を自ら模して設計したらしい。

 地下、地上2階建てで、それほど大きくなく、質素といっていいかも。

 ここは、大正元年、明治天皇に殉じて乃木将軍夫妻が自刃した場所でもあるのですね。

 窓越しに自刃した部屋が見えるのですが、夕方になってしまったので乃木邸の敷地に入ることはできませんでした。
 
 何度も訪れたことがあるので、乃木神社に参拝してから、青山墓地へ向かいます。

 久しぶりにオイラの家の墓にお参りしたあと、六本木ヒルズへ行ってみることにしました。

Ts363585

 一流IT企業の代名詞ともなっていた六本木ヒルズですが、江戸時代は長府毛利家の上屋敷だったらしい。

 赤穂浪士の武林唯七ら7人が切腹した場所でもあったのですね。

 なんと、先ほど旧宅へ行った乃木希典もここで生まれているのだとか。

 六本木ヒルズの庭はかつて大名庭園だったのですね。

Ts363590

 六本木ヒルズの森タワーも、威厳を持ってオイラを見下ろすのでした。

Ts363586

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日比谷公園と霞ヶ関 ウォーキングストーリー with 豪雨とビジベン

 こんにちは。

 先日の豪雨はすごかったですね。

 テレビでは凍りつくような映像をいくつも目にしました。

 被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。

 豪雨というと、忘れられない思い出があるんですよ。

 忘れもしない平成15年8月のある日、オイラは例によってウォーキングをしていたのです。

 歩いたのは神奈川県の相模川の河原。日差しの強い、蒸し蒸しする日でしたね。

 あまりの暑さに、休もうと腰をおろしたとき、俄かに空が暗くなってきました。

 ?? と、上を見上げたとたん、突然、ザーッとものすごい量の雨が…。

 ぎゃぁぁぁぁぁ~と、近くの木陰に逃げ込みます。

 通り雨かニャー。

 ま、こんなことはよくあることだし、朝の天気予報では一日中晴れだと言っていました。少し雨宿りすれば、すぐ止むだろうと思ったのですね~。

 でも、10分たっても、20分たっても、全然止まない。

 ますます空が暗くなってきて、止む気配すらない。

 木陰といっても、河原にあるひょろりとした木で、葉っぱもあまりない。

 一日晴れだと聞いていたので、雨傘を持ってない。

 当然の結果として、ずぶ濡れになってしまいました。

 ちょっと雨に濡れたというレベルではなく、服を着たまま泳いだあと、プールサイドに上がったというレベルまで…。

 そこにヘッドライトをつけた大型の四駆車が通りかかります。

 ひぃぃぃぃぃ~助けちくりぃぃぃぃぃ~

 木陰から飛び出そうとするオイラが見えたのか、見えなかったのか、急にスピードをあげて走り去ってしまいました。

 それだけならまだしも、派手に跳ね上げた泥のシャワーがまともにオイラの頭上から降り注ぎます。

 泥だらけとなって、二目とは見られぬ姿に。

 車の中にいたのは若いカップルでしたが、濡れネズミの哀れな中年を見捨てるなんて、ひどい…。

 もっとも、逆の立場で、オイラが濡れネズミのこ汚い中年男を乗せたかといえば、首を縦に振る自信はありませんが…。

 それより、あの二人の恐怖の表情は、オイラが豪雨の中からさまよい現れたゾンビに見えたのかもしれないと思いました。

 その後も引き続き、木陰で豪雨の中、ガタガタ震えながら立ちすくむ現状に変化はなし。

 びしょ濡れの状態から、泥まみれのびしょ濡れの状態に悪化しただけ。

 豪雨は、30分たっても、40分たっても、全然止まない。

 暗いし、豪雨で周囲にかすみがかかって、視野がきかない。

 雨が目に入ってよく見えないのですが、目を凝らすと周囲の景色が一変しているのです。

 水溜りではなく、周りが沼地と化しているといいますか。

 いや、沼地ではなく、泥水が流れている。

 …ということは、川が広がっている?

 川からかなり離れていると思っていたのですが、集中豪雨で急に水かさが増えたのでしょうね。

 川の中州に取り残された人がヘリコプターで救助されるシーンをよく見ますが、まさか自分がニュース映像に登場するのだろうかと嫌な予感。

 ホントに川の増水は怖いですね。

 常識でははかれない部分があって、慎重に早めの対応をすべきだと見に染みてわかった次第です。

 オイラは迫りくる危機からどう脱出したのか、感動のラストは次回に。


 ということで、ここからはいつものお散歩ネタ。 

 今回行ったのは、東京のド真ん中、霞ヶ関の官庁街から赤坂、六本木へと巡るコースです。

 もちろん、東京に長く暮らしているオイラですから何度も来たことがありますが、個人的には抵抗感のある場所。

 財務省や外務省の厳しい建物が、一般庶民を見下ろしている。

 道でお役人様と目が合うと、ひぃぃぃぃぃぃ~、今年は不作で年貢の取立ては勘弁してくだせぇ~と涙目で訴えたくなる。

 別に刑法に触れることはやっていませんけど、法務省や警視庁の近くへ行くと血圧が20くらい上がりそう。

 でも、TBSテレビではさかんに赤坂サカスを宣伝しているし、青山墓地へお墓参りもしておきたいし、せっかく行くのなら…ということで、食わず嫌いの場所、霞ヶ関へ足を踏み入れることにしました。

 行ってみてわかったのですが、優れものの無料スポットも結構ありましたよ。

 …ということで、新橋駅で降りて、まず霞ヶ関への玄関口、日比谷公園へ向かいます。

 日比谷公園は、日本初の「洋風近代式公園」と言われる場所。

 元は松平肥前守などの武家屋敷地で、明治時代に陸軍練兵場となり、そのあと都市公園になったのですね。

 新橋方面から行くと、まず見えるのが古い煉瓦の建物。

Ts363524

 これは、日比谷公会堂。

 1929年に市政会館およびそれに併設する公会堂として建てられたらしい。

 歴史の教科書にも登場する旧社会党の浅沼稲次郎暗殺事件は、ここで1960年に起こったのですか。

 そんな大事件があったとは思えないほど、緑に囲まれてゆったりと佇んでいるのでした。

 日比谷公園のもう一つの有名な建築物は、俗に「野音」と呼ばれる野外音楽堂。

Ts363529

 客席数は椅子席2,664で、立見席も450あるのだとか。

 そういえば昔、デビューしたばかりの荻○目洋子ちゃんのコンサートに行ったのでした。

 当時、仕事の関係で、彼女のご家族と知り合ってコンサートのチケットをもらったのです。

 当日は、生憎の雨でしたが、多くのファンが集まって、ずぶ濡れで熱唱する洋子ちゃんの姿が印象的でした。

 絶対有名になるなと思ったら、やっぱりそのあと大ブレイクしましたね。

 お姉さんの慶○さんは今でも実力派俳優で、頑張っているし…。

 それにしても、当時実家へお伺いすると、必ず頭に猫を載せてお母様が出てこられたのが今でも不思議な光景として記憶に残っています。

 でも、庶民的なやさしい人でしたよ。

 そんな懐かしい思い出にひたって園内を歩きます。

Ts363527

 都会の中心の公園なのに、トトロの森みたいな巨木が至るところにある。

 日比谷公園といえば、やはりこの噴水は見逃すわけにはまいりませぬ。

Ts363536

 この日本庭園のあった場所は、江戸時代は堀だったとか。

Ts363538

 日比谷公園の隣は道路一本隔てて、江戸城もとい皇居ですからね。

 日比谷公園を出ると、いよいよ禁断の官庁街。

 この赤レンガの建物は、法務省。

Ts363545

 さすが日本の司法の殿堂としての威厳が感じられました。

 この建物は司法省の庁舎として、明治28年に竣工。関東大震災に耐えたものの、昭和20年の戦災により、レンガの壁と床を残して焼失してしまったとか。

 その後改修して法務省の庁舎として利用し、平成6年に創建当時の姿に復元されたのですな。

 そういえば東京駅も、現在、創建当時の姿に復元する工事が行われているみたい。

 それにしても近くで改めて見ると、明治の人たちの法律に対する意気込みが伝わってきます。国の重要文化財っすか。

 外から眺めるだけの予定でしたが、「法務史料展示室 メッセージギャラリー」の看板があって、一般の人も見学できるみたい。

 威厳のある外観に押しつぶされそうになりましたけど、中を見たいという好奇心に抗えず、行ってみることにしました。

 門で警備の人に見学希望と伝えると、意外と丁寧に案内してくれました。

 手荷物検査はもちろん、氏名・住所・電話番号・なぜ見学したいのか、その動機くらいは聞かれるかと身構えたのですが、どうぞ、どうぞと愛想よく…。

 さすがに、見学コースは制限されていましたが、高い天井や重厚な雰囲気を肌で感じることができました。

 法務史料展示室は、旧司法大臣官舎大食堂を復元した豪華な部屋。

 明治時代に法典の編纂事業にまつわる史料や当時の有名な事件史料などが展示してありました。

 メッセージギャラリーでは、まもなく始まる裁判員制度についてのパネル展示やビデオなども見ることができるのですね。

 オイラも裁判員として、法廷に参加する機会もあるのでしょうか。

 現代の刑法より江戸時代の刑法に詳しいオイラとしては、「百叩き」や「遠島」、「江戸ところ払い」を強行に主張しそう。

 この前のような通り魔事件だったら、誠に恐れ入りますが、「さらし首」を主張して、逆に裁判を冒涜していると小伝馬町の牢屋敷に入れられてしまうかもしれませぬ。

 いろいろ想像していたら背筋が寒くなってきたので、早々に退散することにしました。

 これから国会議事堂や憲政記念館を見て、赤坂へ向かうのですが、こちらもまた長くなりそうなので次回に。


Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »