多摩から町田の鎌倉古道 ウォーキングストーリー
こんばんは。
前回は写真がなくて失礼しました。
やっぱり、お散歩ネタはビジュアルが大事だと、その重要性を再認識した次第です。
実はもうフォトデータが一杯になっていて、前の画像を削除しないと新しい画像をアップできないんですけどね。
100円払うと、フォト容量をアップできるとどこかで聞いたのですが…。
でも、100円あれば100円ショップでペットボトルのお茶が買えるし、松屋で野菜サラダをオーダーできますからね。
しばらく、古い画像を削除しながら、継続するしかないっす。
さて、今回行ったのは、多摩ニュータウンのそばに今も残る鎌倉街道。
今も鎌倉街道と呼ばれる道は残っていますが、古道としての鎌倉街道は、鎌倉時代、幕府の御家人が、何か一大事が起きたとき、「いざ鎌倉」と鎌倉へ馳せ参じた道ですね。
歴史関係の雑誌に、現在の鎌倉古道の写真が載っていたんですよ。
鎌倉へと向かう道は当時、何本もあったそうなのですが、今回オイラが行ったのは、鎌倉から武蔵国西部を抜けて、上州すなわち群馬県に向かう道。
その中の多摩市から町田市の小野路・野津田・七国山周辺です。
東京都なのに、鎌倉時代の武士が歩いてもおかしくないような雰囲気の箇所が残っていて、一気に興味を魅かれたのでした。
森閑とした古道を歩いていると、タイムトラベルしてきた鎌倉武士に出会えるのではないか、と…。
…ということで、まず向かったのが、京王線、小田急の二つの私鉄の駅がある永山駅。
そこからテクテク歩いて、現在の鎌倉街道、都道18号線を越えると前方に見える貝取山緑地の小高い丘を登ります。
貝取山というくらいだから、縄文時代の貝塚でもあるのかしらんと思いましたが、詳しいことはわかりませぬ。
頂上にマンションがあったりして少し期待外れでしたが、そのまま尾根を南下します。
そういえばここには以前来たことがあり、面白い形をした石があったことを思い出しました。
すると、その巨石が遊歩道の傍らに存在感を持って現れます。
確か、象に見えるから象石とも呼ばれていた記憶がありますが、確かに色といい、つやと言い、小象が寝ころんでいるように見えなくもないですな。
遊歩道を抜けると巨大団地多摩ニュータウンの真っただ中。
ところどころ広い公園があって芝生の広場も完備しておりまする。
団地の建物といくつもある広い公園のコラボを満喫しながら歩いているうちに、迷ってしまいました。
まわりを見回しても、360度、巨大な四角い建物がどこまでも続き、方向感覚を狂わせます。
わぁ~、またラビリンスへ迷い込んでしまっただ、とあせって歩き回るうち、都立高校の建物が目に留まりました。
そこを目印に地図で調べてみると、なんと目的地から2キロもずれている。
ウォーキングで、オイラがこんなに間違った方向へ歩いたのは初めてかも。
もっとも、仙台へ行ったとき、松島行きの電車に乗ったと思ったら、山形へ行ってしまったことはありましたが…。
それはともかく、ルート修正のため余計な距離を歩く羽目に。
そのおかげで、金メダリストのビッグマウス、石井慧選手の母校、国士舘大学の体育学部の前を通ることができました。
石井選手のビッグマウスは、アメリカプロレスのショーマンシップを見るようで、個人的には好きなのですが。
ようやく、次の目的地一本杉公園へたどり着くことができました。
ここは、池や芝生が広がる落ち着いた公園。となりにある女子大の緑あふれるキャンパスも眺めることができます。
ここには、多摩市内から移築された古民家が二つ、屋外展示されていました。
こちらの旧有山家住宅は市の指定有形文化財なのだとか。
座敷の床は竹を編んで並べてあるのですね。
歩くたびに竹踏みができて健康には良さそう。
だけど、縁の下が透けて見えて、冬はかなり寒いだろうなと思いました。
一本杉公園を出て、いよいよ古道の雰囲気が漂う旧鎌倉街道へ。
思わず下の舗装道路を行きそうになりましたが、引き返して左の小道へと入ります。
最初は、ハイキングコースと変わりないじゃんと思っていましたが、歩くにつれ、いかにも鎌倉時代の古道と思われる場所もありました。
掘割みたいに凹状に見られる道は、鎌倉街道なのでしょうね。
…と思って、家に帰ってからネットで検索してみたんですよ。
鎌倉街道の道幅の規格は6メートルなのだとか。
これはどう見ても、3メートルもないような気が…。
鎌倉街道ではなく、後世に作られた道ではないかという疑念もわいたりして。
それはともかく、そのときは鎌倉街道と信じて疑わなかったので、鎌倉武士がタイムトラベルしてきたら、どう対応しようと考えつつ歩きました。
ところどころ、視界が開ける場所があり、都内とは思えない山里の景観が望めます。
馬頭観音、子育て地蔵など、道の歴史を感じさせるアイテムを眺めつつ、小野路へ。
小野路は、古くから鎌倉街道の宿として知られるそうですね。近世に入っても大山道の宿場として賑わったらしい。
通り沿いに、幕末、新選組の近藤勇や土方歳三、沖田総司さんたちが剣術の出稽古に通ったという小島家には、小野資料館がありました。
何でも当時の当主は、近藤勇と義兄弟の間柄だったそうな。
資料館は、毎月第一・第三日曜日の公開だそうで、行った日は休館日でしたが、古い門に歴史を感じました。
小野資料館からすぐ近くにあるのが、小野神社。
平安時代の学者で、遣唐使の小野妹子の子孫であった小野篁(おののたかむら)を祭る神社なのですね。
なんでも、平安時代に小野篁の子孫が武蔵国の国司として赴任した時、先祖を祭ったのだとか。
国司も注目するくらいだから、この辺りは当時、交通の要衝として栄えていたのだろうと思いました。
次は、小野路一里塚へ向かったのですが、またまた道を間違えて1キロ以上も余計に歩くことに…。
実は、地図を図書館でコピーしたものを持って行ったのですよ。
図書館のコピーが薄くて、道路がよくわかりませぬ。
仕方なく、あとは感だけで歩いたのですけど、運よく一発で一里塚にたどり着くことができました。
ここは、徳川家康の遺骨を静岡の久能山から日光東照宮へ移すときに道が整備されたのですね。
そのとき、家康の遺骨を乗せた輿が壊れて、鍛冶屋を呼んで直すなど大騒ぎになったらしい。
それにしても、道だけではなく、一里塚まで作っていったわけですから、当時の大イベントだったのでしょうね。
そのすぐ近くに広がるのが野津田公園。
起伏を利用した広大な公園で、陸上競技場や湿生植物園、上の原広場など見どころが満載でした。
まずオイラが向かったのは、バラ園。
さまざまな種類のバラの花が咲き乱れておりました。もう少し前に来れば、満開だったのでしょうけど。
行った日は秋たけなわの頃でしたので、上の原広場には、すすきの穂が風に揺られていました。
これだけ大量のすすきを見る機会は、東京では滅多にないので久しぶりに秋の景観を堪能できましたね。
園内から、再び鎌倉古道を歩き、七国山を目指して歩きます。
鶴見川まではよかったのですが、迷路のような住宅街に阻まれ、再び道がわからなくなってしまいました。
そういえば、15年前に七国山という絶景が望めそうなネーミングに惹かれてやってきたのに迷ってしまい、結局目的地へ到着できず、すごすご引き返したことがあったのを思い出しました。
今回も方向感覚までわからなくなって、再び鎌倉街道へ出るまで住宅街をぐるぐる歩き回りました。
鎌倉井戸には行ってみたかったのですが…。
そこからまた町田駅まで、延々と歩くのでした。
うちに戻って迷っていた距離を計算すると、通常のルートより5キロは余分に歩いたような。
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