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「大富豪」に学ぶ苦境脱出の方法

 

 こんにちは。

 うう、昨日から涙が止まりませぬ。

 とくに悲しいことはないのに、オイラも年のせいで涙腺がゆるんだのかなと思ったら…


 今年も、花粉症がキタァァァァァァァァァァァァ~


 不況と花粉症のツープラトンの攻撃にもだえ苦しむ今日この頃です。


 ということで、今日は前回の続きのビジネスネタ。

 前回は、大企業と下請けの中小企業の関係をカードゲームの大富豪と大貧民との関係になぞらえました。

 実際は、中小企業でありながら大富豪となっている会社は多々ありますけど、話を単純化するために、あえてこのようなシチュエーションにしましたので念のため。

 さて、この大貧民たる中小企業がどう大企業に対抗していくのか、という点。

 それは「大富豪」のどう大貧民の状況から抜け出すか、というテーマと、似ているのではないかと考えたのでした。

 だから、「大富豪」の敗因を分析することは、その状況から脱却できるヒントが隠されているのではないか、と…。

 そのように考えてくると、「大富豪」で負け続ける人は、結構同じパターンを踏むことが多いというのが前回までのお話です。

 それは、どういうプレイヤーか。

 それはまず、大富豪とまともに張り合おうとする人ですな。

 大富豪が「13」を出せば、「A」を出し、「A」を出せば、たった一枚しかない虎の子の「2」を序盤で使い切ってしまう。

 結局、「3」が一枚だけ残って、次々と他のプレイヤーに先に上がられて「大貧民」になってしまうパターン。

 負けず嫌いなのでしょうけど、もともと大したカードを持っていないのだから、すぐ底をついてしまう。

 いわゆる「カネ」で、中小企業が大企業と張り合おうとするのと同じ。

 創業したての中小企業って、意外とこのパターンで潰れることが多い。

 15年くらい前、同じ時期に創業した会社同士の親睦会があったんですよ。

 10社近くがそれに参加して、オイラも名刺交換させてもらったのですが、信じられない話、今残っている会社は一つもないのです。

 オイラの会社は、残っていると自慢できる規模ではないので自主的に省きましたが…。

 当時何度か、親睦会に参加した会社へお伺いさせてもらったことがあるのですけど、どこも羽振りがよかった

 …印象でした。

 ブランドの高い場所に事務所を借り、従業員を多数かかえていた会社もいくつかありました。

 中には、事務所の面積の半分近くを豪華な内装の社長室が占めていた会社も。

 当時は随分うらやんだものですが、その5年後くらいにどこも倒産や廃業してしまったのです。

 銀行や取引先に対する見栄もあって、それを維持するために借金を繰り返していたのでしょうか。

 創業間もない中小企業にとって、一番の敵は社長さんの見栄だと骨の髄まで思い知らされました。

 最初から、自分より数段上を望んでしまうと、「カネ」の面で必ず資金ショートします。

 「大富豪」でいったら、よほど自分のカードに自信がない限り、最初から大富豪とまともに張り合ったら駄目ですね。

 地道に「バス」を繰り返し、チャンスがあったら3~5などの小さい数字のカードを着実に減らしてゆく。

 大富豪や富豪とまともに戦わず、まずは平民を目指して一歩ずつ階級をあげてゆくことが肝要だと思いました。

 でも、残念ながらそれだけでは大富豪には太刀打ちできませぬ。

 「人」と「モノ」、そして「情報」を駆使してかからないと、「カネ」の面で圧倒的に不利な大貧民の中小企業は這いあがれない。

 企業における「モノ」は商品やサービスと言えます。

 大企業には、大資本を背景にした商品力、ブランド力がありますね。また大量生産によって、価格を下げても利益を維持できるので中小企業ほど苦しくはならない。

 「大富豪」で言ったら、悪いカードを大貧民に押し付け、自らダブルやトリプル、階段のカードをコーディネートできる状態でしょうか。

 ちなみに、階段のカードとは、「3」「4」「5」みたいに数字の一番違いのカードを3枚以上出せる状態っす。

 もともと「2」や「エース」「ジョーカー」などいいカードを豊富に持っているのに、それにプラスしてダブルやトリプル、階段のカードを作れるわけですから、ゲームを始める前にかなり有利な状況ですな。

 大企業も同じ。

 商品やサービスを市場に供給する前に、中小企業に比べかなり有利な状態なのは間違いない。

 それから「人」の問題も、最初からクリアできている。

 大企業は労働条件がいいから、当然優秀な人材が集まります。

 「大富豪」も、最初から同じ条件ではじめるわけですから、その中から勝ち抜いて大富豪になったということはある程度のスキルがあるということですからね。

 「カネ」はもちろん、「人」「モノ」でも劣る大貧民はどう大富豪に対抗してゆくのか。

 いつも悪いカードを大富豪から押し付けられる大貧民ですが、我慢しながらゲームを続けていると、悪いカードなりに特徴を持ったカードが集まることがあるのですよ。

 たとえば、最悪の「3」でも、それが3枚集まればトリプルだし、4枚集まればフォーカード。

 革命ルールがなくても、これを出せば他のプレイヤーは誰も対抗できないでしょう。

 それから、「3」「4」「5」のカードだって、階段の状態で出せば、切れる可能性はかなり高い。

 これを中小企業にあてはめると、商品特徴で勝負ということになるのでしょうか。

 単品では大企業と勝負にならなくても、それを加工したり、うまく組み合わせたりすることによって、大企業がすぐには真似のできない商品やサービスを創造することができる。

 身軽ですし、失うものが少ない分、大企業よりはダイナミックな勝負をすることもできると思います。

 ただここで大きな問題がありますな。

 「大富豪」で言うと、大貧民は、苦労して作ったそのカードをなかなか出すことができない。

 中小企業で言ったら、自信のある商品・サービスを持っていても、広告宣伝費にかけるお金がないということになるのでしょうか。

 「2」や「ジョーカー」など決定力のあるカードを多数持っている大富豪は、自分の出したいカードを自由に出すことができますからね。これは広告宣伝費に湯水の如くお金を使える大企業の状態に似ている。

 しかし大貧民は、カード出してもすぐ上のカードを他のプレイヤーに出されてしまう。

 しかも、オイラがやっていた「大富豪」のルールでは、最初に大富豪から出す決まりになっていたんですよ。

 普通は、大貧民から出すことが多いようですが…。

 大富豪に絶対的な権力が集中していたんですね。

 だから自分より上位のプレイヤーがハイレベルのカードでゲームをしている間、大貧民はじっと足の痛みに耐えて待っている。

 こんなとき、自分の虎の子のカードを使ってしまったら、数少ないチャンスを掴むことができないですからね。

 ここで待てるかどうかが、大貧民から這い上がる人とそうでない人との別れ道だと感じました。

 待っている間でも、今までどういうカードが出たかを記憶し、他のプレイヤーはどんなカードを持っているかを洞察することが大事ですね。

 中小企業としては、市場動向を調査しながら、いつ勝負に打って出るか、その時期を検討することが大切なのだと感じました。

 オイラが大貧民の場合、最初から勝てないと思ったら、大富豪や富豪に先に上がらせてしまうことが多かったです。

 下手に勝負に出て、虎の子のカードを使うよりは、戦力を温存して着実にひとつ階級を上げるといいますか。

 景気が悪くなって一気に業績が落ち込んだとき、一発逆転を狙って大勝負に出る経営者の人は意外と多いです。

 大勝負に勝って、一気に形勢を逆転できるならいいのですけど、不況でどこも必死で頑張っているときは思い通りに行くことはあまりないかも。

 オイラが上がるときは、大抵同じパターンが多かったです。

 ほかのプレイヤーがあと、1~2枚残っているとき、こちらはまだ4分の3のカードが残っている。

 でも、カードを出すチャンスがめぐってきたら、すべてトリプルや階段のカードを使って一気に上がってしまう、みたいな。

 そうやって着実に階級を上げて行き、大富豪や富豪になったら負けないゲームをする。

 大富豪になって、当然のように大貧民に一番悪いカードを渡すと、立場が逆転したとき仇をとられますからね。

 隣のプレイヤーが次のカードを出しやすいように、きれいな終わり方をしたり、大貧民が上がりやすいようなカードを渡す。

 オイラの「大富豪」の経験からいって、大富豪のときに恨みを買ってしまったら必ずあとでしっぺ返しにあいました。

 同じように、現在、大企業が下請けの中小企業に不況のつけを背負わすと、いつの日か必ずしっぺ返しにあうような気がするんですけどね。

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「大富豪」と企業経営の深い関係?

 こんにちは。

 新年ということで、久々のビジネスネタなぞやってみようか、と…。

 調べてみたら、ビジネスネタは3年以上も書いていないっす。

 オイラのブログのタイトルは「私の仕事に役立ったビジネス書」ですけど、延々と関係のないネタを書き続けているのでした。

 元はと言えば、今までオイラが読んだ一千冊のビジネス書の中で、実際の仕事に役立った事柄をお送りしようと思ったのが、ブログを始めたきっかけ。

 最初はその方針通り真面目に書いていたのですが…。

 でも、最近よく考えてみると、今まで読んだビジネス書より現在の自分の仕事に役立っているものがあるような気がしているんですよ。

 どぶの中を這いずりまわって、しぶとく生きてゆくコツといいますか。

 好況のときはあまり、気にしていなかったのですけど、不況になるとあきらかにそこから得た教訓が生きているな、と思えるのです。

 それは、高校から大学時代にかけて盛んにやった「大富豪」。

 ずっと前にも、「大富豪」をテーマにした記事を書いたこともありましたね。

 ちなみに「大富豪」とは、トランプのゲームのひとつ。

 カードをプレイヤーにすべて配り、手持ちのカードを順番に場に出して早く手札を無くすことを競うゲームです。

 その特徴はなんといっても、大富豪や富豪、平民、貧民、大貧民に分かれるところですな。

 「大貧民」になったら、「大富豪」へ一番いいカードを2~3枚渡し、代わりに悪いカードを受け取らなければならない。

 従って、一度、ドツボにはまったら、なかなか這い上がれないのです。

 前にも書いたと思いますが、オイラがやっていた当時は、大貧民は大富豪にカードを渡すだけではなく、さまざまなペナルティーを科していたのでした。

 たとえば、大富豪が牢名主のごとく座布団を3~4枚重ねて座るのに対し、大貧民になった人は、ゲームの間中ずっと正座していなければならない。

 最初はその程度だったのが、ゲームを続けるうちだんだんエスカレートしていったのですね~。

 大貧民は正座中ずっとほうきの柄を膝に挟んでいるとか、部屋に入れてもらえず、玄関で正座したままやるとか。

 時間が経つと足がしびれて、ゲームに集中できる状態ではなくなってくる。

 オイラがやった中で一番きつかったのは、大貧民はゲームの間中、4の字固めを食らい続けるというのがありました。

 カードを出そうとすると、かける相手が足に力を入れる。

 ぎぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~と激痛に耐えているうちに、「はい、パスね」とゲームを続けられてしまう。

 だから、一度、大貧民へ落ちてしまうとなかなか這いあがれない。

 しかも、オイラがやっていた当時のルールは、「革命」がなかったんですよ。

 ちなみに「革命は」は同じ数字のカードを4枚出すと、カードの強さが逆になるルールです。

 友達の家でやるときは、時間も限られているのですが、クラブの合宿で夜通しゲームをやるときは大変でした。

 延々と2~3時間も、足に棒を挟んだまま土間に正座。ひどいときは4の字固めを食らいながらだから、ゲームというより拷問と同じ。

 冷たい土間に正座しながら、温かい座布団にふんぞり返って見下す大富豪に一矢報いてやりたい。

 ネバーギブアップの精神は、そのとき鍛えられたのかも。

 でも、あせって無理な勝負をすればするほどドツボにはまる。

 これはもう、プチ格差社会ですよね。

 一度、大富豪になると、よほど変な出し方をしない限りずっと勝ち続ける。

 しかし、一度落ちると、ニートから抜け出すのは大変、みたいな。

 今、当時のメンバーが集まって「大富豪」をすることになったら、土間に正座ではすまないかも。

 ゲームからリストラされるばかりか、大貧民になったら新聞紙を一束渡されて、合宿所から追い出されるかもしれませぬ。

 近くの公園で、体に新聞紙をまきつけて野宿も、現実味を帯びてきますな。

 当時の連中だったら、そんなことを平気でやりかねない。

 ま、オイラもその中の一人ですが…。

 それはともかく、オイラは、大富豪を覚えるのが仲間内で一番遅かったので、ルールやテクニックを理解するまでは大変でした。

 大貧民として虐げられる日がひたすら続き、社会へ出てからも同じ目に合うのだろうかと随分悩みましたね。

 それでも、大富豪が強い友人たちのテクニックをいろいろ研究したり、敗因を分析したりするうちに、それほど負けなくなっていったのです。

 あれから30年近くたった今も、パソコンやケータイのゲームとして大富豪をやり続けていますよ。

 初心を忘れないためか、当時、虐げられる気分が病みつきになったのか、わかりませんが…。

 オイラの会社は、超零細企業という点では他の追随を許さないところがありますが、意外と不況に対するリスクは軽減できているような気がします。

 借金はないですし、取引先もさまざまな業界にわたって小口分散している。

 景気がいいときは、こんな会社いつまでやっててもいいのかなと疑心暗鬼になりますが、不況のときはわりとテンションが高くなるのです。

 ただ、元気よく、ニコニコしていると、逆に周りの人たちの機嫌を損ねてしまう。

 不景気の時は、不景気な顔をするものだ、と。

 でも、オイラにとっては、いつも遥か上空から見下ろされている会社が、不況のときはオイラのすぐ真上まで降りてきてくれるのが内心うれしかったりして。

 たとえば、景気のいいときは吉野家で絶対見かけないであろうエグゼクティブが、オイラの隣で牛丼をかっこんでいる。

 でも、オイラが牛丼の並、卵、味噌汁なのに対して、エグゼクティブはそれにごぼうサラダをトッピングしていますが…。

 その程度だったら、オイラでも清水の舞台から飛び降りた気分で、生野菜を追加することも可能ですからね。

 ジェットコースターみたいに上昇下降を繰り返す会社より、ずっとゆったりゆっくり走り続けるお猿の電車のほうが、安定感があるなと考える今日この頃。

 不況のときはオイラの会社、なかなか足腰が強いところがあるっす。

 前振りが長くなりましたが、今日は、そのあたりを考察してみようか、と…。


 よく考えてみると、大富豪というゲームは企業経営のノウハウがいろいろ含まれていると思うのですよ。

 企業経営で必要なのはまず経営資源。

 経営学の授業では、経営資源とは「人・モノ・カネ」であると習います。これにプラスして、「情報」も、多くの有識者が申しますな。

 これを「大富豪」に当てはめてみると、「人」はプレイヤー。

 「モノ」はカードの組み合わせ方。

 「カネ」は「2」や「A」、「ジョーカー」など強いカードを持っていることになるのではないか。

 最初は、同じ条件ではじめるのですが、プレイヤーの技量をのぞけば運の要素が大きい。

 「ソニー」や「松下」だって最初から大きかったわけではないですよね。でも、創業経営者の経営手法や市場の成長度、そして時流に乗る、あるいは時の運などによって差が出てしまう。

 しかし、一度、大企業と小企業に分かれてしまうとその差は歴然。

 大企業を大富豪とすれば、大貧民は赤字続きの零細企業といえるでしょうか。

 下請け企業は、自分の持っているいいカードを大企業に渡し、大企業のお荷物になっているカードをもらわねばならない。

 こんな厳しい状況が今の世の中、いろいろなところで起きていますな。

 テレビでも、大企業の経営不振のつけを中小零細企業に押し付けている事例をよくニュースで見ます。

 中小企業としては、こういう不合理な立場から脱却しないと倒産してしまう。

 この中小企業がどう大企業に対抗していくのか、というテーマは、「大富豪」のどう大貧民の状況から抜け出すか、というテーマと、似ているのではないかと考えるのです。

 だから、「大富豪ゲーム」の敗因を分析することは、その状況から脱却できるヒントが隠されているのではないか。

 そのように考えてくると、「大富豪」で負け続ける人は、結構同じパターンを踏むことが多いんですよ。

 それは、どういうプレイヤーか。

 それはまた次回。

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江戸時代のワンダーランド? 成田山新勝寺 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 亡くなった父が生前書いた文章を、最近読んだのですよ。

 それは、「ビジベン家の史記」。

 父が昔、うちのルーツといわれる愛知県まで出かけて調査した報告書ですな。
 
 うちのご先祖様でわかっているのは、江戸時代の後期から明治にかけて愛知県のお寺の住職をしていたお坊様まで。

 それほど由緒ある家柄だとは思えないので、鎌倉や室町時代までは遡れないだろうとあきらめていました。

 でも、読み進めるうちに驚愕の事実が…。

 オイラが子供の頃かわいがってくれた祖母が、実は血がつながっていなかったみたい。

 「ビジベン家の史記」にはあからさまには書かれていないのですが、本当の祖母は戦前に亡くなっていると思える節が。

 血のつながった孫よりも可愛がってくれたので、親戚一同が話さなかったのも、わかる気がしました。

 ほかにも、先祖といわれるお坊様と現在のうちの家系も直接血のつながりはないみたいなんですよ。

 では、うちの血のつながったご先祖様はどこに?

 祖父が尋常小学校を卒業した12歳のとき、一人で台湾へわたり仏教の修行したのも驚きでした。そのあと、日本に戻って還俗し、事業をはじめるのですが、相当の苦労談があったとか。

 祖父とは子供時代、いろいろ話をしたことがありますが、自分の苦労したことを一切言わない人でした。

 また、オイラのひいおばあさんにあたる人は生まれながら目が不自由だったというのも初耳です。周りの人たちから慕われたというエピソードもたくさん書かれていました。

 それにしても、オイラの知らないことが多すぎ。

 今まで聞いたことのない話ばかりだったので驚きました。

 父の文章にも、わからない部分が多々あると書かれています。

 これらの謎を解明することは、邪馬台国の場所より、オイラにとって重要かも。

 この謎に包まれた「ビジベン家の史記」を完成させることがオイラの役目ではないかと考える今日この頃です。
 

 さて今日は、前回の続きです。

 新勝寺の表参道を歩いてきたオイラは、豪壮な総門と歴史のある仁王門をくぐり、大本堂へ向かいます。

 急な階段を上りきると、いきなり視界がパッと開けました。

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 青空にむかって毅然と建つ大本堂が目にまぶしい。

 本尊の不動明王像を安置しているのですね。

 これは最近できたものかな、と思ったら、1968年建立の鉄筋コンクリート造とか。

 間口は、95.4m、奥行が59.9m、棟高は32.6mもあるのですね。

 前回、子供の頃に来たときと建立の時期が一致するから、きっと『新本堂ができあがったよツアー』にオイラは参加したのかもしれませぬ。

 大本堂の御本尊不動明王像は、平安時代に、瑳峨天皇の勅願により、弘法大師が祈りを込めて敬刻開眼されたらしい。

 ところで、新勝寺開山には、やはりあの平将門の乱が影響しているそうですね。

 開山された寛朝大僧正は、宇多天皇の皇孫だったそうですが、朱雀天皇より、平将門の乱平定の密勅を受け、不動明王像を持って海路から房総半島に上陸。

 そこから陸路をとって成田の地まで来られたそうな。

 そして、平将門の乱平定祈願のため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行う。

 ときに、西暦でいうと940年。

 将門の乱が鎮圧されたあと、不動明王像とともに都へ帰ろうとしたところ、なぜか像はビクとも動かなくなってしまった。

 この地にとどまって、多くの人たちにご利益をもたらそうとされているのではないか。

 これを聞いた天皇は深く感動し、国司に命じてお堂を建立。

 「新勝寺」と名づけ、ここに東国鎮護の霊場としての「成田山」が開山されたとのこと。

 新勝寺の名前の由来は、「また新たに勝つ」という語句に因んでいるらしい。

 将門の乱は今から1000年以上も前の事件ですが、今なお関東にさまざまな形で根を下ろしているのは驚きです。

 鎌倉や戦国時代にもそれに匹敵するような大きな戦が行われていると思いますけど、歴史におけるインパクトという点では計り知れない影響力があったのですね。

 そんなことを考えつつ、大本堂の右手を見るとゴージャスな外観の三重塔。

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 ピカピカでサイケデリックな装飾から、再建されたのだろうかと思いました。

 しかし、1712年建立の重要文化財だと知ってびっくり。

 普通、重要文化財って言ったら、黒ずんだ古木によるシックな外観、というのがオイラの中のイメージでしたから。

 でも、できた当時はどの塔も、こんな極彩色で彩られていたのですね。

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 こんな色鮮やかな建物があちこち境内にあったのでしょうか。

 ディズニーランドみたいなファンタジックな空間を作ろうとしたのかな、と…。

 江戸庶民が泊りがけで成田詣でをしたのはもちろん宗教的な意味合いが大きかったのでしょうけど、泊りがけでディズニーランドへ遊びに行くといった雰囲気もあったのではないかと感じました。

 三重塔は、小さいなという印象でしたが、それでも高さは25メートルもあるのだとか。

 大本堂が巨大だからそう見えるのかもしれませんが、以前の本堂はもっと小振りだったそうですから、本堂と三重塔のバランスが取れていたのでしょうね。

 数十年ぶりに、新勝寺の本堂にお参りします。

 これで成田山に対するトラウマも解消~。どういうトラウマなのかは、前回の記事をご覧ください。

 さすがに関東屈指の寺院だけあって、参拝客がひきも切らないですな。

 本堂の中では、多くのお坊様たちがお経を唱えています。

 それが一段落すると、後ろでお参りしていた人たちが前へゾロゾロと集まっていきます。

 そして自分のバッグを若いお坊さんに手渡す。するとお坊さんたちは、ご本尊の前で燃えている火に預かったバッグをかざすのですよ。

 もちろん火にくべたりせず、かざすだけなのですが…。

 どういうご利益があるのでしょうね。

 大本堂の左手の広場に建つのが釈迦堂。

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 これも重要文化財なのですな。安政5年(1858年)の建立で、こちらも旧本堂。

 堂の周囲に施された二十四孝と五百羅漢の彫刻が見事っす。

 釈迦堂の奥の階段を上ると額堂がありました。

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 これは、他の寺にもよくある絵馬を掲げるための建物ですが、規模や歴史が一味違いますね。

 これも重要文化財ですが、いちいち書くのが面倒なので、以後割愛させていただきます。

 額堂の脇をどんどん歩いてゆくと、奥の院へ向かう道がありました。

 途中にあるのが、光明堂。

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 元禄14年(1701年)建立で、釈迦堂が本堂になる前の旧本堂なのですか。

 新勝寺の境内の広さは半端じゃないですから、旧本堂を移築してどんどん大きな新しい本堂を建てることができるみたい。

 いずれ、今の大本堂を新築するときは、高層建築になるのだろうかとイメージしてしまいました。

 さらに、新勝寺の境内の一番奥へと向かいます。

 境内でひときわ高く、そしてひときわ大きな建物が、平和大塔。

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 鉄筋コンクリート造で高さ58.1mの仏塔ですな。

 1984年の建立だから、今回はじめてお目にかかる建物なのでした。

 二重の塔に見えますが、内部は5階建て。

 中に入れるそうなので、喜び勇んで見学させてもらうことにします。

 さすがにエレベータはないみたいですけど、中はカーペットが敷き詰められていて快適な空間。

 1階には写経道場や絵馬などの文化財が展示していてありました。

 2階は、巨大な不動明王像を中心とする五大明王の巨像が安置。

 3階と4階には、信徒が奉納した不動明王の小像が多数置かれていました。

 財界や政界の有名人、一般信徒の人たちの寄付でこれだけの巨大な塔が建ったのですね。

 最上階にも、5体の仏像が安置されていました。

 塔の中を巡るだけでも結構時間がかりますね。

 時計を見るともう3時半。

 10時前に成田駅へやってきたから、昼食の時間を除いてもかれこれ5時間近く新勝寺とその周りで過ごしたことになる。

 一つのお寺の周辺だけで、こんなに長い時間過ごすことは滅多にないですから、その規模がわかります。

 門前町も個性的で、時間をかけてまわりたい店がたくさんありました。

 江戸時代の庶民が何日かかけても、足を運ぶだけの魅力の理由がわかったような気がしましたね。

 平和大塔の下には、広大な成田山公園が広がっています。

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 昭和3年の完成で、面積は16万5000平方メートルもあるのだとか。

 丘陵地の起伏を利用して、中央部の谷に三つの池が縦に並ぶらしい。
 
 急な階段を下り、まず池を目指します。池の周囲には梅、桜、モミジ、藤などの樹木が植えられ、季節ごとに変化に富んだ景観が楽しめるのですな。

 池のほとりに、書道博物館の建物が景色に溶け込んでありました。

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 江戸後期以降の書道の名作が多数展示、収蔵されているそうですが、去年の今頃、ぐるっとパスでさんざ絵画や書、彫刻を見て回ったので今回はパス。

 芸術を見る楽しさに目覚めたのですが、同時に、ただか、リーズナブルな入場料でなければ見る気力を無くしてしまったのはマイナスだったかも。

 それはともかく、絶景スポットがいくつかあったので、写真をパチパチ撮りました。

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 行った日は、紅葉はまだ先でしたけど、木々の葉が赤く色づくとなおその魅力が増したでしょうね。

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成田山新勝寺・門前町 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 遅ればせながら、昨年は大変お世話になりどうもありがとうございました。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 オイラのお正月の楽しみは山登りとウォーキング。

 年末年始にかけては、神社仏閣はどこも混んでいるし、博物館や美術館も開いていないし、で、ここ数年は山へ行くことが多いのです。

 ガイドブックには初級者コースと書いてあったのですが、岩場をロープでよじ登ったり、凍結した路面で足を滑らしたり、かなりの難コースでした。

 でも、後になって考えるとラジオを聞き、ワンセグを見ながら登ったからかも。

 登りの5区から山下りの6区にかけて、他の登山者との激しいデードヒートの模様は、またいずれ。

 
 さて、新年ということで、今回最初のお散歩ネタは成田山新勝寺です。

 新年にお参りしたのではなく、行ったのは去年の10月ですので念のため。

 従って、ゆっくりお寺の中外を観光することができました。

 成田山といえば、正月三が日の初詣人出ランキングでは堂々、全国第二位のお寺ですね。

 ちなみにトップは明治神宮。

 三位は、川崎大師。

 毎年、こちらも川崎大師と激しい二位争いを演じているのですな。

 でも、交通の便からいったら、首都圏にある川崎大師に軍配があがります。

 それでも、例年二位を保ち続けているのですから、根強い人気があるのですな。

 ご利益はもちろん、お寺としての魅力的な要素を備えているのでしょうか。


 これだけ有名なお寺なのに、実はあまり訪れたことがないのですよ。
   
 よく考えてみると小学校低学年のときに一度行ったきりなのでした。体感的には、毎年参拝しているような気分でしたが…。

 おそらく、年末年始のNHK番組、「行く年、来る年」を見て、お参りしているような気分になっていたのかもしれませんね。

 交通安全・家内安全の守り神としては、日本有数の寺院。これは久しぶりに訪れるしかない。と…。

 それにしても、お寺好き、神社好き、のオイラがなぜ、ここまでご無沙汰してしまったのでしょうか。

 それはおそらく、年少時代に訪れた成田山参拝で、大変な目にあったからかも。


 悲劇が起ったのは、町内会の日帰り旅行でした。

 近所の人たちがバスを1台借り切って、東京から一路成田を目指したのですよ。

 ところが、小学校当時のオイラは虚弱で、バスに酔っ払ってしまった。

 近所の人たちの目の前で、ゲ●ゲ●ゲ●ゲ●ゲロ…。

 それからと言うもの、近所を歩くと、ゲ○を吐いた少年としてみんなから後ろ指をさされ、辛く哀しい少年時代を送らざるを得なくなったのでした。

 それから、成田がオイラのトラウマになったのかも。

 でも、体力と精神力を鍛え、その後、オイラは一度も乗り物に酔って吐いたことはありませぬ。

 そのトラウマを払拭するためにも、成田山を訪れる必要があるのでした。

 …ということで、肉体的にも、精神的にも成長したオイラは、リベンジのために京成線京成成田駅へやって来ました。

 リベンジだったらバスを使うべきだったと、あとで後悔しましたが。


 成田山新勝寺へ向かう表参道は、JR成田駅と京成成田駅からほぼ同じ距離にあるのですな。

 参道をテクテク歩くと、道の左右には、古いみやげ物店、飲食店、旅館が軒を連ね、歴史のある門前町の風情が感じられます。

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  ようかん一筋で創業110年を誇る米屋という和菓子屋さんの裏に「成田羊羹資料館」なるものがあると聞いたので、行ってみることにしました。

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  中には、大正時代の番頭台や創業者のプロフィール、羊羹の歴史、昔の羊羹作りの道具が展示してありまする。

 昔の羊羹のパッケージなど興味深い展示品がありましたが、なんと言っても目を引いたのが岩下志麻の若い頃のポスター。

 当時の米屋のようかんのイメージキャラクターは岩下志麻だったのですか。

 現在は、極道の妻とか、北条政子みたいな強面のキャラですけど、清純路線の写真が目を引きました。

 米屋から程近いところにある建物が、薬師堂。

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  それほど大きくないし、よくあるお寺の本堂だと思ったら、なんとこの建物は、前の前の成田山新勝寺の旧本堂だったらしい。

 新勝寺建物としては、現存する中で最も古いのだとか。

 1655年に建立され、1855年に現在地に移転したのですね。

 新勝寺がすごいのは、現在の本堂はもちろん、前の本堂も境内に残っていること。

 お寺の発展とともに本堂も大きく立派に成長してゆくのですな。

 ビルのワンルームから高層ビルのテナント、そして自社ビルの建設へと成長するベンチャー企業を想像してしまいました。

 創業以来、全然成長しないオイラの会社をイメージして少し暗くもなりましたが…。

 なおも表参道を歩き続けると、道は徐々に下り坂に。

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 晴れた青空の向こうに、巨大な伽藍と三重塔が望めます。この辺りは、京都の古刹といった雰囲気が漂っています。

 道の左手に見える巨大な木造建築に思わず足が止まりました。

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 これが、あの大野屋旅館なのですか。

 木造四階建てで、最上階は望楼になっている。昭和12年の建築というから、築70年になるのですね。

 三階の大広間には能舞台もあると聞きました。城とか、巨大な木造建築には目がないので、長い時間見とれていました。

 望楼に登れば、城の天守閣気分が味わえるかも。

 うう、泊まりたいっす。

 大勢の観光客がこの建物を見上げていましたが、道の先のほうでも人だかりができている。

 なんじゃ~とオイラも向かいます。

 多くの観光客が眺めて、写真を撮っている先は、店頭でうなぎをさばいている風景でした。

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 うなぎが熟練の職人さんの手に掛かると、あっという間にさばかれて蒲焼の状態に…。

 よく見ていると、目打ちをする直前に、首筋を包丁で少し切るとか、骨を身からはがすときの独特の包丁の動かし方とか、長年培った工夫があるのでしょうね。見ていて興味はつきませんでした。

 外国の観光客は珍しいのか、瞬きするのも忘れて見入っていたのが印象的でしたね。

 すぐ近くにあるのが、成田観光情報館。

 例によって「無料」という二文字に吸い寄せられるように入っていきます。

 ここは、パンフレットが置いてあるだけの観光情報コーナーかと思ったら、博物館のような展示もあってなかなかでしたよ。

 江戸時代から成田参詣は盛んだったようですね。

 それというのも江戸時代、江戸でたびたび成田不動の「出開帳」が行われたのだとか。

 今で言えば、「法隆寺展」や「東大寺展」が東京で行われるみたいなものだったのでしょうか。

 当時、それが大きな評判を呼んだのは、歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗ったということからもわかります。

 展示コーナーには、庶民が成田参詣をするために街道や川を使って移動している様子が絵や人形で表されていました。

 ほかにも、成田祇園祭で実際に引き回される山車も展示されていて、お得感抜群。

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 多くの観光客が素通りしてしまうのはもったいないっす。

 さて、いよいよ新勝寺へお参りと思いましたが、その前に、行ってみたい場所があるのでした。

 それは、小野忠明、忠常の墓。

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 どちらかというとあまり有名ではない歴史上の人物かもしれませんけど、知る人ぞ知る小野派一刀流の開祖の墓がこの近くにあるとのこと。

 新勝寺の門前を過ぎ、成田高校の横の坂を上って行くと、小高い丘に二人の墓はひっそりと佇んでいました。

 二人は親子で、徳川家の「剣術指南役」として活躍したのですな。

 柳生但馬守宗矩や柳生十兵衛みたいに、あまり時代劇には登場しないようですが、昔読んだ剣道の本には、かなりのページを割いて「小野派一刀流」が紹介されていたのを覚えています。

 しっかりお参りして剣豪のパワーをもらったあと、いよいよ成田山新勝寺へ。

 まず、出迎えてくれるのは巨大な総門。

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 やけに新しいなと思ったら、これは開基1070年記念事業として2006年に竣工したのだとか。総欅造りで、高さは15mもあるのですか。

 総門をくぐり、急な階段を上ると、次に出迎えてくれたのは、仁王門。

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  重要文化財っすか。江戸時代末期の建築なのですな。

 仁王門の奥に池があり、橋が架けられています。

 参拝客が皆、橋から池を覗いている。

 何々、と見ると、亀が何匹も泳いでいました。池の真ん中に岩でできた島があり、それも上から見ると亀の形をしています。

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 池の周りは崖になっていて、古い石碑がたくさん取り囲んでいる風景は、歴史を感じましたね。

 ここから本堂にお参りして、成田山公園へ向かうのですが、興味深い建築物がたくさんあって楽しかったです。

 続きは、また次回。

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