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日本桜の名所100選・茂原 ウォーキングストーリー

 こんばんは。

 さて、、今回行ったのは千葉県の茂原市。

 太平洋に近く、温暖で自然がいっぱいのところなのだとか。

 茂原へ行こうと思ったのは、まだ一度も訪れていない町だからというのが一番の理由です。

 でも、行くんだったら春がいいみたいですよ。

 …というのは、日本桜の名所100選にも選ばれた茂原公園があるからなのですね~。

 ネットで調べたら、ちょうど、「桜まつり」も開催されているそうなので一か月ぶりにお散歩に行くことにしました。

 ついでに桜の名所100選について、ネットで調べてみたんですよ。

 さすがに、弘前公園や吉野の桜など、日本が世界に誇る桜の名所がランクインしていました。

 ちなみに、東京都内の桜の名所は、以下の五つ。

東京上野公園
新宿御苑
隅田公園
小金井公園
井の頭公園

 わりと人生を長く生きているから、これらの公園全部、桜が満開の時期に行ったことがあります。いずれ劣らぬ、ゴージャスな桜の名所であることは間違いありませぬ。

 これらと同じ土俵に選出された、茂原公園とはどんなところか、期待が膨らみます。

 JR茂原駅の南口を出て、地図に従って茂原公園を目指して歩きます。駅から徒歩で30分ほどかかるのですね。

 歩きながら、そういえば茂原って、オイラの学生時代の知り合いに関係している場所だったと思いだしました。

 大学生になったとき、一年間ほどアパートを借りて住んだことがあったのですよ。

 隣の部屋に入ったのが、同じ大学の同級生。

 だけど、三浪の人だったので、みんなは「先輩」と呼んでいました。

 その人がすごいプレイボーイ(今や死語?)で、毎月、彼女を変えているのです。毎晩遊び歩いているのだから、夜も遅くならないと帰ってこない。

 アパートの部屋の前で、いつも「先輩」の帰りを毎晩待っている女性がいました。冷たい板敷の廊下に座り込んで、文庫本を読んでいるのです。

 「先輩」は、彼女とは別れたと言っていたのに、彼女のほうでは別れたという認識はないみたい。

 一週間も毎日通ってくるので、気の毒になったオイラは、やっぱり同じアパートに住んでいた別の同級生と一緒に、廊下に座り込んで身の上話をいろいろ聞きました。

 聞いてみたら、100パーセント「先輩」が悪いので、同級生と二人で腹を立てたのです。実はその女性が住んでいたのが茂原でした。

 こんな遠いところから、毎日通っていたのですな。

 当時の彼女の苦労を思い出し、少し重たい気分で商店街を歩きます。

 ある商店の店頭を何気に見ると、おお、これはクワっすか。

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 まわりに畑がないのに、クワや竹かごを売っている店があるのですね。

 通り沿いには、古い家もところどころにあってうれしくなります。

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 しばらく歩くと川にぶつかりました。市内の中央を流れる豊田川らしい。

 水辺の緑と近代的な建物がいい味を出していますな。

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 東京は、ビルには不自由していませんが、こういう緑あふれる川は意外と少ないかも。

 ただ一つ目立つ高層ビルは、市役所の庁舎でした。市内のどこからでも見られるのはいい目印ではあるのですが、いつもお役人に見下ろされているのもどうか、と…。

 市役所の近くにあるのが、藻原寺。

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 藻原寺は、そうげんじと読み、「茂原市」の市名の由来にもなったお寺らしい。さすがに、「そうげんし」とはならなかったのですな。

 日蓮聖人が、お題目初唱をした霊場として知られる日蓮宗の名刹なのですね。

 このお寺のシンボルとなっているのが、山門。

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 竜宮城を思わせる多宝塔式の山門で、高さが24メートルもあるのだとか。

 境内にも桜が植えられて、思わず足を止めて見とれてしまいます。

 古い木造建築と桜のコラボは、日本人のDNAを刺激して郷愁をそそられますな。

 藻原寺の境内では骨董市が開かれ、古い彫刻やら、古い時計やら、着物や洋服やら、ゆっくり眺めました。

 歴史好きだけど、骨董にはそれほど興味がないオイラが注目したのは、古い雑誌。

 おお、30年くらい前のプロレス雑誌じゃ~!!!

 ドリーファンク・ジュニア、バーン・ガニア、ジン・キニスキー、ペドロ・モラレスなどそうそうたるプロレスラーが表紙を飾っている。

 今日訪れた人たちで、これらのレスラーの名前を全部言えるのはオイラだけかも。

 よっぽど買おうかと思ったのですが、うちの押入れを探せばあるかも、と思って眺めるだけにしました。

 目指す茂原公園は、藻原寺の裏に広がっているみたい。楽しみはあとでと、先に鷲山寺にお参りします。

 藻原寺と違って、こちらのお寺は訪れる人もなく静かな佇まいでした。

 境内で目に付いたのは、「元禄津波供養塔」。

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 徳川綱吉の元禄時代に、地震による大津波によって太平洋に面する九十九里や白子の人たちが津波によって大勢亡くなったらしい。その供養塔なのですな。

 現代も、首都直下型の地震は来るのでしょうね。

 そのときは、家に押しつぶされて危ういだろうと思いつつ、それなら、今のうちに桜を眺めておこうと足を速め、茂原公園へ向かいました。

 茂原公園は、昭和初期に開設され、さくらはソメイヨシノなど約2,850本が植えられているとか。

 行った日は、六分から七分咲き程度でしょうか。

 満開の一歩手前で、園内が桜であふれかえっているという雰囲気ではなかったです。でも休日だったので、桜を見に大勢の人たちが集まっていました。

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 この公園の特徴的な風景は、池と赤い弁財天の建物と橋、そして桜のコラボでしょうか。

 この池は、弁天池といって、もともとは用水池として作られたらしい。約16万平方メートルの敷地内には、桜のほか、ツツジやシダ等も植えられているそうですね。

 池と赤い歴史のある建物、そして桜のピンクは色彩的にも相性は抜群。

 それほど桜の本数は多くないようですが、その見事なコラボが桜の名所100選の理由なのではないか、と…。

 ホントは、もう少し満開の桜が見たかったのだけれど…。

 それでも芝生の広がる野外ステージでは、バンドや太鼓演奏、踊りなどのイベントが開催され盛り上がっていました。

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 そして、茂原公園の奥にあるのが、茂原市立美術館・郷土資料館

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 平成6年10月に開館したそうですが、ここは「美術館」と「郷土資料館」がコラボで見られるのがうれしい。公園で桜を眺めながら、気軽に芸術と文化の両方に親しめるのですね。

 まさに、一粒で二度おいしい状態。

 しかも、無料っす。

 行った日は、美術館では、郷土ゆかりの作家を中心とした作品。郷土資料館では、茂原市のおもに稲作における歴史資料が展示されていました。

 もう少し、茂原市の歴史背景が知りたいと思いましたが、無料ですから注文はあまりつけられませぬ。

 美術館と郷土資料館を堪能したあとは、茂原公園内を、桜を眺めながらそぞろ歩きします。

 茂原公園の展望台に上ると、公園内はおろか市内も一望できました。

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 この見晴らしと丘の急斜面、そして広い池、城好きとしては、ここに城を築きたくなりますな。

 …と思って帰ってからネットで検索してみたんですよ。

 そしたらなんと、ここは藻原城の城跡でもあるらしい。公園内には何も表示がなかったのですけどね。

 戦国時代の城ではなく、鎌倉時代の居館みたいですが、現在、藻原寺の建つところに建物があったそうな。

 オイラが土塁かと思った部分も、その可能性があるとのこと。現在の弁天池も水掘の名残かも、と…。

 今も昔も、城好きにとって、城を築きたくなる土地は同じなのかも。

 時間があったので、桜がきれいだという豊田川のほとりを歩き、船着神社というところへ行ってみることにしました。

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 日差しが強く、紫外線の攻撃をモロに受けつつ、川沿いの遊歩道をひたすら歩きます。

 地図を見ながら歩いたのですが、行けども行けども、目的地に到着しない。

 もう限界っす、とあきらめて撤退を余儀なくされる羽目になったのです。

 オイラが、ウォーキングマップのコースを予定通り歩けないなんて…。

 気づかないうちに、足腰が弱くなっているのだろうか。

 とうとう、老いがオイラにも訪れたのかな、とブルーな気分になってトボトボ国道沿いの帰り道を歩きました。

 かなり歩いたと思ったとき、行く予定だった船着神社が目の前に。

 ものすごいスピードで歩いていたから、気づかないで通り過ぎてしまったのですね。

 こんな小さな社だとは思わず…。

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 あとで調べたら、正規のコースより4キロも余分に歩いていたのでした。

 足腰が弱っていたわけではなかったのですね~。

 それにしても、注意力が散漫なのは花粉症のせい?

 足腰より、脳みそのほうが心配な、今日この頃でした。

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出版決定しました~! with 八王子・多摩御陵 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 大変ご無沙汰致してしまいました。

 一ヶ月以上も更新しなかったのは、ブログ始まって以来の最長無更新記録。

 3月は、ちょっと半端じゃないくらい忙しかったのです。

 いつもは昼間に仕事をして、その合間や夜にネットアンケートなどの副業をしていたのですが、先月は、これに出版の原稿執筆作業が加わってしまったのですね~

 原稿の締め切りがあったので、3月は一日も休めずに、土日はずっと仕事状態。毎日原稿を書きまくっていて、さすがにブログを書く精神的なゆとりがなかったといいますか。

 でも、おかげさまで4月になってようやく、執筆作業に一区切りをつけることができました。 

 これから、リハビリをかねて、少しずつプログも復活していきたいのだけれど…さて、どうなりますか。

 今度出版される本に関しては、またブログの中で少しずつご報告させていただければ、と思います。

 …ということで、約二ヶ月ぶりのお散歩ネタ。


 突然ですが、昭和天皇のお墓がどこにあるか、ご存知でしょうか。

 この質問を渋谷か新宿の路上でしたら、どういう答えが返ってくるでしょうね。

 ちゃんと答えられる人はそれほど多くはないかも。

 …というのは、オイラの周りの人たちに聞いてみたら、答えられる人が半分もいなかったのですよ。

 京都ではないかという人がいたり、皇居だという人がいたり、明治神宮の中にあるという人もいたり…。

 もっとも、オイラも、以前お参りに行ったことがあるから知っているだけで、テレビや新聞、雑誌で見た記憶はないのですが。

 答えは、東京八王子。正式には武蔵陵墓地というらしい。

 父の葬儀や納骨をしているうちに、なぜか昭和天皇の墓にもお参りをしたくなったので、八王子近くのお散歩をかねて伺うことにしたのです。

 最寄の駅は、高尾駅。

 JRと京王電鉄が乗り入れているのですが、料金が安いので例によって京王線を利用します。 

 高尾駅を出て、まず向かったのは、多摩森林学園。

 ネーミングを見ると、林業科の学校というイメージですが、いわゆる学校ではないみたい。独立行政法人森林研究所の研究施設なのですね。

 明治時代は宮内省の林業試験場だったそうですな。近くに、大正天皇の陵墓が築かれたのはその関連もあったのかもしれません。

 ここの目玉は、園内の桜保存林だとか。

 なんでも、日本全国各地からさまざまな桜が集められ、その遺伝子を保存するための「クローン」を植えているのだとか。

 行った日は、冬でしたから当然桜の花は見られません。でも、整備された園内をめぐり、桜の咲いている頃をイメージしようか、と…。

 ところが入口近くまで行ってみると、以下の張り紙が…。
 
『 2008年8月末の豪雨により園内各所に土砂崩れが発生したため、ただいま休園しております。
 皆様には大変ご迷惑をおかけし、お詫び申し上げます。
 2009年3月24日(火)には再開することを目指して復旧工事に取り組んでいるところです。』

 がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~ん、休園っすか。

 ガックリきたと同時に、これで入園料300円が浮いたというせこいことを考えるオイラがいたのでした。


 実際行ったのは去年だったので、現在はもう開園していると思いますよ。

 でも、近くの杉林からの花粉の密度を考えると、とても、今また改めて出かける気になりませぬ。
 
 ところでこの辺りは、400年以上前に、武田信玄の武将・小山田信茂と滝山城主・北條氏照の重臣・横地監物らとが一大血戦を行なったところだそうですね。

 近くに、廿里古戦場(とどりこせんじょう)の解説板がありました。

 廿里山に陣を張って待ち伏せた小山田勢とそこへ押し寄せた北條氏照の重臣・横地監物らが現在の長房町付近の平地で激闘を演じたとか。

 確かに、丘陵を背負った平地はいかにも戦場になりそうな場所。

 この戦いで北条方は散々に敗れ散ったらしい。

 この敗戦を契機に、滝山城からより奥深い山の中の八王子城が築かれることになったそうですね。

 今まで行った場所が頭の中でフラッシュバックし、ストーリーを伴ってつながる瞬間がお散歩の醍醐味っす。

 南浅川まで戻り、下流に向かって歩くと陵南公園に着きました。

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 ここは、東京オリンピックのときに自転車競技場として使用された場所だそうな。

 今は野球場や日本庭園、林の広場になっていますが、オリンピック当時はどうなっていたのでしょうね。

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 ちょっと想像ができませぬ。

 公園のエントランス部分は、甲州街道から南浅川橋を渡って伸びる武蔵野陵墓地の参道に接しているのですな。

 オイラはその参道を歩いて、武蔵野陵墓地へ参拝します。

 ケヤキ並木の広い通りですが、車の通行もほとんどなく深閑とした雰囲気。

 やがて、広い広場が現れ、北山杉の並木が続く参道を望むことができました。

 オイラはおごそかな気分で、玉砂利を踏みながら進みます。

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 参道はよく整備されていて、塵一つ落ちていない。

 歩いているうちに、だんだん背筋が伸びてゆくような感じですね。

 周囲は、昔、伊勢神宮をお参りしたときの風景によく似ています。

 武蔵野陵墓地には、大正天皇と皇后さま、そして昭和天皇と皇后さまの4人のお墓があるのですね。

 まず向かったのは、大正天皇の多摩陵。

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 大きな鳥居があって、その向こうには石段。石段の上には、石で葺かれたドームが垣間見えます。まわりの木々の緑とよく溶け合っていますね。

 ドームの下は石垣の段がありました。

 上円は直径15メートルで高さは10.5メートルあり、一番下部の段は一辺27メートルの正方形なのだとか。

 これは上円下方墳という形態なのですね。

 この形式は、明治天皇の伏見桃山陵が参考にされたらしい。明治天皇の御陵が京都にあるとは、今回の記事を書くまで知りませんでした。

 明治神宮に明治天皇のお墓があるものとばかり思っていまして…。

 それにしても、上円下方墳のお墓を下から仰ぎ見ながら拝んでいると、古代の人たちの感覚を共有しているような感覚になりました。

 隣にある大正天皇のお后であった貞明皇后の多摩東陵にお参りしたあと、昭和天皇の武蔵野陵にお参りします。

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 陵の形式は、大正天皇のお墓と同じなのですね。

 ただ少し、イメージ的にやさしい感じがしたんですよ。

 家に帰ってネットで調べてみたら、その理由がわかりました。

 大正天皇のお墓より上円部の丸みがなだらかになり、石段の高さが低くなっていて、威圧感を減らす試みがなされているのですね。

 昭和天皇のお后であった香淳皇后の武藏野東陵も同じで、あのやさしそうだった皇后さまの顔が目に浮かびました。

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 それにしても、上円下方墳とは古墳の歴史から言っても珍しい形式だと思うのですが、その経緯について知りたいと思いました。

 まさか、仁徳天皇陵みたいな巨大な前方後円墳は作れないと思いますが。

 武蔵陵墓地を出て、住宅街をテクテク歩き、次に向かったのは東照寺と長泉寺。

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 この二つのお寺は、もともとは今訪れた武蔵陵墓地の敷地内にあったのを墓地建設にともなって現在地に移転したらしい。

 どちらも室町時代に創建された古刹なのですね。

 長泉寺には、徳川家康の兵として関ケ原や大坂で戦功をあげた後、出家して諸国を回り、やがてこの地に庵を結んだ石平道人の墓がありました。

 この人の名前は知りませんでしたが、一流の官公庁や企業を中途退職して、自分のやりたいことをやろうとした人は当時もいたのだと驚きます。

 再び南浅川の河原沿いの道を下流に向かって歩きます。

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 東横山橋で川を離れ、住宅街を歩くと左手の丘陵の上に吉祥院がありました。

 丘陵の上にはたくさんのお墓が建ち並び、そこからは市内や高尾山をはじめとした山の稜線を眺めることもできます。

 お墓参りをするのは大変だけれど、眺めのいい景色を望めるお墓っていいですね。

 吉祥院から次に向かったのは、龍泉寺。

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 ここは八王子城の城主だった北条氏照を開基として創建されたらしい。

 北条氏照といえば、去年小田原へ行ったときお墓参りをしたばかり。一人の武将の足跡に、いろんな場所を旅するたびに出会えるのは楽しいっす。

 そして最後に向かったのは、西八王子駅からほど近い場所にある宗格院。

 この人もオイラは知らなかったのですが、幕末の開国論者、松本斗機蔵の墓がありました。
松本斗機蔵は、千人同心頭の長男で寛政5年(1795年)の生まれだそうですね。

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 江戸の昌平坂学問所で天文 地理 兵制を学び江川太郎左衛門や渡辺崋山らとも交流があったとか。

 海外事情に精通して、日本開港を主張したということからも先見性がうかがえますね。
やはり激動の時代は、バイタリティのある人が生まれます。

 今も、激動の時代と言っていいと思うのですが…。

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