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新型インフルエンザと鎖国の微妙な関係 with 瑞江~古川親水公園 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 新型インフルエンザの感染が少しずつ拡大していますね。

 いよいよ関東にもやってきたか、という感じです。 

 オイラは、新型インフルエンザの専門家ではないのでよくわかりませんが、江戸時代の鎖国でもしない限り、感染は避けられなかったのでしょう。

 病気についての本を書いていますが、歴史のほうにも興味があるので、インフルエンザの歴史を少し調べてみたんですよ。

 鎖国政策がとられた江戸時代にも、インフルエンザの流行があったのかどうか、と…。

 酒井シヅ著 「病が語る日本史」(講談社学術文庫)によると、江戸時代初期の1614年にインフルエンザの大流行があったらしい。

 ところが、それから百年間、インフルエンザの大流行の記録は残っていないそうです。

 明以外の船の入港を長崎・平戸に限定したのが1616年。鎖国は、一気に行われたのではなく、少しずつ体制が強化され、寛永の家光の時代に完成したそうですね。

 鎖国政策がとられてからパッタリ百年間も、インフルエンザの大流行がなかったなんて、やっぱり…という感じがしました。

 ところが、その後も鎖国下の日本でしたが、八代将軍吉宗の享保年間に、インフルエンザの大流行が起きてしまった。

 江戸の町では、夏の一ヶ月で死者がなんと八万人。

 棺おけが間に合わず、酒樽に亡骸を入れてお寺に運んだそうな。

 百年間もインフルエンザの流行がなかったそうですから、おそらく当時の日本人は免疫を持っていなかったのでしょう。

 ちょうどその頃、アメリカやヨーロッパ諸国でもインフルエンザが大流行していた記録が残っているそうです。

 島国であり、鎖国をしていた日本なのに、いったいどこからインフルエンザがもたらされたかというと、当時でもたった一箇所世界に開いていた場所があったのでした。

 それはご存知、長崎の出島。
 
 興味深いのは、長崎で流行してから江戸で流行するまで、3年のタイムラグがあったということ。

 当時の交通事情もあったのでしょうけど、現代では考えられませぬ。

 それにしても、今から300年も前の鎖国下の日本でも、インフルエンザが猛威を振るったというのは驚きです。

 300年前の長崎と今回の神戸、どちらも日本屈指の国際都市という共通点はありますな。

 いずれ、まわりでも感染する人が増えると思いますが、被害はまさか300年前とは違うでしょう。でも、弱毒だからと油断することなく、しっかり予防や感染防止の知識を持たねば、と思いました。

 
 免疫力を高めるにはまず体力…ということで、お散歩ネタ。

 インフルエンザの「イ」の字もなかった頃に出かけたので、写真の季節感に若干違和感がありますがご容赦ください。

 今回、都営地下鉄全線が500円で乗り放題のワンデーパスを使って行ったのは、江戸川区。

 都営地下鉄新宿線の瑞江から船堀をめぐるコースです。
 
 近くに、旧江戸川や新中川がとうとうと流れ、趣向をこらした親水公園もあって、なかなか変化に富んだウォーキングが楽しめそう。

 しかも、神社仏閣や江戸時代の長屋門もあるとか。

 もちろん、何度か訪れたことのある場所ばかりですが、初めて見るところもいくつかありそうなので行ってみることにしました。

 ウォーキングのスタートは瑞江駅。

 駅前はスーパーや商店が並ぶ、どこにでもある景色ですが、とびきり古い建物はないみたい。

 新宿線が開通したのは昭和61年で、そこから商業・住宅地として急速に発展したのですな。

 そう古くない時代は、水田や金魚の養殖池が広がるのどかな農村風景が広がっていたそうですね。

 瑞江駅前の雑踏を抜け、まず向かったのは豊田神社。

 それほど大きな神社ではありませんが、境内には大正時代に作られた富士塚がありました。

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 あまりモノホンの富士山には似ていませんけど、モノホンの溶岩を積み上げ、裏側には富士山の大沢崩れの跡を模すなど手が込んだ作りになっています。

 このコースには、ほかにも富士塚のある神社がいくつかあって、当時の富士講の流行が偲ばれました。

 豊田神社から住宅街の中をテクテク歩き、向かったのは明福寺。

 ここはオイラの家の宗派である浄土真宗の開祖、親鸞聖人ゆかりのお寺らしい。

 親鸞聖人は関東から上洛の途中、この地で請われて雨乞いをしてその後ここに草庵を作り3年間も住まわれたとのこと。

 本堂裏の墓所の前にある鏡が池は、親鸞聖人が自身の姿を水面に映して像を彫ったという伝説が残されています。

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 そして、境内には太子堂と親鸞堂などが建ち、太子堂には聖徳太子の自作と伝えられる聖徳太子立像、親鸞堂には親鸞の自作とされる親鸞聖人坐像が安置されているとのことでした。

 一見すると普通の小さな池ですけど、そんなに古くからここにあるのですね。

 明福寺の裏手はすぐ旧江戸川になっていて、川沿いの遊歩道からの眺めはなかなか。

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 ヨットハーバーみたいな施設もあって、湘南気分も味わえそう。

 旧江戸川と新中川の合流地点の近くにあるのが、今井児童交通公園。

Ca3a0677

 ここは、レンタルのゴーカートや自転車に乗り、楽しみながら交通道徳を身につけられるのですね~。

 信号を備えた車道と歩道が作られてあって、子供たちが交通ルールを守りながら自転車をこいでいます。

 料金表示がどこにもないから無料かも。

 二人乗りで、ペダルをこぎながらモノレールのように場内を一周できるサイクルモノレールは楽しそう。

 行った日は新年だったので、ボランティアの係員の人たちのほうが子供たちより多い状態。

 並ばないで、しかも無料で、遊園地にあるような施設を楽しめるのだから、これはこの近くに住む人の特権かも。

 巨大な今井水門を眺めながら瑞穂大橋を渡り、住宅街をしばらく行くと宇田川家長屋門がありました。

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 この長屋門は、江戸時代後期に作られたらしい。

 宇田川家は、旧二之江村の村役人を代々勤めた旧家だそうですね。ご先祖は、後北条氏の家臣で、この地域の開拓者でもあるのだとか。

 少し、右側の屋根が高くなっているのが気になりましたけど、茅葺のまま現在まで残っているのは珍しい。

 元武士の豪農であり、この地域のパイオニアとしての威厳が感じられました。
 
 長屋門のすぐそばから延びているのが、古川親水公園。

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 旧古川の流れをそのまま公園にしたもので、国内の親水公園の第1号にもなった由緒ある公園なのですね~。

 今は全国に親水公園というネーミングのついた公園がありますけど、それらのお手本になったのですか。

 お手本だけあって、たんなる水の流れだけにとどまらない趣向を凝らした仕掛けが面白かったです。

 ちなみに、全長は1.2キロ。

 古川は、江戸川を下る水路として古くから使われていたようで、江戸時代は行徳の塩を江戸へ運ぶ重要な水路だったらしい。

 川のせせらぎ沿いの遊歩道をテクテク歩いて向かったのは、妙勝寺。

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 区内でもっとも古い寺院だそうですね。

 解説板には、鎌倉時代に近くの葛西沖に難船が漂着し、残されていた童子を二之江村の漁師五郎という者が救いあげたという話が書かれていました。時に、1248年。

 その童子は平家の出身で、後に僧になってこの近くに草庵を結んだらしい。これが妙勝寺の始まりだそうですね。

 鎌倉幕府が作られて50年以上もたってから、どうして平家の少年が船に乗って、どこへ行こうとしていたのだろうと考えると夜も眠れなくなりそう。

 鎌倉幕府も安定して、平家の出身といっても、大手を振るって生きてゆける世の中になっていたのでしょうかね。

 妙勝寺の前には、巨大な岩のオブジェから怒涛の如く水があふれています。

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 このあたりの親水公園は見どころが満載。

 昔、長崎で見たメガネ橋のような橋がありました。

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 しばらく行くと、ミニ吊橋にミニトンネル。

 こちらは親水と藤棚のコラボっすか。

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 水辺のプチ景観を楽しみながら歩き、着いたのが妙光寺。

 境内の七面殿には、葛西沖で漁師の網にかかって行き上げられた「海中出現七面大明神」が祭られているらしい。

 このあたりを歩いて海をイメージするものはあまりないですが、江戸時代はもっと海が近くにあって、近隣の人たちは海のそばの暮らしをしていたのでしょうか。

 古川親水公園に別れをつげ、商店が立ち並ぶ陣屋橋通りをテクテク歩いて今度は一之江境川親水公園へと入ります。

 こちらは平成7年に完成したまだ新しい親水公園。

 何度か来たことがあったと思いましたが、よく覚えていないっす。3.2キロもあるのですね。

 少しあるいて日枝神社に。

 ここにも富士塚がありました。それほど高くなく、登りやすそうですけど入口にローブが張ってありました。

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 そして最後に向かったのが、タワーホール船堀。

 ここは江戸川区の複合文化施設で、ホールや映画館、レストランなどがあります。

 …といっても、オイラが注目するのは、高さ115メートルの展望台。

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 今やタワーとしてはそれほど高くありませんが、まわりに高い建物がほとんどありませんからね。

 都心の115メートルとはわけが違いまする。

 前に一度来たことがあり、その360度の大パノラマは一見の価値ありでした。

 しかも、確か無料だったような。

 …と喜び勇んで行こうとしたら、休館日でした。

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不思議な家と写真にまつわるエトセトラ

 こんにちは。
 
 またまたご無沙汰いたしてしまいました。連休はいかがお過ごしですか?


 前回のネタはお花見かと思ったら、もう初夏のような日差しが降り注ぐ今日この頃になってしまったのですね~。

 日本桜の名所100選に選ばれた茂原公園の桜は素晴らしかったです。

 でもよく考えてみたら、オイラの家の近所にもなかなかの桜の名所があるんですよ。

 小学生の頃は、川が流れていた場所ですが、今は暗渠になって普通の道路になっているのです。

 今では、ここが昔、川だったということを知らない人のほうが多いかも。

 その通り沿いに、桜が数百メートルにわたって植えられているのですね~。

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 家から事務所までは30分くらい歩くのですが、毎年、桜のシーズンは、必ずこの道を歩いて通勤しておりまする。

 若干、遠回りになりますけど、桜の魅力には抗えない。

 お気に入りの100円の自販機でコーヒーを飲みながら、公園のベンチに座って桜を眺めるのは至福のひとときです。

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 桜の名所は世の中に数えきれないほどありますが、やはり場所より開花の時期のほうが重要かもしれませんね。

 そのあと、花粉の禁断症状が現れて大変なことになるのですが…。

 
 それはともかく、この通り沿いに前から気になっている家があったんですよ。

 過去形なのは、最近取り壊されてしまったから。

 いずれその家の秘密について、誰かに聴いてみたいと思っていたのですが、永遠の謎?になってしまいました。

 それは、この家…。

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 どこにでもある普通の家なのですが、なぜ二階に扉だけあるの?

 ま、普通は、昔、二階へ通じる階段があって、その階段だけ撤去され、扉だけ残ったと考えるでしょうね。

 オイラもそう考えたのですが、階段があったという痕跡がない。

 あるいは、前はもっと大きい家だったのだけれども、半分取り壊すなど改築したとき、二階の扉だけ何らかの理由で残ったとか。

 でも、改築した痕跡もない。

 写真で見てもわかると思いますが、隣の家はもっと古いですし、ふたつの家の間はほとんどスペースがないんですよ。

 もしかして、非常口?

 普段から、扉がもし簡単に開いたら、寝ぼけて落ちる人とかいないのだろうか。

 謎の扉の理由をいろいろ考えると、眠れなくなりそう。

 
 不思議といえば、オイラが子供の頃に見た写真が、数十年前からずっと、心の片隅に引っかかって取れないのです。

 当時のことはあまりよく覚えていないのですが、その写真だけは今でも鮮明に記憶に残っている。

 不思議というより、怪奇といったほうがいいかもしれませんが…。

 それはオイラが小学校の4年生か5年生の頃。

 当時は、学校が終わると、狭い道路で友達と三角ベースの野球をするのが日課でした。

 三角ベースの野球も一区切りつき、オイラは行きつけの駄菓子やで、合成甘味料と合成着色料満載のすももを頬張っていたのです。

 そのとき、クラスメートのT君と隣のクラスのH君が駄菓子やの前を通りかかりました。

 いつもは明るく元気な二人ですが、今日はいつもと様子が違う…。

 二人とも目の焦点があっていないと言いますか、足取りもふらふらしている。

 どうしたのかな、と思っていたら、二人がオイラに気づいて近寄ってきました。

「ビジベン。これ見ろよ」

 二人は一枚の写真をオイラに見せました。

「えっ?何?」

 それは、日光の「華厳の滝」のスナップ写真。

 以前、オイラが家族旅行で日光へ行ったとき買った絵葉書の構図とほとんど同じです。

 おそらく、彼らも家族旅行で日光へ行ったとき、撮った写真の一枚なのでしょう。

 綺麗に撮れていましたが、よくある構図ですし、別に騒ぐほどのこともないのではないか。

 そう思って、オイラが首をひねりながら眺めていると、H君が「ここを見ろよ」と写真の一点を指差しました。

 それは、華厳の滝の滝つぼから少し上の辺り。

 轟音を響かせながら、圧倒的な水量が滝つぼの水面を打ち、水しぶきが霧のように立ちこめている部分です。

 オイラが、そこを見たとたん、一瞬で凍りつき…。そして、背筋に鳥肌がゾワワワワ~と立つのがわかりました。

 小さいのでよく見ないと見逃してしまうような部分でしたが、そこにはくっきりと女性のシルエットが…。

 髪の長い若い女性だというのがわかります。見えているのは、女性の上半身だけで、下半身は水しぶきの中に溶け込んでいるよう。

 オイラが一瞬で鳥肌が立ったのは、そのポーズでした。髪を振り乱し、のけぞる姿勢で、救いを求めるように片手を上に伸ばしている。

 断末魔の叫びをあげながら苦しんでいるのがわかります。

 水しぶきのシルエットだけで、そんな細かな部分までわかるか、と突っ込みを入れたくなるのはごもっともですし、これが逆の立場だったら、眉につばをつけたくなるでしょうね。

 でも、ホント、おそらく等身大の大きさでありながら、ありえないくらい鮮明に、滝つぼの上空に浮かんでいるのです。

 オイラは、この写真を見て、次の言葉が出てきませんでした。

 二人は、呆然と立ち尽くすオイラを残し、またふらふらとした足取りで別のクラスメートに写真を見せています。

 得意になって見せているというより、この恐怖を共有したいと思っているかのように…。

 その後、H君に、あの写真もう一回見せて、という友人はいたようですが、二度と見せることはなかったようです。

 何でも、勝手に写真を持ち出したということで、家の人からこっぴどく怒られたみたい。その後、彼の父親がどこかへ写真を持っていってしまったとH君が話していたのを覚えています。

 あれから何十年も立ちますが、今でもあの写真を思い出すと背筋が寒くなりますね。

 皆様の中にはきっと、たまたま水煙が女性の形になったと思われる人が少なくないでしょう。

 でも、絶対、あれは水煙ではないと、今でもオイラは断言できます。

 ネス湖のネッシーの写真みたいにぼやけていないし、若い女性の完璧なシルエット。振り乱す髪の毛、指の形まで鮮明でした。

 ただ、トリック写真に関しては、可能性がまったくないとは言えないかも。

 でも、デジタル写真全盛の現代ならともかく、昭和40年代前半のアナログ時代に、あれほど見事なトリック写真が作れたかどうか。

 水煙の粒子と女性のシルエットが完璧に一体化しているんですよ。ひとかけらの不自然さもなく…。

 もし、トリック写真だったとして、子供たちしか見ていない写真のために、何のメリットがあって作ったのかという疑問も残ります。

 それ以降、完全に闇の中に消えてしまったのですから。

 お金と時間を費やして作ったのなら、多くの人に見せたいと思うのは人情だと思うし…。

 
 今、ネットで「華厳の滝 心霊写真」のキーワードで検索すると、すごい数のページがヒットしますね。

 やはり、あの不思議な写真は心霊写真だったのでしょうか。

 当時、あの写真を見た瞬間、この女性は華厳の滝で自殺した女性だという気がしました。

 とくに理由はなく、頭の中で閃いたと言いますか。

 あの苦しんでいるポーズを見ると、やはり自殺はやめたほうがいいのかも。


 それ以降、オイラは霊感がないのか、同じような経験は一度もありません。

 でもああいう写真を見てしまうと、死後の世界がまったくないとは言い切れないですな。

 やっぱり、何もないよりは死後の世界はあったほうがいいと思います。

 真っ暗で静寂な「無」の世界だったら寂しいし…。

 でも、舌を抜かれたり、釜茹でになったりするのも嫌ですが。


 さて、皆さんは、死後の世界やオイラの写真の話を信じますか?

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