青梅の三古城 ウォーキングストーリー with 出版にまつわるエトセトラ
こんばんは、ご無沙汰いたしておりまする。
ちょー、忙しくて、なかなか更新できませぬ。
でも、ここで途切れたら、一生更新ができなさそうなので、頑張ります。
忙しいのは、懸案となっております、出版の件。それと、お役所から依頼された委員会の議案、その他モロモロ。
出版もようやく、本文の原稿を書き上げたと思ったら、そこからがまた長かった。
今回の本は、見開き半ページがイラスト満載の図版になるのですよ。
イラストの解説文、重要用語の解説文、各章ごとの扉の文章まで書き上げてようやくほっとしたら、文字数を間違えて、全部文字を削らなければならなくなってしまいましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~
それでも、なんとか目処が立ったと思ったら、各章の終わりにコラムを9本も書かないといけなくて…。
でも、ようやくゴールが見えてきたので、ロス五輪のマラソンで感動のゴールを果たしたアンデルセン選手を見習って頑張ろうと思いました。
…ということで、お散歩ネタ。
なぜ、忙しいのにこんなに長く書けるのかと疑われそうですが、以前、書いてあった文章があったのですね~。
何気に図書館の本を物色していて、また面白い本を見つけました。
それは…。
城巡礼 諸行無常東京48カ所めぐり
出版社:東京地図出版 (株)
面白いといっても、城好きでなかったらたぶん、手に取る人はいないだろうと思いますが…。
最近の本は、書店で目立つように、赤とか、黄色とか、ピンクとか、けばい色が多いような気がします。
なのに、この本の表紙は黒が基調。
本の内容のわりに薄い本なので、図書館の「お散歩の本」コーナーに埋没してほとんど目立たなかったのです。
しかも、「城巡礼 諸行無常東京48カ所めぐり」のいうタイトルが、なんとも鄙びた地味なイメージがしました。
内容は素晴らしいのだから、たとえば…。
「女子高生の聖地・渋谷に城があったってホント?」とか、「女子大生混浴露天プロ連続城跡殺人事件」みたいなネーミングにすれば、もっと注目を集めるのではないか。
もっとも、内容が城跡ですから、やっぱり城好きだけが手に取ればいいわけで…。
タイトルはともかく、東京の城跡にしぼって、専門的な解説を加えているところがグー。
見る人が見れば、東京にもかなり城があったのですね~。
たとえば、港区虎ノ門は起伏のある土地ですが、やはり城があったらしい。
世田谷城や渋谷城は知っていましたが、この本で読んではじめてその存在に気づいた城も少なからずありました。
この本を読んでいて、青梅のあたりに、まだ訪れていない城がいくつかあることに気づいたんですよ。
しかも、写真で見る限り、かなり遺構がしっかり残っているみたい。
青梅といえば、何度か訪れた場所。地図で見る限り、その100メートル近くまで接近していながらスルーしてしまった城跡があったのでした。
これはリベンジを果たさなければならない、と、花粉が飛び交っていた2月末、まだ見ぬ東京の古城探検に出かけたのです。(← 古いネタですいません…)
スタートは八高線の金子駅ですな。
立川から八高線に乗って駅で降りたら、なんと小宮駅でしたぁぁぁぁ~
一度も来たことがない駅なのに、なんか前に来たことがある駅だと思ったら
なんと、立川で逆方向へ向かってしまったのでした。しかも、降りて駅前を歩き出すまで気がつかないとは…トホホ
せっかく、立川まで最安ルートで入ったのに。
花粉症で頭の中が相当いかれていたのですな。
再度、金子駅に向かい、今度は地図にそって霞川沿いの道を歩きます。
「城巡礼 諸行無常東京48カ所めぐり」を見ると、行き方についての詳しい記述があるので、今度は迷わず、最初の目的地「今井城」へと到着しました。
住宅地の中に、忽然と土塁が現れるのはおお~と思いますね。
もっとも、今井城からしたら、勝手に周りに住宅が建ち並んだ、ということなのでしょうけど。
城跡の広さは、約8,500平方メートルというからそれほど広くはない。城というより館のイメージでしょうか。
今井城は鎌倉時代の武将、今井四郎左衛門経家の子孫が代々居城としていたそうな。
発掘調査の結果からも、室町から戦国時代の中世城郭のあとだと解説板には書かれていました。
館と書きましたが、その縄張りや高くて広い幅を持つ空堀は、十分城ファンをうならせる規模です。
土塁の一番高い部分に上ると、当時の城の様子がイメージできます。どこにどんな建物があって、どんな人たちが住んでいたのだろうと考えるのが城跡ウォッチングの醍醐味のひとつ。
郭と郭をつなぐ土橋の跡なんかもあったりして、住宅地のなかにこれだけの城跡が残っているのは驚きでした。
しかも、草刈りが頻繁に行われているようで、くまなく歩き回ることができるのもグッドですな。
ただ、入口がわかりづらいことや解説板も古いものしかなかったので、そちらも整備してほしいと思いました。
近くの民家の犬にワンワン吠えられて、逃げるように今井城を後にし、次の目的地藤橋城へ向かいます。
台地をくだって、ふたたび霞川のほとりを歩きます。
このあたりは田んぼが広がり、奥多摩の稜線がかすんで見えました。
その田園風景の中に、島のように樹木の茂る高台が藤橋城。
今井城から20分くらい歩いただけで、別の城にたどりつけるのだから驚きです。
青梅は、城銀座とも呼べるのではないか。
もっとも、興味のない人だったら、藤橋城址は何の変哲もない普通の公園ですが…。
公園化されていて、樹木や遊具などもありますが、よく見ると植え込みの下に立派な土塁も確認できました。
藤橋城は、築城の時期や作った人が誰だかわからないらしい。ただ、平山重吉という武将が城主だったそうですね。
そういえば八王子のほうには、京王線の駅に平山城址公園という駅もありました。
平山重吉の藤橋城も、滝山城主であった北条氏照の攻撃を受けて落城したそうです。
当時の城がどの程度の規模だったのかわかりませんが、滝山城址の壮大な規模に比べたら、この城の規模はあまりにも小さい。
攻められたらひとたまりもなかったのでしょうね。
田んぼの中の道を通って、次の目的地へ向かったのですが、後ろを振り返ると、土塁がいい感じで周囲の景色にマッチしています。
何度も後ろを振り返りながら、歩きました。
次はいよいよ、本日のメインディッシュの勝沼城へ向かうのですが、その前に以前訪れたことのある塩船観音寺にふたたびお参りすることにします。
このお寺は、なんと大化の改新で有名な大化年間にはじまるのだとか。
仁王門は、寿永三年(1187)の建立で重要文化財なのですね~。
茅葺の本堂も重要文化財。こちらは室町時代に作られたのですか。
屋根の曲線が美しい。
ところで、塩船観音寺といえば有名なのは、つつじ。
行った日は二月の終りだったのでつつじの時期ではなかったですが、本堂から祈願堂へ向かうと、境内の周囲がぐるりとすり鉢状の斜面に囲まれているのがわかります。
なんと、この広大な斜面につつじが植えられているのですね~。現在、境内には約1万7千株のつつじが植えられているのだとか。
ちなみに、新東京百景にも選定されているそうですね。
塩船というネーミングは、周囲の地形が小丘に囲まれ、あたかも小船のような形状であることから名づけられたらしい。
天平年間に僧、行基が『塩舟』と名づけたそうな。
つつじは咲いていませんでしたが、緑の斜面だけでも絶景です。
丘の上に上ると、広い境内を見渡すことができました。
ここにつつじが咲き乱れたらすごいでしょうね。
塩船観音寺を後にし、勝沼城を目指します。
数年前に青梅を訪れたとき、この近くにも来ているのですが、この近くにこんなにたくさん城があるとは気づきませんでした。
そういえば、前回青梅の塩船観音寺へ来たときはこの城の真下を通ったのでした。
ガイドブックに載っていなかったのですが、当時はこんな見ごたえのある城を見落としていたのですからね。
こんな優れものの城跡があったのに、天下の有名出版社のガイドブックがスルーするなんて…信じられない…。
それはともかく勝沼城も、築城の時期やだれが作ったか不明らしい。しかし、鎌倉時代の末期以降は幕府の御家人だった三田氏が城主を務めていたそうな。
今井城同様、ここも入口がよくわかりませぬ。
今は、妙光院と光明寺というお寺の裏山にあると言うことを聞いていたので、妙光院の左手の小道から登ります。
今は広い墓地になっている土地は、形状から見ると当時の郭の跡みたい。
死んだあと、城跡に葬られたら城ヲタクとしては本望だと思いながら、道を歩きます。
土塁や空堀もしっかり残っているし、本丸とおぼしき場所からの眺めもまずまず。
それにしても、これだけの城跡がそっくり残っていながら、あまり整備されていないのは仕方ないとしても、解説板もほとんどないのはいただけませぬ。
城は、当時の人たちのアイデンティティーを象徴するものであったはずですし、今も地域の財産として、心の拠り所であってもしかるべきだと思うのですが…。
その理由を知るためには、やはり城跡の登記簿謄本をとってもみないとわからなかったりして…。
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