蔵の町・雨の川越 ウォーキングストーリー2
こんにちは。
今日は、川越シリーズの2回目。
前回は、大雨の中、喜多院を見学したのでした。
これからいよいよ、川越のメインストリートを歩くぞ、と意気込んで、蔵の町エリアへやってきました。
でも、喜多院をじっくり見学したので、昼時をかなり過ぎている。
腹が減ってはウォーキングができぬと、少し遅めの昼食にすることにしました。
洗練された観光地のいいところは、飲食店の情報が充実していることですよね。
朝、バスに乗る前にもらったパンフに書いてある飲食店を探します。
オイラが選んだのは、札の辻という蔵の町の中心地から程近いところにある和食レストラン。
芋釜めし、とはちょっと珍しいかも。
そういえば、川越はイモを使ったお菓子や料理が名物なのでした。
千円とちょっとなので、さっそくそれを注文です。
これが芋釜めし。
若干、食いかけですが…。
オイラが、お散歩先でグルメ写真をアップするのは極めて珍しいですな。
いつも、ファストフードばっかりだし。
どこへ行っても、名物店は混んでいて、とても並んで入る気が起きないのですが、雨の日はどこへ行ってもすいているのがいいですね~。
芋釜めしを食べ、外へ出ると相変わらずの雨。
しかも、完璧にさっきより雨脚が強くなったのがわかります。
でも、驚いたことに、決して少なくない観光客が傘をさして歩いているんですよ。
この悪天候の中ですから、晴天だったらすごい人ごみになっていたかも。
ポジティブに考えるようにして、まず川越のランドマークタワー「時の鐘」へ。
高いものを見ると昇りたくなるオイラの琴線に触れる塔ですな。
高さ、16メートルというからそれほど高くはありませんが、まわりに高い建物がないのと、何と言っても木造板張りのタワーって珍しい。
そんじょそこらのビルとインパクトが違います。
地上600メートルを誇る東京スカイツリーも、ツリーと言うだけあって、ホントに木造で作ったらすごいでしょうね。
怖くて誰も昇らないでしょうけど…。
それはともかく、この「時の鐘」。
初代は、江戸時代初期に川越城主の酒井忠勝が、こことは別の場所に建てたものが最初らしい。
現在の鐘は四代目だそうで、明治半ばの再建だとか。 中は3層になっているそうですね。
時の鐘というくらいだから、江戸時代から約350年間も、川越の町に「時」を告げてきたのですな。
現在は、毎日、午前6時・正午・午後3時・午後6時の4回、鐘の音が鳴り響くのだとか。
誰が一日4回もここに昇って鐘を撞くのだろうと思ったら、今は機械仕掛けなのですか。
でも昔は、ここに昇って鐘を撞く人がいたのでしょうね。
高いところと、鐘を撞くのが好きなオイラは、物欲しそうに見上げます。
時の鐘の周辺は、ご存知、蔵造りの店が並んでいます。
重厚な黒い壁、そして堅牢な瓦屋根。今でも地方の古い町へ行くと、たびたび土蔵造りの店蔵を見ることができますけど、これだけ一そろい蔵が並ぶ景観は珍しい。
さすが「小江戸・川越」と思ったのですが、これらの蔵のすべてが江戸時代からのものではないそうですね。
なんでも、明治26年の川越大火があったとき、江戸時代から続く蔵造り建物が無事だったそうなんですよ。
それで火事に強い建物ということで、これだけ多くの蔵造りの建物が作られたとのこと。
現在、この周辺は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、つい最近には「美しい日本の歴史的風土100選」にも選定されたらしい。
きっと、江戸時代の日本橋とか、当時の繁華街はこんな感じだったのかもしれませんね。
昔に思いをはせ、ボーッと美しい街並みを眺めていたかったのですが、どんどん雨が強くなってきて、このままではやばい状況に立たされそうだったので、雨宿りすることにしました。
おかげさまで川越には、雨宿りする場所には事欠かないのですね~。
まず向かったのは、すぐ近くにある川越市蔵造り資料館。
入館料100円なのもうれしい。
ここは、かつて川越大火の直後に、当時、タバコの卸商を営んでいた小山文造氏が建てたものだとか。
つまり、明治時代の中頃に建てられたのですな。
でも、江戸時代の雰囲気もよく残しているのではないかと思いました。
通りに面していて、間口はそれほどないものの、奥行きがすごくあるところ、とか。
通りに面している部分は、店蔵や住居部分、そして奥に行くに従って、文庫蔵や煙草蔵、そして文庫蔵の順に並んでいます。
小さな庭もあって、通りの喧騒とは別に静かな雰囲気が漂っていました。
この庭からも「時の鐘」が見えます。
当時ここに住んでいた人は、東京人が東京タワーを眺めるイメージだったのかも。
店の二階から、広い通りを覗けるのですが、鉄格子越しに外を眺めるのは不思議な気分。
二階へ上がる階段は狭くて急だし、しかも出入り口は一つだけ?
窓には鉄格子がはまっているし、火事のときはどこから逃げようかと避難路を考えてしまいました。
防火性が高いから、窓を閉めて篭城してしまえば大丈夫なのでしょうか。
店蔵には、レンガ造りの地下貯蔵庫も設けられていて、城好きとしては抜け穴などいろいろイメージが膨らみます。
もうひとつ別の蔵も見学しようと、次に向かったのは大沢家住宅。
なんと、この建物は重要文化財なのですね~。
作られたのは、江戸時代中期の寛政年間とのこと。
当時は、呉服太物を商っていた店蔵らしい。呉服はわかるけど、太物って何?と思い、この前買った電子辞書で調べてみました。
何でも、絹織物を呉服というのに対し、綿織物・麻織物を総称した語らしい。
載っていたのはさすが広辞苑ですが、説明が難しくてよくわかりませぬ。
要するに、着物関係を扱っていたお店なのですな。
この建物は、明治の川越大火の際も焼け残り、川越商人に蔵造りを建てさせるきっかけとなった建物の一つなのだとか。
蔵の町・川越のルーツともなった建物なのですね。
一階は、今でも川越観光のおみやげ物を売っていましたが、二階は見学できるそうなので入館料を払って入ります。
話好きなおじさんが一生懸命解説してくれて、独特の建築様式がよくわかりました。
太い大黒柱が二本もあり、二階は、16畳の広間のほかにも四部屋もあるのですね。
お城や古民家を見慣れているオイラでも驚いたのは、箱階段の幅が狭くて急なところ。
ここを日常、平気で上り下りしていたのだから、当時の人たちのバランス感覚はすごいと思いました。
「いや、あんなものじゃないよ、こっちを見てご覧よ」とおじさんに言われて、今は使われていない裏の階段を見せてもらいました。
おおおお~、すごい!! ほぼ垂直の階段。
上から覗き込むと、階段と言うより、切り立った崖を上から見下ろすような感じです。
しかも、手すりがない。
現代人の会社や住宅にこんな急な階段があったら、日に何人かは転げ落ちる人が出るのは間違いない。
打ち所が悪ければ、天国へ行く人も出るのではないか。
でも、当時の人は平気で荷物を持って上り下りしていたのだとか。
おじさんに聞いてみると、爪先立ちで上ったり下りたりしていたそうですね。
かかとは使わなかったそうな。
もっとも、かかとを置くほど階段の奥行きがありませんが。
江戸時代や明治時代の人たちが小さくてやせているのはわかりますが、軽業師のような身のこなしができていたのは意外でした。
大沢家住宅を出て、最後に向かったのは菓子屋横丁。
観光のために作られたのなら、昭和ブームのいいところに目をつけたなと考えていました。でも、ここはもともと、明治の初めから菓子を製造していました地域なのですね。
なんでも、関東大震災で被害を受けた東京に代わって駄菓子を製造供給するようになったとか。
現在も十数軒の店舗が集まっているのですね~。
昭和の街並みと昔食べた駄菓子を楽しみにしていたのに、大雨で閑散とした雰囲気。
前回来たときは、すごい混雑していて、駄菓子をゆっくり買う気がおきなかったのですが、すいていると逆に店に入りづらかったりして…。
イモのアイスクリームを食べたいと思っていたのですが、行った日は寒いくらいだったのでパスせざるをえませんでした。
もっとも、昭和の下町も大雨の日はこんな感じだったなとノスタルジックな気分に浸りながらバスに乗り込んで駅へ向かったのです。
…が、しかし。
川越の駅についたとき、またも大失態を演じたことに気づきました。
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~また、七福神めぐりの最後のお寺をお参りするの、忘れたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~
また、いつか川越へ行かねばなりませぬ。
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