« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

こち亀の亀有と葛西城址 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今日は前回の続きの上千葉砂原公園からでしたね。

 この公園は住宅街の中にあって、それほど広くはありませんが、子供が喜びそうなアイテムがてんこ盛りの公園でした。

 まず、オイラが目についたのは交通公園。

 実際のハイウェイみたいなガードレールや高低差もあるから、この道を自転車で駆け抜けたら気持ち良さそう。

 浅いプールもあって、親子連れの歓声が公園の中を満たしておりました。

 小高い展望広場や芝生広場もありましたが、なんと言っても、うさぎやモルモット、ワラビー、ヤギなどと子供たちが自由にふれあえるスペースがあるのはうれしい。

 しかも、ポニーも飼われていて、無料で乗馬体験もできるのですね~。

Ca3a1170

 大人は乗れませんので念のため。

 それから実物のSLが展示されていて、こちらも自由にふれあえるのを忘れてはなりませぬ。

Ca3a1176

 子供の頃、うちの近所にもこんな公園があったら楽しかったでしょうね。

 オイラの子供の頃は、ホントに遊び場がなかったんですよ。

 現在は、近くに日比谷公園クラスの広さを持つ都立公園ができましたけど、当時は狭い道路が子供たちの遊び場でした。

 それも、騒がしいと近所のおっさんによく怒鳴られ…。

 仕方なく、空き地みたいになっていた近所の大学のグランドに友達と忍び込んでは、野球をしていたのです。

 そこの警備員のおっさんがまた怖くて、子供たちが遊んでいると大きな犬を放つのです。

 犬に追いかけられて、金網に引っかかり、体中血だらけになったこともありました。

 今だったら、子供に怪我を負わせたということで新聞に載っていたかも。

 もっとも、当時は子供の数が多かったですからね。

 こんなところにも、経済の需要と供給の関係が作用しているのだろうかと考えつつ、ふたたび曳舟川親水公園へと戻ります。

 そこには、当時の船着場を再現した小屋があり、地元のお年寄りが集まって茶飲み話に花が咲いておりました。

Ca3a1178

  江戸時代の駅やバス停みたいなものですな。

 親水公園をさかのぼって歩きます。

 暑い日は、水辺を歩くのが最高の贅沢。ここでも、子供たちが水と戯れている光景を目にしました。

 信号のところで親水公園を後にし、よく手入れされた庭が美しい蓮光寺にお参りしたあと、亀有さくら通りに出ました。

 読んで字のごとく、風情のある道沿いには桜並木が続き、春には素晴らしい桜のトンネルが堪能できそうだと感じます。

 地図を眺めながら住宅街をテクテク歩き、環七通りの近くにある宝待院に到着しました。

Ca3a1185

 ここには、この近くの領主であった松浦河内守信正の墓碑がありました。江戸時代の旗本だと思うのですが、長崎奉行を務めたそうなので、おそらく仕事のできる人だったのでしょうね。

 ということで、いよいよ環状七号線に出て、葛西城址へと向かいます。

 本丸が、環七によって真っ二つに分断されたのですが、どちらも現在は小さな公園になっているそうな。

 写真の手前が御殿山公園で、道路の向こう側の木がたくさんある場所が葛西城址公園っす。

Ca3a1187

 まずは近くの御殿山公園へと向かいます。

 御殿山というくらいだから、葛西城の本丸御殿のあったところですか。しかし、後北条氏が滅びたあと、ここは徳川氏の「青戸御殿」として修理再興されたそうですな。そして、将軍の鷹狩りの折などに休憩所として使用されたらしい。

 そちらの御殿が由来なのかと思いました。

 その青砥御殿も、江戸時代のわりと早い時期に取り壊されたのですね。

 幕府としても、一国一城令など、謀反の拠点となるような城が各地にあったのでは不安だったのでしょうし、なんといっても、ここは将軍のお膝元。

 青砥御殿の存在していた頃は、おそらく土塁や堀も多少残っていたのでしょうけど、御殿の取り壊しにあわせて、徹底的に痕跡すらなくされてしまったのではないか。

 城があったことを思わせる地名は最近まで残っていたそうですが、土地を見る限り、城跡とおぼしき痕跡は見つけられませんでした。

 もっとも、「青砥藤綱城跡」と書かれた石碑や最近できた石碑はありました。

Ca3a1189

 でも、城好きとしては後世の石碑が大量にあるより、土塁を思わせる土の盛り上がりや堀を思わせる窪みがあったほうが何百倍もうれしい。

 狭い公園なので、ものの3~4分で一周できてしまいます。近くの住宅街を歩き回ったのですが、城跡を思わせる何の痕跡も見つけられませんでした。

Ca3a1192

 もともと葛西城は、室町時代の初期に関東管領上杉氏がこの地に築いたのがはじまりだそうな。

 当初は、大石石見守という武将が城を守っていたらしい。

 その後、戦国時代に小田原の後北条氏が攻め落とし、家臣の遠山氏が城主として在城。秀吉の小田原征伐まで、この地域の拠点として栄えたのですな。

 この城が重視されたのは、武蔵と下総との国境に近い場所にあり、今の千葉県北部に当たる下総国に対する重要拠点でもあったから。

 北条方の前線基地として、国府大合戦では安房の里見軍からさかんに攻撃をうけたのだそうな。

 当時はかなり防御能力が高い城だったのでしょうね。

 さきほど見学した郷土と天文の博物館では、近くにある中川を天然の要害として外堀に見立て、反対側は湿地帯となっていたと解説がありました。

Ca3a1191

 水量の豊富な中川から水を引いて内堀を作り、その幅は20メートルほどもあったとか。

 うぬぬ、イメージできませぬ。

 標高1メートルほどの低地にあって地下水位が高いので、埋もれた木製品などがいい状態で保存されるというメリットもあるそうなのですよ。

 そういえば博物館では、ほかの城跡ではあまりお目にかかれない木製のお椀の出土品が目につきました。

 環七を渡り、葛西城址公園へと向かいます。ここは、本丸の端っこの部分ですな。

Ca3a1196

 城址公園とは言うけれど、こちらは児童公園といったいどこが違うのじゃ~という感じでした。

 でも、さきほど博物館で眺めた縄張り図と公園の外側の輪郭線のカーブが微妙にマッチングするような。

Ca3a1198

 公園の外側を低い石垣で囲むのも何となく意味深だったりして。

 土地の区画は、もしかして、現在までその影響が残っているのかもしれない。

 と思って、公園のまわりの道路を、バシバシ写真に撮りました。

 家に帰り、ネットで葛西城の縄張りと現在の道路の位置を重ね合わせると、かなり一致しているような。

 埋めた堀を道路として利用していたのかも。

 しかし、それにしては現在の道路の幅が狭い感じもするのですが…。

 公園のそばにある青砥神社にお参りし、中川の土手に出てみました。今もゆったり流れる中川は、当時の葛西城の難攻不落を証明するかのようでした。

Ca3a1203

 水戸街道をわたり延命寺、川をわたった中川大橋のたもとにある日枝神社と、次々とお参りしてまわります。

 このあたりは古い神社仏閣が多いと思ったら、江戸時代、このあたりは宿場町として大いに栄えたそうですね。

 再び中川を渡ると、そこは亀有駅のすぐそば。

 駅のすぐそばのスーパーで、88円の生茶と「がりがりくん」をゲッツし、駅へ入ろうとすると、面白い形をした像がありました。

Ca3a1214

 おお、両さんじゃないっすか。

 そういえば、亀有は、「こち亀」の舞台なのでした。

 オイラより横幅はかなりあるものの、意外と背が低いのは原作を忠実に再現したためでしょうか。

 あとで、ネットで調べてみると、両津勘吉巡査長の身長は、161センチ、体重71キロだそうな。頭が大きいから、90キロくらいありそうに見えるのですが…。

 それはともかく、「こち亀」はすごいですね。

 今年、連載1600回を突破したのはすごいですが、30年以上にわたる連載で一度も休載したことがないのだそうな。

 少年誌の最長連載記録として、ギネスブックに載り、コミックスは累計1億5000万部以上の売り上げなのですか。

 最初にジャンプに登場したのは、確か、オイラが高校生だったと記憶しています。その頃から、一度も休まず、今まで続いているのですね。

 よくネタが尽きないな、と思いますが、これだけ長く連載していて、作者があきないで書き続けられるという点がもっとすごいと思いました。

 そういえば、初めの頃は、「秋本治」という名前ではなく、「山止たつひこ」というペンネームで連載していましたね。

 当時は、山上たつひこの「がきデカ」が一世を風靡していた時期。

 がきデカファンとしては、また二番煎じの作品が登場したな、というくらいのイメージしかなかったのですけど、まさか、こんなに長く日本人から支持される作品になろうとは思いませんでした。

 その後、本家の山上たつひこからクレームがついて、秋本治に変更したと聞きました。

 がきデカがオイラのアイデンティティ、あるいは人格形成に与えた影響ははかりしれない。

 成人後のこまわり君の大ブレイクで、捲土重来を期してほしい山上たつひこですが、ここはひとつ、「夏本治」とかのペンネームに変更して、昔の敵をとるのも一興かと…。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力をお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

葛飾、お花茶屋、曳舟川親水公園、葛飾区郷土と天文の博物館 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 「火天の城」が全国ロードショーっすか。

 オイラは、あまりロードショーへは行かない人なのですが、なんと言っても城が主役の映画。

 しかも、安土城築城にまつわる話ですからね。原作も、もちろん読んで面白かったし…。

 城好きとしては、スルーできないなと感じる今日この頃です。
 
 福田沙紀ちゃんも出ているらしいし…。

 実はオイラの高校時代の日本史の研究テーマは「安土城」なのでした。

 発表の30分間、黒板にチョークで安土城の外観と内部の図面を描きながら解説したのです。

 外観と内部構造は頭に入っていたので、何も見ずに、黒板一杯のワイド画面に「安土城」を描いたのですよ。

 日本史の教師やクラスメートは驚きましたけど、城ヲタクですからね~。別に驚くほどのこともないのではないか、と…。

 でも、当時は安土城の内部は「吹き抜け構造説」が主流でした。「火天の城」では、吹き抜け構造説には否定的な見解なのですか。

 確かに、当時の人たちが吹き抜け構造を明言している文献がないのはおかしいですよね。

 吹き抜け構造のメリットも、それほどないような気もしました。何しろ、その前後の城を見ても、同じ構造を持っている城が皆無なのはおかしい。

 …が、しかし。そうは思っても、安土城へ実際行ってみると、他の城とは一目で違いがわかります。

 「日本初の本格的天守閣を持った城」という点を除いても。

 現地を見ると、織田信長という人物の独創性にはホント、驚かされます。

 城には、築城主の個性が完璧に表れますな。

 その話を書くと長くなりそうなので、それはまた次回に書くことに致しまする。

 
 さて、お散歩ネタ。

 今回行ったのは、かつて武蔵国で葛西と呼ばれた地域の中心地。現在の葛飾区青戸周辺。

 なんでも、戦国時代に、葛西にかなり立派な城があったそうなんですよ。

 安土城ほどではありませんが…。

 もちろん城好きとして年季が入っているオイラですから、当然訪れたことはあります。

 でも、そのときは、城跡とおぼしき痕跡はまったく発見できなかった記憶があります。

 あれから十年近く経っているし、その後、ブログの記事とともに、かなりの城跡を見てきたオイラ。

 もしかして、当時より城を見る目が進化しているのではないか。

 新たな城跡の痕跡を発見できるのではないか、という自らの成長を確かめるためにも、再度訪れることにしました。

 成長度をテストするためにも、ウォーキングコースは前回と同じでなければなりませぬ。

 …ということで、ある土曜日の朝、京成線のお花茶屋駅へやってきました。

 お花茶屋とは、なんとも、心浮き立つネーミングですな。

 思わず、御茶屋が一軒、季節の花々に囲まれているのどかな風景をイメージしてしまいます。

 ところが、駅前は、商店が建ち並ぶ何の変哲もない景色。

 清潔感はあるけれど、あまり花に囲まれた御茶屋という雰囲気ではないような。
 
 …と思って、ガイドブックを読んでみると、お花茶屋のお花は、植物ではなく、「お花さん」という茶屋の娘の名前が由来らしい。

 駅名になるくらいだから、よっぽど美人で、日本全国からファンがサインをもらうために集まったのかと思いますよね。

 実は、八大将軍吉宗が、この近くで鷹狩りを行った際、急に腹痛を起こしたそうなんですよ。

 そのとき、御茶屋の娘、お花の献身的な看病で治ったため、吉宗は、茶屋の名前に「お花茶屋」を与えたのだとか。

 最近、歳のせいか疑り深くなっているオイラは、天下の将軍様が、いくら急に腹痛を起こしたからといって、茶屋の娘に看病させるかニャーと思ってしまいます。

 江戸城からそう遠くないし、平地だし、お供の人たちは大勢いたのではないか。

 しかも、もともと茶屋の娘だから、お花茶屋なんてネーミングは、自然発生的に生まれたような気もするのですが…。

 自分の名前の一字をとって、「お宗茶屋」とか「よっし~茶屋」とか、名づけたら多少信用しますけど。

 それはともかく、いつ「お花茶屋」のネーミングが生まれたかわかりませんが、吉宗の「暴れん坊将軍」的なエピソードが当時からあったとしたら興味深いですね。

 松平健を介抱するお花さん役は、どんな女優さんがいいかなと考えながら、最初の目的地、お花茶屋公園に着きました。

Ca3a1146

 この公園は、お花さんとは直接関係ないのでしょうけど、どうしても御茶屋をイメージしてしまう。

 茶屋はありませんでしたが、地元のおじさんたちが缶ビールを飲みながら談笑していたので、「やるき茶屋」のイメージはしましたが…。

 お花茶屋商店街をテクテク歩き、私立高校の掲示板にあった大学進学実績などを眺めながら、次の目的地、普賢寺を目指します。

 住宅街の中にある普賢寺は、鎌倉幕府設立に貢献した葛西清重が創建したお寺。

 境内に宝篋印塔は、葛西氏の墓と推定され、鎌倉後期の様式のものだそうですね。

Ca3a1150

 なんと、都内最古のものだそうで、都の文化財なのだとか。

 もと来た道を戻り、上千葉公園の中を通り、左手に都営アパートを見ながら進むと、親水公園に出ました。

 ここが曳舟川親水公園なのですな。

Ca3a1156

 行った日は暑かったので、子供たちが涼しそうに水遊びをしています。オイラも、飛び込みたかったけれど、ここは理性を働かせて、親水公園のそばにある博物館へと向かいました。

 暑いときは水遊びもいいけれど、やっぱしクーラーの効いた屋内が最高~。

 この博物館は、葛飾区郷土と天文の博物館。

Ca3a1158

 ちなみに入館料は大人100円で、プラネタリウムをトッピングすると、プラス350円なのですな。

 2階の『郷土史のフロア』をたっぷり見学したかったので、100円だけ支払い、中に入ります。

 展示物を眺めると、船や洪水のときの映像など、葛飾区がいい意味でも悪い意味でも、水とのかかわりが深かったのだなと実感できました。

 江戸時代は、糞尿が肥料として貴重だったそうですが、それを運ぶ船の模型もありました。

 昭和の水洗トイレのない頃にも、バキュームカーという車が都内を走っていて、すごい臭いだったのを覚えています。

 船の模型を見ながら、視覚と嗅覚でイメージできる人は、これから少なくなっていくのだろうなと考えたり…。

 古墳時代から、室町、戦国、江戸時代の葛飾の歴史に興味津々で展示物を眺めました。

 しかし、なんと言っても、その展示物から一歩も動けなくなったのが、葛西城にまつわる出土品でした。

 前回来たときは、こんなに充実してなかった記憶があるので、最近の戦国ブームの中でパワーアップしたのでしょうか。

 葛西城の本丸のあった場所は、昭和40年代に環状七号線が開通したとき、分断されてしまったらしい。

 そのとき、発掘調査が行われ、そのあとも引き続き調査が続けられたのですね。

 発掘や紹介ビデオを全部見ましたが、思っていたよりずっと大規模な城郭だと感じました。

 もしかして、当時は館程度と言われた江戸城より大きかったのではないか。

 古河公方も、一時期、在城していたらしいですし…。

 当時は、戦国時代の真っ只中。後北条氏や上杉氏、千葉氏、里見氏など関東の看板役者たちが大活劇を演じていたのです。

 ビデオを見ていたら、葛西城の堀の跡から発見された、若い女性の頭蓋骨の映像に目が留まりました。

 頭蓋骨には、刀で斬られた傷があります。

 打ち首のあと、堀へ投げ落とされたのでしょうか。

 歴史小説では、首をいくつ取ったとか、取られたとかいう表現をあまり意識しないで読み飛ばしてしまいますが、やはりホントにスパッと切られた頭蓋骨を見ると鳥肌が立ちます。

 しかも若い女性の惨殺死体の衝撃映像。

 大学時代は、法医学の授業を選択し、一年間みっちり変死体のスライドを見続けましたから、普通の人よりは大丈夫なのですが…。

 どんな女性が、どんなシチュエーションで首をはねられたのか、いろいろ考えてしまいました。

 博物館には、そのほかにも、昭和30年代の民家の暮らしが再現されていました。

Ca3a1161

 ちゃぶ台に白黒テレビ、どれもよく覚えているなと思ったら、オイラの暮らしは多少の電化製品が新しいほかは、当時とあまり変わっていないのでした。

 いや、むしろ、昭和30年代の暮らしのほうが裕福だったりして…。
 
 それにしても、ミゼットが懐かしい。

Ca3a1159

 30歳代の人たちは、サザンの桑田さんの映画「稲村ジェーン」でご存知かもしれませんね。

 ただ、オイラの子供の頃、家にこのミゼットがあったんですよ。

 家の人に乗せてもらったのをおぼろげに覚えています。

 2階の『郷土史のフロア』から3階の『天文展示室』も覗いてみました。

 歴史には多少詳しいくせに、天文学など理科系の部屋に一歩足を踏み入れただけで、急にそわそわ落ち着かなくなります。

 うぬぬ、わかりませぬ。

 月の満ち欠けのしくみくらいはわかるけれど、少し数式が出てきただけで鳥肌がぞわ~と立つオイラ。

 熱心に展示を眺める小学生を尊敬の目で眺めつつ、早めに退散することにしました。

 博物館を出ると、紫外線満載の直射日光の攻撃を受け、目の前がくらくらするのがわかります。

 なるべく日陰を探して歩こうと思ったのですが、曳舟川親水公園はほとんど日陰がないっす。

Ca3a1167

 
 それでも子供たちが元気に水と遊ぶ姿に元気をもらいつつ、前に進みます。

 ちなみに、この川はもともと飲料水用の水路として作られたらしい。江戸時代後期になると縄をかけた小舟を曳いたことで「曳舟川」と呼ばれるようになったのだとか。

 思ったより、子供と一緒になって水遊びをしたり、ザリガニを釣ったりしている大人が多いのですね。

 まさに、都会の中を流れるオアシスですな。

 うちの近所にも川はありますが、ほとんど暗渠になっているし、親水公園にしてもらうとありがたいのですが…。

 毎日、海パンはいて水と戯れていたりして。

 そんなシーンを想像して、笑いながら到着したのが、上千葉砂原公園。

Ca3a1169

 ここは小さいながら、見所のいろいろある公園でした。

 これから、当日のメインデッィシュ、葛西城址へ行くのですが、果たしてビジベンは、葛西城の痕跡を発見できるのか。

 それは次回。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力をお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

絶景!三浦半島・鷹取山 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 三浦半島・追浜シリーズ、第二回目の今日は、鷹取山ハイキング。

 垂直に切り立った断崖絶壁の岩肌で、「湘南妙義」とも言われておるそうな。

 何十年も、東京周辺をほっつき歩き続けているのに、なぜ今まで行ったことがなかったのだろうと不思議になるくらい面白い場所でした。

 …ということで、追浜駅から京急線の線路をわたり、今度は半島の内陸部を目指して歩きます。

 まず向かったのは、首斬観音。

Ca3a1087

 なんとも、恐ろしげなネーミングの観音様ですなと思ったのですが、お地蔵様も観音様もなく、ただ石碑があるだけでした。

 解説板には、江戸時代、追浜を領地とした各大名家の陣屋があり、このあたりはその処刑場であったと書かれています。

 昭和初期、近くを走る国道建設の際、骨が出てきてここに祭られたとか。

 いわくありげな場所ですので、しっかりお参りしてウォーキングの安全を祈願します。

 そこから住宅街の中をひたすら歩くのですが、この辺りの道は、ホントに山に向かっているの? というくらい普通の住宅地。

 それでも、少しずつ上り坂になっているので、迷っているという気はしないのですが。

 突然、きつい上り坂になり、そこを越えると、緑豊かな公園が広がっていました。

Ca3a1090

 ここが、「湘南鷹取2丁目第3公園」っすか。

 それにしても、長いネーミング。

 この辺りに住んでいる子供たちは遊びに行くとき、絶対、「湘南鷹取2丁目第3公園へ遊びに行こう~♪」とは言わないでしょうね。

 さあ、いよいよ山か、と思ったら、また住宅街。かなり大きな豪邸が並んでいます。

 あれっ、ホントに鷹取山はここでよかったのかしらん。マップの写真を見ると、断崖絶壁の岩山があるはずなのに。

 それでも、急坂が続いているので、とりあえず上ってみようと尾根まで行き着くと、なんと広いバス通りが…。

Ca3a1091

 しかも、小学校やショッピングセンターまであり、さっきより都会に来てしまった感じがしました。

 迷ったのかニャー、と犬のおまわりさんと迷子の子猫ちゃんのメロディーが頭をかけめぐります。

 すると、鷹取山への表示板を発見。

 近くに、コンクリートでできた細い階段、上には水道局の貯水池が見え隠れしています。

 階段を上りながら後ろを振り返ると、瀟洒な住宅の屋根がどこまでも続いている。

Ca3a1094

 見晴らしはいいけれど、岩山はいったいどこなのじゃ~と叫びながら、丘の頂上を歩いていくと、おおお~、突然巨大な岩が視界をさえぎりました。

 その場面転換の鮮やかなこと。

 まるで「オペラ座の怪人」で、ファントムに連れられたクリスティーヌが地下の大迷宮に迷い込んだみたい。

 さっきまで、頭の中で鳴り響いていた「犬のおまわりさん」の旋律が「オペラ座の怪人」のテーマ音楽に切り替わるのがわかりました。

 あの衝撃的なパイプオルガンの音色が大脳を駆け巡ります。

 つい5分前には、都会にいたのに。

 周囲360度岩の回廊の中に紛れ込むと、昼尚暗い別世界。

 上を見ると、夏の日差しが緑一杯の樹木を包んでいる。その数メートル下の岩の迷宮に佇むオイラは、仮面で顔をかくしたファントムなのじゃ~。

Ca3a1101

 ワハハハハハハ~

 …と笑いながら、岩に反響する自分の声を楽しんでいたら、恐怖の顔をうかべながら、オイラを見ているおばさんグループと目が合ってしまいました。


 また、やってしまった…。


 そそくさと逃げるように立ち去るオイラ。

 おばさんたちが、今日の晩、悪夢にうなされないように祈りつつ、尾根道を走って逃げました。

 もう大丈夫かも、とまわりを見渡すと、ここも巨大な岩壁がそびえている。

Ca3a1108

 岩肌にポツポツ開いたこの穴は何なのでしょうね。

 マップを取り出して調べてみると、この無数の穴は、人間が開けたみたい。

 ロッククライミングをするとき、打ち込まれるハーケンの跡なのですか。

 それにしてもすごい高さ、と上を見上げたら、一人の老人が10メートルはあろうかという崖の上に腰をおろして居眠りをしているのが目に入りました。

 あんなやばいとこに腰掛けたら落ちるじゃん!!

 声をかけて脅かしたら落ちそうだし、とりあえずオイラも上に上って助けねば。

 あわてて、巨大な岩の周りを歩き回ったのですが、どこにも登る場所がない。

 いったいどこからあんなところに上ったのだろう。

 もう一度さっきの場所に戻ったら、老人の姿は消えていたのです。

 何分かそこにいたのですが、人の気配がないので、先に進むことにしました。

 あの老人は、いったい誰なのだろうと思うのですが、いまだに謎が解明できません。

 さらに歩くと、岩山に巨大な弥勒菩薩像が彫られている場所がありました。

Ca3a1110

 岩に彫られた仏像はいくつか見ましたが、こちらはそれほど古くはなく昭和35年から約1年かけて製作されたらしい。

 仏像の高さは8メートル、幅4メートルもあるのだとか。

 自然と仏像が見事にマッチして、思わず手を合わせてしまいました。

 そこから岩に囲まれたハイキングコースを歩きます。

 どこの岩も例外なく穴が開いている。こんな垂直の壁を登ったのですね。

 登るところを見てみたいと思ったら、その先の岩山にチャレンジしている人たちが大勢いました。

Ca3a1116

 みなさん、命綱はつけていますが、手と足だけでこの垂直の壁を上まで登るのですね。

 下から眺めているだけでも、スリル満点。

 ロッククライミングは、体のバランスが大事なのだとわかります。

 こちらのグループは若い人たちばかりでしたが、50~60歳くらいと思える中高年のグループも同じように岩山にチャレンジしていました。

 中高年ばかりではなく、なんと、わんこも。
Ca3a1118

 わんこは、途中でグロッキーみたいでしたが…。

 近くに360度、見渡せる絶景ポイントがあるというので行ってみることにしました。

 再び岩山の階段をのぼると展望台が。

 そこからの眺めは最高でした。

Ca3a1122

 東京湾が見渡せ、内陸部は横浜横須賀道路がミニチュア模型のように見渡せます。

 ここが、鷹取山の頂上で、標高139メートルなのですか。

 もっと高いと思ったのですが、東京タワーよりかなり低いのですね。

 高さ600メートルの東京スカイツリーができたら、その高さは別次元かも。今から、完成が楽しみです。

 鷹取山公園を後にし、最後の目的地、神武寺へ向かって歩きます。

 途中、鎖場など、わりと難所っぽいところもありました。

Ca3a1130

 しかも、反対側からくるのが外国人。

 オイラが鎖を伝って歩きながら、「こんにちは」と言うと、いきなり、「ちかれたびー」と返され、思わず鎖から手を離して転落しそうになりました。


 「ちかれたびー」なんて、いつ流行った言葉じゃ。

 きっと、彼に日本語を教えたのは、オイラの世代の人間でしょうね。


 死亡事故が発生したら、どう責任を追及したらいいのか、と…。

 それでも、どうにか生きて神武寺へたどりつくことができました。

 神武寺は、聖武天皇の夢のお告げから、724年に行基によって創建されたお寺らしい。

 聖武天皇といえば、奈良東大寺や全国に国分寺を建立したことで知られる有名な天皇。奈良時代から続いている古刹なのですか。

 鎌倉時代にも、源氏から信仰され、「吾妻鏡」にも記されているそうな。

 この本堂である薬師堂は、江戸時代の初め頃の再建らしい。ちょっと室町時代っぽい雰囲気も醸し出していると感じました。

Ca3a1134

 古いお寺だけあって、境内には由緒がありそうなアイテムが満載です。

 たとえば、これは樹齢400年といわれる「なんじゃもんじゃの木」。

Ca3a1136

  そして、神武寺の晩鐘として名高い鐘楼。

Ca3a1139

 ちょっと屋根が不釣合いなほど大きくて、思わず目を見張ってしまいました。

 神武寺の境内から京急線の神武寺駅へと続く道も、古道の雰囲気が十二分に味わえます。

 ぬかるんだ道に何度も足をとられて転びましたが…。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力をお願いします。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »