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葛飾、お花茶屋、曳舟川親水公園、葛飾区郷土と天文の博物館 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 「火天の城」が全国ロードショーっすか。

 オイラは、あまりロードショーへは行かない人なのですが、なんと言っても城が主役の映画。

 しかも、安土城築城にまつわる話ですからね。原作も、もちろん読んで面白かったし…。

 城好きとしては、スルーできないなと感じる今日この頃です。
 
 福田沙紀ちゃんも出ているらしいし…。

 実はオイラの高校時代の日本史の研究テーマは「安土城」なのでした。

 発表の30分間、黒板にチョークで安土城の外観と内部の図面を描きながら解説したのです。

 外観と内部構造は頭に入っていたので、何も見ずに、黒板一杯のワイド画面に「安土城」を描いたのですよ。

 日本史の教師やクラスメートは驚きましたけど、城ヲタクですからね~。別に驚くほどのこともないのではないか、と…。

 でも、当時は安土城の内部は「吹き抜け構造説」が主流でした。「火天の城」では、吹き抜け構造説には否定的な見解なのですか。

 確かに、当時の人たちが吹き抜け構造を明言している文献がないのはおかしいですよね。

 吹き抜け構造のメリットも、それほどないような気もしました。何しろ、その前後の城を見ても、同じ構造を持っている城が皆無なのはおかしい。

 …が、しかし。そうは思っても、安土城へ実際行ってみると、他の城とは一目で違いがわかります。

 「日本初の本格的天守閣を持った城」という点を除いても。

 現地を見ると、織田信長という人物の独創性にはホント、驚かされます。

 城には、築城主の個性が完璧に表れますな。

 その話を書くと長くなりそうなので、それはまた次回に書くことに致しまする。

 
 さて、お散歩ネタ。

 今回行ったのは、かつて武蔵国で葛西と呼ばれた地域の中心地。現在の葛飾区青戸周辺。

 なんでも、戦国時代に、葛西にかなり立派な城があったそうなんですよ。

 安土城ほどではありませんが…。

 もちろん城好きとして年季が入っているオイラですから、当然訪れたことはあります。

 でも、そのときは、城跡とおぼしき痕跡はまったく発見できなかった記憶があります。

 あれから十年近く経っているし、その後、ブログの記事とともに、かなりの城跡を見てきたオイラ。

 もしかして、当時より城を見る目が進化しているのではないか。

 新たな城跡の痕跡を発見できるのではないか、という自らの成長を確かめるためにも、再度訪れることにしました。

 成長度をテストするためにも、ウォーキングコースは前回と同じでなければなりませぬ。

 …ということで、ある土曜日の朝、京成線のお花茶屋駅へやってきました。

 お花茶屋とは、なんとも、心浮き立つネーミングですな。

 思わず、御茶屋が一軒、季節の花々に囲まれているのどかな風景をイメージしてしまいます。

 ところが、駅前は、商店が建ち並ぶ何の変哲もない景色。

 清潔感はあるけれど、あまり花に囲まれた御茶屋という雰囲気ではないような。
 
 …と思って、ガイドブックを読んでみると、お花茶屋のお花は、植物ではなく、「お花さん」という茶屋の娘の名前が由来らしい。

 駅名になるくらいだから、よっぽど美人で、日本全国からファンがサインをもらうために集まったのかと思いますよね。

 実は、八大将軍吉宗が、この近くで鷹狩りを行った際、急に腹痛を起こしたそうなんですよ。

 そのとき、御茶屋の娘、お花の献身的な看病で治ったため、吉宗は、茶屋の名前に「お花茶屋」を与えたのだとか。

 最近、歳のせいか疑り深くなっているオイラは、天下の将軍様が、いくら急に腹痛を起こしたからといって、茶屋の娘に看病させるかニャーと思ってしまいます。

 江戸城からそう遠くないし、平地だし、お供の人たちは大勢いたのではないか。

 しかも、もともと茶屋の娘だから、お花茶屋なんてネーミングは、自然発生的に生まれたような気もするのですが…。

 自分の名前の一字をとって、「お宗茶屋」とか「よっし~茶屋」とか、名づけたら多少信用しますけど。

 それはともかく、いつ「お花茶屋」のネーミングが生まれたかわかりませんが、吉宗の「暴れん坊将軍」的なエピソードが当時からあったとしたら興味深いですね。

 松平健を介抱するお花さん役は、どんな女優さんがいいかなと考えながら、最初の目的地、お花茶屋公園に着きました。

Ca3a1146

 この公園は、お花さんとは直接関係ないのでしょうけど、どうしても御茶屋をイメージしてしまう。

 茶屋はありませんでしたが、地元のおじさんたちが缶ビールを飲みながら談笑していたので、「やるき茶屋」のイメージはしましたが…。

 お花茶屋商店街をテクテク歩き、私立高校の掲示板にあった大学進学実績などを眺めながら、次の目的地、普賢寺を目指します。

 住宅街の中にある普賢寺は、鎌倉幕府設立に貢献した葛西清重が創建したお寺。

 境内に宝篋印塔は、葛西氏の墓と推定され、鎌倉後期の様式のものだそうですね。

Ca3a1150

 なんと、都内最古のものだそうで、都の文化財なのだとか。

 もと来た道を戻り、上千葉公園の中を通り、左手に都営アパートを見ながら進むと、親水公園に出ました。

 ここが曳舟川親水公園なのですな。

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 行った日は暑かったので、子供たちが涼しそうに水遊びをしています。オイラも、飛び込みたかったけれど、ここは理性を働かせて、親水公園のそばにある博物館へと向かいました。

 暑いときは水遊びもいいけれど、やっぱしクーラーの効いた屋内が最高~。

 この博物館は、葛飾区郷土と天文の博物館。

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 ちなみに入館料は大人100円で、プラネタリウムをトッピングすると、プラス350円なのですな。

 2階の『郷土史のフロア』をたっぷり見学したかったので、100円だけ支払い、中に入ります。

 展示物を眺めると、船や洪水のときの映像など、葛飾区がいい意味でも悪い意味でも、水とのかかわりが深かったのだなと実感できました。

 江戸時代は、糞尿が肥料として貴重だったそうですが、それを運ぶ船の模型もありました。

 昭和の水洗トイレのない頃にも、バキュームカーという車が都内を走っていて、すごい臭いだったのを覚えています。

 船の模型を見ながら、視覚と嗅覚でイメージできる人は、これから少なくなっていくのだろうなと考えたり…。

 古墳時代から、室町、戦国、江戸時代の葛飾の歴史に興味津々で展示物を眺めました。

 しかし、なんと言っても、その展示物から一歩も動けなくなったのが、葛西城にまつわる出土品でした。

 前回来たときは、こんなに充実してなかった記憶があるので、最近の戦国ブームの中でパワーアップしたのでしょうか。

 葛西城の本丸のあった場所は、昭和40年代に環状七号線が開通したとき、分断されてしまったらしい。

 そのとき、発掘調査が行われ、そのあとも引き続き調査が続けられたのですね。

 発掘や紹介ビデオを全部見ましたが、思っていたよりずっと大規模な城郭だと感じました。

 もしかして、当時は館程度と言われた江戸城より大きかったのではないか。

 古河公方も、一時期、在城していたらしいですし…。

 当時は、戦国時代の真っ只中。後北条氏や上杉氏、千葉氏、里見氏など関東の看板役者たちが大活劇を演じていたのです。

 ビデオを見ていたら、葛西城の堀の跡から発見された、若い女性の頭蓋骨の映像に目が留まりました。

 頭蓋骨には、刀で斬られた傷があります。

 打ち首のあと、堀へ投げ落とされたのでしょうか。

 歴史小説では、首をいくつ取ったとか、取られたとかいう表現をあまり意識しないで読み飛ばしてしまいますが、やはりホントにスパッと切られた頭蓋骨を見ると鳥肌が立ちます。

 しかも若い女性の惨殺死体の衝撃映像。

 大学時代は、法医学の授業を選択し、一年間みっちり変死体のスライドを見続けましたから、普通の人よりは大丈夫なのですが…。

 どんな女性が、どんなシチュエーションで首をはねられたのか、いろいろ考えてしまいました。

 博物館には、そのほかにも、昭和30年代の民家の暮らしが再現されていました。

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 ちゃぶ台に白黒テレビ、どれもよく覚えているなと思ったら、オイラの暮らしは多少の電化製品が新しいほかは、当時とあまり変わっていないのでした。

 いや、むしろ、昭和30年代の暮らしのほうが裕福だったりして…。
 
 それにしても、ミゼットが懐かしい。

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 30歳代の人たちは、サザンの桑田さんの映画「稲村ジェーン」でご存知かもしれませんね。

 ただ、オイラの子供の頃、家にこのミゼットがあったんですよ。

 家の人に乗せてもらったのをおぼろげに覚えています。

 2階の『郷土史のフロア』から3階の『天文展示室』も覗いてみました。

 歴史には多少詳しいくせに、天文学など理科系の部屋に一歩足を踏み入れただけで、急にそわそわ落ち着かなくなります。

 うぬぬ、わかりませぬ。

 月の満ち欠けのしくみくらいはわかるけれど、少し数式が出てきただけで鳥肌がぞわ~と立つオイラ。

 熱心に展示を眺める小学生を尊敬の目で眺めつつ、早めに退散することにしました。

 博物館を出ると、紫外線満載の直射日光の攻撃を受け、目の前がくらくらするのがわかります。

 なるべく日陰を探して歩こうと思ったのですが、曳舟川親水公園はほとんど日陰がないっす。

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 それでも子供たちが元気に水と遊ぶ姿に元気をもらいつつ、前に進みます。

 ちなみに、この川はもともと飲料水用の水路として作られたらしい。江戸時代後期になると縄をかけた小舟を曳いたことで「曳舟川」と呼ばれるようになったのだとか。

 思ったより、子供と一緒になって水遊びをしたり、ザリガニを釣ったりしている大人が多いのですね。

 まさに、都会の中を流れるオアシスですな。

 うちの近所にも川はありますが、ほとんど暗渠になっているし、親水公園にしてもらうとありがたいのですが…。

 毎日、海パンはいて水と戯れていたりして。

 そんなシーンを想像して、笑いながら到着したのが、上千葉砂原公園。

Ca3a1169

 ここは小さいながら、見所のいろいろある公園でした。

 これから、当日のメインデッィシュ、葛西城址へ行くのですが、果たしてビジベンは、葛西城の痕跡を発見できるのか。

 それは次回。

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