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新型インフルエンザ予防と撃退法

 こんにちは。

 最近、結構忙しかったりして。

 不況だし、とくに営業したわけでもないのに仕事が増えているのです。10年以上音沙汰のなかった会社から仕事を依頼されたり…。

 どうして? と担当者に聞いてみたら、なんと、ライバル会社の人たちが皆、新型インフルエンザで倒れてしまったのだとか。

 新型インフルエンザが怖いとは思いつつも、まだ、テレビや新聞のなかの世界だと思っていました。

 しかし、その魔の手は、すぐそばまで迫っているのですね~。

 いずれオイラも、新型インフルにかかることは間違いないのですが、何とかこのまま追いつかれず、予防注射を打つまで逃げ切りたい。

 でもオヤジは予防注射の優先順位からいったら、もっとも後回しらしいのですが…。

 社会から疎外され、虐げられているオヤジとしては、何とかこの手で生き延びるすべを模索しなければなりませぬ。

 仕方なく、オイラなりにインフルエンザ予防法とか、インフルエンザ克服法について考えてみようか、と考える今日この頃です。


 ところで、インフルエンザになりやすい人、なりにくい人というのはありますね。

 その違いは、拙著「よくわかる『最新』病のしくみ」の中でも触れましたけど、免疫力の違いでしょうか。

 免疫力は、もちろん体力の違いもありますが、インフルの場合は過去にかかったかどうかが重要。

 ですが、新型インフルは、過去にかかった人がほとんどいない。必然的に重病化しやすいのですな。

 ここ数年、オイラはインフルエンザが流行している時期でもわりと平気でいられました。

 多少インフルエンザに強くなったと感じたのは、今から十年くらい前にはじめてクリニックで仕事をしたからかも。

 医療機関で仕事をしてわずか二ヶ月目に、重いインフルエンザにかかってしまったのですよ。

 そのときは、院長はじめ医療スタッフは平気なのに、オイラだけが高熱や咳に悩まされてしまいました。

 その差は、今まで医療に携っていなかったということで、ウィルスの免疫ができていなかったからでしょうね。

 医師や医療スタッフは長年医療に携っていて、ウィルスに晒される機会も多く、一般の人たちより免疫を持っているみたい。

 それでも皆、小まめに手を洗うし、オイラの勤めていたクリニックの院長は、診察机の上にいつも日本茶を用意していました。そして、一人の患者さんの診察が終わるたびに、一口お茶を飲むのですね~。

 当時は、よくのどが渇く人だな~と思っていましたが、今考えるとお茶の殺菌作用を利用して、ウィルスからのどの粘膜を守っていたのかもしれませぬ。

 そういえば、新型インフルエンザウイルスの増殖を緑茶成分のカテキンが抑えるというニュースがありました。

 ただ、カテキンは腸で分解され、緑茶を飲むだけでは抗ウイルス効果は弱いらしいのですが。

 それでも、その院長先生みたいに水代わりに飲んでいたら、効果があったのでしょうね。

 しかも、緑茶にはビタミンCも豊富だと言いますし…。

 オイラが滅多に風邪をひかないのは、ペットボトルのお茶をカバンに入れて、ちょびちょび飲んでいるからかも。

 …ということで、今日は「インフルエンザ、戦略的?撃退法」のネタ。

 以前ブログに書いた、「風邪を一日で治す法」の記事のリサイクルですが…。

 さて、そもそも風邪やインフルエンザになると、どうして熱がでるのでしょう。

 ご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが、インフルエンザのウィルスが悪さをして、熱を上げるわけではないのです。

 インフルエンザのウィルスは、熱と湿度に弱い。だから、自分の体がそういう状態を自ら作って、風邪を退治しようとするのですね~。

 いわば、体の防衛反応。

 オイラのインフルエンザ克服法は、その防衛反応を徹底的に促進して、治す方法です。

 この防衛反応については、以前、NHKの「ためしてガッテン」でもやっていたし、クリニックの事務長をしていた頃、医師に、この方法はどうですか?と聞いたことがあるのです。

 専門外の整形外科の先生でしたが。

 その先生は、確かに効果があるのは間違いないと、言ってくれました。だけど、相当体力を消耗するから、やめといたほうがいいよとのこと。

 …ということで、たぶん試してみる方はいらっしゃらないと思いますが、もし真似されるのでしたら、体力のある人だけにしておいてください。

 医師も言ってましたし、相当体力を消耗するのは事実ですので。とくに高齢者や心臓の悪い人には、絶対勧められません。

 タミフルもありますし…。

 このインフルエンザ克服法をためして、病気が悪化しても責任を負いかねますので念のため。

 ただ、やり方は極端ですが、考え方は間違っていないと思いますので、自分なりにマイルドな方法を考えていただければ幸いです。

 さて、さきほど体の防衛反応と書きましたが、これは、侵入したインフルエンザと体の免疫との間で壮絶な戦いが行われている状態です。

 いわば、体の中で、川中島の戦いが起きているようなものですな。

 戦いに勝つためには、なんといっても、気合が大切。

 戦国最強と言われた上杉謙信や武田信玄の軍隊は、気力の充実が他の軍隊に比べて抜きん出ていましたからね。

 毎日、外へ出るときは、「えいえいお~!!!」とかけ声をかけて出かけましょう。

 また、金曜日になって気がゆるむとインフルにかかりやすくなるので注意。


 さらに、戦に勝つためには、有利な場所に陣を敷き、武器弾薬などの兵站を確保しなければなりませぬ。

 私たちがインフルエンザを撃退しようと思ったら、より味方に有利な場所で戦い、かつ免疫力に援軍を送る必要がありまする。

 まず、免疫力が勝利を得やすい場所で戦ってもらうにはどうするか。

 そのためには、部屋の湿度を徹底的にあげるのです。今は加湿器という便利な器械がありますが、なければ部屋の中でお湯を沸かすなどして、窓から水滴がたれるぐらい徹底的にやる。

 この場合気をつけなければならないことは、自分の体より、部屋にある家電製品や電子機器ですね~。

 とくにテレビやパソコンは、湿度が異常に高い状態にさらされると一発で壊れます。

 かつてこの方法をやり、オイラの部屋のテレビが一発で故障しました。

 必ずこれらの機器を部屋の外に持っていってから、湿度を上げてください。


 でも、加湿器を使わなくても、それに近い効果が上げられる方法があるのですよ。

 それは、ご存知、マスクをすること。

 ガラスに向かって、ハァ~ッとすると、白く曇るくらい息は水分を含んでいますよね。だからマスクをしたまま寝ると、ちょうどいい湿度が長時間保たれるのですね~。

 さらに湿度を上げようと、マスクを水で濡らしてかけてみたことがあるのです。

 お、これはなかなか冷たくて気持ちいいじゃんと思ったら…


ぐるじぃぃぃぃぃぃ~、息ができない、死ぬぅぅぅぅ~


 窒息する恐れがありますから、くれぐれも真似をしないでくださいね。


 さらに、免疫力が勝利を得やすい場所で戦ってもらうにはどうするか。

 それは、ウィルスは熱に弱いという弱点を徹底的につくのです。

 もともと風邪をひいて体温が上昇しているわけですから、それを利用しない手はない。汗を吸い取りやすい下着を重ね着し、その上からパジャマを着る。そして首に手ぬぐいを巻き、仕上げとしてウィンドブレーカーを着る。

 その格好のまま、ベッドや布団に横たわるんですよ。掛け布団もしっかりかけて寝る。

 その格好は、発汗によるダイエット法と同じです。

 しかし、本当に熱が高いときは、そこまで着こんでも寒いぐらい。それだけ着こんで寝ていても、丸くなってガタガタ震えているんですから。

 おっと、大事なことを忘れていました。寝る前に水分はしっかり取ってくださいね。

 最初のうち、尿となって全部出てしまうので、枕元にペットボトルを置いて、頻繁に水分補給をする。

 そのとき、最前線でウイルスと戦う免疫力に、武器兵糧を供給するとさらに効果的です。

 その武器兵糧とは何か?

 それはご存知、ビタミン。

 宇宙戦艦ヤマトの波動砲とまではいかないけれど、主砲くらいの威力でインフルを攻撃するのが、ビタミンCですな。

 ビタミンCには、ウイルスに対する抵抗力を高めたり、免疫力を強化したりする働きがあるそうなんですよ。

 また、ウイルスが増殖する工場であるリボゾームにウイルスが入らないよう防御する作用もあるらしい。

 水分とビタミンCを一緒に取れる飲料なら一石二鳥なのですね~。

 ほかにも、ビタミンAには粘膜を強化し、ウイルスの進入を防ぐ作用もあるそうですよ。

 これだけの対インフルエンザ攻撃作戦をしかけて眠ったとしても、熱が高く、悪寒もひどいので、悪夢にうなされることになります。

 しかし、この苦しみは、ウィルスが熱と湿度によって、断末魔の苦しみをあげているのを実感するでしょう。

 そして、深夜、目が覚める。さっきまでの悪寒がなくなり、すごい汗をかいているのに気づきます。

 気持ち悪いので、下着を換え、再び水分を補給して、またウィンドブレーカーを着て横になる。部屋の湿度が高いので、風呂場にいるような気分になるはずです。

 翌朝、目が覚めると、昨日と違った自分を発見するんじゃないでしょうか。悪寒が消え、頭痛もない。けだるい疲れは残っているものの、生まれ変わったような爽快感。

 風邪のウィルスが、徹底した熱と湿度の攻撃で死滅してしまったんですね~。

 以上が、私の風邪克服法です。加湿器を使った場合のデメリットは、気をつけないと部屋にカビが生えるってことです。全快したら、部屋をすぐ乾燥させることが肝要です。

 新型インフルエンザからの生還を祈ります。

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古都鎌倉・長谷寺 ウォーキングストーリー

 こんにちは、ご無沙汰です。

 かなり間があいてしまいましたが、今日は前回の鎌倉お散歩ネタの続きです。

 インターナショナルな観光地、高徳院を出て、ふたたび喧騒の街へ。

 大仏様へ通じる大仏通りは観光客でごった返していたのですが、そこから一本通りを入ると、閑静な鎌倉の雰囲気が味わえました。

 混沌と静寂のコントラストが鎌倉の魅力かもしれませぬ。

 住宅街をテクテク歩き、次に向かったのはそこからほど近い場所にある光則寺。

 このお寺は、緑あふれる丘に囲まれたような場所にあるのですな。

 入り口には誰もいなかったのですが、拝観料100円という札があったので料金箱に入れて門をくぐります。

 実はこの土地。もともとは鎌倉幕府5代執権であり、元寇で名高い北条時宗の父として名高い時頼の家臣だった人の屋敷だったらしい。

 その人物とは、宿谷光則。

 だから光則寺なのですか。

 と言っても、オイラははじめて聞いた名前なのですが、彼は日蓮上人が書いた『立正安国論』を北条時頼に渡した人物だったそうなんですよ。

 これが原因で日蓮は流罪になったとか。

 彼は、日朗を屋敷の裏山の土牢に幽閉したそうな。

 今でもその土牢が残っているというので、行ってみることにしました。

 寺の本堂から少し登り、裏山へ続く石畳の小道を歩きます。ひっそりとしてなかなか風情のある道ですが、向かっているは土牢ですからね。

 土牢といえば、有岡城に長く幽閉され、足が不自由になってしまった黒田如水。そして日朗と同じく鎌倉に幽閉され殺されてしまった南北朝時代の護良親王が思い浮かびます。

 鎌倉には、ほかでも土牢を見たような。

 山に囲まれているので、崖を掘ればすぐ牢が作れるからでしょうか。

 土牢なんかに幽閉されたら、夏は暑いし、冬は寒いし、閉所恐怖症になりそうだし、たまりませんね。

 …と考えつつ、土牢の前に到着しました。

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 でも、ここの土牢は思ったより天井が高くて、都心のワンルームマンションより広そう。他の土牢に比べたらグレードが高いような感じがしました。

 といっても、もちろん、ここに住む気にはなりませんが…。

 薄暗くて、ジメジメしていますし。

 この中に、お坊様が幽閉されていたのだと思うと、感慨がこみあげてきます。

 でも、ここに日朗を幽閉した宿谷光則は、やがて彼に感化され、自らの不運を嘆くことなく、弟子の日朗を案ずる日蓮に心打たれたそうです。

 そして後に、日蓮が赦免されたあと、彼自身が日蓮宗に帰依し、自宅を寺にしたのですね。

 境内は、カイドウの銘木や四季の花々で埋め尽くされ、当時の人たちの真摯な心を称えるように光り輝いておりました。


 そしていよいよウォーキング後半戦のハイライト、長谷寺へと向かいます。

 お寺なのですが、迫力ある仏像、絶景ポイント、洞窟探検、グルメスポット、しっとりした日本庭園、そしてかわいらしい石像と見所満載なのですね~。

 楽しむのはいいけれど、お参りは忘れないようにしようと肝に銘じつつ、拝観料300円を支払い、境内に入ります。

 石段を上り、まず観音堂へと向かいました。やはりこちらのお寺も外人さんが多いですね~。

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 こちらのご本尊は、十一面観世音菩薩像でございまする。

 もちろん前にもお参りに来たことがあるのですが、20年前と比べてさらに崇高な雰囲気が増しているように感じました。

 薄暗い中、ライトに照らされて浮かび上がっているかのよう。

 しかも、9.18メートルの巨像で、木造の仏像としては日本有数のものらしい。

 思わず、引き込まれてしまうのか、いつも陽気な外人さんたちも厳粛な顔で手を合わせておりました。

 いつ頃作られたか定かではないそうですが、室町時代頃の作と推定されているそうですな。

 お参りして心が洗われたオイラが次に向かったのは、境内の端にある見晴台。

 ここにはたくさんベンチが並べられていて、鎌倉の市街地や由比ガ浜を見下ろすことができます。

 起伏のある境内なのは、もともと観音山の裾野に広がる土地に作られたからなのですね。

 さらに高いところから由比ガ浜を見渡すことができる「眺望散策路」があるということで、足に自信のあるオイラは行ってみることにしました。

 整備された石段を上ると、山に囲まれ、一方だけ海に面している鎌倉の地形がよくわかります。城塞都市としての機能も頷けますな。

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 遠くに見える海水浴場から、若者たちの嬌声が風に乗って聞こえてくるのがわかりました。

 オイラの耳には、稲村ガ崎から鎌倉を攻める新田義貞の軍勢の馬の嘶きの声に聞こえるのですが…。

 再び境内へ降りて、経堂、大黒堂、阿弥陀堂などの建物を見学します。

 長谷寺の境内は、今眺めてきた観音山の中腹に切り開かれた上境内と裾野に広がる下境内の二つに分かれているそうですね。

 石段を降り、下境内の日本庭園を見学します。妙智池と放生池の2つの池が配され、その周囲を散策できるのですな。

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 四季折々の花木に彩られた庭園は、「鎌倉の極楽西方浄土」とも呼ばれているそうな。

 の片隅に、なんともかわいらしいお地蔵様が立っておりました。

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 若い女性に人気があるのか、皆集まってケータイのカメラでさかんに写真を撮っています。

 女性に人気があってうらやましいとジェラシーにかられながら、オイラも写真を撮らせてもらいました。

 そしてオイラが注目したスポットは、弁天窟。

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 崖を掘って洞窟みたいにし、中の壁面に、弁財天や十六童子が刻出されているのですね。

 中は思ったより広いけれど、薄暗い。お化け屋敷みたいと入り口で尻込みする子供たちも見かけました。

 わりと真っ暗な洞窟は好きなので、わくわくしながら入ります。

 ろうそくの光にぽうっと仏像が浮き出る光景は神秘的で、テレビで見た中国の寺院をイメージしてしまいました。

 天井が低い場所も何箇所かあり、頭をぶつけてしまいましたが…。

 長谷寺を堪能したあと、向かったのは御霊神社。

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 ネーミングからも、雰囲気からも由緒ありそうな神社ですね。

 それもそのはずで、この社は、鎌倉始祖の鎌倉権五郎景政を祀った神社だそうな。

 解説板によると、鎌倉権五郎景政公は、剛勇で知られた武将で、後三年の役には16歳で出陣し、源義家に従って活躍したらしい。

 なんか、霊気を感じる佇まいで、この場所にいたら、タイムスリップしても不思議ではなさそう。

 御霊神社の境内のすぐ近くに、江ノ電の踏切がありましたが、平安時代と昭和を思わせる江ノ電がなんの違和感もなく溶け込んでいるのが印象的でした。

 踏み切りを越え、突き当りの通りを右折して成就院へと歩きます。

 小高い丘の上にある成就院は、弘法大師修行の地に執権北条泰時が開基したお寺。

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 この下を通る道は、極楽寺坂切通しと言い、1333年、鎌倉攻めの新田義貞の侵入をふせぐため、幕府方の軍勢が集結して激しい戦いが行われたらしい。

 そのとき、このお寺も焼失し、江戸時代になってから再建されたのだそうな。

 お寺の前からは、由比ガ浜を一望することができました。

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 両側が山に囲まれた切り通しの道に、かつて数万の軍勢が満ち、激しい戦闘が行われたなんて信じられませぬ。

 そんなことを考えながら歩きつつ、最後の目的地・極楽寺へ。

 かつてここでも合戦が行われ、多くの伽藍が失われたそうですね。境内は入場無料なのですが、写真撮影は駄目だとかで残念。

 その代わり、極楽寺駅のそばに鎌倉時代の武将の墓があるというので行ってみることにしました。

 アパートに入っていくような感じのわかりにくい場所にありましたが…。

 苔むして、いかにも歴史を感じさせるこの墓の主は、関東管領で、山内上杉氏の始祖である上杉憲方と伝承されているそうな。

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 関東管領は、上杉謙信で有名ですが、上杉憲方という武将は知りませんでした。

 質実で無骨さを感じさせる墓石は、やはり鎌倉武士を連想しますね。

 帰りは、江ノ電を使って再び鎌倉に戻ります。

 ホームでは何人も江ノ電の車両を写真におさめている人を見かけました。

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 やはり江ノ電は鉄道ファンにとって格別の魅力があるのでしょうね。

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古都鎌倉、鎌倉文学館、長谷大仏 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 東京のオリンピック招致は残念でしたね。

 人生で二回も自分の住む町でオリンピックが開かれたら、すごく幸せだと思っていたのだけれど…。

 …といっても、前回、東京で開催されたとき、オイラは幼稚園児だったのでほとんど記憶にありませぬ。

 東洋の魔女も、円谷の銅メダルも、オランダの赤鬼と呼ばれたヘーシンクも、リアルでの記憶にないのでした。

 覚えていることといったら、幼稚園で先生から白い紙を渡され、真ん中にクレヨンで赤い丸を描くように言われたことくらい。

 その紙を棒につけて、みんなで向かったのが原宿です。

 駅前に出ると、すごい人ごみで全然前が見えませんでした。先生が、日の丸を振って、という掛け声にあわせて、自分が何をしているのかよくわからないまま手を動かしていると、大人の肩越しにスーッと煙が右から左へ流れました。

 そのとき、どっと歓声があがったのはよく覚えています。

 大人の背中と煙を見ただけで帰ったのですが、当時は、一体何しに来たのじゃ~と…。

 大人になってから考えると、あれは聖火リレーの応援に行ったのだとわかりました。

 あれからおそらく百回以上は原宿へ行ったと思いますが、あんなに盛り上がった原宿は見たことがありませぬ。

 やっぱり、オリンピックだけは別物ですよ。

 今度こそ、聖火リレーをこの目で見たかったのに。

 オイラの目が黒いうちには、東京でオリンピックが開かれれば最高っす。

 是非またチャレンジして欲しいですね~。


 さて、お散歩ネタ。 

 今回行ったのは、古都・鎌倉です。

 鎌倉といえば、日本史の聖地のひとつですね。

 しかし、歴史好きのくせに、鎌倉へはそれほど行ったことがないのです。

 関東屈指の観光地ということで、いつ行っても結構混んでいるし、小町通りの原宿とみまがうようなお洒落なショップは、オヤジの琴線をあまり刺激しなかったりで…。

 でも、鎌倉は文士の街でもあるのだとか。オイラの好きな作家の川端康成も住んでいたらしい。

 加賀百万石の旧前田侯爵の別邸を利用した鎌倉文学館へはまだ行ったことがなかったので、久しぶりに訪れてみようと思ったのです。

 およそ20年ぶりに、鎌倉の大仏や長谷寺の十一面観世音菩薩にもお会いしてみたくなりましたし…。

 おそらく、大仏様と長谷寺以外は、休日でも比較的すいているのではないか。

 …ということで、ある土曜日の早朝、鎌倉駅におりたちました。

 オイラの家から横浜まで、東急を使えば260円。横浜から鎌倉まで横須賀線で330円とリーズナブル。

 時間も1時間たらずで行けるのですね~。

 今回は、鎌倉のメインストリート若宮大路方面ではないので、いつもと反対側の西口の改札から外へ出ます。

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 こちらは江ノ電のターミナルでもあるのですね。

 江ノ電の線路を左手に見ながら、商店街をテクテク歩きます。

 大通りに出て、しばらく歩くと車が行き交う交差点にお地蔵様が並んで立っておりました。

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 六体のお地蔵様は六地蔵と呼ばれ、今でも地元の人たちから敬われているらしい。

 なんでも、鎌倉時代、この近くに刑場があったそうな。その後刑場が竜口に移されたあとも、このあたりは荒地だったとか。やがて六地蔵を立てて使者の霊を弔ったのですね。

 そういえば、東京にも六地蔵があった記憶がありますが、人間の持つ六つの苦しみから救ってくれるそうなのです。

 今は当時の寂しい面影はまったくありませんが、近所の人たちのお参りする心は今も引き継がれているのだと感じました。

 大通りから入ったところに、吉屋信子記念館があります。

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 吉屋信子は、大正・昭和の時代に活躍した作家。この人の作品はひとつも読んでいないのですが、名前はいろいろなところで見て知っていました。復刻版も出版されているそうなので、根強いファンは多いのでしょう。

 この立派な塀の中にある家に当時住み、その後、土地・建物などが鎌倉市に寄贈されたそうな。

 記念館というからいつでも入れるかと思ったのですが、常設展示はしていないみたい。

 古い日本家屋が好きなので、入ってみたかったっす。

 そこから程近い場所にあるのが鎌倉文学館。

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 鎌倉文学館というくらいだから、鎌倉ゆかりの文学、特に鎌倉文士をテーマにした資料館なのですな。

 たんなる資料館というだけでなく、ここの魅力はなんと言ってもその建物。

 もともとは、1890年頃に侯爵 前田利嗣の鎌倉別邸として作られたとのこと。ところが、明治の終わりに火事により失われ、現在の建物は昭和11年に洋風に全面改築されたのですね。

 3階建てですが、3階は木造で非公開なのだそうな。

 ゆるい坂道を登ると、やがて石組みの立派なトンネルが。

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 三島由紀夫の作品にも登場する有名なトンネルだそうですね。

 トンネルをくぐると左手にモダンなたたずまいの洋館が現れます。この洋館は、戦後の一時期、デンマーク公使や内閣総理大臣 佐藤栄作の別荘として使用されたのだとか。

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 このゴージャスな佇まいは、政界の団十郎と呼ばれた佐藤栄作のイメージにぴったりかも。

 その後、前田家から鎌倉市に寄贈され、外観をそのままに内部の補修・収蔵庫の新築を行い、鎌倉文学館として蘇ったのですね~。

 中に入り、夏目漱石や川端康成の自筆原稿の展示などを眺めていると、作家の息遣いが感じられそう。

 洋館の豪華な内装と窓からの広々とした芝生も眺められて得した気分になりました。

 行った日は、木村裕一著作の人気絵本シリーズ『あらしのよるに』の特別展が開かれておりました。

 絵本のタイトルは知っていましたが、子供たちの情操教育にもなる内容なのですな。

 文学館の前の芝生広場からは、由比ガ浜とその先に広がる相模湾を見下ろすことができました。

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 次に向かったのは、甘縄神明神社。

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 この神社が創建されたのは、710年というから、なんと奈良の平城京が作られたのと同じ年なのですか。

 鎌倉最古の神社といわれ、鬱蒼とした森に抱かれた境内はさすがに歴史を感じさせます。

 この神社は代表作のひとつ、「山の音」のなかで主人公・信吾の家の裏山の神社として描かれているそうですね。

 ウィキペディアには、鎌倉の長谷に住む、62歳になり老いを自覚するようになった尾形信吾が息子・修一の嫁・菊子に対して抱く情愛を、鎌倉の美しい風物とともに描いた作品だとありました。

 確か、主人公が夏の寝苦しい夜に、山のほうから、恐ろしい音を耳にするシーンからはじまったような。この地の底から響いてくるような音に、主人公は死の予告を受けたように感じた…?

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 もう随分前に読んだので、詳しい内容は忘れてしまいましたけど。神社の参道の近くには、川端康成が暮らしていた邸宅があるらしい。

 すると、主人公・尾形信吾は川端康成の分身なのかも。

 オイラも、「山の音」を聴こうと耳をそばだてましたが、聴こえるのは蝉の鳴き声ばかり。

 ノーベル賞作家とは感性が違うのだから、これは仕方ないっす。


 そして、いよいよ鎌倉の大仏さまへ。

 大仏さまのおわす高徳院へ向かう道は、まさに観光ストリート。

 さまざまな土産物店やお洒落な飲食店が建ち並んでおります。

 拝観料の200円を支払い、高徳院の境内に入って、20年以上ぶりに大仏さまに再会しましたぁぁぁぁぁ~!!

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 オイラは結構年をとっちゃったけれど、大仏さまは昔と全然変わりませんな。

 むしろ若返ったみたいで…。

 それもそのはず、完成してから750年以上もこの地に座り続けておられるのだから、20年という月日はないも同じなのでしょうね。

 土曜日だったので、境内はすごい人ごみでした。

 でもよく見ると、日本人より外人さんのほうが多いみたい。

 人口比率からすると、6;4で外人観光客のほうが多いのではないか。いろんなところで外国語が飛び交い、一瞬、日本にいることを忘れるような雰囲気でした。

 そういえば、奈良の東大寺の開眼のときも、世界の国々から大勢の人たちが集まったそうですな。大仏さまは、外国人をも魅了するのでしょうね。

 ところで、奈良の大仏さまとの大きな違いは、建物の中にいらっしゃるのではなく、露座の大仏となっている点。

 もともとは、東大寺の大仏と同じように、立派な大仏殿があったそうなんですよ。

 しかし、何度か建て直されたものの、台風で倒壊したり、津波で押し流されたりして、結局、露座という現在形になってしまったのですね。

 建物の中もいいけれど、緑の木々をバックにした大仏さまも、最初から計画して作られたようにピッタリ景観にはまっています。

 よく見ると、結構イケメンだったりして。

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 ちなみに、この大仏は阿弥陀如来で、高さは12.38m、総重量は121トンもあるとのこと。

 20円支払えば、大仏の体内も見学できるのですが、外国人が長蛇の列を作っていたのでまたの機会にしました。

 今度訪れるのはいつになるかわからないですが…。

 後ろにまわると、背中には窓があります。

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 なんか、天使の羽みたいでかわいく感じるのはオイラだけでしょうか。

 それにしても、外国の人たちからカメラを渡され、シャッターを押してくれとさかんに頼まれます。

 お安い御用じゃと、何度も応じたのですが、当然の顔をして英語で話しかけられるのにはさすがに閉口しました。

 まさか、オイラは、外人には見えないと思うのですけどね。

 一見すると、外国語を話しそうに見えるけれど、オイラはまったくしゃべれないのじゃ~。

 昔は、英単語も多少は知っていたし、翻訳のバイトもしたことがあったのです。

 読めるけれど、書けない、話せない、という戦後の英語教育の問題点を実証している自分に改めて気づくのでした。

 このままここにいると、また英語教育の失敗例として落ち込みそうになったので、逃げるように大仏さまをあとにしました。

 ここから長谷寺や極楽寺へ向かうのですが、それはまた次回。

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