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滋賀県・本家鶴喜そば、雄琴温泉 琵琶湖グランドホテル ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今回は、「ビジベン滋賀をゆく」シリーズの二回目です。

 それでは、前回の続きから。

 すきっ腹を抱えてオイラが向かったのは、京阪電車の坂本駅に程近い「本家鶴喜そば」というお蕎麦屋さんでした。

 今回の旅行にあたり、滋賀県の旅行ガイドブックを何冊か読んだのですよ。そのどのガイドブックにも、このお蕎麦屋さんは紹介されていました。このそばを食べなければ、坂本を旅したと威張れないのではないか、と…。

 ガイドブックによれば、比叡山の僧侶が修行中に食べたと伝えられる坂本そばの老舗で、創業なんと280年。

 角から三軒目という看板を横目に向かうと、古い家並みのなかに一際存在感を放つ建物がありました。この古い構えの店は、築120年近くもあって、国の登録文化財に指定されているのだとか。

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 さっそく店に入り、江戸っ子は粋な「ざるそば」を注文します。ほどなくでてきた蕎麦は、もちろん手打ちで、つやつやと輝いている。

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 薬味のわさびがあまり辛くなくて、いい香りとほのかな甘みが蕎麦の味を引き立てます。シコシコした歯ごたえと喉ごしの良さはまさに老舗の名に恥じないものだと思いました。

 食べ終わったら、蕎麦湯を汁に入れ、蕎麦のいい香りを楽しみます。麺がいいから蕎麦湯もうまい、と昔コマーシャルで聴いたフレーズがよみがえります

 まだ蕎麦湯が残っていたので、そのまま飲んでみたのですよ。

 結構おいしくて、何杯もいけそう。やっぱりそば粉がいいのでしょうね。

 結局、湯桶に入った蕎麦湯をすべて飲み干し、満足して店を出たオイラは、腹をチャポチャポさせながら次の目的地へ向かいます。

 さきほど登った道を今度はひたすら下って行くと、左手に古いお屋敷が…。

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 石垣に囲まれているけれど、お侍の屋敷には見えないし、かと言って商人のお屋敷にも見えない。

 立ち止まって解説板を読むと、「公人(くにん)」のお屋敷なのだとか。

 公人とは聞きなれない言葉ですが、江戸時代、延暦寺の僧でありながら妻帯と名字帯刀を許され、治安維持や年貢・諸役を収納する寺務を務めていた人たちだそうです。

 江戸時代なら本来、こういう役目はお代官様をはじめとする侍のお役人がしていた仕事ですよね。

 ところが、この坂本地区は徳川幕府から延暦寺に寺領として寄進されていたらしい。寄進された石高を調べると、五千石ですか。

 大名ではないけれど、大身の旗本くらいの収入があって、天台座主を頂点とするお坊さんの組織が作られていたのですね。

 入場料100円なので自動的に足が動いて中に入ります。この旧岡本邸は江戸時代後期に作られたそうな。間取りやコンパクトにまとめられた炊事場などとても住みやすそうだと感じました。

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 これなら引越して住みたいくらいだと、すっかり住宅展示場気分で見学しました。

 外へ出ると、そろそろ日が暮れて来そうな気配。あまり遅くなってホテルの人に迷惑をかけるといけないので、宿泊先のホテルへ向かうことにします。

 これから向かうホテルは、比叡山坂本駅の隣の「おごと温泉駅」から程近い場所にある琵琶湖グランドホテル。

 再び、湖西線に乗り、おごと温泉駅に降り立つと午後5時を過ぎたばかりというのに外はかなり暗くなっていました。

 前日、ホテルに確認した電話では、係の人から駅まで迎えに行きましょうかと言われたのですが、駅からホテルまで1キロくらいなので大丈夫ですよと答えたのです。

 初めての土地だし、迷ったら面倒なことになるぞと地図を取り出して眺めていると、駅前に「琵琶湖グランドホテル」のマイクロバスが止まっているのが目に入りました。

 おお~、これはラッキー。

 運転手さんに「乗ってもいいですか?」と聞くと「どうぞ、どうぞ」というお返事。これ幸いと、オイラ一人が乗ったとたん、マイクロバスが発車しました。

 お客はオイラ一人。時間ごとに、駅とホテルを往復しているらしいですが、貸切状態でなんだか申し訳ない気分でした。

 次の日の朝撮った写真ですが、立派なホテルですよね~。

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 ホテルへ着くと、すぐ受付の人が手配してくれ、仲居さんのおねーたんが部屋へ案内してくれます。

 ドアを開けると、広い沓脱ぎがあり、フローリングの床が目に入りました。その先の襖を開けると、きれいな広い和室が…。

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 12畳もあるではないですか。こんな広い部屋に、オイラ一人が泊まるの?

 この広さなら、4~5人は楽に泊まれそう。しかも、部屋は琵琶湖の雄琴湾に面していて、対岸のホテルの明かりが美しく瞬いています。

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 仲居さんのおねーたんがお茶を入れてくれながら、いろいろホテルの説明をしてくれました。ホテルというネーミングになっているけれど、ここは旅館なのですね。

 先ほどまで坂本を観光していたと話すと、「本家鶴喜そば」さんのお蕎麦はおいしいですよ、とのお話。

 そこならさっき行って、ざる蕎麦を食べて来たっす。蕎麦をゆでたお湯が香り豊かでとてもおいしかったっす。

 …と答えると、「蕎麦がおいしいんですけどね」と不思議そうな顔をしていました。

 明日は、比叡山へ行くと話したのですが、生憎とお天気が下り坂なのですと。坂本と比叡山とでは、気温が5~6度も違うから温かくしてお出かけくださいとのことです。

 え~、ホントっすか。

 心配になってテレビの天気予報を見てみると、なんと降水確率は100パーセントではあ~りませんか。

 しかも、ところによって雷や暴風雨に御用心ください、じゃと?。

 日頃の行いが悪いのかな~と少しブルーになりましたが、せっかくこんな素晴らしいホテルに泊まることができるんだし、明日は明日の風が吹くと、目先のホテルライフを満喫することにしました。

 …ということで、まずは腹ごしらえ。夕食は、下の大広間へ降りて食べるのですな。

 お一人様でしたので、広いテーブルを独り占め。目の前いっぱいに並べられた料理は、どれもおいしそうなものばかり。

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 このほかに、揚げたてのてんぷらがついて、ゴージャスの一言に尽きまする。

 それにしても、食べ慣れていない量のおかずは、食べられるごはんの予測がつけられないですね。

 最初に、ごはんをお替りしてしまったのは失敗でした。三分の二を食べた状態でお腹一杯に…。

 豪華な料理は、おかずでお腹一杯にしないといけないという鉄則を改めて思い知らされたのでした。

 いつも、この4分の1くらいのおかずでごはんを食べていますので。

 それでも、テーブル上の料理を完食できたのは、どの一品も素材の持ち味をしっかり引き出して、とてもおいしかったからです。

 カニは、殻を細かく砕いて執拗に中の身をほじくり出し、海老のてんぷらも尻尾までいただきましたぁぁぁぁぁ~。

 とくに海老の尻尾は香ばしくて、サクッとした歯ごたえと繊細な味で極上の一品。

 蕎麦をゆでたお湯や海老の尻尾など、あらためてオイラの嗜好のマニアックさに気づかされた旅でもありました。

 すっかり、お腹が一杯になり満足して部屋に戻ったオイラは、これからの長い夜を一人でどう過ごそうかと考えます。

 でも、旅館の豪華な部屋で一人というシチュエーションに、以前から是非一度やってみたいと思っていたことがあるのですよ。

 それは、文豪ごっこ

 老舗の温泉旅館に、一人こもって小説を執筆する。そして書いた原稿の気に入らない部分があると原稿用紙をくしゃくしゃに丸めて後ろへ放り投げる。かくして部屋の中は、丸められた原稿用紙で足の踏み場もないほどに、なんて。

 オイラは小説家ではないけれど、プチ川端康成やプチ井伏鱒二気分を味わえるかも。

 …ということで、原稿用紙の代わりにノートに小説を書いてみたんですよ。

 純文学は無理だから、ミステリーの短編を書いてみようか、と。

 タイトルは、「坂の上の雲」をパクって「坂の上のクモ男」としてみました。書き始めると、おお~、筆が進むじゃん。

 これはもしかして、江戸川乱歩賞を狙える傑作になるかも。

 一時間くらい書いて、一旦休憩にと大浴場へ行くことにしました。

 このホテルは、二つも大浴場があるらしいのですが、今回は琵琶湖が望める露天風呂のほうに入ります。

 あと、貸切の風呂もたくさんあって、さすが関西屈指の温泉の一流旅館だと思いました。

 そのせいか、広々とした浴室には先客が2人しかいません。浴槽は二つもあるのですが、ちょっとしたプールくらいの広さのある露天風呂に入っている人は誰もいないのですよ。

 琵琶湖の夜景と広々とした露天風呂を独り占め~!!

 これほどの贅沢はないのかも。師走の平日でしたけど、これだけすいているのは不況の影響もあるのかもしれませぬ。

 でも、逆に考えればこういう時期だからこそ、超贅沢な気分を味わえるのではないかと思いました。景気のいいときは、みんな一斉にリッチな旅行へ行きますもんね。

 今が穴場ですよ。是非、雄琴温泉へレッツゴー!!!

 あとで雄琴温泉をネットで調べてみると、こちらも今から約1200年前、伝教大師最澄が開いたと言われているそうですね。

 雄琴とは雅なネーミングだと思いましたが、平安時代の貴族、今雄宿禰の荘園があり、その「雄」とその邸からはよく琴の音が聞こえてきたことから、「琴」をとって雄琴と呼ばれるようになったとか。

 泉質は、アルカリ性単純温泉で無色透明ですが、肌がスベスベになるのが実感できます。

 効能は、神経痛や筋肉痛、打ち身、慢性消化器病、冷え症、疲労回復、美肌効果もあるそうですよ。

 生き返った気分で部屋に戻ってきて、先ほど書いた小説を読んでみたんですよ。

 なんじゃこりゃ~、こんなくだらない小説を書いたのは誰じゃ~

 温泉に入って疲労回復し、頭がすっきりしたみたいで…。

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滋賀県・石積みの門前町 坂本 ウォーキングストーリー

 こんばんは。

 12月10日から12月11日まで、一泊二日で滋賀県に行ってきましたぁぁぁぁぁ~!!!

 ブログをはじめて4年半になりますが、これまでお散歩ネタといえば、東京周辺ばかりでした。

 行ってもせいぜい、伊豆半島や群馬、栃木県くらいまでだったような。

 それがいきなり、中部地方を飛び越えて近畿までジャンプできたのは、ネットの懸賞企画に当選したからなのですね~。

 それは、「滋賀の旅をモニターしよう!旅行ブロガー大募集」というキャンペーン。

 キャッチフレーズは、「元気やで!おいで~な滋賀」おもてなしキャンペーン・みんなで作る新しい滋賀の旅」です。

 1泊2日、旅行ライターになりきって旅をし、自分のブログに旅行記を書くというもの。宿泊施設を紹介してくれるということと、何より自分で自由に旅行ブランを立てていいという条件に惹かれて応募したのでした。

 …ということで、これから3回にわたって、「ビジベン滋賀へゆく」と銘打って滋賀県のお散歩シリーズをお送りしようか、と…。

 さて、滋賀県といえば何といっても最初に思い浮かぶのが琵琶湖の存在。

 ご存知、日本最大の湖で、淡路島より大きいのだとか。

 淡路島といえば、かつて淡路国と言ったように、日本の地方行政区分だった国の一つ。琵琶湖は、昔の国より大きい湖なのですな。

 ちなみに、滋賀県はかつて近江の国と言われていましたが、近江は「都に近い湖」が語源だそうですね。

 京都の隣の県としても有名ですが、実は滋賀県にも都があったのですよ。それは、白村江の戦いの後、のちに天智天皇になる中大兄皇子が、667年3月に都を飛鳥から近江の大津京へと遷都した時期です。

 都があったのは5年間くらいだったそうですが、その間は今の京都が「都の隣の県」だったのですな。

 それはともかく、12月10日の朝、東京・品川駅から新幹線に乗ったオイラは、昼前に比叡山坂本駅に降り立ちました。

 のぞみで京都まで行き、JRの湖西線に乗り換えれば東京から3時間足らずで着いてしまうのですね。

 十何年ぶりに訪れた関西は、生憎の曇り空でした。駅で街歩きのマップをゲッツし、期待に胸を膨らませながら坂本の町へと繰り出します。

 マップを見ながら、駅から比叡山の方向へ続く道をひたすら登ると石造りの鳥居が…。

 町の中心を貫くこの道は、比叡山の麓に広大な境内を持つ日吉大社の参道でもあるみたい。

 やがて左手に、京阪電車の京阪坂本駅のモダンな駅舎が見え、そのはす向かいに立派な山門が目に入ります。

 ガイドマップを見ると、このお寺は生源寺といって、伝教大師最澄の生誕地と言われているらしい。境内に入ると、右手に最澄の産湯に使った井戸の石碑が立っていました。

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 最澄といえば、今回の旅のハイライト、比叡山延暦寺を開祖した偉いお坊様です。

 司馬遼太郎の「空海の風景」という本を読んだことがありますが、最澄は、官費留学生として唐に渡るすごいエリートだったそうですね。またとても真面目な性格のお坊様として描かれていた記憶があります。

 歴史の授業で勉強するのは、最澄、天台宗、比叡山延暦寺のキーワード解説くらいですが、やはり現地へ赴くと1200年もの年月を経て、町の中に彼の足跡が残っているのですな。

 余談ですが、坂本竜馬の苗字も、ここ坂本の地名に由来していると司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に書かれていた記憶があります。

 来年の大河ドラマ「竜馬伝」の主役は、女性に人気の福山雅治。もしかしたら、この土地も、坂本竜馬のルーツとして注目を集めるかもしれませぬ。

 福山のルーツではありませんので、念のため。

 オイラも、こんなに立派じゃなくてもいいから、何か生きた証を残したい物じゃと考えつつ、再び坂道を登ります。

 するとまた日吉大社の大きな鳥居が見えてきました。ここから先は日吉馬場という参道になり、車道の横の紅葉が美しいっす。道の両側は石垣が続いていて、まさに石積みの町・坂本が実感できる景色ですね。

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 ここが城下町なら、重臣たちのお屋敷が並ぶ大手門の前の道という風情ですが、石垣に囲まれたお屋敷は、この土地では里坊と呼ばれているそうな。

 この町でいう里坊とは、比叡山延暦寺の僧侶の隠居所。延暦寺は山の上にありますから、そこで生活するのはかなり大変なことだったらしい。年をとって現役を退いた老僧が里に降りてきて、余生をおくった宿坊なのですね。

 石垣というと、城のようなアクティブな施設をイメージしてしまいますが、こちらの石垣は老僧が静かに暮らしているような静謐さを感じました。

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 さらに坂を上ったところにある旧竹林院も、そうした里坊のひとつ。見学できるそうなので、入ってみることにします。

 まず庭へまわると、八王子山を借景にして、滝や築山の配置が見事。ここでも石垣が景観のアクセントになっておりまする。手入れされた苔と茶室のコラボもなかなかでした。

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 長い間山上で辛い修行をされてきたお坊様にとって、老後の生活がこの美しい景観とともにイメージできていたのかも。

 癒しの庭園に囲まれたお屋敷は、究極の老後の生活だと感じます。この安らぎの空間を手に入れるには、やはり、若い頃は苦労しないといけないのでしょうか。

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 旧竹林院を出て、20分ほど歩いて向かったのは西教寺。

 このお寺は、安土桃山時代の遺構や美術作品が残っているということで旅行前からチェックしていたのです。

 途中に眺望が開けている場所があり、眼下に琵琶湖をのぞむことができます。東京に住んでいる人間にとって海は珍しくありませんが、これだけの広さがあって、なおかつおだやかな水面というのは驚きというより不思議な感じがしますね。

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 しかも、湖がぐるっと山に囲まれている。これは、ここでしか味わえない景観かもしれませぬ。

 …と考えつつ、西教寺に到着。この総門はお寺としてはそれほど珍しくない形をしていますが、解説板を読むと、なんと明智光秀の坂本城から移築したそうなのですよ。

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 そういえば明智光秀は、近江国坂本城主でした。残念ながら、坂本城の痕跡はほとんど残っていないそうですが、安土城の次に立派な天守閣があったのだと聞きます。

 聖徳太子が創建したと伝えられるほど歴史のある寺ですが、1571年に織田信長が比叡山を焼き討ちにしたとき、このお寺も災禍を被ったらしい。

 神仏に信仰心の篤かったといわれる光秀は、焼き討ちに加担せざるをえなかったときは辛かったでしょうね。

 戦が終わったあとに、西教寺の復興に尽し、さまざまな寄進を行ったものが現在も残っているのですな。

 本堂は重要文化財ですが、江戸時代の建築。安土桃山時代の客殿が境内に残っているのは興味をそそられます。

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 しかも、それはもともと豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿なのだとか。行った日は工事中で薄暗かったのですが、当時の雰囲気は伝わってきました。

 派手好みだった秀吉の御殿としては質素でしたが、狩野永徳筆と伝えられる襖絵もあり、秀吉から家康時代にかけて活躍した大名のスーパースターがここで話をしたかと想像するとゾクゾクしますね。

 小堀遠州の庭園や明智光秀の墓なども見学し、山の辺の道といわれる変化に富んだ道を通って日吉大社へ向かいます。

 途中に、日吉古墳群といわれる横穴式石室を持つ多数の古墳がありましたけど、これらは渡来系の特徴があるらしい。これから行く日吉大社もこれらの古墳と関係があるのではないかと妄想が広がりました。

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 さきほども書きましたが、JRの駅から町の中心を貫く大通りは、この神社の参道とコラボになっておりまする。それだけ歴史は古く、創祀はなんと崇神天皇7年というからおよそ2100年前なのですか。

 ご由緒によれば、地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)とその妻、鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)を祀ったのが始まりで、古事記に記されるほどだそうな。

 邪馬台国はおろか、神話の世界から続いているのですね。

 全国に約3800ほどある、日吉、日枝、山王神社と言われる神社の総本宮なのですか。

 それを知り、若干緊張しつつ、東本宮の入り口から参拝することにしました。ちなみに、こちらの神社は、東本宮と西本宮に分かれていて、どちらの本殿も国宝に指定されているとのこと。

 国宝とはすごいですが、こちらの神社も織田信長の比叡山焼き討ちによって、それ以前の建物がすべて燃えてしまったのですな。

 二つの国宝が建てられた時期が、1586年と1595年。新たに作られた本殿でも国宝なのだから、それ以前の本殿が現在も残っていたら世界遺産クラスだったのではないか、と…。

 現在の本殿は、豊臣秀吉が復興に尽力したときのものでしょうか。秀吉は、幼名を日吉丸といいましたから、こちらの神社を特別な存在と考えていたのかもしれませぬ。

 そんな歴史絵巻を考えながら、二つの国宝の本殿にお参りしました。

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 神社の本殿としては少し変わった建築様式だと思いましたが、これは日吉造といわれ、こちらの神社だけに見られる形式だそうですね。

 屋根の庇が前面と両側面の三面にだけで、背面の屋根は切れたような形になっているのが特徴らしいですが、素人にはよくわかりませんでした。

 ほかにも、境内を流れる川にかかる石橋や神仏習合の信仰を表す独特の形をした山王鳥居など、神社仏閣ファンにはたまらないアイテムが満載。

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 ところで時刻は午後3時を過ぎるあたり。日が落ちるのが早い時期なので、昼食をとらずに歩きまわっていたのです。

 そろそろ空腹で限界っす。このままでは行き倒れる。でも、あまりガツガツ食べるとホテルの夕食に悪影響を及ぼしそうですし…。

 日吉大社を出て、ガイドブックで確認すると近くにおいしいお蕎麦屋さんがあるというではないですか。

 早速、向かうことにしたのですが、それはまた次回。

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千葉市内 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今回行ったのは、千葉市街。

 千葉は、ほろ苦い青春の思い出の地であるとともに、オイラの関東周辺ぶらり旅の発祥の地でもあるのですね~。

 それは確か、中学校の夏休みの中の一日だったと記憶しています。

 当時、電車に乗って学習塾に通っていたオイラは、代々木の駅でいつも見る黄色い電車にあこがれていました。

 山手線はぐるぐる都心を回っていますが、総武線には終着駅があります。しかも、電車の先頭に書かれているのは「千葉」の文字。

 まだ行ったことのない県庁所在地ですよ。

 中学生のオイラからしたら、とんでもなく遠い町に思えたのです。

 その思いが溢れかえるようになって、とうとう一人で総武線に乗って千葉へ行くことにしたのでした。

 でも、当時はお散歩のガイドブックがあることも知らず、家にあった関東地方の道路マップの中の「千葉市街図」一ページだけが頼り。

 たった1ページの地図のために、重たい本をカバンに入れ、炎天下、とぼとぼと市内を歩き回ったのを覚えています。

 地図の見方もよくわからず、当然のように迷子になって、交番のおまわりさんに道を尋ねたり…。

 でも、その思ったように歩けないもどかしい気持ちのトラウマが、その後のウォーキング発展の原点になったのかもしれませぬ。

 中学生のときは、思ったとおり歩けなかった街ですが、その後二回ほど訪れ、かなり千葉の街には詳しくなりました。

 前回行ったのは、十年ほど前。千葉港のそばのポートパークやポートタワーを時間かけて見たために、行けなかった場所もいくつかあったのです。

 今回こそ、千葉市街の完全制覇を図りたい。

 …ということでリベンジを図るため、ある休日の早朝、京成千葉駅へやってきました。

 都営地下鉄で本八幡を経由し、京成線で千葉へ入ると、千円とちょっとでオイラの家と千葉市内を往復できるのですね~。

 もちろん、一日500円で都営地下鉄乗り降り自由のお得なバスを利用するという裏技が必要ですが…。

 未来都市のようなモノレールが行き交う駅前を抜け、まず向かったのが千葉公園。

 実はこの近くへ来ると、思い出す味があるのですよ。

 それは、にんにくラーメン。

 10年前にここに来たとき、ふらっと入ったラーメン屋さんで、名物だと言うので何気に食べたラーメンの味が今でも忘れられないのです。

 新陳代謝の激しいラーメン業界にあって、まだ店があるのかなと思ったのですが、ちゃんとありましたぁぁぁ~

 それが、これ。

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 店の雰囲気は前と違っているような感じだし、器も昔と違っていると思ったので、オーナーが代わったのかなと思いました。

 でも、一口食べてみて、10年間も記憶に残った味を思い出すことができました。

 おろしにんにくや細切りにしたにくにくがたっぷり。

 にんにくだから、もっとこってりしていたイメージがあるのですが、醤油味で意外とあっさり味だったのですね。

 麺も細い縮れ麺で、こってりにくにくとあっさりスープによくマッチしていました。

 あっさり系で、後味がさっぱりしていたからいつまでも記憶に残ったのかも。

 今度はいつ行くかわかりませんが、きっと千葉に来たときはまた訪れることになるのだろうと思いました。

 にんにくをたっぷり食べ、オイラが吸血鬼ではないことを証明した後、千葉公園へ足を踏み入れます。

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 この公園は、戦後、陸軍の鉄道第一連隊跡地を整備して作られたらしい。

 公園の中心にある綿打池とまわりを取り囲む緑、そしてモノレールの白い高架が印象的でした。

 そして千葉公園で忘れてならないのが、大賀ハス。

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 一見、普通のハスのようですが、なんと2000年の眠りから覚めたハスなのだとか。

 解説板を読むと、昭和26年に、大賀一郎博士が市内の検見川でハスの種を発掘。それを発芽させて育てたものらしい。ちなみに、このハスは昭和28年に分根されたものなのですね。

 2000年ぶりに目覚めたというと、どうしても昔見た「ウルトラQ」のミイラ男をイメージしてしまいますが、植物の生命力はケタ違いなのだと思いました。

 公園を出てモノレールの高架の下をくぐり、国道126号の大通りをひたすら南下します。

 総武線の東千葉駅を超えて、ずんずん進むと、30年前、オイラが中学生の頃に見たのと同じ景色が…。

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 そういえば、当時はこの辺りで方角がわからなくなって迷ったのでした。

 まわりをキョロキョロ見渡すと、高い建物はないし、なんとなく昭和を感じさせる街並み。

 何だかタイムスリップしたみたい。

 当時、迷って途方に暮れている中学生のオイラを探しましたが、もちろん見当たりませんでしたが…。

 あの頃よりは、体力もついたし、地図の読み方も年季が入っているし、年をとった分だけ成長はしているのかも。

 近くには当時お参りした千葉神社があります。

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 この神社は、昔この地域を治めていた千葉氏の守護神である妙見菩薩を本尊とするお寺として建立されたそうです。

 源頼朝や徳川家からも手厚く保護されたようですが、明治初年の神仏分離によって神社となり、本尊も祭神に改められたらしい。

 もともと仏教の妙見菩薩と神道の天之御中主大神は長年神仏習合によって同一とみなされてきた経緯があったそうですね。

 神社であっても、日本有数の「妙見信仰」の中心となっているとのことでした。

 妙見菩薩は、北極星あるいは北斗七星を神格化した菩薩。

 千葉氏、北斗七星、というキーワードが並ぶと閃くのが、司馬遼太郎の傑作「北斗の人」ですね。

 千葉周作がなぜ北斗七星と関係あるのか、という謎が解明できました。もちろん本には書いてあると思いますが、中学生のときに読んだので…。

 北辰一刀流の北辰も、北極星のことだそうですな。

 中学生のときに読んだ本の謎も、オヤジになってから解明できたと喜びつつ、千葉神社へお参りします。

 お賽銭を10円入れましたが、そういえば中学生のときは50円入れたと思い出しました。

 こちらのほうは、中学生時代より退歩してしまったようで…。

 神社を出て、再び国道を南下すると、右手に千葉市中央区役所が見えてきます。

 その下の部分に、旧川崎銀行千葉支店の建物がビルに包みこまれるように保存されていました。

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 さや堂ホールというから、どういうネーミングかと思ったのですが、これはまさに平泉中尊寺のさや堂と同じ発想ですか。

 昭和2年に建てられ、8本の円柱が並ぶネオ・ルネサンス様式の空間は、現在、コンサートなども利用されているらしい。

 そして、次に向かったのが千葉城。

 千葉城は、都川という川の近くの丘陵上にありました。

 別名、亥鼻城と呼ばれるのは、下総台地から亥の方角に突き出した舌状の台地にあるからなのだとか。

 丘陵といっても、それほど高いわけではなく、急峻なわけでもないですから、中世の要害堅固な城というイメージよりは、防備の能力を持った館くらいの位置付けだったのかも。

 現在は、城の二の丸だったと言われる場所に、昭和42年に作られたという立派な天守閣が建っておりました。

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 この天守はもちろん、歴史上何のかかわりもないもので、中は郷土資料館になっています。

 忍城へ行ったときも思ったのですが、こちらの千葉城も小田原城の天守閣によく似ていますな。

 小田原の北条氏が関東を支配していた頃は、千葉も北条氏の領地だったのですが…。

 支店が本店を真似るのは不自然ではないですが、やはり千葉常重の銅像を正面に建てるのなら、千葉ならではのアイデンティティを前面に出してほしかった。

 …と思いつつも、城ヲタクしては立派な天守閣を目の前にして、何かに憑かれたように写真をバシバシ撮ってしまうのは、市の観光担当者たちの作戦に見事に引っ掛かっていたのでした。

 中は、千葉にまつわるさまざまな歴史資料が展示してありました。

 千葉は戦国時代の攻防の舞台になった土地で、歴史年表を見ても、ぐちゃぐちゃしていてよくわかりませぬ。

 天主の最上階は展望台になっていて、千葉の市内を360度見渡すことができました。

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 千葉城から最後の目的地、青葉の森公園へ向かう道は千葉大の医学部の敷地沿いにあります。

 その道の横にあるのが、「七天王塚」。

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 これと同じような塚が、千葉大学医学部の構内と近くの住宅街の、直径150mほどの範囲に点在しているらしい。

 七つといえば、千葉神社の妙見信仰にまつわる北斗七星が思い浮かびます。

 ちょうど、北斗七星の形に塚が並んでいるそうで、昔読んだ「アルセーヌ・ルパン全集」の中の「魔女とルパン」を思い出してしまいました。

 当時はすごいトリックだと思いましたけど、今だったら、何でそんな簡単な謎が解けないの?と突っ込みを入れたくなりますが。

 ただ、七天王塚が、いつごろ、何のために作られたのかが、よくわかっていないそうなんですよ。

 平将門の七人の影武者の墓であるという伝説もあるそうで、いろいろ妄想が膨らみそう。

 そして最後の目的地、青葉の森公園に到着。

 ここは、前回来た時見られなかった中央博物館があるのでした。

 でも、閉館時間を聞いたら4時半ですと…。

 あと、一時間弱しかありませぬ。

 広い館内でしたが、かなり端折って見学し、あとは広い公園内を歩くことにしました。

 千葉城を見てきた後だから、この細長い池は城の堀に見えるのですが、もちろん違うでしょうね。

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私が好きな時代劇の主題歌ベスト5

 こんにちは、ご無沙汰です。

 今日は、久々のベスト5ネタっす。

 オイラは自他共に認める歴史好きですが、最近は「歴女」という言葉が新語として国語辞典に載るほど若い女性の間で歴史がブームなのだとか。

 ある調査によると、彼女たちが歴史に興味を持ったきっかけは、テレビの時代劇や小説、ゲームの影響が強いそうですね。

 最近の大河ドラマに、イケメン俳優が多いのも、わかるような気が…。

 私事で恐縮ですが、オイラも小学生の頃に見た時代劇の影響で歴史好きになったみたい。

 その作品とは、山口崇が木下藤吉郎を演じた「亭主の好きな柿八年 女房太閤記」。

 若き秀吉が、いろいろなアイデアを発揮しながら出世していく様が痛快でした。ちょうど、高度成長の絶頂期で、視聴者も自分たちの姿にオーバーラップしたのか、と…。

 それまでも大河ドラマは見たりしていましたが、この作品から豊臣秀吉に興味を持って戦国武将の子供向きの偉人伝を読み始めたのです。

 当時は、時代劇のテレビドラマが大流行。

 一日に最低一本は、大作の時代劇が放映されていたのでした。

 ドラマの内容はもちろん、その主題歌のまた秀逸な作品が多いのですよ。今でも、その音楽を聴くと、元気だった日本の姿が蘇ってくるようで。

 そこで、本日は、ビジベンが昔見ていた時代劇の主題歌ベスト5をお送りしようか、と…。

 …ということで、早速発表に移りましょう。

 オイラが完璧に自己チューで選んだ、時代劇の主題歌ベスト5は以下のように決定しましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~


第五位 大忠臣蔵 → それはこちら

 三船敏郎主演による当時のオールスターキャストの時代劇。昭和46年ですからオイラが中学生だった頃の作品です。

 日本が誇る大映画スターだった三船敏郎が、一年間この作品にかける!というので、当時かなり話題になったのを記憶しています。

 その一回目がすごく印象的だったのですよ。浅野内匠頭が当時、尾上菊之助だった現在の尾上菊五郎。吉良上野介が同じく歌舞伎役者の市川中車。

 凛々しいイケメンの内匠頭とこれ以上憎たらしい人間はないのではないかと思わせる上野介のコントラストが絶妙でした。

 市川中車の演技は今思い出しても鳥肌モノ。でも、ドラマの放映途中で亡くなってしまい、討ち入りのときは別の役者が上野介を演じたのでした。

浅野内匠頭をいじめる演技で、額に青筋が立ってピクピク震える迫真の演技でしたからね。

 これが寿命を縮めてしまったのではないかと当時は考えたのですが…。

 大オーケストラの勇壮な主題歌ですが、やはり作曲は富田勲ですか。

 一年間のドラマなので、途中はちょっとだれてしまった感じもあったのですが、この感動的な音楽とともに討ち入りシーンの迫力は今でもよく覚えています。


第五位 水戸黄門 → それはこちら
 
 同じく五位は、今でも時代劇の定番として人気のある水戸黄門っす。

 里見浩太郎の黄門様もいいけれど、人気投票をやったら恐らく東野英次郎がナンバーワンかも。

 この主題歌は、時代劇のなかでもっとも有名でしょうね。助さん格さん役のいろいろな役者さんが歌っていますが、オイラ的には、長く格さんを演じた横内正の歌声が一番好きです。

 声に張りがあって、格さんの律儀で真面目な性格がよく現れていて。ちなみに、動画のバージョンでは、里見浩太郎も助さんとして歌っていますよ。

 実はオイラ、東野英次郎に会ったことがあるのですよ。銀行に勤めていた頃、オイラの担当地区に黄門さまが住んでおられたのですね~。

 残念ながらお取引はなかったので、ご自宅へ得意の飛び込み訪問を。

 意を決して、インターホンを押したのです。

 当時は芸能界を引退されていたのですが、もちろん大俳優ですから、お手伝いさんが出てくるのだとばかり思っていました。

 そしたら、ガラッと縁側のサッシを開けて本人がいきなりお出ましなられたのですよ。

 目の前にご老公が現れたので、ははぁ~と思わずその場にかがみこんでお辞儀をしたのです。

 さすがに、土下座はしませんでしたが…。

 体は小さかったですけど、声は大きくて迫力がありましたね。

 銀行のパンフレットを渡して、ご挨拶させてもらったのですけど、ご老公モードではなく、黒澤作品の飲み屋のオヤジモードでした。

 機嫌が悪いときの…。

 もっとも、誰でも、銀行員がいきなり営業に来ればいい顔はしないと思います。

 でも、パンフレットは受け取ってももらえたし、ご老公様とお話ができただけで空を飛んでいるような気分。

 ルンルン気分で支店に戻り、みんなに報告したのを覚えています。


第四位 国盗り物語 → それはこちら

 この番組も、オイラが中学校のときに熱心に見ていた作品です。

 このドラマによって、司馬遼太郎の大ファンになったのでした。前半が斎藤道三編で主役は平幹二郎。後半は織田信長編で主役は高橋英樹でしたね~。

 当時の大河ドラマは、今より時代考証もしっかりしていて、何より主役に迫力がありました。

 高橋英樹演ずる信長が、近藤正臣演じる明智光秀を怒鳴るシーンなんか、鳥肌が立ちましたもんね。

 二人の戦国の英雄にあこがれ、この当時は大きくなったら京都にのぼり、室町幕府を倒して天下を統一するのじゃ~なんて、友人たちと話していたのを思い出します。

 関白になるか、将軍になるか悩んだり…。

 今考えると、身の程を知らないと言うか、若かったですな。

 天下を統一するどころか、いまだに自分の頭の中も統一できないくせに…。

 オイラに、そんな大それた野望を抱かせたのは、この勇壮なテーマ音楽でした。


 ♪人は誰も人生につまづいて~

  人は誰も夢破れ、振り返る~♪

 北山修作詞のはしだのりひことシューベルツが唄った「風」の一節が身にしみる今日この頃です。 

 
第三位 木枯らし紋次郎 → それはこちら


 リアルで見てはいなかったのですが、高校時代、午後4時から再放送がされていて学校から帰るとよく見ていましたね~。

 主演の中村敦夫は、この作品が出るまではあまり有名ではありませんでした。俳優に先入観がないからか、それだけに渡世人の演技がリアルに伝わってきましたね。

 小学校時代は関白や征夷大将軍にあこがれたのですが、高校時代はすでに自分の限界を嫌というほど感じていたので、木枯らし紋次郎のような渡世人にあこがれました。

 今でもお散歩と称して、いろいろな場所をほっつき歩いているのは、潜在意識の中に木枯らし紋次郎がいるのかもしれませぬ。

 「あっしにはかかわりあいのねえこって」

 という台詞が流行しましたけど、この台詞は誰かがかかわってくれないと話せないんですよね。

 オイラがほっつき歩いていても、いつも放置されるからこのキメ台詞が使えないのが残念っす。

 それはともかく、この番組の裏番組に「必殺仕掛け人」を放映していた時期もありました。

 今年亡くなった、緒形拳さんの藤枝梅安は、「必殺仕事人」の藤田まこと・中村主水に並ぶ名キャラクターとして記憶に残っています。

 よく、シャープペンの芯を口にくわえ、音もなくクラスメートの背後に忍び寄り、頚椎にブスッと刺す遊びをやりました。

 逆に、やられることもありましたが…。

 今考えると、かなりやばい遊びだったような。良い子は真似してはいけませんね。


第二位 柳生十兵衛 山口崇 → それはこちら


 この主題歌の作曲も富田勲なのですな。

 豪快なオーケストラの演奏とチャリンという刀が触れ合う効果音が印象的でした。 

 柳生十兵衛の役者といえば、千葉真一をイメージする人は多いでしょうね。型にはまらない人生を歩んだ剣豪らしく、体育会系の豪快なキャラクターはぴったりかも。

 オイラも千葉真一の柳生十兵衛は好きですが、さらに魅力を感じるのは山口崇の柳生十兵衛。

 こちらは、見た目はそれほど強そうではない。むしろインテリでスマートなイメージ。

 その彼がいざ剣を振るうと、いかにも豪傑そうな剣豪を軽くあしらってしまうのですね~。

 いわば文武両道の達人といいますか。

 そして柳生十兵衛も剣を携えて諸国を巡るのです。ここにもオイラのお散歩の原点があるような。

 それにしても、当時の山口崇はすごい人気でしたね。彼の主演作には、緒形拳や田村正和も脇役で出ていましたし…。

 その後、大河ドラマで忠臣蔵の大野九郎兵衛など悪役を演じる機会が増えましたけど、若い頃の颯爽とした演技は今でも心に残っています。

 あと、柳生十兵衛?役としては児島みゆきも有名でした!?


 …ということで、 いよいよ第一位の発表っす。

 ビジベンが昔見ていた時代劇の中で、もっとも心を躍らせた主題歌ナンバーワンは


 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ… (← ドラムの音?)



第一位 仮面の忍者 赤影 → それはこちら


 テンポのいい音楽と、オープニングのナレーションが超かっこよす。

 怪獣が出てきたり、戦国時代の設定なのに空飛ぶ円盤や核兵器を連想させるようなシーンもあったりして時代劇とは言えないかもしれませぬ。

 何でもありの力技も、この心躍るようなテーマ音楽を聴くと、これくらい荒唐無稽な設定でないと沸き起こるパワーを持て余してしまうような気がしました。

 ドラマは四つの部に分かれていて、それぞれ、金目教篇、卍党篇、根来篇、魔風篇に分かれているのですな。

 今回紹介したのは、第二部の卍党篇です。

 当時は、ナレーションをあまり気にかけませんでしたけど、今聞くと、子供番組とは思えないほど練られていますね。

 それは…

「織田信長の活躍した頃、海を渡ってきた奇怪な妖術者の群れがギヤマンの鐘を求めて各地を襲撃した。世界制覇を狙う卍党の仕業である。強烈なエネルギーの製法を秘めたギヤマンの鐘三つ。日本の平和を願う信長は、卍党の野望を粉砕すべく飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。その名は…赤影参上!!」

 オイラも、「仮面の便利屋」を目指そうかと考える今日この頃です。

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