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滋賀県・滋賀院門跡と慈眼堂 ウォーキングストーリー

  明けましておめでとうございます。

 昨年はお世話になり、どうもありがとうございました。本年もよろしくお願いいたします。

 さて、元旦は、「ビジベン滋賀をゆく」シリーズの三回目。

 旅行二日目の朝。ボツ、ボツ、ポツ、と、窓を叩く雨音に目を覚ましました。

 窓の障子を開けると、かなりの雨。遠くの山に霧がかかってぼんやり霞んで見えます。

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やはり、天気予報は外れなかったのですね~。なんたって、降水確率100パーセントですから、予報が外れたらクレームが殺到するでしょうけど。

 あ~、よく寝たと、寝床から起き上がり、時計を見ると、午前7時。

 血液型A型なので、布団や枕が替わるといつもは寝つきが悪くなるのです。でも、こちらのホテルは落ち着いた雰囲気で、快適な睡眠環境でした。

 今日はまず、昨日訪れることのできなかった坂本の観光地をまわり、そのあと比叡山延暦寺をお参りする予定。

 街歩きはいいとしても、雨の中の山歩きは大変かも、と少しブルーになりました。

 しかし、織田信長が桶狭間で今川義元の大軍に勝てたのも、暴風雨があったからこそ。オイラも、雨を味方にして戦況を有利に持って行こうと、ポジティブに考えることにしました。

 そのためには、まずは腹ごしらえ。と、顔を洗ってから朝食に向かいます。

 朝食はバイキング形式なのですね~。

 昨日の大浴場など、かなりすいている印象だったのですが、朝のバイキング会場は思ったより大勢のお客さんがいました。

 …といっても、混んでいるというほどではなく、ちょうどいいくらいでしたが。

 テーブルの上には、和食、洋食の料理が並び、飲み物もバラエティーに富んでいて、何を食べようか迷ってしまいます。

 意外と外国の方たちも少なくないっす。

 日本人がパンやコーヒーで食事している横で、外国の人たちがごはんに納豆、味噌汁を食べているのは不思議な気がしました。

 外国の人は必ずといっていいほど、牛乳を飲まれるみたい。和食に牛乳はちょっと、と考えるのですが、この辺りにも食文化の違いがあるのでしょうか。

 オイラはといえば、まず日本食から入って、次に洋食ですかね。ここでも、最初にガバッと料理を取りすぎてしまい、あとでほかの料理に行こうとするとき、満腹で苦労したのでした。

 まわりを見渡すと、同じように、満腹なのにガッツで食べているオヤジが多くて親近感を覚えます。

 がっちり朝食を食べ、栄養を補給し、いよいよ滋賀の旅二日目へ。

 ホテルの玄関を出ると、また雨が強くなったみたい。駅へと向かうマイクロバスの乗客は、またもオイラ一人です。結果的に広い車内を一人で占領してしまう形で恐縮しました。

 程なく駅に着き、お世話になった宿の人にお礼を言い、湖西線に乗って再び比叡山坂本駅へと向かいます。

 昨日歩き回った坂本の町は、しっとりした雨に覆われて別の表情を見せてくれました。

 雨に濡れるのはうざいけれど、晴れた日には素顔の風景は見られないかも。

 昨日そばを食べた本家鶴喜そばさんの前の通りは、こんなに風情のある道だったのですね。

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その「作り道」と呼ばれる通りから、御殿馬場という通りに入り、滋賀院門跡を目指して歩きます。

 左右に石垣が配置された石畳の道は、まさにオイラ好みといいますか。まさに「石積みの町坂本」を表していますね。

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 道の突き当りにある滋賀院門跡の石垣はお見事に尽きまする。もう少し高ければ、お城ですよね。

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 それもそのはずで、この穴太衆積みの石垣は、安土城を筆頭に全国各地の城跡でも見ることができるのですね~。

 その後、石をきれいにカットして積み上げる石垣もできるのですが、穴太衆積みは基本的に自然石を積み上げる野面積み。つまり、石と石の隙間を細かい石で埋めて積んであるのですな。

 オイラ的には、やはりきれいにカットされた墓石を積み上げるような石垣より、野面積みのほうが野趣にあふれて好きかも。

 これだけ立派な石垣のある滋賀院って何?と思って、ガイドブックを読むと、あの徳川三代に仕えた天海僧正が建立したお寺だそうじゃないですか。

 1615年に、後陽成上皇から京都御所の建物の一部を賜り、移築したことに始まるらしい。滋賀院の名は1655年、後水尾天皇から下賜されたのだとか。

 ところが、滋賀院御殿と呼ばれた壮麗な建物は、明治11年に火災により焼失してしまったとのこと。

 そこで明治13年に、比叡山延暦寺の建物三棟が移築して再建されたのですな。

 立派な玄関から入ると、係の人が現れて丁寧に解説してくれました。

 まずは玄関の正面に広がる大広間の掛け軸。

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 比叡山延暦寺の開祖伝教大師最澄のお言葉が書かれておりまする。

 詳しい意味は忘れましたけど、この掛け軸の中に「忘己利他」という文字がありますが、これは「もうこりた」と読むらしい。

 オイラの座右の銘である「もう懲りた」と考えたくなりますが、「悪事を己に向へ、好事を他に与へ、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と読むのですな。

 つまり、「他人からの見返りを求めないで、他人の喜ぶことをしてあげなさい」という意味でしょうか。

 これと同じ意味のことを言っている人がいましたっけ。「道は開ける」「人を動かす」という世界的な名著を残したデール・カーネギーです。

 オイラも、15年くらい前に読んで目からウロコでした。

 カーネギーが「人を動かす」を書いたのが、1937年。今から、約70年前でしょうか。いまなお、アマゾンの自己啓発書ランキングの上位をキープし続けているそうな。

 つまり書かれていることが、全然古びていないということですよ。人間関係の真理がそこにあると言いますか。

 もっと驚きなのは、最澄が同じことを自らの著書『山家学生式』で書いていること。

 こちらは今から1200年前の著書。

 1200年前の人間関係のノウハウが、現代もその真理として活用できるなんてすごいです。それが今も、目からウロコ状態で読まれているなんて。

 逆に考えると、人類は、人間関係という側面では全然進歩していないのではないかと考える今日この頃です。

 そして、もっと驚いたのがこの灯明の火。

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 比叡山延暦寺の総本堂は、国宝の根本中堂。そのご本尊の前に、灯明が三つ並んであるそうなのですよ。

 それは最澄のともした灯火で、なんと1200年間一度も消えることなく輝き続けているそうな。
そしてこれが、有名な不滅の法灯のレプリカなのですね~。

 …と言っても、この燈籠は実際に、根本中堂で使われていたそうです。不滅の法灯もこんな小さな火の状態のまま、1200年間も燃え続けていたなんて、信仰の力は偉大だと思いました。

 そこまで考えて、ふと疑問に思ったことが。

 信長の比叡山焼き討ちのときもこの火は生き残ったのかしらんと、解説のおじさんに聞いてみたのです。

 一瞬、鋭いツッコミと、目を輝かせたおじさんは、「実はそのとき、消えてしまったのですよ」と答えました。

 そのとき、比叡山焼き討ちのときの残り火を、不滅の法灯と拡大解釈したのかと、疑惑のまなざしを向けるオイラ。

 実際はそうではなくて、芭蕉の俳句で有名な山形の立石寺(山寺)に分灯されていた火をこちらに持ってきたそうです。

 おお~、人間なら分家から本家に入るのは、天皇家をはじめ名家では珍しくないですからね。

 最澄の灯火のDNAはしっかりと、この火に受け継がれているのだと、改めて感動して眺めました。

 この火も分灯されたものかどうか、肝心なことを聞くのを忘れてしまったのですが…。

 それはともかく、由緒ある建物だけあって、ほかにも見所が満載です。

 天台座主がお乗りになった長棒かご、桃山時代から江戸時代にかけての襖絵。

 この襖絵は、明治時代の鈴木松年筆による「松の図」なのですけど、この絵の中に生き物が隠れているのがわかりますか?

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 答えは龍。襖の引き手の金具が目になっているのですな。

 それにしても、天海大僧正の甲冑が残っているのには驚きました。

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 お坊様が甲冑とは不思議ですけど、江戸時代の草創期はまだ戦国の雰囲気が残っていたからでしょうか。

 建物のなかを歩き回り、襖の破れている部分を見つけたのですが、その下張りに英語とは思えない外国語の古い文書が見えていたのですよ。

 当時の外国語といえば、オランダ語かニャーといろいろ妄想が膨らみました。

 それから、天台座主接見の間というのもあって興味深かったです。

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 当時の貴人との接見の雰囲気が伝わってきましたね。

 そして、滋賀院の魅力の重要なファクターである庭園。

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 それほど広くはないけれど、小堀遠州作と伝えられる見事な庭園でした。いい庭はいつまで見ていてもあきないですな。

 長細い池には亀の形をした島、そして橋、右手には深山幽谷を思わせる巨石と滝、二階から眺めると琵琶湖を借景としてそれは見事。

 自宅にこんな庭があったら雅な暮らしができるのに、とアホ面のまま、ボーッと眺めていました。

 あまり長居しても比叡山へ行く時間が遅くなると、雨の中、再び歩きはじめます。

 滋賀院門跡から程近いところにあるのが慈眼堂。写真は昨日撮ったものですが…。

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 ここは、さきほども書きました南光坊天海大僧正の御廟なのですな。

 境内には、桓武天皇、後陽成天皇、後水尾天皇、徳川家康、紫式部、和泉式部、新田義貞の供養塔、そして江戸以降の天台座主の御墓などがありました。

 天皇や家康の供養塔があるのはわかりますが、なぜ、紫式部、和泉式部、新田義貞なの?という疑問も浮かびましたが。

 あまり深く考えても時間がなくなるので、ここはスルーして比叡山への玄関口、ケーブル坂本駅へと向かいます。

 雨の中、比叡山山頂では何が待っているのか。

 次回はいよいよ、滋賀県シリーズの最終回、「世界文化遺産・比叡山延暦寺をゆく」です。

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コメント

年賀状ありがとうございました。コメントは会社時代の後輩のkotsでした(正解です)。
不景気ですが、頑張りましょう!
人間、楽しみがないといけませんね。
http://d.hatena.ne.jp/Riwao/

投稿: kots | 2010年1月 5日 (火) 12時06分

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