« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

醤油の町・野田 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今回行ったのは、千葉県野田市。

 以前、ブログでも紹介した関宿町と2003年に合併して、千葉県最北端の自治体になったらしいですね。

 野田市は、醤油の町としても有名なのはご存知でしょうか。

 なんと、明石家さんまの「 幸せって 何だっけ 何だっけ~ ♪」のコマーシャルで有名なキッコーマン発祥の地なのですね~。

 20数年以上前に訪れたことがあるのですが、なぜか城下町でもないのに城の櫓があったのを記憶しています。

 明石家さんまのキッコーマンのCMが23年ぶりだそうなので、オイラも20数年ぶりに訪れてみようか、と…。

 早速、ネットで最安ルートを検索すると、つくばエクスプレスを利用するのがお得だそうではあ~りませんか。

 …ということで、北千住から流山おおたかの森までつくばエクスプレスを利用しました。

 さすが、エクスプレスというだけあって、びゅんびゅん飛ばすのですね。なんと最高時速130キロだそうな。一般の車両だから、体感的には普通のセダンに乗り、高速道路を130キロで飛ばすような感じ。

 スピード感を満喫し、そのあと乗り換えた東武野田線のゆったり感との対比が面白かったです。

 市内観光なら、野田市駅で降りたほうがいいのですが、ウォーキングコースの都合上、清水公園駅で下車します。

 清水公園は27万平方メートルもあるという広大な公園。なんと民営だというから驚きです。

 しかも、歴史を遡るとキッコーマンとも関係があるらしい。

 …というのは、明治27年にキッコーマンの創業者一族の茂木家が、この地にあるお寺の一部を借りて公園を建設したそうな。そして町の人たちに開放したのですね。

 駅から公園までの道の両側には桜が植えられていて、開花時期は見事だろうと思いました。

 入り口近くにある野田貝塚の記念碑を過ぎ、公園に隣接する旧花野井家住宅を見学します。

 この住宅は、流山市にあったものを移築したのですな。

 左甚五郎が一日で作った?という伝説の薬医門を抜けると、目の前に茅葺の建物が建っておりました。

Ca3a1841

 一見して、これはかなり古いぞ、と感じたのですが、なんと17世紀後半に建てられたものらしい。江戸時代初期の古民家ということで、国指定の重要文化財になっているらしい。

 武士の家に見える反面、富農の家にも見えるというあいまいなイメージは、江戸時代の花野井家のシチュエーションによるものでしょうか。

Ca3a1838

 元々は武士だったそうですが、江戸時代は、代々幕府直轄の小金牧の牧士を任され、名字帯刀を許された家柄だったとか。

 牧士とは、野馬奉行の配下で、牧の管理、野馬の捕獲を指揮する役目があったそうです。

 武士のお屋敷みたいな排他的な雰囲気はなく、誰でも気軽に入れそうなのは、野馬の捕獲に多くの農民の力を必要としたからかも、と考えました。

 公園にもどり、金乗院から見学します。このお寺は、室町時代の創建だとか。

Ca3a1845

 入り口にある仁王門は、約300年前に建立されたらしい。 最近、全面修復されたようで創建当初の姿を眺めることができました。

 そして、清水公園で忘れてならないのが国内最大級を誇ると言われるフィールドアスレチックの存在。

 自慢入っちゃいますけど、オイラは若い頃、フィールドアスレチックで鳴らしたのですよ。

 体が軽くて、腕の力がそこそこあったから、ロープを登ったり、鉄棒にぶらさがってそのまま逆上がりしたりするのも難なくできました。

 ここのアスレチックは、テレビのサスケで見るような水上コースがあるのですか。池も結構深そうで、落ちると洒落にならないかも。

Ca3a1848

 しかも、ここには世界初の噴水迷路もあるそうですね。中に入らなかったから、どんなものかわかりませんけど…。

 チャレンジしてみたいと思いましたが、パンツまで濡れると帰りの電車で恥をかくので今回はやめておきました。

 年間を通じて花を楽しめる花ファンタジアや小動物と触れあえるポニー牧場、キャンプ場、立体迷路、ジャイアント・スロープなども興味あるアイテムもたくさんありました。でも、先を急ぐので外から見るだけ~。

 本気で遊ぶなら、一日でも足りないかもしれませぬ。と思いつつ、次の目的地、江戸川土手へと向かいます。

 かなり歩き、迷っちゃったかな~と不安になった頃、ようやく土手が見えてきてほっとします。
 
 そこは、総延長40キロにもおよぶサイクリングロード。見渡す限り、一人も見かけない。

Ca3a1856

 このあたりの川は、江戸時代、幕府によって開削されたそうな。その河川改修によって、野田に醤油生産の輸送経路をもたらしたらしい。

 江戸川が、醤油の町・野田発展の要因のひとつになったのですね。

 すがすがしい土手の遊歩道を2キロ以上も歩き、右手に野田橋を見ながらさらに行くと、左手に城の櫓が見えてきました。よく見ると、ちゃんと掘もあるっす。

Ca3a1863

 これが20年以上前に見て、今も記憶に残っている風景ですな。

 この櫓のような建物は、キッコーマンの御用蔵。この中で、宮内庁御用達の醤油が醸造されているらしい。

 ちなみにこの景観は、江戸川百景にも選ばれているとのこと。こういう建物を見ると、誰でも中に入りたくなるのでしょうけど、残念ながら見学はできないのでした。

 蔵の脇を通り、報恩寺の境内を抜けると、道を挟んでキッコーマン野田工場の製造第三部の施設が目に飛び込んできます。

 辺りは醤油の匂いが立ち込め、まさに醤油の街が実感できました。こういう建物群を眺めると近未来のSFをイメージしてしまうのですが…。

Ca3a1867

 ターミネーターが現れたら似合いそう。

 キッコーマンの野球場の脇を通ってさらに行くと、上花輪歴史館があります。

Ca3a1875

 ここは、キッコーマン創業者一族で、上花輪村の名主もあった高梨氏の江戸時代から昭和初期までの建造物、庭園、保管されてきた生活用具・醸造用具などが見られるそうなんですよ。

 古建築大好きオヤジとしては、是非見学したかったのですが、なんと休館中でしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~!!!

 全面改装とかで、今後もかなりの期間休館になるとのこと。

 屋敷の中に構掘を開削し、船着場を設けているそうで、それも見たかったのですが、仕方ないっす。また、いつか来る日もあるでしょう。

 上花輪歴史館の真向かいにあるれんが蔵は、やはりキッコーマン野田工場のもの。

Ca3a1874

 こちらは、昔ながらの杉桶仕込みの伝統的な醤油醸造が見学できるそうなのですが、残念ながらこちらも休館。

 でも、庭園の緑と赤レンガの建物のコラボは、いつまでも記憶に残りそうでした。

 そこから野田市駅に向けてひたすら町の中を歩きます。そして、駅のすぐそばにもキッコーマンの工場が…。

 駅前の景色は、町の中に工場があるというより、工場のなかに町があるような感じです。

Ca3a1878

 工場の門には、「もの知りしょうゆ館入り口」の看板がかけられている。400年の醤油の歴史と現在の製造工程などを映像やパネルを使って解説してくれるらしい。

 見学は無料ですが、予約制だと聞きましたし、時間がなかったので今回はパスしました。あとで、ネットで検索すると、アポなしでも見学させてくれるらしいのですが。

 次に向かったのは、キッコーマンの研究本部の近くにある野田市郷土博物館。

Ca3a1880

 郷土博物館ですが、やはり醤油に関する資料がほとんどですな。

 大正6年に茂木・高梨など野田と流山の醸造家8家が合同して、野田醤油株式会社、現在のキッコーマン株式会社が誕生したのですか。何でも、キッコーマンの商標は、経営者の一人が信仰する千葉県の香取神社の山号「亀甲山」と「亀は万年」をかけ、「亀甲萬」となったそうな。

 博物館が建つこの場所は、キッコーマン創業者一族である茂木佐平治の邸宅の跡だったとか。

 このお屋敷は、大正13年に築かれたその邸宅で、現在、市民会館として利用されているのですな。

Ca3a1885

 こちらも見学できるそうなので、中に入ると、広々とした屋敷の和室の襖が閉じられ、中から詩吟やカラオケの音が聞こえてきます。

 お年寄りのサークル活動に活躍しているのですか。庭園も保存公開されておりました。

 これにて本日のウォーキングコースは終了なのですが、野田市は近代化産業遺産の町としても知られているらしいのですよ。

 つまり、市内には明治から大正・昭和初期にかけての古い建物がたくさん残っているのですか。

 …ということで、街中をそぞろ歩きです。

 まずこの古い建物は、興風会館。

Ca3a1889

 昭和4年の建設当時は、千葉県庁に次ぐ大建築であったといわれ、平成9年に国の登録有形文化財に登録されたのですか。こちらも醤油醸造家の寄付によって誕生したらしい。

 こちらは、大正15年に建てられた茂木七左衛門邸およびレンガ塀。

Ca3a1894

 なんとキッコーマン創業の茂木家の本家にあたるのですか。豪壮な平屋建ての近代和風建築だそうです。

 そして、この屋根に青いビニールシートがかけられた建物。町を歩いていて、このような建物があっても、壊れそうな建物だな、くらいしか思わないかも。

Ca3a1897

 しかし、この建物はなんと、今や世界にはばたくキッコーマンの本社の建物だったそうなんですよ。

 大正6年から本社として使用され、昭和3年からは「春風館道場」として、社員の福利厚生施設や地域の柔剣道愛好家の交流の拠点として使われてきたのですか。

 キッコーマンのルーツの建物ということで、現在改装中でしたが、こんな小さな木造の建物から現在の大企業に発展したのですね。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力をお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新シリーズ「AYAちゃんの糖尿病事件簿」がはじまりま~す♪

 こんにちは。

 地球温暖化はどこへ行ったのか、というくらい寒い日が続きますね~。

 部屋の中にいても、しもやけができて足の指がかゆいっす。つらくても、これで北極の氷がとけるのが遅れればラッキー、と思って我慢している今日この頃です。

 もっとも日本の寒さが、北極や南極の氷に影響しているかどうかはわかりませんが…。

 しかし、この寒さの中でも、靴下をはかずに草履でペタペタ歩いて平気な人が知り合いにいたのですよ。

 さすがに、昔鍛えた人は違うと周りの人が噂していたら、なんと重度の糖尿病で入院してしまった。

 糖尿病が重くなると、足の感覚が鈍くなることが多いのです。ところが、本人はよほど病気が重くならないと気づかない。

 なんと、画びょうが足に刺さっているのに、夜、入浴するまで気づかなかったというケースもあるそうです。

 …ということで、最近、とくに急増しているのが糖尿病。

 2007年の国民健康栄養調査によると、糖尿病とその予備軍は2210万人と指摘され、前の年の調査から340万人もの増加となったらしい。

 現在では、中高年の4~5人に1人が糖尿病とその予備軍だと言われておりまする。

 当然注目度は高いのですが、意外と糖尿病についての正しい知識を持った人は少ないのかも。

 それはよほど悪化しない限り自覚症状がないということと、糖尿病が行き着く先である合併症の恐ろしさが際立つ割に、病気になるメカニズムがわかりにくいせいではないか、と…。

 実は、オイラの周りにも血糖値の高い人が増えているので、糖尿病予防の記事を書いてみようと思ったのです。

 そういえば、2年ほど前まで脳の病気シリーズで「医師と女子高生の会話から」という記事を月一で書いていたのですが、出版されたこともあって途中でストップしてしまったのでした。

 もう一度、再チャレンジの意味をこめて、AYAちゃんシリーズの糖尿病編を書くことにしましたぁぁぁぁぁぁぁ~


 題して、「AYAちゃんの糖尿病事件簿」。サブタイトルは、「~ 血糖値の上がったお父さんを救うため、女子高生AYAちゃんが糖尿病の謎に挑む ~」。

 今回は少し、ミステリータッチにしてみようかなと思ったのですね~。

 前回は、ほぼ月一回のペースでしたが、今回はお散歩ネタと交互にアップできたらいいのですが…。

 前回のシリーズをご存じない方にもう一度説明しますと、「脳の病気シリーズ・医師と女子高生の会話から」の登場人物は、病院の院長であるベテラン医師と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。


 AYAちゃんは、おじいさんが脳神経外科病院へ入院したことで、毎日お見舞いに通ってくる元気な女子高生。将来、看護師になることを夢見て、病院の院長先生から脳卒中のことを勉強するという設定でした。

 二人のイメージがわかないという方もいらっしゃると思いますので、オイラのイメージでイラストを描いて、ビジュアル化してみたのです。

 
 AYAちゃん(本名:松戸あや)

Ts362912

医療に興味を持ち、将来看護師になることを夢見ている元気な女子高生。おじいさんが脳卒中で入院したとき、毎日お見舞いに通っているうちに院長先生と仲良くなる。お父さんの血糖値のことで院長先生からアドバイスを受けることになったものの…。



  病院の院長先生

Ts362909

医学博士で、数多くの成人病の診察を行ってきたベテラン医師。
わかりやすい説明と気さくな人柄で地域の患者さんからの信頼は厚い存在だが、現代っ子のAYAちゃんにいつも振り回される。



 上のイラストは、一応オイラが描いたものですが、大学の漫画研究会出身としてはあまりうまくないかもしれませぬ。

 もっとも、「がきデカ」仕込みのギャグ漫画ですから、絵で勝負するというタイプではなかったのですが…。

 そういえば山上たつひこ氏も、絵にはコンプレックスがあったそうですね。オイラからすれば、あの少したどたどしい絵がいい味を出していたと思います。

 ストーリー漫画のリアルな表現で、「んがっ」とか「死刑!」とかやってもあまり面白くないと思いますし…。


 それはともかく、糖尿病の話。

 今のところ、書こうと思っているテーマは…

 「糖尿病って、何ですか?」

 「血糖値は、食事でコントロールできるの?」( 食べ過ぎない食事の仕方、ヘルシーなお勧めメニュー、低カロリーのおやつとその食べ方の研究)

 「血糖値は、運動でコントロールできるの?」(ダイエットに適した運動、ウォーキングを続けるための工夫)
 
 「糖尿病にならないための生活上の注意点」
            etc…。

 前回は少し思いつきで書いていた部分もあったのですが、今回は少しストーリー性も盛り込んで行きたいと思いまする。

 …といっても、あまり大したことはありませんので念のため。

 今回は、上記の二人のほかにも、新キャラクターが登場する予定ですよ。


 前置きはこれくらいで、早速、プロローグから…。



< プロローグ >                             


● AYAちゃん「先生、お久しぶりです。先日はどうもありがとうございました。これ、私が作ったんですけど、よかったらどうぞ」


 お久しぶり。何作ってきたの? お、ケーキか。じゃ、紅茶を入れてさっそくいただくとしようかな。ところでその後、おじいさんの具合はどう?


● AYAちゃん「おかげさまですっかりよくなったみたいです。今度、トライアスロンにチャレンジするんだって張り切っていましたから」 


 ちょっと、AYAちゃんの家族は皆、極端だから気をつけてよ。この前まで入院していたんだから。(AYAちゃんの作ったケーキを一口食べる先生)
 うっ、甘い…。


● AYAちゃん「甘いですか。砂糖を少し多めに入れましたからね。うちの家族は、味にメリハリがないとおいしく感じないんですよ。しょっぱいものはより辛く、甘いものはより甘く…」


 だからこの前、塩分は体によくないって、口をすっぱくして言ったのに。それにしてもこのケーキ、甘いだけじゃなく、妙にコッテリしているね。


● AYAちゃん「わかりますか、バターと卵とチョコレートをたっぷり入れてみました~♪」


 うっ、カロリー高そう。


● AYAちゃん「カロリーで思い出しましたけど、最近、うちのお父さんが太ってきちゃったんです」


 だろうね。AYAちゃんのお父さんは身長と体重はどれくらいなの?


● AYAちゃん「175センチで、今は体重が75キロくらいだって言ってました」


 (電卓を出して何やら計算する先生)するとBMIは、24.49か。一応、ギリギリで標準体重の範囲内なんだけど…。


● AYAちゃん「なんですか、BMIって」


 体格指数といって、標準体重を知る指標となる数値だよ。肥満度の判定は、次の数式で導き出されるんだ。


  体重(キログラム)÷身長(メートル)÷身長(メートル) =


 AYAちゃんのお父さんの身長は1.75メートルで、体重は75キロだから… 75 ÷ 1.75 ÷ 1.75 = 24.49 という計算式になる。数値が22なら標準体重で、18.5以上25未満なら普通。25以上は肥満だ。AYAちゃんのお父さんは、ギリギリだけど普通の体型ということになるね。


● AYAちゃん「お父さんが標準体重の範囲内なんですか。信じられな~い。若い頃より15キロも太ったって、お母さんがいつもブツブツ言ってますよ」


 標準体重は、身長(m) × 身長(m) × 22 で表されるから、AYAちゃんのお父さんの場合、1.75(m) × 1.75(m) × 22 で、67.375(キログラム)が理想だね。今よりあと8キロぐらいやせれば、より健康的な体型に近づくことになるんだよ。それにしてもお父さんは、15キロも太っちゃったんだ。 


● AYAちゃん「先生も、人のこと言えないんじゃないですか?(先生の腹をチラッと見るなっちゃん)」


 残念ながら、私の場合は昔から小太りなの。この腹の肉も内臓脂肪じゃなくて、皮下脂肪だからね。


● AYAちゃん「確かにやわらかそう。ところでお父さんですけど、この前の健康診断で、血糖値が高めって言われたみたいなんですよ」


 AYAちゃんのお父さんも、いよいよ予備軍に入隊か。


● AYAちゃん「何ですか?予備軍って」


今、血糖値が高めの人が急増しているんだ。血糖値が高い状態をほっておくと、糖尿病になる可能性が高まる。ある調査によると、日本人の成人の6人に1人が糖尿病か、その予備軍にあたると言われているんだよ。


● AYAちゃん「何だ、そういうことですか。血糖値が高いとビリー隊長のキャンプかなんかに入れられて強制的にトレーニングさせられるのかと思っちゃいましたよ」


(次回は再来週(予定)、「第1章 なぜ、お父さんの血糖値が上がったの?」に続きます)

Ts362920

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力をお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

関東七名城・唐沢山城 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 なんと、今年もすでに花粉症の症状が…。

 流行に後れることにかけては人後に落ちない自信があるのですが、花粉症だけは毎年、流行の最先端をいっているような。

 今年は果たして生還できるのかと恐怖心に慄く今日この頃です。

 さて、今回行ったのは栃木県の唐沢山。

 以前、同じ栃木県の佐野市へ行ったとき、市内の佐野城址を訪ねたのですよ。そのとき城主の佐野氏が、その前は近くの唐沢山に巨大な山城を構えていたのを知りました。

 佐野城は比較的小さな城ですが、唐沢山城は関東七名城のひとつに数えられるのだとか。戦国時代には上杉謙信の十度にわたる攻城をことごとく退けたそうですね。

 ちなみに、関東七名城とは、太田城、宇都宮城、唐沢山城、金山城、前橋城、忍城、川越城のこと。

 唐沢山城へ行けば、あと行ってない城は常陸の国、今の茨城県の太田城だけなのですね~。

 唐沢山城は関東地方の古城には珍しく、高い石垣が築かれているそうな。城好きとしては、是非一度攻め入るしかない、と…。

 …ということで、オイラは唐沢山からほど近い、東武佐野線田沼駅にやってきました。

 田沼といえば、田んぼと沼が多い土地だったのかなとイメージしますが、歴史好きが思い浮かぶのは、江戸時代の老中、田沼意次。

 この土地は田沼意次の領地ではなかったそうですが、田沼家発祥の地だそうですね。

 オイラが学んだ歴史の教科書や授業では、賄賂政治が横行し、どちらかといえば田沼意次は悪人だというイメージでした。

 賄賂はもらったかもしれませんが、商業資本を重視した経済政策を行って、結構活況を呈した時代でもあったらしい。

 自由な気風のなか、貿易や蘭学を奨励して、有名な「解体新書」や北海道の探検なども積極的に行われたのですな。

 ところが田沼が失脚すると、老中に就いた松平定信が寛政の改革を行う。

 この改革は、庶民の着物の柄まで制限するほどの質素倹約な方針だったそうですね。

 今だったら、庶民は地味な色の服しか着ちゃダメ!みたいな。

 制限されれば、本来は地味好みな人でも派手な服を着たくなるのが人情。

 江戸時代の着物を見ると、表は地味なのに裏地は恥ずかしくなるくらい派手な柄があったりしますけど、やっぱしこの反動なのでしょうか。

 当時の庶民気持を表した有名な狂歌がありましたね。

白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

 田沼意次は、むしろ現代人の感覚に近い開明的な人物であったのかも。

 
 それはともかく、日本史に大きな足跡を残した人物ゆかりの土地なのに、駅前に「田沼意次」の「た」の字もありませぬ。

 本来なら、「意次まんじゅう」とか「意次Tシャツ」とか、売っていても良さそうなのに…。

 やはり、田沼意次=賄賂というネガティブなイメージがあるからなのでしょうか。

 それを逆手に取って、「取引先や上司への付け届けに最適・意次まんじゅう」なんて商品を作ったら話題にのぼるかも。

 二重底になっていて、小判を収納できるスペースがあったりして…。

 冗談はさておき、田沼意次への非難は、江戸時代の保守派が作り上げたもので、実際は、幕府の改革へ信念をもって取り組んだ政治家なのだと思います。

 小泉元首相の改革が、後世にどのように伝わってゆくか興味がありますね。


 そんなことを考えつつ、駅前から踏切を渡り、唐沢山へ向かって歩きます。

 車が行き交う車道を横目に歩き、国道を越え十五分ほど歩くと、大きな川が見えてきました。

 河原の右手にひろがる小高い山が唐沢山。つまり唐沢山城址なのですな。

Ca3a1773

 木が山を覆い尽くしているから、言われなければ城跡とは気づかないでしょう。

 むしろ山の形状としては左に聳え立つ山のほうが山城みたいだったりして…。

Ca3a1776

 さあ~、いよいよ唐沢山城を攻略するぞ!と意気込んだのですが、左手に新しい公園ができているようなのでとりあえず行ってみることにしました。

 そこは広い芝生広場になっていて、微妙に盛り上がった場所があります。

Ca3a1777

 おお、これは土塁じゃないですか。

 どうしても山城は、山の頂上に注目してしまいがちですが、当然山麓にも遺構はあるはず。

 土塁があるということは、城主の平時の御殿があった場所でしょうか。

 山城といえば八王子城も有名ですが、山麓に広い御殿の跡が今でも残っていますね。

 芝生広場の奥に立つと、はるかに田沼の町並みを見下ろすことができました。

 寄り道してよかったと喜び、唐沢山神社の石の鳥居を左に見ながら、車道を登ります。

 カーブ2という標識のところで舗装道路から離れ、岩と落ち葉の山道に入ります。

 ここから先は、つづら折りの急な山道。

Ca3a1782

 つづら折りになっているということは急斜面なわけで、上杉軍をはじめとする攻城方は登るだけでも苦労したでしょうね。

 しかも、当時は、上から敵が矢を射かけてきますから。

 なんとか襲撃を受けずに登り切ると、広い駐車場があり、その先にレストハウスがありました。

 のどが渇いたから、自販機で缶コーヒーを買ったのですよ。取り出した瞬間、缶の横からコーヒーがシューッと勢いよく吹き出したのです。

 すわっ、敵の奇襲か、とまわりをキョロキョロ眺めて臨戦態勢に。

 オイラのただならぬ様子に、親切そうなレストハウスの人が出てきて、缶コーヒーのお金を返してくれました。

 そのお金で、別の缶コーヒーを買ったのですが、何で缶に穴が開いていたのでしょうね。標高が高いから気圧の関係で、ということはないはずですが…。

 レストハウスの前は、唐沢山城の虎口(入口)になっていて、小ぶりではありますが桝形の配置が確認できます。

Ca3a1788

 近くに物見台跡と標示があったので、高いところが好きなオイラとしては条件反射で足が向かいました。

 天狗岩とも言われる場所だけあって、足もとは岩場。

 そこに立つと、まさに物見の絶景が広がっておりました。晴れた日には、ここから東京の高層ビル群が眺められるそうですね。

Ca3a1792

 城があった当時には、江戸の火事がここからでも確認できたそうな。

 行った日は、晴れてはいたのですが靄がかかっていて、はるか彼方を見通すことはできませんでした。

 下に降り、城跡案内図を確認して、攻城の計画を練ります。
 
 唐沢山城は、標高247メートルの山頂を本丸とし、一帯に曲輪が配された連郭式の山城。

 当時の縄張りがかなり残っているのは、山頂に神社があるからでしょうか。

 ただ、神社が作られたのは明治時代だそうですね。祭神は、平将門を討った武将として有名な藤原秀郷。

 …というのも、この城の城主であった佐野氏の祖先は藤原秀郷で、彼が平安時代にこの山に城を築いたのが始まりなのだとか。

 その後、秀郷は、従四位下の官位に進み、下野守、武蔵守、鎮守府将軍となったそうですから、この地は関東の中心としても栄えたのでしょうね。

 鳥居をくぐり、いよいよ城の中心部へと足を進めます。

 オイラがまず注目したのは、左手にあるでかい池、と思ったらこれは井戸ですな。

Ca3a1796

 直径8メートルもある井戸で、満々と水をたたえており、当時から水が枯れたことはないのだそうな。

 山城の弱点は水が不足することですが、これだけの水の量ならかなりの兵がこの城に籠城しても賄うことができるでしょうね。

 ただ、本丸や二の丸、三の丸の外にあるので、敵に井戸が渡ったらと言う不安はありますが…。

 さらに行くと、空堀があって石橋がかかっています。

Ca3a1801

 この堀は四つ目掘と言い、主郭である三の丸以上の曲輪と外曲輪を隔てるものですな。

 防御上もっとも重要な堀なので、当時はもっと深くて広かったはず。

 三の丸は、左手の土塁上に広がっています。

Ca3a1802

 解説板には、来客をもてなす場所と書いてありましたが、やはりここにも御殿のような建築物があり、さまざまな用途に用いられたのでしょう。

 三の丸もかなり急な土塁上にありましたが、三の丸のうえの二の丸も急峻な土塁の上にあるのですよ。

 戦国のスーパースター上杉謙信の猛攻に持ちこたえた理由も納得できました。

 ここから二の丸へは上がらず、いったん参道へもどり、本丸へと向かいます。

 一般の人は神社へ参拝するのですが、城ヲタクにとっては当時の城の姿しか頭にありませぬ。

 参道は、桜の馬場といって、当時は馬を調練する場所だったとか。

Ca3a1804

 どの山城にも、馬場と呼ばれる場所が残っていますから、戦と馬、城と馬は現代人が考えるよりもっと密接な関係にあったのかもしれませぬ。

 参道の左手は急峻な土塁や石垣が聳え、右手は垂直に切り立った崖。上から矢を射掛けられたら逃れる場所がにゃ~い。

 オイラの体に矢がブスブスと突き刺さる情景がフラッシュバックし、思わず額から冷や汗が流れます。

 神社へお参りするお年寄りたちは、そんなオイラを眺め、まだ若いのにこんな山道で息が上がっているのかと気の毒そうな顔をして追い抜いて行きました。

 そしていよいよ本丸に建つ、唐沢山神社に到着。

Ca3a1811

 高石垣に囲まれた本丸は、関東七名城の名に恥じない威厳が感じられました。

Ca3a1807

 ただ、明治時代に神社が作られたとき作られた石垣もあるそうなのですが…。

 城跡マップを見ながら、当時の縄張りをイメージするのが城跡散歩の醍醐味のひとつ。

 ただ、神社へお参りすることを忘れてしまい、あとで引き返してお参りすることに。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力をお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »