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佐倉惣五郎・佐倉義民伝のふるさと ウォーキングストーリー

 おはようございます。

 突然ですが、佐倉惣五郎という人物をご存知でしょうか。

 今回の記事を書くために、ヤフーとグーグルで「佐倉惣五郎」を検索してみたんですよ。オイラが調べた日では、ヤフーが約28000、グーグルでは約1万件の検索結果でした。

 思っていたより少ないのにびっくりです。何百万件とはいかないまでも、当然、何十万件の検索結果はあると思っていましたから。

 オイラが子供の頃、何で知ったかということは忘れましたが、いろいろな媒体から「佐倉惣五郎」という名前が耳に入ってきました。

 そういえば、何気に最近はあまり聞かなくなったような。あまり話題には上らなくなったのでしょうかね。

 ちなみに、佐倉惣五郎は「義民」と呼ばれた人物。義民とは、正義・人道のために一身をささげる民だと広辞苑には載っております。惣五郎は、江戸時代前期、下総国印旛郡公津村の名主を務めていたとか。公津村は現在でいうと、千葉県の成田市にあたるらしい。

 佐倉惣五郎なのに佐倉市ではなく、成田市にお住いだったのですか。

 伝説によると、公津村は当時、佐倉藩領で、藩主の堀田氏が悪政をしていたそうな。名主であった惣五郎は、藩や江戸のお役人、幕府の老中にも対策を訴えたが聞き入れられず、なんと将軍徳川家綱に直訴したと伝えられておりまする。

 その結果、悪政は改められたものの、惣五郎夫妻は磔。そればかりか子供たちも死罪となってしまった。

 今で言ったら、県知事をはじめとする県のお役人の悪政を総理大臣に直訴したら、一家すべて死刑になるということですかね。

 現代も、いろいろな問題点はありますが、江戸時代に生まれなくてよかったと感じる今日この頃です。

 もっとも、上記の話を証明する資料は見つかっていないそうなのですが…。

 でも、民衆の声を政治に生かすという発想自体、当時としては画期的なことだったのでしょう。

 先日、お役所の会議に出席して、現場のことは何も知らないくせに口ばっかり達者なお役人に言い負かされたオイラとしては、偉大な佐倉惣五郎を見習うためにも、彼の足跡をたどることにしたのでした。

 ウォーキングのスタートは、京成電鉄の宗吾参道駅。

 宗吾というネーミングは、佐倉惣五郎に由来しているらしい。私鉄の駅名にもなっている人物なのに、グーグルの検索結果が1万件なのは合点が行きませぬ。

 …と思って、駅を出ると、駅前にはコンビニどころか、一軒のお店もないのでした。

 昼食は、コンビニで弁当でも買ってすませようと考えていたので、急に不安になります。

 それでもさすが参道というだけあって、灯篭や立派な門が出迎えてくれました。缶コーヒーを自販機で買い、それを飲みつつ長い坂道を登ります。

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 駅から10分と少し歩いて見えてきたのは、由緒ありそうなお寺と土産物店がならぶ境内。ここが宗吾霊堂っすね。

 食べ物を売っていたのでほっとして境内に足を踏み入れると、右側に立派なお墓がありました。

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 これが佐倉惣五郎親子のお墓なのですか。

 …とお参りして、お墓のまわりをぐるっと回ってみると、まわりの石塀の壁に寄付した人たちの名前が刻まれておりました。

 でも、東京の亀戸や深川の商人の方たちはわかるとして、明治時代? つまりお墓は、ずっとあとになって整備されたみたい。

 仁王門をくぐり、まず本堂にお参りします。

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 一般に宗吾霊堂と呼ばれていますが、義民佐倉惣五郎を祀る霊堂があるからで、本来は、東勝寺という真言宗のお寺らしい。寺伝によれば桓武天皇の勅命により、坂上田村麻呂が創建したのだとか。

 佐倉惣五郎の死罪ののち、佐倉藩藩主の子孫が、宗吾道閑居士の法号を与えて冥福を祈ったことから、宗吾様と呼ばれるようになったのですね。

 境内にはほかにも、宝物館である霊宝殿や惣五郎の生涯を66体の人形と13の場面で再現したという御一代記念館がありました。

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 さきほど、資料では惣五郎が一揆や直訴を行ったという記録はないと書きましたが、霊宝殿には、「惣五郎」という有力農民がいたことを示す「公津村名寄帳」があるそうですよ。

 これらの施設は、二十年以上前に来た時、見学したのでパスしましたが…。

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 佐倉惣五郎が死罪になったのは江戸時代初期ですが、江戸時代晩期から明治時代にかけて義民・佐倉惣五郎が大ブレイクしたのですか。

 それは、歌舞伎の影響があったようですね。1851年に上演された新しい演目「東山桜荘子」の主人公は、佐倉惣五郎をモデルにした浅倉当吾。

 百姓一揆をテーマにしたこの作品は、予想をはるかに超える大ヒットとなり、またたく間に日本中に広まったらしい。

 そういえば忠臣蔵が現代にも広く人気を集めているのは、歌舞伎の貢献度が高かったと聞いたことがあります。

 当時は、江戸幕府から同じ時代の武家社会の事件を上演することは禁じられていたため、幕府をはばかり、別の時代の人物を登場させていたとか。

 ガチガチの封建社会で、庶民の不平不満の捌け口にもなっていたのでしょうか。

 明治以降も、惣五郎を主人公にした歌舞伎の人気は衰えず、頻繁に上演されて、佐倉義民伝として不動の地位を確立したのですな。

 境内には、福沢諭吉の発意による宗吾顕彰碑など多数の石碑もありました。

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 福沢諭吉など明治の自由民権活動家は、彼らの主張の先駆者として惣五郎をとりあげたらしい。

 キリストの受難もそうですが、やはり民衆のために自らの命をささげるというシチュエーションは、長く人々の心に残ります。

 惣五郎の同時代の人たちで、幸せに余生をおくった名主さんたちも大勢いたはず。

 そういう人たちも今では惣五郎と同じ天国に行ってしまったわけですが、今となってみると、果たしてどちらが幸せだったのだろうか、と…。

 亡くなってから350年たった今でも、お墓に手を合わせに参拝に来る人は引きもきらず、今でも歌舞伎でその徳を湛えられているのですからね。

 なんだかうらやましいニャーと思いつつ、とは言え磔になるのも嫌だし…。

 でも、人類の歴史から考えたら、少しくらい長く生きるか、早く死ぬか、なんて無きに等しいものだし…

 …と、究極の選択に迷いつつ、次の目的地を目指します。

 広い田んぼがあったり、深い木々に囲まれた森があったりと、近くに新東京国際空港があるとは思えない景観ですね。

 そして麻賀多神社に到着。

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 鬱蒼とした森に抱かれた境内に足を踏み入れると、霊気を肌で感じました。

 この神社は由緒がありそうだと思ったら、なんと今から1700年前、応神天皇の時代に創始したと言われているそうな。その後、推古天皇の時代に、現在の稷山に新たに宮殿を建て麻賀多大宮殿と称されたらしい。

 どの神社の由緒にも、古いというキーワードの言い伝えは残されているものですが、こちらの神社にはその生き証人ともいうべき、樹齢1000年とも、1400年ともいわれる大杉が聳え立っているのでした。

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解説板によると、当時植えられた大杉は、現在、その太さ約八メートル、高さ四十メートル余り。最近では特に、不老長寿祈願の御神木として崇拝されているらしい。昔から多くの祈願が行なわれ、大願成就前には梢より霊光が輝き、神のお告げがあるそうなんですよ。

 やはり、不老長寿と聞いては、黙って見過ごして帰るわけにはまいりませぬ。

 しっかり、大杉さまに祈願したのでした。ただ、残念ながら、梢より霊光が輝くことはなかったのですが。

 麻賀多神社の近くにある室町時代に開山されたという超林寺にお参りし、いよいよ宗吾旧宅へと向かいます。

 なんと、佐倉惣五郎の生家が残っているそうなんですよ。しかも、現在も子孫の方たちが住んでいらっしゃるそうです。

 細い道をおりてゆくと、左手に「宗吾旧宅」の看板が…。道の傍らには満々と水を湛えた井戸。

 この井戸は、惣五郎が直訴の前に、親子で別れの水盃を行ったときに使用した水を汲んだそうな。

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 そして、近くには屋敷森に抱かれるように古い旧家が建っておりました。

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 おお、これが義民佐倉惣五郎さまの住んでいらっしゃったお宅なのですね~。

 同じ敷地に、子孫の方たちの家が建っていたので、中に入るのは遠慮したのですが、名主さまのお宅としては多少慎ましやかな気がしました。

 古民家を見て歩くのも趣味の一つですが、お城の御殿のような名主様の豪邸を見たこともありますので。

 やはり、日頃から慎ましやかに暮らしていて、当時の農民たちの苦しみを自分のことのように感じていたのでしょうか。

 惣五郎の旧宅の前には、広い田んぼが広がっていました。

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 そこから、次の目的地、薬師寺までは見渡す限りの田んぼの中の道を歩いて行きます。

 直射日光がすごいのに、日陰がまったくないっす。

 紫外線は活性酸素を発生させ、老化を促進するんだったよな、と去年出版した本の中のフレーズが頭をよぎります。

 実際、家に帰って鏡を見たら、顔が日に焼けて真っ赤になっていたのですね~。

 道に迷いつつもようやく薬師寺に到着。小さなお寺でしたけど、朱塗りの仁王門の中には鎌倉時代の仁王像と金剛力士像がありました。

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 思ったより小さくて、怖いというよりかわいい印象でしけど。

 薬師寺から、六地蔵の前を通り、小高い丘のうえの勝福寺からの展望を楽しみ、根山神社にお参りして、最後に向かったのは甚兵衛渡公園。

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 今では何の変哲もない公園ですが、ここはかつて水神の森といって、渡し船の船着き場があったそうなんですよ。

 この渡し場から、佐倉惣五郎は、江戸へ直訴するために舟に乗ったのですか。禁を破って印旛沼の対岸まで送りとどけた渡し守の甚兵衛は、その後、印旛沼に身を投じたといわれています。

 悲劇の名シーンですが、伝説だとも言われているらしい。

 NHKの「おしん」や最近の「坂の上の雲」にも、小船と別れのシーンがありましたね。やはり水と船には、人の琴線に触れる何かがあるようで。

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