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曽我兄弟の里、曽我梅林 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今日は、前々回の「曽我の里ウォーキング」の続きです。

 前回は、ちょっとした不注意から、全力疾走をせざるを得ない状況になってしまったのでした。

 春になると毎年、頭がぼーっとして失敗するのはやはり花粉のせいですな。

 今年は花粉の飛散量が少ないようで、現在は、ほとんど症状はございませぬ。でもまた、毎年恒例の花粉症の失敗談が…。

 先日、都心を歩いていて道を聞かれ、また間違った方向を教えてしまったのですよ。

 会社訪問の学生さんみたいで、急いでいるらしく、オイラが指差したほうへ走り去って行ったのでした。

 そのすぐあと、脳の回線がつながって自分の間違いに気づいたのです。

 オイラのせいで時間に遅れ、不採用になったら大変!!!

 …と、全力疾走で学生さんの後を走って追いかけました。

 すると、前方からさっきの学生さんがこちらへダッシュしてくるのが見えました。

 わっ、早くもオイラにリベンジか…。と身構えたら、横をそのまま全速力で駆け抜けて行ったのです。

 どうやら、道を教えたとき、オイラの目の焦点が合っていなかったようで、不審に思って別の人に聞いたのでしょうね。

 当然、その日は一日、自己嫌悪に陥ったのでした。

 外を歩いていると、結構、オイラは道を聞かれることがあるのです。

 傍から見ると、わりと道を知っているオヤジに見えるのかも。

 ところが、今は花粉の影響もあるのでしょうけど、もともと頭のなかに地図がインプットされていないのですね~。

 都心で道に迷うことは滅多にないのですが、それは動物的な感覚でつかんでいるといいますか。

 サバンナの動物は恐らく、地図を頭の中で思い描いていないはず。自分の生まれた川へ戻ってくる鮭だってたぶん同じだと思います。

 そんなオイラに道を聞いても、わかりませんよ。

 今度から『オイラは道に詳しくありません』という標識をぶら下げて歩こうかと思う今日この頃です。

 自己弁護はともかく、お散歩ネタでした。


 のどかな景色を見ながら歩き、丘の上にある天津神社にお参りしてから、かつて曽我郷六か村の総鎮守だった宗我神社へ向かいます。

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 境内の雰囲気から、さすがに歴史がありそうだと思ったら、創建は平安時代の1028年ですと。大和国からこの土地に移住した、宗我播磨守保慶が故郷にある氏神である蘇我明神を祀って建立したそうですね。
 
 戦国時代には、小田原城主だった大森氏によって小田原城の鬼門を守る神社として崇敬されたのだとか。

 大森氏といえば、北条早雲が小田原城を攻略したときの城主。相模を歩いていると、さすがに北条氏の噂はよく耳にします。でも、その圧倒的なスター性の前に、北条氏以前の大名がかすんでいるような。

 勝ち組といわれる大名よりも、負け組みといわれる大名のほうに親近感がわく今日この頃。

 藤原時代の木彫薬師三尊があるという法輪寺にお参りし、仇討ちで有名な曽我兄弟ゆかりの城前寺へとやって来ました。

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 このお寺は、曽我兄弟の菩提寺だそうですね。

 「曽我物語」を調べてみると、源頼朝が鎌倉幕府をひらいた1193年に事件が起きたそうな。

 頼朝をはじめ幕府の御家人が集った富士の裾野の巻狩りの際、曾我十郎祐成・五郎時到兄弟が、父河津祐泰の仇である工藤祐経を襲撃し討ち果たしたそうなんですよ。

 何でも、河津祐泰と工藤祐経との所領争いがあり、祐経が祐泰を暗殺したという発端があったみたい。

 これだけ有名な物語になったのは、仇討ちに成功してめでたし、めでたしにならなかったからかもしれませぬ。

 なんと曽我兄弟は、工藤祐経を討ち取った後、源頼朝の襲撃を企てたとか。

 当然といいますか、兄弟は頼朝の護衛の武士たちによって殺されてしまった。ちなみに、兄は22歳、弟は20歳だったそうです。

 なぜ、仇討ちに成功したのに頼朝を襲ったかということですが、詳しいことは定かではありませぬ。

 一般には父が暗殺されたときの頼朝のお裁きが喧嘩両成敗ではなかったからと言われているようですが…。

 そういえば、忠臣蔵も喧嘩両成敗の原則が適用されなかったのが、仇討ちの理由のひとつでしたね。

 でも、頼朝がいなくなって喜ぶ人たちも、幕府にいたのではないかという意見もあるようで。

 何と言っても、北条政子という、とかく噂のある奥さんもいましたし…。

 その真相究明は、歴史の先生たちにお任せして、オイラが気になったのは、お寺の名前のほうでした。

 城前寺って、城の前にあるお寺という意味ですかね。

 …とイメージしたら、まさにどんぴしゃりのネーミングなのでした。

 曽我城という城が、このお寺の近くの台地上にあったそうです。

 もちろん、鎌倉時代以前の城跡ですから、城館といったほうがいいと思いますが。

 お寺のまわりを歩いてみると、そう思って眺めるとちょっとした窪みが空堀の跡のようにも見えるのですが、正直よくわかりませんでした。

 ただ、お寺の裏に曽我兄弟の供養塔があり、解説板によると供養塔の前の土が盛られている部 分は、曽我城の土塁のあとだとありました。

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 この部分だけ盛り土が残っているだけなので、残念ながら当時の縄張りはわかりませぬ。

 ここから先はハイキングコースになっていて、かなりの急坂が続きます。

 道は広くて歩きやすいのですが、急勾配のためにつづら折になっておりまする。

 朝の全力疾走で体力を使い果たしたオヤジには、相当こたえる上り坂でした。しかも、あきらかにオイラより年上と思われる中高年のグループも、元気に登っている。

 さすがに、いくら元気といっても60歳代の方たちに抜かれるわけには参りませぬ。

 一息入れるときは、見栄を張って、写真を撮る振りをしたり…。

 でも、実際、眼下に広がる美しい景色は、そんなオイラの演技が嘘でないことを証明してくれました。

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 遠くは霞がかかっていますが、ところどころ白とピンクの梅の花が田園地帯に彩を添えます。

 ひたすら坂道を登り、もう休まないとヤバイと思った頃、左手に曽我祐信宝篋印塔が見えました。曽我兄弟の義父である祐信の供養塔と伝えられていますが、実際はわからないらしい。

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  でも鎌倉時代の様式で作られていて、市の重要文化財にも指定されているのですな。

 フムフムと、塔を眺めていたら、先ほどのグループがもう登ってきて、オイラを追い越していきました。

 全然、休まないのですか。ひょっとして、運動不足の若者たちより健脚かも。

 ウサギと亀の気分でふたたび、ハイキングコースに戻り、先を目指します。

 ガイドブックによれば、ここから六本松と呼ばれる峠道はすぐなのですが、今まで以上の急坂が待っていたのです。

 ずっと先まで続く山道に、何じゃこりゃ~と、松田優作のまねをして叫んでも、キキキとうけるのは野鳥ばかり…。

 あとで調べたら、通常のウォーキングコースが工事中で、迂回路を通ったのですね。

 距離的には3倍近くありましたが、距離よりも高低差がきつかった。

 それでも、道の途中から眺めた相模湾や輪郭がぼんやり浮かぶ富士山の景色は圧巻でした。

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 行った日は、遠くに靄がかかってあまり視界がきかなかったのですが、霧がなければ富士山と伊豆半島、相模湾のコラボを満喫できたでしょうね。

 ヒーヒーいいながらもようやく目的地の六本松に到着。

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 六本松は、曾我山の峠道で、かつて六本の松があるからこの名がついたとのこと。ここは鎌倉時代、近くの豪族の館と鎌倉を結ぶさまざまな街道が交わる重要な場所だったそうですね。

 …といわれても、これだけ苦労して、石碑と新しく植えられた松だけっすか、という気になりましたが。

 でも、ここから先は、急な下り坂。走ったら、止まらなくなりそう。

 こんな高低差を登ってきたのだと感慨に浸りながら降り、平地に差し掛かった頃、左手に有名な銅像が見えてきました。

 なんで学校もないのに二宮金次郎の銅像が、と思ったら、この近くに金次郎の母方の実家があったらしい。

 その後、二宮尊徳となり、実家の復興にも貢献したそうな。尊徳に仕えていた実家の三兄弟の次男が遺髪をもちかえり、その遺言によって昭和13年に塚が築かれたと解説板にありました。

 そういえば昨年、小田原へ行ったとき、さかんに二宮尊徳のお話を耳にしたのでした。一応ここも、小田原市内ですからね。

 そこから県道に出て、曽我兄弟の母とされるお墓のある法蓮寺にお参りした後、また曽我梅林へ。

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 ここ別所梅林は、3つからなる曽我梅林のなかで一番広いのですか。

 さすがに、車で来る人のために駐車場も完備されていて、平日でもかなりの賑わいでした。

 広々としていて、山の緑をバックにすると白い可憐な花はよく似合いますね。

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 こういう、しだれ桜みたいなゴージャスな雰囲気の梅もあるのですな。

 梅干とかも売っていて、梅を見ながら条件反射でつばが出てくるのでした。

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お父さんの血糖値の再検査の結果は…。~医師と女子高生の会話から~

 こんにちは。

 今日の午前中は、久しぶりに図書館へ行ってきました。

 ご近所ではなく、電車に乗ってゆく、少し遠目の図書館です。

 こちらの図書館は、蔵書が多いのが魅力ですが、何と言っても公園の中に近代的な建物があるのがいいですね~。

 今の季節は、桜が満開ですから、お花見とコラボで楽しめるのがグー。

 さっそく写真を撮ったのですが、パソコンに取り込むUSBケーブルが手元にないので、またの機会に…。

 図書館へは、仕事で使う本を調べるために行ったのですが、閲覧室では多くの人が勉強していました。

 思ったより学生さんが少ないのは、受験シーズンが終わったからでしょうか。

 それと反比例して、オヤジと大人の女性が熱心に問題集と取り組んでいましたね。

 やはり不況だし、資格を取得してキャリアアップを図ろうとしているのかも。

 そういえば最近、あまり気合を入れて勉強していなかったことに気づく今日この頃。

 4月だし、なんか新しいことにチャレンジしたいっす。

 …が、しかし。すぐ新しいことに飛びつくくせに、あまり長続きしないのでした。

 意外と飽きっぽい性格なのですが、ブログだけは低空飛行を続けながらも、何とか更新できているのは、皆様のおかげと感謝しております。

 

 …ということで、今日はまた、「AYAちゃんの糖尿病事件簿」です。

 この「糖尿病シリーズ」。

 ほぼ隔週で、お送りしています。

 前回は「血糖値の再検査って、どんなことをするの?」という話題を取り上げました。

 今日が始めての方、この記事に興味のある方は、先に「心と体」のカテゴリのなかにある前回、前々回の記事をお読みいただければ幸いです。

 今日はその続きです。
 
 登場人物は、病院の院長先生と現役女子高生のAYAちゃん(松戸あや)の二人。

 AYAちゃんは、将来、看護師になることを夢見る元気な女子高生。

 血糖値の上がったお父さんを救うため、糖尿病について勉強しているという設定でしたね。
  
 前回、「血糖値の検査」について勉強したAYAちゃん。今日は、お父さんの血糖値の再検査の結果が話題になります。

 それでは…。


4.お父さんの再検査の結果は…。 ~ 一夜漬けの減量を見抜く方法 ~



● AYAちゃん「(2週間後、ニコニコ笑いながら先生の部屋に入ってくるAYAちゃん)先生、こんにちは。先日はどうもありがとうございました。お父さんの検査結果が出ましたよ」


 お、久しぶり。その顔だと、検査の結果がよかったみたいだね。


● AYAちゃん「へへへ、おかげさまで、お父さんの血糖値が下がりました~♪ それでお祝いということで、またケーキなど焼いてみたのですけど、よかったらどうぞ」


 おお、悪いね。じゃ、コーヒーでも入れてさっそくいただくことにしよう。ところで、お父さんの血糖値はどれくらい下がったの?」


● AYAちゃん「一応、検査表を借りて来たんですけどね。(ショルダーバッグから検査表を出して先生に見せるAYAちゃん)どうです?かなり血糖値が下がりましたよね」

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 ( 見難くてすいません )


 ふむふむ。空腹時の血糖値が110mg/dlで、ブドウ糖溶液を飲んでから2時間後の血糖値が、142mg/dlか。 確かに、前回の空腹時の血糖値が123mg/dlだから、下がったね。


● AYAちゃん「先生はこの前、血糖値の正常範囲が、空腹時で110mg/dl未満、2時間後が140mg/dl未満だっておっしゃっていましたよね。これなら、もう正常に戻ったと言ってもいいんじゃないですか?」


 この血糖値の数字で見る限り、ちょうど正常領域と境界領域の間ぐらいだね。(AYAちゃんの作ったケーキを一口食べる先生) うっ、甘い。


● AYAちゃん「甘いですか…。血糖値が下がったお祝いだから、ケチケチしないで砂糖を少し多めに入れたんですよ。お父さんも検査前は頑張りましたからね。ご褒美をあげようと思って」


 ずいぶん頑張ったというのはわかるよ。試合前のボクサー並みの減量をしたんじゃないかな。


● AYAちゃん「どうしてわかったんですか。途中でお父さんが、『これじゃ、力石になっちゃうよ』って弱音を吐いてましたけど。ところで、力石って誰ですか?」


 昔、伝説のプロボクサー、矢吹ジョーと戦って死んでしまった力石徹というボクサーがいたんだけどね。それにしても、このケーキは甘いだけじゃなく、妙にこってりしているね。


● AYAちゃん「わかります?バターとチョコもケチケチしないでたっぷり入れてみました~♪」


 う、カロリー高そう。当然、このケーキはお父さんも食べたんだよね。


● AYAちゃん「もちろんですよ。1週間の減量で、フラフラになっていましたから、検査が終わった晩はおいしい、おいしいって、3回もお替りしたんですよ」


 ちょっとAYAちゃん。せっかく喜んでいるのに水を差すようで悪いけど、この検査結果は「境界型」だよ。糖尿病は、境界型の状態を経て発症するんだ。今のままの生活を続けていると、糖尿病になる可能性が高いということだよ。


● AYAちゃん「(少しムッとして)境界型かもしれませんけど、限りなく正常型に近い数値じゃないですか。もうゴールは目の前ですよ」


 そう来ると思った。一時的に節制して血糖値を下げても、今計ったら上がっているかもしれないよ。この検査結果が出たあと、これからも注意したほうがいいと言われたと思うけど。一夜漬けで血糖値を下げたのはバレバレだし…。


● AYAちゃん「(ギクッ)ど、どうして、一夜漬けだってわかったんですか?」


 検査表の中のヘモグロビンA1Cの数値を見たんだよ。この正常値は、4.3~5.8パーセントなんだ。AYAちゃんのお父さんは、6.3パーセントと、血糖のコントロールが良好とは言えないからね。


● AYAちゃん「それだけで、どうして検査の前に必死で減量したってわかっちゃうんですか」


 空腹時の血糖検査がそのときの血糖値の状態を調べるのに対し、ヘモグロビンA1Cは過去1~2ヶ月の平均的な血糖の状態を知ることができるんだ。だから一時的に節制して血糖値を下げようとしても、長期間の血糖コントロールの状態がわかってしまうんだよ。


● AYAちゃん「それならもっと早く教えてくれればいいのに。どうしてそんなことがわかるんですか?」


 ヘモグロビンA1Cのヘモグロビンって聞いたことがあるかもしれないけど、赤血球に含まれる赤い色素のことだよ。血が赤く見えるのは、ヘモグロビンの影響なんだ。これは体の隅々に酸素を運ぶという大事な役割がある。そのヘモグロビンと血液中のブドウ糖が結合するとグリコヘモグロビンという物質に変わるんだ。


● AYAちゃん「血液とチョコやキャラメルが合体したような、いかにも甘そうなネーミングですね」


 グリコの語源となったグリコーゲンは、その発見者がギリシア語の「甘い」と「生じる」という言葉を合成して作った言葉だからね。それはともかく、ヘモグロビンと結びついたブドウ糖は、赤血球の寿命が尽きるまで血液の中に存在するんだ。


● AYAちゃん「ふ~ん。その寿命って、どれくらいですか?」


 大体、120日間、約4ヶ月だね。だからヘモグロビン全体に占めるグリコヘモグロビン、つまりヘモグロビンA1Cの割合を調べれば、過去1~2ヶ月の血糖の平均値がわかるんだよ。


● AYAちゃん「じゃ、ここ1週間で血糖値を正常値に近づけたとしても、その前の血糖値が高い状態がわかってしまうのですね」


 そう。だから一夜漬けで頑張ったんだなってわかってしまうわけ。


● AYAちゃん「ひぃぃぃぃ~、血糖値はともかく学校のテストで、このヘモグロビンA1Cの検査をされたら大変だわ。私なんか、いつもテストの前の日だけ徹夜して頑張ってますから」


 ほかにも、過去2~4週間の血糖値の状態を調べる「グリコアルブミン検査」や過去数日間の状態がわかる「1.5-AG検査」などもあるよ。


● AYAちゃん「それじゃ要するに、うちのお父さんはそんなに喜んでいる場合じゃない、ってことですね」


 悲観することはないけれど、境界型だからこのままの生活を続けていると糖尿病になる可能性は否定できないね。


● AYAちゃん「う~、お父さん、どうしちゃったんだろう。若い頃はジャニーズ系だったそうですよ。当時は身長が175センチの体重が59キロで、カラオケで歌の合間にバク転していたってお母さんが話していましたから」


 いつ頃から太り始めたの?


● AYAちゃん「ここ数年ですね。とくにここ1~2年は太り方がすごいんですよ」


 なるほど。食事は誰が作っているの?


      (再来週に続きます)

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曽我梅林 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今や春たけなわですね。昔は、春というと暖かくなって花が咲き、また新年度で心機一転、心浮き立つ季節でした。

 そういう気持で春を迎えたいと思いつつ、涙目やくしゃみ、鼻水でゆーうつな季節となってしまったのが残念っす。

 でも、舞い落ちる桜の花びらの中を歩くと、そういったネガティブな部分を一時忘れるような幸せな気分になったりします。

 桜をテーマにした歌が昔はもちろん現在のヒット曲としていくつも思い浮かぶのは、日本人のDNAの中に桜を愛でる心がインプットされているからでしょうね。

 しかし、春といえば桜だけではありませぬ。ショッキングピンクの洪水のごとく咲き誇る桜はインパクトがあって好きですが、少し地味に慎ましやかに咲き誇る梅もまた春の醍醐味のひとつかと…。

 そこで、花粉の大量飛散が始まる寸前の二月下旬、久しぶりに観梅へ行くことにしたのです。

 去年は、近くの池上梅園へ行ったら、ほとんど終わっていたのでしっかりリベンジの意味を込めて。

 せっかく行くなら、梅の名所と呼ばれる場所へ行こうと考えたのでした。

 関東で梅の名所といえば、まず水戸の偕楽園を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

 確かに、日本三名園の一つと言われるだけあって見事な景色ですが、せっかくならまだ行ったことのないところへ行ってみようか、と…。

 と思って、思いついたのが曽我梅林。

 知る人ぞ知る、関東の梅の名所なのですね~。

 行ったのは、オイラの誕生日。平日だったのですが、土日にも仕事をしていたので、自分への誕生日プレセントにしようと考えたのです。

 まず、例によってネットで検索した最安ルートで現地に向かいます。

 できるだけ私鉄を利用しようと、東急線から小田急に乗り継ぎ、新松田駅に降り立ちました。

 すぐ近くのJR松田駅から御殿場線に乗り換え、目的地の下曽我駅へ行こうと考えたのですよ。

 新松田駅を降りたら、平日なのに思ったより混んでいました。中高年の方たちもやはり観梅に行かれるみたい。

 バスに乗る人たちが多いけれど、電車があるのに…と思ったら、御殿場線は次の電車が来るまで40分も待つ必要があるのでした。

 一応、都会育ちとしては、そんなに長い時間電車を待つことがほとんどないのでギョッとします。だから皆さん、バスに乗ったのですね。

 それじゃ、オイラも、とパスに乗ろうとしたら、ちょうどバスが走り去ってゆくところでした。

 うぬぬ、せっかくネットで乗り換え案内を調べたのなら、料金だけではなく接続も調べておけばよかったと悔やんでも後の祭り。仕方ないから、次の電車までそのあたりをブラブラ歩いて時間をつぶそうと考えました。

 でも、バスや電車に乗らない多くの観光客は、片手に曽我梅林のパンフを持って商店街を同じ方向に歩いて行くのですよ。

 もしかして、曽我梅林まで歩いてゆけるのかしらん、とあまり考えもせずについて行ったのです。

 そしたら、はるかかなたに先ほど乗り損ねたバスが国道を右折しているのが目に入りました。

 あそこを右折するのですな、と曽我梅林へ向かうと思われるグループを追い越し、国道を同じ方向へ向かってぐんぐん歩きました。

 右手に線路が切れ切れに見えているので、線路に沿って歩けば迷わないだろうと…。

 しかし、歩いても歩いても、次の駅が見えない。都心と地方とでは、駅の間隔が相当違うのだと改めて思い知らされました。

 30分ほど早足で歩き、どこまで来たのか不安になった頃、近くを電車が走り抜けて行きます。

 行き先は…、え~!? 小田原行き?

 御殿場線ではなく、小田急の線路に沿ってひたすら歩いていたのでした。

 戻らねば。しかし、時計を見ると、御殿場線の次の電車まであと10分。

 その次の電車はずっと後になるでしょうし、ここは走って松田駅まで戻るしかない。

 決断の早さは、信長が浅井の裏切りにあって、朝倉攻めの途中に京都へ逃げるときと同じだったかもしれませぬ。

 そこから、秀吉の中国大返しのごとき急行軍が始まったのでした。

 国道246号を、「走れメロス」の心境でひたすら走ります。車道が渋滞していたので、路線バスを2台も追い抜き、老人がゆっくりこぐ自転車を追い越し、疲れて早足になったりもしたのですが、それでも止まって休むことはありませんでした。

 東名高速の高架の下をくぐり、ようやく松田駅入り口の看板が見えたときは電車が来るまであと3分。

 もう無理だからあきらめようか、と一瞬思ったのですが、とにかくベストを尽くすべきではないか。だめもとでチャレンジしてみよう。

 そこから約200メートルを最後の力を振り絞ってロングスパートをかけ、商店街を疾走します。

 前を走る2台の自転車は、周りの人から見たら、ランナーを先導する白バイに見えたかもしれませぬ。

 駅前の人たちの間を縫うように駆け抜け、自販機で切符を買うとあと1分。切符にスタンプを押してもらっているオヤジがいて、オイラと同じ電車に乗るらしく駅員さんから「もう電車が来てますよ。急いでください」と言われているのが耳に入りました。

 前を全力疾走で走るオヤジのあとを追い、オイラもホームの階段を駆け上がります。ホームに上ったら、電車がホームの50メートル以上も先に停車しているではありませんか。

 何でこんな長いホーム作るんだよう、もっと手前に停まれよう、と心の中で悪態をついて走りました。

 いつもなら、前を走るオヤジをゴール手前で抜くのですが、ロングスパートで体力を使い果たしていたオイラは、そんな余力は残っていなかったですね~。

 殊勲のオヤジ二人が電車に入るのを待っていたようにドアが閉まりました。

 さすがにへとへとになり、席に腰かけると体中から汗がドバッと吹き出します。周りの人たちは、この寒いのに何でそんなに汗かいてるの?と奇異の目を向けます。

 注目を集めつつも、何で誕生日なのに、こんなに苦しまなきゃいかんのじゃ~と考えました。もっとも、考えようによっては、この年でロングスパートができる体力があることが、一番のプレゼントかもしれないと思いましたが…。

 でも、またこんなことをやったら確実に寿命は縮まりますね。

 それはともかく、ウォーキングの前に完璧に体力を消耗したまま、目的地の下曽我駅に到着しました。

 駅前の商店に無人販売所があって、缶コーヒー2本150円の表示が。

 野菜とかはたまに見かけますけど、缶コーヒーの無人販売は珍しい。そのリーズナブルさに惹かれて、さっそく購入しました。

 ヨタヨタしながらも、ガイドブックを見つつ、最初の観光スポット中河原梅林へと向かいます。

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 一口に曽我梅林といっても、三か所に分かれているのですか。

 曽我といえば、日本三大仇討ちの一つ「曽我物語」の主人公、曽我兄弟の故郷として有名だそうです。

 子供向きに書かれた「曽我兄弟」という小説を読んだことがありますけど、日本史のなかではあまり取り上げられていないのでかなり忘れた部分が…。ここは曽我兄弟にちなんだ史跡もあるそうですね。

 それはあとでお話するとして、曽我の梅は、そのずっと後、今から600年以上も前の北条氏の時代にはじまるらしい。

 なんでも、梅の実を兵糧用にするため、城下に多くの梅の木が植えられたのだとか。

 江戸時代になると、小田原藩主によって梅の栽培が奨励されたみたい。名産の梅干しは、宿場町でも重宝されたのですね。

 曽我梅林は、そうした食用の梅を観賞用に開放しているのだそうです。

 確かに、水戸の偕楽園と違って、観賞用だけではなく果樹園のなかにいるような気分にもなりました。

 行ったのは2月の終わりでしたから、少し見ごろは過ぎているような気もしましたけど、かわいらしい花と梅のいい香りを堪能することができました。

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 桜とちがってパッとゴージャスな気分にはならないですけど、梅の花は何となくやさしい気持ちになって癒されます。

 …と安らかな気分で梅を眺めていたら、突然、目のかゆみとくしゃみ、鼻水の発作が。行った日は、暖かく、風が強かったので、まさに花粉日和の一日でしたね。 

 来年の観梅は、マスクを持って行くべきだと気づかされました。

 多少、靄もかかっていて、本来は梅と富士という日本人の琴線に触れる絶景を堪能できなかったのは少し残念。

 梅と富士ではなく、桜と富士のほうがベストマッチングかもしれませんけど。

 次に向かったのは、中河原梅林のすぐ近くにある瑞雲寺。

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 このお寺は、小田原北条氏の家臣が創建したのですか。

 境内にも梅が咲いていて、お寺の建物と梅の花もまた美しい景観を醸し出しています。

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 同じく境内には、曽我自修学校発祥の地の石碑もありました。

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 ここは、明治時代に、このあたりで唯一の私学として開設された「自修学校校舎」の跡地だそうですね。

 当時、小学校制度は全国的に普及したものの、一般の人たちはそれより上級の学校への進学は不可能に近かったそうです。そこで当時の住職が、寺の本堂で高等教育を行い、やがて校舎の建設を行ったとのこと。

 その学校は現在、別の場所に移り、今も高等学校として大きく発展しているそうです。

 多くの石仏があったり、裏山からは市街地の展望が広がっていたりでみどころが多いお寺でした。

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 今回は、本来のウォーキングコースの前にアクシデントがありましたので、全部は書ききれませんでした。

 このあと、またしても悪戦苦闘の行軍になるのですが、続きは次回。

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