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東京スカイツリー、お化け地蔵、隅田川沿いの名所 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今話題の観光スポット、東京スカイツリーへ行ってきましたぁぁぁぁぁ~

 スカイツリーがあるのは、東京の下町・墨田区。

 オイラの家からは都心を挟んで反対側になるので、なかなか行ってみる機会はありませんでした。

 でも、工事の途中が見られる機会なんて、そうないですからね。

 東京タワーを作る現場を見たという人は、まわりに少なくないのです。そういう方たちが、あのときはすごかった、といろいろ自慢するわけですよ。

 オイラも、今行かなければ、東京人として、建設中のスカイツリーを見たと、将来、若い人たちに話ができないのではないか。

 …ということで、追い立てられるように行ってみることにしたのです。

 行ったのは、先月末。ちょうど高さが398メートルに達した頃でした。

 オイラの場合、都営浅草線を使うと、家からスカイツリーまで乗り換えなし、片道310円で行けるのですね~。

 地下鉄の押上駅の階段を上がって外に出て、東京スカイツリーはどこじゃと探します。

 あれっ、どこにもないよ。

 …と思って、上を見上げると、おお~巨大なマッチ棒が天に向かって延びているではあ~りませんか。

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 下から見上げると、マッチ棒というより、先が黒くなった綿棒のようにも見えますが…。

 もう少し近くで見ようと、北十間川をわたり、対岸からスカイツリーを見上げます。

 天を突き刺すほど高いのに、その足元は信じられないくらいコンパクトなのに驚きました。

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 東京タワーは四本の足で地面をがっしり鷲づかみするようなイメージ。実際、東京タワーの真下へ行くと、真上から投網を投げられたような迫力がある。

 思わず、捕まえられた魚のような気分になるのはオイラだけでしょうか。

 東京タワーのまわりは芝公園ですし、わりとゆったりとした敷地に立っているから、ホントの真下へ行くことはさほど多くないのですが…。
 

 それに対して、スカイツリーは、地面から竹がすーっと天に向かって伸びていているような感じ。

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 それにしても、こんな近くに民家や商店が建ち並んでいるとは思いませんでした。

 東京スカイツリーがお隣さんみたいな感じなのですね。

 それでも、あまり圧迫感を感じないのは、基礎部分のコンパクトさによるのかも。

 いずれは、大阪の通天閣みたいに商店街や住宅街と共存して発展していくように感じました。

 コンパクトに見えても、基礎部分は、一辺約68メートルもある巨大な三角形なのですな。

 そういえば、スカイツリーの下を輪切りにすると三角形で、上に行くに従って丸になるという構造を思い出します。

 古来日本建築の五重塔の耐震構造を参考にしたと聞きました。この塔も、法隆寺の五重塔みたいに千年以上もこの場所に立ち続けるのでしょうか。
 
 それはともかく、完成したら、高さは634メートルになるそうですね。

 自立式電波塔としては世界一の高さだとか。

現在の398メートルでも、想像を絶する高さを実感しているのですから、完成したらどうなっちゃうんでしょうかね。

 ちなみにこの高さは、東京や埼玉、神奈川の一部の旧国名である「むさし」の語呂合わせも考慮したらしい。

 武蔵国はおろか、後北条氏のように関東の覇者として君臨してもらいたいものですな。

 この場合、東京タワーが敵対するか、同盟するかがカギになると思いますが…。

 今から、来年末の完成が楽しみです。

 とはいえ、混むのが嫌いだから、完成してたぶん半年以上たってから行くんだろうなと思いつつ、東武伊勢崎線の業平橋駅へと向かいます。

 せっかく来たのだから、この近くの観光スポットを歩いてみようと思ったのですね~。

 東武線に乗り、荒川のほとり、堀切駅で下車しました。

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 さきほどまで、平成の最先端の近代建築物を眺めていたオイラとしては、こんな昭和の香りを漂わせるひなびた駅舎をみると心がなごみます。

 改札を出て、階段をのぼり放水路を超えると、東京スカイツリーが小さく見えました。

 住宅街をテクテク歩くと、隅田川七福神のひとつ、多聞寺があります。

 見どころの多いお寺でしたけど、まず注目したのはこの山門。

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 なんと茅葺ですよ。

 江戸時代中期に建てられたもので、なんと区内最古の建造物らしい。

 ほかにも、大タヌキの妖怪伝説が残る狸塚、六地蔵、映画人の墓碑などがありました。

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 この辺りは昔、大きな池があり、まわりに樹木が生い茂り、狸や狐たちの楽園だったそうですね。現在の下町風景からは信じられませぬ。

 妖怪伝説が残るくらいだから、かなりの秘境だったと思われる住宅街を歩き、墨提通りを越えると、東白鬚公園。

 隅田川と墨提通りに囲まれた広大な公園で、巨大な団地の建物が通り沿いに並んでいます。

 公園のなかをしばらく歩き、墨提通りに面した場所に出ると、梅若公園の名づけられた小さな公園がありました。

 団地のそばに、多少違和感を漂わせながら、巨大な銅像が建っていました。

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 この銅像の人物は、明治維新のスターの一人とも言うべき、榎本武揚。

 函館五稜郭で、ひざかたさんたちと戦った彼は、ここ向島で晩年を過ごしたのですね。

 この辺りは、さまざまな要人が晩年を静かに過ごしたと聞きます。昔は、今みたいに無粋な高速道路や堤防もなく、風光明媚な場所だったのでしょうね。

 ちなみに、梅若公園のネーミングですが、悲しい伝説があるそうなんですよ。

 平安時代、京の都で貴族の子梅若が、人買いにさらわれて奥州へ連れ行かれる途中、この地で病にかかって捨てられ、死んでしまったそうな。

 子を探し求めてこの地へやってきた母親は、里人から梅若の死を知らされ、子の墓のそばに庵をつくり、髪をおろして妙亀尼と称して、念仏三昧の生活を続けたとのこと。

 しかし、その後発狂して自殺してしまったのですか。

 平安時代にも、拉致事件があったのですね。

 白鬚公園を歩くと、そばに木母寺というお寺があるのですが、ここがその梅若伝説発祥の地と言われているそうです。

 そこには、ガラス張りの堂内にある梅若塚や初代と二代の三遊亭円生を顕彰した三遊塚もありました。

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 近くにある隅田川の総鎮守で水神の森と親しまれた隅田川神社にお参りし、白鬚橋をわたって台東区に入ります。

 橋を渡って右手にあるのが、石浜神社。

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 創建は724年まで遡るという由緒ある神社で、境内には富士塚もありました。

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 解説板を読むと、このあたりは武蔵千葉氏の石浜城があったところという言い伝えもあるらしい。

 城と聞いては黙って通り過ぎるわけには参りませぬ。

 確かに隅田川を要害とみなせば、ここに城があっても不思議ではない。

 …と思って、近くをぐるぐる歩き回ってみたけれども、城の痕跡はまったく残っておりませんでした。

 川の近くだし、もう少し高台にあるような気もするのですが…。

 明治通りに出て、路地に入ってしばらく行くと、古い塀に囲まれ、鉄門に閉ざされた一画が目に入ります。

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 門の前の解説板を読むと、なんと「平賀源内の墓」だというではあ~りませんか。

 源内先生は、昔、NHKのドラマ「天下御免」でファンになりましたね~。

 山口崇が、若くて飄々として自由で、かつ知的な源内さんのイメージにぴったりでした。

 エレキテル(摩擦起電機)という奇妙な器械を作った学者として有名ですが、ほかにも物産会を主催したり、鉱山開発したり、陶器の製造をしたり、毛織物の製造もしたりしたのですな。

 一方で、滑稽本や浄瑠璃などの作品を残した元祖マルチ人間ともいうべき人。

 理科系と文科系でその時代の最先端を行くのは、すごいですね。東大の理学部、工学部と文学部に加えて、東京藝術大学を卒業しちゃう、みたいな。

 それにしても、どうしてこんな住宅街の真ん中にポツンと、国の指定史跡があるのだろうと思いました。

 なんでもこの辺りに昔、総泉寺というお寺があったらしい。昭和3年に板橋区小豆沢へ移転したが、源内先生の墓だけ当地に保存されたようです。

 確かに、「天下御免」のドラマの源内先生のイメージは、下町のイメージにぴったりですな。

 なにせ、ドラマでは橋の下に勝手に小屋を立てて住んでいましたから。

 門の中に入れるそうなので、お参りして行く事にします。

 約30坪の敷地の中央に源内さんの墓、その横に従卒福助の墓がありました。

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 そこから歩いてすぐのところにあるのが、お化け地蔵。

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 ネーミングから、ホラー的なシーンをイメージしてしまいました。

 しかし、かつて大きな笠がかぶせられていて、それの向きがいつの間にか変わっていたり、取られていたりしてので、いつの間にかお化け地蔵尊と呼ぶようになったというらしい。

 もっとストレートに、並外れて大きいから呼ばれたという説もあるようで…。

 いずれにしても、ゲゲゲの鬼太郎的な伝説はないみたい。

 確かに、3メートルという、見上げるような高さのお地蔵様はオイラの記憶にはないような。

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