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「竜馬伝」のお龍さんがいた神奈川宿と三ツ沢公園 ウォーキングストーリー

 こんばんは。
 
 季節は、晩秋。

 なのに、今日アップするネタは、なんとお花見~♪

 本来はスルーすべきなのでしょうけど、今年の春に、今佳境の大河ドラマ「竜馬伝」ゆかりの場所へ行ったのですね~。

あらためて写真を眺めてみると、ご紹介したい優れものの場所ばかり。

 今回の横浜周辺も、都会だというのに、名所あり、旧跡あり、自然あり、絶景スポットありで、なかなかいいところでした。ここはやはり、スルーするわけには参りませぬ。

 …ということで、4月のある晴れた日に、オイラは横浜へやってきました。

 完璧に季節感、滅茶苦茶っす。

 それはともかくウォーキングのスタートは、横浜駅西口。

 駅の周辺は大きなビルや広い地下街があるのですが、少し歩くと、道路もビルも東京と比べてゆったりとした雰囲気に感じられるのはオイラだけでしょうか。

 ゴチャゴチャした感じではなく、どことなくハイソなのは、さすが江戸時代から続く国際都市の老舗だと感じました。

 環状一号線の大通りをわたり、横道にはいる坂をのぼれば、そこは旧東海道。

旧東海道
 

 上台橋のたもとにはかつての東海道神奈川宿のガイドパネルがあり、本陣や旅籠などの位置が何気にイメージできます。

 今は閑静な住宅街といった雰囲気のこの場所が、江戸時代の第一級の幹線道路だとはなかなか信じられませぬ。

 それでも歩いていくうちに、古い井戸があったり、石碑があったりして、これは只者の道ではないと感じました。

 神奈川台関門跡の石碑もそのひとつ。

神奈川台関門跡の石碑


 解説板を読んでみると、この場所に神奈川宿の関門があって番所が設けられていたのですな。

 横浜開港後、相次いで外国人が殺傷される事件が起き、警備の必要があったらしい。

 確かに大河ドラマの「竜馬伝」でも、「攘夷じゃ~~~」と叫んでいる武士を常時見かけますからね。

 さらに行くと、右手に料亭が…。

神奈川宿の田中屋


 ここにも解説板があったので何気に読むと、なんと「竜馬伝」のヒロイン、お龍さんゆかりの料亭だというでは、あ~りませんか。

 「竜馬伝」では、気が強くて人見知りする感じの女性を真木よう子が演じています。

 当時の竜馬の手紙によると、お龍さんを面白い女だと書いているそうですね。

 真木よう子演じる女性のタイプは嫌いではないけれど、面白いというイメージではないような。

 彼女のさまざまなエピソードを聞くと、一本気という性格だけは合っているかも。

 ドラマの中での竜馬さんの命は、あと二ヶ月もないのでしょうか。

 リアルのお龍さんは、明治維新を迎えてしばらくしてから、家族とも死別して孤独な身となってしまったそうなのです。

 そんなときに仲居として働いていたのが、ここ神奈川宿の田中屋だったのですね。

 当時彼女は、三十七歳位だったそうで、かなりの大酒飲みだったとか。

 でも、とても頭が良く、客あしらいもうまく、なおかつ英語も勉強して話せたらしい。

 当時、英語が話せる庶民はどれくらいいたのでしょうか。

 その後、この料亭のお客さんと所帯を持ったと聞きました。

 お龍さんだと伝えられる写真も残っているようですね。

 それは、こちら

 確かに、知的でスリムな美人。ハイカラな感じがして、竜馬が面白い女といった理由がよくわかりました。

 大塚寧々に顔が似ているという意見もありますが、性格を含めた全体のイメージは菊川怜みたいな感じですかね。

 当時の料亭の写真も解説板に載っていましたが、今と雰囲気はあまり変わらないみたい。

 大河ドラマを見ているから、あれっ?京都にいたんじゃなかったの?と知り合いに会ったような気分になりました。

 かつて、前に一里塚があったという大網金刀比羅神社にお参りし、第二京浜国道に出ると、左手の丘の上にある本覚寺が目に飛び込んできます。

本覚寺


 このお寺は、横浜開港当時、アメリカ領事館として使用されたそうですね。

 領事館の跡を示す石碑がありましたが、もっとリアルに感じるのが、山門に残る白ペンキの跡でしょうか。

 ホワイトハウスじゃないですが、当時の外国人は、みんな白ペンキを塗っちゃうんですね。

 お寺の庭にあった松も、枝を落として上に星条旗を掲げたらしい。

 そういえば、星条旗って、白い背景によく映えるかも。

 本覚寺を出て、近くの丘をひたすら登ってゆくと高島山公園がありました。

 ここからは、高島台の街並みを見渡すことができます。意外と横浜って、アップダウンがあるのですね。

 丘を降り、東海道線や京浜急行の線路を越えると、かつての神奈川宿の中心地が近いのだとか。

 商店街をテクテク歩いていたら、左手の丘の上に満開の桜が咲き誇っているのが見えました。

 よし!昼食は、お花見とコラボにするのじゃ~。

 近くのコンビニで、ちょこっとリッチな弁当を買い、丘の上の公園に向かいます。

幸ヶ谷公園


 おお~、すごい頭上360度、満開の桜。

 ちなみにこの公園は、幸ヶ谷公園と言って、知る人ぞ知る桜の名所なのだとか。

 木の下で弁当をパクついていたら、桜の花びらが弁当に入ってきて食べるのに難渋しましたが。

 お花見と弁当で、こころも体もすっかり満足して次にむかったのが、宗興寺。

宗興寺


 今の建物は近代的なデザインですけど、このお寺は、横浜開港まもない1861年、ヘボン博士が、無料で多くの患者の治療にあたった施療所を開いた場所として有名らしい。

 博士は、ヘボン式ローマ字、我が国初の和英辞典の編さんなどで知られていますが、明治学院の創設者でもあるのですね。

 そして、宗興寺の裏手にあるのが神奈川の大井戸。

 大井戸というから、直径数メートルもある巨大な穴を連想したのですが、思ったより小振りな井戸でした。

 でもかつては、神奈川御殿に宿泊した徳川将軍家のお茶の水にも使われたそうな。当時の井戸はどんな感じだったのでしょうね。

 ちなみに、ヘボン博士が、宗興寺に開いた施療所もこの水を利用していたらしい。

 近くにある滝の川を越え、しばらく歩くと神奈川宿当時の復元された高札場がありました。

 高札場とは、幕府の法度や掟を庶民に徹底させるための施設。ネットはもちろん、テレビやラジオのなかった時代、お上はここに法度を掲げるだけで、庶民は拒否することはできなかったのでしょう。

 江戸時代の人たちはどんな思いで、これを眺めたのだろうと思ったりして。

 さて、ここで一つ目のウォーキングコースは終了っす。今日はウォーキングコースのダブルヘッダーですから、休まずに次のコースのスタート地点へ向かいます。

 …ということで、再び京浜急行と東海道線の線路を越え、やって来たのが反町公園。

反町公園


 ビルに囲まれた都会のオアシス的な公園ですが、ここはかつて1949年に開催された日本貿易博覧会の第二会場だった場所とか。

 行った日はここでも満開の桜を眺めることができました。現代彫刻みたいな噴水があったりして、なかなかお洒落な公園ですな。

 反町公園からオフィス街、商店街をテクテク歩き、島田橋のところで左折すると閑静な住宅街があります。

 崖沿いの清流に沿って作られているのが、その名の通り、三ツ沢せせらぎ緑道なのですね~。

 ところどころに自然豊かなふれあい広場、水生動物の観察ができる場所などがあって、気持ちよく歩くことができました。

三ツ沢せせらぎ緑道


 やがて豊かな緑に包まれた豊顕寺に到着。

 このお寺は小田原北条氏の家臣多米氏が創建し、戦国時代にこの場所に移設したそうですね。

 境内には大イチョウや多米氏一族の墓などがあり、歴史を感じました。

 お寺の裏山が豊顕寺市民の森となっていて、こちらも古くから桜の名所として有名らしい。

 起伏のある土の上を歩くと、散り落ちた桜の花びらが絨毯のように広がっていて、これもまた綺麗でした。

豊顕寺市民の森


 まさに、ヒッキーの名曲「SAKURAドロップス」のイメージそのままの景色かも。

 石段を上って裏山の頂上にあがると、眼前には瀟洒な家々がつらなる住宅街を見下ろすことができます。芝生の緑と桜がアクセントになって、とてもいい雰囲気ですな。

 最後の目的地、三ツ沢公園は隣接しているのですね。

 足を踏み入れると、巨大な日本のコンクリートの塔が眼前に迫ってきます。

 低いほうの塔のお腹の部分に昭和二十年の文字がありました。

横浜市戦没者慰霊塔


 これは、横浜市戦没者慰霊塔。高いほうの塔の高さは18メートルもあるらしい。

 西南戦争から太平洋戦争までに犠牲になった2万人の横浜市民の冥福を祈るモニュメントなのですね。

 昭和20年までは、庶民の生活のなかに戦争の影はつねにあったわけで、その意味でも戦争がない時代に生まれて来れただけでも、感謝すべきだと感じました。

 横浜市戦没者慰霊塔を左手に眺めながら、広大な三ツ沢公園の中へ。

 野球場はもちろんサッカーやラグビーの行われる球技場、陸上競技場など、ここは横浜市民のスポーツのメッカともいえる存在。

三ツ沢公園


 ここも、桜の名所として有名らしいですね。

 なんか、5年分の桜を一気に見たような一日でした。

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