相田みつを・山種美術館、古賀政男音楽博物館、東京オペラシティアートギャラリー、ICC ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 相変わらず、伝家の宝刀、「ぐるっとパス2007」をフルに活用して、美術館、博物館を見まくっています。

 こんな芸術三昧の秋は当分ないだろうと思いつつ、果たしてどれだけ記憶に残るだろうと危惧しつつある今日この頃です。

 なんと、先日の土曜日は、一日に5つのミュージアムを回ってしまいましたぁぁぁぁ~

 こんなに憑き物に取り付かれたように東京をぐるぐる回るのも、大枚2000円を払った分、見られる展示は全部見てやろうというオイラの貧乏根性がルーツにあるのですね~。

 芸術的な感性はともかく、心肺機能と脚力だけは向上しておりまする。

 …ということで、休日なのに早起きして向かったのは、相田みつを美術館。

Ts362047

 早く行き過ぎて、開館時間の午前10時まで待つことになってしまいました。

 でも場所は、東京国際フォーラムの地下一階。船の竜骨を下から眺めるような天井のデザインですよね。

Ts362045

 その迫力に圧され、ボーっと見上げているうちにあっという間に時間は経ちました。

 相田みつをという名前は知らなくても、この独特の字体はご覧になった方もあるはず。

Ts362049

 美術館の中は撮影禁止でしたが、この書だけは自由に写真に撮ってもいいそうなのでお言葉に甘えてアップしますけど。

 書を見るだけの美術館が、こんな東京の一等地にあって繁盛するのかなと思っていました。

 ところが、朝早いのに入館者が引きも切らない。女性、とくに若い女性が大勢訪れているのが印象的でした。

 作品を見ているうちに、それも納得できましたね。

 書家だけではなく、詩人としての側面もあって、その書と詩がストレートに心に訴えかけてくる。

 略歴を拝見すると、曹洞宗のえらいお坊さんに師事して仏法を長く学んだ人だとか。

 相田みつをの遺品である文庫本の「正法眼蔵」も展示してありましたけど、書き込みや手垢にまみれ、相当勉強されていたのがうかがえました。

 仏法の教えをベースにして、やさしくわかりやすく私たちに健やかに生きる術をアドバイスしてくれているのか、と…。

 苦しいときやつらいときは、泣いても愚痴をこぼしてもいいからとにかく生きて行こうみたいなニュアンスの言葉があったと思います。

 オイラが書くと全然その感動が伝わってきませんけど、苦しみや悲しみを乗り越えた人だけが持つやさしさが、その書体と詩の中に凝縮されていました。

 苦しみや悲しみを一端受け入れることによって、心がしなやかに対処できるのかなと考えたりして。

 ところで恥ずかしながら、相田みつを、って女性だと思っていました。

 実は、いつも凛として、背をしゃんと伸ばして歩くスリムなおじさんだったのですね。

 若い頃から書の達人だったそうですが、書だけではまだ食べられない頃、商店を飛込み営業して包装紙のデザインを手がけたこともあったそうな。

 今でも、和菓子の包装紙などで使われているそうですね。

 つらい飛び込み営業を経験したからこそ、書や詩にも温かみが感じられるのかも。

 現在、いろいろな悩みがある人は、ここに来て作品を眺めているとジーンと来るのがわかりました。

 営業マンの側面があるということと貧乏だったということで、相田みつをに親近感を覚えたオイラは、次の美術館へ向かいます。

 地下鉄に乗って向かったのは、山種美術館。

Ts362054

 ここはご存知、山種証券の創業者、山崎種二が作った美術館ですな。かつて兜町にあったとき、何度か行ったことがあります。

 行った日は、日本画の川合玉堂の企画展が行われていました。こちらもさすが日本画の巨匠だけあって結構混んでいましたね~。

 どちらかというと、オイラは日本画より洋画のほうが好きですな。全部同じに見えると言うのは、いかにもトーシロー的見解ですが…。

 最初は、なんでも鑑定団の鑑定士みたいに、「ほう~、これはいい仕事していますな」なんて気分で見ているうちに、一つひとつの絵の迫力に魅了されました。

 やはり絵の題材や色使いに安心感というか、親近感を覚えます。

 美術館で見るならやはり洋画だけど、くれるというのなら日本画をもらうかも。

 家に飾って、毎日見ていると気持ちをより豊かにしてくれそうです。ま、こればっかりは好き好きでしょうけど。

 それにしても、川合玉堂は83歳で亡くなられたそうなのですが、死ぬ間際に描かれた松の絵がすごい迫力で、絵が若々しいのに驚きました。

 日本画家は、洋画家に比べ長生きの人が多いような気がしますね。

 画風と長寿との関係を誰か研究しないのかなと思いながら美術館を後にしました。

 またまた地下鉄を乗り継いで、今度は代々木上原に。

 駅から歩いて3分の好立地にあるのは、古賀政男音楽博物館。

Ts362123

 ここは以前、音楽家としてはじめて国民栄誉賞を受賞した古賀政男の自宅のあった場所だとか。

 中へ入ると受付の親切なおねーたんが館内の説明をしてくれました。

 古賀政男だけではなく、音楽博物館というネーミングからも、日本の大衆音楽文化のミュージアムという側面もあるらしい。

 一階は中規模のコンサートホールで、行った日はカラオケの全国大会の地区予選が開催されていました。

 上にあがると、日本の大衆音楽文化を育てた功労者の紹介がされています。

Ts362124

 野球殿堂みたいに、それぞれ功労者のレリーフが飾られていました。

 作詞家や作曲家、歌手の人たちですが、歌手で知っている人は3分の2くらいでしょうか。作曲家はずっと少なく、作詞家はほとんど知らない人ばかり。

 作詞家や作曲家がいなければ歌ができないわけですから、スポットライトを浴びる歌手と同じようにいつまでも記憶に残すのは大切なことなのでしょうね。

 館内には、当時の古賀政男の私邸の模型や書斎、日本間を再現した展示もありました。

 当時の私邸は延べ千坪の敷地面積があったとか。

 そこに有名な大川栄策などお弟子さんの部屋などあって相当な豪邸だったというのがわかります。

 古賀政男は、若い頃離婚してからずっと独身だったらしい。しかも、子供の頃から大学を卒業してヒット曲が世に出るまではすごい貧乏だったと聞きました。

 しかも、その不遇の境涯に耐えられず若い頃、自殺未遂をしたこともあったそうですね。

 古賀メロディーとして、オイラが子供の頃見ていた番組では、歌謡界の大御所といった貫禄でしたから意外な一面を見た気がしました。

 また、音楽博物館だけあって、いろんなCDを聞くこともできるんですよ。

 ボランティアの人から勧められて聞いた石原裕次郎の「影を慕いて」は絶品でした。

 石原裕次郎って、こんなに唄がうまかったんだと改めて気づきましたね。

 ほかにも、自分の歌ったカラオケをオリジナルCDにできるスタジオもあったりして、歌謡曲ファンにはたまらない魅力だろうと思いました。

 オイラも楽しかったですが、古賀メロディーよりかなり後の世代なので、昭和40~60年代の歌謡曲の博物館を作って欲しいと思いました。

 今に、たのきん音楽博物館や聖子ちゃんミュージックシアターなんてものができると思うのですが…。

 でも、すでに殿堂入りしてしまうのもなんとなく寂しいような。

 古賀政男音楽博物館を出て、今度は結構距離がありましたがテクテク山手通り歩き、東京オペラシティーを目指します。

 東京オペラシティーは、西新宿にある複合文化施設。

 NTT東日本の本社のほかに、コンサートホールやアートギャラリー、NTTのインターコミュニケーションセンターなど文化施設のデパートのような趣です。

 オペラシティーのタワーは、地上54階、高さ約234mもあるらしい。

Ts362128

 オイラはまず、インターコミュニケーションセンターへ行ってみることにしました。

 どこも横文字ばかりが並ぶ作品が多くて、見学者は若者ばかり。

 ここにある作品はどう表現していいものか、迷ってしまいますね。

 言葉で言い表せないからこそ、現代美術なのだと思ってしまったり。

 アート&テクノロジーゾーンでは体験型のメディア・アートがたくさん展示されていました。

 デジタル技術を現代アートに組み込んだと言ったらいいでしょうか。

 音の出ない部屋があったり、デジタル映像の大暴風雨があったり、遊園地のビックリハウスみたいな部屋があったり、ちょっと一言では言い表せませぬ。

 これは実際に見て体感してもらうしかないっす。

 企画スペースでは、真っ暗な部屋の天井にたくさん水槽が置かれていて、煙のように濁った水に映像が映されていました。

 それを見学者は、みんな車座になって寝転び、下から眺めるというコンセプト。

 真っ暗な部屋に入って目が慣れてくると、若者たちがずらっと寝転んでいる姿にギョッとなりました。

 昔見た反戦集会みたいだと…。

 オイラも寝転んで見たのですが、意味が分からない映像と英文が映されていましたね~。

 語学力があればわかったのかもしれませんが、誠に不思議な体験でした。

 そして本日最後に行ったのは、その下の階にあるアートギャラリー。

 当日は、北欧モダンという名前の企画展で、北欧諸国のデザイン&クラフトが展示されていました。

 いわゆる食器やいすなどの生活製品ですね。

 これは期待していたより面白かったです。

 朝食や昼食は、こんな素敵なデザインの食器と家具に囲まれて食べたら気分よく毎日が過ごせそう。

 日本で今売られている洋食器よりも北欧モダンというデザインの製品に一票入れたいです。

 それはパンフレットに書かれていたシンブルなデザインと簡素なフォルム、あたたかみのあるテイストにオイラの好みがビビビと来たからでしょうけど。

 それにしても、ミュージアムを回りすぎて、頭の中身がシェイクされた一日でした。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

上野周辺、書道博物館、国立科学博物館、下町風俗資料館 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 都内の56のミュージアムが無料、あるいは割引になるというぐるっとパス2007を使ったお散歩ネタ。

 今日で3回目っすね。

 大変お得なのですが、この伝家の宝刀も、期限は2ヶ月なんですよ。ウルトラマンのカラータイマーより時間は長いですが、全部は無理としても大部分を回ろうと思ったらかなり忙しい。

 オイラの決して短くない人生で、これだけ短期間に美術館や博物館をまわったことはなかったかも。

 四国のお遍路さんや比叡山で千日回峰行をしている行者になったような気分ですが、満願を果たしたらきっといいことあるはず、と思って頑張ります。

 さて、今回オイラが行ったのは、上野周辺のミュージアム。

 朝から雨がザーザー降っている生憎の日でしたが、雨の日こそ建物の中でゆっくり見学できる博物館はお勧めです。

 ぐるっとパスのパンフレットを見ると、最初に登場するのがこのエリアです。まず近場を押さえたあと、都内のミュージアムの盛り場を回るのがいいのではないか、と思いました。

 …ということで、まずJRの上野ではなく、鶯谷駅へ。

 地図を見ながら、自分でミュージアムの攻略ルートを立ててみて、まず朝一番で書道博物館を見学することにしたのです。

 地図を見ながら、なんとなくわかりにくい場所だなと懸念していたのですが、駅や向かう道沿いにきちんと表示がありました。

 ちょっと遠回りになっているのは、駅の周り至るところにラブホテルがあるからなのですな。

 ミュージアムを回るのには刺激が強いということで、なるべく健全な道をルートにしようとしたのでしょう。

 ところで台東区根岸と言えば、「坂の上の雲」で正岡子規が住んでいた場所という記憶があります。

 ちなみに、正岡子規は、近代日本文学史上に大きな足跡を残した俳人・歌人。夏目漱石にも大きな影響を与えた人ですが、若くして結核から脊椎カリエスを患い寝たきりになってしまう。

 それでも、病床ですぐれた作品を生み出したのでした。

 「病床六尺」なんて作品があったな、と思いつつ歩いていると、なんと子規庵がいきなり目の前に。

Ts361935

 まさか、明治初期の建物が残っているの?と驚いたのですが、戦災で焼失し、これは再建された建物みたい。

 子規が闘病生活を送ったという当時の面影が伝わってきました。

 そして、書道博物館は子規庵のはす向かいにありました。

Ts361936

 この博物館は今は台東区立の博物館になっていますが、元々は洋画家であり書家でもあった中村不折(なかむらふせつ)が独力で集めたコレクションを展示していた私立の博物館だったのですね。

 その建物や展示品を平成7年に台東区へ寄贈されたのを機会に、新たな建物を建設してリニューアルオープンしたのだそうな。

 古い書を見るのは嫌いではないですが、人の書いた読めない文字を眺めるのは退屈だと思っていました。

 たぶん、ぐるっとパスがなかったら、生涯この建物に入ることはなかったかも。

 でも、意外と言っては何ですが、結構面白かったです。

 コレクターの趣味なのか、日本より古い中国の書が中心でしたけど、その中にあの井上靖の「敦煌」で有名な莫高窟から出た敦煌文献がいくつかあったのですよ。

 もっともこれは、西田敏行や佐藤浩市が出演した「敦煌」の映画を見たり、小説を読んだりしていないと、その感動が半減してしまいそうですが。

 それから、それぞれの古い書に「見どころ」が解説されていました。

 今までのオイラは、古い書が博物館に展示されていると一生懸命読もうとしていたような。

 結局、意味が分からなくてつまらん、と思っていたのですが、字体と全体とのバランス、デザイン性、そして書いた人の個性を中心に眺めると、その違いがいろいろわかって楽しかったです。

 字がかすれたり、墨をたっぷり含ませて一気に書いたり、早く書いたり、一時ずつ丁寧に書いたり、書いた人の性格やそのときの様子がいろいろ想像できるのですね~。

 それから、創立者の中村不折の書いた「書」は、今も我々が何気に眺めているのだということがわかりました。

 たとえば、新宿中村屋の「中村」や神州一味噌のロゴの文字を不折が書いて、今尚それが使われているのだ、と…。

 書道博物館を出て、上野へ向かいます。

 雨がそぼ降る中、東北上越新幹線や山手、京浜東北線が走る線路を越えると、右手には谷中霊園、そして左手には上野寛永寺の境内が広がります。

Ts361942

 江戸時代初期、天海僧正によって開かれ、徳川の菩提寺として広大な広さを誇った寛永寺も今では普通の大きなお寺というイメージ。

 でも、雨に濡れた黒門は、当時の威厳を感じさせました。

 境内と接するようにあるのが、日本の美術界の東大といわれる東京芸術大学。

 そこにオイラが目指す、東京藝術大学美術館があるのでした。

Ts361945

 中に入ったのですが、企画展だと500円払う必要があるのですか。入ってもよかったのですが、ほかに無料で入れるところがたくさんありますからね~。

 ぐるっとパスで、無料で入れるときにまた来ようと今回はパス。

 続きまして、キャンパスの隣にある旧東京音楽学校奏楽堂へ向かいます。

 ここは、東京音楽学校は、東京藝術大学音楽学部の前身ですか。そしてその奏楽堂は、今で言うと付属のコンサートホールみたいな感じでしょうか。

 かつて滝廉太郎がここでピアノを弾く場面があった映画を見たことがあります。是非ここで、オイラは「花」を独唱してみようかという野望を抱き、中へ入ろうとしたら、え~ こちらも今日は貸切で見学できないんだってさ。

 うぬぬ、音楽的な才能はまったくないのは自他共に認めるところですが、門前払いとは。トホホ…。

 それでも、さすがミュージアムの盛り場、上野はオイラを見捨てなかったのでした。

 左手に東京国立博物館を見ながら歩いてゆくと正面に見えるのは、国立科学技術館。

Ts361955

 やっと中へ入れてもらえると喜びつつ、ぐるっとパスで入場します。

 雨が降っているし、すいているだろうと思ったら、中は子供や学生でいっぱいでした。

 課外授業の一環として、博物館を見学しているようでしたが、この数は一つや二つの学校じゃないですな。

 オイラのような科学音痴の大人にならないようにしっかり若い頃から真面目に勉強して欲しいと思いました。

 けど、展示品を見ないで、その前のボタンを押すことだけに熱中する子が多いのは、ゲームの影響ですかねぇ。

 もっとも子供の頃はみんなそうだったのですが。

 それにしても、科学博物館は広いですよ~。オイラは、企画展をパスしたのですが、常設展だけでもちゃんと全部しっかり見ようと思ったら、一日はかかるでしょうね。

 国立科学博物館は、日本列島の自然をテーマにした日本館と地球の生命史と人類をテーマにした地球館に別れています。

 写真を撮ってもいいみたいなので、オイラの一押しの展示品から。

 まずは日本館にあるフタバスズキリュウ。いきなりこんなものが天井にぶらさがっているから驚きました。

Ts361958

 日本国内で初めて発見された首長竜として有名らしいのですが、恐竜ではないと解説にありました。どうしてかまでは読みませんでしたが。

 それから、イリオモテヤマネコ。絶滅危惧種として有名ですが、思ったより小さいし、昨日もうちの近所で見かけた猫とクリソツ。

Ts361961

 近所の猫ももしかして?

 続きまして、一見、何の変哲もないただの犬。

Ts361962

 こちらのお犬様は、なんとあの忠犬界のスーパースター、忠犬ハチ公さまご本人なのでした。

 思っていたより、大きくて威厳にあふれておりました。

 それにしても、子供の頃から科学博物館には何度も足を運んでいるのですが、最近はずいぶん展示の仕方が変わりましたね。

 見やすくなったといいますか。

 しかも、こちらの人形はリアル感たっぷり。

Ts361966

 産毛まで再現されていたのには驚きました。

 こちらは差しさわりのない江戸時代の人たちの人形ですが、問題は有史以前の港川人のおっさんの等身大の人形。

 全裸で前も隠さず仁王立ちしていました。すべてリアルに再現されていましたが、こういう展示は素晴らしいです。

 もっとやってほしい!!!

 それから地球館ではなんと言っても、最上階のサバンナの哺乳類の展示が圧巻。

Ts361972

 数十体の大型哺乳類の剥製が見渡す限りずらりと並びます。

 上からそれらの動物たちを見下ろすと、まさに「ジャングル大帝」になったような気分ですね~。

 それから、本物のゼロ戦も展示されていました。海に沈んでいた機体を引き上げたのだとか。本物だけが放つオーラが感じられました。

 あと、見所がたくさんあって、とても紹介しきれないのですが、やはり恐竜の化石は見逃すことができないでしょうね。

 おお、ステゴザウスルにトリケラトプス、そしてティラノサウルスじゃ~~~

Ts361988

 ガォォォォォォォォォォォ~


 そして、最後に向かったのが、台東区立下町風俗資料館。

 ここは大正時代の東京下町の街並みを再現した展示がありました。

Ts361999

 でも、見学しているのは外人さんばかり。

 メンコやけん玉、お手玉がうますぎ。

 柔道みたいに、お家芸を奪われる危機感を感じたのでした。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

お台場、船の科学館と日本科学未来館 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今回も、ぐるっとパスを使ったお散歩ネタ。

 またしても、お台場へ行ってきました~♪

 今回行ったミュージアムは、船の科学館と日本科学未来館です。

 前回行けなかったフジテレビへも、と思ったのですが、ふたつのミュージアムともにボリュームがありますからね。

 仕方なく、またの機会にしました。

 十回以上お台場を訪れているのに、まだ一回もフジテレビを見学したことのない人は珍しいかもしれませんが。

 さて、今回はゆりかもめで行こうと思いましたが、やっぱりレインボーブリッジを歩いて渡るという魅力に抗うことはできませぬ。

 またJR田町駅からテクテク歩き、レインボーブリッジのお台場がよく見える側を選んで渡りました。

 前回は、晴れていたのですが、今回はあいにくの曇り空。

 お台場越しに、台場エリアの特徴ある建物群がかすんで見えます。

 橋を渡り終え、お台場海浜公園を歩いているとようやく日が射し始めました。

Ts361876

白い砂浜と真っ白なレインボーブリッジにはさまれたお台場の緑が相変わらず鮮やかですね。

 23区内で雄大な眺めを楽しもうと思ったら、やはりここをお勧めします。

 美しい景色に見とれながら、潮風公園の街と海のプロムナードを歩き、船の科学館へ向かいます。

 そういえば大学時代、友人たちとできたばかりの船の科学館へ来たことがあります。当時は、お台場なんて夢の島の隣くらいのイメージで、船の科学館のまわりは砂埃の舞う荒地。

 りんかい線はおろかゆりかもめもなく、こんなところに博物館なんか作っちゃて、どうするのかねぇ~などと友人たちと話した記憶があります。

 ところが今やお台場といえば、オリンピックの候補地ともなっている場所ですからね。

 一昔前のお台場を知っている者からすると、当時の様子が信じられませぬ。 
 
 長生きはするもんじゃて。

 船の科学館は大型客船を模した建物なのですが、まわりに広がる椰子の木越しに眺めると、常夏の国を訪れた豪華客船をイメージしてしまいました。

Ts361890

ぐるっとパスを使って中へ入ると、いきなり江戸時代の樽廻船の五分の一の模型が…。

 五分の一でもこの大きさなら、本物はさぞ迫力があったでしょう。

 一階はほかに、船の歴史や船の仕組み、動力などの紹介コーナー。

 舶用大型ディーゼル機関の実験機、21,000重量トンの貨物船の実物ブロックは見上げるような大きさでした。

 興味深かったのは、超電導電磁推進船というやたら難しい漢字が並んでいる未来の船。
 
 超電導を利用して推進するという理屈はよくわからなかったのですが、スクリューと燃料に石油がいらないという点にビビビと来ました。

 近い将来、まったく新しい形の船が、海を飛ぶように走っているのかも。

 2階にも船にまつわるいろんな展示がありましたけど、歴史好きのオイラはやはり旧日本海軍の軍艦に目が行ってしまいます。

 「坂の上の雲」に登場する戦艦三笠、そして太平洋戦争当時の戦艦大和といった新旧の連合艦隊の旗艦。

 もちろん模型でしたが、実物をしっかりとイメージできるくらい精巧に作られています。

 潜水艦コーナーの潜望鏡をのぞくとちゃんとお台場の風景が見て取れました。

 一度、実物の潜水艦の中を見て回りたいですね。広島の呉に行けば、自衛隊で使われていた潜水艦を使ったミュージアムがあるらしいのですが…。

 ほかには、あの「海猿」で知られる海上保安庁の仕事の内容も詳しく解説されていましたよ。

 3階は、古代から幕末、明治初期までの日本の船の歴史を精密な模型で紹介するコーナー。

 遣唐使の船や菱垣廻船、徳川将軍の御座船など歴史の教科書や小説で名前だけはよく知っていましたが、実際模型で見ると当時の人たちの姿がリアルにイメージできました。

 そしてエレベータに乗って、展望塔へ。

Ts361898

ここでは、地上70メートルから東京の大パノラマが拝めるんですね~。

 なぜか、オイラが展望等へ登っているときだけ雲ってしまったのですが、その絶景は楽しむことができました。

 船の科学館の本館を出て、目の前の海に係留された船に向かいます。

Ts361891

この白とオレンジが目にまぶしい船が、あの南極観測船、宗谷ですか。

 そうや、と一人で突っ込みを入れて喜んだあと、ぐるっとパスでも見学できるようなので乗船します。

 この船は、昭和13年に旧ソ連向けの耐氷型貨物船として進水、その後、旧日本海軍の特務艦として太平洋戦争に参加、戦後は引揚船、灯台補給船として活躍。そのあと、砕氷船として大改造されたのですか。

 先日の読売新聞に、映画「南極物語」のタロとジロにちなむ船としても紹介されていましたっけ。

 外はペンキできれいに塗られていますが、中に入るとやはり風雪にさらされてきた年輪を感じました。

 通路の天井が低いので、176センチとそれほど高くないオイラでも気をつけないと頭がぶつかります。

 全体的な狭さはあまり感じなかったですが、日本の沿岸をまわっていた船じゃないですからね。

 何ヶ月もかけて南極へ行ったことを思うと、よくこん小さな船で、という感じはしました。

 船室は個室や二人部屋、四人部屋などありましたが、どれもベッドが木枠に囲まれて小さい。

Ts361903

何でも長さが180センチだそうな。今だったら、縮こまらないと寝られない人も少なくないでしょうね。

 宗谷を出て、隣に係留されている一回り大きくて新しめの船に向かいます。

Ts361896

この船が、青函連絡船だった羊蹄丸ですか。

 昭和40年に建造され、青森と函館を結ぶ鉄道連絡船として活躍、昭和63年の青函トンネルの開通にともなって引退したのですね。

 さてさて、こちらの中はどんな風になっているの?と中に入ってみて驚きました。

 ホテルのロビーのように改造されているのです。郷愁さそう外観と中のゴージャスさに少し驚きました。

 ここまで見学に来る人は少ないみたいで閑散としていましたが、下へ降りるともっと驚く趣向が…。

 青函ワールドとして、昭和30年代の青森駅前を再現した展示があるのです。

Ts361909

せっかく、こんな凝った展示があるならもっと宣伝すればいいのにと思いましたね。この船には入れるだろうかと迷ったくらいですから。

 裸電球の光と昭和の風景が見事にマッチしていましたけれど、この船の中にこんな別世界があるというのも不思議な感覚でした。

 船の科学館は見所満載で、ほかにも潜水艇や灯台、海底ハウスなど見たい場所もあったのですが、時間が足りなくなってきたので、日本科学未来館へ行くことにしました。

Ts361918

ここは、宇宙飛行士の毛利衛さんが館長ということで有名ですな。

 その名の通り、21世紀の新しい知を分かち合うために、すべての人にひらかれたサイエンスミュージアムなのだとか。

 オイラは、国立科学技術館とかいろいろなサイエンスミュージアムに入りましたけど、ここはちょっと内容が高度すぎるかも。

 高校時代の化学と物理の成績を見て、よく卒業できたなと自分をほめてやりたい気分です。

 それでも、中学では科学クラブの部長をやっていたのですからね。もっとも、みんなと駄弁っていただけですけど。

 せっかく来たのだからと思いっきり背伸びをして展示を見て回ります。

 理解しようと思わないで、たんに眺めているだけならいろいろ興味深い展示品はありました。

 まず、日本科学未来館といえば、一階シンボルゾーンの吹き抜け空間に浮かぶジオ・コスモス。

Ts361919

「宇宙から見た輝く地球の姿を多くの人と共有したい」という館長毛利衛の想いから生まれたそうですね。

 直径6.5mの球体の表面には、約100万個の発光ダイオードが貼り込まれていて、世界初の球体ディスプレイとして、様々なコンテンツを映し出すことが可能だとか。

 それからモーターショーでも活躍していたアシモ君のショー。最初見たときは、動きのスムーズさに驚きましたが…。

 オイラとしては、やはり本物の脳の輪切りのプラスティネーションが興味深かったです。

 ちなみにプラスティネーションとは、献体された人間や動物の遺体を保存し、標本とするために用いられる技術。

 こんな小さな脳で、いろんなことを考えたり記憶できたりできるのだろうかと今でも信じられない気持ちです。

 それから、ロボット手術の体験コーナー。

Ts361925

ロボット手術と解説されていましたが、今でも内視鏡手術として実用化されていますね。

 オイラもブラックジャックになった気分で、内視鏡手術にチャレンジしてみましたが、腫瘍ではなく別な臓器を切り取ろうとしてしまいました。

 専門医になると、自分の指みたいに正確に早く動かせるのですか。

 やはり外科医の適正がないみたいとガックリ肩を落として帰る途中、ビーナスフォートへ寄り道しました。

Ts361932

 今日は、お台場から南極、青森、そして未来、イタリアと時空を越えて旅をしたという感じです。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

自然教育園、松岡美術館、庭園美術館、目黒美術館めぐり in ぐるっとパス

 こんにちは。

 おかげさまで、親知らずは、すっかり回復してさわやかな秋を満喫しております。

 でも抜いた後の数日は、案の定、激痛に見舞われて大変でした。

 痛くなったら飲んでくださいと言われた痛み止めの薬も、その日のうちに全部飲んでしまいましたし…。

 しかも真夜中、痛みで目が覚めてバファリンのお世話になることに。

 歯茎からなかなか血が止まらず、ペットボトルのトマトジュースを常時飲んでいる気分が続きましたね~。

 ところで、それだけ大変な抜歯を、縄文時代の人たちは風習として行っていたらしいのですよ。

 しかも、虫歯のない健康な歯を…。

 現代みたいに麻酔もなかったでしょうし、その痛みを想像するだけで鳥肌が立ちます。

 健康な歯を抜く理由はいろいろあるらしいのですが、抜歯の苦痛に耐えることで、晴れて大人の仲間入りを果たすという部分もあったとか。

 親知らずを麻酔と鎮痛剤をふんだんに使って抜いたオイラは、縄文時代の人たちから大人と認めてもらえないかもしれませぬ。

 親知らずを抜いたことで、縄文人のド根性を体感したような気がしました。


 それはともかく、秋たけなわですね。

 秋といえば、食欲、読書とともに芸術も忘れてはなりませぬ。

 東京には博物館や美術館は星の数ほど、とは言いませんが、いくら丼に載ったいくらの数ほどあるといっても過言ではない。

 紅葉に彩られた街を歩き、美術館をまわるなんてできたら最高ですよね。

 だけど、美術館に入ろうと思うと高いっす。

 常設展はともかく、企画展ともなるとまず1000円は越えてしまいます。

 1000円あれば、松屋のカレーに野菜や温玉までつけて二日分のランチが賄えるのに、と思うとどうしても足が遠のいてしまう。

 マズローの欲求五段階説を出すまでもなく、芸術欲をはじめとする自己実現欲求は、食欲が満たされてからなんぼのもの。

 だけど、食うためだけに生存するのもつらいっす。

 オイラの今までの人生は、そんな日々の葛藤でした。

 しかし、オイラにとって画期的な商品が発売されていると知ったのは、今年の晩夏。

 江東区にウォーキングへ行ったとき、中川船番所資料館でパンフレットを見つけたのですよ。

 それは、「ぐるっとパス2007」。

Ts361848

 都内56の美術館・博物館や動物園・水族館などの入場券または割引券がつづられたチケットブックなのですね~。

 これがあれば、水戸黄門の印籠みたいに大威張りで、上記の施設に無料で入れるのです。

 ただ、割引券の施設は別途入場券を買わないといけないのと、ぐるっとパスもただではありませんので念のため。

 それでも、やっぱ安いですよ。

 2000円でぐるっとパスを買えば、都内56の美術館・博物館や動物園・水族館でメリットを受けられるわけですから。

 ちなみに、今回行った東京都庭園美術館と自然教育園、松岡美術館、目黒区美術館の常設展と企画展、入場料を普通に入ったら、トータルで3,300円。

 なんと、一日で元が取れておつりがくる勘定ですよ。

 なら、行くっきゃない。

 …ということで、親知らずを抜いてまだ激痛が続いている悪コンディションをものともせず、オイラはJR目黒駅へやってきました。

 この辺りは一応地元なので、体調が悪くなったらすぐ帰宅できるという安心感もあったのですが…。

 まず向かったのは、目黒駅近くの国立科学博物館付属自然教育園。

Ts361831

 山手線の駅から徒歩4分で、武蔵野の自然を満喫できるのですね~。

 何度も入ったことのある場所ですが、朝一番でしたからすごくさわやかでした。

 親知らずを抜いた痛みも、一瞬ですが忘れましたね。

 なんでこんな都会に20ヘクタールもある林が残っているのだろうと思いましたが、沿革を知るとそれも納得できます。

 今から400~500年前の中世は、豪族の館。江戸時代は四国高松藩主松平頼重の下屋敷、明治時代は陸海軍の火薬庫、そして大正に入ると宮内庁の白金御料地として利用されてきたのだとか。

 当然この長い期間は、一般人は中に入ることができませんでした。豊かな自然の広い土地がここに残されたのですね。

 そして、昭和24年に「天然記念物および史跡」に指定され、国立自然教育園として一般に公開され現在に至る。

 どちらかというと、自然科学より社会科学に興味のあるオイラは、園内をまわり、白金長者と呼ばれた豪族の遺構のほうに目が行ってしまいました。

 江戸時代の下屋敷の跡よりも、中世に築かれた土塁の跡がしっかり残っているんですよ。

Ts361799

 土塁は、20ヘクタールある園内の外側を囲っているみたい。しかも、外側の土塁はかなりの高さがありますね。

 歴史的興味以外にも、水鳥の沼や武蔵野植物園、水生植物園などの見所もたくさんありました。

Ts361807

 注目したのは、園内でシュロの群落が次第に大きくなっているという点。

Ts361816

 ご存知のように、シュロは暑い地域によく見られる植物ですね。こんなところにも、地球温暖化の影響がヒタヒタと押し寄せているのがわかりました。

 ひょうたん池では、浮いている枝の上に亀が一直線になって登っていました。同じ方を向いて、何をしているのでしょうか。

Ts361828

 自然教育園を出て、白金のプラチナストリートを歩き、次の目的地を目指します。

 白金は昔、地下鉄も通っていなくて、陸の孤島などと呼ぶ人もいました。

 もっとも当時から、聖心女子学院などハイソな学校があって一目は置かれていましたが。

 オイラには何の変哲もない普通の通りに見えましたが、オープンカフェやお洒落なレストラン、ショップが建ち並んで人気の理由がわかるような気がしましたね。

Ts361838

 
 そんなお洒落な白金のストリートから少し奥に入ったお屋敷街にあるのが、松岡美術館。

 Ts361835

 中で写真は撮れないので、外観だけですが。

 以前、新橋のビルにあった記憶がありますが、平成12年にこの美術館の創立者の私邸跡地に新美術館を建設して移転したみたい。

 ちなみに創立者は、松岡清次郎氏で、戦前戦後にかけて、不動産、冷凍倉庫、ホテル業などで財を成した人なのですな。

 きれいで、ほどよい大きさ、そしていろんなジャンルに分かれて幅広く作品が展示されているのでなかなか面白かったです。

 たとえば一階は、古代オリエント美術、現代彫刻、ガンダーラ、インド彫刻。二階は、東洋陶磁、日本画、フランス近代絵画みたいな。

 東洋陶磁の青磁の壺は、やはり多くの人たちか言うように、魅力的で神秘的な色だと納得できました。

 また、古代オリエントやガンダーラ、現代彫刻を見たあとに、横山大観や川合玉堂、上村松園の日本画を見るとなぜかほっとしたり。

 松岡美術館を出て、また自然教育園のほうに戻り、今度はその隣にある東京都庭園美術館へ向かいます。

 庭園美術館は、建物自体が美術作品と言いますか、とても魅惑的な景観。

Ts361844

 それもそのはずで、ここは旧朝香宮邸として使われていた建物をそのまま美術館として公開したのでね。

 できたのは、昭和8年で、アールデコ様式の傑作なのだとか。

 ちなみに、アールデコとは、1920~1930年代にヨーロッパを席巻した装飾様式らしいのですが、詳しいことはわかりませぬ。

 それにしても、こんな宮殿のような家に住めたら幸せかなと考えました。

 広いと言っても、半端じゃない。

 2階のホールだけでも、一般的な家族4人が暮らすマンションの面積より広いかも。

 どこへ行くにも、かなりの距離を歩かないといけませんからね。家の中でウォーキングができるのはいいですが…。

 それはともかく、オイラが行った日は、「ティファニー」の展覧会が開催されていました。

 ティファニーといえば、世界を魅了するジュエリーの大ブランド。

 でも、オイラからもっとも遠いところにあるブランドと言っても過言ではない。

 ぐるっとパスがなければ絶対お目にかかることはなかったであろうジュエリーに拝謁してまいりました。

 あまり興味はないジャンルですが、それでもデザインと宝石には魅了されましたね。

 宝石って、こんなにキラキラ光り輝くものだったとは。

 それだけで感動してしまう自分が情けない。

 ティファニーの店内は、見てるだけ~では入りづらい面もありますが、美術品となるとゆっくり鑑賞できる。

 セレブな奥様方や深窓の令嬢は、こういうジュエリーをお召しなのかということがイメージできただけでも、来た甲斐はありました。

 もっとも、オイラはオードリー・ヘップバーンやエリザベス・テイラーの写真だけが記憶に残っているのですが…。

 あまり長時間中にいると貧血を起こしそうなので、庭園美術館の庭園で一休みしたあと、最後の目的地、目黒区美術館に向かうことにします。

 目黒駅から権之助坂を降り、目黒川を右折すると、目黒区民センターの中に目黒区美術館はありました。

Ts361846

 行った日は、「馬と近代美術」展が開催されていました。

 目黒と馬? 目黒はさんまじゃないの?と言われるかもしれませんが、目黒は馬と関係があるのですよ。

 今も目黒通りには、「元競馬場前」というバス停が残っているように、明治の終わりから昭和8年まで目黒駅の近くに東京競馬場があったのです。

 その後、府中に移転したのですが、今も「目黒記念」というレースが残っていますね。

 当時の競馬場の写真が何枚か展示されていました。

 見渡す限りの原っぱと木造の建物。原っぱの向こうも深い緑が続きます。

 今の目黒を知る人間にとって、昭和初期の目黒の競馬場は夢のよう。

 展示品も馬にまつわる、江戸時代の浮世絵や近代の日本の油絵、彫刻、そして海外の巨匠の描いた馬の作品がありました。

 馬という主題を人の目を通してどう表現しているのか、その違いがなかなか興味深かったです。

 芸術のてんこもりの一日でしたが、ぐるっとパスの旅はまだはじまったばかり。

 二ヵ月後にオイラはどう変わるのか、楽しみにしています。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (5)

池袋 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 今回は、久々に都心を歩いてみたいと思いまする。

 人の多い場所はあまり好きではないのですが、都会の中にも閑静な心洗われる場所は意外と多いのですよ。

 たとえば、池袋とその周辺とか。

 池袋は、今や押しも押されもしない大都会。先日、ヤマダ電機の大型店舗が駅の近くに進出し、迎え撃つビックカメラと「池袋決戦」が行われているという注目の地域ですね。

Ts361417

 そんなあわただしい都会ですが、意外と池袋は歴史のある建築物や緑のオアシスもあるのですね~。

 今日はそんな池袋癒しスポットを中心に、ご紹介したいと思いました。

 ウォーキングのスタートは、池袋ではなく、目白駅。

 目白といえば、日本でもっとも高貴な大学と言っても過言ではない「学習院大学」。

 緑豊かなキャンパスは、ピラミッド校舎や血洗いの池など見所も多いのですが、今日はパス。

 改札を出て、住宅街を歩き、「目白庭園」に向かいます。

Ts361364

 築地塀に囲まれた回遊式庭園で、2800平方メートルというから、庭園としてはそれほど広くない。

 でも、よく整備されていてグッドな景観が味わえます。

 ここは、元公立学校共済組合住宅で、平成2年11月に開園されたのだとか。

 そういえば、開園されたとき、テレビ番組で紹介されていたのを覚えています。

 人工的に作られた滝から、池に水が流れ込み、鴨の親子が気持ち良さそうに浮かんでおりました。

 庭園を出て踏み切りを渡り、少し歩くと、「上がり屋敷公園」。

 上がり屋敷とは、何ともいわくがありそうな名前ですが、この地域は江戸時代将軍家の狩場だったのだとか。

 将軍様の休憩所が上がり屋敷と呼ばれたのがその由来なのですね。

 もっとも、公園は立派なイチョウの木があるほかは、何の変哲もない児童公園でしたが。

 次に向かったのは、なんとあの有名な建築家ライトの設計した自由学園明日館。

Ts361375

 「あしたかん」ではなく、「みょうにちかん」と読むのだそうな。

 ライトは明、治村にある旧帝国ホテルを設計したことで知られていますね。

 大正11年に建てられたモダンな建築物ですが、当初は自由学園の校舎として使われていたらしい。

 ちなみに自由学園は、婦人之友社を設立した羽仁吉一、もと子夫妻によって、女学校として創立されたのだとか。

 現在、東久留米市に広大なキャンパスのある自由学園は、創立当初はここにあったのですね。

 ホールや食堂、教室は、当時の学校からしたら、とても斬新なのがわかります。今でも、こんな学校で勉強できたら楽しそう。

 食堂が広くて、しかも外光をたくみに取り入れて素晴らしい。お金持ちの広々とした別荘という感じ。

 この建物が、国の重要文化財だというのも納得できました。

 次の目的地へ向かう道の途中に、児童文学者の坪田譲治の旧宅があります。

 名前は有名ですが、どんな作品を書いた人なのかわかりませんが。

 池袋駅西口の広い通り沿いにあるのが、勤労福祉会館。

 その七階に、豊島区立郷土博物館があるのですね~。

 ちなみにここは無料。

 他の区の郷土博物館と同じように、豊島区の歴史や民俗資料が展示してあるのですな。

 まず、池袋ヤミ市のジオラマ。戦後、戦災の焼け跡に、バラック建てで露店が作られたのですね。

 こんな掘っ立て小屋が並ぶ焼け跡が、今の池袋駅前のビル群に生まれ変わったと思うと、人間の力のすごさが改めて感じられました。

 当時の人たちが、今の景観を予想することはできなかったのでは。

 それから、力を入れて展示されていたのが、「長崎アトリエ村」。

 1930年代に、豊島区の西部の旧長崎町を中心に、美術家向けの借家群、アトリエ村ができたのですね。

 こちらも当時のアトリエ住宅の模型がありましたが、あまりに極端な家だということがわかりました。

 アトリエが、十二畳もあるのに、居住部分が四畳半一間だったり。

 当時の若い画家は、それくらいの比率で、生活と芸術活動を考えていたのかも、と感じました。

 ほかにも、太平洋戦争当時の一般庶民の暮らしなど、今の生活からは想像できない貴重な展示がありました。

 郷土資料館を出て、池袋西口公園へ向かいます。

 西口公園というからには、この公園が石田衣良のベストセラー「池袋ウエストゲートパーク」の舞台なのでしょうか。

 小説とは少しイメージが違うようで、近代的な都市公園といった印象。

 公園に面して、東京芸術劇場の特徴的な建物がありました。

Ts361380

 劇場入り口を入ると、巨大な吹き抜け。

 ガラス張りの天井から、明るい日が差し込み、日陰が恋しくなりそう。

 大ホール、中ホール、小ホールがあり、それぞれ有名な出演者が満載の演劇が行われておりました。

 東京芸術劇場を出て、しばらく繁華街を歩きくと西池袋公園。確か、先日読んだ池袋ウエストゲートパークの舞台にもなった公園ですが、小説のアップテンポでハイビートな雰囲気とは裏腹に、どこにでもある普通の公園でした。

 小説みたいに、いつも事件が巻き起こっていたら、住んでいる人たちは大変ですが。

 立教通りに出ると、あの長嶋終身監督と息子一茂氏の母校、立教大学はすぐそこ。

Ts361386

 何度かこの大学のキャンパスにはお邪魔していますが、それほど広くないもののこの雰囲気の良さは、キリスト教系の学校だからでしょうか。

 最近は、キャンパスが整備されて、西洋庭園みたいになりましたね。

 キャンパス内には、有名な鈴懸の径(すずかけのみち)。

 立教大学出身の灰田勝彦が、母校のプラタナスの並木をイメージして歌った日本初のキャンパス・ソング。

Ts361395
 

 その歌碑がプラタナスの木の下にありました。

 それにしても、立教大の女子学生は、さすがファッション雑誌のグラビアから抜け出てきたようなファッションセンス。

 お洒落なキャンパスは、そこに集う学生たちもハイソになるのか、それともハイソな学生が集まるからキャンバスがお洒落になるのか。

 しばし、鶏が先か、卵が先か、考えながらキャンバスを後にしました。

 立教通りを渡り、立教大学の5号館と6号館の間の道を歩きます。

 しばらく行くと、今時都会では珍しい土蔵のある家が。

Ts361400

 ここはなんと、あの有名な江戸川乱歩の住んでいた家だとか。

 するとあの土蔵の中で、乱歩は幻想的な推理小説の構想を練ったのですかね。

 でも、比較的普通の門構えだったので、怪人二十面相も、くも男も、出てきそうなイメージはありませんでした。

 いずれ、資料館みたいな形で一般公開されるといいのだけれど…とかつてミステリー作家を志したオイラは切に願うのでした。

 かつて渾身の力を込めて書いたミステリー作品が、最初の数ページを読んだだけで犯人を当てられたときは二日ぐらい寝込みましたが、おどろおどろしいミステリー作品を読むのは好きっす。

 気を取り直して次に向かったのは、祥雲寺。

 石ノ森章太郎のお墓があるそうなので、お参りをしていこうと思ったのです。

Ts361402  

 思ったより小さなお墓でしたが、サイボーグ009や佐武と市、仮面ライダーなどおなじみのキャラクターが石に刻まれておりました。

 こういうお参りに来た人が楽しくなるような演出もいいですね。

 オイラも、自分のお墓に刻む冗談を今から考えておこうかと思ったりして。

 寺を出て、谷端川南緑道をひたすら北上します。

 昔は、川が流れていたのでしょうけど、それを暗渠にして、ブロックレンガを敷き詰めた遊歩道にしたのですね。

 暑かったですが、ところどころベンチもあって、ゆっくり歩くことができました。

 川越街道との交差点の近くにある熊野神社にお参りをし、緑道から離れて氷川神社に向かいます。

 氷川神社には、区史跡の池袋富士塚もありました。

Ts361408

 さほど大きくはありませんが、よく整備された塚ですね。

 そこから、池袋本町公園を抜け、再び池袋駅に向かいます。

 そして最後に訪れたのが、「池袋の森」。

Ts361412

 商店街から少し小道に入ると、そこは別世界でした。

 それほど広くはありませんが、樹木がうっそうと茂り、まさに森のイメージ。

 ここは、林政学者だった人の屋敷林の跡だとか。

 池や木で作られたコテージなど、都会の喧騒の中のオアシスのように感じられました。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (1) | トラックバック (6)

自由が丘 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 月並みな前ふりですが、暑いです。

 昨日は一晩中、扇風機をブンブン回して寝ていました。

 扇風機の風が顔を直撃するとよくないと聞いていたのでマスクをし、肌が乾燥するといけないのでクリームを顔にペタペタ塗って。

 そうまでつらい思いをして、なぜ、エアコンをつけないのかと言われるかもしれませんね。

 エアコンをつけたいのは山々ですが、最近掃除をしていないので、スイッチを入れたとたん、埃やダニが噴き出すのではないか、という恐怖が勝っているのでした。

 その恐怖のおかげで、今年の夏を乗り越えられるのではないかと考える今日この頃です。

 …ということで、またお散歩ネタ。

 暑いので、最近は近場を歩き回っています。

 オイラのイメージとはかけ離れるかもしれませんが、今回はおしゃれなショッピングスポット、自由が丘。

 ウォーキングの出発地は、東急目黒線奥沢駅です。
 
 午前中は、駅前にある奥沢図書館で調べ物をして、午後にプチウォーキングをすることにしました。

 奥沢駅から徒歩1~2分のところにあるのが、奥沢神社。

 鳥居をくぐって境内に入ろうとすると、巨大な大蛇が鳥居に絡み付いておりました。

Ts361281

 もちろん、わらで作られたものだとすぐわかるのですが、それでも巨大な蛇が鳥居にからみつくというシチュエーションはあまり経験が無いので、ギョっとなりますね。

 この大蛇。

 長さ約10メートル、直径約25センチで、重さが150キロもあるそうな。

 誰がこんないたずらをして、参拝客を驚かそうとしとるのじゃ、と思いましたが、近くにある解説板を読むと、歴史と伝統のある蛇らしい。

 なんでも、江戸時代中期、ここ奥沢地方に疫病が流行したらしいんですよ。

 そのとき、村の名主様の夢枕に八幡大神が現れ、「わらで作った大蛇を村人がかつぎ、村内を巡行させよ」というお告げがあったとか。

 さっそく、その通りにしたところ、疫病が治まった。

 それ以来ずっと、なんと現代まで、この神社の氏子がわらで大蛇を作って、町内を練り歩くという行事が続いているとのこと。

 世田谷区の無形文化財にもなっている由緒正しき、大蛇様だったのですね~。

 250年間も、その行事が続いてきたというのもすごいけれど、これだけの期間があれば思考法や価値観も変わりますよね。

 それでも、江戸時代の風習が現代まで続いているのはすごいことだと思いました。

 この神社はもともと、室町時代に奥沢城主大平出羽守によって勧請されたらしい。

Ts361288

 境内はさほど広くはないのですが、大木を中心に深い緑に囲まれ、森閑とした風格を感じます。

 奥沢駅から見えるくらい近いのですが、住宅街の中心にあるので、静かな佇まいでした。

 しっかりお参りしたあと、奥沢駅方向に戻り、等々力通りを西に向かいます。

 東急東横線の踏み切りを越え、しばらく行くと「宮本三郎記念美術館」があります。

Ts361291

 ここは、昭和の洋画壇を代表する画家、宮本三郎のアトリエがあった場所。

 宮本三郎が亡くなった後、膨大な作品と土地を世田谷区が譲り受け、世田谷美術館の分館として開館したのだそうな。

 開館は、平成16年だそうだから、まだできてから3年と少し。

 住宅街の真ん中に、コンクリートの斬新なデザインの建物が目を引きました。美術館は、2階建てで、1階が講座室、2階が展示室になっています。

 まだ新しい建物だから、床や壁、天井、どれをとってもピカピカでいい雰囲気。

 建物のモダンさと、豊かで華麗な色彩の絵画がとてもマッチしていましたね。

 でも、オイラは、絵を見るのは好きだけれど、それほど美術に詳しいわけではないっす。

 だから、恥ずかしながら宮本三郎という画家の名前は知りませんでした。

 なんでも石川県の小松市出身で、上京して画学校に通い、若くして二科展に入選して注目されたのだとか。

 晩年は、日本美術家連盟理事長や多摩美術大学教授、金沢美術工芸大学名誉教授にも就任した大家なのですね。

 もっとも経歴より、その絵の好き嫌いがオイラにとっては重要なのですが、この絵はわりと好きかも、と感じました。

 もともと抽象画より写実画のほうが好きな人間ですが、その中間あたりの表現で、何より色彩が素晴らしい。

 行った日は、「光を浴びる女性達」というテーマで絵が展示されていました。

 モデルが、高峰秀子や新珠三千代、京マチ子など有名な人だったり、バレリーナや踊り子を独特の色彩表現で写し取ったりしてなかなか面白かったです。

 さて、美術館を出て、いよいよ自由が丘の街へ。

 自由が丘といえば、いまやお洒落なショップが建ち並ぶ街として泣く子も黙る存在ですね。

 ただ、オイラ的には、セレブというよりはもう少し垣根が低いかも、と思うのです。若い普通の女性のグループが多いし、わりと高校生も多く歩いている。

 青山や六本木に比べると少し庶民的な部分もあるのではないか、と。

 でも、雑誌などのアンケートでは、「住みたい街」として1位に選ばれることもあるほどの人気スポットらしいですね。

 実は、自由が丘。

 仕事でなんども来ているのですが、その魅力というのがイマイチわからなかったりして。

 今日は、その人気の秘訣を探ろうと決意を新たにしたのでした。

 ガイドブックを見ると、まず自由が丘の見所のひとつが駅前の女神像だとか。毎年夏には、女神祭りというのが開催されるらしい。

Ts361292

 知らなかったっす。

 祭りどころか、駅前に女神像があることすら。

 自由が丘の魅力は、服飾・雑貨のお洒落な店やレストランが建ち並ぶ洗練された街並みだとおっしゃる方は多いでしょう。

Ts361306

 でも、オイラ的には、ハードはもちろんですが、ソフト面も見逃せないのではないか。

 たとえば、自由が丘のネーミング。

 なんとも、ハイソでお洒落なイメージですよね。

 でも、自由が丘と呼ばれるようになる前は、東京府荏原郡衾村字谷畑と言ったらしい。

 衾村(ふすまむら)とか、谷畑というネーミングのままだったら、これほどの繁栄はなかったかも。

 自由が丘という名前は、ここにある学校がルーツだと知っている人は少ないかもしれませんね。

 1927年、この地に手塚岸衛という人が自由ヶ丘学園を開設し、その学園の名前が街の名前になったとのこと。

Ts361305

 そういえば、成城学園もそうでしたね。

 ただ、今や自由が丘という名前だけ先行して、学園と結び付けてイメージする人はほとんどいないかもしれませんが。

 それから、自由が丘をお洒落な街というイメージにしているのは、通りの名前。

 カトレア通りにガーベラ通り、それにメイプルストリートですか。

 でも、通りの名前に惹かれて訪れても、普通のお洒落目の店が並ぶ通り以外の何者でもないので念のため。

 オイラはまず、カトレア通り沿いにあるラ・ヴィータに向かいました。

Ts361294

 ここは、ベネチアを模したショッピングタウン。

 自由が丘の新しい顔として、雑誌にも紹介されることが多いので知っている人も多いのでは。

 オイラも、自由が丘に来たら一度訪ねてみたいと思っておりました。

 ちなみに、ラ・ヴィータとはイタリア語で「生命」「人生」の意味だとか。

 水路にはゴンドラが浮かび、カラフルな建物とレンガ造りの洋館。そしてグレーの石畳。
運河の水映る町は、まるで絵画のよう。

Ts361296

 だけど、思ったより狭いっす。

 以前、この前を気づかないで通り過ぎたことがあったのを思い出しました。

 だけど、ベンチに腰掛けて、想像力が豊かな人はベネチアに来ている気分を味わえなくはないですな。

 行った日は、ゴンドラにシートがかけられていて、ベネチア気分も半分でしたが。

 ベネチアのすぐそばに、古都を思わせる茶房があったのはなかなか興味深い眺めでした。

 そして、自由が丘にはオイラの若かりし日の思い出が…。

 その思い出の地とはこの建物っす。

Ts361309

 二階にあるテナントが、フローレスセイ○。

 聖○(←伏字になってない?)ちゃんプロデュースのブランドショップなのですね~。

 このお店が開店したのは今から19年前。

 開店の日に、オイラはお手伝いさせていただいたのですね~♪

 そして、お昼は、スタッフのためにお弁当の買出しに行ったのです。

 オイラの買ってきたお弁当を聖○ちゃんも召し上がっていただいてうれしかったっす。


 単なるパシリですが、何か?

 「♪♪♪」の素敵なロゴの入ったトレーナーやハンカチなどのアイテムは今も健在でした。

 有名人のブランドショップが一頃流行りましたが、今も変わらず営業を続けているところは少ないかもしれませんね。

 聖○ちゃんの息の長い人気に頭が下がる今日この頃でした。

 東急東横線と大井町線の線路を二つ越え、最後に向かったのはスイーツフォレスト。

Ts361317

 ここは、2003年のオープンしたスイーツの殿堂という噂が。

 いわゆるスイーツがテーマのフードテーマパークなのですな。

 選りすぐりのお菓子職人の店が8店舗集結。日本を代表するスーパー・パティシエたちが交代で登場するところが売りらしい。

 中は、お台場のビーナスフォートを思いっきり小振りにした天井と壁、赤い葉っぱの人工の森がファンタジックなイメージを演出する。

 スイーツにはあまり興味のないオイラですが、うれしそうな顔をした若い女性がたくさん訪れておりました。

 ちょこっと、学園祭のような雰囲気でしたが。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

東京ミッドタウン ウォーキングストーリー 

 こんにちは。

 今日はまたまたお散歩ネタです。

 今流行のニュースポット、東京ミッドタウンに行ってきました~♪

 場所は東京六本木。もと防衛庁のあったところです。

 2000年5月に防衛庁本庁舎は新宿区の「市ヶ谷駐屯地」に移転し、今年の3月30日にオープンしたばかり。

 六本木は昔から仕事でよく訪れていた場所で、当時の防衛庁の前も何度も通り過ぎたのを覚えています。

 当時から夜の六本木はいけていましたが、昼間の六本木は、正直言ってあまり魅力的な街だとは思いませんでした。

 昼間の六本木って、夜の大舞台を控えた楽屋裏っていう感じがしたのですよ。

 夜、タキシードで着飾ったウエイターが、昼間は開店の準備に、ジャージにサンダル履きで歩いているような部分があって。

 ところが、アークヒルズが出来、最近になって六本木ヒルズ、そして東京ミッドタウンと、どんどん昼間の魅力が増しているとか。

 …ということで、夜に約束があったのがちょうどよい機会と、昼間の六本木を久しぶりに歩いてみることにしました。

 地下鉄を使い、オイラが降りたのは都営大江戸線の六本木駅。大江戸線ができてから、個人的には随分便利になりましたね。

 オイラがまず向かったのは、東京ミッドタウンではなく、青山墓地。

Ts360884

 実はここに、うちのお墓があるのです。

 かなりご無沙汰をしていたので、お参りをしていこうか、と…。

 今、青山墓地はお墓の中でもかなりのブランドだそうですね。

 ユニクロや吉野家、松屋を愛し、清貧にかけては他の追随を許さぬオイラですが、死んでお墓に入ったときだけはセレブな気分を味わえるのかどうか。

 青山墓地を出て、次に向かったのは、国立新美術館。

Photo_5

 都知事に立候補した記憶に新しい黒川紀章氏が設計したモダンな建物です。

 当日は、モネの回顧展など興味深いテーマでしたが、時間がなかったのでパス。建物の外観とホールだけ見学しました。

 中に入ると、なぜか東京国際フォーラムと雰囲気が似ている。旬の場所なので、平日でしたが多くの見学者であふれかえっておりました。

 この近くには、六本木ヒルズの森美術館、そして赤坂から移転してきた東京ミッドタウンのサントリー美術館と、新しい美術館が次々とオープンしていますね。

 その位置関係が三角形になることから、六本木アート・トライアングルと呼ばれているらしい。

 昔から六本木は人通りが多かったですが、一本、道を中に入ると閑散としていた記憶があります。

 今日訪れたら、どの道も多くの人が歩いていました。そのトライアングルの中は今後も活況を呈しそうですね。

 新国立美術館からは、六本木ヒルズの威容も望めましたし。

 さて、いよいよ今日のメインとして向かったのが東京ミッドタウン。

 敷地面積は、約68,900平方メートルとか。

 外苑東通りの正面に立つと、ひときわ高い超高層ビルに目が行きます。

Photo_6

 これが東京ミッドタウンのシンボルとなるミッドタウン・タワーっすか。

 高さ248mで、東京都庁舎を追い抜き、都内で最も高い超高層ビルだとか。

 ただ、残念ながら展望台は設けられていないそうな。最上階である54階は機械室など施設の維持・管理のためのスペースとなっていて、一般客は入場する事ができないとのこと。

 タワーのホールまで行ってみたのですが、恐そうな警備員のおじさんたちが仁王立ちしておりました。

 このタワーは、USEN、ヤフー、グッドウィル・グループなどのテナントが入居し、上層階はホテルになっているみたい。

 六本木ヒルズのタワーと、東京の覇権をめぐって争っているような臨戦態勢の雰囲気がどことなく伝わってきました。

 少し気分を和らげようと、ミッドタウンに隣接する公園に行ってみることにしました。

 そこにはかつての六本木を知る人には目を疑うような光景が…。

Photo_7

 都会のど真ん中に、広い芝生の広場ができているんですよ。

 この場所は、前から檜町公園があったところ。

 オイラは昔、この近所を営業で回っていた頃にお休みスペースとしてよく利用しました。

 それなりに広い公園でしたが、階段を登らないと入れなかったし、利用勝手のいい公園とは言えなかった。

 それが見違えるような変貌振り。

 この付近は江戸時代、長州藩の毛利氏の中屋敷があったところだとか。 敷地は約12haもあったらしい。

 今、東京ミッドタウンのある場所に長州藩の御殿があったそうですね。邸内に檜が多かったことから「檜屋敷」と呼ばれ、檜町という地名の由来になったとか。

Photo_8

 由緒正しき公園ですが、今その名残というと、池の周辺くらいでしょうか。

 行った日はもう桜の花が散った後でしたが、桜が咲いていたら芝生の緑とコラボしてきれいでしょうね。

 園内には、現代アートの彫刻が置かれたり、ちょっとした滑り台やブランコも、現代アートのようなお洒落な色とデザインだったりして目を惹かれました。

 オイラが行った日は、広大な芝生広場を背景に、日産スカイラインの初代から現代までの車が展示してありました。

 ずいぶん広いと思いましたが、緑地の部分だけでも4ヘクタールもあるらしい。

 さて、いよいよミッドタウンの中へ。

 東京ミッドタウンは、備え付けのフロアガイドによると、「ガレリア」と「プラザ」、「ガーデン」の3つのゾーンに分かれているらしい。

 今、見てきたのはその中の「ガーデン」。

 ガーデンから歩道橋を渡って、メインショッピングセンターの「ガレリア」へ入ります。

Photo_9

 そこは、全長150メートル、高さ25メートルの4層吹き抜けの大空間。

 だけど、最近郊外に出来たショッピングセンターはこれ以上の規模のものがたくさんあります。

 ただ、さすが六本木だけあって、柱の中にもちょっとした展示スペースを設けたり、一流の人気店がテナントで入っていたり、一味違った高級感がありました。

 ショッピングセンターの中のショップを「見てるだけ~」とウインドーショッピング。

 見てるだけでしたが、広いフロアの所々に彫刻や絵画が設置されていて楽しめました。

 コンセプトは、都市とアートが一体化し、日常的な空間にハイクオリティーなアートがあることだとか。

 そういえば、うちにも使わなくなった古いテレビやワープロ、床に散乱する本なども、現代アートだと思えば気にならないかも。

 それはともかく、結構歩き回ったので小腹が減ってきました。

 立ち食いそばで、エネルギーチャージと思ったのですが、どこにもな~い。

 さすがに、天下の東京ミッドタウンに来て、立ち食いそばを食う人はいないのでしょうか。

 往年の植木等の「お呼びでない?こりゃまた失礼しました~」という気分になりましたよ。

 一旦外に出て、六本木の駅前の「富士そば」で、ガソリンを補給し、再度ミッドタウンにチャレンジです。

 あとでわかったのですが、ミッドタウンの中にセブンイレブンもあるのですね。あと、吉野家や松屋もテナントとして是非誘致して欲しいと思いました。

 ミッドタウンの客層が変わってしまいそうですが…。

 最後に、「プラザ」に寄ってみました。

 巨大なビルに囲まれたパティオには、カフェやカレーショップなどが並んでいます。FMのサテライトスタジオや大型スクリーンなど、待ち合わせも退屈しないですみそう。

 ガラスでできた巨大な天井は、どっかで見たなぁ~と思ったら、かつて大阪で行われた万国博のお祭広場大屋根に雰囲気が似ている。

 太陽の塔はどこ?とノスタルジックな気分で上を見上げると、幟のようなものが風にたなびいておりました。

Photo_10

 最初、鯉のぼり?と思ったのですが、違うみたい。

 いろいろ訳のわからないものがたくさんありましたが、想像を膨らませることができるのが現代アートなのか、と…。

 ミッドタウン内部は、日本の伝統的なカラーコーディネートであったり、竹林みたいな場所があったり、初めて訪れたのに落ち着いた気分になりました。

 未来をコンセプトにしたかのように思える六本木ヒルズと比べ、なかなか居心地のいい空間ではあるみたい。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

文豪の心地よいリズムからなる文章の研究

 こんにちは。

 またまたご無沙汰でした。

 相変わらず都内をぐるぐる回り、いろんなところに首を突っ込んでいます。

 前回も少し触れましたが、接遇応対の調査へ行ったんですよ。

 そしたら、窓口係のおねーたんにうまく丸め込まれて商品を買う羽目に…。

 まさに、ミイラ取りがミイラになる状態。

 でも、丸め込まれたという表現は適切ではないかもしれませんね~。

 これまでのオイラの運用の仕方があまりにも、トーシローだったということでしょうか。

 もっと勉強しなければと反省する今日この頃。

 先週は食品モニターのおかげでダイエットできたとか、ダヴィンチ・コードを読みすぎて遅刻しそうになったとか、いろいろ話題は豊富なのですが、それはいずれまた。

 今回は引き続き、文末のお話です。

 でも、もうかなり昔の話になりつつありますので、オイラも忘れてしまった部分がかなりありまして。

 そこで、これまでのお話をかいつまんで書きますと…

 日本語は、表現が文末で決定される。

 そして、文末の実質を述語が担う。

 動詞の終止形は、「~る」がほとんど。ときとして、過去形の「~た」を従える。

 従って、日本語の文末は、「~る」か「~た」という単調な二本立てにならざるを得ないということでした。

 日本語の基礎を授業で覚えたばかりの小学生は以下のような「~た」が際限なく続く文章になる傾向があると書いた記憶があります。 

 『 きのうは、ぼくの学校の運動会でした。ぼくはそれで早起きしました。学校へ行くと、みんなが集まっていました。最初はラジオたいそうをしました。校長先生の話が長いでした。ぼくは徒競走で、ビリから二番目でした。もう少しがんばればよかったと思いました。お昼にはみんなでお弁当を食べました…』

 が、しかし…。

 今度は次の文章をご覧ください。

 おそらく、読んだことのある人も多いはず。

『 芸人たちはそれぞれに天城を越えた時と同じ荷物を持った。おふくろの腕の輪に子犬が前足を載せて旅馴れた顔をしていた。湯ヶ島を出外れると、また山にはいった。海の上の朝日が山の腹を温めていた。私達は朝日の方を眺めた。河津川の行く手に河津の浜が明るく開けていた。

「あれが大島なんですね」

「あんなに大きく見えるんですもの、いらっしゃいましね」と踊り子が言った。

 秋風が晴れ過ぎたためか、日に近い海は春のように霞んでいた。ここから下田まで五里歩くのだった。しばらくの間海が見え隠れしていた。千代子はのんびりと歌を歌いだした。 』

 以上、ご存知、川端康成の名作「伊豆の踊り子」の一節。

 川端康成の風景描写の大ファンなので、パソコンでたどたどしくキータッチしていても楽しいっす。

 でも、ご覧になって解かるとおり、見事に文末は「~た」の連続。

 ノーベル賞作家を小学生の作文と比べてしまって、まことに失礼なのですが、ひとつのセンテンスはとても簡潔。

 それに、京極夏彦の文章のような難しい漢字もほとんどない。

 (もっとも、京極夏彦は、難しくおどろおどろしい漢字を多用することによって、独特の魑魅魍魎の跋扈する世界を演出しようとするのですが…。)

 川端康成の文章って、言葉を一つひとつ吟味し、完璧なジグソーパズルを作るよう丁寧にセンテンスにはめ込んであるような感じを受ける。

 同じことが、志賀直哉の文章にも言えますね。

 まさに、鍛えこまれた職人技。

 「~た」の続く一般人の文章との違いはどこにあるのだろうと、ずっと思っていたのですよ。

 その疑問に答えてくれたのが、前回も引用させていただいた井上ひさし氏の「自家製 文章読本」でした。

 また引用させていただくと…。

 『 「~た」の連続なのに、ちっとも単調ではない。むしろ「~た」の連続は詠む者の心のうちに快いリズムを響かせる。「~た」の連打によるリズムが器だ。この器に意味が盛ってある。』

 本によると、川端康成や志賀直哉の文学作品は、自然と人間とを同時に捉えようとしているところがミソだとか。

 「~た」の連打という単調な形式によって、自然の細やかな変化。その美しい営みを、人間との対比において描こうとしているのですな。

 それらは、人間が、自分の存在を自然の中で意識する瞬間を、的確にあらわそうとするものらしい。

 うぬぬ、このへんにくるとオイラの読解力では難しいっす。

 でも、なんとなくニュアンスはわかるような気が…。

 ここから先はオイラの主観です。間違っているかもしれませんので、念のため。

 小学生の作文は、自分が主体となって書かれている。視点が常に自分にあるというか。

 自己チューに物事を眺め、自己チューに感じたことを書く。

 それはそれで言いのだけれど、そのとき、「~た」という文末を続けると、あまり考えないで、ただ見たまま聞いたままを書いている印象を受けるのではないか。

 しつこいようですが、子供が書いたような文章をもう一度ご覧いただくと…

『 きのうは、ぼくの学校の運動会でした。ぼくはそれで早起きしました。学校へ行くと、みんなが集まっていました。最初はラジオたいそうをしました。校長先生の話が長いでした。ぼくは徒競走で、ビリから二番目でした。もう少しがんばればよかったと思いました。お昼にはみんなでお弁当を食べました…』

 主語はほとんど、「ほく」。

 だとすると、自分の行動や考えに対して、もうちょっと深く突っ込んで考えてもいいのではないか。

 大人だったら、「運動会」や「早起き」、「校長先生の話」、「徒競走の結果」に対して、もう少し多彩な表現を使うでしょうね。

 それに対して、文豪の文章の「~た」は、押し付けがましさがない。

 それは、主語が「ぼく」や「私」ではなく、視点がかなり上のほうにあるからだという気がするんですよ。

 自然の中にある人間を同時に捉えつつも、一歩引いて客観的な立場で、自然と人間との対比を描く。

 自然を捉えるためには、目や耳や鼻、肌などの感覚器官を総動員しなければなりませんからね。

 自然に人間の感覚器官をぶっつけ、客観世界として親しく触れ合う。

 自然をあるがままの形で受け入れることによって、自然と自己が同時に発見できるものらしい。

 そういえば、志賀直哉の「暗夜行路」。

 主人公の時任謙作は、祖父の妾だった女性と分家住まいをしながら気ままに暮らす作家志望の人間でしたね。

 旅先の尾道で、自分が祖父と母との間に生まれた不義の子であることを知らされ衝撃をうける。

 その重い心は京都で見初めた直子との結婚で和らぐ。しかし彼の留守中にその直子が幼なじみの従兄弟と過ちを犯したことがわかってまた悩む。

 許すべきであるのに許しえないことへの葛藤。

 そして、謙作は山陰の旅に出る。

 最後の場面はまさに、自然と自己が同時に発見できる情景描写ですね~。

 伯耆富士ともよばれている大山。この神秘の山で悩み多い主人公・時任謙作が新たな生き方に目覚める名シーン。

 『 疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感じられた。彼は自分の精神も肉体も、今、此大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、言葉に表現できない程の快さであった 』

 でも正直、両者の確固とした違いの理由はまだわからないっす。

 なんとなく感覚としてとらえている段階といいますか…。

Banner2_8 ← ブログ存続にご協力お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)