市川のラビリンス 北総線沿線の迷宮 ウォーキングストーリー
こんにちは。
前回、道に迷いすぎたので、記事一回分では収まりきらなくなった迷宮の旅シリーズ、今回は完結編です。
さて、曽谷貝塚で膨大な量の貝殻を見て驚いたオイラが次に向かったのは、弁天池公園。
ここまで一本道でしたので、スムーズでした。
行った日は、池の周りの桜が満開でとてもきれいでしたね。新興住宅街の中にポッカリ開いたオアシスのよう。
池の大きな鯉が、うれしそうに飛び跳ねる姿が印象的でした。
ここからウォーキングコースは、小刻みに右に左にと揺れ動きます。
『突き当たり手前のT字路を左折し、少し進み、右手の階段を下り、直進する』『突き当たりを右折後、左手の階段を上り、直進する』
だんだん文章の表現の癖がわかってくると、迷わず次々に難関をクリアしていきました。
慣れてくると、懇切丁寧に書かれているということがわかりました。
楽勝で到着したのが、本将寺。
鎌倉時代に開山されたそうですが、ずいぶんハイカラなお寺だなと感じました。最近になって、この土地に移ったそうですね。
このお寺の「将」の文字は、平将門に由来すると伝えられているとか。
1000年以上たった今も、この地区の人たちは将門を好意的に迎えているのだということが伝わってきました。
なんでも、将門が藤原秀郷と戦って戦死したとき、将門のこめかみに突き刺さった矢が、南天の木の矢だったらしい。だから、この地区に住む人たちの庭には、南天の木を植えないのだそうな。
また成田不動尊は、将門調伏の祈祷を行ったから、お参りに行かないという話もあるそうですね。
次に向かったのは、JR武蔵野線市川大野駅近くにある「市川市万葉植物園」。
なぜ、市川と万葉集? って思いましたが、万葉集の中にこの地域を詠んだ歌が10首ほど収められているらしい。
市川は、古来下総国の国府や国分寺が置かれるなど、歴史豊かな街なのですね。
この植物園は、敷地面積がおよそ3500平方メートルだからそれほど広くはない。
でも、こじんまりとしていて落ち着ける和式庭園でした。池を中心に万葉集に出てくる植物、およそ200種類が植えられています。
その植物には、万葉歌とその作者などを記した案内板があって、興味のある人にはうれしいですね。
植物園を出て、武蔵野線のガードをくぐり、室町時代に創立されたという本光寺にお参りしたあと、浄光寺に向かいました。
なかなか立派なお寺ですが、境内がフェンスも無くそのまま幼稚園の庭になっているのは珍しいかも。
行った日は、幼稚園はお休みでしたが、本堂や庫裏、仁王門も園児たちの遊び場になるのでしょうか。
昔の人たちは子供の頃、お寺で勉強する機会が多かったと聞きました。仏像や仁王さまに囲まれて、とても充実した時間を過ごせるような気がしました。
子供とお寺と言うと、どうしても一休さんをイメージしてしまうのですが…。
浄光寺からすぐのところに中学校があります。このあたりは丘陵になっていて、かつて大野城という城があったらしい。
現在では、そう言われない限り、城跡だと明白にわかるものは残っていないのですが、付近には「御門」「殿台」といった地名が今も残っているそうな。
ネットで調べてみると、お城ファンがこんなあやふやな城にもちゃんと訪れていて、しっかり由来や縄張りなどに言及していました。
今まで生きてきて、オイラより城について詳しい人にはリアルで出会ったことはないのですが、やっぱり世の中は広いっす。
上には上があるものじゃ、と感心しました。
ただ、中学校がそのまま城跡になっているので、さすがのお城ファンも中には踏み込めなかったみたい。
デジカメを持って、校内をうろつく不審な人物と断定されてしまうと、いくらお城ファンだと主張しても、普通の人には理解されないですからね。
行った日は体育館で女子中学生がバレーボールをしている声が外にも聞こえているし…。
土塁や空堀の跡を見たさに、警察のご厄介になる勇気はないので、外から眺めるだけでした。
ただ、急な階段を下り、上を見上げると切り立った崖から中世の城跡の姿をかすかにイメージすることはできましたね。
ところで、この大野城。
いつ、誰が作ったのかは明らかではないのだとか。
将門伝説が豊富なこの土地ですから、当然、平将門が作った出城という説もあるそうのですね。
ただ、昭和に行われた発掘調査の結果では、中世戦国時代に相当する城跡だと言われているらしい。
平安時代の関東の城がどういう形態をしているのか、オイラにはちょっとわかりませんけど、将門も恐らくこの土地を訪れたことはあるのでしょう。
この丘陵の急峻な崖に注目して、なんらかの防御施設を作ったということも考えられるな、と妄想は膨らみました。
中学校のある丘陵と谷一つ隔てた小高い丘に、天満天神宮があります。
ここは、江戸時代初期に菅原道真を祭神として勧進されたと伝わるらしい。
ただ、神社の由来を伝えた掛け軸によると、平将門が京都の北野天満宮を勧請したという記載があるそうですね。
この土地と将門伝説のミステリーを解き明かすべく、浅見光彦になった気分でテクテク歩いていると、また道を迷ってしまいました。
次の目的地は、駒形大神社。
『天神宮へは、左手に商店のある十字路を左折する。駒形様へは、同十字路を左折後、次のY字路を右折し、道なりに進む』
十字路を左折してから、次のY字路と思われる場所を右折して道なりに進んだのだけれど、やがてその「道なり」がいろんな小道と交差してわかりませぬ。
仕方ない、戻るかと、今日何度目かの振り出しに戻る作戦を選択したのですが、途中でわからなくなってしまいました。
しまった、ヘンデルとグレーテルみたいに森へ入るときは、パンくずを落として目印にすればよかったと悔やむものの後の祭り。
地元の人に聞こうにも、なぜか出会いませぬ。
千葉県の地図は持ってないし、あるのはこの小冊子の地図のみ。
観光地だったら、看板や地図が道路にあるんですけどね。
方向感覚もわからなくなってきて、久しぶりにあせりました。
小冊子に書かれたかすかな情報をたよりに、歩きまくっていたら、地図の作成者がきまぐれに書き込んだと思われるお寺の名前を発見。
その近所を歩き回って、正規のルートである「駒形大神社」の石柱を発見したときは、迷宮から脱出した気分になりました。
駒形大神社は、神社に「大」がついている名に恥じず、荘厳な佇まい。
祭神は、経津主命と平将門なのですか。
こちらの神社には面白い行事があるそうなんですよ。
それは、市指定民俗文化財の「にらめっこおびしゃ」。
東西に別れた氏子たちが一人ずつ向かい合って酒を飲んで、先に笑った方が大盃の酒を飲まなくてはいけないのだとか。
そのときは、神妙な顔つきで酒を飲み合う二人に周囲の人たちは笑わせようと冗談を飛ばすらしい。
笑ったり、しゃべったり、盃から口を離したりすると行司は「不敬者!」と一喝し、二人はさらに大盃の酒を受けるのですか。
五穀豊穣と村内安全を祈念する行事だそうですが、笑い上戸の大酒飲みにはたまらない行事かも。
神に供える餅を投げあうシーンもあって、この餅に当たれば無病息災といわれるのですね。
この行事にも将門の伝説があるようで、この土地を開墾した将門の配下だった将兵と都の朝廷政権との和睦を形式化したという話もあるそうです。
それはともかく、現代のバラエティー番組の企画としても採用できそう。
元々面白い顔をしたオヤジのほうが、分がいいわけですから、何らかのハンデもあったほうがいいのではないか、と…。
餅のぶつけ合いも、食べ物を粗末にするなという昔の人の教訓にも逆行するようだし。
昔は厳粛で、エンタテイメントがなかったようなイメージがありますけど、こういう行事が残っていると昔の人が身近に感じられました。
駒形大神社を出てからは、わかりやすくて迷わない道が続きます。
「市川市少年自然の家」のあたりは林間コースで、軽井沢の小道をあるいているよう。
巨大なお寺の本堂のような民家もあったりして、見所は盛りだくさん。壮大な果樹園は、何ができるのでしょうね。
そして、最後の目的地、日枝神社に到着。
隣にある広場では、桜が満開でした。
ベンチに腰掛け、コンビニで買った酢イカと缶コーヒーでお花見です。
ここから、松飛台の駅まで一本道。
ラビリンス、迷宮から生還したインディー・ジョーンズの気分になりました。
気が緩んだのか、ここで花粉症の禁断症状が現れ、そのあと一日でティシュ一箱使う羽目に…。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
![永嶋 信晴: [世界一やさしい] 脳卒中にならないための本](http://ec1.images-amazon.com/images/I/01DZDM-014L.jpg)

















最近のコメント