市川のラビリンス 北総線沿線の迷宮 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 前回、道に迷いすぎたので、記事一回分では収まりきらなくなった迷宮の旅シリーズ、今回は完結編です。

 さて、曽谷貝塚で膨大な量の貝殻を見て驚いたオイラが次に向かったのは、弁天池公園。

 ここまで一本道でしたので、スムーズでした。

 行った日は、池の周りの桜が満開でとてもきれいでしたね。新興住宅街の中にポッカリ開いたオアシスのよう。

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 池の大きな鯉が、うれしそうに飛び跳ねる姿が印象的でした。

 ここからウォーキングコースは、小刻みに右に左にと揺れ動きます。

『突き当たり手前のT字路を左折し、少し進み、右手の階段を下り、直進する』『突き当たりを右折後、左手の階段を上り、直進する』

 だんだん文章の表現の癖がわかってくると、迷わず次々に難関をクリアしていきました。

 慣れてくると、懇切丁寧に書かれているということがわかりました。

 楽勝で到着したのが、本将寺。

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 鎌倉時代に開山されたそうですが、ずいぶんハイカラなお寺だなと感じました。最近になって、この土地に移ったそうですね。

 このお寺の「将」の文字は、平将門に由来すると伝えられているとか。

 1000年以上たった今も、この地区の人たちは将門を好意的に迎えているのだということが伝わってきました。 

 なんでも、将門が藤原秀郷と戦って戦死したとき、将門のこめかみに突き刺さった矢が、南天の木の矢だったらしい。だから、この地区に住む人たちの庭には、南天の木を植えないのだそうな。

 また成田不動尊は、将門調伏の祈祷を行ったから、お参りに行かないという話もあるそうですね。

 次に向かったのは、JR武蔵野線市川大野駅近くにある「市川市万葉植物園」。

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 なぜ、市川と万葉集? って思いましたが、万葉集の中にこの地域を詠んだ歌が10首ほど収められているらしい。

 市川は、古来下総国の国府や国分寺が置かれるなど、歴史豊かな街なのですね。

 この植物園は、敷地面積がおよそ3500平方メートルだからそれほど広くはない。

 でも、こじんまりとしていて落ち着ける和式庭園でした。池を中心に万葉集に出てくる植物、およそ200種類が植えられています。

 その植物には、万葉歌とその作者などを記した案内板があって、興味のある人にはうれしいですね。
 
 植物園を出て、武蔵野線のガードをくぐり、室町時代に創立されたという本光寺にお参りしたあと、浄光寺に向かいました。

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 なかなか立派なお寺ですが、境内がフェンスも無くそのまま幼稚園の庭になっているのは珍しいかも。

 行った日は、幼稚園はお休みでしたが、本堂や庫裏、仁王門も園児たちの遊び場になるのでしょうか。

 昔の人たちは子供の頃、お寺で勉強する機会が多かったと聞きました。仏像や仁王さまに囲まれて、とても充実した時間を過ごせるような気がしました。

 子供とお寺と言うと、どうしても一休さんをイメージしてしまうのですが…。

 浄光寺からすぐのところに中学校があります。このあたりは丘陵になっていて、かつて大野城という城があったらしい。

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 現在では、そう言われない限り、城跡だと明白にわかるものは残っていないのですが、付近には「御門」「殿台」といった地名が今も残っているそうな。

 ネットで調べてみると、お城ファンがこんなあやふやな城にもちゃんと訪れていて、しっかり由来や縄張りなどに言及していました。

 今まで生きてきて、オイラより城について詳しい人にはリアルで出会ったことはないのですが、やっぱり世の中は広いっす。

 上には上があるものじゃ、と感心しました。

 ただ、中学校がそのまま城跡になっているので、さすがのお城ファンも中には踏み込めなかったみたい。

 デジカメを持って、校内をうろつく不審な人物と断定されてしまうと、いくらお城ファンだと主張しても、普通の人には理解されないですからね。

 行った日は体育館で女子中学生がバレーボールをしている声が外にも聞こえているし…。

 土塁や空堀の跡を見たさに、警察のご厄介になる勇気はないので、外から眺めるだけでした。

 ただ、急な階段を下り、上を見上げると切り立った崖から中世の城跡の姿をかすかにイメージすることはできましたね。

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 ところで、この大野城。

 いつ、誰が作ったのかは明らかではないのだとか。

 将門伝説が豊富なこの土地ですから、当然、平将門が作った出城という説もあるそうのですね。

 ただ、昭和に行われた発掘調査の結果では、中世戦国時代に相当する城跡だと言われているらしい。

 平安時代の関東の城がどういう形態をしているのか、オイラにはちょっとわかりませんけど、将門も恐らくこの土地を訪れたことはあるのでしょう。

 この丘陵の急峻な崖に注目して、なんらかの防御施設を作ったということも考えられるな、と妄想は膨らみました。

 中学校のある丘陵と谷一つ隔てた小高い丘に、天満天神宮があります。

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 ここは、江戸時代初期に菅原道真を祭神として勧進されたと伝わるらしい。

 ただ、神社の由来を伝えた掛け軸によると、平将門が京都の北野天満宮を勧請したという記載があるそうですね。

 この土地と将門伝説のミステリーを解き明かすべく、浅見光彦になった気分でテクテク歩いていると、また道を迷ってしまいました。

 次の目的地は、駒形大神社。

 『天神宮へは、左手に商店のある十字路を左折する。駒形様へは、同十字路を左折後、次のY字路を右折し、道なりに進む』

 十字路を左折してから、次のY字路と思われる場所を右折して道なりに進んだのだけれど、やがてその「道なり」がいろんな小道と交差してわかりませぬ。

 仕方ない、戻るかと、今日何度目かの振り出しに戻る作戦を選択したのですが、途中でわからなくなってしまいました。

 しまった、ヘンデルとグレーテルみたいに森へ入るときは、パンくずを落として目印にすればよかったと悔やむものの後の祭り。

 地元の人に聞こうにも、なぜか出会いませぬ。

 千葉県の地図は持ってないし、あるのはこの小冊子の地図のみ。

 観光地だったら、看板や地図が道路にあるんですけどね。

 方向感覚もわからなくなってきて、久しぶりにあせりました。

 小冊子に書かれたかすかな情報をたよりに、歩きまくっていたら、地図の作成者がきまぐれに書き込んだと思われるお寺の名前を発見。

 その近所を歩き回って、正規のルートである「駒形大神社」の石柱を発見したときは、迷宮から脱出した気分になりました。

 駒形大神社は、神社に「大」がついている名に恥じず、荘厳な佇まい。

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 祭神は、経津主命と平将門なのですか。

 こちらの神社には面白い行事があるそうなんですよ。

 それは、市指定民俗文化財の「にらめっこおびしゃ」。

 東西に別れた氏子たちが一人ずつ向かい合って酒を飲んで、先に笑った方が大盃の酒を飲まなくてはいけないのだとか。

 そのときは、神妙な顔つきで酒を飲み合う二人に周囲の人たちは笑わせようと冗談を飛ばすらしい。

 笑ったり、しゃべったり、盃から口を離したりすると行司は「不敬者!」と一喝し、二人はさらに大盃の酒を受けるのですか。 

 五穀豊穣と村内安全を祈念する行事だそうですが、笑い上戸の大酒飲みにはたまらない行事かも。

 神に供える餅を投げあうシーンもあって、この餅に当たれば無病息災といわれるのですね。

 この行事にも将門の伝説があるようで、この土地を開墾した将門の配下だった将兵と都の朝廷政権との和睦を形式化したという話もあるそうです。


 それはともかく、現代のバラエティー番組の企画としても採用できそう。

 元々面白い顔をしたオヤジのほうが、分がいいわけですから、何らかのハンデもあったほうがいいのではないか、と…。

 餅のぶつけ合いも、食べ物を粗末にするなという昔の人の教訓にも逆行するようだし。

 昔は厳粛で、エンタテイメントがなかったようなイメージがありますけど、こういう行事が残っていると昔の人が身近に感じられました。

 駒形大神社を出てからは、わかりやすくて迷わない道が続きます。

 「市川市少年自然の家」のあたりは林間コースで、軽井沢の小道をあるいているよう。

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 巨大なお寺の本堂のような民家もあったりして、見所は盛りだくさん。壮大な果樹園は、何ができるのでしょうね。

 そして、最後の目的地、日枝神社に到着。

 隣にある広場では、桜が満開でした。

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 ベンチに腰掛け、コンビニで買った酢イカと缶コーヒーでお花見です。

 ここから、松飛台の駅まで一本道。

 ラビリンス、迷宮から生還したインディー・ジョーンズの気分になりました。

 気が緩んだのか、ここで花粉症の禁断症状が現れ、そのあと一日でティシュ一箱使う羽目に…。

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東京近郊のラビリンス、北総線沿線 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ゴールデンウイークはいかがお過ごしでしたか?

 オイラは二日間ほど、ウォーキングに行ってきました。しっかり充電したので、今日から仕事に頑張る予定です。

 それはともかく、オイラは小学校時代から東京周辺をほっつき歩いていたので、首都圏の鉄道はほとんど制覇していると思っていたんですよ。

 上野動物園のモノレールはもちろん、都内の遊園地のお猿電車まで…。

 最近できた日暮里舎人ライナーはまだですが、いずれ確実に乗ることになるでしょう。

 ところが灯台下暗し。

 オイラがよく利用している都営地下鉄から接続しているのに、まだ足を踏み入れていないルートがあることを発見したのです。

 それは、北総線。

 読んで字のごとく、千葉県の北部を横断して、終点の印旛日本医大駅まで続いているのですな。

 でも、電車に乗るのだけが趣味ではないし、結構電車賃が高い。

 沿線に見所でもあれば行ってもいいのだけれど、と思っていました。

 するとある日、都営地下鉄の駅で「ほくそう」という小冊子を見つけたのです。無料なので、条件反射で手が出てそれを読んでみると、ありました、ウォーキングコース。

 北総線の秋山駅から松飛台駅まで、約11キロ、所要時間2時間20分のコースですと。

 こりゃ、お手頃だし、コースを見ると神社仏閣、遺跡、そしてなんとお城までトッピングされている。

 行くっきゃない、と花粉がびゅんびゅん飛んでいる日でしたが、決死の覚悟でウォーキングを敢行しました。

 都営浅草線から乗り換えなしで京成線へ。京成高砂駅から北総線に乗り換えます。

 地下鉄から直接終点の印旛日本医大まで走っている電車もあって、ルート選択はなかなかややこしい。

 これは間違える人もいるだろうなと思いましたが、オイラは無事、目指す秋山駅に到着。 

 ホームを歩いていると、おっさん2人に呼び止められました。

 何でも、柴又まで行くつもりが、迷ってしまったらしい。

 いつまで乗っても着かず、だんだん郊外へ向かっているようで不安になって降りたのですか。

 目が泳ぎ、映画で見る寅さんの舞台とは似ても似つかぬ風景に戸惑っている様子がありありでした。

 京成高砂駅で京成線に乗らず、北総線に乗ってしまったのね。

 高砂駅まで戻ったほうが良いと言うと、二人は肩を落としてトボトボと反対側のホームへ向かうのでした。

 駅前に出ると、マンションはあるのに、商店がほとんどない。都心近郊の駅とは思えない風景でしたが、あと10年もするとスーパーやチェーン店がひしめく繁華街に激変するのでしょうね。

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 小冊子の地図を見ながら、まず向かったのは春日神社。

 古くて急な石段を上がると、趣のある社殿がありました。

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 この近所に春日神社が多いのは、昔、この近くにあった下総国の国府に赴任した都の役人がそのまま土着し、都で彼らが崇拝していた春日神社を祭ったのが始まりとか。

 1000年以上前にも、Iターンがあったのですね。生まれた土地に対する愛着は当時の人たちも強かったのでしょうか。

 そんなことを思い、小冊子を読みつつ、次の目的地を目指します。

 それにしてもこの小冊子。

 地図はあるのだけれど、市街図のようにいろいろな目印が書かれていないのでわかりづらいっす。

 それをサポートする意味で、地図に文章が書き込まれている。

 たとえば…

『参道を進み、五差路を右斜め前の道に入り、大通りへと出たら右折し、高校正門先の横断歩道を渡る』

 うう、国語の読解力が試されているような。

 これは、どう読み解けばいいのだろうと、立ち止まって考え込みました。

 海賊キッドの宝探しみたいで楽しかったですけどね。

 でも、次の文章には困りました。

『突き当たり手前のT字路を左折し小路へと入り、小橋を渡り坂を上る』

 この言葉通り進んだつもりが、地図と実態とが全然適合しない。

 ひぃぃぃ、早くも迷子ですか。

 あせるな、こういうときこそ、冷静になるのじゃと、自分を励まして、文章から地理的状況を推理しました。

 小橋があるってことは、川が近くに流れているはず。それに坂があるということは高台もなければならない。

 その二つの条件を満たす場所が、この近くにあるかどうか探せばよいのじゃ。

 …と探したけれど、どこにもないっす。

 第一、住宅街の真ん中でどこにも川なんて流れてないよう。

 仕方なく、地図と現実がマッチすると思われる場所まで戻ることにしました。

 そしてもう一度、さきほどの文章を読み解いて、自分が思い違いをしていることに気づいたのです。

 オイラは、突き当たりのT字路を左折してしまったのですが、正しくは突き当たり手前のT字路を左折するのですな。

 その条件で探すと、ありました。T字路と小路が…。

 そしてそこを進んでいくと、おお、これが小橋っすか。

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 確かに、「小橋」だけど、オイラの思い描いていたイメージとはかなりの隔たりが…。

 ホントに日本語の表現って、難しいですね。

 やっと、コースに戻れたと喜んだのも束の間、また次の目的地がわからなくなってしまいました。

 それでも、目印となる高校が地図に書き込まれていたのでなんとか、その隣にある厳島神社に到着。

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 厳島神社といえば、安芸宮島の厳島神社が有名ですが、そこは平家一門の守護神としても有名ですな。

 なぜ、関東に平氏が、という疑問もわきますが、関東にも平氏のスーパースターがおられるのでした。

 それは、承平天慶の乱の立役者である平将門。

 この地域は、平将門にまつわる伝承が今も数多く残っているのですね。この厳島神社も、平将門にゆかりの神社ではないかとも考えられているらしい。

 平将門については詳しくないのですが、朝廷に反旗をひるがえして、関東一円を手中に収めた平安時代の武将だという記憶があります。独立国を立ち上げようと画策したものの、平貞盛や藤原秀郷らによって討死した悲劇のヒーロー。

 ずっと前の大河ドラマ「風と雲と虹と」で、若き日の加藤剛が将門を演じてかっこよかったという記憶がありますね。

 比較的新興の住宅街だと思いきや、こんな古い歴史があるとはすごいです。

 そして次に向かったのは、もっと古い歴史がある場所なのですが、またしても迷ってしまいました。

 『2棟のマンションの間のT字路を右折し、しばらく進み、突き当りを右折し、坂を上る』

 2棟のマンションを行き過ぎ、こりゃいかんとまた戻る羽目に。

 でもなんとか、縄文時代に作られたという曽谷貝塚にたどり着きました。

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 曽谷貝塚は、東西210m、南北240mという単独の馬蹄形貝塚としては日本一の広さがある貝塚らしい。貝塚が作られたのは、今から約4000~3000年前の縄文時代後期だそうですね。

 貝塚だけではなく、竪穴住居や土偶、土器、埋葬された人骨なども発見されているらしい。

 住宅と畑に囲まれた広い原っぱが、その跡ですか。さすがに日本一というだけあって、広いですな。

 う~ん。でも、歴史に興味がない人から見たら、ただの原っぱかも。

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 あるのは石碑と解説板だけっすか。

 でも、せっかく来たのだからと、原っぱの周囲をぐるっと回ってみることにしました。

 それにしても、東京の近郊にこんな広々とした空間があるのは素敵ですよね。

 …と、何気に畑を覗いてみたのです。

 やけに白い土だなと…。

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 よく見ると、白いツブツブが土の上にまだら模様になっている。

 何?この白いものは、とよくよく見たら、細かく砕かれた貝殻じゃないっすか。

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 も、もしかして、これは貝塚からあふれ出した貝殻?

 だとしたら、ものすごい量の貝。

 畑からあふれ出した貝殻は、細かく砕かれてアスファルトの道路の上にも撒き散らされている。

 オイラが今道路の上で踏んでいる貝の欠片は、縄文人が食べた貝?

 おお、これはすごい。すごすぎる。

 農家の人も、畑からあふれ出た貝を撤去するというのではなく、作物とともに共存させているといいますか。

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 縄文時代の貝殻から、にょっきり出た作物がとても貴重なように思えました。

 それにしても、この原っぱの下にはとてつもない量の貝が埋まっているのですね。それらは全部、縄文人がここまで運んできて、貝を食べた後捨てたもの。

 人間の力を見せ付けられたような気持ちになりました。

 今日の記事はまたまた長くなりましたが、まだウォーキングの半分も書いてはおりませぬ。

 途中で随分道に迷いましたからね。

 このあとも、文章の解釈をめぐってまた迷ってしまうのですが…。

 果たしてビジベンは、この東京近郊のラビリンス、迷宮から無事脱出できるのか。

 それは次回。

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湘南・大磯 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 前回、サザンの故郷、湘南・茅ヶ崎を訪れたのですが、それから1ヵ月後、なんと茅ヶ崎のほうで仕事をすることになったのです。

 生まれて初めて訪れた茅ヶ崎を、再度訪れることになったのですね~♪。

 ブログやサザンとは関係ない仕事なのですが、こういうことは珍しい。

 …といっても、午前中だけで、午後はフリー。

 自営業の気安さもあって、せっかく湘南へ来たのだからとウォーキングをすることにしました。

 でも、茅ヶ崎は前回さんざん歩き尽くしたし、そのお隣の平塚も去年行ってしまいました。

 それなら、そのまたお隣、…ということで、大磯まで足を運ぶことにしたのです。

 大磯もまだ一度も訪れていないし…。

 茅ヶ崎のある大企業で、刺激的な体験をしたあと(書ければ面白いのですけど、守秘義務の誓約書に判を押してしまったので残念)、駅前のガストで豆腐ハンバーグを食べ、東海道線に乗り込みます。

 滑るように走る電車の中、子供の頃、東海道線の鈍行に揺られ、名古屋まで行ったことを思い出しました。

 よく覚えていないけど、8時間くらい電車に乗っていたような気が…。

 腰は痛くなるし、そのあと、「タッタッタ、ゴー タッタッタ、ゴー」という線路を走る音がずっと耳についたのを覚えています。

 今は快適。でも鈍行で走ると、駅ごとにその町で暮らす人たちの息遣いまで感じられるようで、楽しかったですね。

 そんなことを思いつつ、大磯駅に着きました。

 おお、古びた駅舎がまだ残っている。当時の郷愁がよみがえります。

 駅前のロータリーも昭和の面影。茅ヶ崎や平塚が都会化しているのに比べ、ものの10分で平成から昭和に戻ってしまったよう。

 それでいて、なんとなく上品なたたずまいは、明治中期から昭和初期にかけ、政財界人など要人の別荘地となっていたからでしょうか。

 たとえば、伊藤博文や吉田茂など大物政治家の別荘もあったとか。とくに吉田茂は、首相辞任後は大磯に居住していたこともあって、「大磯」は吉田の別称でもあったらしい。

 大磯駅を出て、線路沿いに西に向かいます。

 地図を見ながら、小高い丘をぐんぐん登ります。

 かなり急な坂。その曲がりくねった坂の両側にさすが大磯、というような豪邸が並んでいました。

 道は細いし、車の運転も大変でしょうね。店が一軒もないから、徒歩で買い物に行くとしたらかなりの急坂を上り下りしなきゃならない。

 どうしてこんな不便なところに、と思ったらその理由も納得できました。

 後ろを振り向くと、おお、相模湾の絶景が…。

相模湾を見下ろす絶景


 はるか水平線のかなたまで見渡せて、地球の丸さを実感できる。

 行ったことはないけれど、瀬戸内海を見渡せる尾道の風景はこんな感じでしょうか。

 この景色を毎日拝めるのなら、少々の不便は致し方ないかも。

 もっとも、お店の御用聞きがこのあたりを回っているのかもしれませんね。

 …と思うそばから、70歳くらいのおばあさんが買い物かごをぶら下げて急坂を登っていきました。

 丘の頂上にあるのが高田公園。

高田公園


 なんでも、高田保(1895~1952)の墓碑のある公園だとか。

 高田保という人を知らなかったのですが、随筆や小説、演劇などで文才を発揮して、晩年は大磯町の教育委員長を務めた人らしい。

 シンプルだけど特長的な墓碑が、相模湾を見下ろしている光景が印象的でした。

 坂を降りる途中では、大磯の街並みが相模湾をバックに広がっています。

大磯の街並み


 境内に多くの石造物が残る御嶽神社へお参りしたあと、東海道線の線路をわたり次の目的地へ。

 この一見何の変哲もない古い民家が、なんとあの文豪、島崎藤村が晩年を過ごした家っすか。

島崎藤村旧宅


 ここで余談ですが、オイラが子供時代、ある国語の試験を受けたとき、「破戒」や「千曲川のスケッチ」の作者は誰かという問題が出ました。

 すぐ頭に閃いたのが、「藤村」という文字。

 ところが、どうしても次の名前が出てこない。

 「藤村」は、苗字だと思ってしまったのですね。でも、何となく、下も「藤村」という言葉だったような。

 「なるほど、そうじゃ」と解答用紙に自信満々で、「藤村藤村(ふじむらとうそん)」と書いたのでした。

 あとで先生から、「藤村藤村」と書いた生徒が10人もいると聞かされ、オイラの創造力の欠如を思い知らされましたね。

 それはともかく、藤村は、昭和16年の1月に、休養のため湯河原を訪れる途中、知人とこの地を訪れたのだとか。

 そこで、「大磯は温暖の地にて、身を養うによし、時に仕事を携えて、かの海辺に赴くこととす、余にふさわしき閑居なり」ということで、大磯での生活が始まったらしい。

 最初は別荘みたいにして、東京と大磯を往復する生活が続いていたらしいですが、太平洋戦争がはじまるとこの地に住みながら執筆を行ったのですね。

 そして昭和18年8月に、大磯で死去。脳卒中だったそうですね。

 この家は、別荘として使用する目的で大正後期から昭和初期に建築されたそうな。

 だとすると、もう70年近くたっているのですが、とてもきれい。

旧宅室内


 不動産屋さんの賃貸物件として紹介されても、住んでみたくなるほどです。やっぱり古い日本家屋は落ち着いていて趣がありますな。

 藤村のゆかりの品があるともっとよかったのだけれど…。

 旧島崎藤村邸を出て、国道1号まで歩きます。

 横断歩道をわたるとき、湘南平がよく見えました。

湘南平


 湘南平は、平塚市南西部と大磯町北部にまたがる海抜181メートルの丘陵。あそこに登ればきっと絶景が見渡せるでしょうね。

 いつか行ってみようと思いつつ、旧東海道の国道1号を歩きました。

 大磯中学前から、中央分離帯と歩道部分にクロマツの大木が並んでいます。

旧東海道の松並木


 これが旧東海道の松並木。

 今から400年ほど前の江戸時代、東海道の改修の際に植えられたものだとか。

 当時の浮世絵にもこんな景色があったような。大名行列や当時の旅人たちの姿がイメージできました。

 そして、いよいよ湘南の海へ向かいます。

 この辺りの海岸を「こゆるぎの浜」と呼ぶのですか。

こゆるぎの浜


 「ゆるぎ」とは波の動揺のことで、古今和歌集にも詠まれたらしい。

 そう言われてみると、平安貴族が海岸に立って感傷にふけっている姿をこれまたイメージしてしまいます。

 浜を臨む海岸には、伊藤博文などそうそうたる名士たちの別荘が建ち並んでいたとか。

 司馬遼太郎ファンのオイラからしたら、若い頃の伊藤博文の行状を読んでいるから、それほどの感慨は感じませんが…。

 ふたたび東海道、いや国道1号に戻り、さっきとは反対方向へ歩きます。

 まもなく右手に、大磯町役場が見えてきました。

 そして次の目的地、鴫立庵はその隣にひっそりと、しかし別天地のような風格で存在していました。

鴫立庵


 あとでわかったのですが、鴫立庵は、しぎたつあんと読むらしい。

 役場の隣にありながら、入り口は深山幽谷の閑居といったたたずまい。

 いわゆる草庵なのですが、ここは日本三大俳諧道場のひとつだとか。あとは京都の落柿舎、滋賀の無名庵なのですか。

 なんとなく聞いたことがあるような。

 解説板には、鎌倉時代の有名な歌人・西行法師が、「心なき 身にもあわれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」という和歌をこの地で詠んだとありました。

 そして、江戸時代初期に、小田原の崇雪という俳人が、西行を慕って大磯・鴫立沢のほとりに草庵を建て、その後これが鴫立庵と呼ばれたらしい。

日本三大俳諧道場


 その後、元禄時代に、俳人大淀三千風が庵を営み、ここを西行の鴫立沢とし、堂を造って西行の像を安置。また、ここに俳人や歌人を集め作品を制作させたので有名となり、東海道中の名所となったのですか。

 庭には、俳諧を刻んだ石碑が所狭しと置かれていました。

 その中に、「松本順」の墓碑を発見。

 松本順って、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」に登場する幕府の奥医師だった松本良順ですよね。

 明治18年、初代軍医総監であった松本順の尽力によって開設されたのが大磯海水浴場なのだとか。

 そういえば、大磯駅前に「日本初の海水浴場」という看板があったような。

 いろんな場所を歩いていると、知識の断片がジグソーパズルみたいに埋まってゆく楽しみがありますね。

 それなら、と、もう一度日本最初の海水浴場へ行ってみることにしました。

 大磯港の隣がその場所らしい。

 岩場のあるこの場所でしょうか。

日本最初の海水浴場


 最初といっても、古さを感じさせるものはなく普通の海でしたが、なんとなく歴史を感じさせるイメージはありました。

 そして最後に向かったのが地福寺。

 島崎藤村とその奥さんのお墓がありました。

 こちらもシンプルだけど特徴的なデザインだと思ったら、最初に行った高田保の墓碑をデザインしたのと同じ人らしい。

 行った日は、梅が満開で得した気分になりましたね。

地福寺

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サザンオールスターズの故郷、湘南・茅ヶ崎 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 花粉症の最悪の時期は脱しましたけど、まだ頭が重い状態が続いています。

 涙目と鼻水、そしてなぜか左手の薬指だけ乾燥してかゆい。

 何でほかの9本の指は健康なのに、一番意味深な指だけこういう不幸に見舞われるのかと考える今日この頃。

 ブルーな気分を払拭すべく、スカッと明るい場所にウォーキングに行くことにしました。 

 そこで、今回行ったのは、湘南・茅ヶ崎。

 山のほうへ行くと花粉が飛んでいそうだから、何気に足が海の方向へ向かってしまうのですね~。

 茅ヶ崎へはまだ一度も行ったことがないし…。

 オイラの中学校時代の社会科の先生が茅ケ崎に住んでいて、当時、そんなに遠いところから通っているの?と思っていました。

 距離は遠くても、東海道線を使えばオイラのいた中学まで、1時間半くらいで通えるのですね。

 そういえば、サザンの桑田さんも茅ケ崎出身。

 サザンのメンバーは青山学院出身だから、桑田さんも大学時代は渋谷まで通学していたのでしょうか。

 茅ケ崎にとって、桑田さんの貢献度は非常に高いっす。

 なぜなら、中学の先生の家があるということと桑田さんの出身地ということでは、イメージ的にビジベンとキムタクほどの違いがありますからね。

 それはともかく、行った日は湘南の日差しが目にまぶしかったです。

 JR東海道本線の茅ヶ崎駅を出て、駅前の広い道をまっすぐ歩くと、左手に茅ケ崎市役所。その向かいに茅ケ崎中央公園があります。

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 駅から10分も歩かないのに、こんな広い公園があるなんていいですね。広大な芝生やちょっとした森、水辺などもあって、お昼休みに弁当でも広げれば仕事のストレスも発散できそう。

 ただ、行った日は寒かったのか、公園は閑散としていました。

 ガイドブックを頼りに、お決まりの神社仏閣めぐりに突入。

 江戸時代に創建の長善寺と源氏ゆかりの本社宮を巡ったあと、龍前院へ。

 ここには、1694年に再鋳されたという市内最古の梵鐘がありました。

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 1694年と言えば、元禄、五代将軍綱吉の時代ですか。それほど大きくはないものですが、こんなに近くで見られるのは珍しいかも。

 書いてある文字を読もうと思っても、何が書いてあるのかわかりませぬ。

 歴史が好きなのに、高校時代、古文・漢文の成績はまるで駄目でした。

 若い頃、もっと勉強しておけばよかったと悔やみつつ、その近くにある鶴嶺八幡宮へ向かいます。 

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 この神社は見るからに由緒ありそうだぞ、と思ったら、相模国茅ケ崎の総鎮守だそうですね。

 創建はなんと平安時代らしい。

 平安時代、源頼義が下総の乱を鎮定するため、この土地にやってきて、家の守護神岩清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をしたそうな。

 また、のちに前九年の役が起こると、頼義の応援に向かった嫡男、源義家が戦勝祈願。後三年の役の際には、義家が再び参拝して勝利を収め、感謝の意をこめて、鶴嶺八幡宮を創建したのですね。

 これらの戦いは、源氏が関東において、ゆるぎない地位を得たきっかけとなったもの。

 オイラは関東周辺のいろんな神社仏閣をまわりましたけど、この前九年の役と後三年の役にまつわる話がとても多いと感じます。

 とはいえ、今から1000年も前の事件ですよ。現在にも、大きな痕跡を残しているあたり、いかに大事件だったかがわかります。

 現代で、後世に長く残るような事件はあるのだろうかと考えたりして…。

 この銀杏の木は源義家の手植えだとか。この手植えの木というのも、どこの神社にも多いですな。

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 こう多いと眉につばをつけたくなりますが、源氏のスーパースターがこの境内にやってきて、この木のそばを歩いたのは間違いないだろうと思いました。

 鶴嶺八幡宮を出て、300年の風雪に耐え抜いたという松並木の参道を歩きます。

 朱塗りの大鳥居をくぐると、川の橋のたもとに立派な碑が建っていました。

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 これが、「南湖の左富士の碑」。

 今はなんの変哲もない国道沿いの風景ですが、この辺りは江戸時代、安藤広重の「東海道五十三次名所絵図」にも描かれた景勝地だったらしい。

 そういえば、ここは旧東海道でもあるのでした。なんでも、東海道で左側に富士が見える景色というのは珍しいそうですね。

 南湖の一部は、かつて茶屋町といわれ、参勤交代の大名も利用したそうな。

 では、富士山が見えるのかな。

 と思って、キョロキョロあたりを見回しましたが、そのお姿を拝むことはできませんでした。曇っていたためか、今はビルの陰で見えないのかわかりませぬ。

 それにしても、そばを流れる川は「千の川」というネーミングなのですか。

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 思わず、「千の風になって」を口ずさみつつ、次の目的地を目指します。

 次は、オイラの今回の旅のメインディッシュの場所。

 なんと、鎌倉時代の橋の橋脚が残っているそうなんですよ。

 関東大震災が起きたとき、水田の中から忽然と7本の丸太が地上に浮き出てきた。

 専門家の鑑定によると、それはかつて相模川に架けた橋の橋脚だったらしい。鎌倉時代、源頼朝の重臣稲毛重成が亡き妻である北条政子の妹の供養のために架けられたそうな。

 田んぼの中から、丸太が飛び出したというのも驚きですが、それが鎌倉時代のものだったなんて。

 この橋脚は、直径60センチの檜の丸材で、橋の幅は約7メートルもあったとか。

 橋の幅が7メートル? すごいっす。当時、全国有数の大橋だったのでしょうね。

 また、この橋の出現によって、相模川は今よりだいぶ東を流れていて、氾濫を繰り返しながらその流れを次第に西へ移動したこともわかったらしい。

 国の史跡にも指定されている。

 これを聞いただけでも、一度、この目で拝みたいと思いました。

 …で、喜びいさんで行ってみたら…。

 こんな状況でしたぁぁぁぁぁぁぁ~

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 なんと、改修工事中。

 ガイドブックには、2007年度末で工事は終わりと書いてあったのに。

 ガックリ。

 これで、ガイドブックのウォーキングコースは終了ですか。

 なんか、消化不良の状態を引きずりそう。

 落ち込んだ時は、海を見るのがいいそうですね。

 と思ったら、今いるのは湘南。

 地図を見たら、ここから結構距離がありましたが、根性で行ってみることにしました。

 車の行き交う道をひたすら歩き続け、たどりつきました相模湾。

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 ここは柳島海岸というらしい。

 夏の海もいいけれど、冬の海も感傷的でなかなかいいですな。

 なんか、サザンの「TSUNAMI」のイメージにぴったりの風景。

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 桑田さんもきっとこんな海を眺めていたのかも。

 「TSUNAMI」を口ずさみながら、海岸線を歩きます。

 歩き続けていると、海のかなたに特徴的な岩が…。

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 一瞬、鮫のヒレにも見えましたが、貴族の烏帽子にも見えますね。

 もしかしてあれは、サザンの歌にも登場する「烏帽子岩」?

 デビュー曲の「勝手にシンドバット」。

 烏帽子岩が見えてきた~、俺の家もちかい~♪

 そして

♪ 烏帽子岩が遠くに見える~    星は何でも知っている~
       心から好きだよ、ミーコ 抱きしめたい 甘くてすっぱいひとだから・・・♪



 「チャコの海岸物語」にも登場するんでしたっけ。

 烏帽子岩のまわりにもいくつか岩が顔を出しているのが見えます。これらの岩礁は、姥島(うばしま)と呼ばれるみたい。海岸から1キロ以上も離れてポツンと海の中にあるのはとても目立ちますね。

 かつては筆島とも呼ばれたそうなんですよ。

 烏帽子には見えるけれど、とても筆には見えないなと思ったら、この形状、実は人為的な加工?が施されたらしい。

 太平洋戦争後、辻堂海岸一帯が在日米海軍辻堂演習場となり、その海上演習の標的として1954年4月13日まで姥島が使用されたそうな。

 つまり、烏帽子岩は砲撃の的にされたため形が変わってしまったのですね。

 もともとはもっと裾が広くて先端が高く尖って、筆のような形をしていたらしい。

 烏帽子というから、平安時代の貴族がここを訪れて、歌でも詠んだことからつけられたネーミングかと思ったら、最近のことだったとは。

 烏帽子岩がよく見える海岸は、「サザンビーチちがさき」と呼ばれているのですね。

 その海岸に、「茅ヶ崎サザンC」というお洒落なモニュメントが建っていました。

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 このCは、茅ヶ崎の頭文字のCという意味と、Cの右側の文字の切れ目の部分にカップルで立ってCを1つの円(輪)として完成させれば、縁(円)結びの輪となるイメージなのだとか。また、海の安全と平和を祈る輪となるという意味もあるそうですね。

 「C」といえば、サザンの初期の名曲「C調言葉に御用心」をオイラはイメージしてしまいます。

 このビーチで、C調言葉をささやきたくなりました。

 最後に向かったのは、茅ヶ崎公園野球場。

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 一見、何の変哲もない地方球場ですが、ここは今や伝説の場所かも。

 ここで、2000年8月19日、20日の二日間、サザンが野外ライブを行ったそうなんですよ。

 茅ヶ崎ではプロのミュージシャンが野外での大型コンサートを実行した前例が無かったそうですが、茅ヶ崎市の人口の約4分の1の5万人を超える署名が集まって実現したらしい。

 当日、サザンは、4時間にわたって、全36曲を演奏したとか。

 しかも、サザンの前座が福山雅治。

 く~、行きたかったっす。

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埼玉県小川町・仙元山、青山城址 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ぐるっとパスでさんざミュージアムを回り尽くしていたら、夢に絵画や古文書、恐竜、ロボットのおねーたん、ライオンやオランウータンなどの動物が出るようになってしまいました。
 
 ちなみに今月から、「ぐるっとパス2008」が発売されたそうですよ。

 詳細はこちら

 オイラはさんざん歩き回ったので、今年のぐるっとパスはパスするつもりですが…。

 それはともかく、ぐるっとパス後遺症を通常モードに戻さねば、社会生活に支障をきたしかねない。

 …ということで、休日を従来のウォーキングモードへ補正することにしたのです。


 さて、どこへ歩きに行こうか、と…。

 そういえば最近、山へ行っていないと思い至り、近場へハイキングに行くことにしました。

 図書館で「大人の遠足・駅から山歩き」という優れものの本を借りてきて、パラパラめくっていたら、東武東上線の小川町という駅名を目にしました。

 会社に勤めていた頃、ストレスで胃が痛くなりながら仕事していた時期があったのです。

 そのとき気分を変えようと、ハイキングに出かけたのが、小川町の近くにある官ノ倉山という低山。

 森閑とした山道を登っているうちにストレスが汗とともに流れ落ちてゆくのがわかりました。

 どういう仕事のストレスだったかは忘れましたが、そのときの爽快感は今でも記憶に残っています。

 同じところへゆくのもいいけれど、小川町を起点とした別の山のハイキングコースもあるらしい。

 ストレスはあまりたまっていませんが、山城の跡も残っているという魅力的なフレーズに惹かれ、出かけることにしました。

 レトロ感ただよう小川町駅を出ると、さっそくコンビニを探します。

 以前、年末年始に山へハイキングに行った時、駅前で食料を調達しようと思ったら、店が一軒もない。

 近くを歩き回り、酒屋と乾物屋さんを見つけたのですが、正月休み中。

 仕方なく、駅で缶コーヒーやジュースを買って、夕方山から下りてくるまでそれらを飲んで飢えをしのいだのでした。

 駅前のローソンで、しこたまおにぎりやサンドウィッチを買い込み、山を目指して歩きます。

 これで、遭難しても2日は生き延びられそう。こんな低山で迷う人はいないと思いますが…。

 小川町は、懐かしい昭和の雰囲気を感じました。明治・大正の面影を残す家が少なからず残っているのは戦災の影響を受けなかったからでしょうか。

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 東京にも、佃島や下町のあたりに古い街並みが残っている地域は戦災で焼けなかった場所みたい。

 市内を流れる槻川の水はとてもきれいですね。

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 小川町といえば、和紙の里として有名ですが、和紙作りが盛んになった理由がこの市内を流れる清流だったらしい。

 しかも、厳しい寒さと冷たい水が品質に影響するのだとか。

 奈良の正倉院の文書には武蔵の国から大量の和紙が寄進されたという記録があるそうですね。

 行った日は、晴れていましたが、北風がピューピュー吹くとても寒い日でした。

 こんな寒い日に、冷たい水に手を突っ込んで手すき和紙を作るなんて、つらそう。

 そんな作業のつらさを歌った「紙漉き唄」も残っているそうな。

 そんなことを思いつつ歩いていると、これから向かう仙元山の登山口に着きました。

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 右手に沢を見ながら湿った細い道を登ります。

 仙元山は、標高わずか298メートル。

 一番太っていた頃から比べ、8キロも減量したオイラにとってダッシュで駆けあがれるとなめてかかっていた部分も無きにしも非ず。

 メタボにもっとも近づいたときでも、ミシュランで三つ星を取った高尾山にケーブルカーなしで登りましたからね。

 だけど、きついっす。

 内臓脂肪がなくなって、余った内臓の皮が腹の中でヒラヒラ揺れる感触が…。

 さすがに座り込みはしませんでしたが、立ち止まって息を整えたことが何度かありました。
 
 頂上はまだですか~と思い始めたころ、あまりにあっさりと頂上が目の前に現れました。

 到着すると現金なもので、ちょこっと物足りない気もしましたが…。

 ガイドブックには、視界はあまり開けていないと書かれていたのですけど、小川町の市街地が眼下に広がっている。

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 頂上付近の杉の木を切って、眺望を確保してくれたのですな。

 あまり期待していなかったのですが、冬晴れの透き通った空気を通して、小京都・小川町の息吹が感じられました。(行ったのは冬でしたので念のため)

 標高300メートルを切る山だというのに、高層ビルが近くにないからとても高く感じられます。

 こう考えると人間が作った333メートルを誇る東京タワーというのはとてつもない偉業だと思いました。

 下町に600メートルを超えるタワーが今年着工されるそうですが、人間がますます天に近づくのでしょうね。

 ちなみに、仙元山の「せんげん」というネーミングは、かつて頂上に浅間神社がまつられていたからなのだとか。

 頂上をくだり、本日のハイライトである青山城址を目指します。

 自称城愛好家のオイラにとって、青山城はガイドブックを見るまで知りませんでした。

 ただこの辺りは、小田原の後北条氏や越後の上杉氏、甲斐の武田氏といった戦国大名の関東三国志の舞台となった場所。

 鉢形城や松山城などの名城も近くにありますね。

 青山城は戦国時代、松山城の支城としての位置づけだったらしい。

 それほど有名ではないし、空堀の跡ぐらいわかれば上等と思っていました。

 でもうれしい誤算と言いますか、土塁や郭はおろか、帯郭の跡も肉眼で判別できる。

 標高265メートルの本郭へたどりつくまで、急峻な山道と深い堀、高い土塁が行く手を遮ります。

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 郭が連立して伸びているのかなと思ったら、本郭を中心に二つの郭がコの字型になっている縄張りまでしっかり確認できました。

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 広さはさほどではありませんが、砦と呼ぶには多少抵抗ある規模かも。

 それにしても、山城の写真は難しいっす。

 どこを撮っても、雑木林。

 それはともかく、土塁が立派なのはもとより、大きな石や人工的に見える石の壁など興味深い発見もありました。

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 石垣というほどではないにしても、石を使った防御施設の発想があったんだろうな、と…。

 うちに帰ってネットで調べたら、オイラと同じ部分に関心を持った人のブログも発見して、やっぱりと思いましたね。

 当時の城の面影をイメージしながら、次の目的地、大日山に向かって歩きます。

 途中に細い杉が針山のように生えている薄暗い場所がありました。

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 見上げると木の枝が風になびいて、生き物が鼓動しているようにも見える。

 行った日は、スギ花粉が飛ぶちょっと手前でしたけど、背筋が寒くなりましたね。

 今行ったら、恐らく呼吸困難に陥って命が危ないかも。


 大日山の頂上からつづらおりの林道をひたすら降り、割谷の集落に入ります。

 左手には、今登ってきた仙元山の穏やかな稜線。

 仙元山の麓に広がる冬枯れの水田の景色は、とても首都圏から日帰りで来たとは思えませぬ。

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 このあたりを流れる槻川は、かつて氾濫してこの辺りの人たちを苦しめたそうですが、土地改良工事を終えてからはゆったりとした流れを見せてくれていました。

 この地域の古社である大聖寺にお参りして、最後に埼玉伝統工芸会館に寄ってみました。

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 ここは、地域の伝統工芸を振興する目的で作られ、館内の常設展示室では埼玉県指定の伝統手工芸品がすべて見られるのだとか。

 しかも、手すき和紙作りを体験できるのですね~

 よろこんで入ろうと思ったら、休館でした。

 ぐるっとパスを条件反射で出そうとしたあたり、いろんなミュージアムがまだ夢に出てきそう。

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東京リゾート・江戸川区・新左近川親水公園~葛西臨海水族館 ウォーキングストーリー

  こんにちは。

 長らく続けてまいりました「ぐるっとパス」を使った都内ミュージアム巡礼の旅、いよいよ本日で満願成就いたしましたぁぁぁぁ~♪

 これも、お付き合いいただいた皆様のおかげと感謝いたしております。

 ただ、満願といっても、ぐるっとパスの対象施設を全部まわったわけではなくて、割引だけの施設は行っていませんので念のため。

 受付までわざわざ行ったのに、新たにお金がかかると聞いてパスしたところもありました。

 チケットを渡そうとしてずっこけた、おねーたんの恨めしそうな顔が忘れられませぬ。

 オイラには、果たして芸術を鑑賞する資格があったのだろうかと、自問自答する今日この頃です。

 それはさておき、ぐるっとパスを使って最後に訪れたのは、江戸川区にある葛西臨海水族館でした。

 美術館・博物館が主体なのですが、動物園や水族館も入れるのはうれしいですよね。

 ついでに、東京のリゾート・江戸川区の公園も散策しようと思ったのです。

 …ということで、地下鉄東西線の西葛西駅へ降り立ちました。

 隣の葛西駅には、地下鉄博物館もあったのですが、ぐるっとパスの対象施設ではなかったのでまた次回に。

 来年は、ぐるっとパスに参加されることを期待します。

 西口を出て、左に向かい、葛西親水四季の道を歩きます。

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 ここは長島川の水路を再生させたもので、平成元年に完成した遊歩道なのだとか。

 沿道には、小川が流れ、しょうぶ、手入れの行き届いた花壇や田んぼ、水遊びのできる池などがありました。

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 春に来たら花がきれいだろうと思いつつ歩き、やがて新田の森公園に着きました。

 ここから帯のように、緑あふれたリクリエーションのゾーンが旧江戸川まで3キロも続くのですね。

 その名はずばり、総合リクリエーション公園なのだとか。

 24万平方メートルもあるそうですが、もう少し土地の雰囲気がイメージできるようなネーミングのほうがいいと思うのだけれど…。

 ただ実際歩いてみると、リクリエーションの施設がてんこ盛りで、なるへそと思いました。

 天邪鬼のオイラは、人工的な施設よりも、こんな何の変哲もない季節感いっぱいの道が好きなのですが。

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 小川に沿った木道のある新長島川親水公園を歩き、広い噴水広場を通ってすすむと、視界が大きく開けました。

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 まわりに団地やマンションが建ち並ぶ中、広々とした水辺の風景が妙にマッチしていますね。

 タワーマンションのような超高層のビルがない分、池の広さが実感できると思いました。

 池にはおなじみのスワン型のボートが羽を休めています。

 夏は、貸しボートで賑わうのでしょうね。

 ここは、新左近川親水公園といって、平成6年に完成したそうな。

 全長は750mで、総面積が8万2千平方メートルもあるらしい。

 まさに都会のオアシスで、近所にこんな素敵な公園があればいいのに、と思いました。

 水辺を歩き、堂々とした海岸水門のところを右折、左近通りを渡ると野球場やテニスコートが見えました。

 さっきから、スコーン、スコーンと小気味いい音がするのは、誰かが壁打ちテニスをしているのですね。

 ここからなぎさ公園までが、再び総合リクリエーション公園なのだとか。

 しばらく歩くと、屋根付の相撲場もありました。

 野球場やテニスコートだけじゃなく、相撲も、っすか。

 さすが総合リクリエーション公園。

 環状七号線の大通りを越えると、フラワーガーデンがあります。

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 ヨーロッパ風の赤レンガのガーデンテラスに噴水、奥にはバラ園とこれまた噴水のコラボですか。

 大きな金属球から、霧状に水が噴出し、虹が浮かび上がってとてもきれいでした。

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 たっぷりリクリエーションをしたあと、花の橋を渡って向かったのは、富士公園。

 ヨーロッパ風バラ園の次はなんで富士なのかなと思ったら、右手の小高い丘がちょっと苦しいけれど、富士山に見えなくもない。

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 これが江戸川富士というのですか。

 標高は11メートルですが、頂に彫刻があって、そこからの眺めはなかなかでした。

 富士見橋を渡り、今度はなぎさ公園に入ります。

 それぞれ違う公園の名前がついていますが、団子状に公園が並んでいて、その境目には橋がかかっているみたい。

 なぎさ公園の見所は、目の前に広がる展望の丘。

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 頂上に登ると旧江戸川のゆったりとした流れを見下ろすことができました。

 ちなみにこちらの標高は15メートルで、江戸川の富士山より高いのですな。

 もう一つの見所はポニーランドみたいですが、行った日は寒かったからか、あいにくポニーさまのご尊顔を拝することはできませんでした。

 総合リクリエーション公園でたっぷりリクリエーションを楽しんだ後、いよいよ本日のメインディッシュである葛西臨海水族館へ向かいます。

 環七通りに戻り、湾岸道路方面へテクテク歩きます。

 高速湾岸線と京葉線の高架をくぐると、おお~ここは南国宮崎と見まがうばかりの景色。

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 東国原知事が両手を広げて、笑顔で出迎えてくれそう。

 JRの葛西臨海公園駅前では、噴水も派手なパフォーマンスでお出迎えしてきれます。

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 そういえば、大観覧車もここの名物でしたね。

 水族館へ行く前に、広い公園の中を散策してみることにしました。

 その広さは、なんと80万平方メートルで都立公園では最大規模。

 鳥類園や人口渚、汐風の広場など、見所は少なくありませぬ。

 まず向かったのは、入り口正面に見える展望レストハウス「クリスタルビュー」。

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 その名の通り、全面ガラス張りスケスケの展望施設。

 広い東京湾が目の前一杯に広がります。

 だけど、直射日光の集中砲火で、冬なのに中は真夏。汗がだらだら出てきて、世に言う温室効果とはこんなつらいものなのかと思いました。

 地球温暖化を実体験した気分になったオイラは、クリスタルビューの全面に広がる芝生広場を通って、人工渚へ向かいます。

 人工というけれど、素人から見ると立派な普通の渚。

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 でも、前回来たときから比べると、砂浜が小さくなったみたい。

 これは満潮なのか、海面が上昇したのかと思いつつ、どーせいくら考えてもオイラでは結論が出ないとあきらめ、ぐるっとパスのゴールである水族館へ行くことにしました。

 葛西臨海水族館といえば、このクリスタルドームがシンボルですが、単なるピロティで、ここからエスカレーターに乗って地下へ降りてゆくのですね。

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 この水族館は、平成元年の開園で、上野動物園の開園百周年を記念してつくられたらしい。

 地下では、水量2,200tのドーナツ型大水槽が出迎えてくれました。

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 大水槽では、クロマグロなどマグロたちの回遊する様子を見ることができます。

 マグロが早すぎて、ケータイのカメラではうまく撮影できませぬ。

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 マグロは、泳ぎながらでないと呼吸できないそうなので、無理は言えないのですが…。

 それにしても、前回来たときよりも水槽の水が濁っているような。

 大掃除前でオイラの部屋が汚いのと同じ状態かも、と思ってしまいました。

 餌をあげている場面も見ましたが、バーゲンセールに群がる人たちのよう。

 それでも泳ぎがうまいので、魚同士衝突したり、接触したりすることは滅多にないそうですね。

 外ではペンギンたちにも餌をあげているシーンを見ることができました。

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 こちらは押し合いへし合いで大騒ぎ。

 飼育員さんの話では、一度にドバッと餌を放り込むのがコツなのだとか。

 そうすると、元気のいいペンギンだけでなく、中高年のペンギンも餌を食べることができるらしい。

 1,250種75,000点に及ぶという世界の海の生物を見学したあと、ヨットの帆のようなオブジェの並ぶデッキへ出てみました。

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 ここからは東京湾の夕日が眺められます。

 ぐるっとパス巡礼の旅のフィナーレを飾るにふさわしい景色ですね。

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府中ウォーキングストーリー with 府中市美術館、府中市郷土の森

 こんにちは。

 ぐるっとパスのお散歩ネタもいよいよ最後の2回となりました。

 以前は、クーポン券でたっぷり太った帳面も、いまやペラペラ。ミュージアムめぐりでかなり忙しかったですが、忘れられない思い出になりそうです。

 …ということで、その思い出にさらに厚みを持たすべく、府中を旅してきました。(行ったのは去年ですので、念のため)

 府中市には、美術館や郷土の森といった見逃せないミュージアムスポットがあるそうなんですよ。

 しかも、プラネタリウムまでぐるっとバスだけで見られるとか。おお、「The Stardust Memory」~♪

 もう何十年も、プラネタリウムを見ていないオイラとしては、久しぶりにバーチャルリアリティな星空散歩に期待して出かけました。

 まず向かったのは、府中市美術館です。

 京王線の東府中駅から行くと近いみたい。

 駅前から一直線に続く道を歩いていたら、同じ方向へ向け歩道をひた走るベビーカー軍団に遭遇しました。

 その数は、20台を下らないでしょうか。

 もちろん赤ちゃんがベビーカーを運転しているのではなく、おかーさんやおとーさんが小走りに押しているのですが…。

 オイラもわりと早足ですが、横からすごいスピードで追い越してゆくベビーカーもありました。

「へい、おじさん、タラタラ歩いてると、怪我するぜ」と赤ちゃんが横目でオイラを挑発します。

 まさか、これからオイラが向う府中の森で、族の集会があるのかも。

 少しビビりながら歩いてゆくと、ベビーカー軍団は府中の森芸術劇場へ吸い込まれてゆきました。

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 劇場前の看板を見たら、「しまじろうのクリスマスコンサート」とあります。

 係の人たちが、「開始時間が迫っております」とハンドマイクでアナウンスしていました。

 そういうわけだったのですね。

 芸術劇場前の喧騒を抜け、府中の森公園へ足を踏み入れます。

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 紅葉で彩られた林の中を、落ち葉をサクサク踏みながら歩くという秋の醍醐味を満喫しました。(行ったのは去年ですので、念のため)

 府中市美術館は、赤と黄色のグラデーションが美しい林の中にあります。

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 オイラが行った日は、「府中千年」というタイトルの企画展が開催されていました。

 府中というネーミングは、律令時代に国府が置かれていたことに由来するのだとか。

 武蔵の国といえば、現在の東京都と埼玉県に川崎市や横浜市の一部を加えた広大な土地ですよ。

 今でこそ、東京郊外にあるベッドタウンのひとつになっていますが、千年以上前には、東京都庁と埼玉県庁と川崎市役所が一緒になった役所がここに置かれていたのですね。

 当然、当時から引き継がれてきた貴重な文化財がたくさんあるはず。

 そういった地域で育まれてきた様々な「かたち」を紹介するというコンセプトらしい。

 たとえば、縄文土器、飛鳥時代の遺物、鎌倉時代の狛犬、そして江戸から現代の美術作品など、さまざまなジャンルの品々を一堂に集めた展覧会だということでした。

 歴史と伝統のある街だからこそできるのですな。

 常設展では、黒田清輝、青木繁、村山槐多など有名な作家の絵画もみることができました。

 ネームバリューは十分なのだけれど、小粒な作品が多かったような。

 むしろ、さほど有名ではなくても、最近の作家が描いた入魂の作品のほうに心が奪われましたね。

 美術館の中には、同じフロア内に牛島憲之記念館も併設されています。

 牛島憲之という人はこの美術館に来るまで知らなかったのですが、東京芸術大学教授などを歴任して、文化勲章を受章した超一流の画家だったらしいですね。

 しかも、97歳という長寿を全うしたという点も驚きました。

 画風は、一言でいうと風景画を柔らかな色調で表現した抽象画というのでしょうか。色調と曲線が見る人によってはメルヘンチックな気分になるかもしれませんね。

 オイラはどちらかというと写実画のほうが好きですが、妙に引き込まれました。

 若いころは写実画をよく描かれていて、中年以降にだんだんと抽象画の世界へ入っていったみたい。

 多くの画家が、そういう経過をたどると聞いたことがありますけれど、この人の場合は40歳前後に作風がかなり変わっているのがわかりました。

 調べてみたら、人生の転換点となるエピソードがあったみたい。

 画家の作風の変化から、その人生をたどる絵の見方もなかなか興味深いものだと思いました。

 府中市美術館を出て、ここからひたすら歩いて府中市郷土の森へと向かいます。

 地図で見るとかなり距離がありますが、いいお天気だし、変化に富んだウォーキングコースなのであまり苦になりませぬ。

 京王府中駅前を抜け、甲州街道へ向かって歩いてゆくと二本の大木を従えた巨大な鳥居が目に飛び込んできました。

 ここが武蔵野国総社といわれる大國魂神社。

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 かつてこの辺りに武蔵野国の国府が置かれていて、この場所は国司が国内の祭政を司った斎場だったらしい。

 その後、鎌倉幕府から徳川幕府に至るまで代々幕府からも厚く遇されてきたのだそうな。

 駅前から大國魂神社へ続く大通りの両脇に植えられているケヤキ並木は、前九年の役、平定の際に源頼義・義家父子が、ケヤキの苗千本を寄進したのが始まりだそうですね。

 由緒正しき神社なので、お願い事を思いつく限り念じました。

 しっかりお参りしたあと、いよいよ郷土の森目指して歩きます。

 途中から自転車と歩行者専用の遊歩道ができていて、快適な気分で歩くことができました。

 さて、府中市郷土の森は、府中の自然と文化をテーマとした市立博物館。

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 森というネーミングがつけられている通り、14haの園内には梅園やよく手入れされた林、芝生広場、それに江戸後期~昭和初期の復元建築物も多数あります。

 それにプラネタリウムも。

 入り口で、ぐるっとパスを出して、プラネタリウムの時間を予約したあと、まず園内の復元建築物から見学することにしました。

 まずは入り口そばにあるのが、旧府中尋常高等小学校校舎。

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 この校舎は、昭和10年9月の建築とか。昭和54年までの間、市内で活躍していたのですね。

 少し狭いと思ったら、中心部分だけ残したみたい。近代教育のあゆみの展示や昔の教室の再現などがありました。

 オイラが通った小学校の校舎はまだ当時のまま残っていますが、床はコンクリでした。床のフローリングが逆にセンスの良さを感じますね。

 木の机やだるまストーブが懐かしかったです。

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 日直当番のときは、朝早く来てストーブに薪やコークスを入れた記憶があります。

 隣にある旧田中家住宅は、府中宿の大店だった建物とか。

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 間口はそれほどでもないですが、街道沿いの古い商家だけあって奥が深いですね~。

 立派なお屋敷だなと思ったら、明治天皇の休憩所や宿所として利用されたこともあるそうです。

 御座所として使われた奥座敷も残されていました。

 今でも明治天皇が訪れた場所は国内に多数残っていますが、庶民の家にも訪れているのは驚きです。

 旧田中家住宅の向かいにあるのが、旧島田家住宅。

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 地方を歩いていると、たまにこのような古い店蔵に出会うことがありますね。

 二階へも上がれるのですが、手すりもないし、狭いし、一段が高いし、で降りるときは少し怖かったです。

 急いでいたら、転げ落ちる人が続出したのではないか、と…。

 メタボから脱却したからわりとスムーズに降りられましたが、太っている人は上り下りが厳しいかも。

 明治時代の建築らしいですが、昔の人はスリムで背が小さくて、運動能力が高かったではと想像できました。

 こちらの洋館は、旧府中町役場庁舎。

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 大正時代の建築で、表は洋風なのですが、裏側に和風の建物が接続しておりまする。

 当時の大正デモクラシーの雰囲気を伝えるくれる建築物だそうですが、役場といっても銀行の普通の支店くらいの大きさです。

 町長の部屋がたぶん4畳半くらいの広さで、三方がガラス張り。

 入り口を入ると誰でも町長の仕事ぶりを観察できるのは、フレンドリーでいいと思いました。

 和室の宿直室のほうが広くて、すぐそぱに炊事場が設けられており、町役場の人たちのアットホームな雰囲気が伝わってきます。

 2階は、今の町議会の議事堂の役割を果たしていたそうな。こちらもそれほど広くはなく、当時の町の規模がうかがえました。

 こちらの旧府中郵便取扱所は、今の郵便局。

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 当初は、普通の民家の部屋を改造して郵便局にしていたのですね。

 ほかには、江戸時代後期の茅葺屋根の民家や長屋門が移築されていました。

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 古い建築物と美しい紅葉が眺められて、お得感最高でしたね。

 梅園にも行ったのですが、当然梅は咲いていないし、なぜか小さな虫のウヨウヨ飛んでいて閉口しました。

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 なぜ閉口したかというと、口を開いていたら小虫が口の中に飛び込んで来てしまい、うわっ、キタネェ、ペッペッという羽目になったから。

 そこでお口直しに、プラネタリウムへ。

 平日だったためか、広い館内に、入場者が十数人とまさに貸しきり状態。

 美しい星空と美しい音楽で至福のひとときを、と思ったのですが、始まってすぐ後ろのオヤジがものすごいいびきをかいて寝ているのです。

 リクライニングシートでゆったりできますからね。

 うるさいな、と思っていたらオイラもいつの間にか、夢の中へ。

 ガーガー、ゴーゴー、という轟音を立てながら疾走する銀河鉄道に乗りながらまどろむ夢を見たのでした。

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世田谷文学館、芦花公園、井の頭公園 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 ぐるっとバスのクーポン券が残り少なくなってきました。

 楽しかったミュージアムめぐりもあと少しで終わりかと思うと、チケットが切り取られるたびに身を削られるような気分になる今日この頃です。

 来年、また2000円を出して買えばいいのだけれど…。

 さて、今回オイラが行ったのは、東京西部の京王線沿線。

 三鷹や吉祥寺、そして世田谷に点在するミュージアムを一気に回ろうと思ったのですね~。

 まず、オイラが向かったのは世田谷。

 ぐるっとパスで入れる世田谷のミュージアムは三つありますが、すべて以前入ったことがある。

 世田谷美術館へは再度行ってみたかったですが、場所と時間とオイラの興味を考えて、世田谷文学館へ行くことにしました。

 渋谷から明大前で乗り換えて、芦花公園駅に降り立ちます。

 世田谷区の人口は、東京23区中最多の85万人超で、福井や徳島、高知、島根、鳥取県の人口も上回るとか。

 最近はお洒落なイメージが定着していますが、江戸時代から明治・大正までのどかな農村が広がっていたところみたい。

 昭和の終わり近くでも、畑を多く見かけました。

 今は住宅やマンションが建ち並んでいますが、緑が多いという点では昔からのイメージは変わっていませんね。

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 そんなことを思いつつ、駅前の通りをぶらぶら歩いて世田谷文学館へ着きました。

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 なぜ世田谷に文学館?と思われるかもしれませんが、多くの文人が世田谷周辺に住んでいるのだとか。

 また、小説の舞台として描かれることも多いらしい。

 たとえば、古くは芦花公園の名前の由来ともなった明治のベストセラー作家徳富蘆花。

 山田風太郎、林芙美子、竹久夢二、遠藤周作、坂口安吾、永井荷風、北杜夫などそうそうたる作家が世田谷を舞台に小説を書いてい