三浦半島・金沢文庫、称名寺、野島 ウォーキングストーリー
こんばんは。
最近は三浦半島を中心に歩いていますが、今回行ったのは金沢文庫。
確か、日本史の教科書にも登場する有名な場所で、当然、オイラも若い頃から何度も行ったことがあります。
でも、よく考えてみれば、「文庫」ですよ。
広辞苑で調べてみると、一般に、図書館が公衆の閲読を目的とするのに対し、文庫は書籍の蒐集を目的とするもの…なのだとか。
なんか、オイラ的には「学級文庫」をイメージしてしまいます。
口の両端に指を突っ込み、横に口を開いた状態で、「がっきゅうぶんこ」って言ってごらん。…というフレーズを、小学校時代何度口にしたことか。
当然、「がっきゅうぷんこ」とは言えず、「がっきゅううん○」になってしまうのでした。
それはともかく、個人的な蔵書、コレクション、手文庫など、わりとプライベートな意味の言葉が、街の名前や駅名になってしまうなんてすごいですよね。
今回はそのあたりの謎の解明も含め、久しぶりに訪れてみることにしたのです。
ウォーキングのスタートは、京急線の「金沢文庫」駅から。
個人的な蔵書が、特急停車駅の駅名になってしまうなんて、何度考えてもすごいっす。
オイラは、貧乏なわりに本は多少持っていると思いますが、間違ってもブックオフや図書カードを使って買った本からなる蔵書によって、「ビジベン文庫」という駅はできないでしょうね。
行った日は真夏の猛暑でしたが、汗を拭きつつ、駅前から長く続く坂道を登っていきます。
やがて左手に赤い門が見えてきました。これが称名寺の惣門なのですね。
称名寺は、鎌倉幕府の執権として有名な北条氏の一族である金沢(かねさわ)北条氏の祖、北条実時が開基した寺院。
解説板によると、1258年に、実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂がその起源とされているそうですね。
金沢北条氏の菩提寺として鎌倉時代を通じて発展し、2代顕時、3代貞顕の代に伽藍や庭園が整備されたとのこと。
しかし、鎌倉幕府の滅亡とともに金沢の北条氏も滅んで、その後衰退してしまったのですか。
解説板を読みつつ、3代金沢貞顕という名前を目にして、なぜか児玉清の顔がフラッシュバックしたのですよ。
そういえば、いつかドラマで見たような。
…と考え、それはNHKの大河ドラマの「太平記」だったことを思い出しました。
確か、真田広之が足利尊氏、武田鉄矢が楠木正成、片岡鶴太郎が北条高時という配役だった記憶があります。
オイラの好きな楠木正成が武田鉄矢というのは若干異論があったのですが、主役が足利尊氏ですからね。
金沢貞顕の児玉清がなぜ、これほど覚えているかというと、北条高時役の片岡鶴太郎の怪演との対比といいますか。
北条高時があまりの変人として描かれているため、そのあとを継いで執権になった金沢貞顕がすごく良識のある素晴らしい人物に見えてくるのです。
金沢貞顕は、金沢文庫の蔵書の充実に力を尽くしたらしい。読書家として有名な児玉清が演じたのはまさにぴったりの配役なのだと思いました。
それにしても、昔の大河ドラマは、日本史の勉強にもなりましたけど、最近の大河は突っ込みを入れたくなるシーンが多すぎて…。
「天地人」をまともに見て、歴史のテストを受けたらかなりやばいことになりそう。
真田幸村を「幸村!」なんて言ってるし…。
当時は、真田幸村という名前では呼ばれなかったはず。
同じNHKのドラマ「真田太平記」で、丹波哲郎演じる父の真田昌幸が息子の幸村を「左衛門佐(さえもんのすけ)」と読んでいました。
上杉120万石の御殿のセットは、どうみても、2~3万石の小大名クラスの御殿にしか見えないのですが…。
もっとも、昔とは予算のかけ方も違うのでしょうけど。
それはともかく、金沢文庫の話。
称名寺の仁王門は、さすがに鎌倉時代のものではなく、江戸時代後期に再建されたものだとか。でも、金剛力士像はかなり古いものだぞ、と思ったら1323年に製作されたらしい。
鎌倉幕府の滅亡が1333年ですから、その10年前に作られたのですね。
この金剛力士は、鎌倉幕府の滅亡を見ていたのか~と感慨深く見上げました。
仁王門の横を通ると、見事な庭園が…。
この庭園の形は、どこかで見たことがあると思ったら、浄土式庭園なのですね。
まだ行ったことはないけれど、金沢貞顕が平泉の毛越寺をモデルに作ったらしい。
毛越寺の庭園は、何度もテレビで紹介されましたからね。
特徴は、境内の真ん中に橋が架かる大きな池がある点でしょうか。
浄土式庭園というだけあって、荒々しい部分がなく、いたって穏やかな眺め。いつまでもベンチに腰掛け、浄土の世界をゆっくり堪能しました。
でも、蚊に刺されてすぐ現世に戻されてしまったのですが。
でも、昭和の中ごろまではこんな美しい庭園ではなかったそうです。昭和47年からの大がかりな調査を経て、昭和56年に整備されたそうな。
鎌倉時代末期に描かれた「称名寺絵図並結界記」など、当時の景観を伝える文書があったから再現できたのですね。
鮮やかな赤の太鼓橋を渡り、金堂と釈迦堂にお参りします。
金堂は江戸時代はじめ頃、釈迦堂は江戸時代後期に建立されたらしい。
広々とした池に赤い太鼓橋、古色蒼然とした建築物も素晴らしいですが、称名寺の景観を卓抜したものにしているのは、背景に広がる緑豊かな山々でしょうね。
実はこの山は、ハイキングコースになっていて登れるのですね~。
今から10年以上前に来たときも登ったことがあり、今回もチャレンジすることにしました。
仁王門を出て、民家の近くの小道へ入り、称名寺市民の森の看板を見ながら山道を登っていきます。
称名寺の裏手にまわると、北条実時の墓がありました。実時は、金沢北条氏の祖といわれる人物。
そのわりに素朴なのは、質素倹約を旨とする鎌倉武士の深い精神性によるものでしょうか。
尾根道を歩き、一番高所にあるという八角堂広場へやってきました。
ここからは、緑豊かな称名寺の境内や八景島、これから向かう海の公園や野島などがよく見えました。
急な階段を下り、再び称名寺の境内にもどっていよいよ金沢文庫を目指します。
金沢文庫は、ひと言で言えば北条実時が自分の邸宅内に造った武家の文庫。政治や文学、歴史など多岐に渡り、実時の後も顕時・貞顕・貞将の三代にわたって収集は受け継がれて蔵書の充実がはかられたらしい。
ところが、その場所が詳しく特定できないみたいなのです。
さきほど述べた称名寺の絵図に、「當寺檀那」と記された金沢顕時と、その子貞顕の墓所左手にトンネルの入り口らしき絵が描かれているとか。
そのトンネルとは、これではないかと…。

トンネルは崩落の危険があるとかで封鎖されていました。
金沢北条家の侍がこのトンネルを通って、文庫へ通っていたかと思うとロマンが膨らみますね。
トンネルの向こう側には、文庫があったことを思わせる地名も残っていたそうです。
現在、その左に作られた新しいトンネルを抜けると、「神奈川県立金沢文庫」の近代的なビルが建っていました。
オイラはこのビルよりも昭和初期に作られた重厚な建築物が印象に残っているのです。現在のビルは平成2年に作られたそうなので、そんなに新しいものではないのですが。
中に入ると、称名寺の創建当時の仏像や建物内部の絵を再現した展示がありました。
仏像というと、黒っぽかったり、金箔がまだらに残っていたりと歴史を感じさせる色合いがイメージされますが、作られた当時はピカピカ光輝いていたのですものね。
もちろん、文庫というくらいですから古文書もたくさん展示してありました。
歴史は好きだけど、古文書の文字はまったくわかりませぬ。
大学の歴史学科にでも入学していたら絶対挫折したでしょうね。
ところで、金沢文庫の古文書はかなり持ち出されたのだとか。
足利学校へ寄贈されたのはいいとして、武田、上杉、徳川家まで貴重な文書を外へ運び出したと解説文にありました。
とくに、家康は江戸城の富士見文庫に多くの資料を移したらしい。運び出された古文書で散逸してしまったのはかなりあるのでしょうね。
当時、ブックオフはなかったでしょうから、重要な書籍を多く持つことは文化人としてのステイタスでもあったのではないか、と。
金沢文庫からテクテク歩き、次に向かったのは「海の公園」。
ここは横浜市内で唯一、海水浴場のある公園だそうですね。
行った日は、1キロにも及ぶ白い浜辺でビーチバレーをしたり、日向ぼっこをしたりしている人を多く見かけました。
ちなみに、この砂浜は人工のもので、砂は千葉から運んだそうですね。
そして最後に向かったのは、野島。
野島はかつて独立した孤島であったらしい。海抜57メートルの頂上には立派な展望台が。
そこからは八景島シーパラダイスが手に取るように眺めることができました。
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