新型インフルエンザと鎖国の微妙な関係 with 瑞江~古川親水公園 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 新型インフルエンザの感染が少しずつ拡大していますね。

 いよいよ関東にもやってきたか、という感じです。 

 オイラは、新型インフルエンザの専門家ではないのでよくわかりませんが、江戸時代の鎖国でもしない限り、感染は避けられなかったのでしょう。

 病気についての本を書いていますが、歴史のほうにも興味があるので、インフルエンザの歴史を少し調べてみたんですよ。

 鎖国政策がとられた江戸時代にも、インフルエンザの流行があったのかどうか、と…。

 酒井シヅ著 「病が語る日本史」(講談社学術文庫)によると、江戸時代初期の1614年にインフルエンザの大流行があったらしい。

 ところが、それから百年間、インフルエンザの大流行の記録は残っていないそうです。

 明以外の船の入港を長崎・平戸に限定したのが1616年。鎖国は、一気に行われたのではなく、少しずつ体制が強化され、寛永の家光の時代に完成したそうですね。

 鎖国政策がとられてからパッタリ百年間も、インフルエンザの大流行がなかったなんて、やっぱり…という感じがしました。

 ところが、その後も鎖国下の日本でしたが、八代将軍吉宗の享保年間に、インフルエンザの大流行が起きてしまった。

 江戸の町では、夏の一ヶ月で死者がなんと八万人。

 棺おけが間に合わず、酒樽に亡骸を入れてお寺に運んだそうな。

 百年間もインフルエンザの流行がなかったそうですから、おそらく当時の日本人は免疫を持っていなかったのでしょう。

 ちょうどその頃、アメリカやヨーロッパ諸国でもインフルエンザが大流行していた記録が残っているそうです。

 島国であり、鎖国をしていた日本なのに、いったいどこからインフルエンザがもたらされたかというと、当時でもたった一箇所世界に開いていた場所があったのでした。

 それはご存知、長崎の出島。
 
 興味深いのは、長崎で流行してから江戸で流行するまで、3年のタイムラグがあったということ。

 当時の交通事情もあったのでしょうけど、現代では考えられませぬ。

 それにしても、今から300年も前の鎖国下の日本でも、インフルエンザが猛威を振るったというのは驚きです。

 300年前の長崎と今回の神戸、どちらも日本屈指の国際都市という共通点はありますな。

 いずれ、まわりでも感染する人が増えると思いますが、被害はまさか300年前とは違うでしょう。でも、弱毒だからと油断することなく、しっかり予防や感染防止の知識を持たねば、と思いました。

 
 免疫力を高めるにはまず体力…ということで、お散歩ネタ。

 インフルエンザの「イ」の字もなかった頃に出かけたので、写真の季節感に若干違和感がありますがご容赦ください。

 今回、都営地下鉄全線が500円で乗り放題のワンデーパスを使って行ったのは、江戸川区。

 都営地下鉄新宿線の瑞江から船堀をめぐるコースです。
 
 近くに、旧江戸川や新中川がとうとうと流れ、趣向をこらした親水公園もあって、なかなか変化に富んだウォーキングが楽しめそう。

 しかも、神社仏閣や江戸時代の長屋門もあるとか。

 もちろん、何度か訪れたことのある場所ばかりですが、初めて見るところもいくつかありそうなので行ってみることにしました。

 ウォーキングのスタートは瑞江駅。

 駅前はスーパーや商店が並ぶ、どこにでもある景色ですが、とびきり古い建物はないみたい。

 新宿線が開通したのは昭和61年で、そこから商業・住宅地として急速に発展したのですな。

 そう古くない時代は、水田や金魚の養殖池が広がるのどかな農村風景が広がっていたそうですね。

 瑞江駅前の雑踏を抜け、まず向かったのは豊田神社。

 それほど大きな神社ではありませんが、境内には大正時代に作られた富士塚がありました。

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 あまりモノホンの富士山には似ていませんけど、モノホンの溶岩を積み上げ、裏側には富士山の大沢崩れの跡を模すなど手が込んだ作りになっています。

 このコースには、ほかにも富士塚のある神社がいくつかあって、当時の富士講の流行が偲ばれました。

 豊田神社から住宅街の中をテクテク歩き、向かったのは明福寺。

 ここはオイラの家の宗派である浄土真宗の開祖、親鸞聖人ゆかりのお寺らしい。

 親鸞聖人は関東から上洛の途中、この地で請われて雨乞いをしてその後ここに草庵を作り3年間も住まわれたとのこと。

 本堂裏の墓所の前にある鏡が池は、親鸞聖人が自身の姿を水面に映して像を彫ったという伝説が残されています。

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 そして、境内には太子堂と親鸞堂などが建ち、太子堂には聖徳太子の自作と伝えられる聖徳太子立像、親鸞堂には親鸞の自作とされる親鸞聖人坐像が安置されているとのことでした。

 一見すると普通の小さな池ですけど、そんなに古くからここにあるのですね。

 明福寺の裏手はすぐ旧江戸川になっていて、川沿いの遊歩道からの眺めはなかなか。

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 ヨットハーバーみたいな施設もあって、湘南気分も味わえそう。

 旧江戸川と新中川の合流地点の近くにあるのが、今井児童交通公園。

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 ここは、レンタルのゴーカートや自転車に乗り、楽しみながら交通道徳を身につけられるのですね~。

 信号を備えた車道と歩道が作られてあって、子供たちが交通ルールを守りながら自転車をこいでいます。

 料金表示がどこにもないから無料かも。

 二人乗りで、ペダルをこぎながらモノレールのように場内を一周できるサイクルモノレールは楽しそう。

 行った日は新年だったので、ボランティアの係員の人たちのほうが子供たちより多い状態。

 並ばないで、しかも無料で、遊園地にあるような施設を楽しめるのだから、これはこの近くに住む人の特権かも。

 巨大な今井水門を眺めながら瑞穂大橋を渡り、住宅街をしばらく行くと宇田川家長屋門がありました。

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 この長屋門は、江戸時代後期に作られたらしい。

 宇田川家は、旧二之江村の村役人を代々勤めた旧家だそうですね。ご先祖は、後北条氏の家臣で、この地域の開拓者でもあるのだとか。

 少し、右側の屋根が高くなっているのが気になりましたけど、茅葺のまま現在まで残っているのは珍しい。

 元武士の豪農であり、この地域のパイオニアとしての威厳が感じられました。
 
 長屋門のすぐそばから延びているのが、古川親水公園。

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 旧古川の流れをそのまま公園にしたもので、国内の親水公園の第1号にもなった由緒ある公園なのですね~。

 今は全国に親水公園というネーミングのついた公園がありますけど、それらのお手本になったのですか。

 お手本だけあって、たんなる水の流れだけにとどまらない趣向を凝らした仕掛けが面白かったです。

 ちなみに、全長は1.2キロ。

 古川は、江戸川を下る水路として古くから使われていたようで、江戸時代は行徳の塩を江戸へ運ぶ重要な水路だったらしい。

 川のせせらぎ沿いの遊歩道をテクテク歩いて向かったのは、妙勝寺。

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 区内でもっとも古い寺院だそうですね。

 解説板には、鎌倉時代に近くの葛西沖に難船が漂着し、残されていた童子を二之江村の漁師五郎という者が救いあげたという話が書かれていました。時に、1248年。

 その童子は平家の出身で、後に僧になってこの近くに草庵を結んだらしい。これが妙勝寺の始まりだそうですね。

 鎌倉幕府が作られて50年以上もたってから、どうして平家の少年が船に乗って、どこへ行こうとしていたのだろうと考えると夜も眠れなくなりそう。

 鎌倉幕府も安定して、平家の出身といっても、大手を振るって生きてゆける世の中になっていたのでしょうかね。

 妙勝寺の前には、巨大な岩のオブジェから怒涛の如く水があふれています。

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 このあたりの親水公園は見どころが満載。

 昔、長崎で見たメガネ橋のような橋がありました。

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 しばらく行くと、ミニ吊橋にミニトンネル。

 こちらは親水と藤棚のコラボっすか。

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 水辺のプチ景観を楽しみながら歩き、着いたのが妙光寺。

 境内の七面殿には、葛西沖で漁師の網にかかって行き上げられた「海中出現七面大明神」が祭られているらしい。

 このあたりを歩いて海をイメージするものはあまりないですが、江戸時代はもっと海が近くにあって、近隣の人たちは海のそばの暮らしをしていたのでしょうか。

 古川親水公園に別れをつげ、商店が立ち並ぶ陣屋橋通りをテクテク歩いて今度は一之江境川親水公園へと入ります。

 こちらは平成7年に完成したまだ新しい親水公園。

 何度か来たことがあったと思いましたが、よく覚えていないっす。3.2キロもあるのですね。

 少しあるいて日枝神社に。

 ここにも富士塚がありました。それほど高くなく、登りやすそうですけど入口にローブが張ってありました。

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 そして最後に向かったのが、タワーホール船堀。

 ここは江戸川区の複合文化施設で、ホールや映画館、レストランなどがあります。

 …といっても、オイラが注目するのは、高さ115メートルの展望台。

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 今やタワーとしてはそれほど高くありませんが、まわりに高い建物がほとんどありませんからね。

 都心の115メートルとはわけが違いまする。

 前に一度来たことがあり、その360度の大パノラマは一見の価値ありでした。

 しかも、確か無料だったような。

 …と喜び勇んで行こうとしたら、休館日でした。

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不思議な家と写真にまつわるエトセトラ

 こんにちは。
 
 またまたご無沙汰いたしてしまいました。連休はいかがお過ごしですか?


 前回のネタはお花見かと思ったら、もう初夏のような日差しが降り注ぐ今日この頃になってしまったのですね~。

 日本桜の名所100選に選ばれた茂原公園の桜は素晴らしかったです。

 でもよく考えてみたら、オイラの家の近所にもなかなかの桜の名所があるんですよ。

 小学生の頃は、川が流れていた場所ですが、今は暗渠になって普通の道路になっているのです。

 今では、ここが昔、川だったということを知らない人のほうが多いかも。

 その通り沿いに、桜が数百メートルにわたって植えられているのですね~。

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 家から事務所までは30分くらい歩くのですが、毎年、桜のシーズンは、必ずこの道を歩いて通勤しておりまする。

 若干、遠回りになりますけど、桜の魅力には抗えない。

 お気に入りの100円の自販機でコーヒーを飲みながら、公園のベンチに座って桜を眺めるのは至福のひとときです。

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 桜の名所は世の中に数えきれないほどありますが、やはり場所より開花の時期のほうが重要かもしれませんね。

 そのあと、花粉の禁断症状が現れて大変なことになるのですが…。

 
 それはともかく、この通り沿いに前から気になっている家があったんですよ。

 過去形なのは、最近取り壊されてしまったから。

 いずれその家の秘密について、誰かに聴いてみたいと思っていたのですが、永遠の謎?になってしまいました。

 それは、この家…。

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 どこにでもある普通の家なのですが、なぜ二階に扉だけあるの?

 ま、普通は、昔、二階へ通じる階段があって、その階段だけ撤去され、扉だけ残ったと考えるでしょうね。

 オイラもそう考えたのですが、階段があったという痕跡がない。

 あるいは、前はもっと大きい家だったのだけれども、半分取り壊すなど改築したとき、二階の扉だけ何らかの理由で残ったとか。

 でも、改築した痕跡もない。

 写真で見てもわかると思いますが、隣の家はもっと古いですし、ふたつの家の間はほとんどスペースがないんですよ。

 もしかして、非常口?

 普段から、扉がもし簡単に開いたら、寝ぼけて落ちる人とかいないのだろうか。

 謎の扉の理由をいろいろ考えると、眠れなくなりそう。

 
 不思議といえば、オイラが子供の頃に見た写真が、数十年前からずっと、心の片隅に引っかかって取れないのです。

 当時のことはあまりよく覚えていないのですが、その写真だけは今でも鮮明に記憶に残っている。

 不思議というより、怪奇といったほうがいいかもしれませんが…。

 それはオイラが小学校の4年生か5年生の頃。

 当時は、学校が終わると、狭い道路で友達と三角ベースの野球をするのが日課でした。

 三角ベースの野球も一区切りつき、オイラは行きつけの駄菓子やで、合成甘味料と合成着色料満載のすももを頬張っていたのです。

 そのとき、クラスメートのT君と隣のクラスのH君が駄菓子やの前を通りかかりました。

 いつもは明るく元気な二人ですが、今日はいつもと様子が違う…。

 二人とも目の焦点があっていないと言いますか、足取りもふらふらしている。

 どうしたのかな、と思っていたら、二人がオイラに気づいて近寄ってきました。

「ビジベン。これ見ろよ」

 二人は一枚の写真をオイラに見せました。

「えっ?何?」

 それは、日光の「華厳の滝」のスナップ写真。

 以前、オイラが家族旅行で日光へ行ったとき買った絵葉書の構図とほとんど同じです。

 おそらく、彼らも家族旅行で日光へ行ったとき、撮った写真の一枚なのでしょう。

 綺麗に撮れていましたが、よくある構図ですし、別に騒ぐほどのこともないのではないか。

 そう思って、オイラが首をひねりながら眺めていると、H君が「ここを見ろよ」と写真の一点を指差しました。

 それは、華厳の滝の滝つぼから少し上の辺り。

 轟音を響かせながら、圧倒的な水量が滝つぼの水面を打ち、水しぶきが霧のように立ちこめている部分です。

 オイラが、そこを見たとたん、一瞬で凍りつき…。そして、背筋に鳥肌がゾワワワワ~と立つのがわかりました。

 小さいのでよく見ないと見逃してしまうような部分でしたが、そこにはくっきりと女性のシルエットが…。

 髪の長い若い女性だというのがわかります。見えているのは、女性の上半身だけで、下半身は水しぶきの中に溶け込んでいるよう。

 オイラが一瞬で鳥肌が立ったのは、そのポーズでした。髪を振り乱し、のけぞる姿勢で、救いを求めるように片手を上に伸ばしている。

 断末魔の叫びをあげながら苦しんでいるのがわかります。

 水しぶきのシルエットだけで、そんな細かな部分までわかるか、と突っ込みを入れたくなるのはごもっともですし、これが逆の立場だったら、眉につばをつけたくなるでしょうね。

 でも、ホント、おそらく等身大の大きさでありながら、ありえないくらい鮮明に、滝つぼの上空に浮かんでいるのです。

 オイラは、この写真を見て、次の言葉が出てきませんでした。

 二人は、呆然と立ち尽くすオイラを残し、またふらふらとした足取りで別のクラスメートに写真を見せています。

 得意になって見せているというより、この恐怖を共有したいと思っているかのように…。

 その後、H君に、あの写真もう一回見せて、という友人はいたようですが、二度と見せることはなかったようです。

 何でも、勝手に写真を持ち出したということで、家の人からこっぴどく怒られたみたい。その後、彼の父親がどこかへ写真を持っていってしまったとH君が話していたのを覚えています。

 あれから何十年も立ちますが、今でもあの写真を思い出すと背筋が寒くなりますね。

 皆様の中にはきっと、たまたま水煙が女性の形になったと思われる人が少なくないでしょう。

 でも、絶対、あれは水煙ではないと、今でもオイラは断言できます。

 ネス湖のネッシーの写真みたいにぼやけていないし、若い女性の完璧なシルエット。振り乱す髪の毛、指の形まで鮮明でした。

 ただ、トリック写真に関しては、可能性がまったくないとは言えないかも。

 でも、デジタル写真全盛の現代ならともかく、昭和40年代前半のアナログ時代に、あれほど見事なトリック写真が作れたかどうか。

 水煙の粒子と女性のシルエットが完璧に一体化しているんですよ。ひとかけらの不自然さもなく…。

 もし、トリック写真だったとして、子供たちしか見ていない写真のために、何のメリットがあって作ったのかという疑問も残ります。

 それ以降、完全に闇の中に消えてしまったのですから。

 お金と時間を費やして作ったのなら、多くの人に見せたいと思うのは人情だと思うし…。

 
 今、ネットで「華厳の滝 心霊写真」のキーワードで検索すると、すごい数のページがヒットしますね。

 やはり、あの不思議な写真は心霊写真だったのでしょうか。

 当時、あの写真を見た瞬間、この女性は華厳の滝で自殺した女性だという気がしました。

 とくに理由はなく、頭の中で閃いたと言いますか。

 あの苦しんでいるポーズを見ると、やはり自殺はやめたほうがいいのかも。


 それ以降、オイラは霊感がないのか、同じような経験は一度もありません。

 でもああいう写真を見てしまうと、死後の世界がまったくないとは言い切れないですな。

 やっぱり、何もないよりは死後の世界はあったほうがいいと思います。

 真っ暗で静寂な「無」の世界だったら寂しいし…。

 でも、舌を抜かれたり、釜茹でになったりするのも嫌ですが。


 さて、皆さんは、死後の世界やオイラの写真の話を信じますか?

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お葬式にまつわるエトセトラ

 こんにちは。

 突然ですが、実は先月、父が亡くなりまして。

 ネットに書くのもどうかと思って黙っていたのですが、新年のご挨拶があることを思い出しました。

 このまま新年を迎え、「明けおめ~」とは、心情的にも、日本古来の風習からも言いづらい。

 知り合いに喪中ハガキは出したのですが、ネットでも新年のご挨拶は失礼させていただきますのでよろしくご配慮のほどお願い申し上げます。

 皆様にはどうぞよい年をお迎えください。寒さに向かう折から、ご自愛のほどをお祈り申し上げます。


 父は肝硬変から肺炎を併発しまして、八十歳で永眠しました。

 昔から肝臓が悪く、検査のたびに指摘されていたようです。

 ところが、お酒はほとんど飲まず、タバコも吸わない。肝臓が悪いと言われてからは、しじみ汁もよく飲んでいたんですよ。

 それでも良くならず、どんどん悪くなって、最後は肝硬変の末期的症状をすべて併発して亡くなったのでした。

 偏差値70を超える大学医学部の病院へ長く通院していたにもかかわらず、原因がわからなかったそうな。 

 最近、少し医学の門前で小僧をやっていますので、今になって考えてみると、その原因は「食べ過ぎ」だったのではないかと考えるのです。

 まさか病院の先生も、その食べっぷりのすさまじさは想定外だったのではないか。

 たとえば、厚さ5ミリのバターを塗ったトーストをメインにした朝食をしっかり食べた後、デザートにクリームパンを1個食べる。

 昼食の前に、お腹がすいたと食パンをそのまま食べ、昼食はしっかり1人前食べたあと、おやつにせんべいやケーキなど家にあるものをすべて…。

 これ以上は書けませぬ。故人を鞭打つようなことは。

 でも、どんなに少なく見積もっても一日4000Kcalは超えていたでしょうね。

 当時は、年をとってもその健啖ぶりはすごい、健康だから食欲があるのだという認識があったのは事実です。

 幼年時代を戦争で過ごし、好きなものを十分食べられなかった反動もあったのかと…。

 本来なら、肥満体や血糖値が上がって糖尿病になるはずですが、それほど太らず、血糖値もあまり上がらなかった。

 結果的に、それで危険信号が見過ごされてしまったのでしょうね。

 オイラの血液検査の結果から見て感じるのですが、うちの家系は遺伝的にインスリンの分泌は盛んみたい。

 日本人は一般的に、西洋人と比べるとインスリンの分泌が良くなく、糖尿病になりやすい民族だと言われます。

 農耕型で、比較的少ないカロリーの食生活で生き続けてきたからでしょうか。

 ところが西洋の狩猟民族は、高カロリーの肉をよく食べるため、血糖値を下げるためのインスリンが分泌しやすい体質になったのだとか。

 …とすると、オイラの家系は西洋狩猟民族?

 アジアやアフリカにも狩猟民族はいると思いますが…。
 
 それはともかく、インスリンの分泌が悪くなると、血液中の糖分が細胞に取り込まれず、高血糖が続いて糖尿病になります。

 ただ、インスリンの分泌が盛んだと、血液中ではなく細胞の中に糖分や脂肪が取り込まれる。脂肪はちょっと記憶が定かではありませんが、内臓脂肪として蓄えられるのは間違いないみたい。

 内臓脂肪は脂肪肝と直結しますからね。

 長年、肝臓が悪かったのは、肝臓そのものから来るのではなく、高カロリー食をし続けたために、肝臓が悲鳴をあげていたサインだったのはないか。

 本来の死因は、メタボリックシンドロームだと感じました。

 だから、病院から長年肝臓の薬をもらって飲み続ける前に、ダイエットに励むべきだったのでしょう。

 病院の先生は、ダイエットは勧めてはいたものの、肝臓の病気とコラボで考えてはいなかったみたい。

 多少太めでしたが、肥満体ではなかったですからね。メタボが騒がれるようになったのは、そんなに古くはない話ですし、騒がれたときはもうどうしようもないくらい病状が進んだ後でした。

 もっとも、これは検査結果を見たオイラの推理ですし、専門家から見たら、全然見当外れなのかもしれませんが…。


 でも、そう考えると驚くべきは父の体力。

 40歳代のオイラよりもはるかに大量のカロリーを数十年にわたって摂取しつつも、80歳まで生きたのだから。

 健康に気をつけて、日々節制していても70歳前に亡くなってしまう人は少なくないはず。

 オイラも一時期、真似してガンガン食べたことがありましたが、3年ほどで体が悲鳴をあげてしまいました。

 父は終戦の年に国家公務員になって、平成9年に財団法人を退職するまで、勤続52年。

 70歳まで仕事ができて、定年後は思う存分食べたい物を食べ、趣味に没頭できた人生はうらやましいと言うほかありません。


 お葬式も、遺族みんな泣くこともなく、淡々と進められたのはそういう思いがあったのかもしれませぬ。


 …ということで、おかげさまで父の葬式は無事すんだのですが、お葬式というと、いつも思い出す出来事があるのですよ。

 オイラにとっては、人生最大の修羅場だったと言いますか。

 父の葬儀の話題の後に書くネタではないかもしれませんけど…。

 でも、父は日頃はカタブツのイメージでしたが、オイラの子供の頃は、いつも家族が寝静まってから起きだし、深夜テレビを見ていました。

 ふと、目を覚ますと、テレビのコメディを見ながら、ククククククと押し殺したような声で笑っていたのを覚えています。

 きっと、父もこの話題は嫌いではないはず。


 もう20年近く前、銀行に勤めていた頃の話ですが、職場の先輩の父君が亡くなったということで、支店のみんなとお通夜にお伺いすることになったのです。

 お通夜の会場は先輩の自宅。

 夜8時を過ぎていたので、遺族や親族、関係者のお焼香が大方終わった頃です。

 そこへ支店の行員がゾロゾロ並んで、一人ずつお焼香をします。

 古い日本家屋の縁側を挟んだ座敷に祭壇が作られていて、その前に喪主の未亡人と息子の先輩が正座し、参列者のお焼香が終わるたびに会釈しました。

 故人はまだ60歳代だったと記憶しています。未亡人もまだ若く、涙に濡れてうつむく姿が痛々しい。

 いつもはニコニコ笑っている先輩も、さすがに今日は沈鬱な表情でうなだれている。

 オイラはまだ若かったので、お焼香の仕方がわからず、お焼香をする人たちを後ろから眺めておりました。

 冠婚葬祭のマナーは、しっかり守らないといけませんからね。

 お焼香が進み、いよいよ次の次がオイラの番。

 すぐ前に立っていたのが、副支店長でした。後ろから副支店長の所作に注目するオイラ。

 さすが副支店長。数珠を用意しているっすか。

 数珠を右手から左手に持ち替えた。

 そして、お香に向かって右手が伸びる。

 そのとたん、キャというくぐもった声がお通夜の会場に響きました。

 皆がお焼香をしている副支店長に注目します。

 副支店長の右手が体の横でひらひら揺れている。

 なんと、お香を取ろうとして、間違って香炉に手を突っ込んじゃったみたい。

 大勢の人たちのお焼香が終わったあとなので、香炉の中は真っ赤かに燃えている。

 そこへ思いっきり手を突っ込んだら、激痛が脳天を直撃したはず。

 本来なら、思いっきり、ギャァァァァァァァ~とか、アチャャャャャャャ~と悲鳴をあげるところでしょうけど、キャッという必要最小限の悲鳴で留めるあたりは、さすが副支店長だと思いました。


 ただ、そのあとの所作は若干問題かも。

 本来なら、数珠を両手のひらにかけ、合掌礼拝しなければならない。

 ところが、激痛で大脳皮質がマヒしたためか、パンパンと柏手を2回も打ってしまった。

 真正面からこんな滑稽なライブを見せられてはたまらない。

 それまで泣き濡れていた未亡人が、思わずプッと吹き出したのです。

 神社にお参りしているわけじゃないから、それはまずいっすよ。

 副支店長はお焼香が終わると、左手で右手を抑えながら、そそくさとその場を離れます。

 そして一目散に出口に走ってゆくのでした。

 きっと火傷した指を冷やそうと、水を探しに行ったのでしょう。


 もちろん、その時のオイラはその一部始終を冷静に眺めていたわけではなく、信じられない光景にただ呆然と立ち尽くしているだけでした。

 気がつくと、お焼香はオイラの番。


 前を見ると、今まで涙に濡れていた未亡人が必死で笑いをこらえている。先輩は下を向いて目をギュッと閉じ、両手で膝がしらをつかんでいる。

 他人から笑っていると思われないためには、これがベストな方法かも。
 
 肩が小刻みに震えているのは、どこから見ても、父親の悲しみに耐えている姿にしか見えませぬ。

 本来なら、こういう面白すぎる光景を見てしまうと、ギャハハハハハハハハハハと人目をはばからず大声で笑うのですが、さすがに非常識と言われるオイラでもそんなことできるわけありませぬ。

 父の位牌にお香を投げつけたと言われる織田信長でも、さすがに笑ってはいなかったでしょうし…。

 笑いながらお焼香をするなんて、人として一番やってはいけないことですからね。

 人生最大の汚点だけは残したくない。

 とっさに思ったオイラは、思いっきり尻の肉をつまみあげて、込み上げてくる笑いを必死で抑えました。

 目の前では喪主と先輩が笑いをこらえているのがわかりますけど、こっちは笑いをこらえている様子すらわかってはまずい。

 目を見開き、歯を喰いしばって、必死に耐えてお焼香をすませました。

 脂汗は出てくるし、もう大変でしたね。


 後日、先輩から、そのときのオイラは鬼気迫る表情をしていたと聞きました。

 石川さゆりの「天城越え」のときの表情みたいだったと…。

 でも、そんな色っぽくはなかったはず。

 大相撲の優勝決定戦で、足の痛みに耐え、貴乃花が武蔵丸を破って優勝したときの「鬼の表情」と言って欲しかったっす。

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鷺宮、石仏めぐり ウォーキングダイエットストーリー 

  こんにちは。

 ゴールデンウィークも今日で終わり。

 皆様は、よいお休みを過ごされたでしょうか。

 オイラは、またいろいろほっつき歩いてきました。

 海と山へそれぞれ一回ずつ。

 昨日はまた古城を歩いてきたのですが、急斜面に玉砂利が敷き詰められていて、転びまくりました。

 滑りやすいシューズを履いて行ったのが失敗の元で、ローラースケートを履いたまま山道を降りてくるような感じでしたね~。

 おかげで、股裂きやバックドロップ、アトミックドロップを何度も食らったようなダメージが今も残っています。

 その修羅場の模様は、いずれまたまたブログの中で。


 ところで、今年になって、これだけしつこくお散歩ネタを繰り返していたら、ホントにやせてきたんですよ。

 ブログに書きたいから歩くという、インセンティブがしっかりできていたからよかったのかもしれませぬ。

 一番太っていた頃から比べると、6キロ減。体脂肪計を買って、定期的に体重を量り始めてからだと3キロ減です。

 これでオイラのBMIは22になりました~♪

 標準値が22だそうですから、ぴったし標準値っすか。

 ちなみにBMIとは体型評価の基準で、体重を身長(メートル換算)の2乗で割った数値です。

 たとえば、身長170センチ、体重80キロだったら

 80÷(1.7×1.7)で、27.68

 18.5未満が「やせ」、18.5~25未満が「標準」、25~30未満が「肥満」で30以上が「高度肥満」だそうですから、この数字だと肥満になってしまうわけですね。

 歩けば体重が減るのはわかるのですが、オイラの場合、身長が1センチも伸びるという結果に…。

 今まで森田健作と同じ身長だと言っていましたが、ハンカチ王子と同じ背の高さになりました~♪

 なんか、この差は非常に大きいような気が…。

 体脂肪計の「体内年齢」は30歳だし、まだまだ成長期にあるのかしらん。

 もっとも精神年齢は、小学生クラスという自負があるのですが…。


 しかしBMIは標準値でも、いけてる中年になるにはさらなるダイエットが必要かも。

 去年、日本橋のデパートで見た、舘ひろしのかっこ良さがまだ脳裏に焼きついて離れないのです。

 贅肉がまったくない。顔が小さくてシャープ。どんな動作も様になる。

 スリムなスーツをびったし着こなした姿は、同年配のおじさんたちと同じ人種とは到底思えないほどでした。

 そのかっこ良さは、隣にいた徳重聡がかすんでしまったほど。

 舘ひろしは、身長183センチ、体重68キロだとか。

 ちなみにBMIを計算してみると、20.3。

 標準の枠の中に入るし、あのかっこ良さはあこがれますね~。

 しかしですよ。

 医学的には、多少小太りのほうが長生きできるらしい。

 たとえば、170センチだったら、72キロとか。

 緊急手術の場合でも、やせている人よりは小太りの人のほうが命を取り留める確率が高いそうですね。

 BMIのぴったし標準のオイラとしては、今後、舘ひろしを目指すべきか、小太りの中年を目指すべきか、重大な局面に立たされておりまする。

 
 それはともかくお散歩ネタです。結果が出始めるとますますやる気が出る今日この頃。

 今回行ったのは、西武新宿線の鷺ノ宮駅のあたりです。

 さる土曜日の朝、この近くで用事をすまし終えたのが午前10時半。

 このあと用事はなかったので、せっかく来たのだからぶらぶらこの近くを歩いてみようと思ったのです。 

 何より、はじめて歩く場所って、脳細胞を刺激するそうです。

 オイラの持っている優れもののガイドブックに、鷺ノ宮駅周辺のウォーキングコースが紹介されていましたし。
 

 …ということで、鷺ノ宮駅前の中杉通りを練馬区の方向に向けて歩き始めます。

 商店街を通り、新青梅街道を渡ってしばらく進むと、スーパーの隣の三叉路に、二体のお地蔵様がありました。

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 このあたりは、江戸時代に作られた石仏が数多く残っているみたいですね。

 近くの解説板によると、「願掛け地蔵」と言うらしい。

 この二体のお地蔵様のうち、小さいほうのお地蔵様を夜中に倒して願掛けをする。すると、大きなほうのお地蔵様は、小さいほうを起してもらいたいがために願いを聞いてくれるとのこと。

 お地蔵様にとっては、ちょっと理不尽な行いのような気がしますが、当時の人たちの願いに対する熱望が感じられました。

 今みたいに、もっとお金が欲しいとか、自分の希望する学校へ行きたいとかいう願いではなく、生きていく上での根源的な願いだったのでしょうね。

 マズローの欲求五段階説における「生理的欲求」や「安全の欲求」といいますか。

 オイラも、今なお人間が生きる上での根源的な欲求を欲する段階にありますので、今度夜に来て、やってみようかと思ったりしました。

 ところがよく見ると、小さなお地蔵様の台座がコンクリートで固められておりまする。

 当時と比べて人口も増えましたし、人々の願いがあるたびに、横倒しにされていてはかわいそうなので、これは致し方ないのかも。

 そう思いつつ、今来た道を引き返し、新青梅街道を上石神井方面に向かって歩きます。

 都立武蔵丘高校入り口の信号のそばにある二差路の角にも、お地蔵様がありました。

Ts360852

 これは、「つげの木地蔵」というらしい。

 屋根のある場所に立っているから、なんとなくリッチな感じがするのはオイラだけでしょうか。

 新青梅街道を渡り、少し住宅街に入った駐車場の脇に立っているのが、庚申塔。

Ts360855

 江戸時代、庚申講を続けた記念として、集落の辻などによく立てられたとか。

 小さいので見落としがちですが、どこの土地へ行ってもこの庚申塔は結構ありますね。

 江戸時代の大ブームの庚申講の痕跡が今でも残っているわけですから、当時としては一大センセーショナルだったのでしょう。

 ちなみに庚申講とは、集落の人が集まり、夜通し起きて庚申様を迎える信仰。それがだんだん、人々の楽しみの一つになって、全国で大ブームになったのですね~。

 仲のいい人たちと集まって、寝ないで夜通しお酒を飲めるわけですから。しかも、そうすることによって長寿を全うできるという大義名分があれば、ブームになる理由もわかります。

 しかし今、午前様のご主人が、「今日は庚申講の寄り合いだった」と言っても、奥さんは納得してくれないと思いますので念のため。


 それはともかく、庚申塔の前の道をどんどん歩きます。

 ところどころ残っている畑を横目に、300メートルほど行くと、また庚申塔が…。

 隣に、「子育て地蔵」というスラリとしたお地蔵様がありました。

Ts360857

 江戸時代は、乳児の死亡率も高かったから、当時の人たちはすがるような思いで拝んだのでしょうね。

 再び鷺ノ宮駅に戻り、今度は駅の反対側を歩きます。

 駅のそば、中杉通りに面して立つのは、「交通安全地蔵」。

 こちらは最近作られたみたいですが、近くに庚申塔や石仏が集められたスペースがありました。

Ts360860

 新旧のお地蔵様は、今も昔も変わらず、人々の願いを聞いてくれているようで。

 現代の人たちの願いの中に、「交通安全」がかなりのウェートを占めている点が若干昔とは違うかもしれませぬ。

 ここからまた石仏めぐりをしながら高円寺を目指したのですが、それはまた次回。

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体言止めにかかわる一考察

 こんにちは。

 ご無沙汰いたしております。

 とうとう過去例がないくらい、更新の間隔があいてしまいました。

 そろそろ限界説が流れる今日この頃。

 書きたいことはいっぱいあるのですけど、ここに来て、かなり忙しくなってきたんですね~。

 普段、休日は休むことにしているのですが、先週の日曜日は本業と副業でてんてこまいでした。

 朝、ネットの副業を片付けてから、外出して座談会やモニターに参加したり、取材したりした後、夜帰ってきてまたネットの副業。

 「功名が辻」を見る時間がなかったので、番組が終了していたのが不幸中の幸い?だったかも。 

 それでも座談会に出席すると、変わったことを言って笑いを取ろうとする自分が悲しい。

 今月はそれなりに頑張ったので、かなりの量の商品券や図書カードと、いくばくかの現ナマをゲットすることができました~♪。

 おかげさまで、これでようやく年が越せますだ。

 …と、苦労して手に入れた金券を、夜毎、机の引き出しから取り出しては、一枚~二枚~と番町皿屋敷のお菊のように数えて悦に入っていたのですよ。

 これだけあれば、ユニクロでフリースが何着買えるだろうと幸せな気分になったのです。

 クリスマス、皆様はいかがお過ごしでしたか。

 15年前のクリスマスは、降りしきる雪の中を、マッチ売りの少女のように営業に回ってつらい思いをしたなぁ~と感慨にふけったりして。

 ところが、そんなささやかな幸せに水を差す出来事が。

 今月のはじめに、金融機関のおねーたんに勧められて金融商品を買ったとブログに書きました。

 買ってから10日もたたないうちに、分配金が口座に振り込まれたのです。

 なんと、その金額が、この一ヶ月、オイラが寝る時間も惜しんで都内をぐるぐるまわり、2キロもダイエットに成功し、ブログの更新に支障をきたしてまで獲得したお金よりも、多い。

 言っておきますけど、そんな大金を預けたわけではありませんよ。

 銀行の窓口で預けると、せいぜいティッシュか、よくてサランラップが粗品でもらえるくらいの金額。

 世の中のお金持ちは、こうやって不労所得を得ているのでしょうか。

 …とすると、今までのオイラは、完全にワーキングプア状態。

 汗水たらして働くのは、人間の美徳だと思うのですが、この差を歴然と見せ付けられてしまうと…。

 ネットで金融商品を買うのに要した時間は、1分もなかったですし、この作業を時給に換算したら…。
 

 さて、あまり考えると暗くなってくるので、今日は久しぶりに文章ネタを行ってみたいと思います。

 完全に前回のネタを忘れていて、読み直してみてようやく自分が文末についての話題を書いていたことを思い出しました。

 文末というと、避けて通れないのが「体言止め」でしょうか。

 「体言止め」とは、ご存知のようにセンテンスの末尾を「体言」で結ぶ書き方のことです。

 体言とは、名詞や代名詞。

 ちなみに、上記の文章は体言止めですよ~。

 それはともかく、またいつもの文章を使って例を書きますと…。

 「きのうは、ぼくの学校の運動会。だから、早起き。学校へ行くと、みんな集合中。最初はラジオたいそうから。そのあとの校長先生の長~いお話。ぼくは徒競走で、ビリから二番目。もう少しがんばればよかったかも。お昼にはみんなでお弁当」

 ちょっと無理のある例でしたが、ニュアンスは伝わったでしょうか。

 こういう文章って、軽い系の雑誌ではたまに見ますよね。 

 実は、ここだけの話、最近まで「体言止め」という言葉を知らなかったんですよ。

 なぜ知るようになったかというと、その点について指摘されたことがあるから。

 もちろん、言葉を知らないだけで、そういう文章技法は知っていたのですが…。

 かつて本を出版したとき、自称・文章の専門家であるフリーライターの人に原稿を見てもらったことがあるのです。

 そのとき、オイラの書いた文章の中に体言止めの箇所がいくつかあって、けちょんけちゃんに言われました。

 そのとき、理由は教えてもらえなかったのですが、体言止めなんか使う奴は素人だと…。

 確かに、オイラ、素人なんすけど。

 でも、一寸の虫にだって五分の魂がある。

 さすがに腹が立って、文章作法の本やネットの文章講座で調べてみました。

 確かに、ちゃんとした本ほど、体言止めについての分は良くないですな。

 そのデメリットについて、いろいろ書かれていましたが、主に次の点に由来するらしい。


● 一つの文章の中で何度も用いると、文章全体のリズムが途切れる
 
● 文章の品がなくなる。

● 文章が曖昧になる。

● 第一級の文章家は決して体言止めを愛用することがない。

 確かに、論文やきちんとした本は、上記のことが言えると思うんですよ。

 オイラのブログの文章は、論文に使えないのは自他共に認めるところ。

 でも、多用しすぎないよう気をつけながら、文章のスパイスの意味で使うなら、有効な面もあるのではないか。

 お言葉を返すようですが、体言止めにも、メリットはいくつか考えられます。

 まず、文章の中でとくに読者に注目してもらいたいとき、体言止めで、文章の流れを一度止める。

 そして、作者の言いたいことについて考えてもらう。

 センテンスを短く切り、テンポよく文章を連ねてゆくと、簡単に読み飛ばせる半面、読み終わってから何も記憶に残っていないことは結構ある。

 文章の心地よいリズムに身をゆだねているうちに、右の耳から入って左の耳に抜けてゆく、みたいな…。

 そういうときは、いったん停止の標識を文章の中に置いたっていいのではないか。

 うまく使えば、文章のリズムにアクセントをつけて、よりバリエーションのある表現も可能ですね~。

 文末のバリエーションにとって、体言止めは打順の中の「シンジョー」のような存在だと。

 オイラが好きなのはそこっす。

 打線のつながりを切るという意味ではありませんので、念のため。 

 「でした」や「です」と文章をつなげるより、途中で切ってしまったほうが読者の読む時間を節約できる。

 べらんめー、こちとら江戸っ子でぇ~、最後まで言わすんじゃねぇやい。気が短け~んだ!

 …みたいな。

 もちろん、書いてある内容がよくわかる場合に限ってですが。

 短い文章で、主題を強く読者に印象づけようとする場合は、自ずと体言止めが多用される結果となりますね。

 たとえば、俳句や和歌。

 限られた言葉の数で、自分の言いたいことをきっちり主張するためには不可欠な文章作法かも。

 もっとも有名な俳句、「古池や蛙飛びこむ水の音」だって、最後が体言止めだから静かな余韻が伴う。

 これが…。

「古池に蛙が飛び込んだ水の音です」

 …とやってしまったら、もう台無し。

 しつこく芭蕉のもう一句。

「荒海や佐渡によこたふ天河」だって

「荒海の佐渡によこたわるのは天河でした」

 …とすると、プラネタリウムのおじさんの解説みたいになってしまう。

 広告宣伝のコピーや情報系の雑誌の記事では、体言止めが花盛り。

 これも、なるべく短い覚えやすい文章で、主題をインパクトのある表現で印象付けようと考えているからでしょうね。

 このように書いてくると、オイラは体言止め主張論者みたいに思われるかもしれませぬ。

 でも、フォーマルな文章に体言止めが多いのもどうかと…。

 やはり、TPOはわきまえる必要があるのでしょうね。

 ブログや気軽に読める雑誌、友人のメールの文体と、フォーマルな文章は読む人というより、読む姿勢が自ずと違ってくるだろうし。

 一律に、体言止めはすべてよくないという姿勢もまた、表現のバリエーションの自由を奪ってしまうような気がするのですけど。

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リズムがあって読みやすい文章の研究

 こんぱんは。

 ご無沙汰いたしております。

 ここのところ、珍しく、忙しい状態が続いておりまして。

 今まではどちらかというと、副業は忙しくなっても本業はそれほどでもなかったんですけどね~。

 オイラがやっている副業のひとつに食品のモニターというのがあるのですよ。

 これは、ただで飲み食いできる上に、謝礼までもらえる優れもの。

 今までは10件申し込んで2~3件採用されれば御の字だったのですが、なんと次から次へと依頼が…。

 気がついたら部屋中、ペットボトル飲料やラーメン、冷凍食品だらけになっていました。

 でも、それを飲み食いするだけなら別になんということもない。

 大変なのは綿密な報告書を作成すること。

 普段はそれほどでもありませんが、こういうことになるとA型のマニアックな性格が遺憾なく発揮される。

 一口食べてみて、沈思黙考。

 腕組みをしながら、「う~ん。甘からず、辛からず、…美味からず」なんてダチョウ倶楽部の往年のギャグを思い出し、一人ケラケラ笑っている今日この頃です。

 オイラが書いた報告書をブログのネタにできたら面白いのでしょうけど、守秘義務があってできないのが残念!

 「よくこんなこと思いつきますねぇ~」とメーカーの開発担当者からメールが来たことも何度かあるのですが…。


 それから、スーパーや金融機関、医療機関などサービス業の接遇応対調査。

 これは、本業の範疇に入ると思いますが、昔だったら隠密同心ですよね。

 企画書がどんどん通ってしまったので、これから関東一円をまわることになりそうです。

 気分を出すために、旧水戸黄門の「風車の弥七」スタイルで行こうか、と…。

 店頭で余計目立ったりして。

 これから年末にかけて若干更新が滞りがちになるかもしれませんが、元気に頑張っていると思いますので、よろしくご配慮のほどお願い申し上げます。

 もしかしたら、悪代官につかまって拷問を受けているかもしれませんけど。
 

 さて、かなり昔になってしまいましたが、前回の文末に関する話題の続きから。

 何度も書きますが、わかりやすい文章にとって重要なのは、センテンスを短く切って、テンポをよくし、主語と述語を近づけ、明確にする。

 リズムがあって、テンポのいい文章は、文末の表現が多彩なのではないかとオイラは考えました。

 オイラが知っている中でもっとも、上記の基準にあっていると思う文章。

 それは、夏目漱石の「草枕」の冒頭ではないかと思うんですよ。

 ちなみに引用しますと…。

「 山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世はすみにくい。住みにくさが高じると、安いところへ引越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて畫が出来る。人の世を作ったものは、神でなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許りだ」


 おお、なんと素晴らしいリズム感!

 センテンスが短く、テンポがいい。

 小説の冒頭部分でありながら、これだけ有名なのは、やはり含蓄のあるフレーズなのはもちろん、リズム感がいいからでしょうね。

 文末のバリエーションも多彩ですし、同じ文末が3回続かない。

 ちなみに、「草枕」は言うまでもなく名作だと思います。

 読んだのは10年位前で、それほど古くはないのですが、読む前のイメージと全然違っていたのに驚きました。

 実は、古臭い教訓小説だと思っていたのですよ。

 それが、なんと斬新なプロット。

 現代なら、ミステリーの範疇にも入るのかもしれませんね。


 それはともかく、文末の話題でした。

 それくらいオイラは、文末に注目しているのです。

 ところが、しかし…。

 実際、文章を書いてみると、日本語は文末のバリエーションがあまりに少ない。

 これは別にオイラの意見ではなく、日本語の特殊性によるらしいのです。

 この点について、井上ひさし氏の書いた「自家製 文章読本」がすごくわかりやすく説明してくれていますね~。

 日本語の文末のバリエーションの少ない理由、それは、文末決定性にあるらしい。

 つまり、日本語の表現のすべては、文末で決定されるということ。

 これは、よく言われることですよね。

 たとえば、欧米人が日本語を勉強するとき面食らうのは、最後まで聞かないと相手の言っていることが理解できない点だと。

 たとえば…

 ビジベンは、ロレックスの時計を持ってい□。

 …と、文末を伏せてしまう。

 すると、持っているのか、いないのか、あるいは持っていたが質に入れてしまって今はないのか。

 最後の最後まで、読んだり、聞いたりしないと、オイラがロレックスの時計を持っているかどうかわからない。

 もっとも、オイラのことを知っている人は、カシオのデジタル(Gショックではない)くらいしか持っていないと類推できるわけですが…。

 それに対して英語だと、文章の半ばくらいで「not」が入るから、ロレックスを持っていないとわかる。

 それはともかく、なぜ日本語の文末決定性が、文末の貧弱さを生み出すのかという点。

 それは、日本語の文末にはいつも何が来るのかを考えるとわかりやすい。

 言うまでもなく、文末には述語が来る。

 述語は、動詞である場合が多い。

 ここで、動詞の終止形を考えてみると「る」がほとんど。

 また、動詞の過去形は、言うまでもなく「た」。

 だから、日本語の文末は、「る」か「た」で終わる場合が圧倒的に多いのだそうな。

 確かにそうですよね。

 さっきの例で言うと、

 ビジベンは、ロレックスの時計を持っている。

 ビジベンは、ロレックスの時計を持っていた。

 …と、肯定的に終わろうとすると、ありきたりで陳腐な表現になってしまう。

 ここは、日本語表現にバリエーションを持たせるためにも


 ビジベンは、ロレックスの時計を持っていない。


 …と、終わらせるほうが秀逸な表現ができるのではないか。

 だから、オイラは、日本語表現の多彩さを目指すために、ロレックスは持っていないのであります。

 「………………。」


 別にオイラの貧乏を正当化するために、日本語の文末の単調さを指摘するわけではないですよ。

 文豪と言われる人たちだって、「文章読本」の中で、次のように書いているのだ。


「 ( 日本語は、)センテンスの終わりに「る」、「た」、「だ」、「す」等の音が繰り返される場合が多いので、都合のよいこともありますけれども、形が極まりきってしまって、変化に乏しい」 
 (谷崎潤一郎)


「 私はまた途中で文章を読み返して、過去形の多いところをいくつか現在形に直すことがあります。これは日本語の特権で、現在形のセンテンスを過去形の連続の間にいきなりはめることで、文章のリズムが自由に変えられるのであります。

  日本語の動詞が必ず文章の一番後に来るという特質によって、過去形のセンテンスが続く場合には「~した」、「~た」という言葉があまりに連続しやすくなります。
  そのために適度の現在形の挿入は必要であります」  (三島由紀夫)


「文章にリズムをつけるために、センテンスの語尾、つまり文末の影響は大きい。これが単調で、平凡な語が連続すると、文章全体にしまりがない感じがする。

 ところが、日本語は述語が一番後に来る構造のため、文末に語が来やすい。とくに、「~た」、「~である」、「~だ」などがひんばんに出てくる。

 これは文末を見つけ出すには都合がいいが、同じ語が文末に重なると、文章全体が単調になって、歯切れを悪くしてしまう。

 日本の作家たちも、この問題にはだいぶ悩まされたようだ」 (能戸清司)


 もっとも、以上の文章を読んだから、オイラが文末にこだわっているわけではないのです。

 今まで、いろんな本を読んできて、なんとなく文章のリズムが気になった。

 それで、それは文末の表現方法によるものではないかと仮説を立てたんですよ。

 そして調べてみたらなんとこの問題は、超有名な人たちからずっと論じられてきたことだったのですね~。

 オイラは、理論的にはこの謎を解き明かすところまでは行きませんでしたけど。


 …ということで、いつになるかわかりませんが、文末の話題は続きます。

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意表をつく書き出しの研究

 こんにちは。

 久々の文章ネタです。

 今日は、前ふりを書きにくい雰囲気のテーマなので、いきなり行きまっす。

 前回は、読者に興味を持っていただく書き出しについての話題でしたね~。

 それは、最初からすべてを明らかにするのではなく、読者に「えっ?何?」という疑問をまず持っていただく。

 そしてその疑問を牽引車にして、ひっぱって、ひっぱって、最後まで読んでいただこうというせこい方策でした。

 つまり、インパクトのある前提を最初に持ってきて、結論を先伸ばしにしてしまう。

 何、何?と関心を持ってもらった読者を、興味を維持し続けてもらったまま、本論までどうぞ、どうぞ、狭いところですが、と…。


 ただ、これをビジネス文書や論文でやってしまうとまずいかもしれませぬ。

 これらは、結論から書け!という鉄則がありますからね。

 上司や先生から叱られても、オイラは責任を負いかねますので念のため。


 実はここだけの話、銀行時代、支店長から怒られたことがあるのです。

 報告書を結論から書かず、ハードボイルド小説みたいにリアルな文体で書く。そして結論を先送りにし、興味をあおりつつ、引っ張って引っ張って、続きは次回、と…。

 やっぱり、怒りますよね。

 この忙しいのに、なに考えてんだ!と…。

 でも、そのすぐあと、面白いから早く続きを読ませろ、と言われましたが。


 それはともかく、前回の続きから。

 オイラのブログは、最初の一行は、「こんにちは」か「おはようございます」か「こんばんは」という在り来たりのあいさつが多いです。

 最初はたぶん違ったと思いますが、いつの間にかこのパターンが定着してしまいました。
 
 その代わり、二行目はわりと意表をつくフレーズを書きたいと思っています。

 一行目ではなく、二行目にこだわりたい、と。

 なぜかというと、一行目を普通に入れば、二行目の意表をつく展開がより引き立つのではないかと考えたからなんですね~。

 それは、オイラが学生時代、漫画研究会にも所属していたからかもしれませぬ。

 ギャグ漫画ばかりでしたけど、4コマ漫画も基本を勉強するために何十篇も描きました。

 4コマ漫画のセオリーは、「起承転結」。

 でも、文章の書き出しがそれだと少し冗長なのではないか。

 「起」から「転」へいきなり、行っちゃったほうが、インパクトがあるような気がするのです。

 普通と非凡の対比とでもいいますか。

 山上たつひこの名作「がきデカ」のギャグは、暗記するくらい頭に入れましたが、あの面白さはやはりそれがポイントだったのかも。

 まじめなあべ先生やこまわり君のおとーさんやおかーさんが、コマひとつ後には予想できない災難に見舞われる。

 鮮やかな場面転換。

 ちなみに、オイラの冗談のルーツをたどると、すべて「がきデカ」にたどり着くのかもしれませんね~。

 能書きたれていても仕方ないので、オイラの以前のブログで例を示しますと…。


「 こんにちは。

 脳みそが花粉にまみれ、きなこ餅になったような感じです。

 ところで昨日のこと、オイラが東京都西新橋の路上を歩いていると、ひとりの青年に呼び止められました。

「すいません。○○ビルを探しているんですが、どちらへ行けばいいのでしょうか?」

 その実直そうな青年は、なにかの案内状を手に聞いてきます。約束の時間に間に合わないのか、相当急いでいるというのがその素振りでわかりました。

 ボーッとして歩いていたオイラは、突然、声をかけられ、その状況を認識するのにかなりの時間を要した気がします。

「○○ビルだけではちょっとわかりませんけど」

 先ほど飲んだ花粉症の薬に眠気を感じながら、やっとのことでその言葉を口から発しました。

 まだ頭の回路に電気が流れていないみたい。

   (以下略) 」

 「こんにちは」と一般人として書き始めているのに、いきなり「脳みそが花粉にまみれ、きなこ餅になったような感じ」

 何だ?こいつは?ということでしょうか。

 まじめに挨拶しているのに、やっていることは変なおじさんそのもの、みたいな。

 「がきデカ」のワンシーンをイメージしながら書いているかもしれませんね。

 ただ意図的にやっているのではなく、天然ですので悪しからず。

 自虐趣味なのか、と聞かれれば、ハイそうですと答えざるを得ないのですが…。


 それはともかく、1年以上、ブログを書いていて、オイラが一番気に入っているのは、次の出だしでしょうか。

 良し悪しは別として、オイラの本性を浮き彫りにしているかも。


「 こんにちは。まずはショッキングな画像から…。


200587_

 ( 自宅天井 崩落現場:写真撮影 ビジベン氏 )


 8月7日、午前10時ごろ、江戸荏原村にある江戸町奉行ビジベン越前守の役宅の一階天井部分が突然崩落。はがれた天井板が、当時自宅にいたビジベンさんの頭を直撃いたしました。幸い、本人は学生プロレス出身で頭突きも得意だったということから大事には至らず。江戸町奉行所では、現在、崩落の原因を究明中…。


 もう…、信じられない。

 いきなり頭上から天井板が落ちてきたんですよ。天井板が安物で軽かったからよかったものの、高級品だったら今頃病院にいましたね。

 この前は、パソコンが壊れてデータをなくすし、今日はありえない事件が起きるし、一度お祓いをしてもらったほうがいいかもしれません」

 今読み直すと、もう少し行間にスペースがあったほうが読みやすいかも。

 脳天を強打しているのに、「こんにちは」とノー天気に入っているところが、なかなかシュールですな。

 これも、「起」から、いきなり「転」への落差を狙ったケースと言えると思います。


 ちなみに、今は「ビジベン」ですが、以前は「江戸町奉行」というニックネームでした。

 タイトルが「ビジベンの私の仕事に役立ったビジネス書」なので、当然、「ビジベン」がニックネームになるはずなのに、なぜか当初は「江戸町奉行」。

 ブログを始める前に、楽天のサービスを「江戸町奉行」というニックネームで受けていたからなんですね~。

 でも、「ビジベン」への変更をしたのに、プログラムのミスか全然変わらない。

 じゃ、「江戸町奉行」でも、いいや、と…。

 なんとも、いい加減。

 そしたら、3ヶ月くらい経ってから、頼みもしないのに突然、ニックネームが「ビジベン」に変わっていたのですよ。

 楽天の担当者様が気をきかせてくれたのでしょうか。

 多少、「江戸町奉行」のニックネームにも愛着が湧いてきていたのですが、ま、それでもいいや、と…。

 ブログのタイトルやプロフィールなどは、全然、こだわりがない。


 そんなオイラでも、このブログの最初からこだわりをもって取り組んでいる文章作法があるのですよ。

 一度書き上げてから、もっとも重視して推敲するポイントが…。

 今日のブログも、その点をしっかり注意して手直ししました。

 それは何か。

 ヒントはやはり文章のリズムです。

 答えはまた次々回。

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私の会社訪問成功法

 こんにちは。

 とうとうゴールデンウィークも今日で最後になってしまいましたね。

 前回は、オイラのずっと昔の就職活動の経験談でした。

 面接試験に当初、ずっと落ち続けていたオイラが、あるきっかけをヒントに立ち直ったというお話でしたね。

 今日はその解決編を書かねばなりませぬ。

 実はあまりにもたいしたことがなかったので、前回、途中までにしてゆっくり考えようかと。

 
 ホントに、つまらないことなのです。

 これだけ期待を持たせておいて、アホなこと書いたら、苦情が殺到するかも。

 一時は、このままどっかへ高飛びしようかと…。

 でも、そういうわけにもいかず、前に書いた「苦情処理法」を活用できないかと真剣に読み直しました。

 でも、ウソじゃなくホントのことですよ。

 ほんのちょっとやり方を変えただけで、面接試験全敗から全勝になったのは。

 …ということで、開き直って書かせていただきます。


 前回は、会社訪問で連戦連敗中の日曜日、友人たちと代々木公園に遊びに行き、帰りの電車の中で面接試験の失敗の理由に気づいたというところまででした。

 まだお読みでない方は、このひとつ前のブログをお読みください。

 今日はこの続きです。

 電車の中で考えたのは、オイラと同じく面接試験に失敗し続けている友人の表情でした。

 いつもははつらつと自信にあふれているのに、今日はなぜか元気がない。

 顔色が悪く、目の下にクマができ、とにかく暗いのです。

 失敗し続けているから当然なのでしょうが…。

 この元気がないというのは、彼がいつもは明るくはつらつとしている顔を知っているから元気がないと感じるのであって、知らない人が彼を見たら、ネクラなおやじ顔の大学生と思うでしょう。

 あぁぁぁぁ~、あんな顔して面接へ行ったらやっぱし落ちるよなぁ~、とつり革につかまりながら苦笑しました。

 自分は、あんなことないはず…

 渋谷駅が近づいたので、窓の外のネオンの輝きが増したのがわかりました。

 夜になっていたので、電車の窓ガラスに自分の顔が映っています。

 「…………。」

 それを見て驚きました。

 やっぱり、暗い。

 こ…、これは以前、写真集で見た太宰治の自殺する前の顔じゃ~。


 もちろん当時のオイラも、第一印象が大切だということは知っていました。

 面接試験で聞かれたことにはハキハキ答えているし、服装も典型的なリクルートスタイル。

 いすの座り方や目線などにも気を配っています。

 面接試験の天王山と言われる志望動機は、実体験もまじえ5分近く話してやる気をアピール。

 言葉遣いも完璧。


 だけど無表情。

 無表情って、その後オイラも面接官の経験があるから言えるのですが、すごい不気味なんですよ。

 何考えてるかわからない。

 能面のような顔が、いきなり鬼に変わって飛びかかってきそうな恐怖感もある。

 しかももっと悪いのは、その無表情で、ぺらぺらよくしゃべること。

 それでも、あ、彼は緊張しているんだなと面接官がわかれば、それなりに情状酌量の余地はあるかもしれません。

 しかし、ぺらぺらしゃべりまくられると、これが彼の地なんだろうと思われる。

 やっぱり傍から見て、生意気に見えますよね。


 お前は、田原総一郎か!!!

 と、言いたくなる。

 あれだけ功なり名を遂げた人が言う分には理解されても、無名の大学生が同じことをやったら反発を買います。

 とくに協調性を採用基準にしている会社だったら一発でアウト。

 誤解があるといけないので書きますが、無表情でやったらいけないというだけで、表情豊かに笑顔でしゃべりまくるならプラスになると思いますよ。

 今から考えると、オイラの失敗は、無表情で面接の部屋に入っていったことですね。

 当然、入ってくるオイラを面接官は見ています。

 こちらも緊張していますが、面接官も、限られた時間で人材を評価しなければならないプレッシャーがある。

 次は、どんな奴が入ってくるのだろうと部屋に入ってくる学生を、身を乗り出すようにして凝視している。

 そこへ、田原総一郎のような表情をした学生が、リクルートスーツを着て入ってくるのです。

 面接官は、糾弾される政治家のような気分になるのかも。

 その第一印象で、その学生を採用するかどうかかなりの部分左右されると思います。

 ここで、お約束の多湖輝氏の心理学の実践書シリーズには次のような記述があります。


● 知り合った瞬間に持つ印象が、この先近づきたいか距離を置きたいかを決する。とくに相手の受ける第一印象から判断するのに要する時間は、長くても10秒間。

 だから最初の10秒間こそ、笑顔で好印象を与えるのが勝負なのですね~。

 10秒というのは、面接の部屋に入って、名前を名乗り、面接官の前に腰掛けるまででしょうか。

 そのときの表情を中心とする第一印象がとても重要。

 また面接の冒頭で、笑顔ではきはきと好印象を与えられれば、そのあとの面接でもそのときの印象が持続します。

 その点で、私の二つ目の失敗は、あまりにも堅苦しく若さの感じられないネクタイをしていったことです。

 デパートで買ったので値段は高かったのですが、少し黒みかがった無地のえんじ。

 そういえば、デパートの店員さんも、あまりいい顔はしていませんでした。

 これはちょっと…、と反対しようかどうか、店員さんが迷っていた様子がありましたっけ。

 でも、マスコミやファッション業界ではないんだし、お堅い金融機関を受けるのだからと、とにかく無難すぎる選択基準で選んだのです。

 二十うん年後、そのネクタイをたんすから出して見たのですが、これは中年というよりご高齢の方がすると似合いそうなネクタイ。

 これでは若さがないと思われても仕方ない。

 でも当時の若かった自分にはそれがわからなかった。

 代々木公園へ友人と遊びに行った次の日の会社訪問で、180度方針を改めました。

 スーツは紺色のリクルートタイプでしたが、ネクタイは少し赤みがかった派手目の柄。

 そして何より最初が肝心と、明るく元気な笑顔で面接の場へ入っていきました。


 結果は、今までの不振が嘘のように内定が続出。

 もう就職活動が終盤戦にかかっていたにもかかわらず、最終の会社説明会で某銀行から内定をもらうことができました。

 あとで聞いたのですが、最終日だったので受験者87名中、内定をもらったのは2人だけだったとか。

 面接といっても、当然評価するのは人間です。

 ほんのちょっとポイントを変えるだけで、こんなに結果が違ってきてしまうんですね。


 今思うと、昭和56年の10月は、今までの人生でもっともしんどい1ヶ月間でした。

 なにせ、1ヶ月で体重が5キロも減ったのです。拘置所に入っていたホリエモンより早い減量ペース。

 買ったばかりの革靴がボロボロになるくらい東京、神奈川、埼玉、千葉を歩き回りました。

 面接官を中心に、どれくらいの人と会って話をしたか多すぎて記憶にない。おそらく数百人の社会人と会って話をしたでしょうね。

 今考えると、その地獄の苦しみのような1ヶ月が、自分にとってすごくプラスになったのではないかと思うのです。

 まず、世の中の大まかな仕組みがわかったということ。企業社会の本音と建前の使い分け、また自分でお金を稼いで生きてゆくことの厳しさ。

 それから、自然と営業力が身についたのではないかと思うんですよ。自分という商品を持って、いろんな会社、業界へ売り歩いたわけですから、それだけでも大きな経験とノウハウが身についたはず。

 親や学校のコネで、まったく苦労しないで就職した学生もいたのですが、やっぱり苦労して歩き回った経験があるのとないのとでは入社前に大きく差がつきます。

 オイラが新入社員のとき、面接試験のノウハウを生かして銀行の新人としての営業記録を更新できたのは、おそらくそのせいかもしれません。

 会社や家庭を訪問するとき、いつも面接にのぞむようなつもりで入っていきましたので。

 ちょっと、自慢が入ってしまいましたけど。


 ところで後日談。

 オイラが会社訪問で落ちた銀行や会社は、皆、その後のバブルの影響で倒産したり、吸収合併されたりしてしまいました。

 当時の人気企業ランクでは上位の企業ばかり。

 ひどい目にあわされた銀行や会社ほど、なくなってしまったような。

 そこの会社に入っていれば、当然、仕事以外の別な面で苦労を味わうことになったでしょう。

 今の状況とどっちがよかったのかわかりませんが、やっぱり「塞翁が馬」的なことはあるかもしれませんね。

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会社訪問にまつわるエトセトラ

 こんにちは。

 昨日は、雲ひとつないいいお天気で、気温もまさにベスト。

 久しぶりに、ウォーキングというか、遠くへハイキングへ行ったのですが、その話題はまた日をあらためて。

 
 先日、青山の出版社に顔を出してから、少し時間があったので、「表参道ヒルズ」へ行ったのですよ。

 表参道ヒルズへ行ったのは、恥ずかしながら昨日が初めてです。

 建築家安藤忠雄氏が手がけた斬新なデザインとコンセプトですか。

 建物自体は、六本木ヒルズやシオサイトを見慣れている目にはさほど大きさを感じない。

 エスカレーターは普通のビルより、狭くて急なくらい。

 特徴は、ビル全体が大きならせんスロープになっている点ですかね。

 通路が少し傾斜していて、その坂道にそっていろいろなテナントが並んでいる感じ。

 それにしても、ブランドショップばかりがどこまで行っても続いていて、貧乏人代表のオイラには、とても店に入る勇気がございませぬ。

 立ち飲みの屋台みたいなお店もあったのですが、そこさえも気後れしてしまう。

 原宿や表参道が、どんどんオイラから遠のいてゆく寂しさを感じてしまいました。

 これでも、小学校時代から、ひとりで原宿や表参道を歩いていたんですけどね~。

 どこで、人生の階段を踏み外してしまったのだろうと考えつつ、帰りに「ユニクロ」へ寄って癒されました。


 それはそうと、ここからが今日の本題。

 今の時期、オフィス街を歩いていたり、電車に乗ったりしていると、よくリクルートスーツを着た会社訪問の学生さんの姿を見かけます。

 今は春が、会社訪問の時期なのですね。

 オイラが会社訪問をした二十うん年前は、会社訪問の解禁日が十月一日と決められていました。

 いまより短期決戦でしたね。

 だから十月の早い時期に大手企業は内定が出て、ほとんど勝負が決定してしまう。

 十一月や十二月までリクルートスーツを着て、就職活動をしているのは悲惨と言われました。

 実は、オイラも就職活動に関しては、言葉にできないほど苦労した経験があるんですよ。

 なんというか、就職活動の一ヶ月で、人生観が変わるほどの経験を積んだといっていいかも。

 採用担当者の本音と建前の使い分け。

 ライバル企業を訪問させないようにしておいて、最後の最後で落とす。採用面接で全人格を否定する、など。

 それにもまして、最初のうち、面接試験をうける会社にすべて落ちてしまったのです。

 オイラは、銀行業界が第一志望でした。

 大学の成績はわりとよかったですし、業界の研究も一通りしていました。志望動機も、きちんと説明できました。

 それでも次から次に会社の面接に落ちる。

 仕方なく、他の業界もまわりました。

 それでも落ちる。

 まぁ、大手企業ばかりでしたが、わりとまわりの人たちから前評判が高く、きっと一流企業から真っ先に内定をもらうだろうと期待されていたオイラはかなりあせりました。

 どうして、自分ばっかり落ちるんだよう~!!! 

 別にオイラだけ不採用になっていたわけじゃないんですけどね。

 しかしですよ。

 それから二十うん年後、自分も採用面接の担当者の経験をし、もし当時のオイラを、今の自分が面接していたら、やっぱり落としただろうなぁ~と思ってしまうのです。

 でも落ち続けていた当時のオイラには、その理由がぜんぜん気がつかない。

 志望動機がいけなかったのだろうか。業界研究がまだまだ足りないのだろうか。

 どんどん自分のやってきたことに対して疑心暗鬼になってくる。

 理由は、もっと基本的なことだったんですけどねぇ。

 あまりにも単純なことなので、人生経験が少なかった当時のオイラにはわからなかったのかもしれません。

 しかし、おかげさまで、あるちょっとしたきっかけでヒントをもらい立ち直ることができたのです。

 
 就職活動中の日曜日、落ち続けていたオイラは暗く、自宅の布団にくるまって悶々と過ごしていました。

 そこへ大学時代の友人が電話をかけてきたのですよ。

 「内定もらった?」と聞くから、「まだ。全然駄目」とふてくされて答えました。

 電話をかけてきた本人は親のコネで大手企業から早々と内定をもらっているから、元気いっぱい。

 遊びに行こうと誘います。

「そんな気にならない」と断ろうと思ったのですが、自分と同じようにまだ内定のもらっていない友人も来るからと言われ、とりあえず行くことにしました。

 行ったのは、代々木公園です。

 電話をかけてきた彼と彼女、そして就職が決まらないあわれな学生が二人。

 合計4人でフリスビーをして遊びました。こんな単純なことですが、楽しくてすごい気分転換になりました。

 みんなでゲラゲラ笑いながら話し、食事をしてその日は帰りました。

 帰る電車の中で、ふと気づいたのが、今までの就職活動の失敗の理由。

 そのときは疑心暗鬼でしたが、次の日から再開した就職活動で実行に移すと、前の週とは様変わりして連戦連勝に転じたのです。

 ほんのちょっと心構えを変えただけなのに。

 ちょっと今日は長くなったので、この続きはまた次回書きます。

 ただあまり大したことじゃありませんので、期待しないでくださいね。

 今の学生さんは、「面接の達人」などで理論武装しているから、基本的なことはもう理解しているかもしれませんけど。

 でも、面接試験の担当者だったころ、逆の理由でうまく面接をすり抜け採用した学生がいて、あとでしまったと後悔したことがありました。

 こんな簡単なことが、面接試験にうまく通るテクニックかもしれません。

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「3」にまつわるエトセトラ

 こんにちは。

 昨日、「3」という数字をテーマにいろいろ書きました。

 実は、あれからずっと、「3」にまつわるエトセトラが頭の中でフラッシュバックしているのです。

 今日は、昨日の「普通の人が頭をよく見せるための法」の続きを書こうと思いましたが、急遽予定を変更してやお送りします。

 今、書かないと、これからずっと「3」という数字が頭の中でピコピコ点滅し続けるような気がするので。

 さて、昨日は「3」という数字に対して、以下のようなことを書きましたね。

  人間は誰でも、「3つ」という数字に、落ち着きを感じる心理作用がある。

 たとえば、1つではなんとなく寂しい。2つは座りが悪い。

 それが3つになると、「3つどもえ」になって、安定感を感じさせるのだ、と。

 私は歴史が好きなので、3という数字でまず思い出すのは、江戸時代の御三家。

 言うまでもなく、徳川家康の晩年の子供を、要地である尾張、紀伊、水戸に配置して幕藩体制を固めようとしたもの。

 ところが、何の本で読んだか忘れましたが、幕府は最初から御三家を作ろうという意識はなかったそうです。

 もちろん、家康の子供を大大名に取り立て、要地に配置するという考えはあったものの、別にそれが御三家である必要はなかった。

 将軍の秀忠は、家康の三男でしたが、その上に兄もいました。ほかにも子供はいたわけですからね。

 事実、最初は尾張義直と紀伊頼宣、そして家光の弟の駿河忠長が御三家と言われたそうです。

 確かに、皆官位は同じ大納言。石高も均衡している。釣り合いは取れますね。

 御三家といわれて、何の不思議もない。

 しかし、その後忠長が失脚した。それなら御二家になればいいのに、格下の中納言、水戸頼房が入って、御三家となった。

 やはり、2より3のほうがよかったからでしょうか。

 水戸家だけ、ワンランク下の評価なのに昇格した。

 上記の話は、記憶に残っていることを書いただけで間違っているかもしれません。どなたか詳しい方がいらっしゃれば、突っ込みを入れてください。

 ただ、どうしても、「3」という数字にこだわりたかったという気持ちはなんとなくわかります。

 時代は下って、御三家といえば、西郷輝彦、舟木一夫、橋幸夫。

 その前に、美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの三人娘も忘れちゃいけません。

 テレビで見たのですが、この頃は、3人セットで売り出すとヒットすると言われていたとか。

 ちょっと古いですか?

 それならば、西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎の新御三家。

 …とくれば、

 森昌子、桜田淳子、山口百恵の花の中三トリオはどうでしょう。

 ええ、まだ古い?

 じゃあ、田原俊彦、近藤真彦、野村義男のたのきんトリオ。

 そうくるなら、シブがき隊や少年隊も出さねばなりませぬ。

 そういえば、伍代夏子、藤あや子、坂本冬美の女性美人演歌歌手の3人セットで売ったような。

 でも、香西かおりは入っていなかったっけ。

 ロック御三家といえば、ツイスト、原田真二、チャー。

 スケ番刑事の風間三姉妹。

 ううん、きりがない…。

 それはともかく、「3」という数字で売り出すメリットってありますよね。

 これは個人的見解なのですが、2人が人気でブレイクしているとき、あとの1人を入れて、3人で売り出せば2人の人気者に引っ張られてあとの1人も人気が出る。

 これは「花の中三トリオ」の山口百恵のケースですかね。最初は一番地味なイメージでした。ところが、東大生が支持したりして、あとはぶっちぎりの人気者になりました。

 なぜ東大生が支持したかというと、当時、3人の中で一番人気がなかったからだそうな。

 それから、1人や2人の人気が落ちても、3人のうち1人が頑張っていれば、「そういえば、3人組のあとのメンバーはどうしたかな」と思い出してもらえる。

 これは、たのきんの野村義男やシブがき隊の府川敏和が当てはまりますかね。

 おかげで、しっかりオイラの記憶に残っているのだから。

 当時、活躍していた芸能人もかなり忘れていると思いますが、3人セットで売り出した彼らの名前は、きっと忘れないでしょう。

 
 このトリオで売り出す理論を、ブログで活かすのも面白いかもしれませんね。

 たとえば、同じテーマや同じくらいのアクセス数の人と組んで、3人で売り出す。

 それぞれ少し個性が違っていた方が面白いかも。

 たとえば、美人看護師御三家とか。

 若手税理士、あるいは若手行政書士アイドル御三家。

 オヤジ御三家は嫌だなあ。

 
 最後に、やっぱり「3」と言えば、やっぱしこれでしょう。

 これがやりたいばかりに、ここまで書いてきたのだから。

実は、昨日からずっとこの唄が耳の中で鳴り響いているのです。

 ♪ラリホー ラリホー ラリルレロ~♪ラリホー ラリホー ラリルレロ

 コイルはデブっちょボヨヨンのヨン

 フリーは気取ってスイスイスイ

 マイトの出番だバラッバラッバラッ

 スーパースリーは諜報部員、世界の為ならエンヤトットどっこいしょ

  
  懐かしのテレビアニメ、スーパースリーのテーマでした。

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東京モーターショーをゆく (トヨタ、日産編)

 こんにちは。

 今日はいい天気ですね。

 昨日歩き続けて疲れているのに、また、日中は取引先を訪問していました。今月は、最先端医療の現場レポートも書かなければいけないし、忙しくなりそうです。

 ところで、おととい中途半端になってしまった記事をはやく書かなければ、東京モーターショーが終わってしまう。

 11月6日(日)までですよね。

 それではさっそく、おとといの続きから。

 日産の忘れてはならない注目のコンセプトカーは、PIVO(ピボ)という車です。

 一番の特徴は、キャビンの向きが前後に変わること。

 つまり運転席がぐるっと180度回転して、前が後ろに、後ろが前に変わることができる。

 ボンドカーみたいな発想ですね。そういえば昔、こんな車があったら面白いとふざけて友達と話したことがあります。

 まさかホントに実現できてしまうとは思いませんでした。

 下のプラットホームの上に大き目のボールが載っていて、それが回転できるという形なのでしょうが、技術的にはとても難しそうに見えます。

 キャビンの位置をプラットホームと直角にもできるから、その形を真横から眺めると、福助がお辞儀をしているよう。

 上でまわるキャビンの下部に目盛りがついているから、いろんな角度で止まることができるのでしょうか。

 ホントは、写真でご紹介できればよかったのですが、すごい人だかりで、最前列はカメラ小僧オヤジに独占されていました。

 だからいいアングルで写真が撮れなかったのです。

 カメラ小僧たちはいいアングルで、コンパニオンのおねーさんをバシバシ撮っていたのですが…。

 それはともかく、この車が街で、キャビンをクルクル回していたら注目を集めると思いました。

 どうしょうもないくらい狭い道の先端にある駐車場でも、この車なら車庫入れが簡単にできそう。

 入れることさえできれば、くるっとキャビンをまわして後ろが前になる。

 運転席をはさむように斜め後方に2つの助手席があるというシート形状も面白い。

 三角関係の男女がドライブへ行くとき、誰が助手席にすわるかでもめる心配がありません。

 さて、最後にトヨタのブース。

 ここのカラーコンセプトは、白ですか。

 個人的には、「2001年宇宙の旅」の宇宙船のようなイメージをうけました。(あくまで個人的意見ですよ)

 ここは、そうですね。ホンダが赤でチャレンジ精神をアピールしている「動」に対し、王者の貫禄の「静」ですかね。

 ここも階段で2階にあがれるスペースがあるのですが、全体として統一感といったものは感じられない。

 未来的なイメージの展示場を作っていますが、展示の仕方は晴海会場時代を髣髴とさせるところもある。

 新車を載せた台の上で、コンパニオンがニコニコ笑いながら立っている構図はまさにそれですな。

 王者トヨタにしては、少し守勢にまわったかな、という感じ。

 多少ほっとする側面もありますが…。

 それはともかく、トヨタにも日産の「PIVO(ピボ)」と同じような発想のコンセプトカーが展示されていました。

「Fine-X」という車です。

 両社とも、コンセプトカーのコンセプトは、狭い場所でも駐車が簡単というところにあるのでしょうか。

 実際、都会では車を止める場所を探すのに一苦労しますから、ドライバーのニーズに合っている。

 日産は運転席のコックピットがぐるっと回転するのに対し、トヨタは車輪の動き方の固定観念を破ったというところが新しい。

 ところでこの車。

 見た目は普通のコンパクトカーなんですよ。

 ところが、デモンストレーションで奇怪な動き方をしたとき、観客から「おお…」というどよめきが聞こえました。

 なんと説明したらいいのかな。これは見たほうがわかりやすい。

 ちょうどフィギアスケートの選手が、後ろ向きに滑るような格好といったらいいか…。

 だからその場で、スケートみたいに車がクルクル回転することも可能。

 の動きができれば、縦列駐車のときに切り返しが一切いらなくなる。従って、車の全長分のスペースが開いていれば、路肩に車を止められるのでしょうね。

 なぜそんな奇妙な動きができるかというと、4つの車輪のホイール内にそれぞれ電動モーターを内蔵したからとか。

 電気自動車でなければできない動きですね。

 面白さと発想の豊かさは日産ですが、実際公道で威力を発揮しそうなのは、「Fine-X」のほうかな。

 でもまだどちらが力を発揮するかわかりませんよ。

 2年後のモーターショーでの両社のガチンコ対決が楽しみです。

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東京モーターショーをゆく (ホンダ、日産編)

 こんにちは。

 昨日は、モーターショーの紹介記事といっておきながら、カメラオタクの話題で終わってしまい失礼しました。

 さて、今日はいよいよ展示されている車の紹介です。

 …と、言ってもね~、最近の車はあまり知らないんですよ。仕事で行ったのは、各社のプレゼンの仕方を見るためだったので。

 昭和40年代の車は異常に詳しいんですけどね。

 当時は小学生だったのですが、ガイドブックの説明書きを夜寝る前に見て、それから眠りました。

 まさに、先日紹介した効果的な記憶法そのまま。

 おかげで今でも、当時の車の最高速度や馬力、価格はある程度覚えています。(←なんと、役にたたない知識!)

 それはともかく、最初に見学したホンダのブースから。

 ホンダは、展示会場の作り方がうまい!!と、一目見て思いました。

 赤を基調として、近未来のガソリンスタンドといったイメージ。(これは個人的意見ですが)2階をシアターにして、前面は階段、後方はスロープで登れるようになっている。

 その前の広いスペースを先進技術ゾーン、モータースポーツゾーン、コンセプトカーゾーンに分け、開いたスペースに福祉車両や人気の車種を置いて自由に触れられるようになっているのですな。

 全体のイメージが統一されているから、気軽にガソリンスタンドに寄るような感じ。

 きっとお客さんの動線が計算されているのだと思いますよ。

 しかし何といっても、注目すべきはプレゼンテーション。

 一定の時間ごとに、床の間の位置に当たるコンセプトカーゾーンで、ショー形式で行われるのです。

 他のブースでも、こういう形で行われていましたが、ホンダはとびきり完成度が高い。

 イケメンの男性とラバースーツを着こなした女性、カジュアルウェアの女性コンパニオン、合計5名が入れ替わり立ち代り現れて、コンセプトカーのプレゼンをするのですよ。

 迫力ある音響と後方の可動式スクリーン、プレゼンターの動きが一体となって、テーマパークのアトラクションを見ているよう。

 その中で印象に残ったのは、愛犬と一緒にドライブできるのをコンセプトにした「WOW CONCEPT」という車。

 助手席の前や後部座席の前にも愛犬の乗るスペースが用意されているとか。

 プレゼンでは実際に、チワワが登場して盛り上げました。

 こういうニッチなニーズに気づくところがいかにもホンダらしい。

 次に行ったのはトヨタのブースですが、構成上、日産を先にご紹介します。

 ここは注目すべき車があるのでした。

 スカイライン GTR PROTO。

 円形ステージのように作られた日産のブース。それを取り巻くように作られた2階からは、手すりごしに下の喧騒を見下ろすことができます。

 そして円形ステージのど真ん中に鎮座しているのが、スカイライン GTR PROTO。

 よほどメーカーとしても力を入れているのでしょうね。一定の時間ごとに会場に雷鳴がとどろき、下の台から煙が噴出します。

 そこまでやるか、といった感じ。まるでビッグバン・ベイダーの登場シーンですな。

 ボーッと突っ立って見ていたら、係員から前へ詰めてくださいと注意されました。

 だからひねくれて言うわけじゃありませんが、このフロントグリルってかっこいいのかなぁ。

 隣に展示してある「フォーリア」も、昔に比べずんぐりした形をしていますよね。

 昔は、車高が低い流線型がかっこいいという定番のイメージでしたが。

 スポーツカーじゃなくても、70年代のセリカ。80年代のシルビアのほうがカッコよかった気がする。

 居住性は悪かったですけどね。

 でも、やはり究極のカーデザインは、マッハGOGOGOの「マッハ号」ですな。

 あの車以上にかっこいい車のデザインは生まれてからお目にかかっておりませぬ。

 それはともかく、日産にはもうひとつ忘れてはならない注目のコンセプトカーがありました。

 もうおわかりですよね。

 次回は、その車とトヨタのブースもご紹介します。

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東京モーターショーをゆく

 こんにちは。
 
 今日は、おととい行った東京モーターショーのことを書きたいと思います。

 でも、いろいろな人がもうすでに、モーターショーについての記事をブログに書かれていますね。

 独自の視点で書かれた興味深い記事が数多くあって、楽しめました。専門家の文章は安心して読めますが、やはりインパクトはオタク的視点の素人が一枚上。

 だからオイラも…と思ったのですが、車はそれほど詳しくない。

 仕方ないからまた昭和的視点と、文化人類学的視点で行くしかありませぬ。

 ところでモーターショーは、昔、東京の晴海ふ頭で行われていましたね。私は子供の頃、よく連れて行ってもらったものです。

 自宅から車で行くと、あのかちどき橋を渡るのですよ。運悪くというか、運良くというか、橋の途中にある信号が赤に変わる。

 すると、上からスルスルと遮断機のようなものが降りてくる。橋の上ですよ。

 そしてサイレンが鳴り、目の前の道路が持ち上がり、壁のようになって前方の視界をふさぐ。

 かちどき橋はご存知のように、全長約250mのうち、両側22mが跳ね上がり、下の隅田川 を大型船も通行できる「跳ね橋」です。

 最後に開いたのが昭和43年だから、もう37年間も跳ね上がってないわけですか。

 それはともかく、晴海のモーターショーでは一部の車を除いて、販売店のショールームのように新車を並べてあるだけといった感じでした。

 でも当時としては斬新なデザインの展示場と生まれて始めて食べたバイキング形式の食堂がすごく珍しかったですね。

 子供のクセに、ビールのつまみとして出されていた枝豆の皿を何皿も取ったのを覚えています。

 さて、おとといの幕張メッセの「東京モーターショー」。

 晴海の会場も広かったけど、やはり迫力が違います。

 私は仕事の関係もあったのですが、国産車メーカーのブースを中心に見学しました。生涯、ベンツやBMWは、おそらくオイラにとって無縁の存在でしょうから、それは悪くない選択。

 金曜日は平日でしたが、結構混んでいましたよ。でも、受け皿が大きいから、見学するのに支障をきたすというほどではありません。

 やはり来場者は男性が多いですね。もっと若い人が多いと思っていたのですが、意外と中高年男性が多かったです。

 カジュアルな服装をしている人たちは皆、カメラを首にぶら下げている人が多い。

 熱心なカーマニアなんでしょうね。話題の新車を写真に撮りまくっていました。

 すごい人だかりができているところがあったので、行ってみました。皆、一点にカメラを向け、バシャバシャ、シャッターを押している。

 おお、今話題のハイブリッドコンセプトカーじゃん。

 人ごみの後ろから伸び上がって前を見ました。

 全然、前が見えない。175センチでも、駄目。カーオタクは背が高いのか?

 オイラの前の人が数人、デジカメを頭の上に伸ばし、裏の液晶画面を見ながら写真を撮っていました。

 なにげにその液晶画面を覗いてみて、あ然。

 映っていたのは、イベントコンパニオンのおねーさんの姿。

 車を撮っているのではなかったのね。

 そのとき連想したのは、先日テレビで見たサザンのコンサート。

 桑田さんが歌いながら、隣で踊っているダンサーに、「おねーちゃん。お願い、お願い、一回だけでいいから、お願い」と言っている姿でした。

 そこで会場をあらためて見渡すと、出展企業各社が張り合って美人のイベントコンパニオンを集めているのです。

 しかも街中でいきなりカメラを向けたら訴えられそうな女性も、カメラを向けるとニッコリ笑ってポーズをつけてくれる。

 グループで来た男性陣は、代わる代わるコンパニオンとのツーショット写真を記録するのでした。

 私が最前列で車を見ていたら、いきなり横から割り込んできてコンパニオンにカメラをむけたオヤジがいました。

 ムッとして相手を見ると、70歳過ぎの老人ではないっすか。一心不乱にいいアングルを探しているために、人の迷惑まで考えるゆとりがないみたい。

 すげー高級品のデジカメ一眼レフ持ってるし…。

 モーターショーなんだから、車を撮りなさいよ、君たち。

 …と人生の大先輩に説教をたれる勇気もなく、潔く割り込まれました。

 考えてみれば、車に興味がなくても、入場料1200円(平日3時以降だと1000円)で、よりすぐりの美人をデジカメに納められるのですからね。

 しかも相手は、笑顔でしっかりポーズをつけてくれるのだから、病み付きになるかも。

 おとといは数百人の選りすぐりの美人を見ましたが、今、ほとんど記憶に残っていません。

 そういえば以前、ブログに書きましたね。

 確か同じ種類の勉強を続けても記憶に残りにくい…と。

 京都や奈良へ行って、短時間に神社仏閣を回りまくっても、皆同じような寺や神社に見えて、記憶に残りにくいという話でした。

 やはり言えますよ、これと同じことが…。

 短時間にたくさん美人を見ても記憶に残りにくい。

 逆に言えば、出展企業は注目を集めようと、選りすぐりの美人を集めますが、これはマイナスに作用するのではないか。

 注目を集めたいなら、おてもやんみたいな愛想がよくてインパクトのある女性をイベントコンパニオンに採用したほうが効果的ではないのか。

 と徒然に思いながら帰りました。

 あれっ、しまった。全然展示の中身には触れていないぞ。

 すいません。次回は真面目に、東京モーターショーの中身のレポートをお送りします。

 それにしても、マツダのコンパニオンはすごい美人でした。(←覚えてんじゃんかよ!!!)

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オタクと日本一まずいラーメン

 こんにちは。

 昨日の午後、お客さんとの打ち合わせにサンプラザ中野、いや中野サンプラザで有名な中野へ行ったんですよ。

 打ち合わせが終わって、少し時間ができたので駅の周辺をぶらぶらしました。

 それで、商店街の突き当たりにあるショッピングセンターに入ったのです。そこは、マニア向けの雑誌、書籍、雑貨、おもちゃなどを扱う商店が多数入居していて、見て回るだけでも楽しめました。

 ある商店では、怪獣のおもちゃがたくさん並んでいます。昔よく見た、塩化ビニール製。

 懐かしがりながらウィンドウを覗いていると衝撃的な事実が判明したのです。

 すべての怪獣の名前が言える…。

 そのウインドウには、ウルトラQとウルトラマン、ウルトラセブンに登場した怪獣のおもちゃが数十体並んでいました。

 しかも、その怪獣の身長、体重、登場シーンまで…。

 何でそんなことを覚えているのだろう。やっぱり、自分はオタクなのだろうか。

 少しブルーになって、店を出ました。

 それにしても、驚いたのはそのおもちゃの値段。

 カプセル怪獣ミクラスの12,600円はまだいいとして、ナメゴンがなんと682,500円ですよ。

 チクショー、ミクラスのおもちゃ持っていたのに…。

 さて、今日の昼食はラーメンライス。はじめて入ったラーメン屋ですが、まずかった。

 …といっても、とんでもないほどまずいのではなく、普通にまずいのですが。

 そういえば、以前、「日本一まずいラーメン屋?」というテーマで、記事を書きましたっけ。

 その頃を思い出した今日の出来事でしたので、再アップさせていただきます。

 一度、お読みになった方はスルーしちゃってください。

 それでは…。

 どうしても忘れられないラーメン屋さんがあります。 多分、私の長い人生経験において、一番まずいラーメンだったと思うので。

 場所はちょっとはばかられますが、東京都心の一画。現在IT活動の中心地となりつつある場所の大通り沿いにその店はありました。今から4~5年前の話で、先日その場所へ行ってみたらその店はもうありませんでした。

 私がなぜその店に入ってしまったか。それは立地と店構えの古さです。東京でも有数の大通りに面し、おそらく30~40年は営業を続けてきたであろう威厳がその店構えに感じられました。

 この場所で長い期間、生存し続けてこられたのだから、きっとうまいに違いないと考えたのです。時間は正午近く。店の前の人通りの多さから、店内は混んでいると予想して、私はその店に入りました。

 がら~ん。 えっ?! どうして? お客は一人しかいないじゃん。

 30人近く入れる店内のカウンターに、中年の男性がひとりだけ。それだけでもやめておくべきだったのに、私は訝りつつもカウンターに腰掛け、味噌ラーメンの大盛りを注文しました。せめて普通盛りにしとけばよかったと後で後悔するのですが。

 店主は、60歳ぐらいの親父。私の注文を聞くと、フッと自嘲気味に笑みを浮かべました。そのあと、アベックが店内に入ってきます。合計4名。とうとう私がその店をでるまでほかには誰も入ってきませんでした。 

 都心の一等地にある間口の比較的大きなラーメン屋。しかも昼食時のかきいれどきに、お客がたったの4人ですよ。しかし店内は、そのアベックがしゃべりまくって結構うるさかったです。

 待つこと20分。やっと味噌ラーメンが私の前に姿を現しました。それを見て、絶句。思わず店主を見て、心の中でさけびました。

 麺が伸びきってるじゃん。しかも何これ、どうして味噌ラーメンのスープが透き通っているんだよう!!

 この状態をどう表現したらいいのでしょうか。さすがに大盛りだけあって、量は申し分ない。だけどその量は、麺が伸びた分で大方カバーされている。しかもどうやって作ったら、味噌ラーメンのスープが透き通るの?

 店主は私と目を合わさず、アベックの分のラーメンを作る作業に没頭しています。とにかく私はそれを食べてみることにしました。

 はしで麺をすくい上げただけで、ふにゃふにゃになっているのがわかります。しかもそのスープ。インスタントの味噌汁についている味噌を、基準量の4分の1だけ使って作った味噌汁といったらいいでしょうか。

 今までしゃべりまくっていたアベックのところにもラーメンが行きました。突然、二人は沈黙。店内に、針一本落としてもわかるような静けさが漂います。外へ一歩出たら、車や人々の喧騒に包まれる都心の一等地でなんじゃこの森閑とした雰囲気は。

 かつてテレビで見たカリスマラーメン屋の店主は、お客の私語や携帯電話を許さず、ピリピリとした緊張感が店内に満たされていました。おいしい、まずいの差はありますが、特殊な状況下におかれると、人は押し黙ってしまうんですね。

 ここでマーケティングの有名な定説があります。

●お客さんに不満があっても、直接苦情を言うのは4%にすぎない。後の96%は、ただ怒って二度と来ないだけである。

 自分の場合、あとの96%に入るのだと思います。一杯500~600円のラーメンでいちいち苦情を言っていたのではたまりません。しかし、次の数字は、商売をしている人には致命的な事柄なのではないでしょうか。 

●1件の苦情があれば、同様の不満を持っている人は26人はいると推定される。

●不満のある人は、それを平均10人に話す。13%の人は20人以上に話している。

 経験上思うのは、ほとほどにおいしいラーメンというのは、あまり記憶に残っていないということです。ところが、まずいラーメンは、結構、記憶に残っている。その不満がいつまでも頭に残っていて、かなり時間が経過していても、何かの拍子に人に話すんでしょうね。

 今の私みたいに。ちなみに上記の数字は、インターネットがなかった時代のものです。今は下手したら、1人の不満が数千人に知れ渡ることにもなりかねませんね。

 しかし、救いの道もあります。昨日のブログに書いたように、お店側が苦情に対して適切な対応を行った場合は、次の結果になるのです。

●しかし、苦情を言った人のうち60~70%の人は、苦情が解決された場合、相手と再び取り引きしてもよいと考える。しかも解決が迅速に行われた場合、その比率は96%にまで跳ね上がる。そしてよい噂話として、人に話す。 

 それにしても、件のラーメン屋。何十年も、あんなまずいラーメンを出し続けてきたのでしょうか。土地建物が自分の所有だったら家賃はかからないとしても、どうやって採算を取ってきたのかなぁ。誰も、「まずい」と指摘する人はいなかったのかなぁ。

 いまだによくわからない。謎は深まるばかり…。 

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ブライアントな午後

 昨日は花粉症の禁断症状が現れ、久しぶりに地獄の苦しみを味わいました。今日はおかげさまで少し持ち直したみたいです。

 昨日の夜、完全重装備をして寝ましたからね。部屋中に「花粉ガード」をまんべんなく撒き散らし、とくに布団のシーツの上には念入りに。そして、超立体マスクをし、耳にはイヤーウイスパー、あとは手ぬぐいで目隠しです。顔にある穴はすべて塞ぎ、五感のうちの視覚、聴覚、臭覚をシャットアウト。さしもの花粉も、入り込む余地がなくて退散したみたい。

 こんな格好では眠れないんじゃないかと言う人もあるかもしれませんが、ところがどっこい、これがよく眠れる。不眠というのは、心配事があるなど精神的ストレスが影響する場合が多いと思うのですが、それ以外の要因も結構あるような気がします。

 たとえば、暴走族の音がうるさいとか、部屋に朝日が当たりまぶしくて目が覚めるとか、部屋の臭いが気になるとか。横になっている間は、自分がなんで眠れないのかわからずあれこれ考えているうちに、いろいろそのほかの不安が広がってきて結局ストレスからくる不眠症になってしまうケースもあるんじゃないでしょうか。

 そのような方は、とりあえず上記の方法を試されることをお勧めします。自分を外界と遮断する形で寝ると、なんていうか「無の世界」、わかりやすく言うと、「あの世」で熟睡しているような気分になれるのですよ。

 音もなく、臭いも感じない、漆黒の闇の世界…。そのなかでは、体という物質すら存在しない。あるのは、開放された魂のみ。朝になり目が覚めると、昨日とは違う、生まれ変わった自分をあなたは発見するでしょう。

 でもなぁ。この睡眠法は防災上大きな問題点もある。さすがに地震のときはわかりましたけど、近所で火事があったとき、朝までまったく気がつきませんでした。消防車が何台も来たそうだけど…。志ん生の落語じゃないけど、自分の着物に火がついても面倒くさいから消さずに焼け死んでしまった怠け者がいたそうな。まわりが火の海なのに、一足先にあの世へ行った気分を楽しでいるなんて落語にもならない。

 焼死体で発見されたとき、耳栓に目隠し、猿ぐつわ代わりのマスク、それにもし後ろ手に縛られてでもしていたらやはり変死体として扱われるのだろうか。なぜ彼は、自宅内で監禁されていたのか。もしかしたら、彼は緊縛愛好者だったのか、なんて。

 しかし…。

 また本題に入る前につまらないことを書いてしまった。今日は今朝読んで感動した本の書評を書こうと思ったのに。

 「安定した銀行員生活から独立開業して、はや十五年。会社を辞めて生きてゆくコツを、心構え、顧客開拓、副業、倹約、自己啓発といったさまざまな切り口から日記形式で綴ります。肩に力を入れないで、気軽に続けたいと思います。」

 なんて、ブログを始めた当初は、すごく高尚な目標を立てていた。だんだんずれてきたというより、本性が現れてきたという気がする。まだ一ヶ月もたっていないのに…。

 という反省の気持ち半分、しかし、気持ちはこれから出かけるユニクロでどんなパンツを買おうかというところへ行っている自分に嫌気がさす今日この頃。

 よし、次回はちゃんと書くぞ!!

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花粉で儲ける

 昨日、「スーツでハイキング」のブログを書いたあと考えてみたのですが、これからSOHOなど自宅で仕事をする人が増えてくると思うんですよ。

 自宅で仕事をしている分にはスーツなんか着る必要がない。自宅にいると、掃除や洗濯、買い物などの家事を合間にはさみながら仕事することになるので、動きやすく機能的な服装でなければ非効率です。しかしだからと言って、仕事というものはすべて自宅だけで完結できるものではない。突発的に会社に顔を出さなければならないケース、買い物の途中で得意先からクレームが入りすぐ訪問して対応しなければならないケース、従来の慣習から言ってスーツを着なければ仕事にならない部分は結構ある。

 最近、ビジネスシューズにウォーキングシューズの機能を兼ね備えた商品がヒットしているそうですね。ビジネスとウォーキングのコラボレーション。たくさん歩けば数多くの顧客とコミュニケーションが図れ、なおかつ健康になる。一石二鳥の効果を狙って買い求めるビジネスマンも多く、多くの靴メーカーが新商品を開発して参入していると聞きました。

 さて、スーツの分野でも機能的スーツは数多く商品化されています。しかしまだ、家事兼用スーツは開発されていない。昨日私が指摘したハイキング兼用スーツだってまだない。自転車通勤をしているサラリーマンは結構多いと聞きます。それなのにサイクリング兼用スーツもありません。中高年の健康志向から登山やトレッキングがブームなのに、登山兼用スーツ、トレッキング兼用スーツだってないのですよ。そして21世紀は宇宙開発時代です。国際宇宙ステーションの宇宙飛行士だって、各国から派遣された大使としての役割も必要です。それなのにフォーマルな場に出て行くための宇宙服兼用スーツがありません…。

 いつまで書かせるんじゃ~、誰かツッコミ入れてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~!!

 すいません。つい調子にのって悪ふざけしてしまいました。言い訳をするわけじゃないのですが、おとついハイキングへ行ってからすごく体の調子が悪いのです。

 原因は花粉症…。

 飛散の時期はもう完全に過ぎているらしいのですが、郊外はまだ花粉が多く飛び交っているようですね。おとついきのうと結構風も強かったし。

 今年大活躍した花粉症の薬も全部飲みきってしまい、いまさら薬を買いに行く気もせず、ひたすらティッシュ片手に涙目でブログを書いています。

 でも今年は、花粉さまのおかげでお金をもらうこともできました。花粉症の治験に参加して、約10万円ゲットしたのですよ。花粉症の症状が出るまでほかの薬は飲めず、おかげで風邪をひいてもただひたすら自然回復を待つという苦しい思いはしましたが、お金をもらったらそれも吹っ飛んでしまいました。

 今まで十数年間、毎年苦しめられてきた花粉症に一矢報いたという感じです。

 治験が終わってから、さてまた例年通り耳鼻咽喉科へ行こうかなと思ったのですが、どの医院も花粉症患者様ご一行で大賑わい。途中から参戦するのもはばかられ、今年は市販の薬で対処することにしました。

 最近はいい花粉症グッズがたくさんでていますね。まず超立体マスク。在庫が空っぽになるくらいヒットしたそうですが、確かに呼吸が楽。私なんか、毎晩マスクしたまま寝ていました。花粉ガードは、衣類に付着した花粉がはじけないようにするらしいのですが、確かに効いたような気がする。(←ちょっと比較する資料がないので確かなことはわかりませんが…)

 市販の薬も結構効きますね。マツキヨの特売セールで買った、ストナリニ。1日1錠でいいのと、24錠入って千円以内で買えるという魅力にひかれて購入しました。確かに仰るとおりで、これを飲むと一日中くしゃみや鼻水から開放されました。この値段でこんなに効いたら耳鼻科が廃業するよ、というくらいよく効く。ただひとつ問題なのは、眠くなること。しかも朝飲むと決まって昼食後の30分眠くなる。その眠さたるやもう壮絶で、歩きながら眠るという芸当もできるぐらいです。

 あっ、そういえば先日、間違った道を教えてしまったときも、薬を飲んでボーっとした状態で歩いていたっけ…。

 そのときの状態に興味のある方は、こちらをご覧ください。

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スーツでハイキング

 連休真っ只中ですね! 皆様、いかがお過ごしですか? 私は仕事と休暇のごった煮状態ですよ、なんて。

 大きい会社の社長さんはいざ知らず、弱小零細企業の便利屋さんは、この連休も仕事の合間に休んだり、休みの間に仕事したりを繰り返すことになりそうです。

 自営業者のいいところは、何といっても平日の時間が比較的自由になるところだと思うのですが、逆にサラリーマンの特権である休日も自由にならないところが玉に瑕。皆が休みたいときに代わって仕事をしてくれる奇特な人がいる。そのような顧客ニーズが存在するからこそ、ビジネスの便利屋さんが成り立つわけでもあるのですが。

 それでも昨日は、夜に懇意にさせていただいている医療法人のパーティーに参加する以外は仕事がなかったので、久しぶりにウォーキングに行こうと思いました。パーティーの会場が中央線沿線の緑あふれる郊外だったこともその理由です。

 さて、ウォーキング。私の場合、歴史散歩と言うべきか、名所旧跡めぐりと言うべきか、とにかくガイドブック手に歩く、歩く…。一日に最低三万歩は歩きます。せっかく高い交通費を払って外に出たんだから、行った先の目ぼしいものは全て見なければ損という根っからの貧乏根性がそうさせるわけであります。若い頃は、ウォーキングガイドブックのコースの三日分を、一日でまわったこともあります。そうなるともう、ウォーキングというよりジョギングですね。

 でも昨日は、夜にパーティーに出席する予定があるので、あまり疲れて見苦しいところはお目にかけられません。やはり、カジュアルルックにトレッキングシューズで一流ホテルのパーティーへ行くのはまずいですよね。そこでスーツを着、しっかり厳選したネクタイをして出かけました

 連休の山手線はすごい混みよう。平日の昼間よりかえって混んでるんじゃないでしょうか。それでもJRを乗り継ぎ、なんとか青梅線の小作という駅に到着。玉川兄弟で有名な羽村堰や郷土博物館を見学し、福生駅に抜ける8キロばかりのコースをゆっくり歩きました。とても気持ちよかった。実は花粉症で、ここ2ヶ月ばかり郊外にウォーキングへ行くのは自重していたんですよ。やはりストレス解消にウォーキングは効きます。

 それにしても多摩川の河原では、家族連れやカップルがキャンプして休日を楽しんでいるのにこちらはスーツにネクタイ。市役所の観光課の人と間違われたのかな。道を聞かれるわ、カメラのシャッターを押してくれと頼まれるわ、ホント大変でした。中には、私のことを都議会議員候補者と勘違いして、「熱心だな、気に入った。一票入れてやる!」なんて言う酔っ払いのおやじもいる。都議会議員候補者の方、多摩川の河原なんか結構穴場かもしれませんよ。

 そして夕方になり、福生駅からパーティ会場のホテル近くの駅までJRで移動しました。電車の車内でのこと。電車が駅に到着するたびに停止位置の前で停まってしまい、そこからまたちょっとづつ前へ進むのです。ホームを行き過ぎるのを恐れるあまり、ものすごい慎重になっているのがわかる。車内は、奥多摩でハイキングを楽しんで突かれきったハイカーばかりでしたが、JR福知山線の脱線事故の映像が頭をよぎるのか誰も不服を言う人はいません。停止位置に向け、尺取虫のように進む電車のなかで、ただ顔を見合わせて苦笑するだけ。

 そうですよね。あの映像を見てしまっては、少しぐらい到着が遅れるより、無事に確実に運行してほしいと願う気持ちは誰も同じです。車内にいる人たちは誰もその瞬間、脱線事故で亡くなった人たちに合掌していたのではないでしょうか。心より御冥福をお祈り申し上げます。

 さて、ようやくホテルに着き、会場内を見回した私の目に飛び込んできたのは、思いのほか多い、カジュアルな格好をした参加者でした。

羽村市近郊にて 2005.4.30

「2005.4.30 根がらみ前水田.jpg」をダウンロード

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アホ面の告白

昨日のこと、私が東京都西新橋の路上を歩いていると、ひとりの青年に呼び止められました。

「すいません。○○ビルを探しているんですが、どちらへ行けばいいのでしょうか?」

その実直そうな青年は、なにかの案内状を手に聞いてきます。約束の時間に間に合わないのか、相当急いでいるというのがその素振りでわかりました。

ボーッとして歩いていた私は、突然、声をかけられ、その状況を認識するのにかなりの時間を要した気がします。

「○○ビルだけではちょっとわかりませんけど」

ポカポカした陽気に眠気を感じながら、やっとのことでその言葉を口から発しました。まだ頭の回路に電気が流れていないのがわかります。

「西新橋1丁目にあるらしいんです」

「ああ、それならあちらの方角ですよ。そこをまっすぐ行くと慈恵医大の裏に出ますから、そこで誰かに聞いてみたらいかがですか?」

私が、電柱に貼ってある西新橋2丁目の表示を確認しながら言うと、その青年は、「どうもありがとうございます。助かりました」と何度も頭を下げ、お礼をいいながら、私が示した方角へ全速力で走って行きました。

ああ、今日もいいことをしたな、と自己満足に浸りながら、彼とは逆方向に向かって歩き始めました。3分ほど歩き、たまたま電柱に目をしたとき、雷に打たれたようなショックをうけ、私はその場に立ち竦みました。電柱には、「西新橋1丁目」とあるではありませんか。

ギャァァァァァァァァァ~、逆方向を教えちまったぁぁぁぁぁぁぁぁ~

目の前の景色がゆらぐのがわかりました。どうしよう。港区西新橋に事務所を構えて、十年以上になります。はじめての場所でよくわからないなんて言い訳が通用するはずがありません。その瞬間、私の脳裏には、先ほどの実直そうな青年が逆上し、夜叉のようになってこちらへ走ってくる光景が目に浮かびました。

やばい、逃げよう…。

一刻も早く西新橋1丁目から離脱しなければ、先ほどの青年と鉢合わせしてしまいます。私は小走りに虎ノ門方面に緊急避難をしたのでした。

人間誰でも過ちはあるものです。しかしその後の対応の仕方によって、その人間の本質がわかるのではないでしょうか。その意味で、昨日の行いには大いに反省していますし、自己嫌悪にも陥りました。

もともと頭の電源を切って歩くというのは、ストレス解消の手段としてもっとも効果がある方法だと思います。頭をカラッポにできる時間を持つということに異を唱える人はいないでしょう。しかし、パソコンのスイッチを入れて立ち上がるのと同じくらいの時間を要していては、いざというときに大きなミスを犯してしまいます。今後の対策としては、頭の中をスクリーンセーバーの状態にして歩くなどの方法を検討中です。

しかし、こんなことを書くと非難されそうですが、昨日の事件はすべて私の責任だったのでしょうか。その青年にはまったく瑕疵がなかったと言えるのでしょうか。

頭のスイッチを切って歩くということはすなわち、アホ面をして歩くということです。アホ面をして歩いている人間が、論理的かつ秩序だった思考ができるでしょうか。外見から人を判断するということではなく、声をかける前に、その対象者に対して心神耗弱の状態かどうか見極める必要があったのではないか。青年にも、何らかの注意義務が欠如していた部分があったのではないかと考えるのです。

…と、ここまで考えて、その青年が後ろから私に声をかけたという事実に今、思い至りました。後姿じゃ判断できないですよね。

やっぱり私が悪うございました。もうしませんから、どうかお許しくださーい!!

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30< X <50

先週の土曜日、渋谷の道玄坂を歩いていて、ちょっといいことがありました。この事実だけは記念として、是非残しておきたい!

その日の昼下がり、私は一仕事を終え、道玄坂を渋谷駅方面に向かって歩いていたのです。すると若い女性(どう見ても20歳代)が友人と二人、プリプリしながら坂を登ってきます。すれ違うとき、二人の会話が耳に入ってきました。

「信じられない!私たちが30だって? チョーむかつく(怒)」

何かあったのかな?とさほど気にも留めずに坂を下っていくと、後ろから突然、中年のおばさまに声をかけられました。

「ちょっとすいません。今、広告宣伝についてのモニター調査をお願いしてるんですが、あなた30代ですよね」

私の頭の先からつま先まで眺めながら、さも自信がありそうにアンケートの調査員は話かけてきます。さっきの女性は、このアンケートで頭に来ていたんだなとちょっと笑いました。

ここで30代だと答えれば、どこぞの部屋へ連れて行かれアンケートに答えると、恐らく図書券500~1000円をゲットできるのでしょう。ここだけの話、私はアンケート、モニターマニアとして知られ、毎月○万円をインターネットで稼いでいるのです。もっと言うと、ここ一年間銀行からお金を下ろしていない。個人的な小遣いは全部、ネットで稼いでいるのです。プロのモニタリストとして、のどから手が出るような話でしたが、「40をかなり過ぎているのです」と正直に答えました。

すると、「えっ」とそのおばさまは驚き、「どうもすいません。30代の方だけにお願いしているので」と謝りました。

どうしてどうして、こんな間違いなら大歓迎ですよ、とまでは言いませんでしたが、かなりウキウキと足取り軽く渋谷駅へ向かったのは言うまでもありません。

こんな小さなことにも喜ぶ私にも、かつてつらい過去があったのです。

忘れもしない去年の同じ時期、私が新宿のヨドバシカメラ本店前を歩いていると、かなりご高齢のおばさまに呼び止められました。そしていきなり、

「50歳過ぎてる?過ぎてるならアンケート、お願いしたいんだけど。答えてくれたら図書券あげるよ」

ガーン!

まだ40ですよ、と顔を引きつらせながら私は答えました。余裕の笑顔を浮かべようとしましたが、それが凍り付いているのが自分でもわかります。そのままブルーな気分で、新宿へとひとり寂しく向かいました。

そして一年の月日が流れた。

へへへ…。それが今度は、30代だってさ。やったね。と喜んだのですが、その差はいったいなんだったのだろうと思い直しました。

理由その一、新宿のおばさまは目が悪かった。その二、アンケートの人が集まらずあせっていた。その三、私個人に問題があった。

やっぱりその三かな。新宿のときは、ドブねずみ色のスーツというよりか背広に、老人がするようなジミーなネクタイをしていた。仕事がうまくいかず、目の下にクマがあったのかもしれない。

渋谷のときの格好は、白いシャツに下はジーンズ、そしてチャコールグレーの皮のジャケットを着ていた。その日は、お金もらったので、結構さっそうと歩いていたのかもしれない。

男って、けっこう着ている服や気分の持ち方で、二十歳近く年齢が違って見えるのですかね。

高校時代は、スティングに出てくるポール・ニューマンのファンで、早く自分も年を取りたいと思っていました。自分も年をとったら、口ひげを生やして、かっこいいスーツ着て、ポーカーでお金を儲けて…。

当時のポール・ニューマンがやっていた役の年齢に近くなってきましたが、理想と現実との間にはギャップがあります。

しかしまだ勝負がついたわけではない、頑張らねば!よし、口ひげだけでも生やそうかな。

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地獄の超ド根性セールスマン

今日は、私が出会った世にも恐ろしいセールスマンのお話をしましょう。と言ってもちょっと古い話です。

時は、昭和六十年代初頭、某銀行で営業マンをしていた私は、支店長から担当地域の新規開拓を厳命されました。

 新規開拓ってやったことある人はわかると思いますが、嫌なもんですよね。今もそうかもしれないけど、当時は飛び込み訪問の新規顧客開拓が王道でした。いわゆるドアツードアで顧客の呼び鈴を押して回る方法。ドアを開けてもらえるのはまだいいほうで、ほとんどの場合、インターフォンでガチャンです。

 当時、若くて負けず嫌いだった私は、何とか先輩を営業成績で追い抜いてやろうと密かに闘志を燃やしていました。だけど、どうやったらいいのか方法がわかりません。そんなとき、たまたま見た雑誌に、「日本一のトップセールスマン、怒涛の営業」とか言う講演会の広告が出ていました。開催日は日曜です。
こりゃ、もっけの幸いと申し込みました。

 講演会の当日、期待に胸を膨らませて参加しました。すごい天才的なノウハウがあって、「開け!! ゴマ」みたいな魔術のような言葉を使えば、お客さんは皆、ドアを開けてくれると思ったのです。ノートを用意し、講師の話は一言一句おろそかにしないぞと、ペンを握る手に力を込めて、身構えました。

講師は、五十年配の髪を短く刈り込んだおっさんでした。趣味の悪い派手な背広。フーテンの寅さんの目を大きくしたような顔で、私たちの前に立ち、大きな声で自己紹介を始めます。それが終わると、いきなり前列に座っていた若い男性を指差し、「あなたは、昼飯を食いますか?」と聞きました。いきなり大きな声で聞かれ、その若い男は、「はっ、はい」とおずおず首を縦に振りました。

「トップセールスマンになりたかったら、昼飯なんか食ってちゃダメです」

講師は、参加者を見回すと、大声で言い放ちました。参加者は皆、生唾ゴクリです。

「昼飯を食うとまず眠くなる。そして満ち足りた気分になる。そんな幸せな気分で営業なんかできますか。人間、飢餓状態で追い詰められたほうがいい仕事ができるんですよ」

(私は、地獄の餓鬼のようになった営業マンが、泣き叫びながら逃げ惑う人たちを追い回している姿を想像しました)

「それから、日曜・祭日も休んじゃダメです。特に元旦は、大抵の家のご主人は自宅にいるものです。営業は、年中無休。一日休めば、好調のリズムが崩れ、戻すのに一週間はかかります」
(ゲッ、正月から営業1? でもこの人なら、獅子舞いみたいな顔してるから縁起モノとして喜ばれるかもしれないぞ。でも普通の人が営業したら…。)私の額から汗が流れ始めました。

「しかし、深夜に訪問するとさすがに苦情がくることがあります」

 講師は、眉を寄せながら弱気な声を出しました。
(ふぅ。少しまともになってきたな)

「だから私は、夜の10時を過ぎるとなるべく訪問営業は差し控えます。その代わり、名刺とパンフレット。これを大体一日100件ぐらいのポストに投函してくる。それが終わって家に帰るのが、夜の12時ごろ。さすがに晩御飯は食べますよ。だけどストップウォッチで正確に測り10分ですまします。妻との会話もぴったり10分。風呂はすこしゆっくり入りたいので20分。そしてそのあとがやっと私の時間です」

( ……………………。)

講師はちょっと間をとって、ニャッと笑いながら参加者を見回しました。

「深夜、皆が寝静まってから、事務処理です。今日の戦果を振り返りながら独り、悦楽に浸る。至福のひと時ですよ。でもそう長くは浸っていられない。やはり寝ないと次の日に響きますからね。だから午前2時には寝て、三時間ぐらいの睡眠時間は確保する必要があります。それから一番もったいないのは通勤時間。前いた会社は遠かったので、勤め先から5分ぐらいのところにアパートを借りて、独りで住んでいました。それぐらいやらなきゃ、日本一にはなれません」

(ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~。化け物じゃ~)

以上は20年ぐらい前の話ですが、今はこんなことを言う人、少なくなりましたね。要は訪問件数を多くして、顧客との接点を増やせってことだと思います。結構、泥臭く走り回っている営業マンのほうが成績があがっているのではないでしょうか。今をときめくインターネット接続会社も、よく駅前で、テキヤのような感じで勧誘していますよね。最先端を行くIT企業も、営業だけはいまだにアナログなんだなと感じました。

それにしても当時、この講演会に触発されて頑張って営業したものの、やっぱり長続きはしなかった。飛び込み訪問をして、迷惑そうな顔をされると、嫌な気分にさせちゃったな~と落ち込むのです。普通の人が、どんなに努力しても朝青龍やボブ・サップになれないのと同じ。

だけど、見ず知らずの人に自分をわかってもらうまでは大変だし、時間がかかるものです。あれからいろいろ研究して、自分なりの新規開拓の方法を作り出したのですが、どんな画期的な方法であっても、「超ド根性営業マンの気持ちの持ち方」がないと途中で挫折してしまうとわかりました。

そう思って、最近の自分を振り返ると、インサイドワークがうまくなりすぎてしまた気がする。便利屋の原点に立ち返らねばならないと気を引き締める今日この頃です。

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