テニス肘と川柳の深い関係

 こんばんは。

 ご無沙汰いたしております。

 前回、ブログを更新してから、なんとテニス肘になってしまいました。

 テニスと言っても、オイラがそんなおしゃれなスポーツをしたわけではございませぬ。

 正式には、上腕骨外側上顆炎または上腕骨内側上顆炎というらしいのですが、パソコンのマウス操作でも、テニス肘になってしまうのですね~。

テニス肘になったのは1か月以上前。

 パソコンでデータを消去する必要があって、同じ姿勢のまま1時間で1000回以上クリックしたのです。

 夢中で仕事をしていて、気が付いたら肘がオーバーヒートしていました。

 そのあとは、右手でモノが持てなくなるし、パソコンでキーを叩くときも激痛が走って、もう大変でしたね。

 握力が落ちるので、オイラの得意技のアイアンクローが使えなくなるし…。

 おかげさまで大分良くなったのですが、それでもモノを掴もうとするとグキッと肘が痛みまする。

 整形外科医院に勤めた経験から言うと、一度テニス肘になるとなかなか治りませぬ。

 電気治療とか、鍼とかも効くらしいですけど、やはり安静にして炎症を抑えるのが一番良いようで…。

 …と言うことで、しばらく肘を休ませるために、長時間パソコンを使用しないことにしました。

 そのためには、長文を書くのではなく、短い文章で相手に意思を伝えられるようにする必要があります。

 その訓練をすることが大切ではないか、と。


 短い文章といえば、日本古来の短歌や俳句、川柳があるではないですか。

 そこで、たまたま目についたネットの川柳コンテストに応募したのです。


 そしたら、生まれてはじめて作った川柳が、入選しましたぁぁぁぁぁぁ~



 応募総数1707件のうちの入選作30件に入ったって、ホントっすか。

 しかも、メルマガではその中の一部当選作の10作品にも選ばれているし。

 ちなみに、入選発表のページはこれです。

 どれがオイラの作品か、わかりますか?


 それにしても、すごいビギナーズラック!!!


 豚もおだてりゃじゃないですが、このままほっておくと、宗匠頭巾をかぶって、松尾芭蕉のように奥の細道へ出かけてしまうかも。

 でも、俳句と川柳の違いも判らないド素人なのでした。

 たった17文字をひねり出すのに、30分も七転八倒しましたし。

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パソコンのデータが消滅? by ワイルドビジちゃん

 お久しぶりです。

 連休でお休みのところ、私事で恐縮ですが、先月オイラのパソコンが故障してデータが消滅していまいましたぁぁぁぁ~

 仕事のデータは別のパソコンに保管してあったのですが、お散歩ネタ用に保管していた写真がすべて無に…。

 ブログのお散歩ネタは止まったままですが、いずれ再開するときのために数ヵ月分も撮り貯めしてあったのです。

 すごいショックで、立ち直るのに時間がかかりそう。

 ホントに今の世の中は、何が起こるかわかりませぬ。

 最近のニュースを見るにつけ、生きているだけでも有難いと思わないといけないのでしょうけど。

 しかし、失ったデータをいつまでも引きずってしまう今日この頃。

 こんなナーバスな心では、縮小を続ける日本経済の荒波のなか、生き残っていけないと思いました。

 そんなとき、たまたまテレビで見たのが、「ワイルドスギちゃん」です。

 見た瞬間、これだ!!と思いましたね。

 オイラが不足しているもの、それは「ワイルドさ」。

 これからは、ワイルドビジちゃんとして生きていこうと思った次第です。

 ちなみに、「ワイルドスギちゃん」をご存じない方はこちらをご覧ください。

 そして、ここ数日間は、ワイルドなライフスタイルを続けております。

 たとえばワイルドな昼食。

先日、日高屋へ行ったぜぇ

モリモリサービス券を使うと、麺類とライス大盛りが無料か、味付け玉子の半額サービスが受けられるぜぇ

 いつもサービス券を使って、麺類の大盛りを注文してるぜ

 でも、ビジちゃんはワイルドになったから、店に入る前にサービス券を捨ててやったぜぃ

 それで、タンメンの大盛りを注文したぜぇ

 当然、レジでは大盛り分の60円を払ったぜ

 どう? ワイルドだろぉ?

 おとといは、松屋へ行ったぜぇ

 定番の牛めし野菜セットを注文しようと思ったぜぇ

 でも、ビジちゃんはワイルドになったから、牛めし野菜セットの並の420円の食券は買わなかったぜぇ

 替わりに、単品で牛めし並と野菜と生卵の単品の食券を買ったぜぃ

 合計すると430円だから10円損するぜ

 店員のおばさんがセットなら10円安いとお金を返そうとするから断ったぜぇ

 ワイルドだろぉ?

 今日の昼食は、久しぶりに奮発してサイゼリアへ行ったぜぇ

 トマトクリームスパゲッティにフォッカチオを注文して、ドリンクバーもプラスしたぜぇ

 でも、ビジちゃんはワイルドになったから、水しか飲まなかったぜぃ

 ドリンクバーのコップだけ使ったぜぇ

 店員のおねーたんが料理を運んできたとき、水しか飲んでいないオイラの伝票を確認したぜ

 首を傾げていたから、水のお代りをしに行ったぜ

 結局3杯も水をお代りして、胃がガボガボになって出てきたぜぇ

 どう? ワイルドになったろぉ?

 

(パソコンのデータが消滅して、精神状態が不安定になっております。ネタのパクリ等、不穏当な記述の件、どうかご容赦願います)

 

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はじめての避難所体験

 こんにちは。

 11日の大地震には驚きましたが、今日も余震が続いています。

 テレビを見ると、信じられないような映像が、次々に目に飛び込んできます。

 11日は、リアルタイムで地震の揺れを感じたのですけど、まさかこんな大災害だとは思いませんでした。

 私事で恐縮ですが、地震のあった午後2時46分、オイラは東京立川市の住宅街を歩いていたのです。

 突然、目の前が大きく揺れたので、貧血でも起こしたのか、と。

 そのあと、一軒の住宅から、「おおおおおお~」と雄たけびをあげながら、外へ飛び出してくるお兄さん。こっちが身構えてしまうほどの迫力でした。

 工場から、パートのおばさんたちも青ざめた表情で外へ走り出てきます。

 そのときはじめて地震だと気づいたのです。外を歩いていたから、あまり衝撃は感じなかったような。

 あとで、その場所は震度4だったと知りました。

 震度4といえば、オイラの決して短くない人生で経験した、震度のタイ記録ですよ。

 これは、電車が混むかもしれないから、早く帰ろう。

 そのときは、まさか都内の電車が完璧にストップするなんて思いもしません。

 急いで青梅線の中神という駅へ行くと、改札に貼紙があって中に入れないのです。

 青梅線がストップしても立川へ行けば何とかなるだろうと思い、パスがなかったので4キロの道のりをテクテク歩きました。

 途中、電車が走らないのに踏み切りの遮断機が降りっぱなしになっていたり、鉄橋の上で乗客の乗っていない電車が立ち往生したりしている光景を目にしたりして、だんだん事態の深刻さが伝わってきました。

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 そうやく立川駅に着くと、改札のシャッターが下りていました。まわりには鈴なりに行き場を失った人たちで通路はあふれています。

 サラリーマンや高校生にまじって、今日が卒業式なのか、着物にはかまを穿いたおねーさんたちも。

 復旧に相当な時間がかかると、場内アナウンスが告げています。

 相当な時間って、2~3時間くらいかな。

 近くの昭和記念公園に避難所があるので、そちらへ進んでくださいとしきりにアナウンスが勧めるので、待ち時間をつぶすつもりで行くことにしました。

 ちなみに昭和記念公園は、昭和天皇の在位50年を記念して開設された東京都立川市と昭島市とに跨る国営公園。150ヘクタールの広大な面積があります。

 ところが、入り口付近には5~6人しか歩いていません。

 ホントに、避難所があるの?

 勧められて来たものの、なんだか不安になってきました。

 とりあえず、奥のほうにある近代的な建物まで行ってみて、誰もいなかったら戻ろうと考え、前に進みます。


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 入り口の自動ドアを抜けて中へ入ると、椅子に腰掛けている多くの人たちが目に入りました。

 結構、大勢いるみたい。

 かなり奥行きのある建物ですが、行けども行けども人が途切れることがありません。

 集まっているのは、サラリーマンやOL、年配の人たち、大学生、高校生などバラエティに富んでいます。それから、赤ちゃんと一緒のお母さんたちも。

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 午後8時過ぎに、ケータイで交通情報を確認したら、JRの復旧は本日中には無理とのことでした。

 立川から東京へ行く電車のルートはいろいろありますが、現時点で動いているのは多摩モノレールだけ。

 モノレールってすごいですね。羽田モノレールも地震の後動いていたと言いますし、地震に強い乗り物なのでしょうか。

 それはともかく、この時点で避難所での宿泊が確定してしまいました。

 うう、泊まるつもりじゃなかったので、飲み物や食べ物を何も買ってこなかった。

 のどが渇いたよ~。

 …と思ったら、「アサヒカルピスビバレッジ株式会社さまのご好意で、皆様にミネラルウォーターを一名様に一本をお配りいたします」との有難いアナウンスが…。

 おお、いつも飲んでいる富士山のバナジウム天然水じゃ。

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 困っているときは、こういうさりげない親切はありがたいもの。

 その次は、毛布が配られました。年配の人、赤ちゃん連れの人、そして女性が優先ですが、大量に確保されているようで、オヤジたちにもすべて行き渡ったのでした。

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 しかし、夜も更けるとお腹もすきまする。

 ひもじいよ~、と思ったら、何と、軽食までふるまってくれたのです。

 それは、パックに入ったおこわ。

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 たっぷりの量で食べきれず、翌朝の朝食にもなったのでした。

 さて、夜も更けて、寝る人が増えてくるのですが、絨毯の敷かれたエリアで横になる人、椅子にすわったまま転寝をする人、フロアに直接横になる人など、さまざまな寝方をチョイスします。

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 絨毯のコーナーは女性たちに譲ろうと、オイラは椅子に座ったまま毛布に包まって寝る道を選択しました。

 でも、腰が痛くなってきて、とても座ったままでは眠れませぬ。

 仕方なく、フロアに毛布を敷き、その上に寝てみたのです。

 やっぱり、寝るときは横になるのが一番とそのときは思ったのですが、下と上から冷やされて寒く、とても眠れたもんではない。

 しかも、起き上がったら、全身に電気が走るような痛みが…。

 これはいかんと、午前3時からは椅子を二つ並べて、足を伸ばして座り、毛布にくるまって眠ろうとしたのです。

 しかし、この姿勢も途中から腰が痛くなり、とうとう一睡もできないまま朝を迎えたのでした。

 こんな状況でも、いびきをかいて寝ている人が何人かいましたからね。どんな場所でも寝られる人ってうらやましいっす。

 でも、みんな朝起きてトイレに行くときは、ロボコップみたいなぎこちない歩き方になっていました。

 やはりいくら毛布があっても、硬いフロアに寝るのはものすごく大変だと身をもって感じました。

 たった一晩で、もうギブアップです。

 帰りの電車も200パーセントの混み具合でしたし…。

 これは、今朝の新宿駅の風景。

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  こんなに混んでいる駅や電車を見たのは十何年ぶりですかね。


 あとで調べてみると、オイラが泊まった「みどりの文化ゾーン・花みどり文化センター」での避難者は最大で約600人、毛布が700枚、アルファー米が1000食分だったそうな。

 オイラは、眠れないと言いつつも、ずっと横になっていたわけでありますが、昭和記念公園のスタッフの方たちは、一晩中寝ないで避難者のサポートに当たっていたのには頭が下がりました。

 本来は、サポートされる側ではなく、サポートする側にならないといけないのだけれど。

 東北や長野の被災地でも、多くのスタッフやボランティアが活躍しているのでしょうね。

 被災されている方は、避難所でこれからも長く寝泊りすることを余儀なくされるケースが多くなると思います。

 阪神大震災のときも、長い間避難所で生活しなければいけなかったそうですし。

 今回も、苦しい避難所での生活が続くのではと思うと、胸が痛みます。


 被災者の方たちへ深くお見舞い申し上げます。被災された地域の復興を心から祈っております。

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ビジベンは、何か持ってる?

 明けましておめでとうございます。

 昨年はお世話になり、どうもありがとうございました。

 本年もよろしくお願い申し上げます。


 箱根駅伝、すごかったですね~。

 個人的には、うれしいのと、うれしくないのが重なって複雑な心境です。トップとピリのコラボなんて、オイラの浮き沈みの激しい人生を象徴しているような。


 ところで、御無沙汰いたしまして申し訳ございません。

 とくに体調が悪いわけでも、精神に支障をきたしているわけでもないのですが、ブログ更新のさぼり最長記録を更新してしまいました。

 年末にかけて、毎日仕事で気持ち悪くなるくらい文章を書いていたのですね~。

 ブログで長文を書く余力が残っていなかったと言いますか…。

 プロの作家など、毎日、小説を書きながらブログを更新したりしている人もいるので言い訳にはなりませんけど。

 その意味でも、才能の限界を感じる今日この頃。


 それはともかく、年の初めに当たってひと言、言わせて下さい。

 ビジベンは、これまで何か持ってる、と言われ続けてきました。

 それが何なのか、去年の年末、確信いたしました。




 それは…。



リサイクルショップの商品に、ぴったりフィットする体型」です。


 
 先日、何気にリサイクルショップを覗いてみたんですよ。

 ユニクロのハードユーザーとしては、リサイクルショップはあまり興味がなかったのです。

 男性の場合、古着というと、どうしてもオヤジが使い古した洋服が並んでいるような気がして…。

 ところが、古着や履き古した靴ももちろんありましたが、結構、新品も並んでいるのです。

 どう見ても、一度も使われた形跡がない。

 お店の人に聞くと、通販やバーゲンで買ってはみたものの、サイズが合わなくて返品するのも面倒だから、リサイクルショップに持ち込む人が多いのだとか。

 ためし履きや試着しないで買ってしまうのですな。

 サイズが合わなくて売られた商品を試着してみると、なんと全部オイラの体型にぴったり合うのです。

 たとえば、ミチコロンドンというブランドのシャツ。

 サイズはLなのですが、ユニクロで言ったら、LとMの中間くらいの大きさでしょうか。

 これでは、身長180センチの人がLサイズということで買えばちょっと小さい。

 逆にアメリカのTシャツだとMサイズが日本人のLサイズより大きいということもあるらしいのです。

 私事で恐縮ですが、オイラは、ユニクロのLだとゆったり、Mだとちょっとぴったりめで、どちらも自然に着られるのですね~。

 ちなみに、175センチで67キロという日本人の標準よりちょっぴり大きいという中途半端な体型。

 もしかして、リサイクルショップに並ぶ服や靴を買うために、オイラは生まれてきたのではないか。

 …ということで、その新品をなんと800円でゲッツ。

 よく見ると、そばにどう見ても新品に見えるエドウィンのジーンズが…。

 それもなんと800円っすか。

 専門店で買うと、8000円はしますよ、これは。

 圧巻は、アディダスのウォーキングシューズ。

 うひょー、12800円の商品が1800円ですと。

 しかも、靴底に埃すらついてないっす。

 こうなると、なんでも鑑定団の鑑定士になった気分で店内を物色します。

 そして発掘したのが、英国有名ブランドのコート。

 500円で売っているのですが、これはどう見ても10万円以上するのではないか。

 それで即購入したのでした。

 家に戻ってよくよく見れば、裾のところに虫に食われた後が…。

 直径5ミリくらいの穴が2つばかり開いていて、下地の白透けて見えて結構目立つのです。

 にゃるほど、だから500円なのですな。

 少しもあわてず、オイラはその穴をマジックで黒く塗りつぶしました。

 すると、まったく目立ちませぬ。


 うう、オイラもこれで有名ブランドコートのオーナーじゃ。

 得意になって、これらのブランド品を着ていると、最近、ビジベンは金回りがよくなったのではないか、という噂が立ち始めたのです。

 なかには、金に困って何か悪事を働いているのではないか、という悪い噂も。

 リサイクルショップで1万円くらい使っただけなのに…。


 警察に通報されてはたまらないと、リサイクルショップの場所をやっかむ輩たちに教えたのでした。

 男性の商品は女性に比べ少ないから、あまり他の人には教えたくなかったのですが。

 でも、君らの堂々たる体型では、そのリサイクルショップの服には合わないだろうという優越感もありました。

 ところが、オイラの話を聞いてその店へ行き、儲かったと大喜びで電話してきた人間がいるのです。

 なんでも、純金のカフスが500円で売っていたとか。

 金が高騰している今だったら、4~5万はするらしい。

 貧乏人のオイラでは、金の価値なんてわかりませんからね。

 お金が貯まらないわけだと思いました。

 それにしても、そのリサイクルシッョプ。

 いくら脱サラで始めたとはいえ、そんな商売していたら、近いうちに倒産かも。
 
 倒産しないうちに、もっとお宝をゲットしようと日参するビジベンでありました。

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新型インフルエンザと鎖国の微妙な関係 with 瑞江~古川親水公園 ウォーキングストーリー

 こんにちは。

 新型インフルエンザの感染が少しずつ拡大していますね。

 いよいよ関東にもやってきたか、という感じです。 

 オイラは、新型インフルエンザの専門家ではないのでよくわかりませんが、江戸時代の鎖国でもしない限り、感染は避けられなかったのでしょう。

 病気についての本を書いていますが、歴史のほうにも興味があるので、インフルエンザの歴史を少し調べてみたんですよ。

 鎖国政策がとられた江戸時代にも、インフルエンザの流行があったのかどうか、と…。

 酒井シヅ著 「病が語る日本史」(講談社学術文庫)によると、江戸時代初期の1614年にインフルエンザの大流行があったらしい。

 ところが、それから百年間、インフルエンザの大流行の記録は残っていないそうです。

 明以外の船の入港を長崎・平戸に限定したのが1616年。鎖国は、一気に行われたのではなく、少しずつ体制が強化され、寛永の家光の時代に完成したそうですね。

 鎖国政策がとられてからパッタリ百年間も、インフルエンザの大流行がなかったなんて、やっぱり…という感じがしました。

 ところが、その後も鎖国下の日本でしたが、八代将軍吉宗の享保年間に、インフルエンザの大流行が起きてしまった。

 江戸の町では、夏の一ヶ月で死者がなんと八万人。

 棺おけが間に合わず、酒樽に亡骸を入れてお寺に運んだそうな。

 百年間もインフルエンザの流行がなかったそうですから、おそらく当時の日本人は免疫を持っていなかったのでしょう。

 ちょうどその頃、アメリカやヨーロッパ諸国でもインフルエンザが大流行していた記録が残っているそうです。

 島国であり、鎖国をしていた日本なのに、いったいどこからインフルエンザがもたらされたかというと、当時でもたった一箇所世界に開いていた場所があったのでした。

 それはご存知、長崎の出島。
 
 興味深いのは、長崎で流行してから江戸で流行するまで、3年のタイムラグがあったということ。

 当時の交通事情もあったのでしょうけど、現代では考えられませぬ。

 それにしても、今から300年も前の鎖国下の日本でも、インフルエンザが猛威を振るったというのは驚きです。

 300年前の長崎と今回の神戸、どちらも日本屈指の国際都市という共通点はありますな。

 いずれ、まわりでも感染する人が増えると思いますが、被害はまさか300年前とは違うでしょう。でも、弱毒だからと油断することなく、しっかり予防や感染防止の知識を持たねば、と思いました。

 
 免疫力を高めるにはまず体力…ということで、お散歩ネタ。

 インフルエンザの「イ」の字もなかった頃に出かけたので、写真の季節感に若干違和感がありますがご容赦ください。

 今回、都営地下鉄全線が500円で乗り放題のワンデーパスを使って行ったのは、江戸川区。

 都営地下鉄新宿線の瑞江から船堀をめぐるコースです。
 
 近くに、旧江戸川や新中川がとうとうと流れ、趣向をこらした親水公園もあって、なかなか変化に富んだウォーキングが楽しめそう。

 しかも、神社仏閣や江戸時代の長屋門もあるとか。

 もちろん、何度か訪れたことのある場所ばかりですが、初めて見るところもいくつかありそうなので行ってみることにしました。

 ウォーキングのスタートは瑞江駅。

 駅前はスーパーや商店が並ぶ、どこにでもある景色ですが、とびきり古い建物はないみたい。

 新宿線が開通したのは昭和61年で、そこから商業・住宅地として急速に発展したのですな。

 そう古くない時代は、水田や金魚の養殖池が広がるのどかな農村風景が広がっていたそうですね。

 瑞江駅前の雑踏を抜け、まず向かったのは豊田神社。

 それほど大きな神社ではありませんが、境内には大正時代に作られた富士塚がありました。

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 あまりモノホンの富士山には似ていませんけど、モノホンの溶岩を積み上げ、裏側には富士山の大沢崩れの跡を模すなど手が込んだ作りになっています。

 このコースには、ほかにも富士塚のある神社がいくつかあって、当時の富士講の流行が偲ばれました。

 豊田神社から住宅街の中をテクテク歩き、向かったのは明福寺。

 ここはオイラの家の宗派である浄土真宗の開祖、親鸞聖人ゆかりのお寺らしい。

 親鸞聖人は関東から上洛の途中、この地で請われて雨乞いをしてその後ここに草庵を作り3年間も住まわれたとのこと。

 本堂裏の墓所の前にある鏡が池は、親鸞聖人が自身の姿を水面に映して像を彫ったという伝説が残されています。

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 そして、境内には太子堂と親鸞堂などが建ち、太子堂には聖徳太子の自作と伝えられる聖徳太子立像、親鸞堂には親鸞の自作とされる親鸞聖人坐像が安置されているとのことでした。

 一見すると普通の小さな池ですけど、そんなに古くからここにあるのですね。

 明福寺の裏手はすぐ旧江戸川になっていて、川沿いの遊歩道からの眺めはなかなか。

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 ヨットハーバーみたいな施設もあって、湘南気分も味わえそう。

 旧江戸川と新中川の合流地点の近くにあるのが、今井児童交通公園。

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 ここは、レンタルのゴーカートや自転車に乗り、楽しみながら交通道徳を身につけられるのですね~。

 信号を備えた車道と歩道が作られてあって、子供たちが交通ルールを守りながら自転車をこいでいます。

 料金表示がどこにもないから無料かも。

 二人乗りで、ペダルをこぎながらモノレールのように場内を一周できるサイクルモノレールは楽しそう。

 行った日は新年だったので、ボランティアの係員の人たちのほうが子供たちより多い状態。

 並ばないで、しかも無料で、遊園地にあるような施設を楽しめるのだから、これはこの近くに住む人の特権かも。

 巨大な今井水門を眺めながら瑞穂大橋を渡り、住宅街をしばらく行くと宇田川家長屋門がありました。

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 この長屋門は、江戸時代後期に作られたらしい。

 宇田川家は、旧二之江村の村役人を代々勤めた旧家だそうですね。ご先祖は、後北条氏の家臣で、この地域の開拓者でもあるのだとか。

 少し、右側の屋根が高くなっているのが気になりましたけど、茅葺のまま現在まで残っているのは珍しい。

 元武士の豪農であり、この地域のパイオニアとしての威厳が感じられました。
 
 長屋門のすぐそばから延びているのが、古川親水公園。

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 旧古川の流れをそのまま公園にしたもので、国内の親水公園の第1号にもなった由緒ある公園なのですね~。

 今は全国に親水公園というネーミングのついた公園がありますけど、それらのお手本になったのですか。

 お手本だけあって、たんなる水の流れだけにとどまらない趣向を凝らした仕掛けが面白かったです。

 ちなみに、全長は1.2キロ。

 古川は、江戸川を下る水路として古くから使われていたようで、江戸時代は行徳の塩を江戸へ運ぶ重要な水路だったらしい。

 川のせせらぎ沿いの遊歩道をテクテク歩いて向かったのは、妙勝寺。

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 区内でもっとも古い寺院だそうですね。

 解説板には、鎌倉時代に近くの葛西沖に難船が漂着し、残されていた童子を二之江村の漁師五郎という者が救いあげたという話が書かれていました。時に、1248年。

 その童子は平家の出身で、後に僧になってこの近くに草庵を結んだらしい。これが妙勝寺の始まりだそうですね。

 鎌倉幕府が作られて50年以上もたってから、どうして平家の少年が船に乗って、どこへ行こうとしていたのだろうと考えると夜も眠れなくなりそう。

 鎌倉幕府も安定して、平家の出身といっても、大手を振るって生きてゆける世の中になっていたのでしょうかね。

 妙勝寺の前には、巨大な岩のオブジェから怒涛の如く水があふれています。

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 このあたりの親水公園は見どころが満載。

 昔、長崎で見たメガネ橋のような橋がありました。

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 しばらく行くと、ミニ吊橋にミニトンネル。

 こちらは親水と藤棚のコラボっすか。

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 水辺のプチ景観を楽しみながら歩き、着いたのが妙光寺。

 境内の七面殿には、葛西沖で漁師の網にかかって行き上げられた「海中出現七面大明神」が祭られているらしい。

 このあたりを歩いて海をイメージするものはあまりないですが、江戸時代はもっと海が近くにあって、近隣の人たちは海のそばの暮らしをしていたのでしょうか。

 古川親水公園に別れをつげ、商店が立ち並ぶ陣屋橋通りをテクテク歩いて今度は一之江境川親水公園へと入ります。

 こちらは平成7年に完成したまだ新しい親水公園。

 何度か来たことがあったと思いましたが、よく覚えていないっす。3.2キロもあるのですね。

 少しあるいて日枝神社に。

 ここにも富士塚がありました。それほど高くなく、登りやすそうですけど入口にローブが張ってありました。

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 そして最後に向かったのが、タワーホール船堀。

 ここは江戸川区の複合文化施設で、ホールや映画館、レストランなどがあります。

 …といっても、オイラが注目するのは、高さ115メートルの展望台。

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 今やタワーとしてはそれほど高くありませんが、まわりに高い建物がほとんどありませんからね。

 都心の115メートルとはわけが違いまする。

 前に一度来たことがあり、その360度の大パノラマは一見の価値ありでした。

 しかも、確か無料だったような。

 …と喜び勇んで行こうとしたら、休館日でした。

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不思議な家と写真にまつわるエトセトラ

 こんにちは。
 
 またまたご無沙汰いたしてしまいました。連休はいかがお過ごしですか?


 前回のネタはお花見かと思ったら、もう初夏のような日差しが降り注ぐ今日この頃になってしまったのですね~。

 日本桜の名所100選に選ばれた茂原公園の桜は素晴らしかったです。

 でもよく考えてみたら、オイラの家の近所にもなかなかの桜の名所があるんですよ。

 小学生の頃は、川が流れていた場所ですが、今は暗渠になって普通の道路になっているのです。

 今では、ここが昔、川だったということを知らない人のほうが多いかも。

 その通り沿いに、桜が数百メートルにわたって植えられているのですね~。

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 家から事務所までは30分くらい歩くのですが、毎年、桜のシーズンは、必ずこの道を歩いて通勤しておりまする。

 若干、遠回りになりますけど、桜の魅力には抗えない。

 お気に入りの100円の自販機でコーヒーを飲みながら、公園のベンチに座って桜を眺めるのは至福のひとときです。

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 桜の名所は世の中に数えきれないほどありますが、やはり場所より開花の時期のほうが重要かもしれませんね。

 そのあと、花粉の禁断症状が現れて大変なことになるのですが…。

 
 それはともかく、この通り沿いに前から気になっている家があったんですよ。

 過去形なのは、最近取り壊されてしまったから。

 いずれその家の秘密について、誰かに聴いてみたいと思っていたのですが、永遠の謎?になってしまいました。

 それは、この家…。

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 どこにでもある普通の家なのですが、なぜ二階に扉だけあるの?

 ま、普通は、昔、二階へ通じる階段があって、その階段だけ撤去され、扉だけ残ったと考えるでしょうね。

 オイラもそう考えたのですが、階段があったという痕跡がない。

 あるいは、前はもっと大きい家だったのだけれども、半分取り壊すなど改築したとき、二階の扉だけ何らかの理由で残ったとか。

 でも、改築した痕跡もない。

 写真で見てもわかると思いますが、隣の家はもっと古いですし、ふたつの家の間はほとんどスペースがないんですよ。

 もしかして、非常口?

 普段から、扉がもし簡単に開いたら、寝ぼけて落ちる人とかいないのだろうか。

 謎の扉の理由をいろいろ考えると、眠れなくなりそう。

 
 不思議といえば、オイラが子供の頃に見た写真が、数十年前からずっと、心の片隅に引っかかって取れないのです。

 当時のことはあまりよく覚えていないのですが、その写真だけは今でも鮮明に記憶に残っている。

 不思議というより、怪奇といったほうがいいかもしれませんが…。

 それはオイラが小学校の4年生か5年生の頃。

 当時は、学校が終わると、狭い道路で友達と三角ベースの野球をするのが日課でした。

 三角ベースの野球も一区切りつき、オイラは行きつけの駄菓子やで、合成甘味料と合成着色料満載のすももを頬張っていたのです。

 そのとき、クラスメートのT君と隣のクラスのH君が駄菓子やの前を通りかかりました。

 いつもは明るく元気な二人ですが、今日はいつもと様子が違う…。

 二人とも目の焦点があっていないと言いますか、足取りもふらふらしている。

 どうしたのかな、と思っていたら、二人がオイラに気づいて近寄ってきました。

「ビジベン。これ見ろよ」

 二人は一枚の写真をオイラに見せました。

「えっ?何?」

 それは、日光の「華厳の滝」のスナップ写真。

 以前、オイラが家族旅行で日光へ行ったとき買った絵葉書の構図とほとんど同じです。

 おそらく、彼らも家族旅行で日光へ行ったとき、撮った写真の一枚なのでしょう。

 綺麗に撮れていましたが、よくある構図ですし、別に騒ぐほどのこともないのではないか。

 そう思って、オイラが首をひねりながら眺めていると、H君が「ここを見ろよ」と写真の一点を指差しました。

 それは、華厳の滝の滝つぼから少し上の辺り。

 轟音を響かせながら、圧倒的な水量が滝つぼの水面を打ち、水しぶきが霧のように立ちこめている部分です。

 オイラが、そこを見たとたん、一瞬で凍りつき…。そして、背筋に鳥肌がゾワワワワ~と立つのがわかりました。

 小さいのでよく見ないと見逃してしまうような部分でしたが、そこにはくっきりと女性のシルエットが…。

 髪の長い若い女性だというのがわかります。見えているのは、女性の上半身だけで、下半身は水しぶきの中に溶け込んでいるよう。

 オイラが一瞬で鳥肌が立ったのは、そのポーズでした。髪を振り乱し、のけぞる姿勢で、救いを求めるように片手を上に伸ばしている。

 断末魔の叫びをあげながら苦しんでいるのがわかります。

 水しぶきのシルエットだけで、そんな細かな部分までわかるか、と突っ込みを入れたくなるのはごもっともですし、これが逆の立場だったら、眉につばをつけたくなるでしょうね。

 でも、ホント、おそらく等身大の大きさでありながら、ありえないくらい鮮明に、滝つぼの上空に浮かんでいるのです。

 オイラは、この写真を見て、次の言葉が出てきませんでした。

 二人は、呆然と立ち尽くすオイラを残し、またふらふらとした足取りで別のクラスメートに写真を見せています。

 得意になって見せているというより、この恐怖を共有したいと思っているかのように…。

 その後、H君に、あの写真もう一回見せて、という友人はいたようですが、二度と見せることはなかったようです。

 何でも、勝手に写真を持ち出したということで、家の人からこっぴどく怒られたみたい。その後、彼の父親がどこかへ写真を持っていってしまったとH君が話していたのを覚えています。

 あれから何十年も立ちますが、今でもあの写真を思い出すと背筋が寒くなりますね。

 皆様の中にはきっと、たまたま水煙が女性の形になったと思われる人が少なくないでしょう。

 でも、絶対、あれは水煙ではないと、今でもオイラは断言できます。

 ネス湖のネッシーの写真みたいにぼやけていないし、若い女性の完璧なシルエット。振り乱す髪の毛、指の形まで鮮明でした。

 ただ、トリック写真に関しては、可能性がまったくないとは言えないかも。

 でも、デジタル写真全盛の現代ならともかく、昭和40年代前半のアナログ時代に、あれほど見事なトリック写真が作れたかどうか。

 水煙の粒子と女性のシルエットが完璧に一体化しているんですよ。ひとかけらの不自然さもなく…。

 もし、トリック写真だったとして、子供たちしか見ていない写真のために、何のメリットがあって作ったのかという疑問も残ります。

 それ以降、完全に闇の中に消えてしまったのですから。

 お金と時間を費やして作ったのなら、多くの人に見せたいと思うのは人情だと思うし…。

 
 今、ネットで「華厳の滝 心霊写真」のキーワードで検索すると、すごい数のページがヒットしますね。

 やはり、あの不思議な写真は心霊写真だったのでしょうか。

 当時、あの写真を見た瞬間、この女性は華厳の滝で自殺した女性だという気がしました。

 とくに理由はなく、頭の中で閃いたと言いますか。

 あの苦しんでいるポーズを見ると、やはり自殺はやめたほうがいいのかも。


 それ以降、オイラは霊感がないのか、同じような経験は一度もありません。

 でもああいう写真を見てしまうと、死後の世界がまったくないとは言い切れないですな。

 やっぱり、何もないよりは死後の世界はあったほうがいいと思います。

 真っ暗で静寂な「無」の世界だったら寂しいし…。

 でも、舌を抜かれたり、釜茹でになったりするのも嫌ですが。


 さて、皆さんは、死後の世界やオイラの写真の話を信じますか?

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お葬式にまつわるエトセトラ

 こんにちは。

 突然ですが、実は先月、父が亡くなりまして。

 ネットに書くのもどうかと思って黙っていたのですが、新年のご挨拶があることを思い出しました。

 このまま新年を迎え、「明けおめ~」とは、心情的にも、日本古来の風習からも言いづらい。

 知り合いに喪中ハガキは出したのですが、ネットでも新年のご挨拶は失礼させていただきますのでよろしくご配慮のほどお願い申し上げます。

 皆様にはどうぞよい年をお迎えください。寒さに向かう折から、ご自愛のほどをお祈り申し上げます。


 父は肝硬変から肺炎を併発しまして、八十歳で永眠しました。

 昔から肝臓が悪く、検査のたびに指摘されていたようです。

 ところが、お酒はほとんど飲まず、タバコも吸わない。肝臓が悪いと言われてからは、しじみ汁もよく飲んでいたんですよ。

 それでも良くならず、どんどん悪くなって、最後は肝硬変の末期的症状をすべて併発して亡くなったのでした。

 偏差値70を超える大学医学部の病院へ長く通院していたにもかかわらず、原因がわからなかったそうな。 

 最近、少し医学の門前で小僧をやっていますので、今になって考えてみると、その原因は「食べ過ぎ」だったのではないかと考えるのです。

 まさか病院の先生も、その食べっぷりのすさまじさは想定外だったのではないか。

 たとえば、厚さ5ミリのバターを塗ったトーストをメインにした朝食をしっかり食べた後、デザートにクリームパンを1個食べる。

 昼食の前に、お腹がすいたと食パンをそのまま食べ、昼食はしっかり1人前食べたあと、おやつにせんべいやケーキなど家にあるものをすべて…。

 これ以上は書けませぬ。故人を鞭打つようなことは。

 でも、どんなに少なく見積もっても一日4000Kcalは超えていたでしょうね。

 当時は、年をとってもその健啖ぶりはすごい、健康だから食欲があるのだという認識があったのは事実です。

 幼年時代を戦争で過ごし、好きなものを十分食べられなかった反動もあったのかと…。

 本来なら、肥満体や血糖値が上がって糖尿病になるはずですが、それほど太らず、血糖値もあまり上がらなかった。

 結果的に、それで危険信号が見過ごされてしまったのでしょうね。

 オイラの血液検査の結果から見て感じるのですが、うちの家系は遺伝的にインスリンの分泌は盛んみたい。

 日本人は一般的に、西洋人と比べるとインスリンの分泌が良くなく、糖尿病になりやすい民族だと言われます。

 農耕型で、比較的少ないカロリーの食生活で生き続けてきたからでしょうか。

 ところが西洋の狩猟民族は、高カロリーの肉をよく食べるため、血糖値を下げるためのインスリンが分泌しやすい体質になったのだとか。

 …とすると、オイラの家系は西洋狩猟民族?

 アジアやアフリカにも狩猟民族はいると思いますが…。
 
 それはともかく、インスリンの分泌が悪くなると、血液中の糖分が細胞に取り込まれず、高血糖が続いて糖尿病になります。

 ただ、インスリンの分泌が盛んだと、血液中ではなく細胞の中に糖分や脂肪が取り込まれる。脂肪はちょっと記憶が定かではありませんが、内臓脂肪として蓄えられるのは間違いないみたい。

 内臓脂肪は脂肪肝と直結しますからね。

 長年、肝臓が悪かったのは、肝臓そのものから来るのではなく、高カロリー食をし続けたために、肝臓が悲鳴をあげていたサインだったのはないか。

 本来の死因は、メタボリックシンドロームだと感じました。

 だから、病院から長年肝臓の薬をもらって飲み続ける前に、ダイエットに励むべきだったのでしょう。

 病院の先生は、ダイエットは勧めてはいたものの、肝臓の病気とコラボで考えてはいなかったみたい。

 多少太めでしたが、肥満体ではなかったですからね。メタボが騒がれるようになったのは、そんなに古くはない話ですし、騒がれたときはもうどうしようもないくらい病状が進んだ後でした。

 もっとも、これは検査結果を見たオイラの推理ですし、専門家から見たら、全然見当外れなのかもしれませんが…。


 でも、そう考えると驚くべきは父の体力。

 40歳代のオイラよりもはるかに大量のカロリーを数十年にわたって摂取しつつも、80歳まで生きたのだから。

 健康に気をつけて、日々節制していても70歳前に亡くなってしまう人は少なくないはず。

 オイラも一時期、真似してガンガン食べたことがありましたが、3年ほどで体が悲鳴をあげてしまいました。

 父は終戦の年に国家公務員になって、平成9年に財団法人を退職するまで、勤続52年。

 70歳まで仕事ができて、定年後は思う存分食べたい物を食べ、趣味に没頭できた人生はうらやましいと言うほかありません。


 お葬式も、遺族みんな泣くこともなく、淡々と進められたのはそういう思いがあったのかもしれませぬ。


 …ということで、おかげさまで父の葬式は無事すんだのですが、お葬式というと、いつも思い出す出来事があるのですよ。

 オイラにとっては、人生最大の修羅場だったと言いますか。

 父の葬儀の話題の後に書くネタではないかもしれませんけど…。

 でも、父は日頃はカタブツのイメージでしたが、オイラの子供の頃は、いつも家族が寝静まってから起きだし、深夜テレビを見ていました。

 ふと、目を覚ますと、テレビのコメディを見ながら、ククククククと押し殺したような声で笑っていたのを覚えています。

 きっと、父もこの話題は嫌いではないはず。


 もう20年近く前、銀行に勤めていた頃の話ですが、職場の先輩の父君が亡くなったということで、支店のみんなとお通夜にお伺いすることになったのです。

 お通夜の会場は先輩の自宅。

 夜8時を過ぎていたので、遺族や親族、関係者のお焼香が大方終わった頃です。

 そこへ支店の行員がゾロゾロ並んで、一人ずつお焼香をします。

 古い日本家屋の縁側を挟んだ座敷に祭壇が作られていて、その前に喪主の未亡人と息子の先輩が正座し、参列者のお焼香が終わるたびに会釈しました。

 故人はまだ60歳代だったと記憶しています。未亡人もまだ若く、涙に濡れてうつむく姿が痛々しい。

 いつもはニコニコ笑っている先輩も、さすがに今日は沈鬱な表情でうなだれている。

 オイラはまだ若かったので、お焼香の仕方がわからず、お焼香をする人たちを後ろから眺めておりました。

 冠婚葬祭のマナーは、しっかり守らないといけませんからね。

 お焼香が進み、いよいよ次の次がオイラの番。

 すぐ前に立っていたのが、副支店長でした。後ろから副支店長の所作に注目するオイラ。

 さすが副支店長。数珠を用意しているっすか。

 数珠を右手から左手に持ち替えた。

 そして、お香に向かって右手が伸びる。

 そのとたん、キャというくぐもった声がお通夜の会場に響きました。

 皆がお焼香をしている副支店長に注目します。

 副支店長の右手が体の横でひらひら揺れている。

 なんと、お香を取ろうとして、間違って香炉に手を突っ込んじゃったみたい。

 大勢の人たちのお焼香が終わったあとなので、香炉の中は真っ赤かに燃えている。

 そこへ思いっきり手を突っ込んだら、激痛が脳天を直撃したはず。

 本来なら、思いっきり、ギャァァァァァァァ~とか、アチャャャャャャャ~と悲鳴をあげるところでしょうけど、キャッという必要最小限の悲鳴で留めるあたりは、さすが副支店長だと思いました。


 ただ、そのあとの所作は若干問題かも。

 本来なら、数珠を両手のひらにかけ、合掌礼拝しなければならない。

 ところが、激痛で大脳皮質がマヒしたためか、パンパンと柏手を2回も打ってしまった。

 真正面からこんな滑稽なライブを見せられてはたまらない。

 それまで泣き濡れていた未亡人が、思わずプッと吹き出したのです。

 神社にお参りしているわけじゃないから、それはまずいっすよ。

 副支店長はお焼香が終わると、左手で右手を抑えながら、そそくさとその場を離れます。

 そして一目散に出口に走ってゆくのでした。

 きっと火傷した指を冷やそうと、水を探しに行ったのでしょう。


 もちろん、その時のオイラはその一部始終を冷静に眺めていたわけではなく、信じられない光景にただ呆然と立ち尽くしているだけでした。

 気がつくと、お焼香はオイラの番。


 前を見ると、今まで涙に濡れていた未亡人が必死で笑いをこらえている。先輩は下を向いて目をギュッと閉じ、両手で膝がしらをつかんでいる。

 他人から笑っていると思われないためには、これがベストな方法かも。
 
 肩が小刻みに震えているのは、どこから見ても、父親の悲しみに耐えている姿にしか見えませぬ。

 本来なら、こういう面白すぎる光景を見てしまうと、ギャハハハハハハハハハハと人目をはばからず大声で笑うのですが、さすがに非常識と言われるオイラでもそんなことできるわけありませぬ。

 父の位牌にお香を投げつけたと言われる織田信長でも、さすがに笑ってはいなかったでしょうし…。

 笑いながらお焼香をするなんて、人として一番やってはいけないことですからね。

 人生最大の汚点だけは残したくない。

 とっさに思ったオイラは、思いっきり尻の肉をつまみあげて、込み上げてくる笑いを必死で抑えました。

 目の前では喪主と先輩が笑いをこらえているのがわかりますけど、こっちは笑いをこらえている様子すらわかってはまずい。

 目を見開き、歯を喰いしばって、必死に耐えてお焼香をすませました。

 脂汗は出てくるし、もう大変でしたね。


 後日、先輩から、そのときのオイラは鬼気迫る表情をしていたと聞きました。

 石川さゆりの「天城越え」のときの表情みたいだったと…。

 でも、そんな色っぽくはなかったはず。

 大相撲の優勝決定戦で、足の痛みに耐え、貴乃花が武蔵丸を破って優勝したときの「鬼の表情」と言って欲しかったっす。

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鷺宮、石仏めぐり ウォーキングダイエットストーリー 

  こんにちは。

 ゴールデンウィークも今日で終わり。

 皆様は、よいお休みを過ごされたでしょうか。

 オイラは、またいろいろほっつき歩いてきました。

 海と山へそれぞれ一回ずつ。

 昨日はまた古城を歩いてきたのですが、急斜面に玉砂利が敷き詰められていて、転びまくりました。

 滑りやすいシューズを履いて行ったのが失敗の元で、ローラースケートを履いたまま山道を降りてくるような感じでしたね~。

 おかげで、股裂きやバックドロップ、アトミックドロップを何度も食らったようなダメージが今も残っています。

 その修羅場の模様は、いずれまたまたブログの中で。


 ところで、今年になって、これだけしつこくお散歩ネタを繰り返していたら、ホントにやせてきたんですよ。

 ブログに書きたいから歩くという、インセンティブがしっかりできていたからよかったのかもしれませぬ。

 一番太っていた頃から比べると、6キロ減。体脂肪計を買って、定期的に体重を量り始めてからだと3キロ減です。

 これでオイラのBMIは22になりました~♪

 標準値が22だそうですから、ぴったし標準値っすか。

 ちなみにBMIとは体型評価の基準で、体重を身長(メートル換算)の2乗で割った数値です。

 たとえば、身長170センチ、体重80キロだったら

 80÷(1.7×1.7)で、27.68

 18.5未満が「やせ」、18.5~25未満が「標準」、25~30未満が「肥満」で30以上が「高度肥満」だそうですから、この数字だと肥満になってしまうわけですね。

 歩けば体重が減るのはわかるのですが、オイラの場合、身長が1センチも伸びるという結果に…。

 今まで森田健作と同じ身長だと言っていましたが、ハンカチ王子と同じ背の高さになりました~♪

 なんか、この差は非常に大きいような気が…。

 体脂肪計の「体内年齢」は30歳だし、まだまだ成長期にあるのかしらん。

 もっとも精神年齢は、小学生クラスという自負があるのですが…。


 しかしBMIは標準値でも、いけてる中年になるにはさらなるダイエットが必要かも。

 去年、日本橋のデパートで見た、舘ひろしのかっこ良さがまだ脳裏に焼きついて離れないのです。

 贅肉がまったくない。顔が小さくてシャープ。どんな動作も様になる。

 スリムなスーツをびったし着こなした姿は、同年配のおじさんたちと同じ人種とは到底思えないほどでした。

 そのかっこ良さは、隣にいた徳重聡がかすんでしまったほど。

 舘ひろしは、身長183センチ、体重68キロだとか。

 ちなみにBMIを計算してみると、20.3。

 標準の枠の中に入るし、あのかっこ良さはあこがれますね~。

 しかしですよ。

 医学的には、多少小太りのほうが長生きできるらしい。

 たとえば、170センチだったら、72キロとか。

 緊急手術の場合でも、やせている人よりは小太りの人のほうが命を取り留める確率が高いそうですね。

 BMIのぴったし標準のオイラとしては、今後、舘ひろしを目指すべきか、小太りの中年を目指すべきか、重大な局面に立たされておりまする。

 
 それはともかくお散歩ネタです。結果が出始めるとますますやる気が出る今日この頃。

 今回行ったのは、西武新宿線の鷺ノ宮駅のあたりです。

 さる土曜日の朝、この近くで用事をすまし終えたのが午前10時半。

 このあと用事はなかったので、せっかく来たのだからぶらぶらこの近くを歩いてみようと思ったのです。 

 何より、はじめて歩く場所って、脳細胞を刺激するそうです。

 オイラの持っている優れもののガイドブックに、鷺ノ宮駅周辺のウォーキングコースが紹介されていましたし。
 

 …ということで、鷺ノ宮駅前の中杉通りを練馬区の方向に向けて歩き始めます。

 商店街を通り、新青梅街道を渡ってしばらく進むと、スーパーの隣の三叉路に、二体のお地蔵様がありました。

Ts360851

 このあたりは、江戸時代に作られた石仏が数多く残っているみたいですね。

 近くの解説板によると、「願掛け地蔵」と言うらしい。

 この二体のお地蔵様のうち、小さいほうのお地蔵様を夜中に倒して願掛けをする。すると、大きなほうのお地蔵様は、小さいほうを起してもらいたいがために願いを聞いてくれるとのこと。

 お地蔵様にとっては、ちょっと理不尽な行いのような気がしますが、当時の人たちの願いに対する熱望が感じられました。

 今みたいに、もっとお金が欲しいとか、自分の希望する学校へ行きたいとかいう願いではなく、生きていく上での根源的な願いだったのでしょうね。

 マズローの欲求五段階説における「生理的欲求」や「安全の欲求」といいますか。

 オイラも、今なお人間が生きる上での根源的な欲求を欲する段階にありますので、今度夜に来て、やってみようかと思ったりしました。

 ところがよく見ると、小さなお地蔵様の台座がコンクリートで固められておりまする。

 当時と比べて人口も増えましたし、人々の願いがあるたびに、横倒しにされていてはかわいそうなので、これは致し方ないのかも。

 そう思いつつ、今来た道を引き返し、新青梅街道を上石神井方面に向かって歩きます。

 都立武蔵丘高校入り口の信号のそばにある二差路の角にも、お地蔵様がありました。

Ts360852

 これは、「つげの木地蔵」というらしい。

 屋根のある場所に立っているから、なんとなくリッチな感じがするのはオイラだけでしょうか。

 新青梅街道を渡り、少し住宅街に入った駐車場の脇に立っているのが、庚申塔。

Ts360855

 江戸時代、庚申講を続けた記念として、集落の辻などによく立てられたとか。

 小さいので見落としがちですが、どこの土地へ行ってもこの庚申塔は結構ありますね。

 江戸時代の大ブームの庚申講の痕跡が今でも残っているわけですから、当時としては一大センセーショナルだったのでしょう。

 ちなみに庚申講とは、集落の人が集まり、夜通し起きて庚申様を迎える信仰。それがだんだん、人々の楽しみの一つになって、全国で大ブームになったのですね~。

 仲のいい人たちと集まって、寝ないで夜通しお酒を飲めるわけですから。しかも、そうすることによって長寿を全うできるという大義名分があれば、ブームになる理由もわかります。

 しかし今、午前様のご主人が、「今日は庚申講の寄り合いだった」と言っても、奥さんは納得してくれないと思いますので念のため。


 それはともかく、庚申塔の前の道をどんどん歩きます。

 ところどころ残っている畑を横目に、300メートルほど行くと、また庚申塔が…。

 隣に、「子育て地蔵」というスラリとしたお地蔵様がありました。

Ts360857

 江戸時代は、乳児の死亡率も高かったから、当時の人たちはすがるような思いで拝んだのでしょうね。

 再び鷺ノ宮駅に戻り、今度は駅の反対側を歩きます。

 駅のそば、中杉通りに面して立つのは、「交通安全地蔵」。

 こちらは最近作られたみたいですが、近くに庚申塔や石仏が集められたスペースがありました。

Ts360860

 新旧のお地蔵様は、今も昔も変わらず、人々の願いを聞いてくれているようで。

 現代の人たちの願いの中に、「交通安全」がかなりのウェートを占めている点が若干昔とは違うかもしれませぬ。

 ここからまた石仏めぐりをしながら高円寺を目指したのですが、それはまた次回。

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体言止めにかかわる一考察

 こんにちは。

 ご無沙汰いたしております。

 とうとう過去例がないくらい、更新の間隔があいてしまいました。

 そろそろ限界説が流れる今日この頃。

 書きたいことはいっぱいあるのですけど、ここに来て、かなり忙しくなってきたんですね~。

 普段、休日は休むことにしているのですが、先週の日曜日は本業と副業でてんてこまいでした。

 朝、ネットの副業を片付けてから、外出して座談会やモニターに参加したり、取材したりした後、夜帰ってきてまたネットの副業。

 「功名が辻」を見る時間がなかったので、番組が終了していたのが不幸中の幸い?だったかも。 

 それでも座談会に出席すると、変わったことを言って笑いを取ろうとする自分が悲しい。

 今月はそれなりに頑張ったので、かなりの量の商品券や図書カードと、いくばくかの現ナマをゲットすることができました~♪。

 おかげさまで、これでようやく年が越せますだ。

 …と、苦労して手に入れた金券を、夜毎、机の引き出しから取り出しては、一枚~二枚~と番町皿屋敷のお菊のように数えて悦に入っていたのですよ。

 これだけあれば、ユニクロでフリースが何着買えるだろうと幸せな気分になったのです。

 クリスマス、皆様はいかがお過ごしでしたか。

 15年前のクリスマスは、降りしきる雪の中を、マッチ売りの少女のように営業に回ってつらい思いをしたなぁ~と感慨にふけったりして。

 ところが、そんなささやかな幸せに水を差す出来事が。

 今月のはじめに、金融機関のおねーたんに勧められて金融商品を買ったとブログに書きました。

 買ってから10日もたたないうちに、分配金が口座に振り込まれたのです。

 なんと、その金額が、この一ヶ月、オイラが寝る時間も惜しんで都内をぐるぐるまわり、2キロもダイエットに成功し、ブログの更新に支障をきたしてまで獲得したお金よりも、多い。

 言っておきますけど、そんな大金を預けたわけではありませんよ。

 銀行の窓口で預けると、せいぜいティッシュか、よくてサランラップが粗品でもらえるくらいの金額。

 世の中のお金持ちは、こうやって不労所得を得ているのでしょうか。

 …とすると、今までのオイラは、完全にワーキングプア状態。

 汗水たらして働くのは、人間の美徳だと思うのですが、この差を歴然と見せ付けられてしまうと…。

 ネットで金融商品を買うのに要した時間は、1分もなかったですし、この作業を時給に換算したら…。
 

 さて、あまり考えると暗くなってくるので、今日は久しぶりに文章ネタを行ってみたいと思います。

 完全に前回のネタを忘れていて、読み直してみてようやく自分が文末についての話題を書いていたことを思い出しました。

 文末というと、避けて通れないのが「体言止め」でしょうか。

 「体言止め」とは、ご存知のようにセンテンスの末尾を「体言」で結ぶ書き方のことです。

 体言とは、名詞や代名詞。

 ちなみに、上記の文章は体言止めですよ~。

 それはともかく、またいつもの文章を使って例を書きますと…。

 「きのうは、ぼくの学校の運動会。だから、早起き。学校へ行くと、みんな集合中。最初はラジオたいそうから。そのあとの校長先生の長~いお話。ぼくは徒競走で、ビリから二番目。もう少しがんばればよかったかも。お昼にはみんなでお弁当」

 ちょっと無理のある例でしたが、ニュアンスは伝わったでしょうか。

 こういう文章って、軽い系の雑誌ではたまに見ますよね。 

 実は、ここだけの話、最近まで「体言止め」という言葉を知らなかったんですよ。

 なぜ知るようになったかというと、その点について指摘されたことがあるから。

 もちろん、言葉を知らないだけで、そういう文章技法は知っていたのですが…。

 かつて本を出版したとき、自称・文章の専門家であるフリーライターの人に原稿を見てもらったことがあるのです。

 そのとき、オイラの書いた文章の中に体言止めの箇所がいくつかあって、けちょんけちゃんに言われました。

 そのとき、理由は教えてもらえなかったのですが、体言止めなんか使う奴は素人だと…。

 確かに、オイラ、素人なんすけど。

 でも、一寸の虫にだって五分の魂がある。

 さすがに腹が立って、文章作法の本やネットの文章講座で調べてみました。

 確かに、ちゃんとした本ほど、体言止めについての分は良くないですな。

 そのデメリットについて、いろいろ書かれていましたが、主に次の点に由来するらしい。


● 一つの文章の中で何度も用いると、文章全体のリズムが途切れる
 
● 文章の品がなくなる。

● 文章が曖昧になる。

● 第一級の文章家は決して体言止めを愛用することがない。

 確かに、論文やきちんとした本は、上記のことが言えると思うんですよ。

 オイラのブログの文章は、論文に使えないのは自他共に認めるところ。

 でも、多用しすぎないよう気をつけながら、文章のスパイスの意味で使うなら、有効な面もあるのではないか。

 お言葉を返すようですが、体言止めにも、メリットはいくつか考えられます。

 まず、文章の中でとくに読者に注目してもらいたいとき、体言止めで、文章の流れを一度止める。

 そして、作者の言いたいことについて考えてもらう。

 センテンスを短く切り、テンポよく文章を連ねてゆくと、簡単に読み飛ばせる半面、読み終わってから何も記憶に残っていないことは結構ある。

 文章の心地よいリズムに身をゆだねているうちに、右の耳から入って左の耳に抜けてゆく、みたいな…。

 そういうときは、いったん停止の標識を文章の中に置いたっていいのではないか。

 うまく使えば、文章のリズムにアクセントをつけて、よりバリエーションのある表現も可能ですね~。

 文末のバリエーションにとって、体言止めは打順の中の「シンジョー」のような存在だと。

 オイラが好きなのはそこっす。

 打線のつながりを切るという意味ではありませんので、念のため。 

 「でした」や「です」と文章をつなげるより、途中で切ってしまったほうが読者の読む時間を節約できる。

 べらんめー、こちとら江戸っ子でぇ~、最後まで言わすんじゃねぇやい。気が短け~んだ!

 …みたいな。

 もちろん、書いてある内容がよくわかる場合に限ってですが。

 短い文章で、主題を強く読者に印象づけようとする場合は、自ずと体言止めが多用される結果となりますね。

 たとえば、俳句や和歌。

 限られた言葉の数で、自分の言いたいことをきっちり主張するためには不可欠な文章作法かも。

 もっとも有名な俳句、「古池や蛙飛びこむ水の音」だって、最後が体言止めだから静かな余韻が伴う。

 これが…。

「古池に蛙が飛び込んだ水の音です」

 …とやってしまったら、もう台無し。

 しつこく芭蕉のもう一句。

「荒海や佐渡によこたふ天河」だって

「荒海の佐渡によこたわるのは天河でした」

 …とすると、プラネタリウムのおじさんの解説みたいになってしまう。

 広告宣伝のコピーや情報系の雑誌の記事では、体言止めが花盛り。

 これも、なるべく短い覚えやすい文章で、主題をインパクトのある表現で印象付けようと考えているからでしょうね。

 このように書いてくると、オイラは体言止め主張論者みたいに思われるかもしれませぬ。

 でも、フォーマルな文章に体言止めが多いのもどうかと…。

 やはり、TPOはわきまえる必要があるのでしょうね。

 ブログや気軽に読める雑誌、友人のメールの文体と、フォーマルな文章は読む人というより、読む姿勢が自ずと違ってくるだろうし。

 一律に、体言止めはすべてよくないという姿勢もまた、表現のバリエーションの自由を奪ってしまうような気がするのですけど。

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リズムがあって読みやすい文章の研究

 こんぱんは。

 ご無沙汰いたしております。

 ここのところ、珍しく、忙しい状態が続いておりまして。

 今まではどちらかというと、副業は忙しくなっても本業はそれほどでもなかったんですけどね~。

 オイラがやっている副業のひとつに食品のモニターというのがあるのですよ。

 これは、ただで飲み食いできる上に、謝礼までもらえる優れもの。

 今までは10件申し込んで2~3件採用されれば御の字だったのですが、なんと次から次へと依頼が…。

 気がついたら部屋中、ペットボトル飲料やラーメン、冷凍食品だらけになっていました。

 でも、それを飲み食いするだけなら別になんということもない。

 大変なのは綿密な報告書を作成すること。

 普段はそれほどでもありませんが、こういうことになるとA型のマニアックな性格が遺憾なく発揮される。

 一口食べてみて、沈思黙考。

 腕組みをしながら、「う~ん。甘からず、辛からず、…美味からず」なんてダチョウ倶楽部の往年のギャグを思い出し、一人ケラケラ笑っている今日この頃です。

 オイラが書いた報告書をブログのネタにできたら面白いのでしょうけど、守秘義務があってできないのが残念!

 「よくこんなこと思いつきますねぇ~」とメーカーの開発担当者からメールが来たことも何度かあるのですが…。


 それから、スーパーや金融機関、医療機関などサービス業の接遇応対調査。

 これは、本業の範疇に入ると思いますが、昔だったら隠密同心ですよね。

 企画書がどんどん通ってしまったので、これから関東一円をまわることになりそうです。

 気分を出すために、旧水戸黄門の「風車の弥七」スタイルで行こうか、と…。

 店頭で余計目立ったりして。

 これから年末にかけて若干更新が滞りがちになるかもしれませんが、元気に頑張っていると思いますので、よろしくご配慮のほどお願い申し上げます。

 もしかしたら、悪代官につかまって拷問を受けているかもしれませんけど。
 

 さて、かなり昔になってしまいましたが、前回の文末に関する話題の続きから。

 何度も書きますが、わかりやすい文章にとって重要なのは、センテンスを短く切って、テンポをよくし、主語と述語を近づけ、明確にする。

 リズムがあって、テンポのいい文章は、文末の表現が多彩なのではないかとオイラは考えました。

 オイラが知っている中でもっとも、上記の基準にあっていると思う文章。

 それは、夏目漱石の「草枕」の冒頭ではないかと思うんですよ。

 ちなみに引用しますと…。

「 山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世はすみにくい。住みにくさが高じると、安いところへ引越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて畫が出来る。人の世を作ったものは、神でなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許りだ」


 おお、なんと素晴らしいリズム感!

 センテンスが短く、テンポがいい。

 小説の冒頭部分でありながら、これだけ有名なのは、やはり含蓄のあるフレーズなのはもちろん、リズム感がいいからでしょうね。

 文末のバリエーションも多彩ですし、同じ文末が3回続かない。

 ちなみに、「草枕」は言うまでもなく名作だと思います。

 読んだのは10年位前で、それほど古くはないのですが、読む前のイメージと全然違っていたのに驚きました。

 実は、古臭い教訓小説だと思っていたのですよ。

 それが、なんと斬新なプロット。

 現代なら、ミステリーの範疇にも入るのかもしれませんね。


 それはともかく、文末の話題でした。

 それくらいオイラは、文末に注目しているのです。

 ところが、しかし…。

 実際、文章を書いてみると、日本語は文末のバリエーションがあまりに少ない。

 これは別にオイラの意見ではなく、日本語の特殊性によるらしいのです。

 この点について、井上ひさし氏の書いた「自家製 文章読本」がすごくわかりやすく説明してくれていますね~。

 日本語の文末のバリエーションの少ない理由、それは、文末決定性にあるらしい。

 つまり、日本語の表現のすべては、文末で決定されるということ。

 これは、よく言われることですよね。

 たとえば、欧米人が日本語を勉強するとき面食らうのは、最後まで聞かないと相手の言っていることが理解できない点だと。

 たとえば…

 ビジベンは、ロレックスの時計を持ってい□。

 …と、文末を伏せてしまう。

 すると、持っているのか、いないのか、あるいは持っていたが質に入れてしまって今はないのか。

 最後の最後まで、読んだり、聞いたりしないと、オイラがロレックスの時計を持っているかどうかわからない。

 もっとも、オイラのことを知っている人は、カシオのデジタル(Gショックではない)くらいしか持っていないと類推できるわけですが…。

 それに対して英語だと、文章の半ばくらいで「not」が入るから、ロレックスを持っていないとわかる。

 それはともかく、なぜ日本語の文末決定性が、文末の貧弱さを生み出すのかという点。

 それは、日本語の文末にはいつも何が来るのかを考えるとわかりやすい。

 言うまでもなく、文末には述語が来る。

 述語は、動詞である場合が多い。

 ここで、動詞の終止形を考えてみると「る」がほとんど。

 また、動詞の過去形は、言うまでもなく「た」。

 だから、日本語の文末は、「る」か「た」で終わる場合が圧倒的に多いのだそうな。

 確かにそうですよね。

 さっきの例で言うと、

 ビジベンは、ロレックスの時計を持っている。

 ビジベンは、ロレックスの時計を持っていた。

 …と、肯定的に終わろうとすると、ありきたりで陳腐な表現になってしまう。

 ここは、日本語表現にバリエーションを持たせるためにも


 ビジベンは、ロレックスの時計を持っていない。


 …と、終わらせるほうが秀逸な表現ができるのではないか。

 だから、オイラは、日本語表現の多彩さを目指すために、ロレックスは持っていないのであります。

 「………………。」


 別にオイラの貧乏を正当化するために、日本語の文末の単調さを指摘するわけではないですよ。

 文豪と言われる人たちだって、「文章読本」の中で、次のように書いているのだ。


「 ( 日本語は、)センテンスの終わりに「る」、「た」、「だ」、「す」等の音が繰り返される場合が多いので、都合のよいこともありますけれども、形が極まりきってしまって、変化に乏しい」 
 (谷崎潤一郎)


「 私はまた途中で文章を読み返して、過去形の多いところをいくつか現在形に直すことがあります。これは日本語の特権で、現在形のセンテンスを過去形の連続の間にいきなりはめることで、文章のリズムが自由に変えられるのであります。

  日本語の動詞が必ず文章の一番後に来るという特質によって、過去形のセンテンスが続く場合には「~した」、「~た」という言葉があまりに連続しやすくなります。
  そのために適度の現在形の挿入は必要であります」  (三島由紀夫)


「文章にリズムをつけるために、センテンスの語尾、つまり文末の影響は大きい。これが単調で、平凡な語が連続すると、文章全体にしまりがない感じがする。

 ところが、日本語は述語が一番後に来る構造のため、文末に語が来やすい。とくに、「~た」、「~である」、「~だ」などがひんばんに出てくる。

 これは文末を見つけ出すには都合がいいが、同じ語が文末に重なると、文章全体が単調になって、歯切れを悪くしてしまう。

 日本の作家たちも、この問題にはだいぶ悩まされたようだ」 (能戸清司)


 もっとも、以上の文章を読んだから、オイラが文末にこだわっているわけではないのです。

 今まで、いろんな本を読んできて、なんとなく文章のリズムが気になった。

 それで、それは文末の表現方法によるものではないかと仮説を立てたんですよ。

 そして調べてみたらなんとこの問題は、超有名な人たちからずっと論じられてきたことだったのですね~。

 オイラは、理論的にはこの謎を解き明かすところまでは行きませんでしたけど。


 …ということで、いつになるかわかりませんが、文末の話題は続きます。

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